癇癪

特殊芸能科は選択科目のために席を空けることが多い。塚本を含め特芸科の面々は、三時間目が終了した直後に慌ただしく荷物を担いで教室を出てしまい、左隣は今は空席だった。午前中はもう、この教室へは戻ってこないだろう。予備生の平田もまた席をはずしている。こちらはただの私用のようだ。

「どうだったぁ、特芸科は」

 前席の生徒が振り向いた。妙に間延びした浮かれた口調で、意味もなくにやついている。

 休み時間などで何度か言葉を交わた相手だ。

「どうもこうも、普通だよ」

 素っ気なく答えながら、筆記具を片付ける。話して分かったことは、平田とは別の意味で、交流を持ちたくないタイプということだ。

「うそうそ、絶対なんかあっただろ? 教えろよお」

 陽気で粘っこい口調が妙に癇に障って、聡はむっと口を閉ざす。最初の会話からずっとつっけんどんな態度を取り続けているにも関わらず、何かとちょっかいを出してくるこの生徒に、聡はいい加減うんざりしていた。

(こいつ相当な粘着質だぞ。平田といい、なんか近くに、面倒なのが集まってないか)

 内心悪態をつきながら、しかしそれ以上に、上手くかわせずにいる自分自身に戸惑いを覚える。

(やっぱ入学したてで、余裕ないのか、俺)

 過去、こういった手合いと縁がなかったわけではない。あしらい方もある程度身に着けたはずだというのに、この生徒に対しては、何故か必要以上に身構えてしまっている。

(ああ、また……)

 気付いて聡は嘆息した。おまけになぜかこの生徒に限って名前を覚えられないのだ。昨日の自己紹介の時に名乗っているし、名簿を見れば分かるはずなのに、どうしても記憶に残すことができない。

(性格が合わないのは確かだけど、それほどまでに嫌う理由なんて、今のところないぞ)

 首を傾げていると、前席の生徒――ひとまずは名無し君としておこう――は、大儀そうに体をこちらに向け、椅子の背をまたいで座り直した。断りなく聡の席に肘をつき、上体を乗りだしてくる。

(ホントうざい)

 苛立ちながら、しかし表情にはおくびにも出さずに、しっしっと手を振った。

「人様の陣地に無断で侵入しない。ほら、のいたのいた」

 こういうタイプは、遠慮したり躊躇ったりした分だけ図に乗る。こちらの意見は、はっきりと主張しておかなければ、どんどん増長するだろう。

「ええー、けちくせー」

 などと悪びれた様子もなく笑い、それでも一応腕はどけた。

「それより特芸科。さっき話してただろ? どうよ、やっぱり、お高くとまってる感じ? いいとこ育ちでっす、とか、アピールしてた?」

 下からのぞき込むような目つきで尋ねられて、その馴れ馴れしい態度と口調に苛々しながら、

「普通だよ。それに噂は悪質なデマ」

「またまたあ、なわけないって。あいつら絶対、優遇されてるって。制服見りゃ分かるだろ? 腹立つってーの」

 文句を垂れているというよりは、同調を求めるような口振りだ。それに言葉の隅々から、卑屈さが滲み出ている。聡は勤めて平静に、しかしきっぱりと言った。

「何度も言わせるなよ、普通だった。もういいだろう」

 かなり強引に会話を打ち切ろうとするものの、相手はやはり聡の態度には無頓着で、ひたすら自分の不満を口にする。

「いやいやいや、絶対おかしい、おかしいーって」

 何度も同じようなセリフを繰り返す相手に、段々腹が立ってきた。特芸科の待遇について不満があるというより、今の不穏な空気に便乗して面白おかしく騒ぎ立てたいだけなのは明白だ。

(くだ巻きたいだけなら、別の奴とやれよ)

 むかむかしながら、トイレに行く振りでもして、ここから離れようかと考えていると、横合いから別の生徒が声を掛けてきた。

「特芸科の話だろ。俺らも聞きたい」

 塚本の前席の生徒が、椅子に背を預けながらこちらを向いている。その彼の席の側で一緒に話し込んでいた二人の生徒もまた、同意するようにこちらを見ていた。聡は呆れて半眼になる。

「ずっと聞き耳立ててたろ。今さら何知りたいっての」

 塚本との会話に周囲が注目していたのは知っている。グループで話し込みながら、チラチラとこちらを伺う者もいれば、素っ気ない素振りを装いつつ、しっかり耳をそばだてる者など、とにかく耳目を集めていた。

 やや刺々しく指摘すると、彼らは取り繕う様に笑いあう。

「悪い、口挟む隙がなかったんだよ」

「盗み聞きに忙しくてか」

「だいたいそんなとこ」

 あっさり白状する姿に、聡は白々しい気持ちでため息を漏らす。

(所詮は他人事ってやつか。みんな仲良く、なんて言うつもりは毛頭ないけど、もう少し周囲に気を配れよ)

 この先の学園生活に水を差されたような気がして、どうにも面白くない。

 グループの一人が、困惑顔で口を開いた。

「こっちもさ、噂とか気になって色々話しかけてはいるんだよ。けど、向こうも向こうで壁作ってるっていうか、こっちと関わりたくないっての、ひしひしと伝わってくるんだって。警戒されてるみたいでさ」

「そりゃ、これだけ注目浴びて、引いてんだよっ」

 言っておいて、聡は苛立ちのために語気が荒くなっているのを自覚して、改める。

「……例のあれは確実に噂。振り回されてると、空気悪くなるだけだぞ」

 窘めるように言うと、流石に彼らも決まり悪そうにする。

「でもさあ」

 名無し君が、性懲りもなく口をはさんできた。

「国家公務員とか、上級職だよなあ。いいよなあ、もう就職先決まってるとか」

 視線をグループに向けたまま、聡は抑揚をきかせて答える。

「……待遇悪いってさ」

「いいじゃんかあ、上級職、うらやましぃー。それに私服オッケーとか、ホント何様って感じだよなあ?」

「……それ、通信受講生だから」

「ええー? そんなの知らねーし?」

 わざとらしくとぼけるその姿に、聡は確信した。こいつはとにかく、特芸科を悪し様に罵りたいだけだ。

「どうでもいいっしょ、そんなのは。それより塚本だっけ。オタとかありえねーし、最悪じゃね? つかキモ過ぎて」

「お前、ホントいい加減にしろよっ!」

 がん、と拳で机を殴打し怒鳴ってから、はっと我に返った。見れば、周囲はしんと静まり返っている。話しかけてきたグループの面々は面喰った様子で聡を見つめている。教室内の他の生徒たちも、怪訝そうにこちらの様子を伺っていた。唯一、怒りを向けられた当人だけは、自分が怒鳴られたことに対して全く自覚がないようだった。

「あっはは、おっかねーの。なあに怒ってんだよお」

 にやつきながら聞こえよがしに言われて、聡はさあっと青ざめた。机に打ち付けた拳がじわりと痛んだが、構っている場合ではなかった。

(や、やらかした……)

 沸点は高い方だと思っていたのに、よりにもよって、入学間もない大事な時期に、教室で癇癪を起してしまったのだ。今後の人間関係に大きなマイナス要因を作ってしまい、聡は盛大に顔を引きつらせる。

(てか、俺、なに興奮してんだよ。特芸科に興味はあるけど、大して思い入れなんてないって。いや、今はそれどころじゃない。軽いジョークでも言って、この場を乗り切らないと、癇癪持ちのレッテル張られる)

 頬を引きつらせて、弁明の言葉を探していると、意外なところから助け船が出された。

「なに? 喧嘩?」

 背後から声を掛けられて、振り向くと、そこには平田が立っていた。外出から戻ってきたらしい。不審そうにじろじろと聡やその周囲の生徒を見回す。あからさまに不機嫌な顔つきで睨めつけられて、凄まれた全員が鼻白む。

「や、なんでもない。ちょっと声が大きかっただけ」

 しどろもどろに説明にならない弁明をすると、平田は興味を失ったように鼻を鳴らして、自分の席へと向かった。周囲の状況など意に介した風もなく着席して、頬杖をついて外を見る。不審と嫌悪の矛先が平田に向いた。

(すまん、平田。ちょっと感謝する)

 心の中で礼を言い、もしかしてこいつは良い奴かもしれない、いや、多分良い奴だと、都合よく評価しなおす聡だった。

 

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