番外編 罪と罰

 イサムが召喚される遥か昔の二万年前、この世界は二つの大陸に分かれていた。東の大陸【バルザナ】と西の大陸【コーラスワード】である。二つの大陸を行き来する術は存在せず、そこに住む互いの生物が別々の方法で進化を遂げていったと言われている。


 その一つ、西の大陸コーラスワードの中心に位置する都市【ヴォール】は、魔素学を究めたいと思う者達の聖地。魔素を研究する者達にとって最高の環境で研究が出来る場所である。


 幼い頃から魔素に興味を持ち、独学ながら様々な研究を行い成果を挙げた一人の女性【ロロルカ・フェルラーン】もこの場所ヴォールで魔素学を究めたいと足を踏み入れた。ヴォールの各研究所に所属するには、研究の成果のみならず実績があるかどうかまで判断される。いかに凄い魔法と評されるものでも、使える者が居なければ意味が無いからだ。


 それにおいてロロルカは、十八歳の頃に魔素に溜まる不純物を取り除く画期的な魔法【浄化】の実証を成功させた。浄化とは、死者が不純物質に犯され魔物と化すのを完全に防ぐ効果がある、魔素学至上類を見ないと言われる魔法である。しかしそれに驕らず更なる研究を続けて行く姿勢は、彼女の見た目のみならず貴重で重要な存在として、本人の気持ちを無視して研究所内では崇拝されていた。


「女性にまでキャーキャー言われるのは、ほんとに困るのよね」


 銀髪の女性が顎に手をつきならが、オープンカフェの一つのテーブルに座り愚痴を言う。


「ははは、それはしょうがないよ。君は見た目も綺麗な上に才能もあるからね」


 向かい側に座りそう言う黒髪の男性【ルドガー・ノーツ】は、ロロルカの同僚で同じ第一研究所の仲間である。彼の実績も勿論優秀なものであり、魔素を同じ場所に留めておく事が出来る【コア】と呼ばれる物の原型を作ったのだ。


「あなたの方が凄いと思うけど」

「それは謙遜だよ。いくら魔素を留めて置けても、不純物がその中に溜まれば意味は無いからね」


 お互いがお互いを褒める事で案外良い発想が生まれたりするもので、違うと言い合うより相手を褒めるようと、ごく自然にお互いに決めた事だった。紅茶を片手に研究の話に花を咲かせる、互いにとても有意義な時間だ。

 すると横を通りすぎる研究者の声が聞こえてくる。


『そう言えば、第三研究所の奴らが異世界と呼ばれる場所の座標特定に成功したらしいぞ』

『へーそれは凄いな、向こうには何があるって?』

『いやぁただ氷の世界だったって、【視界転送】の魔法で異世界を確認したらしいから間違いないらしい。行けない事も無いが向こうには魔素が殆どなかったらしいぞ』

『じゃぁこの世界の住人が調査に行くことは無理だなぁ魔素無しじゃ生きていけないし』

『まぁあと二万年程経過したら、帰還に十分な魔素が溜まってると試算が出てるらしい』

『はははは、どちらにしても生きてないな。精神なんかを飛ばす魔法なんかがあれば………』



 ロロルカは周囲の喧騒を聞きながら過ごす毎日、だが様々な忙しさを覚えながらも充実した日々を送っていた。十八歳になるまで故郷でのんびり暮らしていたが、浄化魔法の成功により一躍有名になってしまった為、トントン拍子にヴォールで研究できると言う所まで来たが、故郷を離れるときには妹の【ナタシャ】が大泣きしたのを未だに良く覚えている。


 それからも、ルドガーと研究の話をしながら楽しい事や大変な事などを共有して行くうちに、当たり前だとも言える感情が二人に芽生えそして結ばれる。

 ルドガーは、コアの開発成功があと少しに迫りその後正式に結婚しようと話をした、ロロルカはそれに答える。しかしそれは結婚前でも男女の色々な関係があるわけで、結婚を迎える前にはロロルカのお腹には新しい命が宿った。

 両親には結婚する前にと小言を言われたが、仕事も充実して収入も十分にあり、申し分も無い男性と結婚できる事に次第に両親も喜び、なによりナタシャが泣きながら喜んでくれたのは、ロロルカには涙が出るほど嬉しかった。


 その後、ロロルカは無事に出産を向かえ、本当に可愛い女の子『ルーシェ』を授かる。二人ともさらに仕事に励みが出て互いに育児を協力しながら、平凡ながら幸せな毎日を送っていた。

 しかしある日の事、ルーシェが三歳になる頃だった。魔素の不純物の影響を受けにくい子供が稀にかかる病気【魔素不全症】と言う病気にかかる。

 体内を循環し体の形成を助ける魔素の不全により、不純物が体に溜まり易くなって、場合によっては死に至る病。当時の魔素医学では対処法が解明していない病気である。二人は酷く落ち込んだが、ロロルカの浄化魔法の力もあり五歳を迎えるまで、育てる事ができた。

 しかしそれが限界であった、ルーシェはいつ消えるとも分からない日々を過ごしていた。

 

 ロロルカは、なるべくいつも傍に居るように心掛けていたが、ルドガーはコアの起動実験目前の為に中々研究所から帰ってくる事はなかった。それでも連絡は必ず毎日来るし、ロロルカもルーシェもルドガーからの愛を感じていたのは間違いない。

 

 だがその終わりは唐突に迎える。ルーシェは五歳と言う短い人生をロロルカの腕の中で終えようとしていた。ルドガーは恐らくこの瞬間に間に合わないだろう。ロロルカはルーシェに語りかけた。


「ルーシェ、産まれて来てくれてありがとう」

 

 ルーシェはロロルカの手を握り、言葉を返す。


「ママ、ルーシェは…すごく…しあわせだったよ」


 ロロルカの目には大粒の涙が溢れる。ルーシェは、か細い震える手でその母の頬に触れ、柔らかに微笑む。

 はっきりと聞こえるその声が、この子の最後の生きたいと願う思いだったのかもしれない。それを叶えてあげることも出来ず、ロロルカは我が子を失った。

 それから一時間程たってからだろうか、ルドガーが帰宅しルーシェを見た時の落胆とそして救えなかった自分への憤怒の顔をロロルカは忘れる事は出来ない。

 そしてルドガーは、ロロルカに伝える。


「コアの実験には、ルーシェを使う」

「何を言っているの?」

「ルーシェはこのままだと七日間で消えてしまうんだぞ!」

「分かっているわ! でもそれがこの世界のルールよ!」

「私の研究を知っているだろう! 魔素をコアに閉じ込める研究を! 動物の実験も成功している! ルーシェもコアに留める事が出来るはずだ!」

「留めたとしても、それは人の領域を超えているわ!」

「たとえ禁忌だとしても、私は愛する者を失いたくは無い!」


 そう言い放つと、ルドガーは扉を強く閉め部屋を後にする、恐らく研究所に戻ったのだろう。だがこのまま待っていてもルーシェは生き返らない。

 ロロルカの心は揺れる、しかし悲しみは身を焦がし、その心染めるまでには時間は掛からなかった。

 ルーシェがこの世から旅立って三日後、ロロルカは第一研究所にいた。ルーシェをコアの実験に使用する為だ。小動物の実験にも、人と同じサイズの動物実験にも成功している。ルーシェも大丈夫だ。

 ロロルカは信じ、願い、祈りを込めた。そして装置は作動し始める。



 目の前からルーシェが消えていく、光の粒となって。私は涙でそれ以上見ることが出来なかった。全てはルドガーを信じ必死に願った。

 そして、実験開始から十分後。一時間にも一年にも十年にも感じる時間の感覚を感じながら、ルドガーがロロルカの肩を叩く。ビクッと振るえ、薄っすらと目を開けるロロルカにルドガーは抱きついた。


「成功だ! ロロルカ! ルーシェはコアに留まっている!」


 ロロルカは抑えきれず、とめどなく流れる涙を我慢せずルドガーを抱き返した。


 ルーシェをコアに留めて二年、時折溜まる不純物を浄化で除去しながらも何も変わらず順調な日々が続いていた。

 話しかければ、コアの中の光の靄がフワフワと動き感情があるのが分かる。ただ実験は非公式なもので、動物実験だと伝えてあるので、もし人間を使用したと知られればここに居られないだろう。


 その間に私たちは結婚したが、名前は今の職場に居る以上変えなくても良いと、ルドガーは言ってくれたのでロロルカ・フェルラーンで過ごしている。

 それよりも最近気になることがある。ルドガーが時折独り言を言う回数が多くなった気がする、もちろん以前も独り言を言う事はあったが、考え事をしていると言うより誰かと会話しているようなそんな感じだ。

 そんなある夜の事、日々の疲れもありロロルカは深く眠っていた。


 ドドォーーーーーン ゴゴゴゴ


 もの凄い音と揺れにロロルカは飛び起きた。


 ドンドンドン ドンドンドン


 家のドアを叩く音に急いで扉を開けると、第一研究所で爆発があったらしいと隣の人が教えてくれた。ロロルカは、ルドガーとルーシェを心配して直ぐに研究所に向かう。

 研究所はすでに封鎖されていたが、関係者だと言って無理やり通して貰う。研究所内はまだ煙が立ち込めて、小さな火があちこちで揺らめいていた。ロロルカはルーシェの居る場所へ急いで向かう、すごく嫌な予感がしたからだ。


「ルドガー! どうしたの!」


 ルーシェが居る部屋に辿り着くと、ルドガーが全身血だらけの状態でうつ伏せに倒れている。ロロルカはルドガーを起こすと、彼は吐血しロロルカを見て話し始めた。


「ロロルカすまなかった。実験にルーシェを使ったのは…ま…間違いだった」

「何を今更! 私も結局は納得したんだから同罪よ!」

「違うんだ……コアは造っては…いけない代物だったのかもしれない…」


 ルドガーの言っている意味が良く分からない。ルーシェが、この世界に留まる事が出来た。それ以上になにがあるというのだろう。


「私は、欲を出した。ルーシェをコアから引き戻す【蘇生】の魔法の研究をしていたのだ」

「えっ…でもそれは不可能のはずでしょ?」

「そうだ、一人蘇生するだけでも魔素を必要とする量が…桁違いに多すぎる」

「じゃぁなんで蘇生の研究なんか…」

「それと同時に開発してた……魔法がある、【不老不死】だ」

「まさか! 蘇生が使用できる程に魔素を溜める…そんな長い時間を生きるって事なの!?」

「私にとって、ロロルカとルーシェ…それが全てなんだ」

「ルドガー……」

「しかし…上手くはいかなかった、あいつが…闇の王が目覚めたのだ」

「やみのおう?」

「そう…だ」


 ゲホッゲホッ

 

 ロロルカは気付いていた。体の中に酷い損傷を受けているルドガーはもう助からないと、恐らく回復の魔法も効果ないだろう。


「これは、私達の罪…ルーシェをこの世に留めようとした、私の罪なのだ」

「なら一緒に私も、罰を受けるわ…」

「ありがとう…ロロルカ…それと頼みがある」

「頼み?」

「私の部屋にある箱に…手紙を入れておいた…読んでくれ…」

「分かったわ]

「君の綺麗な顔が見れなくなるのは……辛いな…」

「ルドガー…心からあなたを愛しているわ」

「ロロ…ル…カ…愛して……」


 ルドガーはそのまま息を引き取った。ロロルカは涙を拭くと、ルーシェのコアを見る。コアの固定具のみそこにあるが、コアそのものは無くなっていた。

 ロロルカは、ルドガーの遺言どおり彼の部屋にある手紙を見る為に立ち上がった。

 ルドガーの部屋に入ると、言われた箱を探した。綺麗に整頓されていた為に案外簡単に見つけることが出来た。


「暗証番号が必要なのね」


 箱を見ると、番号を入力するパネルがある。ロロルカは自分の誕生日とルーシェの誕生日を足した数字を入れる。この番号だと確信していた。


ガチャ


 箱は何事も無く開く。その中には、言っていたとおり手紙とそして本が入っていた。

 手紙にはこう書いてあった。


『この手紙を見るという事は、私はもうこの世界に居ないだろう。私の研究はコアに魔素を留めておく事、それが世界の為になるとそう思っていた。だが、魔素を留められたら、その次ぎはそこから出したくなる。そう【蘇生】だ。

 その欲求に、どうしても勝てる事が出来なかった。私はもう一度ルーシェを抱き上げたい、パパだともう一度言って欲しかった。

 だがそれは間違いだった、魔素を留めると言う事は、魔素の海に干渉すると言う事だ。ある時から私の中に声が聞こえ始めた、それは『コアを開放せよ』と言う言葉だ。

 日に日にその声は大きくなり、いつしか闇のような影のような者が私を付きまとい、眠れない日々が続いた。そして私は、闇に体を支配されつつあったのだ。記憶が無いのに関わらず、コアの外殻本体を製造していたようだ。

 しかもそのコアの数は、恐らくは百万個はあると思う。その数が何を意味するかは想像はできるが、あまりにも現実的ではない。もしその百万個に不純の魔素を溜め込み続けたら。だが、救いになるか分からないが、百万個以上は造れなかった様だ。

 もし、君が私と罪を共有してくれるなら、罰を受けてくれるのならその同梱されている本を開いて欲しい。

 それは【不老不死】と【コア製造法】の魔法が書かれている。一度きりの魔法なので使用したら本は消滅してしまうが、闇の王を倒せるのは恐らく君だけだろう。聞く所によると、世界は様々な分野に別れて肉体と精神の進化をしようとしているらしい。

 しかし私から見れば、それは退化であって進化ではない。それに気がつかない人々は闇の王には絶対に勝てないだろう。頼むロロルカ、もし心から私をルーシェを愛しているのなら私達の世界を救ってくれ』


 ルドガーは必死に書き綴ったのだろう。

 ロロルカは涙を拭う


「ずるいわ…こんなの」


 そしてロロルカは、【不老不死】と【コア製造法】が書かれた本を開く。眩い光がロロルカを包み、そして彼女は不老不死へと肉体を変えた。二度と死ねない不死の体では、恐らくもう子供を生む事も出来ないだろう。これが私の罰である。


「ルドガー、ルーシェ…私は生きて行く…そして闇の王を必ず倒すわ」


 確信は無かった、しかしたとえ何十年何百年と時間が経とうとも必ず闇の王を倒すと心に決めたのだ。

 その為に必要なのは、ルドガーが最後に研究していた【蘇生】だろう。そこに答えがあると信じ、ロロルカは身支度を始める。

 


 一万年後、大陸に居た人々は七つの種族に分かれ殆ど交流することも無く暮らしていた。その頃、隣の大陸で何やら奇妙で大きな影が人々に災いをもたらしていると耳にする。


 あの日以来、ロロルカは名前を変え【ロロ・ルーシェ・ノーツ】と名乗っていた。

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