第四話 離れて消えて今はもうない……

「……眠れないわ」

 真夜中、今日を跨いだ日時。カナデは頬を膨らませ、割り当てられた部屋から外に出る。渡り廊下は外に出ており、部屋から出た時、夜特有の涼しい風が肌を撫で、一度身体を震わせる。カナデは寒がりなのである。

 部屋はカナデの希望によりリリーと一緒なのだが、そのリリーが部屋に帰ってきておらず、戻ってきたら脅かそうと思っている内に、カナデは眠ってしまった。リリーはきっとまだ研究しているのだろう。ちょっかいかけに行くついでに差し入れでもしようとも考えたが、カナデはどこか不穏な気配を感じ、空を見上げる。

 それは直感であるのだが、何となく自分は起きていなければいけない。そう思えるような空気が漂っていた。

「何かしら?」カナデは赤い髪を掻き揚げ、目を細めて遠くを見る。「嫌な夜ね……あ~、気になって眠れないわ」

 嫌な気配という物はごく稀にだが、日常生活を送っていても感じる。しかし、それは何となく嫌な物であり、たまたま近くの家で物取りがあり、拍子に人を刺してしまった。と、いう噂が耳に入ってくる程度の起きたことに対する直感であったり、快晴の空を見て傘が必要だと予感したり、その程度の直観であるのなら誰にでも起こりうることでもある。しかし、カナデのそれは隣の家から聞こえてくる音がいつもとは違うと感じたり、空を見てマナの動き、空気の感触から雨が降るだろうと確信出来たりするそれとは違い、ただ漠然と不安になるのである。

 すでに考えられるものはない。否、興味があることはなく、この屋敷に引き籠り、新たな魔法を生み出すための研究がしたい。普段通りの生活に戻ろうと思っていた。しかし、アルフォースが抱える秘密や今回の勇者殺害の事件、それらが自分の届かない場所にあることは明白であるはずなのに、身体と頭、正確には心が拒否している。

 一体、自分にこれ以上何を考えさせると言うのだろうか? カナデにはそれがわからず、不機嫌な表情で舌打ちをする。

「……リリーは、関係ないのよね」

 昨日今日の仲、アルフォースにもヴィルナリアにも言えることだが、ここ数日に出会ったにも関わらず、好きなことを言え、好きなだけ言える。そして、それを受け止めてくれる。今まで築いたことがない人間関係に、カナデは浸っていたいと思えた。特にリリーは初めてと言って良い程いなかった同性の友人であり、どこか抜けていて、見ていて飽きない可愛らしい錬金術師の友人。カナデにとって、リリーの性格だけで友人と呼びたい。そう思えた数少ない人間である。

 笑顔は人懐っこく、声は人を魅了する。野菜で命を幸せにしたいという目標を持ち、それに向かって努力する姿は素直に好感が持てた。多少、抜け過ぎていて他人の堪忍袋を引っこ抜くことがあるが、それも愛嬌だろう。カナデは、リリーが好きになったのである。人として、魔法と似たような知識を必要とする学問を扱う者としても、リリーの前向きな姿勢は見習いたくなるものである。

 そう、彼女は関係ない。人から好かれる能力とも言って良い程、親しみやすい彼女は今回の事件に関係ないはずなのである。

 菜園の魔王が勇者を殺したと言われた事件。その中心に話が上がっていた菜園の魔王・リリー=プリズナーはこの事件に関与していない。野菜売りであるリリーは勇者を殺してなどいない。それはアルフォースの調査と兵士やインペリアルガードが重宝している情報屋、アギトという者の言葉、それにリリーの言葉からあり得ないのである。

 しかし、不安に思う。それはまた別の不安なのだろうか? カナデは頭を激しく掻き、二回目の舌打ちをすると、アルフォースの私室へ自然と脚が向いていることに気が付く。

 一人で考えても埒が明かない。そう考えたが悩む、勘違いならば良い。だが……。

「ああぁ! もう! ここで考えてもしょうがないわね。過程を組んだ後は実験よ! まずは身体を動かす――」

 カナデの足は普段よりも速く動こうとする。

 すると、誰かが廊下を走る音。カナデは足を止め、音のする方角に視線を向ける。そこには後ろ姿しか見えなかったが、ここ数日で何度も見てきた背中であった。

 カナデは駆けだし、その背中を追うのだが、普段からは考えられないような速さで駆けていったために、追いつくことが出来ず、門を開けて飛び出していった横顔を見届けるだけだった。

「ったく、何だってのよ」肩で息をするカナデは呼吸を整えると、アルフォースの私室へと向かう。

 何故、リリーが外に飛び出していったのかはわからないが、カナデにはただ一つ言えることがあった。

「リリーを泣かせるのは僕だけなのよ」

 どこか作ったような涙を浮かべることが多かったリリー。あれはきっと、ニセモノなのだろう。最初はそういうキャラ作りなのかとカナデは考えた。しかし、リリーがリリー=プリズナーだと知った時、涙は本物を隠すための自己防衛なのだと理解した。本物を流さない代わりに、ニセモノの涙を所々で流し、流さなくてはならない涙を消費していたのである。

 だが、先ほどリリーが飛び出していった時、確かに瞳には涙が携われていた。自分が本物を流させようと躍起になっているにも関わらず、あの少女はただただ自然に涙を流していたのである。

「良い度胸じゃない」カナデは青筋を立て、口角を吊り上げる。

 アルフォースが眠っているだろう部屋、カナデは部屋の前で足を止めると、開き戸に手をかけ、思い切り開け放つ。

「アルフォース!」カナデは寝ているアルフォースに飛びかかり、頬を何度もはたく。「起きなさい!」

「う~ん、あぅ?」アルフォースが目を擦りながら身体を起こす。「カナデ?」

「アルフォース、ちょっと起きなさい――」

「寂しくて眠れないの?」アルフォースが寝惚け眼でカナデに手招きをし、布団を持ち上げる。「しょうがないなぁ。こっちおいでぇ」

「うんなわけないでしょ。ねぇアル、リリーの様子がおかしかったんだけれど」

「うん? リリー?」

「あの子、今回の事件とは関係ないのでしょう?」

「お? あれ、何でカナデ知って――」驚いた拍子に目が覚めたのか、はっきりとした声でアルフォースが尋ねる。

 しかし、カナデは説明するのも億劫だと思い、アルフォースの腕を引っ張り、立ち上がらせる。

「そんなことは後で良いわ。それより、リリーが屋敷から飛び出していったのよ。しかも、あの子、泣いていたわ」

「……何で?」

「知らないわよ。あの子、今の今まで種を調べていたと思うのだけれど――」

「ちょい待ち、種って何さ?」

 そこから説明しなければならないのか。と、カナデはあからさまに舌打ちをするが、アルフォースの表情が険しいものとなっており、今日、アルフォースがいなかった時に何があったのかを話す。

「あんたがサボった宿屋の調査だけれど、そこで種を見つけたのよ。リリーがその種は錬金術で作られたって言うから、ヴィルがその種の調査を頼んだ。それだけよ」

「……ねぇカナデ」どこか青い顔を浮かべるアルフォースが頭を掻いて歯を鳴らす。「今回の事件って、錬金術師が犯人なの?」

「知らないわよ。僕は種を見つけたけれど、それが何かわからなかったもの。でも、リリーが稚拙な作品だって言っていたし、僕は関係ないと思ったわよ」

「違う。俺が聞いたのは、錬金術師なら今回の事件を起こせるか? って聞いたの」

「誰にでも起こせるわよ。って、言いたいけれど、今回に関して、魔法使いは不可能よ」

「どうして?」

「魔法使いじゃ痕跡が残るもの。魔法陣の描き方や残っている魔力とマナ、すぐに捕まるわ。どれだけ綺麗にしようとも、マナは残る。宿屋にはあれだけのことをした跡はなかったわ」

「……」

 アルフォースが黙ってしまい、悲しそうな表情で床を睨んでいた。カナデにはそのアルフォースの表情の意図を理解出来なかったが、何か心当たりがあるのだろう。しかし、それが何だと言うのだろうか? 今回の犯人は複数であり、男性なのである。菜園の魔王は関係ないのである、のだが、カナデもアルフォースのように額の皺を寄せ、考え込む。何かを忘れている。もうピースは揃っているのに、差し込む箇所が曖昧。ふと、カナデは菜園の魔王の噂話とリリーの発言を比較する。

「……ねぇアル。菜園の魔王って一人なのよね?」

「周りはそう言ってるね。それって何で?」

「普通、魔王って言うのは部下なりなんなりいるはずなのだけれど、菜園の魔王はいつも一人で行動していたからよ」

「……カナデ、何で『そう』思ったの?」

 リリーが言っていたのである。師がいる。と、その際、『みんな』と、話したのである。噂通りであるのなら、菜園の魔王は一人であり、それと関わる者はいないはず。しかし、リリーと関わっている者がいることを本人が証言しているのである。

「――馬鹿か俺は」アルフォースが口全体を手で覆い、悔むように言う。「リリーには家族がいる。しかも、全員が一流の錬金術師、真っ先に疑わなければならない人物だったのに」

 アルフォースが何故、リリーの家族を知っているのかを尋ねるのは無意味であるが、アルフォースの表情から察するに、気に入っていたのだろう。だからこそ、悔んでいる。

 だが、カナデはそんなことはどうでも良かった。

「あんたが悔やんでも始まらないわ。僕はリリーの家族がどんなのかわからないけれど、あの子は今、勇者を殺した奴の場所に向かっているのよ」

「……だね」アルフォースが顔を上げ、突然服を脱ぎ、着替え始める。「リリーを捜しに行こう」

 カナデはアルフォースが着替え始めたのを見て、内心、外に出ることを想定できないほど焦っていたことに気が付き、服を着替えてくれば良かったと後悔した。寝間着として浴衣を渡されたのだが、この格好では動きづらい。

「僕も着替えてくれば良かったわ」

「せっかく可愛いんだからそのままでいたら?」どこか嫌みったらしくアルフォースが言う。「昔ながらの魔法使いの恰好も俺は好きだけどね」

「普段は可愛げがなくて悪かったわね」カナデは腕を回して骨を鳴らすと、大きく息を吸う。「こんな夜中に出歩くあの不良娘をさっさと連れ帰るわよ」

「俺もお仕置きしよ」

「それは僕の仕事よ。あんたは慰め係」

 ニセモノになろうとするリリーにも文句の一つも言いたいカナデだが、今は何より、自分より先にリリーを泣かせた者が許せなかった。しかし、リリーの胸を揉むのはこれとは関係がなく、指を動かしながらリリーが出て行った門を眺める。

 すると工業区、海に面している港の方から爆発音が響き、カナデは音がした方向に視線を投げる。

「アル――」

「随分と派手に始めたね」

 最初の爆発からすぐに別の場所で爆発が起こり、続けて別の場所。と、連鎖的に爆発が起こり、カナデは表情を歪ませる。

 アルフォースが犯人はリリーの家族だと言った。しかし、この爆発でリリーが巻き込まれる確率を考えない家族などいるものなのだろうか? アルフォースは気に入っているようだが、カナデは早くその犯人の下まで生き、顔面を殴ってやりたい気持ちでいっぱいになった。

「――大丈夫だよ」

「どうかしらね?」

「バルドは……リリーを大事に思ってるもん」

「そう……」

 ジャージから高級そうな服に着替えたアルフォース。ネクタイにワイシャツ、その上から黒の背広を羽織り、スラックスを穿いており、カナデにはアルフォースがどこか高貴の者にも見えた。

「普段からそういう恰好をしなさいよ」

「俺の戦闘服」

「役割が逆だと思うのだけれど」カナデは呆れたように笑うと、アルフォースの手を引き、屋敷から出ようとする。「さっさと行くわよ」

「あ、待って――って!」すると、焦ったような声を発したアルフォースが咄嗟にカナデの頭を抱き、しゃがむ。「危なッ!」

 カナデはアルフォースのいきなりの行動に驚いたが、すぐに頭を切り替え、自身の頭上を見るために顔を上げ、アルフォースと対峙するその影を見上げる。

「……」ヴィルナリアが無言で剣をアルフォースに向けている。

「ヴィ、ヴィル――」

「避けるなよ」一閃、ヴィルナリアの水を纏った剣がアルフォースの鼻を掠めた。そして、アルフォースの瞳を見つめながらヴィルナリアが呟く。「おじい様からの伝言だ。ここから先はインペリアルガードの仕事、兵士は後方支援に回るように、俺が納得する理由を提示できた場合のみ、今日は休暇。だ、そうだ」

 どこか不貞腐れたように言ったヴィルナリアにカナデは舌打ちをし、アルフォースに腕を解かせ、歩みを進める。

「俺は何も知らない。おじい様がどういう意図でこんな指示を出したのか、アルが何を考えているのか。お前の言う通り、俺は考えるのが苦手だ。だからこそ、命令には絶対に従う」剣を構えたヴィルナリアの周囲には獣の形をした水があり、それを背後にアルフォースを睨む。「俺はお前やカナデほど頭も柔らかくなければ、勘も働かない。ただ、おじい様――騎士団長がそう言ったんだ。俺がここを通すと思うなよ?」

「あのジジイ、ヴィルを門番に置いたかぁ」バツの悪そうにアルフォースが言う。「あ、明日話そうとしたんだにゃぁ。というか、今はそれどころじゃ――」

「お前は俺に信じてくれと言った。しかし、いくら待とうとも教えてくれず、ここを通せとは虫が良過ぎるだろう。それと、期限はもう過ぎた。今さら遅い――」ヴィルナリアがアルフォースに詰め寄るのだが、背後から近づくカナデに気が付き、首を傾げる。「ん? カナデ、お前も屋敷に――ッ!」

 カナデは青筋を立てた表情で、ヴィルナリアの腹部に手を当て、いつかやったものより数倍の威力がある爆発をその場で起こし、ヴィルナリアは爆発の衝撃により吹き飛んだ。そして、池に落ち大きな水音を鳴らすと、飛沫が宙を舞った。

 一体、誰の虫が良いと言うのだろうか? アルフォースは考えた上で情報を伏せており、何もしていないのはヴィルナリアの方ではないか。と、自分を棚に上げたヴィルナリアの身勝手はカナデの怒りが限界までに達するに値する理由だった。

「ごちゃごちゃ五月蠅いわね。僕は言ったわよね? 自分で考えなさいって――良いわ。教えてあげるわよ。耳をかっぽじってよく聞きなさい」カナデは炎の鳥を周囲に生成すると、それをヴィルナリアに向けて放つと同時に叫ぶ。「リリーは菜園の魔王! そして、今回の事件の首謀者はリリーと関係のある人物! そのリリーがそいつのところに行った! アルがあんたに教えなかったのは、そのクソ固い頭のあんたに気を遣ったからよ!」

 カナデが叫び終え、炎の鳥がヴィルナリアに当たる瞬間、池の水が湧き上がり、水のカーテンが出来あがり、炎が全て消えた。

 水の勢いが収まると、その中心に立つ不敵な笑みを浮かべていたヴィルナリアが笑い声を上げた。

「……カナデ、変なところ殴ってないよね?」アルフォースがびしょ濡れのヴィルナリアに近づき、心配していそうな顔で声をかける。「カナデが言った理由もあるけど、ヴィルは結構柔軟な対応出来る子だよ? 気にしちゃ駄目だよ? えっと、大丈夫?」

「……見くびるなよ?」ヴィルナリアがカナデを睨み上げ、剣を眼前に構えながら宣言する。「リリー殿が魔王だと聞いて、アルとおじい様の行動にも納得することが出来た。だが、俺がリリー殿にこの剣を振るうことはない。あの時、約束したんだ。今世で俺がリリー殿を裏切ることはない。一度交わした約束は違えん」

「暑苦しいわね」清々しい程に真っ直ぐな瞳で話すヴィルナリアにカナデは呆れを通り越し、羨ましいと感じたが、首を振り、炎の鳥を投げてぶつける。「行動で示しなさい。あんたが考えることが出来ないのはよくわかったわ。なら、その固い頭と違えないと言う意思。どうすれば良いか言わなくてもわかるでしょう?」

 ヴィルナリアが剣を水に戻すと、爆発音がした方向を指差した。

「リリー殿はあそこにいるんだな?」

「多分ね――って、あら?」カナデはふいに降ってきた三角帽子と普段着ている黒のローブに目を白黒させる。「僕の服じゃない」

「……」アルフォースが月の光が当たらない真っ黒な世界を指差し、その影に言葉を発する。「じいちゃんはインペリアルガードに何て指示を出したのさ?」

 影からぬるりと出てきた従者、初めてこの屋敷に来た時、カナデとリリーを案内した従者が頭を下げていた。

「……旦那様は、街を守る準備を――と、だけ」

「そう」

 爆発が起きた箇所から人の怒声などが聞こえることから、戦闘が始まっているのだろう。と、カナデは理解し、改めて従者を見る。騎士団長ほどの金持ちならば、密偵の一人や二人、飼っているだろうとは思っていたが、まさか従者だったとは――と、驚いた。

「これ、ありがとう。やっぱり魔法を使うならこの恰好じゃないとね」カナデはその場で帯を緩め、浴衣を地面に落とした。そして、服を着替え始め、三角帽子を深く被る。「雰囲気は大事よ?」

「カナデは雰囲気よりも羞恥心を大事にした方が良いと思うんだ」背中を向けていたアルフォースが苦笑交じりに言う。

「どうせ見ないのでしょう? なら、良いじゃない」

「そういう意味じゃ――まぁ良いや。俺も武器――」

「こちらに」

 従者の隣には金色に輝く大鎚があり、アルフォースがそれに近づくと持ち上げ、ポケットから硬貨を取り出したのが見える。

「複雑な魔法かしら? マナが多過ぎてどんな魔法か判断できないわね?」

 その大鎚と硬貨から確かに感じるマナ、先ほどヴィルナリアがやっていた魔法とは物が違うことにカナデはすぐに気が付いた。

「まぁねぇ」アルフォースがヴィルナリアと目配せをした後、硬貨を大鎚で空に向かって弾く。「ヴィル、カナデをお願いね。多分、その方がヴィルも戦いやすいでしょ?」

「そうだな、カナデがいれば『種』には困らん」ヴィルナリアが煙草を取り出すと、ゆっくりと煙を吸い込む。「カナデ、こっちに来い。走って行っては間に合わん」

「は? なら、どうやって――」

「少し熱いが我慢してくれ」途端に、ヴィルナリアの煙草の火種が轟々と音を鳴らし、大きな炎になった。そして、その炎を身体にも纏わせたヴィルナリアが小さく呟く。「我が紡ぐは焔の加護――炎は我が血潮、我が身体」

 炎が徐々に形作っていき、大剣とゆらゆらと靡く炎のような浴衣が生成された。そして、ヴィルナリアがカナデの腰をまるで大きな鞄を持つように持ち上げる。

「ちょっとぉ、もう少しマシな持ち方が――」

「それじゃあ、留守を頼むね」アルフォースは従者にそう言うと、短く息を吸い、呟く。「三千大千世界を渡る術――伝わりの魔法」

 アルフォースの身体が突然消え、カナデは吃驚した。しかし、すぐに視線を『上』に投げ、打ち上げられた硬貨にアルフォースが移動していることを理解する。

 空間転移魔法、カナデは行使出来る者をこの目で見たのは初めてで、知識で知っている範囲では莫大な魔力とマナと魔力のコントロールを要する扱いの難しい魔法と聞いたことがあり、アルフォース自身、ヴィルナリアとヴィルランドに負けず劣らずの才能を持っていることに多少嫉妬する。

「あんたたち、本当に兵士? 魔法使いになってもやっていけるわよ?」

「カナデが大魔法使いではないと言うのであれば、それは難しいぞ。俺たちは魔法を作り出す術を知らない」

「羨ましいわね。今度教えなさいよ」

「これが終わったら幾らでもな」

 抱き上げられたカナデは肩を竦めながらヴィルナリアに身体を預けた。しかし、自身の身体とヴィルナリアの腕が触れている箇所が徐々に熱くなってきており、身体を揺らす。

「カナデ、少しは落ち着いたらどうだ?」

「あんたのそれ、熱いのよ」

「我慢してくれ。と、言っただろう? では、行くぞ」

「行くって、どうやって――」疑問に思っていると、ヴィルナリアの足にマナが収束していることがわかり、嫌な予感を覚えつつ、カナデは身体に力を入れる。

「舌を噛むなよ」ヴィルナリアの足に集まっていたマナが爆ぜる。

 次の瞬間、地面を吹き飛ばしながら身体が浮き上がる。と、いうより、吹き飛ばされる感覚に近い物がカナデを襲った。

 空と地面に意識を引っ張られる感覚にカナデは頭を痛めながら、投げ出された空を眺める。そして、こんな目に遭わせた元凶であるリリーを恨みつつ、意識を手放さないように意識しながら、まん丸の月に向かって行く。




  【黄昏は忍び寄る】

「三番と五番は怪我人を! 六番と八番は救助! 七番は血気盛んな冒険者を纏めろ! 残りは敵の討伐じゃ!」

 ヴィルランドは自身の直属の部下であるインペリアルガードと兵士たちを合わせた混合部隊の指揮を執りながら、住民の救助と敵である『植物の生命体』を倒して歩いていた。

「これほど大規模とはのぉ」ヴィルランドは早めに準備をしておいた幸運を喜ぶのだが、思っていた以上の被害が街に出ており、表情を歪ませる。「ここはわしらの街じゃ! 何人たりとも壊すことは叶わん!」

 ヴィルランドがそう叫ぶと、近くにいたインペリアルガードが腹を抱えて笑っているのが見え、脳天に手刀を入れる。

 そのインペリアルガードには先ほど、王を守るように。と、指示したはずであり、ここにいることをヴィルランドは尋ねようとするのだが、その男の後ろからペタペタと走ってきた王を見て、頭を抱える。

「……王よ。ここは危険じゃぞ?」王を睨みながらヴィルランドは言う。

「ひゃぅ! あ、あぅ――」途端に涙目になる王が一歩後ろに下がったが、すぐに足を前に出し、ヴィルランドの目を真っ直ぐと見る。「ぼ、僕も守りたいの! 邪魔はしません! だ、だから――」

 精一杯なのだろう。王が涙を流しながら周りを見渡している。きっと憂いているのだろう。この街を本当に大事だと思っており、居ても立っても居られなくなった。だからこそ、震える身体に渇を入れ、この場に現れた。

 先ほどから笑いを堪えている男は、言動こそふざけているが、弁えており、ヴィルランドが信頼する部下の一人であるために、選択を間違えることはしないはずである。故に普段であるのならこんな場所に王を連れてくることなどしないはずなのだが。きっと王に泣き付かれ、意思を確認した上なのだろう。と、理解した。

「――先ほどの通り、お主には王を守ってもらう」

 男が鎧から覗く歯をニッと見せ笑い、王の背中を数回撫でたのが見えた。

「あ、ありがとうございます!」王が頭を下げた後、表情を引き締める。「状況は?」

 頭の切り替えが早くなった王に驚きつつ、ヴィルランドは感心する。今まで、戦場などを体験させたこともなかったが、このような切羽詰まった状況の方が成長できるのではないか。と、今後、王をどのように育てるかを考えたのだが、この状況をどうにかしなくてはならないことを思い出す。

「状況は見ての通りじゃ。街に満遍なく現れた植物の化け物の討伐と逃げ遅れた者の救助。その二つを並行して行い、可能であるのなら元凶を見つける」ヴィルランドは小剣を生成すると、それを目の前の植物に向かって投げた。すると、植物が燃え上がり、断末魔を上げたのを確認し、ため息を吐く。「すでに住宅街と門、それと商業区には部下を向かわせておる」

「工業区は――」

「あそこに人はおらんよ。物が壊れたのなら直せばよい。じゃが、人はそうもいかんじゃろ?」

 王が頷いており、それに満足するのだが、ヴィルランドはふと、家に置いてきたアルフォースとヴィルナリアのことが気になった。

 リリーが菜園の魔王であることは間違いなく、この状況をどう動くのかを考える。リリー自身、今回の事件とまったく関係がないのかもしれないのだが、何かが引っ掛かる。

 すると、どこからか視線を感じ、ヴィルランドは意識を建物の物影に向ける。

「……」

 背後で王が兵士に指示を出している声を聞きながら、ヴィルランドは気配がする場所に足を進める。しかし、そこには誰もおらず、頭を掻き、言葉を発する。

「そのままわしの背中を刺すかえ?」

「――まさか」ヴィルランドの背後に現れたアギトが喉を鳴らす。「意図的に背後を取らされたとはいえ、騎士団長の背中を見ることが出来るのは気分が良いものだな」

「わしの屋敷に飯を食いに来い。こんな背中で良いのなら幾らでも見せてやるぞい。風呂にでも一緒に入るかの?」

「冗談。じじいの裸を見て喜ぶ輩などいるものか」

「ムキムキマッチョじゃぞい」ヴィルランドは軽口を叩き、アギトを見ないように続ける。「わざわざわしの背中を見るために呼んだんじゃなかろう?」

「ああ――」アギトがヴィルランドに耳打ちをする。

「――ッ!」

 ヴィルランドの身体は自然と進むべき道へと動いた。驚いた表情の王と部下が見えたが、それどころではなく、ヴィルランドは工業区へ向かって駆けだした。



  【爆炎の楽園にようこそ】

 最初の爆発が起こった場所、工業区全体を覆っている植物のドーム。アルフォースは上空から、ヴィルナリアとカナデが立ち往生しているのを確認した。

「ヴィル、カナデ――」アルフォースは地面に向かって硬貨を打ち、地上へ転移する。「入れない?」

「ああ、この蔓、固くてな。俺の剣じゃ切れん」

「どうしようかなぁ――」

 アルフォースはそう言って思案顔を浮かべるのだが、カナデが前に出たことに気が付き、首を傾げる。

「カナデ?」

「こんなところで喋っていてもしょうがないでしょ。ちょっと待っていなさい」カナデが指を噛むと、流れ出た血で左手に魔法陣を描き始めた。そして、地面に血を垂らすと目を閉じ、大きく息を吸い、魔法の言葉を呟く。「オグ――ルリフォン――アンフ・リーピ――モルス・ルパルド!」

 焔の信仰を魔法の言葉に変え、その言葉を以って詠唱と成す。カナデが詠唱を続けている間中、出会った頃に飛ばした火の鳥とは違い、人間の大人ほどの大きさの鳥たちが放出されていた。

 カナデが目を開くと、その内の一体が覆っていた蔓に接触、炎をまき散らし四散、バラバラに飛んだ炎はすぐに鳥の形に成り、飛んで行く。

「え? ちょ、カナデ――」

「我が下僕たちよ。今よりここは劫火の楽園へと姿を変える! 焼いて焼いて焼き尽くせ!」カナデが手を振りかざすと同時に炎の鳥は四方から蔓へと向かい爆発を繰り返した。

「ちょっと! 中にリリーがいるかも――」

 切羽詰まったようにアルフォースは叫ぶのだが、どこからともなく「ひゃぁぁぁぁぁぁぁ!」と、気の抜けるような声が響いてきたことに気が付き、呆れた表情でカナデを見る。

「いるじゃない。さ、行くわよ」カナデが満足気に言い、そのまま焼き尽くされた蔓へ足を進める。

「鬼がおる……」

「おじい様もカナデは鬼だと言っていた」

 天下の騎士団長すら恐怖させるカナデに苦笑いを浮かべつつ、アルフォースは空に硬貨を打ち上げた。




  【道しるべはいつだって明るい】

 工業区へ足を踏み入れたヴィルナリア。アルフォースは上空におり、しばらく戻ってこないだろう。ふと、カナデが蔓の所々にある野菜をもぎ取っては食べており、アルフォースと並ぶくらいにマイペースな少女に肩を竦める。

「リリーの野菜はどこで食べても美味しいわね。食べる?」

「いらん」ヴィルナリアは目の前の蔓を剣で退かしつつ、進む。「ここは敵地だぞ? そんなことをしている間では――」

「ヴィル、リリーが出したと思われる蔓、野菜の生えた蔓は切れるわ。このドーム、リリーともう一人の作品が混在しているようね。この蔓を辿ればリリーがいるはずよ」

「……」

 敵を倒すことばかり考えていたヴィルナリアはカナデに言われるまで、そのことに気が付けなかった。そして、理解する。カナデもアルフォースと同じく自分を引っ張ってくれる側の人間であることを――。

「……何をすれば良い?」

「道を作りなさい。視界が悪過ぎるわ。ここは相手の術、作品の中なのよ? どこから攻撃が飛んできてもおかしくないわ」

「了解だ。カナデ、炎を出してくれないか? お前の魔法は魔力が多く、武器を作りやすい」

「はいはい。勝手に使いなさい」カナデが幾羽もの炎の鳥をヴィルナリアの周囲に動かすと、そのまま一歩下がる。「じゃ、お願いね」

「まかせろ――」ヴィルナリアは炎を手で握り潰すと、そこから剣を生成し、それを野菜が生えている蔓に向かって投げる。それを何度も繰り返し、目の前に道を作っていく。だが、いつまで経ってもリリーは見えず、舌打ちをすると、数羽を一度に掴み、大きな剣を生成する。「面倒だな。一気に行くぞ!」

 大剣は柄から炎を噴射し、止まることなく蔓を切って進んでいく。

すると、先の方からまたしても間の抜けた声が聞こえてくる。

「ひゃぁ! こ、今度は剣がぁ!」

「いたわね。さっさと連れ帰るわよ」カナデが先を進む。

 ヴィルナリアは頼もしいカナデの背中を眺めながら声のした場所を目指す。

そこは空洞になっており、大きな葉を目の前に生成しているリリーと人の形をした『何か』が対峙しており、ヴィルナリアは身体に力を込める。

 人の形をしているが、これがヘイルを殺した者なのだろうか? 禍々しさすら感じるその『男』の笑みにヴィルナリアはカナデを押し退け、前に立つ。

「ヴィルちゃんとカナデちゃんのせいかぁ!」リリーが手を振り回しながら文句を垂れる。「う~、大事な話をしてたのにぃ!」

「うるさいわね。リリー、こんな時間に家を出る不良娘はお仕置きよ?」カナデが男を指差し、リリーに尋ねる。「そいつ、喋るの?」

「……」

 黙ってしまったリリーを見るに、きっと言葉を交わしてはいなかったのだろう。ここに来るまでの間、今回の元凶をカナデに聞いた。あれはリリーの家族であり、錬金術師、辛いだろう。ヴィルナリアは兵士として、友としてリリーを不憫に思った。

「で、でも――」

「でもも何もないわ」カナデがリリーの叫び声に鬱陶しそうに手をヒラヒラさせ、リリーに対峙する男。バルドに視線を投げた。しかし、その姿は人と呼ぶにはあまりにも命を感じることが出来ず、四肢を植物に食われているような景色、カナデが額に皺を寄せて言い放つ。「あんた、それはマナと同化しているなんて言わないわよ。完全に食われているじゃないの。もう遅いかもだけど、戻って来られなくなるわよ?」

「……」

 バルドは何も答えず、その反応を見たカナデがリリーの近くに寄ろうとする。しかし、カナデが一歩を踏み出した刹那――。

「カナデ!」

 いくつもの蔓がカナデ目掛けて伸びてきたのである。ヴィルナリアは咄嗟に足を動かし、炎の刃でそれを受け止める。先ほどからもそうなのだが、この植物を燃やすには自身の魔法では火力が足りず、舌打ちをする。

 しかし、受け止めきれなかった蔓がカナデに向かってしまい、その蔓が彼女をドーム状に包んだ。

「バルド! 二人は関係ないでしょ! その蔓を早く解いて――」大きな葉の影から身体を出し、リリーが叫ぶ。

「うるっさいわね――」その蔓のドームの中から聞こえてくるカナデの声。すると、急激に周囲の温度が上がる。「僕は魔法使いよ!」

 パチパチと音が鳴ったと思った瞬間、轟々と火柱が上がり、蔓が灰に変わり、空を舞う。その中心に立つカナデが笑みを浮かべて三角帽子のつばを上に弾き、炎の鳥を生成した。

「植物は燃える物よ。そう習ってこなかったのかしら?」

 どれだけ蔓を燃やそうともバルドの猛攻は止まらず、それに合わせるようにカナデの攻撃も激しくなっていき、周辺には燃えた植物が散乱していた。

「いい加減学習しなさいよ――」

 先ほどとは違う植物。黒みがかった植物がカナデに伸びた時、リリーがハッとした表情を浮かべた。

「カナデちゃん! 駄目――」

「――ッ!」リリーの声を聞き、誰よりも速く、ヴィルナリアはその植物に反応する。

 カナデが植物に炎を当てた刹那、植物が赤く輝き、爆発を起こしたのである。地面を抉り、周りを囲っていた植物が吹き飛び、粉塵が空間を支配した。

 大きな葉で爆風を防いでいたリリーが葉から飛び出し、煙で見えなくなっているカナデが居た場所まで駆けると、前方に種を蒔き、その上から土を蒔いた。すると、植物が生え、蔓が幾重にも重なり、何重にも編まれた。

「カナデちゃん――」リリーが咳き込みながら腕を振って煙を晴らし、手探りでカナデを捜す。「壁――」

「僕の身体よ」青筋を立てながら腕を伸ばし、胸を触っているリリーの頬を摘まむカナデが悪態を吐く。「ったく、何だって言うのよ」

「よひゃっひゃぁ――」頬を摘ままれているリリーが涙声で安堵の息を漏らす。「けがひゃふぁい?」

「大丈夫よ。ヴィルが守ってくれたわ」カナデがリリーから手を離す。「ヴィルもありがとう」

「無茶をするな。リリー殿が反応してくれなかったのなら木端微塵になっていたぞ」ヴィルナリアは先ほどとは違い、薄い緑色の浴衣と一対の刃が歪曲している剣を持っており、それを地面に刺す。「しかし、とんでもない威力だな」

「そうそう、あれは何なのよ」

 確かに、バルドが攻撃に使っていたのは植物だった。しかし、その植物が炎に触れた時、赤く発光したと思うとその場が炎に包まれたのであった。

「えっと、あれは……元々、バリケードとか、立ち入り禁止な場所に張らせる予定だった火薬の特性を混ぜた植物なの。でも、あんな威力は――」リリーが顔を伏せ、まるで自分に咎があるように言う。「こんなことをするために、作ったんじゃないよぉ……」

「あんたのせいじゃないでしょ?」

「まったくその通りだ。道具や魔法は使う者がいて初めて成り立つ。作った者に咎はない」

「でも――」

 ヴィルナリアはカナデに肘で腹部を攻撃され、思い出す。その『間違った』使い方をしている者はリリーの家族なのである。気の利いたセリフが一切出来ないことに嫌悪感を抱きつつ、ヴィルナリアはふと、リリーの考えが知りたくなった。

「で? あんたはどうしたいのよ? 僕はそのバルドって奴のことを知らないし、リリーが帰ってくれば良いと思っているわ」

 カナデも気になっていたのか、これからのことをリリーに聞き、どのように進むかの選択を迫る。ヴィルナリアは、きっと自分ではそんなことを聞くことは出来ないだろう。と、思ったが、今は自分のことよりもこの二人を全力で守ることだけを考え、カナデとリリーの前に立ち、バルドがいるだろう場所に身体を向ける。

「あたしは――」

「言っておくけれど、元に戻すなんて無理よ。僕は錬金術師ではないけれど、あれがどういう状態かはわかるわ。あれは生きているわ。けれど、人ではない」

「……うん、わかってる」リリーが握り拳を作り、身体を震わせる。「――だけど、知りたいの! どうしてって!」

「そう。じゃぁ、決まりね。向こうが喋るまでボコボコにして話を聞いたら燃やしてやりましょう」

「もう少し、言い方ってものを――ッ!」

 ヴィルナリアは咄嗟にリリーとカナデを抱え、地面を蹴り、後方へ飛ぶ。そして、飛んだ直後、巨大な錐のように形の絡み合った植物が植物の盾を貫いた。

「嘘! あの葉っぱ、燃えるけど、結構な硬度だよ。それを――」リリーが驚愕の声を上げ、植物の発生源を探そうと蔓を辿って視線を向けた。すると、そこには完全に腕が植物になっているバルドの姿、リリーは唇を噛む。「何で、どうしてなの? バルドがあたしに教えてくれたんだよ! 人を超えることは許されない。人だからこそ、知識の中で最善を尽くせるって! 人以上の存在は人ではなくなるって! なのに――」

 リリーの悲痛な叫び。

 ヴィルナリアには、このバルドという男が何を考えているのかがわからなかった。家族だと聞いた。しかし、その家族であるリリーを泣かせ、挙句自身の全てを捨ててもその宝と対峙しているのである。家族であるのなら、この状況はあまりにもおかし過ぎるのである。

 ヴィルナリアは顔を歪ませるのだが、第二波――バルドの蔓がヴィルナリア目掛けて放たれたのである。先ほどよりも多いその蔓に、ヴィルナリアは地面に手を触れ、小さく呟く。すると、地面が盛り上がり、槍を生成する。その槍を手に持ち、地面に突き刺すと大地が隆起し、蔓を止めることが出来たのだが、ゴリゴリと削る音が聞こえてきており、長くは持たないだろう。と、何度も地面を盾にする魔法を行使する。

「リリー殿、長くは持たない。一度引くぞ――」

「何で……どうしてよぉ」リリーがその場に蹲り、何度も首を横に振る。

「リリー殿――」

「だぁもう! リリー行くわよ!」カナデがリリーの腕を持ち、無理矢理立たせようとするのだが、身長が足りず、引きずるような形で歩き出す。「話を聞きたいのでしょう? なら、そんなところで座ってんな! 僕はあいつのことは知らない。けれど、あんたを知っている。リリー言ったわよね? 友だちでいてって、僕が何て答えたか覚えている?」

「……うん」憔悴しきった顔でリリーが頷く。

「あんたがなんて言おうともあんたと一緒にいるし、進みたい道があるのなら協力だってする。けれど、立ち止まったあんたを待っている余裕も優しさも僕にはないの」カナデが荒い呼吸を繰り返しながら、リリーを安全な場所まで運ぼうとする。「あいつがあんたを泣かすっていうのなら、僕はあいつをボコボコにしてやるわ。それほど、僕はあんたのことを大事な友だちって思っている。だから、前を向きなさい! 僕を見なさい! あんたが迷ったらいくらでも照らしてあげるわ! そのための炎よ――」

 カナデが大量の炎を生成し、それをバルドの周辺に投げる。周囲は焼け焦げ、工業区を覆っていたドームに穴が空いたのだが、それでも尚続く蔓の攻撃にカナデの額には汗が浮かんでいた。

 ヴィルナリアはふっと、笑みをこぼすと反対側からリリーの腕を持ち、カナデの小さな頭を三角帽子の上から撫でる。

「……あによぉ?」

「いや――」ヴィルナリアはどこまでも目立つ真っ赤な髪と象徴とも言えるカナデの炎に『絶対』というイメージが湧いたことを笑い、上空に視線を向け、カナデに感嘆の声を上げる。「カナデは凄いな。本当に道を示してくれる。俺には出来ん。アルとおじい様が兵士にしていたいと言っていたのも頷ける」

「こんな時に何よ――」

「リリー殿」

「は、はい!」肩をビクつかせ、リリーが控えめにヴィルナリアとカナデを見る。

「俺たちは、君を守りたい。何があったのか、その事情はわからないが、それだけのためにここにいる。どうか、決断してくれ」

「……」黙りだったリリーの表情に色が入っていき、自分の足で立ち上がる。「ヴィルちゃん、カナデちゃん、ありがとう。うん、わかってる。もう戻れない――だから! その……」

「何でも言いなさい」

「……あたしに――バルドを止めるために協力してほしいの!」

 強い意志を感じた。リリーの色の籠った瞳に、ヴィルナリアは満足気に頷き、空を指差す。

「もう一人、協力を仰がなければならない者がいるだろう?」

「あんた、さっきから空ばかり見てどうしたのよ?」

「カナデが示してくれた道だ――」空高くに見える影、今は豆粒程度だが、段々と近づいて来ており、ヴィルナリアはカナデとリリーを抱え上げる。「来るぞ!」

「は? ちょっと、何が――」

 カナデの言葉を遮り、ヴィルナリアは二人を抱えたまま蔓を伝ってドームの上に出る。すると、影がすぐ傍まで迫ってきており、ヴィルナリアは風を掴み、またしても武具を変化させる。先ほど使っていた緑色の衣は風を纏い、空を飛ぶために翼と化す。

「わわ、ヴィルちゃん?」

「ちょっと、何か来るけど――」

 カナデがそう言うと同時に、空から金色の輝きを纏った影が降ってきたのである。

 その塊が地面に衝突する直前、下から硬貨が打ち上げられ、ヴィルナリアはその硬貨が浮いている場所まで急ぐ。

 轟音、ヴィルナリアが動き出したその時、先ほどまでいた場所を中心に地面がめくり上がり、木々や土を舞いあげた。

 そして、硬貨のある場所にアルフォースが湧いて出てきたことに安堵の息を漏らすヴィルナリアはすぐに足を彼に近づけた。

「まったく、無茶をするな」

「あはは。蔓が邪魔だったんだもん。ヴィル、ありがとね」アルフォースが人懐っこい笑みでニッと笑うと、呆然としているリリーを見る。「あ、リリーいた。もしまだ保護されてなかったら、大変なことになってたね?」

「ほ、ホントだよぉ!」リリーがヴィルナリアの腕の中で暴れ、アルフォースに文句を言う。「そのままだったら、あたし、粉砕されてたよぉ」

「ごめんごめんって――」

 ヴィルナリアは呆れたため息を吐き、アルフォースが工業区に空けた大きな窪まで降りた。




  【優しき決意と悲しき選択】

「それで、今はどんな状況?」アルフォースは空にいたために状況がわからず、それをカナデに尋ねる。「これで終わってれば早いんだけどね――」

 しかし、飛び散った植物が蠢いていることに気が付いたアルフォースは未だ晴れない砂塵を睨む。

「リリー殿」ヴィルナリアがリリーの背中を押す。

「……あの、アルちゃん」

「ん~?」

「バルドを止めるのを手伝ってほしいの」リリーが真っ直ぐと瞳を見つめる。「それで――どうして? って、聞かなくちゃならないの」

「……」

 その案自体は賛成である。しかし、それを聞いた時、リリーはどんな行動を取るのだろうか? もし、もし仮に、バルドの理由が納得できるものだった場合、リリーはきっと泣いてしまうだろう。本来なら、リリーを保護した時点で、この場から去らなければならないはずである。

「アル、俺からも頼む」悩んでいるアルフォースにヴィルナリアが頭を下げる。「俺はそのバルドという男を知らない。だが、リリー殿がそう言うのなら手伝ってやりたい」

「……ヴィルにまでそう言われちゃあなぁ」

 反対する理由が見つからない。もしも。を話したところで、リリーの意思は変わらないだろう。それで納得出来るのなら、そもそもここに一人では来ていなかっただろう。

 アルフォースは頷き、リリーの額を指で弾く。

「ヴィル、ちょっと手伝って。カナデはリリーをお願いね」

「おい、どうするつもりだ――」

「来るよ!」

 アルフォースは駆けだし、先ほど地面に叩きつけた大鎚まで急ぐ。すると、蠢いている植物が大鎚の辺りまで蔓を伸ばしていき、人の形を形成する。そして、バルドに身体が戻った時、大量の蔓と武器の形に変わっている植物を振りかざした。

「武器がないと戦えない! ヴィル、サポートお願い」

「まったく――」ヴィルナリアが槍を地面に突き刺し、アルフォースからバルドまで続く道に土の壁を走らせる。そして、すぐに風の武器を作り出し、風が纏われた剣を構える。「アル、乗れ!」

 飛び上がったアルフォースはヴィルナリアが剣を振った際に放たれた風の上に乗り、大鎚まで一直線に向かって行く。

 しかし、その風でバルドが怯むはずもなく、アルフォースに攻撃するのだが、壁で行動が制限されているバルドの攻撃は全てヴィルナリアに落とされた。

 ヴィルナリアの協力で大鎚を手に取ったアルフォースは硬貨をバルドがいる場所に飛ばし、転移するとそのまま大鎚を振るい、殴りつけた。しかし、地面に根を張っていたバルドは顔を半分潰されただけで、笑みを浮かべた。

「何でさ……あんたが言ったんだろ! リリーを泣かすなって、それなのに――」

「……アルくン。私はね、りリー=プりずナーだ――私ガ、私こそガホンモノの」

「何を言って――」

 アルフォースには理解出来なかった。本物の菜園の魔王は後ろで涙を浮かべている商人のはず。バルドはそれを一番近くで見ており、理解しているはずなのである。

「私はホンモノ――ダよ」バルドが継ぎ接ぎの言葉を、まるでアルフォースにだけ伝えたかったかのように微笑みを浮かべて、『自分がホンモノ』だと告げる。「菜園ノ魔王は冷酷で、か――かぞ……弟子を、簡単ニ裏切ル――決して、野菜ヲ売リ、人々に好カれるような女の子デはない」

「――ッ!」

 理解出来てしまった。間近でリリーを見ていたからこそ、家族だからこそ至った結論。アルフォースは歯を鳴らし、バルドを睨みつけた。

 バルドが何かが破れるような不快な音を出しながら、アルフォースに蔓を向けた。そして、うわ言のように「ワタしはマ王」と繰り返し、呟いた。

 襲い来る蔓をアルフォースは避け、背後で蔓を落としていたヴィルナリアと背中合わせになる。

「アル、今のは――バルドという者は」

「……ヴィル、今は考えないで――クソ」アルフォースは悪態を吐き、背後にいるリリーに視線を向ける。「もっと……手はあったでしょう?」

 きっと聞こえたのだろう。背後のリリーが身体を震わせているのがわかり、カナデが腕を掴んでいた。

 アルフォースは硬貨をリリーとカナデがいる場所まで打ち、ヴィルナリアを掴み、転移するのだが、その表情は涙を堪えていた。

「お願い! 離してカナデちゃん!」リリーが叫びながらカナデの手を振りほどこうとする。「お願いよぉ……行かせてよぉ」

「今のあんたを行かせられるわけないでしょう!」

「でも――」

「カナデ、離してあげて」アルフォースは出来るだけ感情を顔に出さないように、冷たく言う。「きっと、ここまでは攻撃してこない。もう、時間の問題だと思う」

 かろうじて意識が残っているのだろう。しかし、バルドには伝えなければならないこと、やらなくてはならないことがあるのである。およそ、バルドが思い描いている終着点は――アルフォースは表情を変えずに、拳を握る。

 だが、だからこそ……リリーに言わなくてはならないことがある。止めることの協力を申し出たリリー、しかし、その後について誰も言及しなかったのだろう。話を聞き、その後はどうするのか。カナデ辺りがそのことを話したのだと思ったが、きっとそういう雰囲気ではなかったのだろう。

 もし、言葉にしたのならきっとリリーは怒るだろう。しかし、これはバルドの願いであり、アルフォースはそれを自分の手で成したい。と、考えた。何故なら、今、一番リリーの近くにいるのはここにいる者たちであり、ヴィルナリアはきっと優しさで手が止まってしまい、カナデにはリリーを支えてもらわなくてはならない。ならば、自分以外の誰が言い、誰が行うのか、考えるまでもないのである。

「リリー、俺は――バルドを殺すよ」

「――ッ!」リリーの手がアルフォースの頬に打たれた。そして、ハッとした表情を浮かべ、大粒の涙をその瞳に宿す。「あ、ぅ――アルちゃん、ご、ごめん」

「それで良いよ――」

 覚悟など出来ていなかった。話の流れでは当然の結末であり、それを理解していなければならない。だが、それを言葉にしてしまえば、リリーは延々と傷つき、泣かなくてはならないのである。

 アルフォースはリリーを抱きしめ、背中を撫でる。そして、身体を離すとリリーの瞳に浮かんでいる大粒の涙を拭い、バルドの下まで歩き出す。

「……」ヴィルナリアが頭を下げ、アルフォースの後をついて行く。

「あんた、泣いているだけなのかしら?」カナデがリリーの背中に手を伸ばし、優しく押すと、リリーの顔を覗き込む。「さっきも言ったけれど、僕はあんたの友だちよ」

「……」リリーが頷き、そして、涙を堪えながら顔を上げる。「あたしは――」

 一歩を踏み出したリリーを振り返って見たアルフォースは息を吐く。

「強い子だな」ヴィルナリアが剣を何本も生成する。

「俺的には後ろに下がっていてくれた方が良かったと思うんだけどね」ウインクを投げ、アルフォースは腕を回す。「ヴィルも言っていたでしょ? 菜園の魔王は化け物だって」

 アルフォース、ヴィルナリア、カナデ、リリーの四人は横並びになって、バルド・プリズナー――菜園の魔王と対峙する。

「さて、それじゃあ始めますか」戦闘態勢に入った面々をアルフォースは頼もしく思い、バルドが描いた筋書き。物語を終わらせるために全身に魔力を滾らせる。

 このように真面目に戦闘をするのはいつぶりだろうか? と、溢れた笑みを眼前の脅威を認識することで抑える。

 魔王である彼のその意思は強く、そして優しく、哀れ。宝である家族が魔王であることを嘆き、そのために全てを擲ち、そこに立っている。ヴィルランドが話していたのはこういうことなのだろうか? いや、きっと違うだろう。バルドを否定しようとは思わない。けれど、これではあまりにも報われない。

 アルフォースは目を閉じ、大きく息を吸うと、伸びてきた蔓を大鎚で払い、硬貨を何枚も打ち上げる。そして、転移し、空に上がった硬貨を地面に向けて打ち、上空から蔓を叩きつけ、ヴィルナリア、カナデ、リリーに攻撃が届かないように動く。

「ヴィル! 残ったの、任せるね」

「ああ――」右手に風を込め、左手で土に触れるヴィルナリアがそれぞれのマナの武具を生成。そして、暴風を吹かし、蔓を吹き飛ばすと、土を隆起させ、壁を何重にも張る。「リリー殿!」

「うん!」ヴィルナリアの声にリリーが土の壁に種を蒔き、上からさらに土をかけると、ヴィルナリアが生成した壁に植物が巻き付き、強固な物へと変える。

「二人とも、良い盾よ。これで思う存分、魔法が放てるわ」カナデが先ほどドーム状の蔓に放った魔法の詠唱を始める。「炭火の上の鶏肉のように香ばしく焼かれなさい! 爆炎を用いて世界を焔色に変えろ! 『炭火上の焼き鳥(モルス・ルパルト!)』」

 モルス・ルパルトという言葉は炎に関係する神話に必ずと言って良い程出てくる言葉であり、粛清の炎という意味で使われたり、判決の炎であったりと人により様々な解釈がされているのだが、一般的には劫火の楽園という意味で使われており、その言葉の通り、カナデの行使した魔法は周辺を燃やしつくし、バルドから放たれた蔓をことごとく炭に変えていった。しかし、アルフォースはその格好良さそうな魔法も碌な意味ではないのだろう。と、肩を竦め、分裂した炎の鳥を一羽手に取る。

「カナデ、こいつちょっと貰うね」

「何をするのよ?」

「必殺技――」アルフォースは空中にいる状態で、カナデの炎を握り潰すと大量の魔力を込め、ヴィルナリアとヴィルランドがやっているようにマナの形を変えていく。そして、出来あがった物は歪な形の硬貨であり、それを手に持ち、ヴィルナリアの元へ転移する。「どう?」

「30点、形が歪過ぎる。お前は魔力を込め過ぎだ。もう少しバランスを大事にしろと言っているだろう?」

「む~、ヴィルは俺の生成魔法を褒めてくれたことないよね?」

「褒められるものではないからだ」

 アルフォースはヴィルナリアやヴィルランドのように武器を作ることは出来ない。しかし、唯一作ることが出来る馴染みのある形、ヴィルナリアにはまだまだだと言われるが、アルフォースはこの歪さが気に入っており、レイブンの家に半分足を突っ込んでいられるような錯覚を起こすことが出来る。

 血の繋がりはない。しかし、アルフォースの家族であるヴィルナリアとヴィルランド、それに従者の者たち。家族という者がいる日常。それは歪であり、確かな物。故に、アルフォースの魔法は歪でなければならない。そこに感じられ、誰かに愛された証。

 アルフォースはそっと目を閉じる。

 バルドは耐えられなかったのだろう。そして、守りたかった。救いたかった。幸せ以上を願ってしまった。それは、許されることではない。だが、だからこそ、アルフォースはバルドという者を、菜園の魔王という背景を記憶に刻み込みたかった。

「ヴィル! カナデ! 道を開いて!」

「任せろ!」

「道を焦土に変えるのは僕の十八番よ」

 ヴィルナリアの炎とカナデの炎がバルドの蔓をより一層激しく燃やす。次々と再生する植物だが、無限ではないらしく、徐々にその猛攻も失速し、十数本の蔓だけが残っていた。

 しかし、ヴィルナリアとカナデにも限界が近づいているのか、歯を食いしばり、カナデを守りながら剣を振るうヴィルナリアと魔法を止め、膝に手を置き、肩で息をするカナデがいた。

「アルフォース……早く、しなさい」

「十分だよ。二人ともありがと」

 空間転移の硬貨と歪な形の硬貨を宙に弾くアルフォース。大鎚を構え、硬貨に大鎚を思い切り打ちつけ、バルド目掛けて打ちだす。

 魔力の奔流が目に見えて、まるで川のように流れて進み、歪な形の硬貨は終焉を告げるかのような軌跡を描く。

 しかし、突然の地鳴り。バルドの足元から植物が生え出し、その身を守るために植物たちに意思があるかのように蠢き、硬貨を狙うのがわかる。

「マズ――」アルフォースは表情を歪め、すぐに転移しようとする。

「……」すると、リリーが首を振っており、ひどく歪んだ表情でその場に立つ。「バルド……教えてくれたよね」

 リリーの表情と行動、アルフォースは大鎚の頭だけを歪んだ硬貨がある場所まで転移させ、地面に叩き付ける準備をする。

「命を知るということは、命の殺し方も知ると言うこと」身体を震わせ、最後まで堪えた涙をまるで心に染み込ませるように言い放つ。「あたしに……枯らせない植物はないんだよ」

 バルドを守っていた鉄壁とも言える植物の壁。しかし、それは一瞬で萎れていき、黒く変色した命の残り香、残響がその場に響き、バルドの断末魔にも聞こえる不協和音を合図に、アルフォースは地面に硬貨を叩き付ける。

 その瞬間、硬貨に込められた大量の魔力が柱となって空へ伸び、バルドを覆い尽くした。




  【その真意は違えて】

 静寂。空に伸びた魔力は消え失せ、朧に見えていた月が顔を出し、日常通りの闇が夜を覆い隠していた。

 アルフォースはその場で腰を下ろし、荒い呼吸を繰り返しながら未だに舞っている粉塵を眺める。さすがに打ち止め。単発での火力は申し分ないのだが、まさに一撃必殺の魔法であり、魔力の消耗が激しい。

 大きく息を吸い、立ち上がると、アルフォースの下にヴィルナリア、カナデ、リリーが駆け寄ってきた。

「……」アルフォースは大鎚を叩きつけた感触を残しておきたく、握った拳に意識を向ける。

 しかし、粉塵が晴れた時、見える影にアルフォースは歯を食いしばりながら武器を構え、駆けだしてきた三人を前に出させないように、手で制す。

「……アルくン」姿を露わしたバルドの半身は消し飛んでおり、蠢く植物が力なく宙を泳いでいる。「面倒をカけたネ」

 植物がバルドの喉を模倣し、言葉を紡ぐ。どこか色の籠った瞳に、アルフォースは武器を収める。

「バルド……」

 初めて会った時も希薄だった色。しかし、どこか忘れられないキャラクターであり、アルフォースの頭には未だに昨日の出来事が何度も回想していた。

「……君と初めテ会ったノは公園ダったね。その時カら普通ではナイ気がシていたが、まさか、戦場デ出会うとはネ」

「リリーがここにいたからね。俺が来ないわけにはいかないでしょ?」アルフォースは力なく笑うのだが、表情が力むのがわかる。「バルドが――バルドがリリーを泣かすなって言ったんでしょ?」

「……そうダったネ。アルくン――」

「なぁに?」

「わたシは、私ハ――菜園ノ魔王にナれただろうカ?」蔓をアルフォースの手まで伸ばし、弱々しく掴む。「冷酷ナ魔王に――人々に討たれルべき魔王ニ……」

「……うん」アルフォースは伸びてきた蔓を握り返し、口を震わせて答える。「でも、冷酷ではなかったかな? 俺には優しさが見えたよ」

 バルドのことはまだほとんど何も知らない。だが、直感で良い友になれると思っていた。これから先の日常で笑いあい、冗談を言い合えるような日々を想像すらした。しかし、それは最早叶わない。ただ、頭の、記憶の中でしか存在出来ない。

「……許せることではない。だって、俺は兵士だもん。でも、俺は菜園の魔王――バルド=プリズナーを覚えていたい」

「君は……本当ニ優しい子だネ」バルドがアルフォースから蔓を離すと、視線をカナデに向ける。「お嬢さん」

「あんたは――」驚いた表情をカナデが浮かべる。「そう……あんたが」

「お嬢さんガ言っていタ通り、私ト君でハ別物だったよウだ」

「ええ、思い描く結末と理由がまったく違うもの。僕は人という括りの中で本物を目指すわ」

「そレが良い……リリーを守ってクれて、ありがトう」

「あの胸をもぐまでは離れないわよ。それに、あの子は僕の友だちよ。これからも泣かしつくしてやるわ」

 色のない笑みでバルドが笑ったように見えた。

 カナデとバルドの関係をアルフォースは知らないが、一言二言から察するに顔見知りらしく、色のない笑顔のバルドと正反対にカナデが顔を歪めていた。

「……最初から『本物』を目指しなさいよ」バルドから視線を外し、背中を向けたカナデが呟く。「そうすれば、こうはならなかったでしょう」

「そうカもしれなイ。だガ、我々錬金術師ヤ魔法使いが、そレを言ってハいけない。ダろう?」バルドが蔓をしならせ、それをアルフォースたちに向かって放つ。「さテ、そろソろフィナーレだ。アとはわたシが死んデ、幕が閉じル」

「バルド――」

 アルフォースとヴィルナリアが武器を構えた時には遅く、面々は蔓によって吹き飛ばされ、葉のクッションの上に落とされた。

 アルフォースはハッと息を飲み、バルドが一直線に見つめる場所に視線を向けた。

 認識――それによってあらゆる状況が変わる。なかったはずの物が突然現れたような違和感。吐きそうになるほどの巨大な存在感を認識し、初めてこの場所にいることに気が付く。

「じいちゃん」

 呟いた声はヴィルナリア、カナデ、リリーにも届き、全員が身体を震わせる。普段では見せることのない、戦場での騎士王――圧倒的な存在感に呼吸することすら身体が拒絶する。

「咎ヲ負うのハ、君たちデは駄目だ。リリーの友人デあり、支えてくれル君たちデは――」バルドが継ぎ接ぎではない『本当』を言葉にし、目の前の騎士王と対峙する。「わたシが、私こそがリリー=プリズナー。序列一位・魔狩りの英雄ヘイル=プリーシアを殺し、この街ニ災いをもたらしタ者――」




  【咎を負い、罰を受けるは本人次第】

「孫たちへの気遣い、感謝するぞい」

 アルフォースが上空から落下する攻撃を放ったことで居場所の特定は容易であり、その場に辿りついた時、目の前にいる菜園の魔王の真意を聞いた。そして、そのまま様子を窺っていたのだが、バルドが意識をヴィルランドの方に向けてきたことに気が付き、話が終わったことを覚った。

「孫――あア、なるほド、騎士団長ニは二人の孫がイると聞いタことがアるが、アルくンたちのことだったのカ」バルドが薄く笑い、周囲から飛び散った植物を身体に集めだす。「これモ因果――いヤ、罰か」

「馬鹿を言うでない。こんな因果があってたまるものか! 罰じゃと? ならば貴様を罰することが出来るのはこの世でリリーだけじゃ!」

 王であっても人を罰することなど出来ない。本人以外の与えた物など、所詮は紛いものであり、罰ではない。しかし、もし仮に、罰を与えられる者がいると言うのなら、それは罪を犯した者が罰だと認識出来る者だけなのである。

 バルドの場合、それに当てはまるのはリリーだけだろう。

「何故じゃ? お主には他に道があっただろうに。わしの孫が涙を流せるほどにお主を想っている。それほどまでにお主は出来た者ということじゃ。それなのに――」

「騎士王」ヴィルランドの言葉を遮り、バルドが植物で身体を模倣すると、柔らかな敵意を向ける。「あの子たチはリリーにトって必要ダ。私の愛おしイむす――むす……」

「シャキッとせんかい!」その一言を躊躇うバルドに、ヴィルランドは喝を投げる。「お主が躊躇おうとも、リリーは叫んでおるぞ。お主のことを――父であるバルドという人間を」

 バルドの背後ではリリーが何度も、何度も「お父さん!」と、流れる涙を堪えることなく叫んでおり、アルフォースが走りだそうとするリリーを掴んで押さえていた。

「あァ、良い、夜ダ――ニセモノを隠すにハ丁度良い」微笑むバルドが一度リリーに視線を向け、目を閉じるとヴィルランドに顔を向きなおし叫ぶ。「私こそガ、リリー=プリズナー! 冷酷非道の魔王!」

 覚悟を決めた者の顔、幾度となく出会った世界から嫌われた者の表情。ヴィルランドは最早、言葉は無意味と理解する。

「それが、お主の選んだ道なのじゃな……」ヴィルランドは一度目を閉じると、大きく息を吸い、騎士王として、騎士団長としてその言葉に答える。「インペリアルガード騎士団長、騎士王と呼ばれる我が剣! この剣はこの街――エルジャイムに仇を成す者を貫く凶刃。我こそが、菜園の魔王、リリー=プリズナーを討ち倒そう!」

 この世に運命という物があるというのなら、何故、幸せを選べない者が存在すると言うのだろうか? ただただ、世界に在りたい。世界で共に在りたいと願うだけなのに――ヴィルランドはリリーに視線を投げ、天を貫くような声量で言い放つ。

「リリーよ! わしを恨め! わしだけを――お主が恨むのはアルでもなく、ヴィルナリアでもなく、世界でもなく、ここにいる菜園の魔王でもなく! わしだけを恨め!」

 叫んだ刹那、ヴィルランドの背後には巨大な魔法陣が生成された。まるで、魔法陣が鞘の代わりのように巨大な剣の柄が顔を出していた。

 その魔法陣に臆することもなく、バルドが無数の蔓をヴィルランドに放つのだが、触れる直前には灰になってしまい、それでも尚、攻撃の手を緩めることはしない。

 ヴィルランドは灰に変わっていく蔓を見つめていた。しかし、バルドの叫びとともに放たれた最後の一撃、どんな高温にも耐える一本の蔓がヴィルランドの頬をかすめ、その頬から暖かい赤が流れた。

「……」ヴィルランドはその血を拭うと、フッと息を漏らす。「ここ数十年、わしに傷を与えた者はおらん。誇れ! わしに傷を与えたということ! わしに討たれると言うことを!」

 徐々に形を成す物。剣と言うにはあまりにも巨大で面で叩けば鎚にもなり、巨大な刃は大地をも両断しそうな鋭さで、ヴィルランドはその腕で柄を掴むと轟々いう音を立て、魔法陣から溢れる炎が姿を変えた。

 ヴィルランドは咆哮を上げ、その刃をバルドの真上から下ろした――。

「――――」バルドが口を動かし、その言葉を放つ。

 その言葉は聞こえなかったが、ヴィルランドはその口の動きから礼を言われたのだと確信し、世界に浸っていた。

 焔は全てを焼き払い、塵すら残さぬ熱量で、バルドであった者は空気に溶けて、風に舞い、ただ残った一つの花だけを残し、この世から消えて行った。

 ヴィルランドが息を吐き、周囲の空気共々風で流すと剣を収め、空を眺めた。少しの間、そこで呆けていると背中に走る衝撃、リリーが何度も背中を叩いていた。

「それで良い……わしはお主の仇じゃ、いくらでも傷つけるが良い――」

 しかし、リリーはヴィルランドの言葉に何度も首を横に振り、背中に抱きついたまま離さなかった。

「リリー?」

「……あたしは恨まない。誰も、バルドもおじいさんも、あたしが、あたしが弱いから――」

「それは違う」ヴィルランドはリリーの言葉を遮り、叱るような口調で言う。「守る者というのはいつでも勝手なんじゃよ。そこに守られる者は含まれていない、守られる者は当事者を恨むことしか出来んのじゃ。関わってもいないお主が自分を恨んでしまえば本末転倒じゃよ」

「でも――」

「お主は守られたんじゃ、わしを恨む権利はあっても、自分を恨む権利はどこにもないんじゃよ」ヴィルランドはその大きな手でリリーの頭を撫でると、視線を遠くに投げ、告げる。「リリーよ。わしは今からお主の家を壊しに行く。菜園の魔王がいたという証とニセモノの証を誰の目にも晒さないために、大事にしておった畑共々灰へと変えるつもりじゃ」

「……家もなくなっちゃうんだね」リリーが顔を伏せ、蚊の鳴くような声で呟いた。

「あぁ、じゃからの――」ヴィルランドはリリーの顔に合わせるように屈み、優しい声色で伝える。「どうか、わしの家で野菜を作ってはくれないかの? わしはお主から全てを奪う。代わりに全てを与えようと思う。勝手な話かもしれんが、菜園の魔王と勝手にした約束を自分勝手に果たさせてはくれんか?」

 勝手な約束、言葉を交わしてはいないが、きっとバルド――菜園の魔王はリリーが一人になることを望まない。故にヴィルランドはリリーが安らげる場所とリリーが一人にならない場所を提供しようと思った。

「屋敷にはアルフォースがいる。ヴィルナリアがいる。もちろん、カナデもいるじゃろう」ヴィルランドはアルフォース、ヴィルナリア、カナデに視線を向ける。「どうかこのじじいに、お主の居場所を作らせてはくれんかの?」

「あたしは――」

「お主にその名を捨てさせるわけにはいかん。じゃが、有事の際には枷になることもあろう。お主が良いのであれば、レイブンの名を使うと良い」

 ヴィルランドはそれだけを告げると歩き出す。これ以上、ここにいても仕方がなく、あとはリリーが選択するだけなのである。願わくは、明日も笑っていられるような日常を謳歌したい。と、ヴィルランドはそう願わずにはいられなかった。




  【明日へと向かい】

「リリー……」

 アルフォースに肩を叩かれたリリーは蹲り、世界でたった一つ残った欠片。バルドが残して逝った花を手で優しく包む。そして、自分が錬金術を始めた切っ掛けを思い出していた。

「昔ね……」リリーはポツリと呟く。「バルドが苗をくれたことがあるの。その時、まだあたしは『普通』で、毎日あの顔を見て泣いてたんだぁ。そんなあたしに錬金術とその苗をくれたの」

 昔を――何の根拠もなく、疑わずに幸せを謳歌していた遠い昔。ただそれだけで良かった。しかし、違えた。リリーは力なく笑い、残された花の周りの土を優しく掘り、その花を簡易錬金で使う釜の中に入れる。

「あたしが持っている物……これだけになっちゃった」リリーは笑みを浮かべ、涙を流す。

「リリーのば~か!」アルフォースがしゃがむと突然リリーの頬を摘まみ、涙目で頬を膨らませる。「俺たちがどうしてここにいるのか、もっとよく考えてよ」

「あふひゃん……」

 ここにいる面々、アルフォース、ヴィルナリア、カナデ。およそ知ってしまったのだろう。しかし、いつ? 一番付き合いが長いのはアルフォースだが、知った素振りを見たことがなく、この事件を通して知ったのだと予想する。だが、三人とも普段と変わらず接してくれており、『持っている物』に気が付き、また瞳を潤ませる。

「俺はさ、最初にリリーと出会って二日後くらいには菜園の魔王だって気が付いたけれど、そんなの関係なかった」アルフォースがリリーの頬から手を離すと、立ち上がり、照れたように頭を掻きながら歩き出す。「俺は、これからの話をリリーとしていきたいな。もちろん、みんなでね」

 リリーはアルフォースの背中をジッと見つめ、そんなに前から知っていたことに驚いたが、アルフォースの過去の言動から、確かにその気があったことを思い出し、小さくため息を吐く。

 アルフォースが動き出すと、ヴィルナリアもリリーに近づき、その後ろからカナデも追って動き出した。

「俺は魔王という者が絶対的な悪だと思っていた。しかし、リリー殿やバルド殿を見て、考えを改めなくてはならなくなった」ヴィルナリアがリリーの顔まで身体を屈め、普段、アルフォースに向けるような優しい笑みで言う。「バルド殿は優しい魔王だ。その娘であるリリー殿を裏切らないと宣言したのは俺の誇り。どうか、レイブンの家にまた来てくれ」

「あぁ~あ、ヴィルは堅いわね。今日は揉まないでいてあげるわ。でも、『明日』になった時は覚悟しておきなさい。僕のテクニックに枕を濡らしなさいよ」

 カナデに胸ではなく、頭を撫でられ、安堵の息を漏らすのだが、リリーは三人が歩き出したことに言いようのない不安を覚え、カラカラになった口で言葉を発しようとするが上手く声に出せず、手を振りながら、アルフォースとヴィルナリアの横腹をつつくカナデの三人を見る。

「――ぁって」

 新たに流れそうになる涙を堪え、一所懸命に笑顔を作りながら呼ぼうとするが届かず、ついには零してしまう涙。しかし、その拍子に、リリーはついに叫んでしまう。

「待って!」

 振り返ったアルフォース、ヴィルナリア、カナデの三人。きっと、今、自分の顔は真っ赤なのだろう。リリーは暖かくなる頬に安らぎを覚えながら、これが『本物』なのだと理解する。

「うみゅ――も、もう、足が動かないの! アルちゃんおんぶぅ!」

 静寂の夜に三つのため息が響いていた。

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