最終話 『ない』とは思いたくない唯一残された記憶と願い

「結構な被害だと思ってたんだけど、復興が早いねぇ」

 菜園の魔王が襲来してから七回目の朝、アルフォースは相変わらずに城には行かず、新しいサボり場所として『隻眼の黄昏』を選んだ。カウンター席に座り、和心の店主とアギトに事の顛末を話していた。

「まぁ、建物の被害のほとんどはインペリアルガードの仕業だからな」

「騎士が国を壊してるとか超笑えるわぁ――」

「工業区の復興が遅れているようだがな」アギトがアルフォースの目の前に氷菓子を置き、ニヤニヤと口元を歪ませて言った。

「まったく! 誰だよ、我が国の工業の発展を阻害する様な奴はぁ……じいちゃんの部下だなぁ、間違いないにゃぁ! あそこの奴らはじゃじゃ馬ばかりだからにゃぁ」

「……お前さんの大先輩だぞ」

「態度だけは騎士並みだな」

 被害の少なかった隻眼の黄昏を含む宿屋はすでに営業を再開しており、ここに泊まっていた冒険者や下級の勇者一行は復興に手を貸していた。騎士団長であるヴィルランドはそうした復興の手伝いをしている冒険者や勇者に最大限の敬意として書状と勲章を渡した。

「あのじい様も太っ腹なことをするな。騎士王からの書状って言ったら、相当価値のあるもんだぞ」

「うん、本当は面倒だったらしいけど何かあげなきゃいけないってことになって、最初は色紙に名前と格言を書こうとしてたところをヴィルに止められて現在に至るっていう裏話」

「あのじじい、真面目なのかそうじゃないのかはっきりしないな」店主がため息を吐き、カップに入った酒を揺らしながら笑う。「そういやぁ、じい様で思い出したんだが、アル坊はアギトのことを言ったのか?」

「うん? あ~……」アルフォースは事件が終わった日の朝、ヴィルランドが話していたことを思い出す。「ねぇアギト、じいちゃんに何かした?」

「ん? ああ、あの事件の日、貴様らが菜園の魔王に会っている。と、伝えただけだぞ」

「あぁ、だからか」アルフォースはクツクツと喉を鳴らし、ヴィルランドの言葉をそのまま伝える。「やはり欲しいのぉ。ってさ」

「……黙っておけば良かったか」

「餌を与えて飼い殺したいって。良かったね、ご飯付きだってさ」

「……」アギトが呆然とした表情で、アルフォースの言葉を聞き、その場にうな垂れる。

「実質トップとコネクションが出来て良かったじゃねぇか」

「どう考えても悪夢だろう……」

 頭を抱えるアギトが可笑しく、アルフォースはつい笑ってしまう。ふと、店主が何かを聞きたそうにアルフォースを見ており、首を傾げて視線を向ける。

「そういやぁ、ヤオヨロズの嬢ちゃんは大丈夫なのか?」

 今日、隻眼の黄昏に訪れた時、店主とアギトの二人にはバルドのことも何があったのかも話しており、およそ、それからリリーのことが心配になったのだろう。と、アルフォースは思案顔を浮かべ、リリーのことを話しだす。

「うん、大丈夫だよ。でも、まだじいちゃんに会い難いのか、俺たちが城に行った後に起きるみたいだけど」アルフォースはリリーが一応、元気ではいるらしい。と、従者から聞き、その他のことは一切任せており、早くリリーが自分から話しかけてくれるのを待っているのである。「まっ、こればっかりはゆっくりいくよ」

「それが良いな。ところで、お前さんたちは会っていないようだが、今、嬢ちゃんのことは誰が面倒を見てんだ? 従者の誰かか?」

「うん? えっとねぇ――」アルフォースはその質問に嬉しさを思い出し、新たに迎えられた従者のことを話す。「カナデ。カナデねぇ、じいちゃんの強い希望もあって、家で従者として働くことになったんだぁ」

「ほぉ、あの魔法使いの嬢ちゃんが。よく従者になってくれたな? あの嬢ちゃん、そういうの嫌いそうだろ」

「リリーのことが心配みたいだからね。それと、やっぱり三食ご飯が出てくる生活には勝てないみたい」

「魔法の研究じゃないのかよ」店主が呆れて言う。

「それは俺がツッコんどいた。何でも、優先順位っていうのは、満足に、それと生命らしい生活を送っていて初めて発生する物。だってさ」

「あ~、成程な」

 店主とアギトが頷いているが、アルフォースはそれが理解出来なく、物事には優先順位が付き物であり、決めておいた方が良いものではないのかとも思ったが、きっとカナデは、あんたが裕福だからそういう考えなのだ。と、言うだろう。

「っと、話を戻すけど、リリーはカナデとずっと一緒らしいよ。従者が言ってたんだけど、俺たちが家を出ると同時に、リリーの叫び声とカナデの笑い声が家に響くらしい」アルフォースは苦笑いを浮かべると、寝る前のことも聞いたことを話す。「ついでに、俺たちが眠って、リリーの部屋の前を通ると、リリーのすすり泣く声が聞こえてくるらしい。カナデの下衆っぽい笑い声も一緒に」

「仲が良いこった。まぁ、女同士、こう言う時は都合が良いのかもしんねぇな」店主が開け放たれた扉から外を見て、ため息を吐く。「嬢ちゃんがいねぇからか、市場が寂しいんだよなぁ」

「リリーは野菜だけじゃなくて、華も売ってたからねぇ」

 リリーの笑顔は客の心を癒し、可愛らしい声色で通る人々に元気を与えていた。リリーはすでに市場にはなくてはならない存在になっており、市場で商いをしている者のほとんどは、朝一番にヤオヨロズのあるスペースを覗いてから商売を始めていた。

 菜園の魔王である――いや、魔王であったリリー=プリズナー、彼女がこの街に与える影響は大きく、すでに背景の一部になった商人をたくたんの生命が待ち望んでいた。世界から嫌われていたはずの役割。それは掛け替えのない者の消失とともに得られた幸せ。

「じいちゃんもさ、リリーのことを気にして毎日ソワソワしてるんだよ」アルフォースはヴィルランドの顔が日に日に陰っていくのに気が付いており、何とか元気づけたいとも思っているが、自分の前だと弱みを見せてくれず、歯がゆい思いをしていた。「他の騎士には内緒で菜園の魔王――バルドやその仲間のお墓を先代国王のお墓の横に作って、リリーに墓参りしてほしいって言ってたもん」

「……大問題じゃねぇか」

 店主の言う通り、異例のことであるが、ヴィルランドも思うところがあるらしく、バルドとその仲間たちには敬意を表したい。と、話していた。

「じいちゃん、バルドには混じり気のない純粋な敬意を与えたいって言って、誰も行かないような場所で、尚且つ、神聖な場所に作りたい。その結果、先代のところで良いや。って、なったみたい」

「それを王は知ってんのか?」

「うん。俺とヴィルも一緒になってお願いしたから」

 バルドがやったことは確かに認められることではないが、状況と環境がそうせざるを得ないのは明白であり、ただ選んでしまっただけなのである。アルフォースもそれは理解しており、王もまたそれを理解してくれたのである。

「情報屋としては、その情報の扱いに困るな――ん? いらっしゃい――」アギトが隻眼の黄昏に入ってきた客に声をかける。

 しかし、アギトが視線を外し、余所余所しくカップに水を入れるのを見て、アルフォースは首を傾げるのだが、背後に立つ人影に嫌な予感を覚え、早口で店主とアギトに声をかける。

「そういうわけだから、リリーには早く元気になってもらいたいんだよねぇ。カナデは大丈夫って言ってたけど、やっぱり、心配だなぁ――」アルフォースはチラリと意識を背後に向け、顔を横に背けながら、言葉を放つ。「だからさぁ、城で訓練とか講義を受けてる場合じゃないと思うんだよね! 一刻も早くリリーが元気になってくれるためにも、俺は今から家に帰って、お喋りするべきだと思うんだ。ヴィルもそう思うでしょ?」

「……」アルフォースの背後にはすでにヴィルナリアが立っており、口をわなわなと震わせながらアルフォースを見下ろしていた。

「い、いやぁ……アギトに誘われて――って、そう、これがアギトね。じいちゃんから聞いてヴィルも知っているよね? すごいんだよぉ、情報たくさん持ってるよぉ。ヴィルも仲良くなっておくと良いよ! お金払えばすごいんだよ!」

「……」ヴィルナリアがゆっくりと顔を動かし、目線を合わせないアギトから水を受け取りながら視線を向ける。

「あ、えっとぉ……お、おっちゃんがね! あ、おっちゃんは知ってるよね? いつもお馴染、和心の店主! 作るお菓子は世界一! ヴィル向けのお菓子も開発中らしいよ。すごいんだよぉ!」

「……」アギトから手渡された水を呷るヴィルナリアがアギトと同じように店主を見た後、店主が首を横に振るのを確認して、アルフォースに視線を戻した。

「何だよ! みんなして俺が悪いみたいにさぁ! 良いよもう! 正直に言うよ! 面倒なんだよ! 帰って寝たい、眠い眠い! ね~む~い~」

「……」

「……むぅ」アルフォースは椅子から降り、ヴィルナリアを見上げながら深呼吸をすると、口元に指を添え、瞳いっぱいに涙を溜め、いじらしく身体をくねらせた。「――駄目?」

「駄目だ! さっさと行くぞ。今日という今日は許さん」ヴィルナリアがアルフォースの手を取ると引きずりながら店を出ようとする。

「アル坊は自分が女っぽい童顔だと理解した上で言葉を選ぶから性質が悪いんだよな」

「貴様もあれには弱いと記憶しているがな――む?」アギトが店主にため息交じりに言うと、ヴィルナリアから投げられた封筒を眺める。「何だこれは?」

「おじい様からだ。此度の調査協力、感謝する。今の代金も含まれているようだから、確認してくれ」

「……まいど」

 笑いを堪えている店主に文句の一つでも言いたかったアルフォースだが、ヴィルナリアがそれを許してくれず、引っ張られる感覚に「あ~」や「う~」などの声で抵抗し、隻眼の黄昏から外に出た。




【世界の優しさは本物で】

「ね、ね、ヴィル! お、おやつだけでも――」

「アル、昼に一緒に買いに行くから今は我慢してくれ」

「ほんと?」

「ああ、だから昼までは頑張ってくれ」

「やたっ」

 アルフォースはヴィルナリアの顔色を窺いながら一喜一憂し、馬車の中ではしゃいでみる。すると、ヴィルナリアが呆れたような表情を浮かべており、やっと、日常に戻ったことは実感する。ここ何日か、街も命も、目まぐるしく忙しなく在った。もちろん、兵士であるアルフォースとヴィルナリアも様々な場所に駆り出され、その度にアルフォースは逃げ出していたのだが、こうやってヴィルナリアが捜しに来てくれたことはなかった。しかし、今日、こうして捜しに来てくれたということはある程度、暇になったのだろう。

 アルフォースは馬車から外を眺めながら、ふと、運転手に行き先の変更を希望する。

「あ、ねぇ運転手さん、市場に寄ってもらって良いかな?」

「ん? アル、おやつは昼に――」

「じゃなくてね」アルフォースはここ最近、出来るだけ避けていた場所に行きたいと思い、それを提案する。「ヤオヨロズがあった場所へね」

 それだけで理解してくれたのか、ヴィルナリアが頷いてくれ、馬車は市場へ向かって走り出す。

 未だリリーは店を市場に出してはいない。しかし、それで困っている者も多いはずである。アルフォースはリリーが塞ぎこんでしまった原因の一人であると理解しており、何となく市場には行き辛かった。しかし、今日、店主とアギトにリリーの話をしたことで、それだけは確認しなくては。と、考えたのである。

 馬車が市場に辿りつくと、アルフォースは飛びだした。そして、ヤオヨロズが普段ある場所に来てみると、そこにはぽっかりと穴が空いたような寂しさが在り、通る人々が一々その場所に視線を向けていた。

「……やっぱり、あそこで忙しなく動いてるリリーがいないと気分出ないなぁ」

「俺は二回しか来たことがないが――ああ、確かに何か物足りない感じがするな」

 アルフォースはため息を吐き、リリーがいなくてはここまで違うものなのか。と、踵を返し、馬車に戻る。すると、隣、以前リリーが案内しようとしていたパンで具材を挟んだ物を売っている出店の男がアルフォースに声をかける。

「お、アルちゃんに騎士団長のお孫さんじゃないか」

「んぁ? どったの?」

「なぁ、アルちゃん、リリーちゃんは無事なのかい? 最近は顔も見ていないし、みんな心配してるんだよ。仲の良いアルちゃんなら何か知っているんじゃないかと思っているんだけど、どうだろうか?」

「うん? リリーは俺の家にいるよ。ただ、ちょっとしんどいみたいでまだ出て来れなくて」

「ほぅッ! ついに!」

「ついに?」

「あ、いや、何でもない。もしかして、怪我でもしたのかな?」

「リリーの身体は無事だよ」男の質問にアルフォースは考え込み、笑顔で答える。「でも……うん、ちょっとドジって畑をダメにしちゃったみたいなの。もう少しで出てこられると思うから、もうちょっとだけ待っててあげて」

「そうか……リリーちゃん、抜けているところがあるからねぇ。こういう時、城勤めは大変だろうけど、しっかり支えてあげるんだよ」アルフォースの肩に両手を乗せ、優しい笑みを浮かべて男が去って行った。

「へ? う、うん?」アルフォースは首を傾げる。「うん? 何か盛大に勘違いをしていったような気が」

 むむむ、と、唸りながらアルフォースは男が他の出店で足を止めては指差して何かを話している様子を訝しげに見た。

「まぁ、困るのはリリーか。俺、毎日ここに来るわけじゃないし。うん、気にしない!」

 アルフォースは小さく笑い、前方を確認せずに回れ右をして歩き出す。すると、ヴィルナリアが「おい――」と、声を上げたことに気が付き、そちらに視線を向けようとするのだが、腰に衝撃が走り、バランスを崩して倒れそうになるが、ヴィルナリアに腕を掴んでもらい、何とか倒れずに済んだ。

 アルフォースは衝撃の原因に視線を向けるのだが、誰かとどこか似たような雰囲気を放つ少女が、涙目で見上げていた。

「ありゃりゃ、怪我はない?」アルフォースは少女に目線を合わせ、頭を撫でてあげる。「ごめんねぇ、ちょっと余所見してたよぉ」

 少女がフルフルと首を横に振り、大丈夫だと教えてくれた。アルフォースはそれに満足すると、ふと、少女が持っている植木鉢に似た何かに気が付く。

「それ――」アルフォースは少女の持っている――釜を指差す。

「これ?」少女が可愛らしく小首を傾げ、釜をアルフォースに見せる。「これ、知ってるのぉ?」

「う、うん。ねぇ、これをどこで?」

「捜してるの」

「え?」

 少女が顔を伏せ、釜を抱きしめていた。きっと、大事なものなのだろう。しかし、アルフォースはその釜に見覚えがあった。何故なら、同じような小さな釜をリリーが持っており、しかも、釜から伸びる植物には見覚えがなかったのである。

 偶然ではない。アルフォースは直感し、少女の頭を撫でながら尋ねる。

「捜してるって?」

「えっとね。あ、兵士さんなら知ってるかも。あのね、真っ黒なローブを着た怖い顔のおじちゃんを捜してるのぉ」

 バルドのことだろう。確かに、色のないあの男の顔は少女にとってあまりよくは映らないだろう。

「……その人がどうしたの?」アルフォースは一度顔を伏せ、優しさを前面に出した声色で言う。「もしかしたら、俺の知り合いかもしれない」

「本当?」興奮美味に少女が喜ぶ。「あのね、氷菓子をぶつけちゃったらね、おじちゃんがこのお花と代金をくれて――えっと……」

「そうなんだ」

「それでその、このお花、あたしのこと、守ってくれたんだぁ」

「守る?」

 アルフォースは隣で呆けているヴィルナリア同様に首を傾げた。

「この前、ボンボンしてたでしょ? その時に家が崩れたんだけど、あたしとあたしの家族をこの花が大きくなって守ってくれたの」

「……」

 アルフォースは表情を歪める。バルドが残したもう一つの花、それはこの少女を守り、明日を繋いだのである。

 あの事件の時、死者は一人もいなかったのだが、怪我をした者はおり、もしかしたらこの少女と家族が犠牲になっていたのかもしれないのである。しかし、最後の足掻きなのか、最後に世界が見せた優しさなのかはわからないが、偶然バルドと出会い、氷菓子をぶつけてしまったその運命が少女を守ったのである。

「お姉ちゃん?」

「あ、ううん、何でもないよ」アルフォースは首を振り、頭の中からその思考を飛ばす。「そっかそっか」

「ねぇあのおじちゃんがどこにいるか知ってる?」

「……ごめんね。あのおじちゃん――バルドは忙しくてね。もう、この街から出て行っちゃったんだよ」

「え~」少女が落胆し、うな垂れた。

「……でも、その弟子なら知っているよ。今度、会ってみる?」

「良いの!」少女が嬉しそうに飛び跳ね、自信満々の表情で釜を空にかざす。「おじちゃんが言ってたんだぁ。この花を大事に育てられたら錬金術師になれるんだぁって。だから、あたしおじちゃんみたいな錬金術師になるために頑張るの」

「――ッ!」アルフォースは耐えきれなくなり、少女を抱きしめると、背中と頭を撫でる。

「みゅ? お姉ちゃん、どこか痛いの?」

「ううん。ただ、ちょっとね――」

 繋がれた思いと繰り返す過去。優しさが廻った世界の中で、アルフォースはこの時だけは運命を感じられずにはいられなかった。




  【日常のモブたち】

 城に戻ったアルフォースを待っていたのは兵長の説教であり、欠伸を漏らしながら聞いていた故に兵長から一騎打ちの申し出が出されたのだが、怒鳴られた瞬間にへたり込み、声を震わせ、泣きそうになりながら「ひどいですぅ」と、周りに聞こえるように言い放つ。

 すると、周りの兵士たちがアルフォースの前に立ち、兵長と対峙するように武器を握った。一触即発の空気にアルフォースは遠くに離れ、「みんなみんな、がんばれがんばれ」と、声をかけた。

「馬鹿者!」ヴィルナリアがアルフォースの頭を小突く。

「あイタ! む~」アルフォースは恨めし気な瞳でヴィルナリアを見上げる。「来て早々説教される人の気持ちになって考えてみなよ!」

「来ないことでストレスを溜めている兵長の気持ちをまず考えろ」

「俺が来た、ストレスの原因はなくなったはずなのに説教。そんなことしたら互いに気分悪いでしょ? 故に俺は正しい」

「溜まったストレスはそう簡単にはなくならないだろう」

「だから、ああやってストレス発散の手伝いをしてるんでしょ?」アルフォースは兵長一人に対して、十数人の一般兵士が襲い掛かる光景を指差し、ケラケラと笑う。しかし、兵長が咆哮を上げながら兵士を掴み回したり、突撃してきた兵士の横腹に渾身の払いをあびせたりと兵長の勝利は確実であることに気が付き、逃げる準備をする。「あ~あぁ、今回は案外早いなぁ……こっち来るかなぁ、来るだろうなぁ。良し、逃げよう」

「俺が逃がすと思っているのか?」ヴィルナリアがアルフォースの首根っこを猫のように掴む。

 宙ぶらりんになったアルフォースは苦笑いを浮かべて「武器を持ってくれば良かったかな?」と、大きく重たい自分の武器に恨み言一つ。

 その後、ヴィルナリアと兵長に散々説教をされたアルフォースは兵士用の休憩所にある机に突っ伏し、頬を膨らませて辺りを睨む。

 他の兵士たちにとって、アルフォースの睨みは気性の荒い小動物程度にしか思われていないのを理解しているが、通る人に頭を撫でられて、菓子を横に置かれていくのは何故かと考える。

「むぅ、俺のことを一体何だと思ってるんだか」

「文句を言う割に、菓子を開ける手を止めないのは何故だろうな?」

「そこにお菓子があるから仕方がない。お腹空いたなぁ……兵長に会うのは嫌だし、どこか外で食べようかなぁ」

 などと話していると、休憩所の入り口が騒がしくなったのだが、アルフォースもヴィルナリアも興味がないのか、騒ぎの起きている入り口に目も向けず、昼食をどこで取ろうか? と、話を続けていた。

 しかし、兵士たちの視線が自分とヴィルナリアに注がれていることに気が付き、アルフォースは首を傾げて入り口に目を向けた。

 すると、そこには浴衣を着て、風呂敷に箱を包んだ物を手に持ったリリーと相変わらず丈の短い浴衣を着ているカナデの姿があった。

「お? リリーだ――」

「あんやぁ、アルちゃんみっけったっぺぇ」

「リリー、標準語でよろしく」

「うみゅぅ……」リリーがカナデの手を引いて、アルフォースたちの下へ小走りで駆けてくる。

「えっと……みんなに迷惑かけちゃったから、お弁当を作ってきたんだけどまだ食べてないよね?」

「うん、丁度どこかでご飯を食べようかって話をしてたの」

 リリーが弁当を持ってきたと話すと周りの兵士たちは「ヤオヨロズの店主ちゃんの弁当……」などと、ざわめき、自分が持っていた弁当を口の中に放り込み、物欲しげな表情で見ていた。

 城勤めの男性兵士は基本的に女性に飢えており、癒されると評判のリリーは特に人気があり、アルフォースはこの城の兵士は大丈夫なのかと心配になるが、やる時はやる者たちであることを知っており、息を吐く。

「え、えっとぉ……他の人のはないかなぁ。あ、あと、あたしは店主ちゃんじゃないよぉ。えっと、リリー=ロイ・レイブンだよ!」

 リリーの自己紹介にざわめく声は更に大きくなり、リリーが首を傾げていると、一人の兵士が前に出て言う。

「……どっちに嫁いだ」

「とつ?」リリーがわけもわからないという表情でコテンと首を傾げる。

「俺たちの嫁か?」その兵士はアルフォースを指差す。

「誰が嫁だぁ!」

 大丈夫ではないのかもしれない。アルフォースは先ほどの考えをすぐに払拭し、話を続ける男性兵士を睨む。

「俺たちの旦那か?」アルフォースの声も無視して兵士が続け、次はヴィルナリアに視線を投げる。

「……」ヴィルナリアが無言で点火器を取り出して詠唱を唱えた。

「無責任な子作りは不幸な人を増やすんだぞ!」兵士が呆れたようにカナデを指差すと言い放つ。

 鬼のような表情で口角を震わせ、わざとらしく笑顔を作るカナデに恐怖を覚え、アルフォースは頭を抱える。

「……ねぇ、そいつ燃やしましょう。口の中に炎をぶッこんで腹から炸裂させましょう。きっと、許されるわ。いいえ、僕が許すわ! あんた焼き殺すわよ!」カナデが炎の鳥を生成しようとすると「あ――」と、声を上げ、兵士の背後に視線をやった。

 周囲の兵士も一歩、二歩と後退してその兵士を見つめていた。

 兵士が異変に気が付いたのか、身体を反転させ、振り返る。すると、そこには満面の笑みを浮かべたヴィルランドがおり、兵士の肩に手を置いた。

「あ、えっと――騎士団長殿! お勤め、お疲れ様です!」

「わしの新しい孫と新しい従者と孫たちに何か問題でもあったのかのぉ?」笑みを浮かべながらも、のしかかる重圧。ヴィルランドが兵士に圧をかける。「のぉ、答えてくれんかのぉ」

 兵士が青い顔をし、咄嗟に回れ右をして脱兎のごとく休憩所から走り去って行った。

 それを見た他の兵士も同じく走り出し、休憩所にはアルフォースとヴィルナリア、カナデとリリー、ヴィルランドだけになった。

「まったく、ここの兵士たちには困ったものじゃのぉ」

「まぁ、飽きないけどねぇ」

「……」すると、リリーがおずおずとヴィルランドに近づき、言う。「あの、えっと……お、えっと、うみゅ――えっと、お、おじいちゃん」

「ぬぉ!」リリーの言葉にヴィルランドが口元を緩め、身体を震わせる。「お~、お~――も、もう一度」

「……騎士団長殿、ここは城の中です。もう少し表情を引き締めてください」

「戦っている時は格好良いと思っていたのに、城でもこんなものなのね。がっかりだわ」

「……い、良いじゃろう! 女の子の孫はいなかったんじゃし、娘はあんなんじゃったし、嬉しいんじゃよ。カナデもわしの孫になるかの?」

「遠慮しておくわ。まぁ、孫になったら野菜を残すなんて情けない真似をさせないけど、それでも良いのかしら?」

「孫じゃなくても無理やり食べさせるんじゃもん……」ヴィルランドは口を尖らせ、精一杯の愛嬌を込めて呟く。

「あ?」威圧を乗せたカナデの言葉。

 そのやり取りをリリーが楽しそうに見つめており、そんなリリーにアルフォースは尋ねる。

「もう大丈夫なの?」

「うみゅ? 大丈夫かって聞かれるとちょっと困っちゃうけど、畑も完成したし、アルちゃんたちもいてくれるから苦ではないよ。それに、そろそろ野菜を売らないとみんな困っちゃうかなぁって」

「そうだね、今日市場を見てきたけど、リリーがいないとダメみたいだよ」

「えへへ、やっぱり……アルちゃん、あたしは昔も今も幸せだよ。バルドにはニセモノの涙は悲しいって言われたから、もう我慢しない。最近はカナデちゃんが本気で泣かしにくるのが怖いけど、きっとそれは本物だから」

 リリーが話し出す。アルフォースたちのいない間にレイブン家の敷地内に畑を作っていたとのこと、カナデや従者の人が喜んで手伝ってくれたことが嬉しかったということ、バルドたちがいなくなって寂しいけど、一人じゃないと知ったこと――リリーは一つ一つを大事に抱え込みながらアルフォースに伝える。

「そう」

「うん!」

 リリーの満面の笑顔にアルフォースはただただ、頭を撫でて見つめた。そして、ふと思い出したように口を開く。

「そういえば、どうしてバルドってわかったの? 種を見ただけでしょ?」

「あれね、あたしが初めて育てた野菜の種なの」アルフォースの質問にリリーが苦笑いを浮かべた。肩を落として笑うリリーが、自分が最初から最後まで基礎を作った処女作であると話し、呆れたような表情でため息を吐く。「いつまでもバルドが持っててくれてたみたい」

 積み重ねて一を――今日を紡ぐ。過ぎた零の言葉を反響させて、一にも二にも響かせて、百まで伸びるその日々を思い描いては巡る。

 畑になる野菜の成長を道標に、一も二も視覚する。百まで辿りつくまで、一を丁寧に育んでいこう。

 歴史にも記されることのない所謂、背景に存在する兵士とホンモノになれなかった華やかな道から外れた魔法使い。魔王になりきれず、野菜を売るホンモノから掬いだされた錬金術師――この世界は幻想、想像、妄想の繰り返し、誰かに語られるかもしれないが、誰にも語りきれない世界。

 所詮、背景――所詮、群衆――後にも先にも一に生きている者が成り立たせる世界……歴史に刻むために動く者など稀であり、然れど幻想、たかが妄想、と、歴史を作る者の想像力に委ねる。

 所謂、その者たちは景色の一部でしかなく、所謂、想像の産物――千まで飛び越えてしまった先には何もないだろう。一を理解して初めて二が見える。零を知らぬ者に百など語れない。一つ一つの数字を進んで百に辿りつく――誰かに語られるかもしれないこの言葉、誰にも語られることなく埋もれて行くかもしれないこの言葉……少なくとも、語れる者は数人の背景だけであろう。

 物語の締めはいつだって、群衆の中にあることを――。

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エルジェイムで ~城勤めの兵士と菜園の魔王~ 筆々 @koropenn

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