昼休み

  高等部校舎東北、中庭を臨む三階建て食堂棟一階は、天井からガラスの照明器具が吊るされた明るく開放的な空間だ。床はレトロな木材、全面ガラス張りの窓に対して垂直に、十二人掛けのテーブルが規則的に並んでいる。席数500以上の広いフロアは、授業を終えた生徒たちで賑わっていた。

 本日の日替わり定食を前に、聡は額に手の甲をあて、ぐったりと肘をついていた。

「よくこれだけ絞ったな」

 向かいの席で、端末画面に目を通しながら蕎麦を啜っていた井上秀行は、呆れた声を漏らす。テーブルには昼食の乗ったトレイの他に、画面を表示した端末が二つ置いてある。塚本から得た情報を検証しての感想だ。井上の、オフフレーム眼鏡の理知的な面差しはしかし、言葉とは裏腹にピクリとも動かない。聡は顔を上げて、ふっとシニカルに笑った。

「まあな。俺の情報収集集能力を侮るなよ」

「で、その見返りがボッチか」

 哀れ、と付け加えて、井上はどんぶりを傾けて汁を啜る。聡は両手で顔を覆った。先の休み時間における癇癪がたたって、クラスメイトから昼食の同伴を遠回しに断られた聡は、藁をもすがる思いで井上にメールを送ったのだった。寮の同室で、中等部進級組の井上は、聡に学園の情報をもたらした当人である。

「いや、俺もまさかあの程度で、いきなりハブられるとか思ってなかった」

 どんよりと重く顔を上げる。落ち込んでいても仕方ないので、昼食に取り掛かる聡に、井上は非常にまっとうな見解を示した。

「ようするに、揃いも揃って例の噂に振り回されているわけだろう」

「ごもっともです、はい」

 茶碗を片手に、叱られたように顔を伏せた聡は、悄然としながら鶏のから揚げにかぶりつき、そのジューシーな味わいに慰められて、あっさりと気力を取り戻す。立花グループの外食産業部が運営するカフェテリア形式の食堂は、定食から単品、甘味までを網羅した豊富な品揃えに加えて、レストランに引けを取らぬ味、そして何より安さですこぶる好評だ。

「まったく、笑えんよ」

 茶を一口飲んで、心底うんざりとため息を漏らす井上に、聡はから揚げを胃に収めてから言った。

「井上こそ、随分ご機嫌斜めみたいだけど、なんかあった?」

「おおありだ。こっちもこっちで噂話で持ち切りだが、それ以上に」

 井上の言葉を遮るように「ぎゃははっ」と品のない笑い声が、食堂中に響き渡る。大した音量だ。反射的に声のした方を振り向いた聡は、食堂の中央付近に席を陣取る集団を認めて、半眼になる。

「なんだ、あれ」

 数名の生徒が、通路を塞ぐように椅子を引いて座っている。皆一様に体格は良いが、前屈姿勢で鈍重な印象だ。話し込みながら、時折ぎらぎらと光る眼で周囲の様子を伺い、自分たちの振る舞いが場に不和をもたらすのを楽しんでいるように見受けられる。中にはテーブルの上に腰を下ろし、椅子の座面に足を乗せる者までいて、柄の悪さを意図的に強調しているようだった。

「特芸科予備生」

 抑揚を抑えた声で井上が言った。見れば確かに、腕に臙脂色の腕章をしている。その予備生に通路を遮られて、トレイを持った生徒たちが迷惑そうに、あるいは怯えるように迂回していた。聡はそれらを白々と眺めて、

「あー、あれか。素行が悪いとか言ってた」

「あの中の三人がうちのクラスにいる」

 クラスメイトとは言わずに、わざわざ婉曲した言葉を選ぶ当たり、井上のクラスの状況が見て取れた。不機嫌の理由を察して、聡は同情気味に、

「きつそうだな」

「そろそろ限界だ」

「あ、いたいた」

 明るい声がして、小柄な男子生徒が聡の隣席にカツカレーとサラダ鉢の乗ったトレイを置いた。同室の機械工学科所属、一色昭だ。早くも制服を着崩してはいるが、だらしないというより、快活な印象がある。寮は四人部屋で、残り一人、商業科の永倉仁については、所用につき辞退するとの意をメールで受け取っている。

 一色の登場で、特芸科予備生から関心がそれ、僅かに場が和む。

「よっす、お疲れ。あれ? なんか暗いけど、どしたのさ。あ、まさか飯がイマイチで落ち込んでたとか?」

 本気で危ぶむ一色に、聡は苦笑する。

「なわけないって。ちょっとクラスで色々あってさ」

「ふーん? やっぱ勉強ばっかしてると、精神衛生よろしくないのかね?」

 軽快な口調で他人事に言うと、一色は席につき、用意した昼食、大盛ご飯に並々と注がれたカレーと、その上にここぞとばかりに乗っかる分厚いカツをじっくり観察して「おおう」と目を輝かせる。

「ここの学食、メニュー盛りだくさんだろ。だから今月はこっちで食べることにしたんだ」

 うきうきとした口調の一色に、聡は笑いながら、

「ああ、機工科は弁当派が多いんだっけか。一カ月契約だったよな?」

「そ、弁当も悪かないけど、献立固定されてるからさ。実習始まったら、昼にこっち来るの、結構大変よ。じゃ、いただきます」

 礼儀正しく手を合わせて、一色はカツに先割れスプーンを突き立てる。黙って会話を聞いていた井上が呆れて言った。

「幸せな奴」

「おおう、幸せよ。美味い飯が食えるだけで、人生丸儲けよ」

 井上の嫌味を軽く受け流して、カツをかじると、以降一色は、口と皿との間を、ひたすらスプーンを往復させて無言になる。旺盛な食べっぷりだ。井上は何も言わず頭を振って、かやくご飯の椀を手に取った。入学式前日に慌ただしく入寮した一色は、大雑把だがこだわりが少なく、几帳面で少々気の短い井上とは、一見相性が悪いように見えて、実はいいコンビじゃないかと、こっそり見立てる聡だった。

「ま、確かに飯が美味いのは有り難いよ。昼食代の心配もいらないし」

「計画性は必要だがな」

「わかってる。でもさ、一カ月ごとのお小遣いって、なかなかありそうでなかったアイデアだと思うよ」

 一カ月の昼食代は、学費の中から定められた金額が、電子マネーとして携帯端末機に振り込まれる仕組みになっていた。その中から学食や売店を利用したり、弁当を定期購入したりと選ぶことが出来る。現金のチャージも可能であるため、利用の幅は広い。

「去年から始まった試みだ。金の使い方を覚えろって事らしい。もっとも、立花グループが、生徒の嗜好データを収拾していると言われているが」

「さすが、抜け目のないことで」

「以前は一カ月分の食事券だったんだが、転売が横行してな。昼を抜いて、貧血で倒れる奴がでた。それで監視のために電子化した。食事の記録が残るから、体調崩すと、端末の個人情報、調べられるぞ」

「なんか怖いな。てか、そこまでするなら、無料にすればいいんじゃないのか?」

「事件が起こるまでは無料だった」

「事件?」

「生徒を装った複数名の部外者が入り込んで料理を食い荒らした。壮絶な食いっぷりでな、中等部高等部共に、用意してあった品の六割、しかも肉系をメインに平らげた」

 唖然となって箸をとめた聡は、危ぶんで聞いた。

「……ここの警備は大丈夫なのか」

「立花技研の防犯カメラは年中無休二十四時間稼働している。すぐに犯人は捕まった。小学生だ。外部から招いた星宮跡研究者の子供らで、面白半分に入り込んだと自白したらしい。ちなみに反省の色はなく、その後三か月ほど、不定期で続いた」

「親共々締め出せよ」

 話の内容にげんなりと顔をしかめて、

「ガキ共より、のさばらせている連中が問題だろ。捕まっても繰り返してるって事は、周りがそうさせてるんだよ。ガキの悪戯で済ませるからだ。強盗や窃盗扱いにしろって」

 不機嫌に意見すると、井上もまた頷いた。

「研究者は締め出した。が、子供らは性懲りもなく入り込んでいるのを目撃されている。保護者へも通達したが、効果はなくてな。どうやら身元が割れて、開き直ったらしい。ゲームのつもりか集団化して、とにかく手が付けられなかったとの話だ」

「とんだギャング集団だな。普通に警察案件だろう」

 聡は顔をしかめた。井上は諦めきった様子で、

「学園は事を荒立てたくないようだ。問題は彼らがどこから入り込んだかだ。この学園の周囲は山と海で交通手段はバスか、あるいは送迎艇に密航したかになるが、どちらも利用した痕跡はない。おまけに猿のようにすばしっこくて、現行犯でも捕まえられなかったらしい」

「人間じゃなくて、本物の猿でしたってオチじゃないよな」

「その指摘はかなり前から出ている。残念だが人間だ。あまりにも頻発するので、中等部と同じ給食にするという話も出たのだが、生徒からの反発が強くてな。金を持たせるという結論に至ったわけだ」

「そりゃ、そうだろう。そんな分別のないガキ共のために、こっちが不利益被るなんて、ごめんだぞ」

 呆れ返って、味噌汁を啜る。ふと椀を傾ける手が止まった。

「そいつらって、もしかして臭かった?」

「臭い? 体臭のことか?」

「むしろ口臭と言うか……、いや、食事時に話す内容じゃない。忘れてくれ」

 怪訝な顔つきの井上だったが、それ以上は追及してこなかった。授業中に感じた不快感については、気のせいとしてすでに片付けている。それに蒸し返すと、あの悪臭が蘇りそうな気がして、聡は口をつぐんだ。

「食事券にしてからは被害は止んだ。転売の問題もこれで」

 井上は自分の端末をつつく。

「解消と相成ったわけだ」

「それは何より。……どうかしたのか?」 

 井上が難しい顔をしていることに気が付いて、問いかけると、

「いや、今年からは特芸科だな、去年までは普通科特殊芸能コースだったんだが、奨学金制度を利用する生徒が多くてな……」

 歯切れの悪い井上に、ピンと閃いた。

「まさか貧血で倒れたのって、そいつら?」

 意味もなく声を顰める聡に、井上は不承不承頷いた。

「そうだ。特芸コースに所属するのは、何らかの事情で家が経済的に困窮している者が多かった。おそらく下級貴族も含まれていたのだろう。暗黙の了解と言うやつでな、中等部にも奨学金を受ける特芸コース志望者はいたから、学内ではかなり有名で、有名過ぎて、誰も大っぴらには口にしなかった」

「腫物扱いに気を使ってたってことか。てか、それ初耳」

「俺にもわきまえくらいはある」

 しゃあしゃあと言ってのける井上に、聡はむっつりと押し黙る。どうやら、聡の噂好きを懸念して、一部情報を秘匿していたらしい。

「ならそれらしい風貌の生徒が通信受講生だってのも知ってたのか?」

 少々気を悪くして問うと、井上は顔をしかめた。

「それは俺も知らなかった。そもそも特芸コースは、星宮跡の伝統保存が目的だ。管轄が国へ移譲されたとはいえ、古巣をおもんかばる良家――外様の上級貴族は少なくない」

「つまり、譜代や外様、上下に関わりなく貴族が所属していたのは事実で、例の噂はある程度的を得ていた、と」

「五稜庁へ就職するのは、奨学金制度受給者だけだったようだが」

 聡は少し考えて、

「五稜庁は人手不足だって話だよな? つまり奨学金と引き換えの身売り的な?」

「言葉は選べ」

 井上が冷やかに窘める。

「譜代や下級貴族の不遇は国の不手際に相違ないが、言い出したらきりがない。彼らは差し迫って、将来、安定した職を求めていたし、国も方針変換してごたついていた。利害は一致している」

「……釈然としないんだが」

「政治とはそういうものだ」

 塚本同様に割り切った意見を述べ、

「それに特芸メンバーは、進路が決まっているためか、学園生活は余裕があるように見えていた。久住が期待するようなネガティブなイメージは、ない」

 語尾をことさらに強調する。聡は肩を竦めた。

「それ、高等部の話だよな? 随分詳しいみたいだけど?」

 聡と違って、井上は周囲の出来事にどちらかと言えば淡泊だ。その彼が、ここまで突っ込んだ事情を知っているとなると、何らかの情報源があったとみた。

「中等部の頃、特芸への進学志望者がクラスにいてな、他とは毛色が違うので気になって話を聞いたのだが、彼の実家は爵位こそないものの、かなりの資産家で、星宮跡の伝統芸能――特殊芸能科か、に興味を持っていると言っていた。道場にも通っているとかで、そう、武術系とかいうのに分類されるのだろうな」

「そいつ何組? 名前は?」

 思わず自分の端末に手を伸ばす聡に、井上は呆れて、

「上代という名だよ。中等部では有名だったが、去年の暮れに事故で大怪我をしてからずっと入院している。うちのクラスだ。担任の話では復学は近いそうだ。――彼は特芸科に進学すると明言していたし、特芸メンバーは星宮跡へ入る際、着替えていたからな。それで通信受講生と混同していたのだろう」

 情報の祖語について、聡にではなく、自分に言い訳をしているような口調だ。片手で端末を操作しながら、聡は苦笑する。

「なら、通信受講生の上級貴族は、塚本の話通り、士爵連中への牽制でわざわざここに通ってたのか。ずいぶんとご苦労なことで」

 少々呆れ気味に言うと、

「その辺りについてはこっちが初耳だ。が、言われてみれば、思い当たる節はある」

 考え込むような井上の言葉に、聡は顔を上げた。

「大学部か星宮跡の方に、黒塗りの大型車が大挙して押しかけたことがある。騒ぎはすぐに収まったが、今思えば、あれが士爵連中だったのだろうな。身なりの良い者を見かけるようになったのは、それからだ」

 そう言えば、と井上は加える。

「食い逃げ事件と同じ時期だったな。どちらも俺が入学した直後だ。星宮跡の調査に外部への門戸を開いた頃だ」

「星宮跡がらみで、おかしな連中が押し寄せたってことか……」

 端末から手を放して、窓の外に目を向ける。手入れの行き届いた中庭の一角に、ごつごつとした岩石が静まり返って鎮座している。所々に金属質の輝きを放つそれは、星宮跡の一部で、様々な大きさの岩石が、学園内に散在している。岩石だけではなく、星水の拝受口や水場など、星宮跡関連物は事欠かない。

(あれってそんなに重要なのかね)

 文化財にとことん興味のない聡は、首を傾げながら土地の歴史を物語る史跡から視線を戻すと、あ、と思い出す。

「肝心なとこ聞き忘れてたけど、その良家の子女ってのは、具体的にどんな風貌なんだよ」

 聡の質問を、井上は一言で片づけた。

「見れば分かる」

 素っ気ない物言いに半眼になる。相変わらず冷静さを装っているが、すました表情が微妙に空々しく(なにかあるな)と察するものの、口を割らせるのは容易ではないと判断して、質問を切り替えた。

「じゃあ、その上代ってのは、どんな奴?」

「優秀だった」

 即答だった。中等部で学年十位以内の成績をキープし続け、なおかつ生徒会に所属していた井上が断言するのだから、その優秀さは推して量るべしである。

「少々武芸に打ち込み過ぎなきらいはあったが。――特芸コース専攻者は、皆優秀だった。中等部の話になるが、学力以上に、感覚や感性に優れて、口が上手いわけではないのに、特に上代などは無口に分類される方だというのに、よく人をまとめていた。行事の裏方を勤めて、文化祭や体育祭は、それで成功していた」

 聡は二個目のから揚げを口に運び、井上の言葉と一緒に咀嚼して、のみ込む。

「特芸科は優等生の集まりだったってことか」

「そうだな。だが、誰もそれを鼻に掛けたりはしなかった。上代はともかく、そうあるべきだと躍起になっている節があった」

 家庭環境が影を落としていたのは、聞くまでもなさそうだ。井上が聡に対して口を閉ざしていた理由を何となく理解して、少々気まずくなる。噂好きを公言して憚らない聡とは言え、こえまで幾度となく経験した失敗が、この事案について、分別を持つようにと告げていた。

(まあでも、聞かなきゃ分からないってもの、あるけどさ)

 どうしたものかと思案しながら、茶を啜っていると、「ぎゃっははっ」と爆笑する声が、聡の後頭部を殴りつけるように響いた。すっかり失念していた特芸科予備生たちだ。俯いて湯呑を口元から離すと、

「……優秀なんだよな?」

 視線を落としたまま確認する。

「……去年までの話だ」

 絞りだすような井上の言葉には、怒りが滲んでいた。

「それに彼らは特芸科ではなく、普通科だ。うちのクラスの特芸科生は休学中の上代と外部入学の女子二名だけだ」

 憤然と言葉を切り、少し目を逸らせて井上は続ける。

「その女子らに、予備生が絡んでな。置き去り様と、随分な大声で呼んだわけだ」

「は?」

 余りの幼稚さに聡は開いた口が塞がらない。井上もまた、その言葉を口にしたことに羞恥したらしく、若干居心地悪そうに話を続けた。

「彼女たちも今の久住と同じ反応だった。――つまり、その塚本氏同様に彼女らも普通の家庭出身ということになるのだろう。が、どうにも引っかかる……」

「引っかかると言えばさ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る