第3話

 薄暗い空間をリリルカは彷徨っていた。空に浮いてるでも水に浮かんでるでも無く、上を向いているのか下を向いているのかすら分からない、永遠と広がる空間に漂い続けていた。

 

「もしかしたら、ここがおばあちゃんが言ってた【魔素(まそ)の海】なのかもしれない」

 

 この世界に存在するもの全てが宿している魔素。神と呼ばれる存在が唯一この世界に干渉したとされる魔素と呼ばれる代物は、生物のみならず鉱石等の物質や、炎や風や雷や水等の自然現象、魔法等の事象に至るまで魔素の影響を受けて存在している。


 この世界には天国や地獄と呼ばれる霊的なものが存在しない。リリルカが今漂っている魔素の海が全ての始まりの場所であり、全ての還る場所であると聞いている。


 例えばこの世界の人間が死亡した場合、体内の魔素がまとまり魔素の海に還る。その後約1週間程かけて浄化され、魔素の海に溶け込んでいく。そして魔素の抜けた肉体は、この時にやっと魔素に戻り空気中に光の塵となり消えていく。


 そこで人が死亡した時には、家族や親類など肉体が魔素に戻るまでの間に、浄化される時に生まれる不純物が体内に戻らない様に、防御魔法が掛けられた場所や状態で安置されるそうだ。

 もし不純物が魔素の抜けた体内に入り込むと、肉体は魔素に戻らずに魔物と化すらしいのだ。


「このまま消えていくのかなぁ…」


 漂いながらも、まるで母親の胎内に居る時の様なとても安らかな気持ちになり、リリルカも消える覚悟はできていた。


 どれだけ時間が過ぎたのだろう。ふと薄暗い空間の奥が光っている様に感じた。


「暇だし、あそこまで泳いでみよう」


 リリルカは海を見たことが無いが、海と呼ばれているその中に居るのだから泳げるかもしれない。バタバタと手足を動かすと、光の方へ進んでいる気がした。横を見ると鏡のようにもう一人のリリルカが居て、彼女も同じ事をして進んでいるようだ。

 そして目の前が眩しいと感じる程に近づくと、体を覆う程の大きな光の奥に何かが見える。人の形をしている様な、そうで無い様な、目を細めつつも閉じる事無くその光に向かいそして突き抜ける。


「目が覚めたみたいだな」


 ふと聞き慣れない声が声がする。リリルカは薄く開けた目を大きく開き、魔素の海から戻って来た事に気付いた。そして目の前に一人の姿を見つける。全裸の男性。


「きぃゃぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!!」

「ぎゃぁぁぁ――――――!!!」


 リリルカは素早く立ち上がり、咄嗟に思いっきり魔力を込めた今の自分が使える最高の魔法を放つ。前に突き出した両手に集まってくる魔素から、勢い良く噴き出す風に銀色の髪と茶色のローブが激しく揺れる。


 悲鳴に驚いたイサムが後ろに後ずさりした瞬間に、大量の火の粉が舞い始める。


「え…ちょっ、まって」


 その火の粉がイサムの周りを螺旋状に回り始め徐々に加速していく。そして上昇したかと思ったら凄まじい火柱が勇を中心にして立ち昇る。

 よく見ると、大きな火柱の中にさらに火柱があり、少しだけリリルカは疑問に感じる。この魔法はいつも火柱が一本のはずなのに、思いっきりやりすぎて二本になったのかと。


 火柱の勢いは収まらず、上空まで昇ると祖母が展開させていた魔法障壁にぶつかり四方に広がっていく


『なに? この音!』

 

 凄まじい轟音に何事かと振り向いてしまった闇の魔物、エリュオンの隙をノルが見逃すはずも無く、両方の手に持つトナカイの角に似ているトンファーを左角で打ち上げ、上昇したエリュオンのさらに上に飛び右角で打ち下ろした。


『がぁっ! ぐぅぅ!』


 隙をつかれ思いっきり地面に叩きつけられたエリュオンは、その衝撃に起き上がる事が出来ない。そこへさらに追い討ちをかける様にノルはエリュオンを押さえつけ動きを封じる。


『はっ…はなせぇぇぇぇ!』


 ジタバタと小さな体を動かすが、どう足掻いても動く事が出来ない。そんな中、不意にログハウスの扉が開き一人の女性が出てくる。


「はっはっは、リリルカ! 生き返らせてくれた恩人を燃やして殺したら目覚めが悪いだろうさ」


 そう言った声の主、イサムのアパート上空に居た人物でリリルカの祖母【ロロルーシェ・ノーツ】がゆっくりと顔を見せる。


 銀色の髪を腰までたらし、豊満な体躯のみならず整った顔立ち、古代魔法が掛けられた金属製の糸で精巧に縫いこまれた淡い紺色のローブに身を包み、誰もが振り返るような絶世の美女である。


 ふぅっと片手を前に出して、リリルカが放った火柱に向けて息を吹きかけると、ぶわっと火の柱だったものは空中に散開していく。

 声をかけられたリリルカは、久々に聞いた懐かしい声に顔を向ける。


「おばあちゃん!!」

「おばあちゃん!」


「えっ!?」

「は!?」


 同時に同じ声がした。そして互いがその存在に気付き驚く。そして思う、私が目の前にいると。銀色の髪を肩まで綺麗に揃えたリリルカと、金色の髪をでかなり短く後ろを切り上げたリリルカが顔を合わせる。


「なんで私がもう一人いるの!?」


 銀髪のリリルカが言えば


「それはこっちのセリフよ!」


 金髪のリリルカがそれに答える。

 

 落ち着かせようと、その間にロロルーシェが割り込みながら入ってくるが、何やら別の事を考えている様子だ。


「とりあえず、闇の魔物を処理しようか」


 そう言うと、エリュオンを押さえつけているノルの元へと向かう。


「オカエリナサイマセ ロロサマ」


 エリュオンを押さえつけて居なければ、最上級の丁寧なお辞儀も付いて来ただろう。

 ロロリューシェは右手の人差し指を軽く振ると地面より光の蔓が四本湧き出して、エリュオンの手足に絡みつく。


『はなせぇぇ魔法使いぃぃ』


 必死に振り解こうとするが動く事は出来ない。


「さて、ここにはどうやって入り込んだんだ? 今回は随分と早いお出ましだが、お前達の王はまだ復活してないぞ」

『お前に答える事は何一つ無いわ!』


 ロロルーシェの質問に、エリュオンは答える事は無いだろう。それは分かっていたが、二千年前に消滅させた闇の魔物達はこれ程に知性を感じるような事は無かった。


「今回は随分と成長しているが…やはり読みどおりか…答えないなら、お前に用は無い」


 そう言い放つと、左手を開き直ぐに閉じる仕草を見せる。するとエリュオンの周囲を被う圧力壁を、全身に感じて一瞬で潰されてしまう、そしてその潰れた塊から黒い煙が勢いよく噴き出す。だが、ある程度広がった煙は急に動きを止めて、今度は一気に収束していく。


 その中から現れる手のひらサイズの水晶玉が重力を失ったかのように地面に落ちる。ロロルーシェは水晶を拾い上げると、先程の火柱の中心に向かい歩き出した。

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