身軽そうな奴
「やっぱり噂ってことか」
「そうです。完全な噂です」
きっぱりと断言すると、相手は両手に持った下敷きをさらにずいっと近づけた。目前に掲げられた下敷きには、色彩豊かにアニメ絵が描かれている。魚を模したファンタジー風の船の前で、大勢のキャラクターたちが和やかに笑っていた。記念撮影のようだった。
苦笑しつつ身を引くと、久住聡は話を続けた。
「良家の子女御用達、国立州立有名私立大学特別推薦枠確定、無試験学費免除の特待生学科だって、結構話題になってたけど」
「……なんか落語に出てきそうなフレーズですが」
「確かに。口にしたら、結構笑える内容だよな」
にやつきながら空っとぼけると、相手は盛大に嘆息した。
「勘弁してくれよ。ちゃんと入試は受けたし、学費も収めたって。てか、その噂がどういう経緯で立ったのか、こっちが聞きたい。おかげで昨日からこのかた、ずっと視線が痛いのなんの」
聡は相手の制服を指さした。
「その制服な。特殊芸能科専用、赤ブレザー。入学式でもかなり目立ってた」
「やっぱり? 今年から色々変わったって聞いてたけど、初っ端から悪目立ちさせるとか、どんな試練だよ」
げんなりとした声音ではあるものの、それほど堪えているわけではなさそうだ。同級生の非難軽蔑、好奇の目に迷惑はしているようだが、畏縮はまるでなかった。
不自然に会話が途切れた。暫しの沈黙の後、とうとう聡は降参した。
「それで、その下敷きはいったい何?」
嘆息交じりに問うと、待っていたとばかりに、突き出したままの腕をようやく下げた。下敷きを胸に構え、身を乗り出す。
「や、だって君、このアニメに反応してたじゃないか。まさかこんなに早く同志に出会えるとは思ってなくてさ」
下敷きの向こうから、笑みを浮かべた顔が現れる。これといって特徴のない、標準的な顔立ちだ。黒髪の下、強い光を宿した焦げ茶の目が印象的だが、今はにやっとして、共犯者を見つけた悪ガキのような顔つきをしている。
小さく吹き出して、違う違うと手を振った。
「字、上手いなって思ってさ」
ちょいちょいと指で示すと、彼は開いたままの自分のノートに目を向け、ああ、と頷いた。
「まあね。自慢していいなら大いにするぞ。これに関しては、結構頑張った」
「書道家目指してるとか?」
「一時期その気になった。でもああいうのって芸術性とかも必要らしいだろ? 綺麗に書くだけじゃなくて、感性に訴えかけるとか何とか? そういうのはさっぱり分からん」
お手上げだと言わんばかりにぼやく姿に、聡は少し笑った。
(名前は確か、塚本。塚本孝助だっけか)
昨日のホームルームでの自己紹介では、赤ブレザーにばかり気を取られて、塚本の人となりを判断する暇はなかった。自分の個性を印象付けようとする奇抜な言動や振る舞いなどなく、型通りの無難な自己紹介をしていた。容姿同様、良くも悪くも印象は普通。アニメ好きに関しては、趣味は人それぞれ、押し付けてこなければ問題はない。
何より、
(随分身軽そうな奴だな)
そう判断して、聡はようやく緊張を解いた。
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