士爵

 黙々と食事を続けていた一色が、唐突に会話に割り込んできた。カレーを三分の二以上を平らげて、それで一息ついたらしい。宙に表示された画面にしげしげと見入りながら、指さす。

「この星宮祭の話。これのことかな」

 などと一人で納得するのを、聡は怪訝に聞き返す。

「星宮祭が、どうかしたって?」

「いやな、うちのじいちゃんから聞いた話なんだけど。――これ動かしてくれる?」

 言って、一色は画面の切り替えを催促する。聡は湯呑を置いて、端末を操作しながら、

「生体認証で、本人しか使えないんだっけ」

「使えても他人の端末勝手に触れないって。――あ、それな、星宮祭の芸能者の下り。多分それが士爵連中のいわれってやつだぞ」

 聡と井上は画面を覗き込む。

「どういうことだ?」

 文章を再読した井上が訝しんで聞くと、一色は茶を一口飲み、

「星夜行路の時さ、旅だから旅券、通行手形がいるだろう。その手形に、イザナが裏書したんだよ。身元証明ってやつな。それを持ち出して、連中、自分たちが皇族の傍流だのご落胤だの言い張ってるんだと」

 一色の言葉をよく吟味して、聡は確信なく言った。

「……つまり、先祖の功績に、便乗してるってことか?」

「泥を塗っているんだろう」

 井上がすかさず訂正する。が、二人の意見を、一色は手を振って否定する。

「違うって。本当の星宮衛士だった連中は、その後上級貴族にスカウトされたりして、家来になったわけよ。御家人や徒士だよな。でも中には断る奴だっているだろう。『俺は地位には興味ない、役目を果たしただけだ』とか言って」

 片手を広げて、斜に構える演技を披露し、さらに続ける。

「そういう奴らの子孫が『うちは何代目のイザナ様に奉仕した、由緒正しい家系で』とか、鳴り物入りで商売やってたんだよ。大事に保管していた手形を営業トークに使ったり。札持ち商売って、聞いたことあるだろう?」

「老舗の和菓子屋とかがよく使ってるあれか。皇室ご用達って意味だと思ってたぞ」

 驚くと、一色は眉尻を下げた。

「やっぱり知らないんだな。じいちゃん、昔はみんな知ってたって言ってたけど。――で、連中、それ使える、って真似しだしたんだよ。手形は多分骨董屋とかから買ったんじゃないかって話。かなりの数が残ってるんだよ。ここの歴史資料館にも何枚か展示されてるしな」

 聡は思わず身を引く。口元を引きつらせて、

「……つまり連中本当に地位とは無縁だったってわけか」

「面構えで察しろよ。あれが貴族とか、ありえないし」

 心底嫌そうな顔つきで言うと、

「井上は知ってたか?」

 話を振られた井上もまた面喰った顔をしている。二人の反応を見て、一色はため息交じりに続けた。

「連中、躍起になってこの事実を隠そうとしてたらしいから、この反応は仕方ないのかもな。まあ、年寄りはほぼ知ってるし、ネットの噂話でもポツポツ出始めてるし。――あ、そうだ」

 不意に、一色はにやりと陰湿に笑う。

「通行手形にはさ、本来の持ち主の職業が書いてあるってさ。連中は士爵、つまりは自分たちのことを武官の子孫だって吹聴しているわけだだろう? だからさ『手形に書かれた職業は何ですか?』って尋ねたら、一発で嘘がばれるって寸法よ。連中と鉢合わせる機会なんてないだろうけど、ちょっと試してみたくはなるね」

 喉を鳴らせて低く笑う一色に、端末に情報を打ち込んでいた聡は手を止める。考えて、底意地悪くにやっとした。

「確かにどんな反応をしてくれるのか、興味はあるね」

 軽い冗談めいた言葉のやり取りを、しかし井上だけは、深刻に受け止めていた。

「同室のよしみで忠告するが、絶対にやるなよ」

 ぴしゃりと言い放つ。思いの外強い口調に、聡と一色は井上の顔を見る。井上もまた二人を見た。眼鏡のレンズが室内照明を受け流して、奥の視線が厳しく二人を見据える。そのただごとならぬ様子に、揃って鼻白む。

「士爵は、もとは違法まがいの商売でなり上がった経済人だ。それも三独連とつながりがあるという話は聞いたことがあるだろう」

「そりゃあ、あれだけ取り沙汰されたら、耳にはするさ」

 井上の静かな剣幕に、腰が引けた様子の一色は尻つぼみに言う。井上は低く続けた。

「すぐばれる様な嘘で身を固める連中は俺たちの常識を凌駕するほど短絡的だ。癇に障ることがあれば何をしでかすかわからない。――あの連中」

 井上が顎で二人の背後を指し示す。振り向くと、特芸科予備生が、相も変わらず悪目立ちをしている。広いフロアの為、離れた席の生徒はこの状況に気づかないようだが、近場の席の生徒たちは関わりを持たぬよう無視を決め込み、予備生たちの周囲はほとんど空席だ。時折食堂スタッフが調理カウンターから顔を出して様子を伺っていた。

「士爵の子飼いだ」

 きっぱりと言い放つ井上に、聡は「え?」と顔を戻そうとしたが、

「あ、誰か行った」

 一色の声に、再び予備生たちを注視する。見れば、女子生徒が一人、集団に向かって一直線に歩いていく。それも、

「特芸科……」

 赤ブレザーに、ハーフアップにした色素の薄い髪が映えている。上体の揺れない確かな足取りで予備生たちに近づき、歩を止めた。凛とした立ち姿だ。遠目にも実直な印象があり、優等生と言う言葉に型通りにはまりそうだった。

 ただでさえ目立つ赤ブレザーが、さらに目立つ集団に近付いたのだ。ざわめきの質が変わった。周囲の生徒たちが、何が始まったのかと、興味深く注意を向け始める。

「あれは……行村だな」

「クラスメイトか?」

 振り返ると、井上は身を乗り出していた。視線を遠くに向けたまま、

「いや、同じ進級組だ。中等部の時、行事の打ち合わせで、何度か顔を合わせたことがある」

「ちょっとやばくないか」

 一色は懸念を込めて言うが、こういった状況で下手に割って入ると、余計に場を刺激する。

(かといって、放っとくわけにもいかないし)

 面倒事だけは勘弁してくれよ、と辺りを見回した聡は、生徒たちの中に赤ブレザーの男女を見つけてた。

(上級生か?)

 男子生徒はすっと伸びた姿勢を崩さずに、女子生徒は両肘を抱いて、行村と呼ばれた女子生徒の動向を、少し離れた場所で見守っている。どちらも落ち着き払って、食堂の雰囲気に馴染んでいるところから、新入生ではないと判断できた。

「一人じゃないみたいだな」

 聡は呟く。どうやら、感情に任せた突発的な行動ではないらしい。行村の登場に明らかに気分を害した予備生たちも、上級生たちの存在に気付いて、今のところは大人しい。

 行村は予備生たちに何か話しているようだった。聡の席からでは、言葉を紡ぐ口元しか分からないが、どこか暗く、物憂げだ。予備生たちはにやにやと冷笑を浮かべながら彼女の言葉を拝聴している。咎めているのか、窘めているのか判別つかないが、効果がないのは一目瞭然だ。

「……なあ」

 一色が恐る恐る口を開いた。

「あいつら全員、同じ顔に見えるんだけど」

 それには聡も気づいていた。容貌というより、笑い方や仕草の端々にこびりつく、陰険な雰囲気が似通っているためにそう見えるともとれる。

(名無し君に似てないか……?)

 クラスメイトを思い出し、彼らと符合する点が多いことを認識した聡は、ふと自分の胸が、居心地悪くざわつくのを感じた。

(苛ついてる、のか?俺……)

 唐突に湧き上がった自分の感情を持て余しながら、落ち着かなく見守っていると、出し抜けに男子生徒が割って入ってきた。それも、状況を憚らぬ堂々とした態度で。

 聡はぎょっとなる。

(おいおい、何考えてんだよ)

 思わず腰が浮く。

 男子生徒は物怖じした様子もなく、行村に軽く手を挙げて挨拶すると、半ば強引に彼女を下がらせて、会話を引き継いだ。幸いというべきか、予備生たちは新たな闖入者に動じなかった。

「あいつは……」

 井上が小さく唸った。彼らしからぬ、少々粗暴な言葉遣いだ。気付いた聡は、しかしあえて言及せずに、事がどう運ぶのかを見守る。

 男子生徒は通常の制服で、手の掛かった髪形をしている。身嗜みに気を使っているにしては行き過ぎな感があり、どうにも気障な印象だ。

 突然の横槍に物言いたげな行村は、しかし男子生徒と予備生たちを見比べて、静かに下がった。

 聡は幾分ほっとした。これで間違いが起こったとしても、誰にとってもダメージは少ないだろう。

 しかし、

「……なんかこう、見てて恥ずかしい奴だな」

 一色が呆れたように言った。聡も半眼で頷く。男子生徒は鷹揚に構えているつもりなのか、仕草がいちいち大げさで、手を振る挙動一つをとっても、弧を描くようにゆっくりと、観客の目を意識した動きをするのだ。いかにも芝居がかって、見ているこちらが居たたまれなくなる。

 ――が、

(焦っている)

 男子生徒を観察した聡は、目ざとく判断する。

(衆目を集めたがっている。けどそれは、単に目立とうとしているわけじゃない。騒ぎを大きくして、周囲にこの事態を認知させたかがっている。――何故)

 そこまで考えて、嫌な予感に駆られる聡。隣で一色が確信なく呟いた。

「芸能科か?」

「うちの芸能科は大根畑ではない」

 井上がばっさりと切り捨てた。

 やがて予備生たちは、男子生徒に促されてのっそりと立ち上がり、背を丸めたままぞろぞろと食堂を出て行った。にやついたまま、ふてぶてしい態度ではあったが、最後まで愚かな振る舞いは見せなかった。

 事を治めた男子生徒に、行村は折り目正しく頭を下げた。聡の見立て通り、真面目な性格のようだ。男子生徒は、やはり大仰な身振りで行村に応じると、悠然とその場を離れる。

 何とも呆気ない幕引きにとなったが、観客たちは皆胸を撫で下ろし、何事もなかったように、それぞれの賑わいに戻っていった。聡たち三人も、気の抜けた思いで座り直す。食事に戻るのも白々しいような気がしていると、一色が「うーん」と首を捻った。

「なあ、あれって、ほらこうさ」

 適切な言葉を見つからないのか、手振りを添えて歯切れ悪く言うのを、聡は嘆息交じりに引き継いだ。

「八百長」

「それだ」

 一色は聡を指さす。

「最近ではマッチポンプとも言う」

 横合いから井上が追加する。「おおう……」と感心したように唸る一色。聡は仕様もなく言った。

「話の続き。ようするに、さっきの気障男が士爵で、予備生たちの飼い主だって言いたかったわけか」

「話が早くて助かる」

 一色が恐る恐る口を開く。

「なあ、俺でも分かったぞ、さっきの連中の相互関係図。予備生らに騒ぎを起こさせて、スマートに鎮火、好感度アップ」

「……それはどうだろうな」

 聡は椅子の背面に背を預ける。

「どちらかといえば、手下をコントロール出来なくなっているように見えたけど。というか、さっきの士爵殿、芝居打ちながら遠回しに周囲に助けを求めてなかったか?」

 井上がまじまじと聡を見た。

「本当に物わかりがいいな」

「茶化すなよ。で、さっきの連中が何をやらかしたって?」

「中等部生徒から金を巻き上げようとした」

 聡と一色は同時に口を歪めて半眼になる。創作物の中ではありがちな不良像ではある。が、それを体現する者など、ついぞお目に掛かったことのない聡は、心底呆れて、

「通報しろよ。それこそ立派な警察案件だ」

 井上は深々と息を吐く。

「未遂だ。それに、あの士爵殿と予備生は、既に学園や生徒会に呼び出されている。――お咎めなしとの采配だが」

「寛容なことで」

「ぼやくな。こっちも納得していない。高等部の生徒会へ挨拶へ出向いたときに、彼らも交えて話し合いの最中だったが、かなり揉めていて、――俺は十五年生きてきた中で、あそこまで理屈も臆面もない自己弁明を聞いたのは初めてだった」

 眉間に深く縦皺を刻む井上。苦悩の表情を浮かべたまま、

「あの予備生たちは士爵殿の采配でこの学園に入学したと仄めかしていた。自慢か自棄かは判別に悩むがな。それでいて連中を扱いかねたらしい」

 聡は考えて、

「噂にあった無試験入学ってのは、連中の事だった?」

「――さてね。特芸科と芸能科の入試は一般入試の一カ月前だったのは事実だが、予備生はそもそも普通科だ」

 空っとぼけるような口調で言い置いて、

「彼らをコントロール出来ないのは自分のせいではないという点について、理解を示さない周囲に本気で嘆いていた」

「……どこに突っ込むべきか悩むな、それ」

 カレーを平らげた一色は、湯呑を片手にかなり本気で悩んでいるようだった。井上は斜め上に顔を逸らせる。

「まともに取り合えばこちらの感覚が狂う。全体どうすればあの精神性を育てることが出来るのか、終いには興味まで湧いたよ」

「見世物としては上々だったとして、学園の対応が連中を増長させたってことか。さっきの食い逃げの話もそうだけど、学園は事なかれ主義を貫徹する気みたいだな」

 椅子にもたれ掛ったまま天井を仰ぐ。高い位置から吊るされた長方形の照明は、それ自体が発光して、透明でありながら内部の光源がどうなっているのか判別できない。目に仄かにオレンジの、淡い光を見つめながら、あれもまた、立花技研の新商品だろうかと、脈絡なく考える。

「そうでもないぞ」

 何気ない口調で一色が言った。

「食い逃げ事件だろ。機工科の先輩から聞いたよ。犯人はとっ捕まって、大目玉食らったらしい。学園よりそいつらの親が子供の不始末にブチ切れて、逆に学園が仲裁に入ったって話だ」

 聡は身を起こして一色を見る。一色は特に自慢するわけでもなく、記憶を探るように、

「そのちびっこギャング共を捕まえたのは特芸の女子生徒で、名前は確か」

「うめ、とか?」

「? 漆原らしいけど」

「へえ……」

(しのはら うめ、なんて考えるのは、流石に安直か)

 思考の短絡さに内心苦笑する。井上はというと、食事に必死だった一色が話を聞いていたこと、更には食い逃げ事件の顛末を知っていたことに、かなり驚いた様子だ。

「随分と情報通だな」

「やたらと裏事情に詳しい先輩がいてさ。おまけに結構なしゃべりで、聞いてもないのに、色々と披露するんだよ。ま、面白いし、こっちも後輩の分を弁えて、ちゃーんと拝聴してる」

「早くも良好な上下関係を構築したってわけか」

 茶々を入れる聡に、一色はにやっとして、

「機工科は授業の性質上、学年の縛りが少ないから、逆に上下関係厳しいぞ? ガッチガチのガテン系だ」

 言葉とは裏腹に、口調も顔つきも随分と楽しげである。

「学園はそういうところはきっちりと締め上げるってさ。ただ事の始末を濁す傾向にあるとかで、内外から不興を買うことが多いらしい。――そう言えば、この手の面倒臭い問題が起こったときは特芸の連中が一番頼りになるって言ってたな」

 聡は軽く目を見開いた。

「特芸科が?」

「おや? 私たちの話題かね」

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