第二話 誰も彼もが追って追われて

「頭、痛いよぉ」アルフォースは頭を押さえながら、隣で訓練用の剣を振るうヴィルナリアに言う。「ねぇ、ヴィ~ル~?」

「……」

 しかし、そちらを見向きもせずにヴィルナリアが黙々と剣を振っており、アルフォースは膨れるのだが、今朝は訓練の時間であり、兵士数十人が城の中庭に集まり、己を鍛えているのである。

 そんな時間であるからか、無駄口を叩かないヴィルナリアが正解であるが、アルフォースは納得しておらず、気を紛らわせるために昨夜、新しく得た友人と飲み交わした酒の味を思い出す。

「う~ん?」ふと、アルフォースは城の連中が忙しない雰囲気にあることに気が付く。「な~んか、様子が。ねぇ、ヴィル」

「アル、真面目に訓練をしろ」

「いや、でも――お、丁度良いや」

 アルフォースの視線は中庭に通じる通路から出てきた老人と若い者に向けられた。

 一人はおどおどとしながら、青い顔で老人に声をかけており、もう一人の老人の身体は大きく、厳つい雰囲気を醸し出しながら、頭を抱えていた。

「お~い!」アルフォースはその二人に満面の笑顔で声をかける。「じいちゃ~ん――」

「おまっ!」

 ヴィルナリアの制止の声も無視し、アルフォースは二人の傍に駆けていく。

「む? おぉ~、アルではないか。最近家に帰っていないが、変わりはないかの」老人が纏っていた空気を緩和させ、優しげな笑みでアルフォースに手を振り返した。「どうかしたかの?」

「うん、ちょっとね」アルフォースは若い男に視線を向ける。「もっと、背筋を伸ばしなよね。『王様』」

 若い男はこの国、エルジェイムの王である。

「アルの言う通りじゃな。もっとシャンとせい」老人が王の背中を叩く。「話はまた後じゃ。お主は部屋に戻っておれ」

 ヘコヘコしながら、王が来た道を戻って行った。

「まったく。あ奴はああ見えて素質はあるんじゃが、自信がのぉ」

「しょうがないよ。先代にもっと学ぶことがあるはずだったのに、いきなり亡くなったんだもん。もっと時間をかけないとね」

「うむ、アルも支えてやってけれ。ところで」駆けてきたヴィルナリアを横目に、老人がアルフォースに尋ねる。「訓練中にどうしたんじゃ? わしの声が聞きたくなったかえ?」

「ううん」

「……そこは嘘でも『うん』と、頷いておくものじゃろう」肩を落とす老人。「して、どうしたんじゃ?」

「えっとね、何か城が騒がし――」

「この馬鹿者!」ヴィルナリアが、アルフォースの額に向かって指を弾く。

「いた~い!」ペチン。と、小気味の良い音を鳴らすアルフォースの額。「なにすんだよ~」

「デコピンだ! 訓練に戻るぞ。騎士団長殿、申し訳ございません」

「良い良い、アルほどでなくても良いが、お主もわしに抱きついてくれても良いんじゃぞ?」

「騎士団長殿、今は勤務中であります」

「……孫と会話するのも駄目なのかぇ?」苦笑いの老人。「アル、ヴィルナリアはわしのことが嫌いらしい」

 エルジェイムの兵士、その上位にある王を守る兵士の精鋭、インペリアルガード。この老人はそのインペリアルガード最高責任者にして、全兵士の尊敬であり、アルフォースとヴィルナリアの祖父、ヴィルランド=ロイ・レイブン。

「ヴィルは真面目だから」

「わしに似てのぉ」

「……騎士団長殿、他の兵に示しがつきません。もう少し、威厳を」アルフォースの手を引くヴィルナリア。

「ま、待って。じいちゃんに聞きたいことがあるんだって!」

「今じゃなくても良いだろう」

「駄目駄目、気になって訓練にも集中出来ないよ」

「……それはいつもだろう?」

「むぅ」アルフォースは頬を膨らまし、そっぽ向く。

「まぁ、良いではないか。アル、言ってみなさい」

「さすがじいちゃん。あのね」ヴィルナリアの手を振りほどき、ヴィルランドに聞く。「何か城が騒がしくない?」

「……相変わらず、目敏いのぉ。なに、大したことはない。ちょいと『植物駆除』をの」

 ヴィルランドの表情が険しくなり、街の外を睨んでおり、アルフォースは思案顔を浮かべる。騎士団長であるヴィルランドにここまでの顔をさせ、植物駆除だと言った。そして周囲の、特に上層、兵士ではなくインペリアルガードと政治に関わる人々の雰囲気、王の青い顔、アルフォースは合点がいき、頷く。

「あ、今のでピンときた」アルフォースは手を叩き、ヴィルランドに言う。「勇者が――」

「アル、ヴィルナリア、わしの部屋に来なさい」アルフォースの言葉を遮り、ヴィルランドがピシャりと言い放った。

「は、はい!」ヴィルナリアが肩を一度跳ねさせ、返事をした。

 言葉を発さずに歩みを進めるヴィルランド。アルフォースはヴィルナリアと同じようにその背中について行くのだが、通りすがる人々の額には脂汗が浮かんでおり、一瞬、首を傾げる。

 しかし、ヴィルランドの背中越しに覚える威圧感。およそ、ヴィルランドが前方を睨んでいるのだろう。と、アルフォースは予想する。

 ある程度、城の中を進むとヴィルランドが部屋の扉を開け、入るように言う。

「……」扉を閉めたヴィルランドがため息を吐き、部屋にあるソファーに深く腰を下ろす。「ふむ、アル、せっかく周りには内緒にしておるのに、大きな声で言ってはいかんぞい?」

「ん~? だって、ああでも言わないと何があったか教えてくれないでしょ?」

「……アルに隠し事は出来んのぉ」

「当然でしょ?」アルフォースはヴィルランドの手を引き、ソファーに横にさせ、背中に乗る。「マッサージしてあげる。じいちゃん、仕事を理由に碌に休んでないでしょ? 俺の体調がちょっとでも悪いと休めって言うのにね」

「孫の心配をしているだけじゃも~ん」

 アルフォースはヴィルランドの背中を揉む。すると、気持ちの良さそうな声を出すヴィルランドにアルフォースは子どもらしい笑顔で、マッサージを続ける。

「アルのマッサージがこの世で一番気持ち良いのぉ~」ヴィルランドが緩みきった表情で言い、ヴィルナリアに視線を向ける。「ヴィルナリアは顔のマッサージしてもらったらどうじゃ? いつまでもそんな仏頂面じゃと、年を取った時に皺だらけの顔になるぞい?」

「ここは城の中ですし、『私』たちは勤務中であります」

「……お主がわしに似て真面目なのは喜ばしいことじゃが、多忙な年寄りには、お前たちの笑顔が何よりも嬉しいんじゃよ」ヴィルランドがヴィルナリアを手招き、その大きな手で頭を撫でる。「例え、そこがわしの勤め先だろうがの」

「私が真面目にしていないと、アルのためにならないのですよ」ヴィルナリアが柔らかい笑みを浮かべる。「それに、おじい様は『俺』と違ってアルに甘いですから」

 兵士であるヴィルナリアとヴィルランドの孫であるヴィルナリアを使い分けるヴィルナリアを見て、アルフォースはクスりと声を漏らした。

 アルフォースとヴィルナリア、二人はヴィルランドを尊敬しており、兵士としてもそうだが、育ててくれた『親』としても、誰よりも想っている。

「わしと違って甘い。とはよく言うわい。まぁ、アルのためにならないのなら、仕方がないのぉ」

「ええ、仕方のないことです」ヴィルナリアが小さく笑った後、表情を険しくさせ、ヴィルランドに尋ねる。「それで、ご用はなんでしょうか?」

「ふむ……アル、何故城が騒がしかったか、言ってみい」

「う~んとね」アルフォースは全体重を乗せてヴィルランドの腰を揉みながら言う。「勇者、序列一位の勇者が死んだんでしょ? しかも、犯人は推定、菜園の魔王。およそ、勇者が泊まっていた部屋が植物だらけだったとかそんなんでしょ?」

「何、ちょっと待て。つまり、今この街には魔王がいると言うことか?」声を荒げ、飛び上がるように立ち上がったヴィルナリア。

「ヴィルナリア、落ち着きなさい」

「し、しかし――」

「アル、お主の予知にも近いその思考。何故、犯人は推定なんじゃ?」

「ふぇ! え? あ~、えっと……」アルフォースは見えもしないヴィルランドの顔から視線を逸らし、口ごもる。「じ、じいちゃんたちは犯人を決めつけていたのかぁ~、勘が外れちゃったにゃぁ」

「……」ヴィルランドが小さく息を吐く。「まぁ良いじゃろう。インペリアルガードはこの街に潜んでいるじゃろう菜園の魔王を捜索するつもりなのじゃが、二人も行くかの?」

「――ッ! は、はい! もちろん――」ヴィルナリアが興奮気味に返事をしようとする。

 が、それをアルフォースは手で制す。「ごめ~ん、俺たちじゃ荷が重そうだから、今回は止めとくにゃぁ」

「アル?」

「それとさ、勇者っていつ死んだの?」ヴィルランドの腰に手を添えながら、アルフォースは猫なで声で尋ねた。

「……しょうがないのぉ。他には言うでないぞ?」

「うん、じいちゃんありがと」

 どこか疑っているような声色のヴィルランドに、アルフォースは冷や汗を掻く。確証があるわけでも確信しているわけでもない。ただ、そうなのだ。と、予想しているだけなのである。しかし、1%でもその確率があるのなら、アルフォースは誰にも覚られず、この状況を調べなければならないと考えた。だからこそ、それをヴィルナリアとヴィルランドに知られてはならない。もっとも、ヴィルランドの方は長年の勘なのか、『親』だからなのかはわからないが、見透かされているようにも感じ、アルフォースは敵わないな。と、思った。

「勇者は、日を跨いだ頃に殺されたそうじゃ。前の時間まで一緒におった女たちが、その時間辺りまで遊んでいた。と、証言しておる」

「……ふ~ん。うん、ありがと」アルフォースはマッサージの手を止める。「さて、それじゃあ俺たちはそろそろ行くね。見回りがてら買い物に行ってくるよん」

「――? アル、お前の口から見回るなど、一体どうしたんだ? 熱でもあるんじゃないか?」ヴィルナリアの手がアルフォースの額に伸びる。「相変わらず体温は高いが、熱はないようだな」

「ねぇ……ヴィ~ル~?」アルフォースはヴィルナリアを半目で睨む。「俺のこと、何だと思ってるのかなぁ?」

「今までの行ないを振り返ってみれば、わかるだろう?」

「む~。あ、そだ!」アルフォースはヴィルランドの背中から下りると、ヴィルランドと視線を合わせるために移動する。「ねぇじいちゃん、今日、新しく出来た友だちを家に連れてきても良い?」

「む? 新しい友だちとな。良い良い、その者には自分の家のようにくつろぐように言うと良い。それと、ぜひ、わしにも紹介しておくれ」

「うん! じいちゃんもきっと気に入るよ」

 今日はカナデが来る日である。昨日、言っていたように、アルフォースとヴィルナリアが住む家には書庫があり、カナデが喜びそうな魔法書も数多くある。アルフォースはそれを自慢したい心半分とニセモノと言ったカナデのために、ぜひ読んで勉強してもらいたい。の、半分で、今日を楽しみにしていた。

 そして、出来れば昨日のように食事を一緒にして楽しみたいとも考えており、市場に寄り、食材も買って行こうと計画を立てる。

「それじゃあじいちゃん。また『今度』ねぇ」

「む? う~む――うむ、またのぉ」

 アルフォースはヴィルナリアの手を引き、ヴィルランドの部屋から出た。



  【魔法使いの礼装、伝統】

「ああもう! 誰かの家に行くのなんて久々だから、服なんかないわよ!」カナデは自宅にあるタンスの中から服を床に投げている。「こんなに少なかったかしら? って、虫に食われている!」

 昨日出会ったおかしな二人。アルフォースとヴィルナリア。その二人の内の一人、アルフォースの挑発を受けるような形で、彼らの自宅へ行くことを約束してしまい、こうして着ていく服に頭を悩ませているのである。

 しかも、二人は騎士団長、ヴィルランド=ロイ・レイブンの孫だと言うのである。

 騎士団長と言えば、先代、先々代の王が信頼を寄せていた古株、先代の王が突然亡くなったため、その息子である者が王位を継承しているのだが、周りからの評価は低く、大うつけや無能などと言われている中、その権威が未だに健在なのは、その騎士団長のおかげとも言われているのである。

 そんなこの国の大御所である騎士団長の家にお呼ばれすれば、誰だって疑うであろう。カナデは昨日の約束を後悔していた。

「……でも、行かないわけにはいかないし」

 本当かもしれない。それならば、こんなチャンスは二度と訪れないだろう。しかし、からかわれているだけかもしれない。二人の表情にそんな気は一切なかったが、如何せん、接した時間が短すぎ、信頼するには足らない。

 嘘と真で揺れ動く心に、カナデは服を漁る手を止めた。

 だが、ふと、カナデの頭にアルフォースの挑発的な表情が浮かぶ。他人を小馬鹿にしたような、それでいて自分がその誘いに乗ることを確信しているような余裕面。故に、それを反故にすることで、あの表情で笑うアルフォースを思い浮かべてしまい、カナデは青筋を立て、口角を吊り上げた。

「ああもう! 考えても無駄ね! 良いわ、乗ってやろうじゃない!」カナデは止めていた手を先ほどより激しく動かし、服を選びだす。「嘘だったら見つけてぶっ殺す!」

 結局、『金持ちの家』に行くような服は見つからず、カナデは『魔法使いの正装』で行くことに決めた。

 今着ている服を脱ぎ、黒い線が入った白地のボタン付きのシャツに黒のスカート、上からローブを羽織り、大きな三角帽子を被るカナデ。

「良し、完璧。これなら問題ないでしょ」

 カナデは身一つで家を出ると、今日は天気が良いからか、日の光に眉を顰める。

 昨夜、アルフォースたちに家の場所を聞き忘れていたのだが、兵士や城に勤めている人は城付近の兵士専用の住宅街に住んでいるとカナデは聞いたことがあり、その場所を目指そうと考えたが、貧民街から城まではそこそこ距離があり、金のないカナデには徒歩で行くしかなかった。

 しかも、日差しが強く、真っ黒な服をチョイスしたカナデはさっそく自分の選択を後悔する。

 しかし、ウダウダ考えてもどうにもならないと思い、散歩気分で普段、食材探しに出かける感覚で歩き出した。

「あっちの方まで行くのは久しぶりねぇ」通りすがる人々に物珍しそうな視線を向けられ、舌打ちをするカナデ。「ったく、見世物じゃないわよ」

 人の目が鬱陶しくはあるが、カナデはそれを避けはせず、通りの真ん中を我が物顔で歩く。

 ふと、騒がしく鳴る足音に気が付き、カナデは視線をその音のする方に向けると、身体に走る衝撃にバランスを崩し、尻餅をついてしまった。

「ちょっと、どこ見て――」

「あ? って、テメェは昨日の!」

「あんたたちは――」

 カナデは走ってきた『二人組』に見覚えがあった。あまり出会いたくはない顔、二度と相まみえたくない顔。それは、ヘイル=プリーシアの仲間であった。カナデは人から機嫌が悪いと瞬時にわかるような顔を浮かべ、その二人に対して、嫌悪感を露わにした。

「もうあんたたちになんて用はないわよ。不愉快だから消えてちょうだい――ッ!」

「テメェがやったのか!」男の一人がカナデの胸倉を掴み、手に持った剣を向けてきた。

「は? 意味わかんないわよ。いきなり喧嘩売るなんて勇者一行って言うのもそこらのチンピラと変わらないわね」強気の表情で、カナデは男の手を掴み、手に魔力を込め、熱を発する。「謝ったって遅いんだから!」

「あんだとコラぁ――」

「おい、止めろ!」もう一人の人ならざる男――獣のような耳を生やした男が、人間の男を羽交い締めにする。「悪かったな嬢ちゃん、ちょっと気が立ってんだ。許してくれや」

「ハッ! 許すって、僕はあんたのお仲間にイラついてんのよ」

「……嬢ちゃん、運が良かったぜ。あそこでヘイルに気に入られなくてな」

「は? どういう――」

「スマン、急いでんだ。心配すんな、俺たちはもう二度とこの街には来ねぇよ」

『獣族』の男が、カナデの頭を撫でて走っていき、それについて行くように人間の男が舌打ちをした後、駆けて行ってしまった。

「……何なのよ?」

 ヘイルの仲間である二人が、何かに怯えているような表情を浮かべていたことが気になったカナデは首を傾げ、二人が走って行った方向を眺めた。



  【あるがままの過程を結論だと話す】

「おい、アル」

城から出て、アルフォースに引きずられるようにしてエルジェイムの入り口である門に連れてこられたヴィルナリア。

「いい加減、さっきのおじい様とのやり取りの真意を教えてくれないか?」

「……」沈黙のアルフォースが立ち止まったと思うと、ヴィルナリアの袖を控えめに引っ張り、見上げてきながら言う。「ねぇ、ヴィル」

「うん?」

「俺と、俺の勘、信じてくれる?」

「……」

 アルフォースの揺れ動く瞳に、ヴィルナリアは頭を掻く。今さらではないだろうか? ヴィルナリアは思った。アルフォースと一緒に生活をしてきて十数年、その一度でも、ヴィルナリアはアルフォースを疑うことはしなかった。荒唐無稽な言動も多いが、結果的にヴィルナリアは自身が求める『結末』に辿りついた。それは、アルフォースの物事を考えられる頭と先を見据える目、予知にも近い第六感からなる絶対的な『信用』そうやって共に育ってきたアルフォースを今さら『疑う』ことはしない。もっとも、それは『本気』の信頼であり、それ以外の体調が悪いや一緒に屋敷を出たはずなのに遅刻してきた言い訳を指しているわけではない。と、ヴィルナリアは小さく笑う。

「俺がお前を信じないことがあったか?」

「ううん!」ニッと、花が咲いたような笑みを浮かべるアルフォース。

「それで? これからどうするんだ?」

「えっとねぇ……あ、ごめんくださ~い」

 ヴィルナリアは首を傾げながら、アルフォースの行動を見ていると、アルフォースが街の門にある詰め所に入って行った。

 その詰め所はヴィルナリアとアルフォースの二人とは違う管轄の兵士がおり、基本的に出入りする者たちを記録している。ヴィルナリアはこの詰め所にアルフォースが訪れるような知り合いがいただろうか? と、疑問に思い、後を着いて中に入る。

「おや、確か、君たちはルビー君に騎士団長のところの」対応してくれたのはヴィルナリアより年上の兵士。「何か用かな?」

「うん、あのね」アルフォースがその兵士に尋ねる。「昨日、リリーと遅くまで話しこんじゃって、ちゃんと帰れたか確認したいんだけど」

「リリー? ああ、あの野菜売りの」兵士が手を叩き、頷く。「うん、いつも通り、夕方には帰っていたよ」

「そっか、なら良かったよん」

「確か、ルビー君と彼女は仲が良かったね」

「うん! 仲良しだよ」

「うむ、それなら問題ないかな」兵士が窓から見える門を見ながら言う。「今日は『開けられない』から、彼女、泊まれる場所があるか心配だったんだよ」

「にゃ? どういうこと?」

「おや、聞いていないのかい? 今日一日、この門から誰も出さない、入れないって通達があってね」

「え? そうなの。って、当然か……」アルフォースが顎に人差し指を添え、思案顔を浮かべた。

「ん? 何か知っているのかい? 私たちは何も聞いていなくてね」

「あ、えっと」ヴィルナリアに助けを求めるように視線を向けてくるアルフォース。

「いや、大したことではない」ヴィルナリアは表情を引き締める。「ただ、騎士団長殿がそう指示された」

「え? 騎士団長が。むぅ、なら、間違いはない、か」

 これが国主体の指示であるのなら疑われていただろう。しかし、騎士団長、ヴィルランド=ロイ・レイブンの指示であるのなら、誰も疑いはしない。それほどまでにヴィルランドの権威というものは大きいのである。しかも、それを孫であるヴィルナリアが伝えに来たと言うのであれば、信憑性もある。ヴィルナリアは偉大な祖父を持ったことを誇らしく思った。

「う~ん、いきなりだったからね」

「それほどまでに急を要するということなのだろう。私自身、兵士の身である故に多くは伝えられていない。だが、いつかインペリアルガードまで上り詰めた時、他の兵士が不安にならないように、伝達の速度を上げるように進言する。約束しよう」

「アハハ、さすが期待の兵士だ。騎士団長殿もヴィルナリア君のようなお孫さんを持てて幸せだね」

「いや、まだまだ修行不足の身であるよ」ヴィルナリアは苦笑いを浮かべた後、姿勢を正す。「時期、知らせが来るだろう。それまで、ここの門の守り、頼みます。何かあれば、すぐに私たちも駆けつける」

「うんうん、任せておくれよ」

 ヴィルナリアはアルフォースが大袈裟に兵士に手を振るのを眺めた後、頭を下げ、詰め所から出る。そして、アルフォースの言動に違和感を覚える。

「なぁアル、どうしてリリー殿のことを聞いたんだ?」

「んぅ~? えっと……」バツの悪そうな表情を浮かべるアルフォース。「えっと、まだ確証がないから、もうちょっと待ってくれると嬉しいかな」

「……わかった」

「ヴィル、ありがと」

 アルフォースが何を思って行動しているかを汲みきれていないヴィルナリアは、いずれ話してくれるのを楽しみに思い、その頭を撫でる。

「それで? これからどうするんだ?」

「う~、うん? えっと、晩御飯の買い出しとお菓子買って行こうかなって」

「カナデ用か?」

「うん、多分お昼くらいに来ると思うから、軽く食べられる物とね」そう言うアルフォースの足は市場の方角を向いていた。

「そうか」ヴィルナリアは馬車を止め、アルフォースに乗るように促す。「リリー殿のところにも行くのだろう? 早く行くぞ」

「ヴィルが野菜食べてくれるのは嬉しいねぇ」ニヤニヤと笑みを浮かべるアルフォース。

「は? いや! ち、ちが――」ヴィルナリアは焦り、否定した後、咳払いを一つする。「今日、リリー殿を泊めるつもりなのだろう? 商人同士のやり取りで知っているとは思うが、街から出られないことを伝えるべきだろう? ならば、早い方が良いだろう」

口元を押さえ、小さく笑うアルフォースにヴィルナリアは照れた笑みを見せ、馬車に乗り込む。

 ヴィルナリアは運転手に行き先を告げ、馬車のソファーに深く腰を下ろし、大きく息を吸い、目を閉じる。ふとヴィルナリアは、窓を開けて、身体を乗り出し、外を眺めているアルフォースを見る。

 楽しそうに街を眺めている。十年以上この街に住んでいて、まだそのような輝いた瞳を向けられるのか。と、ヴィルナリアは感心し、同時に馬車に乗ってすぐに視界を自分の世界に向けてしまったことを恥じる。

「う~ん? ヴィル?」

 ヴィルナリアはアルフォースの頭に手を置き、その手に顎を乗せ、アルフォースと同じ視点で街を見る。「何か見えるのか?」

「んぅ~ん? そうだなぁ」アルフォースが、果物の乗った台車を引いている老婆を指差す。「あのおばあちゃん、この間、足を痛めちゃって、一週間程お店を休んでいたんだけど、もう大丈夫みたい」

「そうか……ん?」

 ヴィルナリアは何故アルフォースがそのようなことを知っているのかを疑問に思う。この場所、門から近いからか、冒険者と勇者などの別の場所から来た者たち用の武器や道具が売っている店と宿屋が多く、基本的には門の詰め所、それと冒険者たちと仲の良い兵士が見回っており、アルフォースはこの場所を見回るようには言われていない。

 しかし、理由はわかっている。昼過ぎにならなければ現れないが、この場所には和心がある。それ自体は普段通りであり、最早叱る気はヴィルナリアにはない。だが、何故このような疑問を抱くのかと言うと。

 昨日、ここにアルフォースが逃げてきた以外、一週間の間で、アルフォースがこの場所に来たことをヴィルナリアは知らないからである。

 普段からアルフォースを追いかけており、その度に捕まえるヴィルナリア。そして、ここ一週間でアルフォースが逃げたのは『昨日だけ』であり、それ以外は手に縄をかけて引っ張り、城まで連れて行った。

 ならば何故、アルフォースはこの場所の一週間の変化に気が付けたのか。簡単なことである。ヴィルナリアがいない隙に逃げ出し、この場所でサボっていたのだろう。そして、その一瞬の隙というのが、インペリアルガードによる『兵士とは何か?』と、いうキャッチフレーズの講義があった時である。

 ヴィルナリアはその時間、ヴィルランドに頼まれ、雑用をこなしていた。まさか、上司と言っても過言ではないインペリアルガードの講義をサボることはしないだろう。と、高を括っていたのが間違いだった。その時間しか、ヴィルナリアはアルフォースから目を離しておらず、それ以外は考えられないのである。

「……アル、お前はよく街を見ているな」ヴィルナリアはアルフォースの頭を揉みながら言う。「良い心がけだ。良い気分でこの街を見ていたのか?」

「そりゃあもう! だって、サボ――」アルフォースが視線をヴィルナリアからサッと逸らす。「俺は兵士だもん!」

「……この流れでよくそう舌が回るな?」ヴィルナリアは呆れを通り越し、苦笑いを浮かべる。「まぁ、良いだろう。終わった話だ」

「あぅ……」

 ヴィルナリアは一度アルフォースの額を指で弾いただけでこの話を終え、馬車の中から見える景色で、そろそろ市場に辿りつくことを察した。

「アル、そろそろ着くぞ」

「うん。リリー、来てくれるかなぁ?」

「それは大丈夫だろう。そもそも、今日はもう宿屋も一杯だろう」

 今は昼近く、この街に来ている商人や旅行者、それらほとんどに通達されているだろうから、今ごろ、宿屋はてんてこ舞いであろう。

 ヴィルナリアはリリー=プリズナーという者の所為で、これほどまでに迷惑している人々を思い、同時に魔王に対する憎しみを強くした。

 そこでふと、何度もその名前を呼んでいることに気が付く。

「……ん、リリー?」

 呟いた声はアルフォースには届いておらず、相変わらず、外を眺めていた。

 同じような名前を何度も聞くようになったのは偶然だろうか? ヴィルナリアは思案顔を浮かべる。しかし、すぐに思い至り、フンっと、鼻を鳴らした。

 そもそも、ヴィルナリアは菜園の魔王の名前が『リリー=プリズナー』であるのも疑っており、存在自体が胡散臭いと思っているのである。そして、何よりも、彼女が『菜園の魔王でないと知っている』

「ん~ぅ? ヴィル、どうかした?」

「ん? いや、我ながら馬鹿なことを考えていただけだ」

「ふ~ん……」

 馬車が停まり、目的地に到着したと運転手が言った。ヴィルナリアは料金を支払い、駆けだそうとするアルフォースの襟を掴んだ。

 馬車を降りてすぐ、幼いような、それでいて間延びした声が聞こえ、ヴィルナリアはアルフォースを宙ぶらりんにして運ぶ。

 ヤオヨロズ、昨日とは違い、リリーは髪を下ろし、三角頭巾を被りながら接客していた。

「リリー、やっほぉ!」

「みゅ? おんやぁ、アルちゃんでねぇがぁ――」

「標準語」

「むぅ……」

 膨れるリリーの頬を摘まむアルフォース。すると、そんな光景を見たからなのだろうか、周囲の空気が和らいだ。元から、緩んでいたが、周囲の人々がアルフォースとリリーに向ける視線はどこか、小動物を愛でるようなそれであり、ヴィルナリアはそんな二人を一歩下がって眺める。

「ねぇリリー、これから暇? 一緒に遊ぼ」

「あふぁひはひいけふぉ、あふしゃんひゃひはじひゃんあふほ?」頬を掴まれたまま話すリリー。

「アル、離してあげなさい……」

「ぷひゃ!」アルフォースの手がリリーの頬から離れ、それでもリリーは変わらない笑みを浮かべる。「あたしは良いけど、アルちゃんたちは時間あるのぉ?」

「うん、今日はもう帰るだけ」

「そうなんだぁ」リリーが少なくなった屋台の野菜を袋に詰め始める。「ヴィルちゃんもこんにちはぁ」

「ヴィルちゃ――いや、ああ、こんにちは」

 ヴィルナリアはアルフォースと一緒にリリーの店仕舞いを手伝う。すると、アルフォースが残った野菜の料金をリリーに渡しており、今日の晩御飯に野菜があることは確定らしい。ヴィルナリアは肩を落とし、ため息を吐く。すると、リリーが視線を向けてきており、首を傾げて、手を止める。

「うん?」

「……ヴィルちゃん、昨日のトマトは?」

「ああ……」ヴィルナリアはリリーから視線を逸らし、言う。「アルが作った料理に入ったトマトは食べたぞ」

「むぅ、それじゃああたしのトマトが美味しいのか、アルちゃんのお料理が美味しかったのかわからないよぉ」

「リリーの野菜だから美味しく出来たんだけどね。まぁ、食べている方にはわかりにくいかなぁ」

「そういうものなのか?」

 ヴィルナリアは料理を一切しないために、アルフォースの言っていることを理解出来なかった。リリーには悪いと思っているが、ヴィルナリアは、食材は食材だと思っているのである。

「そういうもんだよ」アルフォースが見透かしたような眼差しを向けてくる。「ヴィルはもう少し、生産者に感謝しようね?」

「……善処しよう」

 首を傾げるリリーの頭を撫でるアルフォースが、思い出したように手を叩く。「あ、そうだ、ねぇリリー、もう一人呼んでいるんだけど大丈夫?」

「みゅ? アルちゃんのお友達?」

「うん、ちょっと変な子だけど、俺より小さくてとっても良い子だよ」

「へぇ~、野菜は好きな子?」

「俺の料理は美味しそうに食べてくれたよ」

「……自分で確かめるしかないかぁ」リリーが人差し指を唇に添え、地面を見ながら言うと、ハッと、思い出したようにアルフォースの両手を握る。「あ、アルちゃん、残った野菜、買ってくれてありがとだよぉ」

「ううん、気にしないで。今日の晩御飯は俺が作るし、このくらいある方が良いんだよ」

「……家の料理人たちがまた泣くぞ」ヴィルナリアは呆れたように言う。「今月で何度目だ。料理人たちが、自分たちの存在意義について本気で考えていたぞ」

「今朝言った時、泣かせたから大丈夫。あ、でも、みんなのご飯も大好きって言ったら泣いて喜んでた」

「お前は……」頭を抱えるヴィルナリアはふと、リリーの横顔を眺める。「ふむ」

「みゅ? なぁ~に? ヴィルちゃん」

「ん? ああ、少しな」ヴィルナリアは思案顔を浮かべた後、リリーの目を真っ直ぐに見つめる。「リリー殿、つかぬことを聞くが、昔、名前を書いたジョウロを失くしたことはないか?」

「何でそんなピンポイントな――」アルフォースが首を傾げた。

「みゅ? あるよ。大事にしていたジョウロなんだけれど、2年ほど前にどこか行っちゃったの」

「え? あんの!」

「……やはりか」ヴィルナリアは納得し、頷く。「あ、いや、すまない。少し確認したくてな」

「そうなんだぁ。みゅ~、あのジョウロ、大事だったから今でもたまに探しているんだよぉ」

「ふむ……」ヴィルナリアはリリーに笑みを向ける。「もし、探していると言うのなら俺がおじい様に掛け合ってみよう。もしかしたら、戻ってくるかもしれん」

「わ! ほんと? わぁ~、ヴィルちゃんありがと!」

「……なんで、じいちゃん?」アルフォースがヴィルナリアの袖を引っ張る。「ねぇヴィル、何の確認だったの?」

「うん? ああ、俺が安心できるかの確認だ」

「う~んぅ?」

 アルフォースの友人であるリリーを一度でも疑ったとは言えず、ヴィルナリアは話を逸らすためにアルフォースを撫で、リリーに視線を向けた。

「さ、そろそろ昼になる。軽く食べられる物を買ってから行くぞ」

「うん!」リリーが満面の笑顔で返事をした。すると、リリーがアルフォースを見る。「アルちゃん、そのお友達、女の子?」

「うん? うん、そうだよ」

「……女の子かぁ。ヴィルちゃん、一人で気まずくないの?」

「……それはどういう意味の『一人』だ?」

 アルフォースとリリーが高い声を上げながら、進んでいく。その声が耳障りというわけではない、むしろ、心地良さすら覚える声であり、世の親というのはこのような気持ちなのだろうか? と、ヴィルナリアははしゃぐ二人の挙動を見守りつつ、どちらかが転びそうになったらフォローするということをした。

 三人――一人はわかっていてやっているようだが、あと一人増え、姦しくなるのか。と、ヴィルナリアは息を吐き、買い物をしているアルフォースとリリーを眺めた。



  【錬金術師と変わった魔法使い】

「ふわぁぁ」

「ふむ……」

「今は珍しくなったけど、俺は好きだよ」

 アルフォースとヴィルナリアについて、二人の自宅だと言う屋敷に辿りついたリリーは屋敷の前で小さな体を精一杯に伸ばし、何度も飛び跳ね、二つに纏めた髪を揺らしている少女を見た。あれが、二人の友だちなのだろうか? と、リリーは首を傾げる。

 すると、アルフォースが少女に近づいて行くのが見える。

「だぁぁぁぁぁもう! 家は遠いし、ここかどうかも定かではないし」二つ結びの少女が叫び、地団駄を踏む。「クッソ! あいつら、普通、家の場所を教えてから来いって言うでしょ! どうなっているのよ」

「そういえば、言うのを忘れていたな」ヴィルナリアが呟いた。そして、小さく笑う。「カナデを悪く言うつもりはないが、今どき、あんな『らしい』恰好をする魔法使いは久々に見るな」

 カナデと言う名前らしい少女は、大きな三角帽子に黒のローブ――様々な場所で野菜を売っていたリリーも久々に見る『魔法使いらしい』恰好に感心する。伝統や昔の教えと言うのは大事であり、見た目通りに魔法使いであるのなら、真面目なのだろう。と、リリーは仲良くなれる予感を覚えた。

「ヴィルちゃん、魔法使いも、錬金術師もどちらも知識を探求する者だから、形から入るのも大事なんだよ」リリーはカナデを見つめる。「だからあの子、とっても良い魔法使いなんだね?」

「……ふむ」ヴィルナリアが驚いたような表情を浮かべていた。そして、フッと息を漏らす。「リリー殿も良い錬金術師なのだな」

「そうだと良いなぁ」

 アルフォースの後をついて、カナデに近づこうとすると、アルフォースが悪戯を企てる子どものような表情を浮かべ、ピッタリとカナデの背中についたのが見える。

「ったく! これで騙していたら、どう燃やして――」

「カ~ナデっ!」カナデの背中に抱きつくアルフォース。

「ひゃぁぁぁぁぁぁ!」

 可愛らしい声を上げて叫んだカナデだったが、目に涙を浮かべながら身体を反転させ、右手に描かれた魔法陣を光らせているのが見える。

 そして、次の瞬間、鳥を模った炎がアルフォース目掛けて羽ばたいた。

「あははは」アルフォースが炎を避けながら笑った。

 少し、意地悪だな。と、リリーは苦笑いを浮かべる。すると、アルフォースにヴィルナリアが背後から近づき、その頭に手刀を放った。

「馬鹿者」

「イッたい!」

「え?」カナデが首を傾げたまま、アルフォースとヴィルナリアを見た。そして、次第に顔が赤らんでいき、先ほどよりも輝いた右手をかざす。「ふがぁぁぁぁ! あんたはっ、一人で、国の偉い人の家の前で『騙されたかもしれない』って思いながら待っているのが、どれだけ寂しいか、あんたにわかるかしら!」

「うわ! な、なんだよぉ!」激しく飛び交う炎を避けながら、アルフォースがこちらまで向かってくる。「リリー、あとお願い」

「もうっ」リリーはアルフォースからのお願いを受け、カナデの傍に近寄ると前から抱きしめる。「よしよし、アルちゃんも悪気があったわけじゃないからねぇ」

「わぷ。ふぇ――え? って、野菜屋さん?」

 カナデの言葉に、リリーは首を傾げる。よくよく見ると、何度もヤオヨロズに買い物に来ている少女であり、小さく、形の悪いトマトをいつも値切っていく少女であること思い出す。

「あんやぁ、よく見たらおめぇ、いつもトマト買って行ってくれる子でねぇがぁ」

「え? ええ、え? えっと」

「色々聞きたいこともあるだろうが」アルフォースの襟を掴み、持ち上げているヴィルナリアが提案する。「家に入らないか? せっかく、昼食も買ってきたんだ。それを食べながらでも良いだろう?」

 すると、ヴィルナリアの手を振り解いたアルフォースが控えめにカナデの手を握り「ごめんね」と、一言。そして、家。と、呼ぶには大きすぎる屋敷の門の傍にある扉に手を添え、開く。

 先頭を歩くアルフォースについて行くと、そこには『見たこともない景色』が広がっていた。

 レイブン家の家屋や庭は明らかに周りの建造物とは異なり、石造りが一般的であるにも関わらず、木で出来た門と家屋、中心には小さな池、庭に植えられた木の数も然る事ながら、まるでアートのように置かれた岩の数々。一般の家では考えられないような景観である。

 アルフォースが先行して歩くが、地面には家屋まで続いている岩の床、それに沿いながら池の外側を回り、寿命を迎えた花の散る様を眺めながら、水の流れる音と定期的に聞こえるカコンと小気味の良い音、水が滴る奏でを金属で鳴らしたような音が響いていた。

「ふわぁぁ」リリーは瞳を輝かせる。「すご~い」

「……」カナデがあんぐりと口を開けたままで、庭を指差す。「すごいわね」

「でしょ? じいちゃん、昔はこの家で仕事もしてたんだけど、来る人みんなが二人みたいな顔をして、根掘り葉掘りこの家について聞いてくるから仕事にならなかったんだって」

「まぁ、聞きたくなるのもわかるわね」カナデが落ちている紫色の花びらを一つ手に取る。「これ、なんだったかしら?」

「藤だべぇ」リリーが答える。「立派な花だぁ」

「さすが野菜屋さん。詳しいのね」

「へぇ~、俺、長くこの家に住んでるけど、そんな名前だったんだ」

「……何で知らないのよ」

「ヴィルも知らないよね?」

 突然話を振られ、咳き込むヴィルナリアに、リリーは笑みを漏らし、視線を逸らしながら歩くヴィルナリアの背中を眺める。

「リリー、置いてくよ」

「ま、待ってぺぇ!」

 入り口から池を跨いで直線にある母屋に辿りつくと、アルフォースが扉を開ける。「この家、土足厳禁だからここで脱いでね」と、声をかけて、母屋に入るように促した。

 家の中に入るとすぐに従者の者たちが迎えようとしたが、アルフォースが首を振り、言葉を発する。「俺たちは良いからさ、リリーとカナデを書斎に案内してあげて。あ、あとこのお菓子をお皿に盛り付けてくれると嬉しいなぁ? お茶は俺が淹れたいからこれだけ頼んで良い?」

 アルフォースの上目遣いと猫なで声。ヤオヨロズ以外でよく聞く声と恰好。リリーはアルフォースのそれは実は誘惑の魔法を天性の才能で行なっていて、自分もそんな素敵な『女性』になりたいな。と、ジッとアルフォースを見つめる。

 すると、アルフォースがヴィルナリアを連れ、パタパタと奥に駆けていき、残されたリリーはカナデと若い女性の従者の顔を交互に見た。

「……こちらへ」従者が澄んだ綺麗な、それでいて無機質な声で、書斎があるだろう方向に手を向けた。

 示された方向を呆けた表情で眺めるリリーは袖を引っ張られていることに気が付く。

「ほら野菜屋さん、置いてかれるわよ?」

 従者の女性がすでに歩き出しており、リリーはハッとして動き出す。そして、一言カナデに礼を言い、キョロキョロと視線をあちこちに投げた。

 通り過ぎる部屋の中には、長細い紙に龍や花、景色、それに文字を水彩画のような、見たこともない手法で描かれている絵が飾ってあり、一枚一枚を調べたい衝動にかられながらも、リリーは従者の後を何とかついて行く。

 まるで異世界にでも迷い込んだように。水が跳ねる音、風の奏で、合わさった音が非現実へと誘うように見る者も聴く者も魅了する空間に、リリーはただ『見る』ことしか出来なかった。

「あんやぁ……色々な場所を回ったけど、こんな空間は初めてだべぇ」

「ほんと、本の中でもこんな風景はなかったわ」

 リリーはそんなことをカナデと話していると、いつの間に書斎に辿りついていたのか、従者が扉の前で立ち止まっていた。

二人の慌てた足取りに従者が扉を開けてくれ、書斎に入るように手で促す。「ごゆっくり」そう告げ、頭を下げて来た道を戻って行った。

 二人は呆けた表情のまま、従者に会釈をすると数秒間、世界に取り残されたかのように去って行った従者の背中を目で追っていた。

「何とも……不思議な気分にさせられるような場所と人ね」

「ほんとに。う~ん、アルちゃんって本当にお嬢様だったんだねぇ」

「……男だって聞いたけど。というか、野菜屋さん、普通に喋れるのね」

「あ、ヤバ――」リリーは取り繕った笑顔を浮かべる。「そうだっぺぇ~、男の子だったっぺねぇ」

「……普通で良いわよ?」

「むぅ」

 苦笑するカナデが従者に促された通りに書斎の中へ入った。

すると、そこにはズラリと並んだ本棚とそこに入っている大量の本、カナデが目を輝かさせ、辺りを見渡していた。

「家にもこんなにたくさんはないよぉ」リリーは感嘆の声を上げ、カナデに尋ねる。「本、好きなんだね。カナデちゃん、で良いのかなぁ?」

「……え?」リリーの声にカナデがハッとなり、視線をあちこちに彷徨わせた後、頭を下げる。「ごめんなさい、聞いていなかったわ」

「あららぁ」カナデの素直な謝罪にリリーはクスリと声を漏らす。「あたしの名前は野菜屋さんじゃなくて、リリーだよぉ」

「えっと、リリー……さん」カナデが照れながら言った。

「うん。本、好きなんだねって、聞いたんだよぉ」

「あ、ええ」カナデがリリーから視線を外し、周りの本に手をかざす。「パッと見、見たこともないような本が多かったから……そうね、こうやって見惚れる程度には好きよ」

「そうなんだぁ。カナデちゃん、で、良いんだよね?」

「ええ、カナデ=イザヨイ。魔法使いよ」

「素敵な格好だよねぇ……みゅ?」リリーはふと、思い出す。「あれ? そういえば、魔法使いってことはトマトは――?」

 魔法使い、それはトマトを贄として使う者たちが多い。つまり、カナデがトマトを買う理由も贄として。リリーはショックを受け、瞳に涙を溜める。

「え、ええ」カナデが狼狽え、答える。「リリーさんのところのトマト、どうしてか魔力と相性が良くて、使いやすいのよ」

「……むぅ」

「え? え?」困った顔のカナデ。「えっと、あれだけ美味しいから『マナ』も喜ぶのかしら?」

「ふぇ?」

 美味しい。カナデがそう言った。つまり、味を知っているということになる。

 魔法使いの実験の仕方は、トマトを何かしらの材料にし、魔法の経過を確かめる。つまり、トマトはただの象徴でしかなく、中には傍に置いておくだけの者もいるらしい。

「僕はトマトに紋章を描いて魔力を通すってやり方をしているのだけれど、他のところで買うと爆発しちゃうから食べられないし、研究も出来ないのよ」

「……食べているの?」

「当然じゃない、トマトは食べ物よ? 爆弾じゃないわ」カナデが首を傾げる。「リリーさんのところのトマト、焼きトマトになっちゃうけれど、美味しく頂いているわ」

 人はトマトを食べられない者が多い。その中でも魔法使いは特に毛嫌いしている。自身が研究に使うのもあるだろうが、トマトを悪魔だと広めたのも魔法使いであり、カナデのように食べてくれる者も珍しい。

 故にリリーは嬉しくなり、カナデの手を握る。「カナデちゃん、あたしのことはリリーで良いよぉ。それと、これからもヤオヨロズで買ってね!」

「え、ええ、食べたいからそのつもりよ」

「えへへ」リリーは嬉しさを抑えきれず、何度もその場で飛び跳ね、カナデに緩みきった笑みを向ける。「魔法使いの人って、トマトを贄としか見ないから悲しかったの。だから、カナデちゃんもそうなのかな? って思って」

「あ~」カナデが申し訳なさそうな表情を浮かべる。「そう言う人、いるわね。食べ物は粗末にしちゃいけないって教わらなかったのかしら?」

「まったくだよぉ」

 レイブンの家であるが、リリーはソファーに腰を下ろし、まるで我が家にいるかのようにカナデを手招く。そして、向かいに座ったカナデをニコニコとした笑顔で見つめる。

「――?」カナデが困惑している。

「えへへ」対照に、リリーは上機嫌で笑う。「あのね、あたし、ヤオヨロズってお店をやっているんだぁ」

「え、ええ。知っているけれど」

「あの野菜、あたしが作っているんだよぉ」

「農家さん?」

「ううん、錬金術師」

「え?」カナデの頭の上にクエッションマークが見えそうなほど、カナデが目を白黒させる。「錬金術で野菜を作っているの?」

「そうだよぉ。色々作れるんだぁ」

 すると、それを聞いたカナデが思案顔を浮かべ、ハッとした表情を浮かべる。「僕にも出来るかしら?」

「みゅ?」

「あ、いえ、その――」カナデが口ごもり、紅潮させ、控えめな表情を浮かべる。「僕、あんまりお金もないから作れたら生活が楽になるかなって。思っただけよ」

「あ~、なるほど。錬金術は魔法と同じで学問だから、やりたいって思えば出来るよぉ」

「へぇ~、そうなのね」

「うん。だから、今度参考書とか……ここにありそうかなぁ?」

「――」カナデが小さく笑う。「そうね、探してみましょう。じゃあリリーはあっちね」

「うん!」

 同い年で、同性の友人が多くない――友人と呼べる人がいないリリーは名前で呼ばれたことを嬉しく思い、カナデに抱きつきなる衝動を抑えた。



  【ジャージは至高で思考と考察の海へ】

 ヴィルナリアを風呂場に押し込んだアルフォースは着替えた後、厨房に一人で立ち、昼食の準備と夕食の下準備をしていた。

 シイタケにレンコン、玉ねぎを炒め、それを皿に移し、置いておく。そして、近くにある底の深く大きな鍋の蓋を開ける。すると、蓋を開けた瞬間、中から如何にも食欲がそそられる様な匂いが漂い、アルフォースは満足気に頷く。中には透明のような黄金色のスープと肉や多くの野菜が入っており、アルフォースが朝から準備し、城に行っている間、従者に頼み、火の加減を見てもらっていたスープ。まだ、完成していないが、夕食には間に合うだろう。と、アルフォースは蓋を閉じた。

「よしよし、良い感じ」

 アルフォースは、パンにベーコンと野菜を挟んだ物を皿に盛り、その皿と人数分のカップをお盆に乗せた。

 そして、ティーポットにお湯を注ぎ、緑色の葉っぱが入った包みを横に置く。

「さって、二人はどんな感じかな?」

 馴染みのない二人を一緒にし、それぞれが自己紹介でも済ませておいてくれれば楽だと考えたアルフォースはリリーとカナデがどのようになったのかが気になっていた。

 お盆を持ち、厨房を出ると、リリーとカナデを案内した従者が菓子の入った皿を持っており、アルフォースは一言礼を言う。

「ありがと。それじゃあ、一緒に書斎まで行ってもらえる?」

「……御意」

 従者の前を歩くアルフォース。そしてふと、リリーのことについて考える。リリーはヤオヨロズの店主で、少し抜けたところがあり、野菜作りが大好きな錬金術師の少女。それだけである。それ以上はなく、それ以外は『勝手に決められたものである』と、アルフォースは一瞬、表情を歪める。

「……アルフォース様?」

「ううん、何でもないよ」笑顔を取り繕い、従者の頭を撫でる。「良い子たちでしょ?」

「……ええ、この家に来て、下心が見えない者たちは初めて見ました」

「素直だからねぇ」アルフォースはクスクスと声を漏らす。「今日、泊まっていくから、服、用意しといてね」

「……御意」

 書斎の前まで辿りつくと、中からは楽しそうに談笑する声。いや、よくよく聞いてみると、カナデのわざとらしく大人びた声とリリーの涙声。仲良くなるのが早過ぎはしないだろうか? と、アルフォースは苦笑する。

 書斎に入ると、カナデが本を片手にリリーの大きな胸を揉んでおり、表情はムスっとしていた。

「……なにやってんのさ?」

「自己主張の激しい山に、山らしく動くなって躾けているのよ」カナデが自嘲気味に笑う。「それと、本を読んでいて『ほんと、重くてしょうがないよぉ』とか、これ見よがしに山を机に置く『山の持ち主』に対しての八つ当たり」

「……仲良くなったようで何よりだよ」

「う~、アルちゃ~ん、助けてぇ」

「何食べたらこうなるのかしら?」カナデが頬を膨らませた。

 アルフォースは自分には一生わからない悩みだと思い、机にお盆を乗せた。そして、同じくお盆を机に置いてくれた従者に礼を言い、去っていく背中に一度視線を向けた後、ティーポットに、先ほど包んだ緑色の葉っぱを入れ、少し時間を置き、中身をカップに注ぐ。カップの中には薄い緑色の液体、ふわりと香ってくる青々と濃厚な、それでいて爽やかな匂い。

「あら、良い香りね」

「でしょ? とりあえず、お昼にしよ? そろそろ、ヴィルも来ると思うから」

「丁度、お腹が空いていたのよ」リリーの胸を揉む手を止め、カナデが尋ねる。「ヴィルは何をしているのよ?」

「お風呂。汗臭かったからシャワー浴びさせてる」アルフォースはカップを二人に手渡す。「あんな真面目に訓練してるから、汗臭くなるんだよねぇ」

「……あんたも真面目に訓練しなさいよ」

「まったくだ」ヴィルナリアが扉を開けるなり言う。「汗を流して得る物というのは大きいぞ?」

「汗を流して得ようと思うのは、失った水分だけだよ」

「差し引きゼロじゃないの……というか」カナデが、アルフォースとヴィルナリアを指差す。「アル、あんたもう少し恰好どうにかならなかったの?」

「へ? 楽じゃん」

 アルフォースはそう言って、白の生地にファスナーが付いているジャージー編みという編み方で編まれた、伸縮性があり動きやすいジャージと呼ばれる服を指差す。一般的には、土弄りをする際や家畜などを育てている者が着る服だが、値段が安く、現在では世間体を気にする故に農家も家畜を飼っている者も着ることが少なくなった服である。

「クッソ高い酒の中に、安酒を見つけたような安心感があるわね」

「何だよぉ、ジャージ、楽で動きやすくてお洒落なんだぞぉ」

 アルフォースはジャージの胸辺りを引っ張り、剣を模ったアップリケを見せる。実はこのジャージは先ほどリリーとカナデを案内した従者が編んだ物であり、値をつけるとそれなりの値段になるジャージであるのだが、ジャージというだけで安物扱いされる。アルフォースはそんなジャージの不遇を憂いており、ムキになってカナデに抗議した。

「あ~、はいはい、お洒落お洒落」カナデが見向きもせず、手を振りながら言った。そして、ヴィルナリアの足から頭までを値踏みするように眺める。「見たこともない服ね? まぁ、ジャージよりずっとお洒落で良いわね。アルにも着せなさいよ」

「アルはヒラヒラするから嫌だと言って着ないんだ。だが、これは部屋着だぞ? そんなに見せる物でもない」

 ヴィルナリアの服は、紺色で袖丈が広く、身丈が長い服。そして、一枚の布で出来ており、それを羽織るように着て、帯で結んだ『浴衣』と、呼ばれる服である。

「浴衣って言うんだよ」

「へ~、ちょっと着てみたいわね」

「ね~、可愛いもんね」リリーが伏せていた顔を上げ、言った。

「可愛い……か?」

「俺はそんな動き難い服は嫌だけどねぇ」アルフォースはヴィルナリアにもカップを渡し、パンの盛られた皿を全員に配る。「さ、お昼にしよ?」

「そうね。お腹空いたわ。って、少な!」カナデが皿に置かれた二つのパンを見て文句を言う。「成長期なのよ?」

「同い年じゃなかったっけ?」アルフォースはパンを自分の皿から一つカナデの皿に移す。「お菓子もあるし、このくらいで十分でしょ?」

「だねぇ、太っちゃうもん」

「その大きな肉塊を取ったら痩せるわよ」

「……」ヴィルナリアが驚いている。「随分と仲良くなるのが早いんだな?」

「アルにも同じことを言われたわよ」カナデがパンを一口かじる。「リリーね、最初は遠慮していたけれど、すぐにわかったわ。弄り甲斐があるって。それと、単純にその胸は許せないわ」

「ふぇ!」

「……さいですかぁ」アルフォースは女の子の会話になりそうだったために、適当に区切る。「ささ、これ飲んでみ」

「ええ、そうね。緑色、なのね。って、あら?」一口カップから口に運んだカナデが驚いていた。そして、カップの中身を見る。「美味しいわね」

「これ、緑茶……だよね?」リリーが興味深そうに尋ねる。「あんまり。と、いうか、作っているところって結構遠くの国じゃなかったかなぁ?」

「さすがリリー。そうそう、緑茶がある国に行く行商人に頼んで、半年に一回、買ってるんだぁ。俺がこのお茶気に入っちゃってね、無理言って買って来てもらってるの」

「む~、あたしにも作れるかなぁ?」

「どうだろう? やってみたら?」アルフォースはそう提案すると、ヴィルナリアに視線を向ける。「なんか静かだと思ったら、食べ終わるのが早いなぁ」

「そんなに時間がかかる物でもないだろう。それに、カナデの方が俺より早く終わっているぞ?」

「え? って、早っ!」

すでに皿の上のパンを平らげていたカナデが、菓子を頬張っていた。アルフォースは一口目を小さな口で運んだリリーと彼女を比べ、苦笑い。

ヴィルナリアが書斎の外に通じる窓を開け、その先にある屋敷の高さに合わせて作られた木の板で出来た出っ張り。縁側と呼ばれる通路に腰をかけたのが見える。そして、ヴィルナリアが鉄で出来た平たい容器を傍に置き、ポケットから紙で香草を巻いた細長い筒状の物を取り出し、それに火を点けていた。

「あら、ヴィル、煙草を吸うのね?」

「うん? ああ、おじい様も吸っているからな。真似し始めたら、案外良くて」ヴィルナリアが煙を深く吸う。「そっちに煙は行かないだろうから、構わず続けてくれ」

 ヴィルナリアが窓を閉め、完全に自分の世界に入ってしまった。彼は家にいる時もだらけることはないが、ああやって自分の空間を作ることが多々あることをアルフォースは知っている。

「あれがヴィルの癒しタイム」ヴィルナリアとカナデが使った皿を重ね、アルフォースはソファーに腰を深くかける。「まっ、まだまだ時間はあるし、ゆっくりと本でも見ててよ」

「もうゆっくりしているわ」カナデが菓子を机の端にやり、手を拭いた後、読みかけの本を手に取る。「夕方くらいには帰るし、今日だけじゃ読み切れないわね」

「ありゃ? 夕方には帰るの?」

「何よ、泊まってけとでも言うのかしら?」

「うん、晩御飯の準備もしちゃってるし」

「泊まるわ」カナデが即答した。

「……どんだけ飢えてんのさ?」

 アルフォースはわかりやすいカナデの言葉に微笑む。しかし、リリーが羨ましそうな視線を向けてきており、そんな彼女に思案顔を向けた後、きっと『知らない』のだろう。と、結論付ける。

「リリーも泊まってく?」

「う~、そうしたいけど、あたし、野菜を取りに帰らないとだし」

「……ああ、やっぱり」アルフォースは頭を掻き、リリーに言う。「リリー、今日は帰れないよ?」

「ふぇ?」リリーが素っ頓狂な声を上げる。「え、でも、あたし帰らないと野菜が」

「商人同士で情報交換されていると思ったけど……リリー、除け者にされた?」

「みゃ!」

 立ち上がり頬を膨らませながら、精一杯腕を伸ばし、肩を叩いてくるリリーの腕を受け止めるアルフォースはどのように説明するべきかを考える。

「で? 何でリリーは帰れないのかしら? リリーだけが帰れないってことは、この街から出られないってことよね?」

 さすが魔法使い。鋭いな。と、アルフォースは思い、不安そうな表情のリリーを一撫で。ただ、封鎖されたと言うのは簡単である。しかもそれを自分が、騎士団長という政治にも関わっている者に近い自分が言ってしまえば、どのような疑問を投げられるかは想像に容易い。そう考え、言葉を選ぶ。

「……えっとね、カナデの言う通り、誰も入れない、出さないって指令が出たみたいでね――」

「僕は『アルフォース=ルビー』に聞いたのよ? そんな定例文のような兵士の言葉を聞いたんじゃないの」カナデが不満顔でリリーを指差す。「そんな言葉で、その子が納得するとでも?」

 リリーだけなら押しきれただろう。しかし、今は魔法使い、知識の探求者であり、これまでの行動から見て、知識と情報に貪欲なカナデがいる。失敗したな。と、アルフォースは諦めて肩を竦める。

「……俺が理由を知っていると思う? ただの兵士だよ」

「知っているでしょ?」カナデが勝気な表情をアルフォースに向ける。「あんた、リリーが情報を持っていないことを予想しておきながら、商人なら得られる情報が話されているって確定しているように話した。けれど、その後に『出たみたい』って、まるで自分が噂程度に聞いた風に言ったのよ? あんた、嘘『は』吐かない人間でしょ? 商人に行く程度の情報をあまり関係ない人に聞いた。だから、その情報に確証は持てない。詐欺師の基本思考よ」

「……」

「それと付け加えるのなら、それは別の兵士から聞いた情報ね? 入れない、出さないってことは門の詰め所ね。商人に聞いていないから曖昧になる。けれど、あんたは確かな情報を持っているから、リリーが聞いていないことを予想できた。違うかしら?」

 アルフォースは素直に驚いていた。自身をホンモノではないと話したこの魔法使いは、まるで一緒に詰め所に行ったかのように、今朝の行動を言い当てたのである。自分とは違うタイプの思考回路を持ち、納得出来る理由を言葉にして、過程に当てはめた。付き合いは昨日今日のものだが、今日、ヴィルランドに言われたような癖を見事に看破されてしまったのである。

「……驚いた」アルフォースはカナデをまじまじと見つめる。「カナデ、兵士にならない? きっとその思考は役立つよ」

「喧嘩っ早いから、火傷の怪我人が増えるわよ?」

「問題は性格かぁ」

「さっ、答えなさい。このままじゃ気になって寝不足になるわよ? うら若き乙女に、肌荒れの原因を作らせるつもりかしら?」

「――」アルフォースは吹き出し、腹を抱えて笑う。「お肌の天敵を出されたら、答えないわけにはいかないにゃぁ」

「……」カナデがアルフォースをジッと見つめる。「僕が言わなくても、どっかのタイミングで言おうとしたでしょ?」

「……カナデ、やっぱ兵士になりなよ。ヴィルが楽出来そう」アルフォースは苦笑いで答える。「あんまり不信感を抱かれるのは嫌だからね。友だちには特に」

「素直でよろしいわ。それで?」

 アルフォースはどう言ったものかと決めあぐねていた。そして、チラリと不安そうな表情のリリーに視線を向ける。

「誰にも言っちゃ駄目だよ?」アルフォースの視線は変わらずリリーに向いている。「勇者が死んだんだって。それも序列一位・魔狩りの英雄ヘイル=プリーシアがね」

「――?」カナデがリリーを見て首を傾げた後、呟く。「……ああ、だからあいつらは」

「う~ん? 何が?」

「何でもないわ」カナデが次の言葉を促す。「死んだだけなら、門は閉じないわよ?」

「まぁ、お察しの通り、殺されたよ」そう言うアルフォースはリリーが悲しそうに顔を伏せていることに気が付いた。その表情に、嫌な予感を覚えつつ、尋ねる。「リリー?」

「……みゅ?」

「どうかした?」

「……ううん」リリーが首を振り、瞳に涙を溜めながら、天井を見上げる。「あたしが作った野菜、一度でも良いから食べてほしかったなぁって」

「野菜を?」

「うん。だって、一度でも食べてもらえれば理解してくれるかなって……人に仇をなすだけの存在じゃない人もいるんだよ。って……もう少し、歩み寄りたかったなぁ」ため息を吐き、肩を落としたリリー。しかし、慌てたように笑顔を作る。「――って、色々な理由があって、色々な生き方があるんだよぉってね? 勇者さんには会ってみたかったんだよぉ」

「……リリー」

「止めときなさい。あれに会わなくて正解だったわよ」

「そうなの?」リリーがカップに手を伸ばしながら聞く。「カナデちゃん、会ったことあるの?」

「ええ、あいつ、僕の胸を見て笑ったのよ? リリーが話しかけたら、夜通し揉まれまくりよ」

「みゃ!」

 空気を察したからなのかはわからないが、カナデの言葉により、リリーの表情から曇りが晴れた。

「あ~、あれ、そういう場面だったんだ」アルフォースはカナデの胸に視線を向け、意地悪しようと考える。「カナデ、俺と変わらないくらいの『胸筋』だもんねぇ」

「あんだとコラ――」

「まぁまぁ」アルフォースは立ち上がろうとするカナデの肩を押さえる。「と、いうわけで、2,3日は出られないと思うから、リリーはここに泊まると良いよ。カナデも泊まるよね?」

「僕に贅沢な暮しを覚えろと言うのかしら?」

「そんなに贅沢はしてないと思うけどなぁ。でも、一々家に戻ってまた本を読みに来るのも面倒でしょ?」アルフォースはそこいらの貴族のように豪遊はしていない。と、思いながら、リリーを指差す。「カナデがいる方がリリーも喜ぶと思うよ。ねぇ?」

「うん、カナデちゃんもいるなら嬉しいなぁ」

「……仕方ないわね。そこまで言うなら泊まるわよ。ご飯は出るのかしら?」

「そりゃあ毎食」アルフォースは手を叩き、思いついたことを口にする。「もういっそのこと、ここでの仕事を覚えて従者として働く?」

「何よ突然」

「住み込みで本は読み放題、三食ご飯付き、夜勤なし、有休あり、上下関係も緩く、魔法の研究スペースもある」

「……ちょっと待って、本気で考えるわ――」

「お前は何を勧誘しているんだ」いつの間にかに現れたヴィルナリアがアルフォースの頭をはたく。「俺のいないところで、何の話をしているんだ?」

「い~た~い~よ~。むぅ、いつの間に」アルフォースははたいたまま頭の上に置いてあるヴィルナリアの手を握り、唸る。「う~。でも、じいちゃんも従者を増やしたいって言ってたじゃん。丁度良いでしょ?」

「その『丁度良い』を決めるのはアルでもおじい様でもなく、カナデだ」ヴィルナリアがカナデに頭を下げる。「いきなりすまないな」

「いきなりなのは出会った時からよ。まぁ、考えておくわ。従者の仕事なんて見たこともないし、聞いたこともないから、中途半端な知識で迷惑をかけたくはないわ」カナデが立ち上がり、本棚に近づく。「しかし、凄い数の本ね」

「でしょ? じいちゃんが若い時に集めた本とか、旅行に行った従者が買った本とか」アルフォースは枕にしか使わない本を眺める。「俺とヴィルはじいちゃんに魔法を教えてもらったから、研究はしないんだよね」

「こんなに本があるのに使わないなんて、もったいないわね」

「だから、こうやってカナデに見せてんの。使わないんなら、使いたい人が使った方が良いでしょ?」

「そうね。ここで文字通り色褪せていくなら、僕が活用してあげるわよ」カナデが本を一冊、本棚から抜き取る。「僕みたいな貧乏魔法使いなら、何年も引き籠れる量よ」

「まっ、ゆっくり研究でもなんなりしていきなよ。俺は枕にしか使わないから」

「良い環境なのに、もったいないわよ?」

「俺が魔法使いだったら、パラパラ漫画を書くくらいには開いたかもね」

 本を見ると眠くなり、さらに本を読んで集中している人がいる空間だと眠くなるアルフォースは伸びをした後、緑茶を口に運び、唇を潤す。

「ズルいわね。頑張ってお金貯めて、古本屋を巡って魔法書を買ったり、教科書だけを買ったりしていた僕に謝りなさい」

「や~だよ」

「……ふむ」ヴィルナリアがアルフォースの頭を握りながら言う。「昨日もアルが言っていたが、我流であそこまでの魔法を組めるのは素直に感心出来るぞ?」

「だねぇ、俺も凄いと思うよ」ヴィルナリアの手をアルフォースは頭を振って振りほどき、頬杖をついてカナデを見る。「それにカナデの魔法、オグ・リーピって言ったっけ? オグは確か『火』って意味だよね? それで、リーピは絵本とかに出てくる鳥の姿の神様っぽい生物だったかな? 随分、お洒落な名前だよね」

「お洒落? 美味しそうじゃなくて?」カナデが本から顔を上げ、不思議そうに言う。「最近のトレンドは焼き鳥なのね? お酒ブームでも来ているのかしら?」

「焼き鳥! なんで!」

「火の鳥って言ったら焼き鳥でしょ? ローストチキンにしようと思ったけれど、焼き鳥って命名したわ」

「……あれって、焼き鳥って意味だったんだ」アルフォースはカナデには名前を付ける才能がないのだろう。と、憐みの目を向ける。「お腹空いてたの?」

「年中空いているわよ。僕の毎日の食事、薬草か焼きトマトよ?」

 一瞬、空気が重くなったようにアルフォースは感じた。自分とヴィルナリアは言うまでもなく裕福であり、ある程度遊んでも問題ない程度には給料をもらっている。しかも、この屋敷に住んでいれば毎日の食事には困らない。リリーも野菜を売っているといっても、市場の八百屋。それどころか、どの屋台よりも売り上げがあるのではないかと、評判の良い屋台であり、食べ物に困ることはないだろう。

 そんな三人であるからか、カナデの食生活には衝撃を受けた。

「……ああ、なるほど。だから大量の草を入れた麻袋を担いでいたのか」

「あ、えっと」リリーがあたふたとしながら、咄嗟に言葉を発する。「で、でも! お野菜? ばっかりの生活だから、カナデちゃん、肌綺麗だよねぇ。それに小さくて可愛いし!」

「……」一瞬、カナデの額に青筋が浮かんだ。「……ありがと」

「エヘヘぇ」

 言葉だけを聞きとったリリーが嬉しそうな表情を浮かべており、アルフォースはカナデを不憫に思った。

「ねぇ、カナデ? 俺は女の子じゃないからわからないんだけど、リリーのフォローは嬉しいものなの?」

「……あんたのその言葉がなかったら、最後まで我慢したわよ」カナデが顔を引き攣らせる。「リリーは後で泣かす」

「なんで!」リリーが泣き顔で叫んだ。

 アルフォースはクスリと声を漏らし、騒がしくも楽しそうなリリーとカナデを眺めた。ふと、ヴィルナリアに視線を向けると、笑みを浮かべながらわざとらしく肩を竦めており、賑やかな空間を互いに想った。そして、アルフォースは段々と瞼が重くなっていくのを感じ、リリーの涙声とカナデの悪だくみを行なう子どものような声を背景に、意識を深く深く潜らせる。




  【王様よりも騎士団長】

「……」頬杖をつき、退屈そうな表情で円形の机を囲む者たちを眺めるヴィルランド。「いつまで黙っておるんじゃ? 先ほど、王の言葉を遮ったのはお主たちじゃろう? 遮ったからには、何かあると思うのが当然、違うかの?」

 周囲の者たちを睨みながら言うヴィルランドは途端に目を逸らした者たちにため息を吐いた。

 エルジェイムの王とその他の大臣、それに政治に関わっていると思っている成金の貴族たちを交えた緊急会議。その議題はもちろん、序列一位・魔狩りの英雄ヘイル=プリーシア殺害の件と確定はしていないが、街に潜んでいるだろう菜園の魔王についての『話し合い』である。

 王は経験が浅いなり、若いなりに必死で頭を絞っているのが見て取れるが、それは愚策だと半分も話を聞かずに遮る無能たち、ヴィルランドは何も喋らず、ただそこに座っている者は愚かではないのか。と、声を大にして、胸倉を掴んででも伝えたかったのだが、もう何日も帰っていない自宅への想いが強く、そんな気も失せてしまった。

「これなら、孫たちと思い出話に浸っていた方が有意義じゃよ……」

 後ろで控える全身鎧の男、ヴィルランドの部下であり、インペリアルガードに所属している男が呟きを聞いていたのか、吹き出した。

「まったく、しょうがないのぉ……王よ」ヴィルランドは気だるそうに王を呼ぶ。「先ほど言おうとしていた案、最後まで言ってみぃ」

「ひゃ、ひゃい!」

 指名されただけでアガってどうする。と、思ったヴィルランドだが、特に口に出すことなく、言葉を待つことに決めた。

「え、えっと。い、今はまだ、情報が……その、少なすぎ、です。だから、その……あぅ」貴族に睨まれ、王が顔を伏せる。「その……」

 ヴィルランドは舌打ちをすると『何もない空間を叩いた』すると、空間が割れ、巨大な魔法陣が浮かび上がった。

「ひゃぅ!」王が涙目になる。「ですから、その、情報収集をしましょう――」

 大臣と貴族が鼻を鳴らした。それにより王が縮こまったが、すぐに大きく息を吸ったのが、ヴィルランドには見えた。

「で、でも! 菜園の魔王を放っておくわけにはいきません。いる。と、その可能性が1%でもあるのなら、僕は……その、それを、放っておくわけにはいきません。情報収集をするとしても、いる。と、仮定した捜査を――」

 すると、ヴィルランドを除いた数人の者たちが大きな声で笑い始めた。曰く、それは当り前のこと、曰く、それをしている結果がこの会議とのこと。ヴィルナリアは青筋を立て、貴族の一人に向かって、ペンを投げた。

 ペンは貴族の頬を掠め、壁に突き刺さった。

「調査するのはわしらじゃぞ? それに当たり前のことじゃと? 言葉にすら出来ない案山子どもが、当たり前じゃと言うのなら、自腹切って『黄昏』に尋ねたらどうじゃ?」アルフォースとヴィルナリアには見せることが出来ないような表情を浮かべ、ヴィルランドは首を鳴らす。「王は、先代が生きていた時に貯めていた小遣いを片手に、黄昏を捜しておるんじゃぞ? そんな金じゃまったく足りんが」

「へぅ! 足りないのっ」

「行動すらしない者が、王を笑うことは許さんぞ?」王の言葉を遮り、ヴィルランドは殺気を込めて、周囲を睨んだ。

「ひゃぅ! ご、ごめんなひゃい!」

 ヴィルランドは頭を抱え、机に散らばっている書類を纏め始める。最早、この会議に意味はないだろう。と、部下の男に荷物を持たせ、立ち上がる。

 大臣と貴族が、訝しげな表情を向けてきているが、ヴィルランドは今日こそは家に帰りたい一心であり、王に手招きをして、部屋から出ていく。すると、パタパタと王が駆けてきて、申し訳なさそうな表情を浮かべていた故に、ヴィルランドはその頭を撫でてあげた。

「あぅ、ごめんなさい」

「お主が謝ることはないじゃろ。アルも言っていたじゃろ? シャンとせい。とな」

「……はい」

「先ほどの指示、良かったぞい。今のところ、状況証拠しかないからのぉ……」ヴィルランドは顎に手を添える。菜園の魔王を気にしつつも、孫であるアルフォースの言動が気になる。アルフォースは隠し事をする時、語尾に『にゃぁ』と、付け、はぐらかす癖があるのを知っているヴィルランドは、何か知っているだろう孫の元に向かうのが良いと考えた。

 さらにそれだけではなく、アルフォースは今朝、ヴィルランドが帰ってこないことを前提に話していた。その証拠に『また今度』と、言われてしまったのである。一緒に住んでいるにも関わらず、そう別れたヴィルランドはアルフォースたちが部屋を出て行ってから、悲しくなったのは言うまでもない。

 つまり、何かを隠しているアルフォースは、今日ヴィルランドには帰ってきてほしくない。と、思っているのである。

「ふむ……」ヴィルランドは部下の男を指差す。「王よ、こやつらを貸す。好きに動かしなさい」

「へぅわぁ! え? えぅ? う――?」

 笑いを堪える部下の男に手刀を放ち、ヴィルランドは王の目線まで身体を屈める。「わしはちと確認したいことがあるからのぉ、この一件、お主に任せるぞい」

「あ、あの――で、でも」

「わからないことはこ奴に聞け、わしに対しても指差して笑う馬鹿者じゃ。お主の敵にはなりゃせん」

「……」

「良いか?」ヴィルランドは真っ直ぐと王の目を見つめる。「大丈夫じゃ、自信を持ちなさい」

「は、はいです!」

 まだまだ幼い王。しかし、この国を想う心は優秀だと言われていた先代にも引けを取らない。そんな王であるからか、ヴィルランドは放っておくことが出来ず、度々、こうして手心を加えているのである。そして、いつか自分がいなくなった時、現段階では王を支えられるのは孫たちだけだと思っているヴィルランドは、早く王に成長してもらい、傍に孫二人を置きたいと考えていた。

「それじゃあ、あとは頼んだぞい」

 一刻も早く孫たちの下に行き、事の次第を。と、いうのも理由であるが、単純に孫の顔が見たく、出来ることなら孫の作った料理で酒を飲みたいと願っているヴィルランドの足は、自然と早足になっていた。



  【誰そ彼も精霊の前には慄いて】

「う~~~~ん」カナデは本を閉じ、伸びをする。「って、もう夕方なのね」

「わぁ~、本当だぁ」

 茜色の空、集中して本を読んでいたせいか、時間の進みを把握できていなかった。カナデは寝息を立てているアルフォースの頬を摘まみ、思っていた以上の柔らかさに微笑む。ふと、アルフォースの肩にはヴィルナリアが着ていた上着が羽織られており、さすがだな。と、カナデはヴィルナリアに視線を投げながら思った。

「僕やリリーが寝ていても、同じく肩にかけてくれるのかしら?」

「うん? そうだな。生憎、俺はそれしかかける物がないからな、脱げと言うのならかけてやらんでもないぞ?」

「はいはい、ご馳走様」

「冗談だ。二人が眠いと言うのなら、机の上ではなく布団でも用意するさ」

「最初からそう言っておきなさいよ。ところで」カナデは窓から吹き抜ける風に、髪を押さえる。「ここは気持ちが良いわね。アルが寝てしまうのもわかるわ」

「風通しを重視しているからな」

「しかも本の状態が良いし、大事にしているのね?」

「ああ」

 ヴィルナリア曰く、ここの掃除は従者が毎日やっており、埃一つなく、本は日が60回昇るのを目途に虫干しされているとのこと。

 カナデは本を手に取ると鼻を本に近づける。カビが原因とされている古本独特の匂いは薄いが、幾世もの時代を渡り歩いた貫禄が雰囲気から察することができ、視覚、嗅覚に訴えかけているような錯覚に陥らずにはいられない。風が通る度に、全身に古本を感じさせてくれた。

 ページを捲る音と風と水、平等なはずの時間の激流は流れることを忘れてしまった水たまりのように穏やかで、一石を投じるその時まで、波紋は世界から隔離されたように縁がない。

 そのような静かな世界だからか、微かに聞こえる寝息。その息遣いまでも、この空間の一部のようで、世界が演奏しているようにカナデは感じた。

「アルは退屈だったのかしら? だとしたら、悪いことをしたわね。せっかく連れてきてもらったのに」

「いや、ここはアルの昼寝スポットだ。遊んでいても眠っただろう」

「よく寝る子ねぇ」カナデは気持ちの良い感触のアルフォースの頬を何度もつつく。「うりゃ、うりゃ、プニップニねぇ」

「わぁ、どれどれ」リリーも真似して、アルフォースの頬に触れる。「ほんとだぁ。アルちゃんやわっこいねぇ」

「あんたも十分柔らかいわよ?」アルフォースの頬から手を離し、カナデは両手の指を動かしながら、リリーの胸を揉む。「ふわっふわねぇ」

「わ、わぁ。カ、カナデちゃん」

「……酔っ払いみたいになっているぞ」ヴィルナリアが視線をリリーから逸らした。

「男なら穴が開くくらいに見なさいよ?」

「俺がそういうことをするように見えるか?」

 確かにしなさそうである。と、カナデはつまらないと思いながら、リリーが読んでいた本に目を向ける。その本は錬金術の本であり、パッと見、危ないことが書いてあるのではないかと思うほど、邪悪な雰囲気を感じた。

「リリー、その本、何か嫌な感じがするわね?」

「みゅ? そういうのってわかるものなの?」

「ええ、なんとなくだけれど……」

 ただの勘である。しかし、普段は理由をつけて動くカナデにとって、直感と言う物は馬鹿に出来ない。何故なら『普段』はそう考えられるにも関わらず、それよりも速く、頭に警鐘を鳴らしてくる程のそれは、有り体に言えば『最悪』と、いうことなのである。

「リリー、魔法でもそうなのだけれど、そういう類の物を使うと、捕まるわよ?」

「みゅ?」リリーが口を開けたまま、数秒停止した後、ハッとした顔になる。「ち、違うよぉ! これは『そうならない』ために――」

「わかっているわよ」カナデは吹き出し、リリーの頭を撫でる。「魔法でも、同じ轍を踏まないようにそういうのも勉強するもの。と、いうことは、その本の人物って――」

「うん、人を超えてしまった人の本だよ。話には聞いていたんだけれど、ここにあるとは思わなかったよぉ」

「……人を超えた、ね」

「うん? この前、カナデも言っていたが、人を超える。とは?」

「あ~、まぁ、研究者じゃないとわからないものね」カナデはリリーから本を受け取り、流しながら読む。「ふ~ん……こいつは、生命と道具の境界を唱えているのね」

「……カナデちゃん、そんな速さでよく読めたね?」

「読むだけなら得意なのよ」

「――? つまり?」ヴィルナリアが首を傾げた。

「えっと……この人は『生命を釜と成す』って言っていた人なんだぁ」リリーがカップに入った緑茶を飲むと、思案顔のまま話を続ける。「本来、錬金術は釜の中で成立する物なの。でも、この人は生命を、つまり人の身体を釜にして、錬金術を行使しようとした人なんだぁ」

「……?」ヴィルナリアが困り顔で、額に指を添える。「つまり、人の身体に材料などを入れて、錬金術をするのか?」

「そう……だけれど」

「それだけなら人形を使えば良いのよ。けれど、こうやって嫌われているのには理由があるの」カナデはヴィルナリアの頭を軽くはたく。「良い? 物に比べて、人って言うのはわけのわからない力で形成されているわ。魔力だって物と比べ物にならないし。つまり、人の身体を使うってことは、それすら材料にしようとしているってことなのよ」

「だが、それなら、錬金術も発展――」

「あんた馬鹿ね。代償がないとでも思っているの?」カナデはページをめくり、ある一文を指差す。「人は消耗品、こいつはそう書いているのよ。あんただって、魔力使ったら疲れるでしょ? それに物によっては人が人じゃなくなるかもしれないのよ? 人は死ぬんだもの」

「……ああ、なるほど。錬金術をやっていない者からすればただ、苦痛を与えるための術にしかならないわけか」

「そういうことよ」

「確かに、人の生命力や魔力、それを材料にしちゃえば、すごいものが作れるよ。もしかしたら、人の心がある野菜なんかも作れるかもしれないし、人の形を模倣した植物も作れるかもしれない」リリーが顔を伏せ、ため息を吐く。「でも、それは超えちゃいけないの。人であるのなら、その領域から出ることは許されない。あたしの『師匠』にも、口酸っぱく言われたよぉ」

「リリーって師匠なんているのね?」

「それはいるよぉ~」

「僕も師匠の一人や二人ほしいわぁ~」

「二人もいらないんじゃないかなぁ?」リリーが遠くを見つめて、苦笑いを浮かべる。「みんなの身の回りのことを全部してあげなきゃならないし」

「……リリーの師匠が、あんたなしでは生活出来ないのはよくわかったわ」

 師匠でも、顎で使える程の間柄になれる魔法使いはいないものか。と、カナデは考えてみたが、魔法使いなどと無駄にプライドが高い連中にそんな者はいるわけもなく、考えて数秒で諦めた。

 そうして、カナデは肩を竦めていると聞こえていた寝息が止まっていることに気が付く。

「う~、むぅ~」アルフォースが何度も目を擦り、猫が毛を舐めるかの如く、腕を顔に擦り付ける動きをした。「ふぁ? ありゃ? 寝てた?」

「ぐっすりとな」

「しょうがないね。今日は天気が――」アルフォースが窓から外を眺めると、言葉を止める。「うわ! こんな時間じゃん! 晩御飯遅くなっちゃうよ」

 夕食の支度をするにしても早過ぎはしないだろうか? カナデはそう疑問に思ったが、早い夕食も悪くはないだろう。と、久々のまともな食事に期待する。

「アル、俺は肉が食いたい」ヴィルナリアが手を上げ、アルフォースに頼む。「やはり、昼食が少なかったからな、がっつりと食べたい」

「はいはい、今日はハンバーグだよ」

「……さっきピーマンを買っていなかったか? 俺は肉詰めをハンバーグだとは認めんぞ?」

「……」アルフォースがあからさまな舌打ちをし、ため息を吐く。「じゃあ、油炒めで良いよね? 他にピーマン使うとなると、材料が――」

 ピーマンを夕食に使うことが確定しているのが嫌だったのか、ヴィルナリアが不貞腐れたように、煙草を手に縁側に座って遠くを見始めた。

「でっかい子どもねぇ」

「ピーマン、美味しいのにねぇ」

「まぁ、なんだかんだ言って俺が作った物は残さないから大丈夫だよ」アルフォースが書斎の扉に手をかける。「それじゃあ、パッパッと作ってくるよ」

「あ、あたしも手伝うよぉ」

「本当? 助かるよ。カナデはどうする?」

「……僕の炎が火を吹くことになるわよ?」

「どういう――言葉通りの意味なのかなぁ?」アルフォースが呆れたように言う。「魔法は使わせないよ? レッツチャレンジ」

「……良い度胸ね」カナデは不敵に笑う。「僕の料理技能、見せてやるわ」

書斎から出たアルフォースとリリーの後を歩くカナデは扉を開け、すぐに景色が見える構造の建物に慣れなかった。一般的に、家と言うのは『箱』であり、ここまで露出している家は珍しい。と、いうより、見たことがない。カナデは庭に置いてある岩や木々、それらを興味深く思い、眺める。

「それにしても、この屋敷にあるものは見たことがない物ばかりね」カナデはアルフォースに尋ねる。「どこで手に入れるのよ?」

「うん? まぁ、そうだね。収集癖のある人がこの屋敷にいるから、色々な物や本を持ち帰ってくるんだよねぇ……書庫にある本もほとんど拾ってきたんだってさ」アルフォースがカナデの質問に答えながら早足で進み、カコンと音がする筒状の物を指差す。「あれもね、『ししおどし』って言って、泥棒とかをびっくりさせるために作ったんだって、獣避けって書いてあったし」

「……水の重さであの筒状の物を石に叩きつけているのね。こんなところに泥棒に入る奴なんていないと思うわよ」

 アルフォースはこの屋敷にある物のほとんど、起源については知らないと言う。大昔の物なのか、幻想や妄想の中に存在する三千大全世界からの産物なのか、自身の国の歴史を記すことしか出来ないほど精一杯な世界であるが故に、大昔も幻想も大差がないと笑いながらアルフォースが話した。

「錬金術に使えそうな物とかもあるし、リリーも色々見て周ると良いよ。俺たちじゃどう使ったら良いかわからない物もあって、手を付けていないから」

「錬金術に魔法――世の錬金術師や魔法使いが喉から手が出るほど欲しい環境が揃っているよねぇ……ここに畑を作ったら良い物が出来るかなぁ」

「土地はたくさん余ってるから、畑の一つや二つ頼めば作れるよ?」アルフォースが平然と話す。「リリーの家の畑がどのくらいの大きさなのかわからないけど、十分じゃないかなぁ?」

「悪気のない嫌味が一番対処に困るわよね」カナデはアルフォースの額をつつきながら、リリーを見る。「さっきも思っていたのだけれど、錬金術か……随分マイナーな物をリリーは職業にしているわよね?」

「うみゅ? マイナーかなぁ? それにあたしは商人だよぉ。錬金術は手段であって職業じゃないんだよ」

「そういう風に使っている人が多いのかしら? 僕はリリー以外の錬金術師に会ったこと――いえ、昨日会ったわね」カナデは昨日出会ったアルフォースと同じく、悪意のない嫌みを放つ男を思い出し、げんなりとする。「いえ、うん……まぁ良いわ」

「みゅ? どうかしたのぉ?」リリーがカナデの顔を覗き込む。「あ、でもカナデちゃんの言う通り、表に出ない人が多いかも。例えば、薬を売っている商人だって、わざわざ錬金術師なんて名乗らない人もいるし」

「そうなの?」アルフォースが反撃のつもりなのか、カナデの髪をもみくちゃにしながら言う。「錬金術師が作ったってだけで、薬とかも効きそうな気がするのに」

「錬金術師が作った薬と医者が作った薬、どっちが効くと思うのよ?」

「あ~……」

「そういうこと。所詮、錬金術師は本職の人じゃないから、わざわざ言って、お客さんを逃がすことはしないんだよぉ」

 錬金術師も錬金術師でしがらみがあるのだと、カナデはどこも世知辛い境遇に愚痴の一つでも騎士団長に言いたくなった。

「まぁ、錬金術師も大変なのね。魔法使いは世に出るのが必須だから、ある程度力を付けても、場合によっては守られるわ。でも――」カナデはリリーの横腹を掴み、『ただの野菜を作っている錬金術師』であるリリーを怖がらせる目的の言葉を放とうと考える。「錬金術師は表に出ないからこそ、力を付け過ぎると、菜園の魔王みたいになっちゃうのよねぇ」

「みゃぁ!」

「――? どうかした?」カナデが望んでいた反応だが、リリーがあまりにも驚いた声を上げたことが気になり、首を傾げる。「驚かせるために言ったのだけれど、そこまで驚かれると逆に引くわよ?」

「あ、あははぁ~……え、えっと」リリーが視線をあっちこっちに投げ、涙目になる。「あ、あたしはだいじょぶ!」

「そ、そう?」

「はいはい、お喋りはそのくらいにして頭を切り替えて料理に臨もうねぇ」アルフォースが手を叩き、リリーの手を引っ張り、傍に寄せる。「リリー、すぐに泣くんだから」

「う~」

「さ、美味しいご飯のために――うん?」

 アルフォースが突然首を傾げ、屋敷の入り口の方に視線を向けていた。カナデはその視線を追ってみると、屋敷が騒がしくなっていることに気が付く。よくよく見ると従者らしき者たちが慌ただしく動き回っており、カナデは何かあったのか。と、アルフォースに尋ねようとする。

「ねぇ、アル――」

「――ッ!」

 すると、アルフォースがリリーの手を引き、傍にある部屋に入ろうとしていた。そして、カナデは気が付く。額から汗が湧き出ていることに、背後に迫る絶対的な存在感に――。

「……」

「アル、その子たちが新しい友だちかぇ?」

 優しく聞こえる声。しかし、それに惑わされ振り返ってしまえば飲み込まれてしまいそうな錯覚にカナデは陥る。

「うげ、じいちゃん」

「うげとはなんじゃ、うげとは。じいちゃん、悲しくて泣いてしまうじゃろ?」

 この国、エルジェイムにおける。否、それは各国にも及ぶほど強大で、絶対的な権威、インペリアルガード騎士団長・ヴィルランド=ロイ・レイブン。

「その子たちが新しい友だちなんじゃな。可愛い子たちじゃな」ヴィルランドがカナデの脇を通りながら、包容力のある声色で言う。「すまんのぉ、じじいが出てきて良いものかとも思ったが、孫たちの友だちと言うのが気になってのぉ。これからも、仲良くしてあげてけれ」

「……じいちゃん、忙しくて帰って来られないと思っていたよ。これじゃあ、悪戯も出来ないにゃぁ」

「悪戯も程々にしておくのじゃぞ? この屋敷でアルを叱れるのはヴィルナリアくらいしかおらんからのぉ」

 ヴィルランドが振り返り、優しげな微笑みで言うのだが、カナデはそれすらも恐怖を抱き、後ずさりながら呟く。

「『精霊の――騎士王』」

「む? その恰好からしてもしやと思っておったが、お主、魔法使いかの? わしのことを精霊の騎士王などと呼ぶのは彼奴らくらいだしの」

 精霊の騎士王――それはヴィルランドをインペリアルガードの騎士としてではなく、一族が持つ固有の魔法を指した言葉。騎士でありながら、魔法使いが憧れを抱く魔法を扱う存在に対して付けられた畏怖の象徴。

 あらゆる属性、四大属性と言われる炎、風、水、土に加え、光や闇、氷や雷などのエネルギーを武器として生成する魔法の使い手。一つの属性を極めるのも難しいとされるにも関わらず、属性を理解し、生成するまでに至ったヴィルランドを魔法使いたちは幻想に存在する神話、精霊をなぞって呼ぶ。

「そんなに怖がられると心が痛いのぉ……この家では孫に甘いジジイじゃよ。わしのことなど気にせず、アルやヴィルナリアと仲良くしてやっておくれ――ん?」

 ふと、ヴィルランドが、明後日の方向を向き、わざとらしく口笛を吹いているアルフォースとその手の握っているリリーを見つめていた。

「お主は――」

「あぅ、わぅ……」リリーが顔を真っ青にしている。

「錬金術師かの? 珍しいのぉ」

「みゃぁ! あ、あぅ……み、見ただけでわかるのです――違った。っぺ?」

「ぺ?」ヴィルランドが首を傾げる。「うむ、勘じゃがの」

「あぅ、えっと――」リリーが目を回しながら上ずった声で言葉を発する。「あ、あのぉ、ほ、ほんじちゅはおひがりゃもよくっぺぇ」

「……リリー、落ち着いて」

「リリー、のぉ……」

「ひゃ、ひゃい!」リリーが身体を震わせ、歯を食いしばっている。「あ、あたしは! や、野菜を売っていましゅ! あ、アルちゃには、いちゅも、野菜を買ってもらって、お世話ににゃっていましゅ!」

「……ふむ」ヴィルランドが、リリーに顔を近づける。「おお! アルがいつも買って来てくれる野菜はお主のところの野菜であったか。生姜、みょうがにキュウリ、いつも美味しく食べているぞい。あのような野菜、本当に好きな者にしか作れん」

「は、はい! えっと、あたしの夢は、野菜でみんなを幸せに――って、あたし、何言ってんだろ」

「……」

 リリーの言葉になのか、一瞬の間の後、ヴィルランドが豪快に笑いだした。

 最早、限界に近いリリーの涙腺、カナデは拳を握ると足を一歩踏み出し、リリーに近づき、その頭を抱きしめた。

「――む?」ヴィルランドがハッとした表情になり、リリーに頭を下げる。「すまんすまん、驚かせる気はなかったんじゃ」

「あぅ……」

「うむ、これからも孫と仲良くしてけれ」そして、ヴィルランドが顎ひげを触りながら、カナデを興味深そうに見る。「魔法使いのお嬢さん、お主、名は?」

「……カナデ、カナデ=イザヨイ」

「ほ~かほ~か、お主もぜひ二人と仲良くしておくれ」ヴィルランドが先ほどよりも大きな声で笑い、歩き出す。すると、途中で思いついたのか、手を叩き、振り返り言う。「書斎には行ったかの? あそこの本はもう誰も読まん。魔法使いであるのなら、きっと役に立つぞい」

 片手を振りながら去っていく背中に、カナデは盛大に息を吐いた。そして、抱きしめたリリーのことを思い出し、カナデはリリーの顔を手で持ち上げ、その顔を覗きこむと、軽くだが頬を叩く。

「……あたし、生きてる?」

「どれだけ怖がっているのよ。大丈夫よ、もう行ったから」

「バレたかなぁ、バレただろうなぁ」

 アルフォースが頭を抱え、苦笑いを浮かべており、カナデはすぐに頭を切り替える。バレるとはどういうことだろうか? カナデは疑問をそのまま口にする。

「アル、あんた何か隠しているでしょ? 騎士王も意味深だったし」

「あ~、うん――まぁ、色々ね」

「……そう」カナデは呆れ顔でアルフォースの額を指で弾く。「ほらリリー、歩ける?」

「う、うん――」

 しかし、リリーの足は未だに震えており、腕を掴む手も力強い。カナデには何がここまでリリーを怯えさせているのかはわからなかったが、とにかくこの場から動き、リリーを落ち着かせようと考えた。

「アル、とりあえずリリーを落ち着かせましょう?」

「あ~、うん。それなら――」アルフォースがそう言って歩き出すと、程なくある扉に手をかける。「ここに良い物があるよ」

 アルフォースの後について行くと、そこにはたくさんの服、ヴィルナリアが着ていた色とりどりの浴衣が掛けられていた。

「せっかくだから着ていきなよ。サイズも揃っているから」

「そうさせてもらうわ」カナデはリリーの手を引き、浴衣の前まで連れてくると、それを身体に合わせ、笑みを向ける。「ほら、この色とかリリーに似合うわよ?」

「う、うん……」

 それでもどこか不安げなリリーにカナデは深くため息を吐き、アルフォースを見るのだが、そのアルフォースが苦笑いを浮かべており、リリーがどうしてこのように恐れているのか、その原因を知っているようにカナデは思えた。

 しかし、話さないということはそれだけ大きな内容であり、出会ったばかりの自分ではまだ知らせてもらえないのだろう。と、カナデは癪に思ったが、それならば自分で考えれば良いだけである。そう『魔法使いなりの思考』にシフトし、今はただ、リリーを元気づけようと考えた。



  【夢を語った錬金術師と聞いた兵士】

「おじい様」ヴィルナリアはヴィルランドの私室の扉を叩く。「おかえりなさい。少し、よろしいでしょうか?」

「うむ、ただいまじゃ。そうじゃな、お主の顔がもう少し柔らかくなったのなら、聞いてやらんでもない」

「……」

「ここは家じゃぞ? じじいと話すのにそんなに硬くなる必要があるとは思えんのじゃがのぉ」

「私は兵士で、おじい様は上官であります」

「その前にわしの孫じゃ」ヴィルランドが手招き、すぐ隣の床、藁で編まれた『畳』と呼ばれる床を数回叩き、座るように促す。「ほれ、こっちに来て元気な顔を見せておくれ」

「……わかりました」ヴィルナリアは小さく息を吐くと、笑みを浮かべる。「それでは失礼します」

「まだ硬いが……まぁ良いじゃろう。それで、どうしたんじゃ?」

「いえ、大した――いえ、急を要することではないのですが」

 ヴィルナリアは昼の出来ごと。リリーのジョウロについてヴィルランドに尋ねようと思っており、彼女の喜びようからして、大事な物であったのは言うまでもなく、それを『大したことはない』と、一蹴するのは気が引ける。故に時間はいつでも良いという風に言ったのである。

「実は、菜園の魔王についてなのですが」

「……ふむ、聞こう」

「菜園の魔王がリリー=プリズナーと呼ばれている理由は、彼が救ったとされる村に落ちていたジョウロが理由ですよね」

「……ふむ?」ヴィルランドが首を傾げる。「彼……のぉ」

「おじい様?」

「いや、気にするでない。それで?」

「今日来ている友人に、リリーという少女がいます。その村に落ちていたジョウロ、彼女の物ではないかと思いまして」

「さっき会ったぞい。良い子たちじゃな」ヴィルランドが煙草を取り出し、火を点ける。「彼女がそう言ったのかぇ?」

「ええ、ジョウロを失くしたことはないかと尋ねたら、失くした。と、言っていました。それで思ったのですが、あのジョウロはリリー殿の物であり、私たちが勘違いをして、名前を付けているのではないかと」ヴィルナリアは名前を使われているリリーを不憫に思うのと同時に、ちゃんと調べることも出来なかった自分を恥じる。「時期も同じであり、リリーと言う名前、そしてジョウロと言う物。このような偶然はあまりないと思いまして。それで、おじい様にお願いしたいことが」

「……」呆然としたヴィルランドの表情。すると、すぐに吹き出し、ヴィルナリアの頭を撫でる。「ふふふ……ふむふむ、言ってみい?」

「――? え、ええ」ヴィルナリアは撫でてくれるヴィルランドの手の体温を感じながら続ける。「あのジョウロ、リリー殿に返してあげたいのです。とても大事な物なのか、そう提案した時、とても嬉しそうにしていました」

「ほ~か、ほ~か。じゃがのぉ……」ヴィルランドが苦笑いを一つ。「今更、それを覆すのは難しい。しかも、あのジョウロは――」

 笑いを堪えるヴィルランドに、ヴィルナリアはむっと顔を浮かべる。それは『菜園の魔王の物であると仮定したジョウロの所在』について、ヴィルナリアは納得していないからである。

「……あの村の者たちはおかしいです」

「そうかの? 『恩』を受けたんじゃ、返すのが礼儀じゃろう?」

「それでも、魔王です」

 菜園の魔王が救った村、その村は飢饉に襲われており、しかも大きな街から離れているために、支援を受けづらい村であった。しかし、その村に当時噂程度でしかなかった菜園の魔王が現れたのである。

 菜園の魔王は村人たちに植物の種と土を渡し、まるで『奇跡』と言わんばかりに『道化』を演じて見せたのである。

 その道化はたちまち枯れていた村の畑に命を吹き込み、植物からは水が湧き、そして、生命を育むための野菜を一瞬の内に作り出したのであった。

 その話から、菜園の魔王は魔王と認識され、その村に落ちていたと言うジョウロに可愛らしい文字で書かれた『リリー=プリズナー』と、いう名前が付けられたのである。

 そして、その村には今でもそのジョウロが『祀られており』ヴィルナリアはそれが許せないのである。

 そもそも、菜園の魔王には謎が多く、曰く、巨漢の優しそうなお爺さん。曰く、魔物のような風貌でありながら、人の言葉を話す他種族、曰く、手のひらサイズの妖精。などなど、見た目に関してはほとんどわかっていない。

 しかし、男と言う情報が多いことから、男であるのは間違いないと確信しているヴィルナリアは名前を使われているリリーが不憫で仕方がなかった。ヴィルランドが言うように、それを覆すのは難しい。しかし、魔王に間違えられてしまう可能性があるのだ、早々に撤回すべきだろう。

「おじい様、何とかなりませんか?」

「……うむ」ヴィルランドが煙を吐くと思案顔で口を開く。「随分と肩入れするんじゃな?」

「はい?」

「いや、ヴィルナリアが『人々』のためにある兵士になりたいというのは知っておる。しかし、それにしてもあの少女に肩入れすると思っての」

「……」ヴィルナリアは同じく煙草に火を点けると、清々しい笑みを浮かべる。「おじい様、彼女の夢、聞きましたか?」

「む? う~む。野菜でみんなを幸せにするという奴かぇ?」

「はい」ヴィルナリアは自分にはないもの。つまり、大きく夢を語ること、その夢のために目に見える努力を行なっている者を久々に見たのである。その話をした時のリリーを思い出しながらヴィルナリアは話す。「彼女はきっと、その夢を叶えます。難しい夢かもしれない。この年齢になって、夢は諦める物だと覚る。しかし、彼女……リリー殿にはそれがなかったのです。俺は、尊敬にも似た感情を彼女に向けていましたよ」

「……」

「肩入れをしている。そうかもしれません。俺は、きっと応援したいのです」

「ほ~か、ほ~か。うむ、良い友に巡り合えたの」ヴィルランドが喉をクツクツと鳴らし、二本目の煙草に指から出した火で、火を点ける。「あの魔法使いの娘も中々じゃぞ。カナデと言ったかの?」

「ええ、カナデも友と呼ぶに値する理由を持っている。と、思います。何分、あまり自分のことを話しませんから」身体から力を抜き、カナデと出会った時のことを思い出すヴィルナリア。「しかも、如何せん性格がキツいですから」

「そうじゃな、強気な子じゃ。あの娘、わしに向かってきたのじゃぞ?」

「おじい様に?」

「うむ、少しリリーを怖がらせてしまっての。そうしたらあの娘、リリーの頭を抱きながら、わしに魔法をぶつけかねん勢いで睨んで来たんじゃぞ」ヴィルランドが大きな声で笑い、その時のことを思い出しているのか、口角を吊り上げた表情を浮かべる。「ああやってわしに牙を剥く者は久しいのぉ。兵士として育てたいのぉ」

 どこか熱の籠った視線に『獣』と形容される表情、ヴィルナリアはその表情が意味するヴィルランドの本意を理解している。それ故に首を振り、祖父――騎士団長としてのヴィルランドを抑制する。

「おじい様、悪い癖ですよ? カナデには、カナデのやりたいことがあるのですから」

「む、おっとつい癖での」

「さ、それはいつかの話しにして、今はアルが作ってくれる夕食を待ちましょう」

「そうじゃな。うむぅ~、アルの食事は久々じゃからの。そうじゃ」ヴィルランドが棚から如何にも高そうな酒を取り出す。「ヴィルナリア、夕食が来たら、酒に付き合ってくれんかの?」

「そうですね」ヴィルナリアはヴィルランドとする久々の食事を喜び、城で見せることのないだろう、祖父に向ける表情で了解する。「喜んで」




  【恐怖を照らす真っ赤な道しるべ】

「リリー、少しは落ち着いた?」

 終始俯いているリリーの横で着物を選ぶカナデに相槌を打つアルフォースはリリーの頭を何度も撫でる。さすがにヴィルランドが帰ってくると思っていなかったために、気の毒なことをしただろうか? と、心配していた。

「ほ~ら、これ、リリーに似合うわよ?」

「……うん」

「あぁ~もう! ほら、こっちに来なさい」心ここに在らずのリリーの手を引き、カナデがリリーの服を脱がそうと引っ張る。「もう脱がす」

「ふぇ!」

「こんな狭い空間なんだもの、逃げられると思っているのかしら?」邪悪な笑みのカナデが、リリーのタンクトップを下から上に引っ張り、無理矢理脱がそうとする。「ほら、さっきみたいにそのデッカいの揺らしなさいよぉ」

「わ、わぁ、か、カナデちゃん――」

 アルフォースはリリーとカナデに背を向け、欠伸をしながら事を待つことに決めた。服がこすれる音、服が脱げているだろう度に聞こえてくるリリーの艶かしい声、三人寄れば姦しいとはよく言った物だが、二人ですらこのように視線を逸らさなくてはならない状況にまでなるのだ、後一人増えたらどのような騒がしい一日になるのか、ヴィルナリアが頭を抱えて荷物運びに徹することは想像に容易い。そんな景色に思いを馳せ、小さく笑う。

 そんなことを思っていてアルフォースはふと、二人に言わなくてはならないことを思い出した。

「そういえば、その服、着方があるんだけれど――」

 楽しげだった二人の声が、いつの間にか四苦八苦しているような、苛立ちの混じった声に変わったことに気が付き、アルフォースは苦笑いで呆れて声を出す。

「ほら、二人とも後ろ向いてて、俺が着せるよ」

 リリーとカナデには浴衣を羽織ってもらい、その上から腰の辺りに巻く帯を当てるアルフォースは、嬉しそうな横顔の二人に首を傾げる。

「女の子ってこういうの好きだよねぇ」

「あんたも着たら? 少しは上品に見えるわよ?」

「ヒラヒラは嫌なんだもん」アルフォースは膨れ、浴衣を好んで着るヴィルナリアのことを話す。「ヴィルなんてこれを戦闘服にしてるからねぇ、動きにくそうだけど、ヴィルは動きやすいんだってさ」

「……あんたたち、服をなんだと思っているのよ? 僕でさえ、お金の優先順位は一に魔道書、二に服を置くのよ? 第一印象って大事なんだから」

 その順位と言う物はどれも減らせないからこその順位ではないのだろうか? アルフォースは三つ目に来るだろう『食事』を減らして本と服を買っているのはカナデだけだろうと思ったが、ここで藪を突いてもしょうがないと判断し、黙る。

「……何とか言いなさいよ?」

「ツッコミ待ちだとは思わなかったにゃぁ」アルフォースは肩を竦め、第一印象が大事だと話したカナデを見る。「第一印象が大事なのに、カナデは初っ端から炎を投げてきたよね?」

「それはあんたたちの第一印象が最悪だっただけよ」

「さいですかぁ」アルフォースはカナデが着る浴衣の帯を締め、次にリリーの浴衣を着せる。「リリー、きつくない?」

「う~、ちょっと胸が――」

「燃やしてやろうかしら?」

「なんで~」

 カナデがリリーの胸に寄りかかっている光景をアルフォースは見ながら、少し元気になったリリーの背中を軽く叩く。「元気になったかな?」

「えっと――うん、二人ともごめんねぇ」

 リリーとカナデが満足そうな表情で振り返り、浴衣を着た姿を見せる。リリーは白の生地に淡い色の草や水玉が描かれた大人しい色合いの浴衣。カナデは真っ赤な色に、リリーの浴衣とは違い、膝上までしかない丈の浴衣。

「お~、似合ってる似合ってる」アルフォースは色も含め、二人のイメージ通りの浴衣を選んでくれたことに安心し、リリーとカナデに感想を言う。「リリーはそういう色が似合うね、すごく美人みたい。カナデは真っ赤」

「他に言うことはないのかしらねぇ?」

「子どもみたいに可愛いって言ったら怒るでしょ? ちゃんと空気読んだんだよ」

「……その発言が空気を呼んでいないって気が付いているのかしら?」

 カナデの手が頭に伸びてきたために、アルフォースはその両手を掴み、ゆっくりと後ずさる。すると、リリーがクスクスと笑っており、アルフォースはカナデと一緒に手を止めてしまう。

「リリーも混ざる?」

「二対一になりそうね」

「あはは……ねぇ?」リリーが控えめに声を出す。「あのね、聞いていい?」

「なにかなぁ?」

 リリーが今にも泣き出しそうな顔を伏せ、身体を震わせていることに、アルフォースは気が付いた。

「――これからも、友だちでいてね?」

「……」

 アルフォースは「やられた」と、思ってしまった。それほどまでに、リリーは恐怖していたのである。目の前にいる商人兼錬金術師はただの女の子なのである。世界から『切り離され』『蔑まれ』ようとも、しがみ付き、だからこそ『縁』を離さないように必死になる。しかし、その必死さを超えるほど強大、騎士団長であり世界の中枢、ヴィルランド=ロイ・レイブンが間近に現れたことにより、まるで幼子のように助けを求めてしまった。

 そう思わせてしまったのである。アルフォースは表情を歪め、リリーの手を握ろうとする。しかし、首を傾げていたカナデがリリーの頭を一度はたく。

「あんたは何を言っているのよ」強気の表情を崩さないカナデがリリーの頭から手を頬に移す。「あんまり泣き虫なのはウザったいけれど、リリーの泣き顔はそそるわ。あんたが嫌だって言ってもいつでも泣かしてあげるわよ。僕は全ての生命に寛大なの。例えあんたが『ホムンクルス』だったとしても一緒にいてあげるわよ」

「……」呆然とした表情のリリーが瞳に涙を溜める。「うんっ……あぅ。でも、こんなに悩んじゃうホムンクルス、あたしでも作れないよぉ」

「わからないわよ? 産まれた時の記憶が作られた物とも限らないし、僕だってホムンクルスかもしれない。ならば、どんなものかもわからない自分とそれを天秤にかけて、僕がそうしたいって思えたのならそうするべきでしょう?」カナデがリリーの頬を引っ張る。「ペットでも良いわよ?」

「……えっと、ワン?」リリーが跪き、カナデを見上げる。

「良い子ね」

 カナデがリリーの手を引っ張り、部屋から出ようとする。リリーの手を引いて眩しい程の彼女が歩きだす。真っ赤な――まるで炎のような髪は光よりも鮮明に見えて道標となった。

 アルフォースはそんなリリーとカナデを眺め「赤が似合うなぁ」と、カナデに向けて呟き、二人の背中をついて歩く。




  【宴の終わりは境界へ】

「あれ? じいちゃん一緒に食べんの?」

 夕食を作り終えたアルフォースは焼いたバケットと肉を捏ねて俵型にした物、潰したポテト、ニンジンを砂糖と水で艶付けして煮た物が盛られた皿、カナデに頼んだ瑞々しさの欠片もないサラダ、肉やハーブ、根菜等々を時間をかけて火にかけたスープに玉ねぎ、肉を燻製にしたものを入れた皿をお盆に乗せ、リリーとカナデと一緒にダイニングルームへ入った。すると、その部屋にはヴィルナリアとヴィルランドがおり、アルフォースは首を傾げる。

「……駄目なのかぇ?」ヴィルランドが見てわかるほど肩を落とし、机に突っ伏す。「うぅ~、孫がジジイをいじめるんじゃぁ」

「……素敵なおじいちゃんね」呆れたようなカナデの声。

「精霊の、とか、騎士王って言われてるけど、中身はこんなもんだよ」

「わ、わぁ、ふ、二人とも、おじいさん、プルプルしてるよぉ」リリーが焦ったような声を上げ、ヴィルランドの背中を控えめにさする。「あぅ、あの、さっきはその、初めて偉い人に会ったのと、およそ生涯の最大の脅威がいたからびっくりしちゃって――」

「リリーって隠し事が出来ない子だよねぇ」

「うみゅ?」リリーが背中をさする手を止めた。

「素直で良い子じゃの。まったく、こんな子にまで重荷を背負わせることになるとは」ヴィルランドが深いため息を吐き、手を伸ばし、リリーの頭を撫でる。「もう少し上の方をさすってくれると、わしはもっと喜ぶぞい?」

「みゅ? あ、はいです!」

 ヴィルランドが気持ちの良さそうな息を吐くと、リリーも嬉しくなったのか、普段見せるような笑顔を浮かべ、優しげな手つきで背中を撫でていた。

「ま、じいちゃんのせいじゃないでしょ。要は程度の問題、リリーみたいな子もいるってだけ」アルフォースは皿を全員の前に並べ、夕食を配る。「それよりせっかく出来たてなんだから食べちゃおうよ。冷めちゃうよ?」

「そうじゃな。リリー、もう良いぞ、ありがとう」

「えへへ」

「いただきます」の声から始まる夕食、率先して今日の出来事や気になったことを話すアルフォースはふと、周りを見ながら相槌を打つヴィルナリアとヴィルランドの様子を探る。しかし、ヴィルランドがニヤニヤとしており、この場所で情報収集や人の顔色を窺うのは分が悪いと覚り、諦めて食事を再開する。

 すると、最初は愛想笑いを浮かべていたリリーの表情が柔らかくなり、ヴィルナリアとヴィルランドに野菜談議を始めるまでに至った。そして、カナデは一切誰とも目を合わせず、一心不乱に食事を頬張る。

 野菜について一所懸命なリリーを眺めるアルフォース。しかし、実際に見ているのはヴィルナリアとヴィルランドの青くなった表情であり、二人がチラチラと視線を向けてくるのをいい加減鬱陶しく感じていた。

「ねぇヴィル? どうしてジャガイモだけ食べて、お肉に一切手を付けないのかを教えてほしいんだけど?」アルフォースはヴィルナリアが持つ酒の入ったグラスを奪い取る。「酒で場を濁そうとしても、そうはいかないからね?」

「そうじゃぞヴィルナリア。好き嫌いはいかん、お前はまだ若いのだから、今の内に蓄えておかねば――」

「じいちゃんはニンジン食え。それと玉ねぎ退かさない」

 同じタイミングで目を逸らすヴィルナリアとヴィルランド。食事を始めた時に二人が最初に行ったことは俵型の肉を半分に切り、中身を確認してため息を吐いたことである。アルフォースが作るその料理にはレンコンやシイタケの野菜を入れることが多く、ヴィルナリアもそうなのだが、同じく好き嫌いが多いヴィルランドも食事の時はアルフォースと目を合わさない時が多い。

「ヴィルとヴィルランドさんが懐からいきなりお酒を取り出した時は用意周到と感心したのだけれど、しょうもない理由で持って来ていたのね」

「二人とも、好き嫌いは身体に悪いよぉ?」

 リリーとカナデに視線を向けられたヴィルナリアとヴィルランドが「ふっ」と、清々しい表情を浮かべると酒を一気に呷った。

「……ジャガイモ食べて『野菜食べましたぁ』的な表情をヴィルはいつも浮かべるんだよねぇ。何のために俺がちゃんと調理して野菜を使っているのか理解していないんだよなぁ」

「残念極まりないわね。これが精霊の騎士王……情けないわねぇ」

「あたしもそう思うけど、それを言っちゃえるカナデちゃんがすごい大物なんじゃないかと思うよぉ」

 膝を抱えるヴィルナリアとヴィルランド。その姿は、真面目と認識されているヴィルナリアや恐怖の対象とすらされているヴィルランドの影も形もないものであった。

「ち、違うんじゃよ! 男であり、騎士団長であるからこそ、そのような甘いものに現を抜かすわけにはいかないのじゃ!」視線に耐えられなくなったのか、ヴィルランドが握り拳を作りながら、叫ぶ。「良いか? 男たる者、焼き菓子や砂糖など取る必要などないのじゃ……そもそも、野菜が甘いなど意味がわからんじゃろぉ!」

「そうだぞ、甘いもの然り、青野菜に根菜、ましてやキノコなどもっての外だ!」

「知ってる? 玉ねぎは炒めないと甘くないんだよ? それとジャガイモって根菜なんだぜ? 良いから食え! というか――」アルフォースは大きく頬を膨らませる。「甘い物や野菜が好きで悪かったね! もう知らない! 二人とも嫌い!」

 その言葉にヴィルナリアとヴィルランドが冷や汗を流しながら、両手をあたふたと動かした。

「ま、待てアル! 俺は何もお前に対してああ言ったわけではなくてだな、一般的なことというか何というか、言葉のあやのようなそうではないような、例えとも取れるような真理の様なものであるかのように見せかけて実は中身のない物の様な――」

「そ、そうじゃぞアル! そもそもわしは一般的な男子論を話していただけであって、アルはもちろんのこと、わしやヴィルナリアに当てはまると言ったわけではないんじゃよ。良いか? アルは特別じゃ! 甘い物が好きな者は心優しい者じゃ! 一般的な男子は優しさが足りないんじゃ!」

 獣は牙を抜かれたように、騎士の王は剣を折られ、守る者もなくなったかのように。声を荒げてアルフォースの手を握る二人の男は、吹いたら消えそうな火のように弱々しい表情である。

「……必死過ぎはしないかしら?」カナデが呆れた声を上げながらも、バターを塗ったバケットを頬張るのを止めなかった。

「……す、素敵な家族とも言えるんじゃないかなぁ?」リリーが苦笑いしながら男性陣を眺めた。

「じゃから、の! 機嫌を直してはくれんか? わしはアルに嫌われてしまったら気力がなくなってしまうわい」

「おじい様もこう言っている。俺も長い期間抜け殻のようになってしまうぞ? 良いのか――」

「なら食べて?」膨れていた頬から満面の笑顔になったアルフォースは皿に残っていた料理を指差す。「た~べ~て、ね?」

「……」

「……」

 アルフォースは「もう知らない」とだけ呟き、微笑んでいるリリーと口いっぱいにバゲットを詰め込んでいるカナデの手を引き、ダイニングルームの扉に手をかけた。

「ま、待つんじゃ! た、食べる! のう? ヴィルナリア」

「え? ええ……当然ですよ? それにアル、俺が今までお前が作った物を残したことがあったか? 俺の記憶にはない、アルの作る料理は何でも美味いからな!」

「野菜を出す度にこのやりとりをしているということを学習してほしいんだけど」流し目気味に視線を投げたアルフォースはため息を吐いて、元いた場所に戻る。

「あんたも大変ねぇ。というか、普段は何を食べているのよ」

「ん~? 普段はねぇ、揚げ物か肉か魚か肴のチーズで腹を満たしてるんだよねぇ。好きな物を食べるのは別に構わないんだけど、好きな物だけを食べるのはねぇ」

 ナイフとフォークを震わせて、ハンバーグやニンジンと対峙している青年と老人。

「じいちゃん、俺から城のシェフに野菜を増やしてもらうように頼んでおこうか?」

「……城なら確実に食わないと思うんじゃが良いかのぉ?」

「毎日ちゃんと帰ってきてね!」

 数回噛み、酒で流し込む。ヴィルナリアとヴィルランドが両目をきっちり閉じながらそれを繰り返しており、アルフォースは頭を抱える。先ほど言ったように、二人はアルフォースの料理でしか野菜を取らない。それ故に、アルフォースは二人が食べられるような調理を心掛けているのだが、それが報われたことは今まで一度もない。

「あ、そうだ! ヴィルちゃん」ふと、リリーがヴィルナリアに尋ねる。「あのね」

「ん?」

「さっき、アルちゃんとカナデちゃんにも言ったんだけど、あたしと友だちでいてね?」

「いきなり何を言うのかと思えば」ヴィルナリアがカナデと同じように首を傾げ、煙草を取り出すとアルフォースに向けるような微笑みで言う。「リリー殿、俺は君の『みんなが幸せになる野菜を作る』という夢に感銘を受けたんだ。俺を幸せには出来ないかもしれないが、素敵な決意に尊敬すら抱いている。友だちとは違うかもしれないが、俺がリリー殿を裏切ることは今世一切あり得ないだろう。まだ付き合いが浅いが、君の夢を聞いた、ただそれだけで信用に価した」煙草に火を点け、食べ終えていない皿を端に寄せながらヴィルナリアが煙を吐いた。

「おいコラ、格好良いこと言いながら残してんじゃねぇ。視線が外れている内に同じことをするじいちゃんも大概だけど、同罪だからな?」アルフォースはヴィルナリアの頬を引っ張り、もう片方でヴィルランドの頬に指を弾く。「食うまで寝かせないからね?」

「ありがとヴィルちゃん、当分の目標はヴィルちゃんでも美味しく食べられる野菜かなぁ?」クスクスと声を漏らしながら笑うリリーが瞳に涙を溜めている。「良かったぁ」

「わしは? わしには聞かないのかのぉ?」

「誰が好き好んでじじいと仲良くなりたい若者がいるのか教えてほしいな? リリー、ご飯を全部食べるまでじいちゃんには優しくしちゃダメだからね」

 食事という名の宴はヴィルナリアとヴィルランドを残して終えた。ちょびちょびとハンバーグやニンジンをナイフで細かく刻みながら食べる姿は、表情からでもわかるアルフォースの機嫌を更に悪くさせた。宴が終わってもアルフォースは二人を解放せず、背後で頬を膨らませながら仁王立ち。リリーと延々とバゲットを頬張っているカナデには先に風呂に入ってもらうように提案し、従者を呼び、寝間着や下着などを用意させた。

「ったく。ヴィル、俺のお酒とカップも持って来てよ」

「……あ、ああ、その、アル――」

「駄目」

 肩を落として、カップを取りに行ったヴィルナリアを呆れた目で見るアルフォース。およそ、カップを持ってきた報酬に、残して良いかの交渉だろう。しかし、それを許すわけにはいかず、内容を聞きもせずに即答したのである。

「じいちゃんも食べてね? ちゃんとそこまで感じないように調理したんだから、俺の努力を無駄にしないの」

「むぅ~」ニンジンを頬張り、渋い顔を浮かべるヴィルランドが一息吐き、手を後ろに置き、身体を逸らす。「アル、わしに隠しとることがあるじゃろ?」

「実はそのニンジン、元がとっても甘いんだにゃぁ」

「それは食っただけでわかるわぃ」ヴィルランドが煙草を取り出す。「一般的には良いニンジンじゃ。とても美味いと言われるじゃろう」

「……わかってるのに、俺からまた聞くの?」

「聞き方を変えるかの、本意はなんじゃ?」

「良い子でしょ?」アルフォースはヴィルナリアの使っていたカップから酒を呷る。「俺はじいちゃんとヴィルとは違って、『知りもしない世界さん』が決めたことを鵜呑みにすることは出来ない」

「……それは危険じゃぞ?」

「そうかもね。騙されるかもしれない、その時は運が悪かったんだよ」

「わしはそれで納得は出来ん。お主が大事じゃからな」

「そうなら、その騙した相手の運が悪かったんだね」机に突っ伏したアルフォースは空になったカップを揺らし、透明のカップからヴィルランドを見据える。「繋がりが強ければ強い程、当事者を無視して回るのが普通。けれど、俺の判断があったことは忘れないでほしいかな」

「……諦めが早く育ったのはわしのせいかのぉ」

「そんなことはないよ。例え、その一端にじいちゃんがいたとしても、この歳になってじいちゃんのせいにはしないよ」アルフォースはヴィルランドに注いでもらった酒の礼を言い、リリーが座っていた場所を見つめる。「じいちゃんはさ、俺がもし、世界さんに嫌われても、孫って呼んでくれるの?」

「馬鹿なことを聞くでない。当然じゃろ」ヴィルランドがもの寂しげに言う。「例え、この地位から落とされたとしても命を賭けてでもお主らは必ず守る」

「ありがと――」アルフォースはニッと歯を見せ笑う。「俺は恵まれてるね。じいちゃんの孫で良かったと思うよ」

「どの親もそうじゃよ。子が、孫が可愛くない親がどこにおるんじゃ」

「そういうもんなの?」

「そういうものじゃよ。わしとて、お主らのためなら、重罪を犯すかもしれぬ」ヴィルランドがフォークでニンジンを突き刺す。そして、思い出したように、アルフォースと視線を交える。「そろそろそういう相手を連れてきても良いと思うんじゃがのぉ」

「片やインペリアルガードになろうと頑張っていて、片や自分の容姿を理解した上で、市場で値切る大空け。まだまだ先じゃないかなぁ?」

 ヴィルランドが肩を竦めるのを見て、アルフォースは笑う。しかし、親の気持ち。アルフォースはまだ芽生えていない感情を不思議に思ったが、今まで生活してこられたのは祖父であるヴィルランドのおかげだと理解し、親の心を間近で感じられた。

「さっきは冗談っぽく言ったけど、毎日家に帰ってきてくれたら俺も嬉しいなぁ」

「そうしたいんじゃがのぉ――」ヴィルランドがため息を吐き、酒を呷る。「どいつもこいつも、まるでやる気が感じられんのじゃ」

「お疲れ様」

 アルフォースはヴィルランドの背後に移動し、その大きな背中を撫でると、肩を揉み、今までの感謝を内に秘める。すると、ヴィルナリアとカナデが一緒に戻ってきた。

 ヴィルナリアの表情は相変わらず、冴えないものとなっており、そんな彼の頬をつつくパンを頬張るカナデ。

「まだやっているのね?」

「まぁね、ほらじいちゃんは食ったよ? あとはヴィルだけ」アルフォースはヴィルナリアからカップを受け取り、食卓につくように促す。「俺が食わせてあげようか?」

「僕も手伝うわよ?」

「勘弁してくれ――」

 うな垂れるヴィルナリアをアルフォースは笑い、ふと、リリーの姿がないことに気が付く。

「あれ、リリーは?」

「あの子なら今ごろ枕を濡らしているわよ」

「……さいですかぁ」悪い顔を浮かべたカナデに、アルフォースは呆れる。「と、いうか、食べすぎじゃない?」

「食べられる時に食べて何が悪いのよ? それと僕は燃費が悪いの」

 その食べた物はどこに行くのか、アルフォースは深刻な表情で考えたが、口にするのは憚られたため、カナデから視線を逸らした。

「うん? カナデはいつもそんなに動いているのか? そのわりには小さいが、食べた物はどこに行くんだ?」

 紳士的な行動が多いヴィルナリアだが、ふとした時に地雷を踏み抜く。アルフォースはそういう発言はリリーの役割であるはずではないかと考えたが、カナデの鬼のような表情を前に、ただヴィルナリアの無事を祈るしかなかった。

「……そうねぇ、僕も不思議だわぁ」カナデがニコニコと『似合わない』笑みを顔に張り付けて、ヴィルナリアの目の前の料理をスプーンに乗せる。「いやぁ、不思議よねぇ……ええ、不思議――ぶっ殺す!」

「ぐぉっ!」

 カナデの持ったスプーンがヴィルナリアの口に突っ込まれる。彼女はヴィルナリアを押し倒し、馬乗りになってスプーンを口の中でグリグリと動かし、引き攣った笑みを浮かべてニンジンやサラダに入った野菜を次々と突っ込んでいく。

 当のヴィルナリアはジタバタと手足を動かしており、ついには一切動かなくなった。

「……」カナデが大きく息を吐き、ヴィルナリアから退く。「ったく、リリーみたいなことをするんじゃないわよ」

「……えっと、カナデ? 程々にね?」

「もうしないわよ。というか、あんたが無理矢理でも食べさせてこなかったからこうなったんでしょうが」カナデがアルフォースの隣に腰をかけると、ヴィルナリアがアルフォースに持ってきたはずのカップに酒を注ぎ、それを呷る。「さて……あんた、リリーと秘密の共有でもしているの?」

「え?」アルフォースはヴィルナリアのカップを使うことを決めると、カナデの空になったカップと自分のカップに酒を入れる。「共有っていうのは、互いが認識して成り立つものだよ? 俺は共有した記憶はないね」

「どちらが一方的なのは聞くまでもないわね」カナデがそのまま酒を浴びるように飲み、アルフォースに強気な表情を見せる。「良いわ。まだ三割も情報が出ているわけではないけれど十分よ。魔法使いは仮説、実験を繰り返して結論を出すことにするわ」

「知識の探求、磨き上げるのは魔法使いの十八番だったね……真実かもわからない知識を時間かけて追うなんて難儀なものだよねぇ」

「真実については魔法使いではなく僕が選択するものなのよ? どうせ幻想、されど妄想――真実なんて、真実を知るもの以外には幻想も妄想も歴史も大差はないわ」カナデがそう言って、赤い髪を靡かせ手を振り、扉を開き出ていく。「それじゃあ寝るわ。おやすみ」

 ニセモノの魔法使いはホンモノを模倣する。アルフォースは限りなく本物であるはずのその思考を認めないカナデに、いつまでも首を傾げる。

「幻想も妄想も真実と大差がないなら、ニセモノもホンモノも大差がないように思うんだけどなぁ。難しいお年頃、見て見ぬふり、認められない存在。結局、ニセモノか……」

「良い子たちじゃなぁ。二人とも、大事にするんじゃぞ」ヴィルランドが煙草に火を点けると満足気な笑みを浮かべて、煙を吐きだした。

 アルフォースは「そうだね」と、呟き、ヴィルナリアの手を引き、部屋から出ていく。昨日と今日の境界線――その場所に立つアルフォースは曖昧でひどく歪んだ世界を歩きながら眺めていた。過去は夢、妄想、幻想、明日を知る術がないように昨日を証明する術もない。しかし、今日の出来事を信じていたいから、ニセモノもホンモノも魔法使いも野菜売りも『ないもの』というのは考えたくはない。例え、ひどく歪んだ畏怖とされた存在だろうと諦めたくはない。アルフォースは風呂への道をゆっくりと進んでいった。

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