第一章 花屋参上2

 次に目が覚めたとき、鈍感鈍感と言われ続けるシルヴィオでも、異常な雰囲気を感じ取ることができた。目の端に少年の怯えた表情が見える。父親とそっくりな、金髪に青眼というノーブルな顔が真っ白になって震えていた。

 アイマスクをずらしたのは自分ではない。隣のニコラスだ。少し怒ったような顔でシルヴィオの頬を叩く。

「すみませんね。本当に、どこでも眠れるやつで、眠ったらまたなかなか起きないんですよ」

 シルヴィオの左隣は通路だ。そちらから影が伸びている。

 寝ぼけた頭のまま見上げると、黒ずくめの男が立っていた。頭にも黒いニット帽を被っていた。だが、顔は見える。黒い濃い眉をひそめてカードが挟めそうなほど眉間に皺を刻んでいた。黒い瞳がじっと自分に注がれている。その手にはサブマシンガンが握られていた。旧世代の遺物だ。しかし、そのフォルムはこちらを脅すにはとても有効なものだ。

「おえ?」

「どこまで図太いんだ、このチビは」

 ――ふっ、と血の気が引いて、頭が一瞬冴える。しかしあくまで一瞬。その次の瞬間には全身の血が逆流したように駆け巡る。

 無意識で立ち上がろうとしたシルヴィオを掴まえる強い力がなければ、そのまま目の前の男を殴り飛ばしていただろう。

 東洋人の血が混じっているシルヴィオに対して、『チビ』は禁句中の禁句なのだ。そのおかげで客と何度も揉めている。どれだけ己に言い聞かせても抑制が利かない。だが、今回は隣のニコラスが腕を掴んで引き留めたおかげでなんとか最悪の事態は逃れられたかのように思えた。

「なんだ、チビ。どうしたチビ」

 同じ言葉での侮辱は、堪える人間とそうでない人間がいる。シルヴィオは後者で、瞬間的な怒りをやり過ごせばどうということはない。

「のんきに寝てるな」

 それ以上の反応を引き出せなく、つまらないと男は立ち去りかけた。内心ホッとする。表情に出す愚行は冒さない。状況を把握していない中で、なんらかのアクションを起こすのは危険極まりない。相手が銃を持っているならなおさらだ。大嫌いな宇宙空間。ここがどんな場所か、嫌でもわかっている。

 だが、その目がシルヴィオを素通りし、さらに奥で止まった。

「へえ、SFC製の花か」

 ガタリと椅子が揺れるほど、少年が飛び上がる。父親が手を伸ばし彼を抱きしめ、男をじっと見つめた。

「おい、ちょっと見せてみろよ」

 少年は見ている者が辛くなるほど、全身で震え、拒否している。だが男はやめない。銃で真っ直ぐ彼へ狙いを付けて再度要求する。

「こちらへ寄越せと言ってるんだ。まさか宇宙船内に花があるなんて思ってもみなかった」

 父親が、抱える両手を無理矢理ほどいてポッドを献上しようとする。少年は渾身の力であらがっている。

 それが限界だった。

 普段から力仕事で鍛えているバネを最大限に利用し、トリガーにかかる相手の手を押さえ込むとそのまま男の顔面へ拳をめりこませる。

 完全に注意から外れていたシルヴィオのパンチは、それはもうすがすがしいほどに上手く決まった。

 どさりと音を立てて倒れた男を見下ろすと、鼻を鳴らして銃を取り上げた。

 後ろを振り返ると、ニコラスの困った顔が目に入る。

「仕方ないだろ。危なかったし」

「うーん。同意しがたい。が、済んだことは仕方ない。そいつ縛って一番後ろへ連れて行こう」

 ニコラスがそう言って座席の上にある荷物入れからビニールテープを取り出した。二人で運んで手足をぐるぐる巻きにする。

 普通なら非難されてもいいことだが、シルヴィオの行動が子どもを守るためのものだったので、口火を切る人間が現れず、辺りはとても奇妙な雰囲気に包まれていた。

「ていうかこれ何?」

 靴の先で男をつつく。

「ああ、スブリマトゥムだって。ほら、この間指導者カーチス・ダグラスが捕まっただろ? その開放を要求してるんだ。乗客が人質だ」

 自分の席へ戻りながら首を傾げると、ああ、とニコラスはため息を漏らした。

「まあ、シルヴィオは知らないかもしれないけど」

「知らないの!?」

 真っ青を通り越して真っ白になっていたはずの少年が、眉をひそめて驚いている。

「うん。しらねー」

「こいつはね、ホント、自分の興味あることしか知らないんだ。テレビも見なけりゃ端末にニュースの配信設定すらしてないんだよ」

「……お父さんがそんな大人にはなるなって前に言ってた」

「コラ、いや、ハハハ」

 まあ、笑うしかない。

 別にそんなことは言われ慣れているのでまったく気にならない。

「んで、スブリマトゥムってなんなの? つうか、もー俺が言った通り専用船でとっとと帰れば良かったじゃんかー」

 なんなら自家用船出してもいいと、駄々をこねていた自分を思い出す。あのとき、もっと粘ればよかった。こんな面倒ごとに巻き込まれることになるとは思ってもみなかった。

「そーゆうことは思ってても言わないの。スブリマトゥムってのは、火星を作り上げた一次移民者たちの子孫で、最近政府が好き勝手やってるのが気に入らないってところなんだけど……」

「ようは、外来種に圧迫される在来種みたいなものか!」

 自分の分野に置き換えわかりやすくしてみると、ニコラスは少し首を傾げた。

「いや、むしろ陽樹陰樹に成り代わられることを望まないパイオニア植物みたいなもんだな」

「わかった!」

「そりゃよかった。そんなんで理解できるのお前くらいだろうけど。それじゃあ次のステップに進もう。今のところ他に二人仲間を見ている。操縦席を占拠しているか、船長を脅しているかはわからないけど、最低でもあともう一人はいるだろうね。前方の客席にもいるだろうし、客室との間にある乗務員控え室にもいるかもしれない」

「よく見てんなあ……もしかして狙ってた?」

「お前が起きる前にもう少し情報集めたかったんだけどね」

 シルヴィオはうなずく。

「ま、やるしかないな。地球には俺の帰りを待ってるリリーちゃんやマーガレットちゃんがいる」

「そうだね。謝って許してもらえないだろうし、とっとと片付けよう」

 平然ととんでもない内容を話す彼らに、少年の父親が立ち上がる。

「待ってくれ!」

 二人で振り返ると、彼は少し迷った。

「君らは、単なる花屋だろう?」

「花屋!? SFCなの?」

 少年が間に割り込んでくるが、それを父親は退け続ける。シルヴィオたちがこの船に乗り込むはめになった張本人なので、こちらの職業を知っていても当然だった。SFCの職員がちょうど火星から帰るところで、シルヴィオたちを伴うことで彼の息子のスイートピーも持ち込みを許可されたのだ。こちらとしてはいい迷惑。こんなことにまで巻き込まれた。

「何か特別なプランがあるようにも思えないし。それなら、私が彼らに、子どもを庇うためだったと釈明しよう。その方が安全だ」

 ごもっともな意見だが、彼は勘違いしている。大前提が間違っているのだ。

「安全というのは、いっとき命を長らえるということですか?」

 父親は眉をひそめた。

 ニコラスはこんな状況でも笑顔を絶やさない。地球で待ってるシルヴィオの上司のようだ。どんな状況でも笑顔で切り抜ける。

「まさか……」

「カーチス・ダグラスの釈放を願っているのは本当でしょうが、我々を無事解放するというのは完全に嘘ですね」

 彼は信じられないと首を傾げる。

 首を傾げたいのはこちらだ。観察力がない。

「だってほら、彼ら顔を隠していないでしょう? サングラスも、お粗末なものです。しかも彼はそれを取った」

 後ろで転がっている男を指さす。

「スブリマトゥムとかよくしらねーけど、テロリストが顔見せて人質解放するわけないよなあ」

「それにこんな船の中でサブマシンガンは拙い。しかし、いざとなったらそれを辞さない覚悟があるということです」

 その言葉に彼は顔をこわばらせた。

 だからこその過激派テロリスト。死ぬことを、殺すことを、必要であるとしている。

 男性からの反論が止まったところで二人は再び歩き出し、扉の前で止まる。もう誰も彼らの行動を止めることはない。その姿をじっと見守っていた。

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