第一章 花屋参上1
少年が大事そうに抱えているポッドをちらりと見やり、小さく鼻を鳴らす。隣で同僚のニコラス・ノーザムが彼の話を笑顔を絶やさず聞いているフリをしている。
メデリック603便は、席が三人、四人、三人と横に十人並び、通路や前の席との間もずいぶんゆったりと作られている。地球内の移動よりも火星に行く方が早く着くと言われているくらい、乗船時間は短くなっているものの、外に空気がない、狭い空間に閉じ込められている圧迫感を少しでも減らそうという努力がなされていた。
「それでね、おじいちゃんがボクの入学祝いにくれたんだ。なんの花かわかる?」
シルバーメタリックの卵形をしたプラスチック製のポッドは、側面に浮き彫りでSFCと記されていた。正面はカバーを横へスライドさせて開けば、透明の強化プラスチックの向こうにピンク色をした可愛い花が見える。
「スイートピーだね」
「そう! よく知ってるね。しかもSFC製なんだよ」
自慢げにロゴをこちらへ見せつけるので、思わず口を出した。
「そりゃそうだろう。生花を宇宙へ持ち込めるのはSFCくらいだからな」
今まで眠そうにして会話に加わっては来なかったシルヴィオ・エグバーグに、少年は一瞬びっくりした顔を見せた。けれどそのまま彼に質問を重ねる。
「せいか?」
しまったと思ったがもう遅い。なんのために間にニコラスを挟んで関わらないようにしていたのか。植物のことになるとつい我を忘れる自分を恨めしく思いながら、それでも彼の質問に律儀に答えた。
「造った、偽物の花じゃなくて、生の花ってこと」
定義は色々あるのだが、小学生にはこの程度でいいだろう。
「幼稚園の時、紙でお花を作ったりしたけど、そういったものじゃない、自然のってこと?」
小学生にしては理解が早く応用も利きそうだ。
「そう。地球から宇宙へ持ち出せるのはSFCで調整された花くらいだ」
他は政府が許可を出さない。いつの頃からか、地球の外で植物が育ちにくくなった。特にきれいな花を咲かせる類の物が、成層圏を突き抜け宇宙空間へ滑り出したところでみるみる萎れていく。現在それを克服しているのは、スペース・フラワー・カンパニー――通称SFCくらいなもので、それ故に地球外での花はとても高価なものだった。
事実、少年は船に乗り込むまでに三十はくだらない数の人にその両腕に抱えるポッドを是非見せて欲しいとせがまれ,賞賛の言葉を浴びせられていた。彼が得意げになるのもうなずける。
「宇宙から地球へこうやって運び入れるのも、すごく珍しいことだって言われたよ」
「そうだねえ」
シルヴィオの不穏な空気を受けて、割り込むようにニコラスが応えた。
一般人が宇宙へ持ち出した植物を、再び地球へ持ち込むなど異例中の異例だ。少年の向こう隣で、彼の父親が苦い笑みを浮かべていた。その特例をごり押しした人物だ。正直気に入らない。
乗船前にニコラスからこんこんと説教されていたので、露骨に睨みはしないが、口が尖りそうになるのを押さえなければならなかった。よくも面倒ごとを増やしてくれて、である。
「でもさ、ボク、男なんだから、ピンクじゃなくて青い花とかにしてくれても良かったのになあ」
少し不満そうに足をばたつかせる少年に、シルヴィオは慌てて注意する。
「コラ! スイートピーは振動に弱いんだ。そんな風にしたらダメだって」
「そうなの?」
怒られたことよりもその内容に驚いて、彼はきょとんとシルヴィオを見つめた。
「ああ。それに、スイートピーの花言葉には『門出』って意味もある。坊主の入学祝いにぴったりじゃないか」
再びそうなの、とは問わなかった。
ふうんとどこか納得した風に数回軽くうなずくと、少年はポッドを抱く手にぐっと力をこめる。
「シルヴィオ詳しいねえ」
「まあね」
当然だろう。
だがそれに対する回答を述べて、質問攻めに合うのは避けたかった。
「ニコラス、俺ちょっと寝るわ。着いたら起こして」
アイマスクを取り出して少しだけシートを倒す。目の前が暗闇に閉ざされる前に、ニコラスのにやけた笑いを湛えた茶色い眼が見えた。
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