さよなら勇者さま

三澤いづみ

さよなら勇者さま




 いじわるだったあなたへ


 思えば、あなたと初めて会った日から今日まで、ずいぶんと長い時間がたちました。あんな手紙を残されてしまって、それを発見したときのわたしの気持ち、あなたはちゃんと想像したのでしょうか。

 ……ちっとも分かってくださらなかったに違いありません。そうです。そうでしょう。そうじゃなきゃ、あんな手紙ひとつですませようなんて思うはずがないですから。


 さて、きびしいラーサの季節となり、こちらはずいぶん寒くなりました。雪もちらつき出していますが、そちらの様子はどうでしょう。風邪など引いてませんか。そんな心配はいらない、なんて仰らないでくださいね。あなたの身体がひとなみ外れて頑丈なことは承知しています。でもそれは心配しなくて良いってことと一緒ではないのです。


 ほら、いつだったか似たようなこと、あなたがしかめっ面で、わたしに対して強い口調で言ったことがありました。そのおかえしです。だから、というわけではありませんが、眠るときは机の上ではなく、きちんとベッドに入って、毛布も用意すること。どうか、あったかくして寝てください。面倒くさがりなあなたのことですから、毛布を干したりベッドのシーツを毎日替えたりなんてしたくないでしょうが、清潔な寝床とその支度は健全な生活の第一歩ですし、自分で出来ないのなら人に手伝ってもらうのも良いかもしれません。


 どんな場所であっても、あなたのまわりには誰かがいるはずです。頼ってもいいんです。甘えてもいいんです。もちろんどなたかを雇ってもかまいません。こちらとは色々なことが違う場所だそうですが、そういうお仕事の方もいらっしゃると前に仰ってましたよね。あの頃のように一人でなんでもやろうとするのは一見感心な心がけです。でも、たぶんあなたには向いていません。また失敗するのが目に見えてます。


 怒りましたか。どうぞ怒ってくれてもかまいません。わたしが怒られるだけで、あなたがまた何か勘違いして、手ひどく失敗して、それで傷つくようなことが防げるのなら、そのほうがずっとマシですからね。はい、失礼申し上げました。そんな失礼な物言いをしたわたしを叱ってくれるのなら、それはそれで結構なことです。

 ……いけませんね。手紙を書くことは、とても難しい。あなたが目の前にいないと、どうしても内容が散漫になりがちです。


 そうそう、たぶん気にされたことなんてなかったでしょうけれど、お屋敷の外に何本か植えておいたサザナゲの木が、ようやく花を付けました。あの良い香りのする、黄色くて小さな花です。白く染まった雪景色にちらちらと覗く黄色は、たまに降りそそぐ陽の光を浴びてきらきらと輝いています。

 あのころ荒れ放題だった庭を綺麗にした結果、すっかり空っぽになりましたね。そのままでは寒々しいからと庭師が気を回した結果ですが、あなたは花にはまるで興味はなかった。わたしを通して木を植える許可をもらったときも、好きにしろと言っただけでした。でも夕食後のデザートでサザナゲの実を何度か出していたんです。名前を聞かれなかったから気づかなかったでしょうが、あなたはそれを美味しい美味しいと言って珍しくおかわりまでして食べていましたね。


 あの実、トゲがあるから収穫するのが大変だったんですよ。綺麗な花を咲かせないと果実も甘くならないとかで、庭師も手入れに苦労していたようです。

 そう。短い間でしたが、庭師の彼らも頑張っていたんです。最後までちゃんと話したことがなかったから知らなかったかもしれませんが、あなたはずっと、みんなから慕われていたんですよ。


 今なら分かります。あなたは怖がっていた。だから色々なものを遠ざけようとしていたんですね。でも、このお屋敷で働きたいと申し出てくれた彼らは、皆さんあなたを悪く思ったりはしなかった。あんなことがあっても悪く言うひとはいなかったんです。あとで聞いたところ、お世話になったからと仰る方もいました。命の恩人だとか、娘が助けられたとか、窮地を救われたとか、話を伺うと大半がそんな方ばかりでした。あなた自身には見覚えがないのは当然です。だから直接助けたわけではないけれど、あなたが成し遂げたことで、間接的に家族や人生を救われて、それで少しでも恩返しが出来たら、そう考えた方々だったんです。


 ただ……あなたはちょっと、いえ、かなり誤解を招きやすい性質でしたから、あちこちにすれ違いがあったことは否めません。黒っぽい格好が好きで、顔を見せることも嫌がって人前ではフードを取ることもなかったし、言葉だっていつも少なくて、何を考えているのか分かり難くて……あなたは人間を遠ざけて、誰も懐に入れようとしなかった。だけど人間嫌いではなかったし、とても寂しがり屋だった。誰よりも強かったくせに、誰よりも恐がりだった。ひとに裏切られることを理解しても、自分からした約束は守り続けた。何もかも知っていたのに、色んなことに気づかなかった。あなたは上手に隠していたつもりだったかもしれませんが、わたしはそれをお見通しでした。

 ですが、他の方にとってはそうではなかった。みんなあなたのことがちゃんとは分からなかった。分からないから怖がって、遠ざけて、あなたもそれを当然のこととして受け入れた。


 どうしてと、あのときは思いました。だけど今なら分かります。あなたはちゃんと分かっていて、そうするしかなかった。ええ、ええ、分かってます。分かってますとも。あなたの思い通りだった。何もかも、あなたにとっては上手くいったのでしょう。それがどんな結果を呼び寄せるかもご存じの上で、あなたは選んだ。


 わたしは、悔しかった。悔しくて悔しくてたまらなかった。あなたのことをよく知らない者が、勝手なことを言う。あなたが何を成し遂げたのか、どんなに苦しんだのか、どんな想いであったのかを気づかず、知ろうともせず、人づての話を聞いただけで、したり顔で……わたしは情けなかった。こんなやつらのために。こんな連中のせいで。でも、あなたは気にしなかった。当たり前のような顔をしていた。わたしには、分かりません。分かっていたつもりのあなたのことが、分からなくなりました。


 ……最初、足を運んだとき、このお屋敷はひどい有り様でしたね。ちゃんとしていたのは、いまこのお手紙を書いているこの部屋だけでした。空っぽの棚しかない書斎でしたが、今ではあなたが集めた本が綺麗に並んでいます。だけど他の部分はひどいというか、ひたすらにぼろぼろで、廃墟としか言いようが無くて、呪われた幽霊屋敷として放置されているって、笑うしかない状態でした。

 あなたは屋根だけあればそれでいいと言っていましたが、わたしが無理を言って、あちこちの修繕を主張しました。その結果、こんなにも立派なお屋敷になりましたが、かかった費用については、その、再度謝罪します。ごめんなさい。最低限のつもりが、まさかあんなにも高額になるのは想定外だったのです。

 但し、あなたも出された見積もりに一括で全額支払ってしまわれましたので、それについては異を唱えさせてください。

 支払いは、せめて前金だけにするとか、現金ではなく手形にするとか、色々とあったはずです。値切れとは言いませんが、来たのがまっとうな職人でなかったらどうなっていたことか。ちゃんと分かってますか。そうですよね、分かっていてそうしたんですよね。紹介もあったから信用したし、実際それで良い結果が出たんだから、それでいい。あなたはきっとこう言い返すでしょうが、お金は大事です。あんな使い方をしていたら、いつか困ってしまいます。お金ならあるからと、あなたはそういうことに頓着しなかったけれど、悪いひとに騙されないようにちゃんと気をつけてください。……本当に大丈夫でしょうか。とても不安です。とっても心配です。まったく、わたしにいつまでもこんなことで心配させないでください。お願いですから、信頼できるひとをそちらで見つけてください。お願いしますね。


 そうそう、お屋敷のことなら心配しないでください。あなたの手紙にあった通り、しっかりとした引き取り手が見つかりました。ほら、あなたが珍しく褒めていた裏通り在住のあの方です。事情にも通じているから、この屋敷については問題になることはないでしょう。その引き渡しが済んだら、街外れに家を借りるつもりです。昔、一緒に見に行った、安い賃料と畑付きのあそこです。それにあなたもご存じのように、わたしが生活に困ることはまずないでしょう。色々出来るようになったのもあなたのおかげですが、今になって考えると、当時からそうなることを想定していたのでしょうか。そう考えると、少し腹立たしい気もします。


 いつもそう。いつもいつも、あなたは身勝手なことばかり言って、ひとのことを振り回して、そのくせ全部収まるべきところに収まるように仕組んでいた。ええ、ええ。そうです。いつだってそう。みんな、あなたが引き受けた。彼らの多くが気づかなかったけれど、取り返しの付かない結末に誰一人として向かわなかったのは、あなたのおかげだった。もちろん何もかも上手くいったわけではないし、あなたを悪し様に罵る者も大勢いました。最高の結末だなんて言えるはずもないけれど、それに気がついたひともいた。そんな彼らは表立って口にしなかっただけで、あなたに心から感謝していた。


 でも、たったそれだけ。


 心で感謝して。裏で頭を下げて。それ以上のことは出来なかったし、しなかったし、何よりあなたがさせなかった。あなたはみんなを守ったけれど、あなたを守るひとはいなかった。……なんて、ね。ごめんなさい。あなたが納得ずくでしたことを、わたしが声高に否定することこそ、間違っていることは分かっています。それでも言わせてください。誰に聞かせるわけでもないのだから、どうか言わせてください。身勝手な理由で呼ばれたあなたは、数多くの人々を、この国を、この世界を救ったけれど……あなたは救われたんですか。ほんの少しでも報われたんですか。


 聞いてはいけないことでしたよね。ごめんなさい。全部を見てきたわたしだからこそ、口にしてはいけないのだと理解しているのに。


 覚えていますか。わたしのことを買ってくれた日のこと。あのときもあなたはお金を大量に持ち歩いていましたね。檻の中で、切り裂かれるように冷たい鉄の足枷に繋がれていたわたしを、困ったように見下ろしていたあの姿。その手に金貨がたっぷり入った布袋を持って、周りのすごい視線に気づいた様子もなく、わたしを買うことを大声で叫んでいたあの様子。手が震えていたことも、声が震えていたことも、慣れない様子を見せないために虚勢を張っていたことも、全部ぜんぶ覚えています。


 そのあと起きた出来事はあんまり格好良くはなかったけれど、あのときからあなたはわたしにとって、特別なひとでした。大切で、何より大事で、掛け替えのないひとでした。いつか言いましたよね。あのとき、わたしが何を考えていたか。値切れば良かったのに、って。裏であなたが物好き扱いされて、高値を吹っかけられたのを知ってたんです。支払いの時、少しでも渋った顔を見せれば、たぶん半額……どころか四分の一でも嬉々として売ってくれたはずです。


 わたしは死にかけで、色々な理由で厄介者扱いされていましたし、事実その通りでしたから。だけど、あなたは向こうの言い値を払ってしまった。あんな大金をわたしなんかのために使ってしまって、これからどうするんだろうって、わたしの方が心配したくらいです。そのくせ手も出してくれなかった。結婚出来る年齢になるまでわたしは子供だと。子供には手を出さないと決めているから、って。ここじゃなく、自分の国の法律を理由にするあたり、あなたはずるいひとでした。それでいてわたしに枷をつけることもなかった。逃げたいなら逃げろ、みたいな顔をして。


 きっとあなたくらいです。買われた商品に心配されるような、危なっかしいひとは。でも、あのときの話には続きがあるんです。わたしは、うれしかった。嬉しかったんです。どんな理由でも、どんな形であっても、わたし自身を求められたのはあれが初めてだった。そのときすでに立場のあったあなたが、わたしなんかを買ったことを、口さがないひとたちが裏で口汚く罵っていたことは知っています。話を聞きつけた方に、あからさまに眉をひそめられたこともありました。その多くは、同情してくれていたのでしょう。だけど、余計なお世話でした。わたしの気持ちを決めるのは、見ず知らずの誰かではなかった。わたしの大切なものは、わたしが決める。それを許してくれたのが、あなただった。あなただけだった。あなたはわたしにたくさんのことをしてくれた。けれど、わたしはそれ以上に、あなたに何かをしてあげたかった。させてほしかった。こんな気持ちがあるなんて。こんな気持ちになれるなんて、あなたに逢うまで知らなかった。あなたと一緒にいられることが、わたしの幸せでした。それ以上なんて、わたしは求めなかった。なのに、どうして。どうしてなのでしょう。


 ……いつかあなたが呟いたのを覚えています。ひとは、どうしてと尋ねてしまうものだと。どうしようもないほどに、手遅れになってから、それを思わずにはいられない生き物なのだと。無数に漂う、どうして、に対する答え。あなたは、ひどいひとでした。あらゆる人々に対してはその答えを用意しておきながら、ただひとりわたしにだけは答えてくれなかった。いえ、その代わりが、わたしにしか読めなかった手紙。他の誰でもない、わたしへと当てた答えなのでしょう。


 いろいろな場所に二人で行きましたね。ああでもないこうでもないって鼻先を突き付け合って、大きな地図を見たことを覚えています。二人とも長旅の経験なんてないから、最初は旅支度の段階から失敗ばかり。凍り付いた宮殿に向かったときはひどい目に遭いました。ラーサの季節でもないのに吹雪ばかりで視界も効かず、着込んだ防寒具だけじゃ足りなくて湯たんぽ代わりにされたのも良い思い出。火山の麓の村にも行きましたね。あのとき追い掛けられた巨大な影はなんだったのでしょう。あなたは正体を知っているようでしたが、どういうわけか教えてくれませんでしたし、そのくせわたしが怖がっている姿を見て呆れたような顔をして。

 ああ、賑やかだった夜の街トーラスでは別の意味で大変でしたね。みんなギラギラした眼でわたしたちを見てくるし、ひっきりなしに話しかけてくるものだから、目的地にいつまで経ってもたどり着けなくて、珍しくあなたが苛立っていた姿を見せたことを覚えています。お金、お金、お金、あれだけの人々が集まって、良くも悪くも商売に精を出していた熱気はすごかったですが、少し怖かった。遠ざかるために足を速めたあなたに、強く手を引かれたことは、ちょっと得した気分でした。

 そして、そこから何度も馬車を乗り継いで、かなり北上した先にあった竜の顎! あそこはすごかったです。いつもならつまらなそうに風景を見下ろすあなたもあのときばかりは目を丸くしていたから相当に驚いていたのでしょうが、わたしはその何倍もびっくりでした。だってあんな景色は生まれてこの方、一度だって見たことがなかった。一緒に見たスーラの湖も美しかったけれど、あの滝はそれ以上にすごかった。だけど場所が場所だからやっぱり足場が悪くて、突然の強風に押されてわたしが滑り落ちそうになったときの、あなたの慌てた顔といったら。そして咄嗟にわたしの手を掴んだあとの、あの表情。忘れません。忘れられるものですか。それから、それから……


 二年がかりの旅、王国での一年、そして最後の日々。

 振り返ればキリがないから、このくらいにしておくべきなのでしょう。目をつぶれば次から次に浮かんできます。あの頃のこと。わたしは初めて触れるもの、初めて見るものばかりで、何もかもが楽しくて、楽しくて、ずっとこんな日々が続けばいいのにと願っていました。


 でも、きっと、あなたにとっては違った。負担だったのかもしれません。苦痛だったのかもしれません。意地っ張りなあなたはそれを口にしたことはなかったけれど、心の中ではいつもそちらに帰りたがっていたように思います。

 故郷を思い出すのでしょう。わたしが気づいていなかったと思っているかもしれませんが、時折、あなたが何かを思い返すかのように、懐かしげにわたしの瞳や髪の色を眺めていたことは、ちゃんと知っています。わたしはあなたの抱えた寂しさを埋められなかった。それは確かに悔しいけれど、ふるさとに帰ったあなたが、そこで幸せに暮らしているのなら、それが一番だと思います。


 さて、とりとめもなく書き連ねているうちに、この手紙も長くなってしまいましたが、そろそろ終わることにします。わたしなりにあなたに教えてもらった言葉で書いてみました。何度も読み返したあなたからの手紙をお手本に、文字も練習しました。読みにくかったら、ごめんなさい。

 それから、それから、あなたのことだから、向こうでも色々心配しているかもしれませんが、わたしは大丈夫です。色んな方が気に掛けてくださっていますから、さみしくなんかありません。本当ですよ。わたしはここで、ちゃんとやっていけます。だから、ひとのことより自分のことを心配してください。あの日々の果てに、やっと手に入れた平穏。そちらは、ずっと帰りたがっていた世界なのですから、自分のことを何より大切にしてあげてください。

 わたしはあなたの優しさを知っています。

 日々を振り返ったり、手紙の書き方を調べながら書いたので、思っていたより時間がいっぱいかかってしまいました。そのせいで最後になってひとつ書くべきことが増えましたから、付け加えておきます。


 あの日から一年が経ち、わたしは十六才になりました。

 あなたは、いつかした約束のことを覚えているでしょうか。できれば、わたしがおばあちゃんになってしまう前に思い出してくれると嬉しいです。


 ……どうせ届かない手紙ですから、これくらい書いてもいいですよね。二度と会えないとしても、遠くから想うことだけは許してくれますよね。残っていた手紙にはあなたのことを忘れて生きろと書いてあったけれど、一度くらい言いつけに逆らっても、いいですよね。


 これでペンを置くことにします。

 最後に。

 さよなら、わたしの好きなひと。さよなら、わたしのご主人さま勇者さま

 どうか、あなたが幸せでありますように。

                           あなたのラリカより

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さよなら勇者さま 三澤いづみ @idumisawa

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