第一章 花屋参上3

 最新型のメデリック600系は、二階建ての宇宙船だった。中央に行き来できる階段が螺旋状に取り付けられており、その階段脇に客室乗務員控え室があった。中央の階段によって客席は四カ所に分断されている。宇宙空間で、非常事態が起きたときのために気密性を高めるよう、常に各ブロックは仕切られ、非常事態が起これば頑丈な隔壁が降りて分断された。

「で? おっさんも言ってたけどプランは?」

 花屋じゃなくても手ぶらじゃ銃に勝てない。

「実はこんなものを持って来てるんだ」

 ニコラスは茶色の瞳を細めてにやりと笑った。シャツの胸ポケットからジッパー付きの小さなビニール袋をちらつかせる。そこに入っているものに、さすがのシルヴィオも驚いた。

「怖いもん持ってるなぁ。つうかよく持ち込めたなあ」

「あんなとんでもないもの持ちませてるんだ。これくらいばれないって」

 それは違うだろうと突っ込みたかったが、その時間も惜しい。

 シルヴィオたちがいるのは二階の後方客席。操縦士は二階前方客席のさらに先だ。スブリマトゥムのリーダーを始末すればいいというものではない。先ほど少年の父親に言った通り、彼らは死ぬことを無駄に恐れてはいないだろう。どこかでおかしな騒ぎがおこれば、全員皆殺しで政府へ見せしめとしてもおかしくなかった。

「たぶん乗務員控え室の中にも見張りがいるだろう。ただ、あまり人が多ければそれだけ潜入が難しいだろうし、一人だといいんだけどなあ」

 そういって彼は乗客の視線を一身に浴びて、今は閉ざされている控え室のドアの前に立つ。インターフォンを鳴らすと、声が震えた女性が出た。

「あ、すみません。スブリマトゥムの人が突然倒れたんです。なんか、息苦しいとか言ってたら、本当に突然。とりあえず寝かせてみたんですけど、もしかしたら突発性の宇宙症かもしれないし、伝えた方がいいかと思いまして」

『ディックが!? 息は?』

「あ、それは大丈夫だと思うんですけど、とにかく床じゃなんなんでどこかへ寝かせた方がいいかもしれません。乗務員の方なら処置も心得ていらっしゃるでしょうし」

『……待ってろ』

 ニコラスが振り返ってウィンクする。

 宇宙症は、閉ざされた空間や気圧の変化でめまいや吐き気、頭痛をもたらすものだ。三半規管の弱い人間がたまにかかる。自覚のあるものは事前に処方された薬を摂取したりしてしのぐのだが、たまに突発性のこれにかかる人も少なくない。

 シュッっと空気音が漏れ、扉が上へ格納される。

 男は一人だった。

「えと、他に人手は……」

「お前らが運ぶんだ」

 銃を突きつけられてニコラスは肩をすくめる。男が一歩前に出ると、その後ろから制服を着た女性が顔を出した。

「他に手伝ってくれるお仲間はいないんですか?」

 問いに男は銃口を彼の胸につけただけだった。その代わり女性が首を振る。すると、ニコラスが実に自然な動きでサブマシンガンの銃身を持つと強く引く。男は突然の反乱に前のめりになり、その横っ面をシルヴィオの拳が襲った。

「ちょろいちょろい」

 先ほど両手を巻いたビニールテープを再び取り出して、シルヴィオとニコラスは手際よく男を始末した。客室乗務員の女性がそれをこわごわと眺めている。

「さてと、こっからは時間との勝負だ。彼らだって連絡を取り合っているだろうしね。お嬢さん、一階の空調と二階の空調を分けることはできる?」

 最新型の600系に乗るのを楽しみにしていたニコラスは、詳しい船内図を事前に入手し、昨晩嬉しそうに眺めていた。花以外に興味の欠片も持ち合わせていないシルヴィオとしては、酔狂としか言いようのない行為だったが、今はそれが役に立っている。

「ええ。大丈夫です」

 彼女はうなずくと奥に向かった。シルヴィオたちも後へ続く。入って右側に螺旋階段。左が控え室で、乗務員たちが皆手を後ろで縛られていた。助けている暇はないのでそのままさっきの彼女の後を追う。

「すべての部屋の空調をここから操作できたらいいんだけど……」

「それは無理ですね。操縦席と船長室はこちらからは操作出来ないようになっています」

「まあ、対テロとしてはそうなるよなあ。じゃあ一階だけ、とりあえず無力化しよう」

 そういって先ほどの袋を取り出し口を開けようとするのをシルヴィオが止めた。

「待てよ、手の水分が怖いって。器に出して……ほら、このシェイカーに入れて振って一階に投げ込んで来るよ」

「それは?」

 エゴマの種子なのだが、そこは隠して、水分を与えると催眠性のガスを出すと説明した。もちろん人体には無害だ。二、三時間、泥のように眠るだけだ。

「それなら、飲み物や食事用の昇降機を使えば簡単に下へ運べます。操作はすべてこちらからですし、その薬を水に落としたコップごとをボックスに入れて一階へ下ろせばいいんです」

 彼女の提案に従い、一階と二階を完全に分断すると、水をコップへ入れてそこへキッチンペーパーでつくったこよりをひたす。こよりはどんどん水分を吸い、隣の皿に乗った種子へ到達しようとしていた。ガラスのこちら側から、濡れたことを確認すると昇降機のスイッチを押した。そして一階の乗務員控え室、前後の隔壁を上げる。

 様子をモニターで見ていると、銃を携帯している男たちが真っ先に動き、構えるがやがてふにゃりと膝を折り倒れる。同じように乗客も眠っていた。どちらも連絡を入れる前のようで、一安心だ。

「空調だけは気をつけて。全部終わった後でみんなおねんねなら構わないけど、目的を達成する前にそうなっては困るからね」

 うなずく彼女を後にして、シルヴィオとニコラスは宇宙船の天井裏へと侵入した。乗務員控え室の天井の一部が外れ、そのまま上ることができた。様々な計器が両側に並び、操縦室まで伸びている。

 直接そこへ種子を放り込もうという考えだ。

「よく知ってたなあ、こんなところ」

「趣味。昨日図面を見ていて妙な空間があるなと思ってた。俺は昔、宇宙船の船長になるのが夢だったんだ」

「それがなんでかSFCの社員って?」

 立っては歩くことができない狭い場所を四つん這いで進む。先を行くニコラスの手に握られた懐中電灯の灯りが、その度に揺れた。一応念のためにしているガスマスクのせいで、相手の言葉は聴き取りにくい。シルヴィオの耳にニコラスの返事は届かなかった。

 船は柔軟で強靱な合金、ヴンダニウムで出来ており、彼らの持っていた銃程度で打ち抜けるとは思えないがあまり音を立てて天井裏に何かが潜んでいるのを知られるのは得策ではない。焦る気持ちを抑えながら一番先頭までやってきた。

 そこには扉と、数字が並んだ文字盤があった。その扉もかがんだまま入らなくてはならないほど低く作られている。薄暗く狭い空間に文字盤がぼんやりと光っていた。

 先ほど彼女に教えてもらった九桁のパスコードを入れると、扉の取っ手近くの赤いランプが青に変わる。扉は内に開き、二人はまた黙々と進んだ。床面積的には広いが、前方は外壁が斜めにカーブしているので男二人が並んでいるのが限度だった。腰に下げていた工具を取り出し床の板を一枚はがす。多少無理矢理だが、許されると思いたい。その下には通気口がある。灯りが漏れ、話し声が聞こえてくる。

 顔を見合わせてうなずくと、シルヴィオが腰に下げてきたボトルを渡し、ニコラスが紙に包んだ種子をそれへ入れようとする。

 だが、異変が起きた。

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