第一話 あらゆる世界の誰も彼も

「アル! 待て!」

「ヤダヤダヤダヤダぁぁぁ!」

「こんっの!」

 長身で、厳つい表情を浮かべる男が追って来ている。アルフォース=ルビー。アルと呼ばれるその男は、自身が勤めている『城』に行くのが嫌で、こうやって逃げ回っているのである。

「アル、いい加減にしないと」

 厳つい男、ヴィルナリア=ロイ・レイブンの両手が輝くのを見たアルフォースは「にゃ!」と、声を上げ、近くにある屋台に潜りこむ。

「おい、アル坊! 俺を巻き込むんじゃねぇ!」

「店主、アルを出してくれないか?」

「お前さんも落ち着け!」

 その屋台には『和心』と、書かれた看板があり、アルフォースがサボるためによく訪れる店である。

「おっちゃ~ん、匿ってぇ」涙目で店主を見上げるアルフォース。「ヴィルが怖いよぉ」

「アル、早く出てこないと店ごと吹き飛ばすぞ?」ヴィルナリアが狼のような表情で、苛立っているのがわかるほどの不機嫌な声で言った。

 アルフォースの友人兼兄弟兼親友のヴィルナリアは、超が付くほど真面目な男であり、サボりや嘘、不真面目なことを許さない――そんなヴィルナリアをアルフォースは面倒だと思う一方、相変わらず想ってくれる幼馴染に安堵する。

「おい、俺の店だよ!」

「ヤ~ダぁぁ~」

「良い度胸だ」ヴィルナリアが顔を引き攣らせ、手に魔力と呼ばれるエネルギーを込める。「今日という今日は許さん――」

「おいおいおいおい! 待て待て待て!」和心の店主が、アルフォースの襟を掴み、猫のように持ち上げる。「俺は関係ねぇぞ?」

「うわぁ! おっちゃんの薄情者ぉ!」

「俺の店を守るためだ。諦めて怒られてこい」

「や~だ~よ~」アルフォースは鳥が羽ばたく如きに暴れ、その場から逃げだそうとするのだが、ヴィルナリアに頭を掴まれてしまい、大人しくならざるを得なかった。

「……ヴィルはさぁ、サボりたい俺の気持ちを考えたこともないよねぇ」膨れながらアルフォースは言う。

「サボられた上司の気持ちをお前は考えたこともないだろう?」

「羊飼いは、羊がどう思っていようとも目的だけを達しようとするでしょ?」

「お前の毛皮はきっと寝心地が良いのだろうな」

「俺は羊じゃないもん!」

「それが答えだ」ヴィルナリアがため息を吐いた。

 アルフォースは、墓穴を掘った。と、長年一緒に暮らしてきた幼馴染とも、兄弟とも言えるこの、眉間に皺を寄せ過ぎて、不機嫌そうな顔になってしまったヴィルナリアの将来を憂い、同時に、長く一緒にいるヴィルナリアに対して使ってきた言い訳が効かないことを、年月の所為にする。

「ひ、人には休息が必要なんだよ!」

「羊じゃなくて残念だったな? 羊であるのなら、羊飼いが体調を見て判断し、品質のために休ませてくれるだろう。しかし、俺たちには、言葉があり、人同士の信頼がある。その結果、お前には休息は必要ないと判断した。良いか?」

「う~、う~」腕を振り、言葉を放とうとするアルフォースだが、返せる言葉はなく「にゃぁ!」と、とりあえず叫ぶしかなかった。

「さて、行くぞ。今日の見回りの当番はお前だろう? 城に戻らなくても良いから、今から見回ってこい」

「――うん!」アルフォースはニヤケ顔を浮かべる。

「……俺も行こう」

「ヴィルのサボり魔ぁ!」

 ヴィルナリアが思っているだろう通り、アルフォースはこのままどこかに行こうと考えていた。しかし、すぐに見破られてしまい、幼馴染が面倒な関係ということを今日だけで三回は思った。

「レイブンの坊ちゃんも、アル坊にだけは言われたくねぇだろうな」

「その通りだ。行くぞ」ヴィルナリアがアルフォースを引きずる。

「待って待って!」アルフォースは、瞳に涙を溜めながら、和心を指差す。「……せめておやつ」

 アルフォースがこの和心をサボり場所に選んでいる理由は、店主と仲が良いと言うだけではない。この店には甘味が売っており、甘い物が好きなアルフォースにとって、この店の甘味は至福なのである。

「まぁ、俺も別に、そこまで根を詰めろと言うつもりはない。それを買ったら、ちゃんと見回るんだぞ?」

「やたぁ~」アルフォースは兎のように飛び跳ね、和心の店主に手を差し出す「おっちゃん、ちょ~だい」

「レイブンの坊ちゃんはアル坊に甘いよな?」そう言って、店主が紙袋に菓子を入れる。「おまけしといたから、一気に食うんじゃねぇぞ?」

「は~い!」

「店主もアルに甘いと記憶しているが?」

「お前さんほどじゃねぇよ」

 どこか火花を散らせているような視線を交わらせている二人だが、アルフォースは気にならず、受け取った紙袋を開け、菓子を頬張る。

 水に浸した豆をすり潰して出来た豆乳を加熱して出来た膜に、小豆と砂糖を煮詰めた餡子と店主曰く、企業秘密の粉に水を入れて丸めた白玉を包み、揚げた菓子であるのだが、歯に触れれば砕けて音を鳴らす楽しげな食感に、後から来る白玉のキレのいいコシのある弾力が面白く、アルフォースは好んで食べている。

 アルフォースはヴィルナリアが支払いを終えたのを眺めた後、オマケで入れてもらった先ほどの白玉の中に餡子が入っている『大福』を口に運ぶ。

「このモチモチが美味しいよねぇ~」アルフォースは至福の表情を浮かべ、もう一つ手に取る。

「ちょっとずつ食えって言ったんだが?」

「アルがそれを聞くと思うか?」

「……しゃぁねぇ。ほれ、レイブンの坊主。ちょっとずつやれよ?」店主がまた紙袋に大福を入れ、それをヴィルナリアに渡していた。

 アルフォースはそれを見て、店主に抱きつきたくなったが、わざわざ回って店主の腰の下に辿りつくのも面倒だと思い、笑顔だけを向けた。

「そう美味そうに食われっとな。ちゃんと見回ってこいよ? この街の治安は、お前さんたちにかかってんだ」

「他にもいるから大丈夫!」

「そういう意味じゃなくてな……」

「さって! やる気出た。おっちゃん、ありがとね!」アルフォースはヴィルナリアの手を引き、駆けだす。

 アルフォース=ルビー、ヴィルナリア=ロイ・レイブンの二人は、所謂――兵士である。この街のために足を棒にし、喧嘩などがあれば仲裁に入るなど、街の治安のために戦い、人々を守る者たち。それが、二人の担っている兵士という役割である。

「ヴィル、どこ見回るの?」

「それはお前が把握していなければならない。いや、良い。今日は『聖域』と貧民街だ」

 覚えているのなら、一言目にお小言を入れなくても良いのではないだろうか? アルフォースはヴィルナリアに見えないように頬を膨らました。

「むぅ。って、聖域なら行かなくても良いんじゃない? あそこ、お行儀良いし、むしろ、俺なんかが行ってせっかく真面目にやっているのを邪魔するのも申し訳ないし」

「何もしなければ良いだろう」頭を抱えるヴィルナリア。

「いやいや、こう、真面目に歌とか歌っていたら邪魔したくならない?」

「ならない」ヴィルナリアが大通りの真ん中を走っている馬車を呼んで止める。「馬車で行くぞ? お前はのんびり歩くからな。時間の無駄だ」

「俺の機嫌が良くなるのは無駄?」

「時間の話だ」

「その時間が俺を上機嫌にさせるのになぁ」アルフォースは馬車に乗り込み、座席に深く腰を下ろす。「いやぁ、歩くのは健康にも良いのにニャぁ」

「そのわりにはくつろいでいるな?」ヴィルナリアが正面に座る。「何だったら、お前だけ走っていくか?」

「ヴィルは馬鹿だなぁ。走らせたら俺は機嫌が悪くなって、時間と労力を無駄にするんだよ?」

「……一緒に乗っていくぞ」

「当然でしょ?」アルフォースはヴィルナリアにウインクを投げ、運転手に行き先を言う。「あ、のんびりで良いよ。運転手さんも休憩だと思ってね」

「今から何をしに行くか覚えているか?」

「見回りでしょ? もし、道中で何かあってもそれを対処するのが俺の仕事、速度を出し過ぎて見逃したら大変でしょ」クツクツと喉を鳴らし、アルフォースはただ、空を眺める。「それに、誰かがサボっていないとも限らないでしょ?」

 そんなことを言うアルフォースだが、馬車に乗りながら見回る気はさらさらなく、真っ青な空を眺め、この街――エルジェイムを臨む。アルフォースは産まれた時からこの街におり、亡くなった両親の跡を継ぎ兵士となったのだが、基本的にはマイペースに生きており、よく見回りや訓練をサボってはヴィルナリアに追いかけられているのである。

「お前以外の誰がサボると言うんだ」

「それはヴィルが俺しか見ていないからだよ」アルフォースは口に人差し指を添えながら、馬車の外を指差す。「俺は女の子をナンパしないし」

「あれはいや、その、あれだ……下ばかり見てもどうしようもないぞ?」

「あの人が下にいるなんて俺は思ってもいないけどね。ただ、たまたま見つかったアンラッキーボーイ――ヴィルみたいに、一人の時だけ力を抜ける人は多くないんだよ」

「それが兵士だぞ?」

「じいちゃんだって、俺たちの前じゃ気を抜いてるだろう? 兵士である前に、生きている者であることをヴィルは忘れちゃいけないよ」

「……何が言いたい?」明らかに不機嫌な声色のヴィルナリア。

「ヴィルは頭固すぎ」アルフォースは大福を袋から取り出し、それをヴィルナリアの口元に近づける。「あ~ん?」

「俺が甘い物を苦手なのは知っているだろう」

「あ~んっ」

「ったく」

 口を開けるヴィルナリアに、アルフォースは笑みを漏らし、そのまま大福を投げ込んだ。ゆっくりと咀嚼したヴィルナリアの表情が険しいままであったが、一噛みごとに逆への字に曲がった眉間の皺がなくなっていくのがわかる。

「……甘い」

「幸せ、感じてる?」

「アルの幸せは随分安いんだな」

「それくらいで十分なんだよ。きっと、それ以上の幸せは受け止めきれない。相応の幸せは認識しておくべきだよ」

「この甘さは、一年に一度で良い」

「一年に一度でも、この幸せを味わえるヴィルは恵まれてるね」アルフォースは運転手に大福を一つ手渡し、自分も食べる。

「そういうアルは、どれほど恵まれているんだ?」

「最も! かな」



  【魔を狩る英雄】

 暫く、馬車に乗っているアルフォースとヴィルナリア。ふと、ヴィルナリアはアルフォースの横顔を眺める。

 アルフォースは、女性受けしそうな童顔であり、さらに身長も低く、見様によっては少女にも見えるため、大抵の人はアルフォースの『見つめる』にたじろぐ。

アルフォースの両親が亡くなって十数年、それからヴィルナリアは彼と一緒に暮らしているのだが、幼い時から常にマイペース。本気を出せば、自分より優れているはずなのに、それを他人に見せようとしない。長年共に生活をしていても、掴めないと思う時がある。

 ヴィルナリアはため息を吐き、どうすればこのアルフォース=ルビーが真面目に兵士として勤めてくれるのかを考えるのだが、答えは出ず……同僚からは、顔が日に日に怖くなっている。と、言われ、内心ショックを受け、鏡の前で笑顔の練習。しかし、その度に、アルフォースを真面目に出来るのは自分しかいないと意気込み、また顔を怖くする。この幼馴染は、それをわかっているのだろうか? そう考えずにはいられないほど、アルフォースの表情は呆けた物であった。

「うん? ヴィル、どうかした? あんまり俺のことで頭を悩ませると、知恵熱出るよ?」

「……わかっているのなら、あまり悩ませるようなことをしないでくれないか?」ヴィルナリアはアルフォースの額を指で弾く。

「あ痛! むぅ、ヴィルは考え過ぎだって、少しは思ったままに動いた方が良いよ?」

「お前を止めるという思いのままに動いているぞ」

「そうじゃなくてねぇ。まぁ良いや。っと、到着かな?」

 アルフォースの言葉の後、馬車が停まる。ヴィルナリアは運転手に礼を言い、料金を払い、先に飛び出していったアルフォースを追う。

 聖域――神などの偶像崇拝、この世界に生きるものではなく、本や銅像に祈りを捧げ、それが救いになると信じている者たちが住む区域。

 ヴィルナリアはその信仰をあまり良く思っていない。何故ならば、この場所に住む者たちは同じ芝生の者しか救おうとせず、神を拒んだ者がいくら救いを求めようとも聞き入れることはない集団だと知っているからである。

 聖域の傍には貧民街があるが、人が集まる祭事の時にしか炊き出しはせず、その時だけは貧民街に住む者たちに偽善を振りまくのである。

 アルフォースが「お行儀が良い」と、言っていたのも皮肉であろう。聖域に住む者たちは何もしない。例え、外で『信仰のない者』が何かしようとも、見ることもしない。故に、アルフォースは「真面目にやっているところを邪魔するのは」と、言っていたのである。

「相変わらず、空気だけは厳かだねぇ」

「そうだな」ヴィルナリアは周りを見渡す「本当は、ここにも詰め所を置きたいのだがな」

「無理でしょ。あいつら、自分たちが王家以上の権力だと思ってるんだもん」

「最近では『勇者』を取り入ろうとしているしな」

「勇者ねぇ」アルフォースが、頭を掻き、教会から出てくる数人を見た。「あれも勇者?」

「ああ。ん? あれは」ヴィルナリアは舌打ちをすると、アルフォースの肩を掴み、身体の向きを勇者から逸らすために動かす。

「ヴィル?」

「あれには関わるな『序列一位』か」

「序列一位!」アルフォースが深刻そうな表情で言い放ったのだが、すぐに小首を傾げる。「って、何だっけ?」

「……」ヴィルナリアは頭を抱える。「一般教養くらいは弁えてくれないか?」

「勇者は興味ないから」

「興味とかではなくてな……そもそも、奴がこの街に来た時、パレードもやっただろう?」

「いつ?」

「一週間前」

「王の誕生日じゃなかったっけ?」

「お前は年に何回王に誕生日を迎えさせる気だ」

 パレードをやる度に王の誕生日だとアルフォースが言っていたことを知っているヴィルナリアは、記憶を辿り、今年になってから合計8回はそう言っていたことを思い出す。

「で? その序列って何だっけ?」

「簡単に言うと、年に最も『魔王』と『魔物』を倒した勇者のことだ。序列一位、ヘイル=プリーシアは歴代でも類を見ないほど、多くを倒している」

「あ~、そういえば、そんなこと聞いたことがある気がする」

「気がするじゃなくて、実際に俺がこの間教えたことだ!」

 アルフォースは勉強が出来ないわけではない。しかし、如何せんやる気がなく、興味のないことや必要ないことはすぐに忘れてしまうのである。故に、ヴィルナリアは毎週アルフォースを捕まえ、椅子に縛り付け、勉強を教えているが、この通りである。

「ど~ど~、そんで? あの勇者は何でこの街にいるの?」

「旅をしているのだから、街に寄るのは……いや、違うか。誰を倒しに行くか、か?」

「そうそう、こんなデカイだけの街に一週間も滞在してるんだ。それなりに理由があるんでしょ?」

「デカイだけって、この街は一応、最後の街。と、言われているだろう。それだけ、この街は魔王を討伐するために寄る勇者が多いんだぞ」

「誰が言ったか知らないけど、魔王の場所によっては最後じゃないでしょ。言ったもん勝ちっていうのは、どうかと思うよ」

「それはそうだが」

「それで、誰を倒すの?」

「……」ヴィルナリアは思案顔を浮かべるのだが、段々と内に湧きあがった嫌悪感を隠しもせずに表情を歪める。

「ヴィルは本当に魔王が嫌いだよねぇ」

「当然だ。魔王は世界の悪だ」ヴィルナリアは吐き捨てる。

 魔王とは、世界にとって脅威になる者に付けられるレッテル、ヴィルナリアはそのような世界の脅威になる者を許せない。世界が悪と決めたのである。それに従うのが、この世界に住む者の勤めである。と、自信を持って言う。

「ヘイル=プリーシアは『菜園の魔王・リリー=プリズナー』を倒しに行くんだ。ヘイルがどのような人間であれ、魔王を倒している奴は正しい」

「……リリー=プリズナーねぇ。飢饉の村をいくつも救ってるって聞くけどねぇ」

「奴は錬金術一本で魔王まで上り詰めた化け物だぞ? しかも、村を救ったと言うが、そもそもそれが――」

 ヴィルナリアは身体の向きを変えるのだが、アルフォースの視線が自分ではない方向を向いていることに気が付き、視線を追う。すると、先ほど出てきたヘイル=プリーシアが、未だに教会の前におり、しかも、アルフォースよりも小さな、真っ赤な髪の少女と口論していた。

 そんなヘイルに近づこうとするアルフォースの肩をヴィルナリアは掴み、止める。そして、少女とヘイルの声を聞こうと耳を傾ける。

「お、お願いよ! 僕をあんたたちの仲間に入れて!」

「はぁ~?」ヘイルが、少女の頭から足までを嫌らしい目つきで眺めた後、人を小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。「お嬢ちゃん、俺たちは遊んでいるわけじゃないんだ」

「わ、わかっているわよ――ッ!」

「わかってないね。そもそも」ヘイルが少女の服を引っ張り、顔と顔がくっ付くほど近づけさせる。「そんな貧相な身体で、俺たちとどう『遊ぶ』つもりだ?」

 少女が顔を真っ赤にして、ヘイルから離れ、そのまま駆けだしていった。

 ヴィルナリアは頬を膨らませているアルフォースの襟を掴み、ヘイルに向かって行こうとするのを制しながら、その光景を眺めていた。すると、ヘイルがこちらを向き、他人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、そのまま仲間とともに立ち去って行った。

「……」

「むぅ、ヴィルのバカぁ」

「しょうがないだろう。あれでも序列一位だ、無碍には出来ん」ヴィルナリアはバツが悪そうに頭を掻く。「それに、あれは実力者だ。どうにもならないだろう?」

「……どうにか出来ないとでも?」

「どうにもしないでくれ――」アルフォースの脇を抱え、その場からヴィルナリアは去ろうとする。「聖域は後で回ろう」

「……ねぇ、ヴィル」

「うん?」

「やっぱ俺は、勇者の方が嫌いだよ」アルフォースがヘイルの進んで行った方向を睨みながら言う。「世界のために在っても、人のためでないのなら、俺は世界が嫌いになっちゃうよ」

「菜園の魔王より、ヘイル=プリーシアの方が嫌いか?」

「うん、俺はそう『知って』いる」

「ん? どういう――」アルフォースの遠くを見つめる横顔に、ヴィルナリアは息を吐く。「この話は終わりだ。アルとこの手の話をしても、俺の考えで覆らないのはわかっている。ただ、俺は菜園の魔王が嫌いだ」

「どしてよ?」

「ふむ……聞いてくれるか」ヴィルナリアは大きく息を吸う。「奴はトマトを作るんだ!」

「……へぁ?」

「トマトだぞ、トマト! あれは悪魔だ!」

「トマトは野菜だよぉ」呆れた表情のアルフォース。

 トマト、それは悪魔の野菜、古来より熟したトマトは人間の臓器や血を彷彿とさせる野菜であり、人間たちは恐れていた。しかも、魔法使いの一部は人間の血や臓器が手に入らず、変わりにトマトを贄に使ったとされる歴史もあるために『理解の出来ない物』『悪魔の果肉』などと呼ばれ、恐怖を更に煽った。ヴィルナリアはそれを過剰なまでに受け止めており、トマトという存在があるだけで吐き気を催す。ちなみに、ヴィルナリアは野菜が大嫌いである。

「トマト美味しいじゃん。熟成した肉と潰したトマトとハーブを一緒に炒めて、その中に香味野菜を煮込んでとったスープを入れ、塩とかスパイスで味を整えたらすごく美味しいよ」

 アルフォースの「トマトが美味しい」と、いう発言にヴィルナリアは「うぇ――」と、返し、頭を振って、頭からトマトの存在をなくそうとする。

「トマトの話は終わりだ。さっさと見回りを――」

「ねぇ? ヴィ~ル~?」猫なで声でアルフォースが言う。「お願いがぁ」

「……言ってみろ」

 アルフォースの視線は、先ほどの少女が駆けて行った方を向いており、ヴィルナリアはアルフォースの『お願い』を幼馴染という間柄から予測し、表情を緩める。

「えっと、あのね――」

「ああ、わかっている。これはアルの見回りの時間だ。そもそも、俺たちは街に住む者たちの味方。だろう?」

「……うん!」

 嬉しそうなアルフォースの表情に、ヴィルナリアは笑みをこぼすのだが、アルフォースが少女の進んで行った方向とは別の方に歩いて行くのを見て、首を傾げる。

「うん? 追わないのか?」

「嫌なことが遭った日は、美味しい物を食べるに限るんだよ!」

「それはお前だけじゃないか?」

「そんなことないもん!」子どもっぽく膨れながら、胸を叩いてくるアルフォース。

「拗ねるな」アルフォースの頭を撫でながら、ヴィルナリアは目を細め、舌を出して駆けだすアルフォースを追いかける。「転ぶなよ?」

「子ども扱いすんなぁ!」

「やれやれ」

 舌を出しながら後ろ向きで進むアルフォースを呆れて眺めるヴィルナリアは今日も帰りが遅くなることを予感し、家の従者たちにまた泣かれるだろう。と、すでに慣れてしまったアルフォースの『お節介』に、微笑まざるにはいられなかった。



  【邂逅】

「まったく」真っ黒なローブを羽織り、ひょこひょこと二つ結びの髪を揺らしている少女は、悪態を吐き、転がっているゴミ箱を蹴り飛ばす。「何なのよ! あの勇者は!」

 魔狩りの英雄と呼ばれる勇者、序列一位・ヘイル=プリーシア。少女は、その『英雄』の仲間になろうとヘイルに声をかけたのだが、言葉での辱めを受け、瞳を潤ませているのである。

「どいつもこいつも、僕のことを子ども扱いして」少女は、横切った猫に威嚇を込めて「ふしゃぁぁ!」と、唸り、大きく頬を膨らませる。

「……何なのよ、もう」

 零れそうな涙を堪え、少女、カナデ=イザヨイは右手の円形の中に描かれた文字の羅列、『魔法陣』を撫で、顔を伏せる。

 彼女は、所謂『魔法使い』である。

 勇者という職業は、人々に認められている存在。特にナンバー付き、ヘイルのような序列で呼ばれるようになった勇者は知名度も高く、大成するためには丁度良い相手であった。

「はぁ~……序列一位と一緒にいられれば、僕も魔法使いとして――」

 魔法使いは、元々血筋を優先するという『常識』がある。しかし、カナデの両親は極々一般的な人間であり、コネがあるわけでもなければ、祖父、曾祖父、さらに遡っても、大魔法使いであったということはない。

 しかも、カナデ自体、魔法の学校に通っていたわけでも、魔法の師匠がいるわけではない。完全に我流の魔法を使う。

 我流の魔法を使う自体、魔法使いにとって珍しいわけではない。何故なら、魔法使いは魔法を研究する者であり、魔法使いであるのなら、遅かれ早かれ『自分の魔法』を持つようになる。その研究の中で、魔法を簡略化し『誰にでも使えるよう』にし、それを他人に売るのが、魔法使いの基本的な商売の仕方である。

 しかし、如何に優れた魔法を作り出そうとも、優先されるのは血筋であり、カナデが魔法を売ったところで、ひと月の生活費程度にしかならないだろう。

 だからこそ、カナデは序列一位であるヘイルの仲間になろうとした。血筋をどうにか出来ないのなら、知名度で自分を売ろうと考えたのである。

「僕の魔法、買ってくれる人、いないし」カナデは、お腹を鳴らしながら言う。「今月、どうやって生きてこうかしら。葉っぱ……しか、ないか」

 魔法使いとは、先述の理由もあり、大成する者は多くはない。しかし、このカナデ=イザヨイ、目つきが悪く、出会う人には「不機嫌?」と、聞かれ、誰かに媚を売るのを嫌い、言いたいことは言い、さらには十にも満たない少女のような見た目で、あまり雇ってもらえない。そのような理由もあり、魔法しか使えないと思っている彼女は、魔法使いとして生きることを決めたのである。

「あ~、もう! またイライラしてきた! あのボンクラ勇者、僕の胸見て笑ったわね!」カナデは真っ平らな胸を触る。「あぁ、もう! 今日のご飯、どうしようかしら? 『取り』に行くのも面倒だし。もう、しょうがないわね。今日は寝る!」

 このまま家に直行することを決めたカナデ、普段の食事は街を出て少し歩いたところに大量に生えている雑草を摘んできてはそれを湯がいて食べているのだが、今日はそんな気分ではなく、貧民街にある自宅への帰路を歩き出す。

「あいた」カナデはうな垂れながら歩いていており、人とぶつかった。「ちょっと、気を付けなさい」

「おやおや、これはこれは失礼した。僕、怪我はないかい?」

「誰が『僕』だ!」

「おやおや、微妙に胸が膨らんでいる少年だと思ったが、少女だったか……これは失敬!」色の薄い男が、笑いを堪えながらカナデに言う。

「あんたわかって言ってんでしょ!」

「ホホホホぉ~、さぁ、どうかな?」

 悪気のないように悪意を振りまく男にカナデは青筋を立てる。そもそも、その男はどこか貴族のような服を着ており、カナデにとってそれだけで男を『敵』だと判断出来る。故に、男の小馬鹿にしたような発言と相まって喧嘩を『買う』ことに決めたのである。

「あったまきた! あんたなんか燃えてなさい!」カナデの魔法陣が描かれている右手が光り出し、手のひらに拳ほどの『炎の鳥』を作り出した。

「ほぉ、魔法使い――」

「謝ったって遅いわよ! 僕はイライラしてんの!」

 カナデの右手から次々と飛び上がる炎の鳥、その全てが男目掛けて放たれる。一羽一羽が意思を持っているように、炎の『跡』を付けながら、飛びまわり、男の全方位塞ぐように一斉に飛び掛かった。

「いやはや、元気な『僕』だ」男が、拳大の小さな釜のような形の物を取り出し、その入り口を炎の鳥に向ける。「良い『素材』だ。だが、危ない炎は釜の中にね」

 男が取り出した釜の中に次々と入っていく炎の鳥。

「はっ? て、ちょ――」

「戦場での私たちの十八番『簡易錬金』」釜に入った魔力が形を変えていき、釜からは炎を纏った『蔓』が伸びるのだが、その瞬間、釜にヒビが入る。「おや……まぁ、お返しするよ。私には、君の炎は熱過ぎる」

 しなり、打ってくる炎を纏った蔓を防ぐためにローブを翻すカナデだが、『炎を防げて』も打撃は防げず、短く声を上げる。

「くぅ。あんた、錬金術師? ったく、面倒な――」

「いやいや、いきなり炎を投げてくるような『少年』よりは優しいと思う」

「ぶっ……殺す!」カナデは、先ほどより多くの鳥を男に投げる。

「ハハハハハあっ、どこに向かって投げているのかねぇ?」

「ああもう!」男に攻撃が当たらず、カナデは苛立ちを隠そうともせずに何度も地面を踏む。「逃げるな!」

「おぉ、怖い怖い。お、おっと――」つまずく男。

「貰った!」

「なんてね」

「へ――」

 男の釜から『伸びていた蔓』が、カナデの足に巻き付いた。

 カナデは蔓に引っ張られ、尻餅を付くと、男を睨み上げた後、ため息を吐いて手に込めていた魔力を消す。

「……あぁ、もう。悪かったわよ。イライラしていたのよ」

「おや、ちゃんと謝れるとは。君は良いお子さんだ」

「誰が子どもよ! これでも成人よ」

「……へぇ~」男の視線が、カナデの胸に向けられる。「せい、じん? 宗教家かな?」

「聖人じゃないわよ! それと、どこ見てんのよ!」

「あ、いや、すまない。私のむす――弟子はボインだからね」

「うっさいわ!」カナデは蔓を焼き切りながら言う。「というか、錬金術師が戦っているところなんて初めて見たわよ」

「それは君の見解が狭いだけだよ。金のない錬金術師は、自分で材料を取りに行かなくちゃならないからね」

「ふ~ん、どこも世知辛いわね」

「おや、魔法使いはどれも金持ちだったと記憶しているのだが?」

「それはあんたが見てきたのは表の世界だったってだけよ。広く見るのも構わないけど、動き回って裏側まで見ないと駄目よ」勝ち誇った表情でカナデは言う。

「おやおや、これはこれは」男が感心したような声を漏らす。

「僕は血筋も何もない魔法使いなのよ。だから、誰も買ってくれないわ」

「……なるほど。若いのに苦労しているわけだ?」

「っそ。まぁ、ニセモノの魔法使いってところよ」カナデは自嘲気味に笑う。

「ニセモノ?」

「そうよ。我流も我流、元になっている魔法なんて存在しないわ。だからこそ、ニセモノ。形だけってことよ」

「……」男の表情が一瞬歪む。「年上からのアドバイスだ。君は作りあげたそれと費やした時間を誇るべきだ」

「何よいきなり――」

「ニセモノでも、それで誰かを救えることだってある」男の手が、カナデの頭に伸びる。「ニセモノだからと言って、そんなに自分を卑下しないでおくれ。その顔は、辛いものがある」

「ん~ん? 僕はあんたの知り合いじゃないわよ?」

「わかっている。似ても似つかない。私のそれはもっと女の子らしいからね」

「あんだとコラ――」

「それでも、私自身を否定されているようでね」

「ったく、よくわかんないけど、これは僕の話で、あんたには関係ないわ」

「そうだと良かったんだけどね」薄い笑みを浮かべ、生命が感じられない雰囲気を纏った男。

「……僕は、人の人生をどうこうは言わないわ。だって僕自身、今日生きるのに必死だもの」カナデは男から興味が薄れ、髪の毛を弄りながら言う。「でも、自分以外を混ぜての『我が儘』なら、そんな顔と雰囲気を醸し出さないようにしなさい。こんな場所で、誰にも頼らないで生きてきたニセモノのアドバイスよ。あんたは、その『それ』を想った思いと費やした時間を誇りなさい」

「……」

「意趣返しってやつかしら?」

「それは私を恨んでいたということかな?」

「説教は嫌いよ。僕以上に、僕が『認識していること』をわかる者なんていないもの。あんたも言われたくなかったら、求められていない説教はしないことね」

「……いやはや、これはこれは」自身の額を軽く叩き、わざとらしく肩を竦ませて喉を鳴らす男。「余計なお世話だったようだね『お嬢さん』」

「わかれば良いわ」カナデは、親しい相手でもない男とこれ以上話す理由も見つからない。と、今度こそ自宅へ向かい、男に片手を挙げて、歩みを進める。

そして、カナデはふと思い出す。「ああ、やっぱあの勇者はムカつくわ!」



  【ヤオヨロズは笑顔の数】

「ヴィル、こっちだよぉ!」アルフォースは大きな声でヴィルナリアを呼び、飛び跳ねる。

 アルフォースが訪れた場所は、様々な屋台があり、食材を売っている市場、時刻は昼過ぎ、夕食の買い物に来た主婦や休憩中の大工などで賑わっていた。

 そんな市場にいるアルフォースは呆れ顔のヴィルナリアがゆっくりと歩いてくることに少し苛立ち、腕を振り回して、走るように言う。

「ヴィ~ル~、ヴィ~ル~、寝起きに野菜を口の中に突っ込むぞぉ」

「……市場もあの少女も逃げはしない」周囲に意識を向けているヴィルナリアが言った。

 アルフォースはヴィルナリアの手を引っ張り、魚屋の前で止まる。そして、魚屋の店主を潤んだ瞳で見つめ、白身の淡白で美味しい魚を指差す。

「『おじ様』?」ヴィルナリアから手を離し、魚屋の両手を包むように握る。「『二尾』欲しいにゃぁ」

 アルフォース、ヴィルナリア、少女と合わせて三尾必要であるが、アルフォースはこの魚屋が負ける時、値段を引くのではなく、一尾多くおまけしてくれるのを知っているのである。

 魚屋の店主が、赤らめた顔を逸らした。それを見たアルフォースはチャンスだと思い、魚屋の両手を引っ張り、顔を近づけさせる。

「ま~け~――て?」顔を紅潮させ、目尻を下げ、色っぽい目つきになり、耳元で囁くように言うアルフォース。

大体の男性がこれで落ちることは経験で知っており、仕上げとして、手を伸ばし、魚屋の頬に触れようとする。

「何をやっているんだお前は」ヴィルナリアに頭を掴まれ、そのまま握られる。「馬鹿者」

「痛い痛い痛い痛いよぉ!」

「店主、すまないな。三尾必要なのだが、少し移動するから、氷と一緒にくれないだろうか?」

 苦笑いの魚屋がヴィルナリアに魚と氷が入った袋を手渡し、アルフォースに手を合わせて頭を下げた。

「むぅ、謝るんなら負けて――」アルフォースはヴィルナリアに睨まれていることに気が付き、乾いた笑い声を上げる。「あ~、えっと……うん。お魚、いつも美味しいよ!」

 顔を引き攣らせ、アルフォースは魚屋に手を振る。そして、市場を進んで行き、比較的、飲食を扱っている屋台が多くある場所に着く。

 その中、屋台の店主たちに笑顔を振りまく女性がいた。その女性は真っ黒な腰まで伸びた髪を馬の尻尾のように頭部の上の方で纏めており、タンクトップにエプロンを掛け、ホットパンツを穿いていた。アルフォースはいつ見ても動きやすそうだけれど、視線を集めそうだな。と、健康的に焼けた肌色に、スラリと伸びた程良い肉付きの脚を見て思った。

「リリーっ」

「みゅ? って、アルちゃんでねぇがぁ!」

「……でねぇが?」ヴィルナリアが訝しげな表情で言った。

「リリー、普通に喋れるんだから、普通に喋ってね」

「むぅ」

「膨れない、膨れない」見た目では綺麗な女性なのだが、中身がずっと幼く、膨れながら胸を叩いている手を受け止め、アルフォースは笑みを浮かべ、撫でながら言った。

「アルちゃんわかってないよぉ。この喋り方は野菜を愛する人たちの標準語なんだよ。あたしの野菜愛は時空を超えて世界を救う!」

「世界は救わなくても良いから、野菜を見繕ってよ。というか、リリーは何て言うか、アレだよね」

 リリーと言う女性、この市場に屋台を構えており、野菜を売っている。店の名前は『ヤオヨロズ』と言い、リリー曰く、家にある文献に『数々』や『多くの』と、いう意味で使われていた言葉らしい。ちなみに、先ほどの「――でねぇが」も、野菜作りの文献に書かれていた言葉らしいのだが、最早『妄想』の域にある歴史の文献を参考にするのは如何なものではないだろうか? と、アルフォースは考えたが、今さら指摘しても治るものではないだろう。

「アレってなぁ~に?」

「ん? リリーはリリーだなって」

「だよぉ」リリーが腰に手を添え、大きな胸を張る。「あたしがあたしじゃなかったら、ここにいるあたしはドッペルゲンガーで、あたしがあたしじゃなくて……みゅ? あたしはあたし?」

「やっぱり『アレ』だなぁ」アルフォースは目を回しているリリーに呆れる。「リリーはここにいるから、深く考えないの」

「……うん。あたしという存在定義について真剣に考えるところだったよぉって、みゅ?」リリーがヴィルナリアに気が付き、首を傾げている。

「あ、リリーはヴィルを見るのは初めてだっけ?」

「ヴィル……あ! 野菜嫌いの」

「アルは俺のことを何て話しているんだ」ヴィルナリアが肩を落として言う。

「ん~? 野菜が嫌いな偏食家って話したけど、事実でしょ?」

「野菜は食べなきゃ駄目だっぺぇ!」

「……すまん、俺の時も普通で頼む」

「むぅ」リリーが袋にトマトを詰めながら、頬を膨らませる。

「――ッ!」驚いたような表情を浮かべ、ヴィルナリアがリリーの手を掴み、首を横に何度も振る。

「みゅぅ?」

「あ~、ヴィルってトマトが大っ嫌いだから。野菜ってカテゴリーではジャガイモしか食べないけど」

「あ、あれは野菜じゃない! 悪魔だ!」

 一瞬、ヴィルナリアの叫びにも近い声に肩を跳ねさせたリリーだったが、すぐにむっと顔になった。

「悪魔、悪魔って、食べもしないのに作った本人の目の前で言われるのは心外だよぉ!」そして、トマトを大量に袋に詰め始め、言葉を強くして言う。「まずは食べてみて!」

「い、いや、しかしだな――」

「しかしもキャベツもない! 別に無理に食べろなんて言わないよ。だって、トマトにはそれだけのことをした歴史があるし、偏見からの好き嫌いがあっても文句は言えないよぉ。でもね、丹精込めて作った我が子同然の野菜に対し、悪魔って……」リリーが瞳いっぱいに涙を溜め、俯いた。

リリーが身体を震わせていると、周りから「兵士さんが女の子を泣かしている」などと言う声がヒソヒソと聞こえてくる始末である。

「ま、待ってくれ」ヴィルナリアがバツの悪そうに周囲に視線を投げる。「わ、わかったっ、トマトを食べるから泣きやんでくれ」

「おお! ヴィルがトマトを食べるとな? 今日は頑張って晩御飯を作らなきゃなぁ」アルフォースはクスクスと声を漏らし、リリーの頬に手を伸ばし、涙を拭ってやった。

「みゅぅ? 本当に食べてくれる? 頑張って作った野菜、食べてくれるのぉ?」

「あぁ……俺は嘘を吐かん」

 リリーが表情を明るくさせ「えへへ」と、笑いながら新しい袋にトマトを入れつつ、アルフォースに頼まれた野菜をさらにおまけした。

「リリー、嬉しいのはわかるけど、トマトばっかだと献立を考えるのが大変になっちゃう。あ、あと、オリーブオイルちょうだい」

「みゅ? お魚を煮込むの?」リリーがアルフォースの持っている魚の入った袋を指差しながら言った。

「うん。さっき、元気がなさそうな子を発見したからね。俺の料理で元気にさせるの」

「……あたし、アルちゃんのお料理、食べたことない」

「機会があったら作ってあげるよ。あとは果実酒かなぁ、ここで扱ってないよね?」

「あたし、お酒飲めないから『作れる』には作れるんだよ。でも、味見出来ないから、美味しいかどうかもわからないし『良い素材』があれば、並みの物は作れると思うけどね」

「土作りや野菜作りとは違うんだね?」

「それはそうだよぉ」リリーが野菜を一つ手に取り、アルフォースの口元まで運ぶ。「あたしの好きな物を詰めた物がこれだけど、そうじゃない物をそもそも研究しないよぉ」

 確かにその通りだとアルフォースは思った。そもそも、普段からヴィルナリアからも「興味のないことも勉強しろ」と、言われているほど、知識は偏った物が多い。アルフォースはそれを理解しており、リリーの発言には納得して頷く。しかし、ヴィルナリアが思案顔を浮かべており、そこだけは相いれないのだ。と、リリーに手渡されたキュウリをかじりながら、ため息を吐く。

「ふむ。ところで、今の会話からするに、リリー殿は錬金術師か?」

「みゅ? そうだよぉ。色々なお野菜、土から水まで」

「俺は王国所属の錬金術師しか見たことがないのだが、変わった物を研究しているのだな」

「そうかなぁ?」

 ヴィルナリアの言う通り、錬金術師のほとんどは生活のために、薬や金属、兵器を研究する者が多く、それらを高い料金で売っている。しかし、このリリーという女性はあまり大きな金の動かない野菜を研究しているのである。

「あたしは錬金術師の前に商人だから、何も錬金術一本で生活していこうなんて思ってないんだよぉ」

「そういうものなのか? それにしても、野菜、か……」チラチラと野菜を見るヴィルナリア。

「だよ! 野菜って、美味しいでしょ?」一切目を合わせないヴィルナリアにリリーが膨れている。

「で、それでね。あたしの夢は、みんなが幸せになれる野菜を作ることなんだぁ」膨れていた表情を一変させ、日の光りにも負けないほど眩しい笑顔でリリーが言った。

 アルフォースはそういう『夢』を臆面もなく語れるリリーのことを気に入っており、親友であるヴィルナリアも、驚いたような、それでいて尊敬にも近い眼差しを向けており、これで少しでも野菜が好きになればとも思ったが、そうはいかないだろう。

「リリー、良い子でしょ? ご飯、ご馳走したいから、今度、家に招待しても良いかな?」

「ああ、構わないぞ」

「やた~」

「わぁ~、お野菜をいっぱい持って行かなくちゃだね」

「ああ、それ良いね。リリーが来る日の夕食は野菜づくしだよ、ヴィルもじいちゃんも喜ぶよ」

「……勘弁してくれ」ヴィルナリアが青い顔で首を振っていた。



  【正義とパンと――】

 勇者という『職業』が存在する。世界に蔓延る魔物を倒し、その身体の一部を国に売り、生活しているのである。

 しかし、勇者の本懐という名目で作られた勇者以外の願い。それが、魔王討伐である。現存している勇者の中で、どれほどの者がそれを願いだと知っているかは疑問であるが、今も尚、勇者たちは魔王を倒すために日々、腕を磨いているのである。

 そんな勇者の一人、魔狩りの英雄・ヘイル=プリーシア。

 ヘイルは酒を呷り、自身の『武勇伝』を酒場にいる派手な格好の女性に聞かせていた。

「魔王も魔物も、俺にとっちゃぁ、そこらの羽虫みたいなもんだ。雑魚雑魚雑魚」赤くなった顔でヘイルは言う。「どいつもこいつも、俺が来たとなれば尻尾を巻いて逃げだすんだ。逃がさないけどな」

 ヘイルは、両隣りにいる二人の女性の肩を抱き、酒の入ったカップを口元まで運ばせ、それを飲んでいた。

 今はまだ、夕方にもなっていない時間、ヘイルの仲間の男たちが、女性の手を引き、部屋から出て行っても見向きもせずに酒を呷り、話を続ける。

 序列一位。それは、魔物と魔王を年にどれだけ倒したかで決まる順位。

 魔物の場合は身体の一部を国が換金しており、魔王の場合は死体と金の交換――故にどの国でも倒した者の名前と量を記録しており、そのデータを世界中で共有している。

 ヘイルはそのようにして出たデータから選出され、序列一位となったのである。

「――で、だ。命乞いをしやがったその魔王に言ってやったんだ。雑魚でありながら、魔王になったテメェを呪いな。ってよ」ゲラゲラと笑うヘイル。「背中に剣を突き刺した時の断末魔、今でも笑える」

 世界の希望であるはずの勇者。しかし、ヘイルのような勇者は数多くおり、最早、人々を救うためではなく、自身の欲求や金のための勇者なのである。

 しかも、どれだけ悪い噂が流れようとも、魔王討伐という願いの元、『必要とされる者』であるのは言うまでもない。どれだけ、人々に嫌われようとも実力は本物なのである。

「だからよ。俺は行く先々の町や村で、こう言ってんだ――」ヘイルは女性の服の中に手を入れ、胸を揉みながら言う。「いつでも来い、どこからでも相手になってやるから、俺に無様に殺されろってな」

 ヘイルには表情からわかるように自信がある。それは幼い頃、十を超えた辺りから世界を周り、魔物を倒してきたという実績があるからである。

 まだ少年とも言える歳のヘイルが勇者になって一年間の内に倒した魔物の数は最早伝説とも言えるほど多く「神童」と祭り上げられたこともあった。

 そんな環境が彼を歪ませてしまったのかはわからないが、魔物や魔王を倒すためならば、村一つ、町一つでも犠牲にするのである。

 ヘイルは「魔物と魔王を倒してやっているんだから、感謝しろ」と、家族と家を魔王との戦いの中で失くしてしまった幼い子どもの前で言ったこともあるほどである。

「魔王も俺に殺されるんなら光栄だろうな」顔を赤らめ、熱っぽい表情の女性の耳元で、ヘイルは笑う。

「ほぉ~、それはそれは」

「あ?」

 カウンターに座るヘイルの後ろのテーブル、そこに座っている『色の薄い』男が鼻を鳴らした。

「あんだよコラ」

「いやいや、さすが序列一位の勇者様だ。そんじゃそこらの勇者とは自信の持ち方が違う」

「……だからどうした? 酒でも奢ってほしいのか?」

「まさか、天下の英雄がそこいらの有象無象に酒を奢るなんてことをするとは思えないからねぇ」

「ハッ、わかってんじゃねぇか」ヘイルは舌打ちをし、酒を呷る。「白けちまった」

「それはそれは失礼した。どれ、一杯どうだろう? 私の奢りだ」

「いらねぇよ。さっさと失せな」

「おやおや、序列一位ほどの勇者様が、『守って』もらっているという感謝を無碍にすると?」男が生命の感じないような笑みを浮かべ、パンが乗った皿と酒を持ってヘイルに近づく。「あなた、本当に勇者ですか?」

「っだとコラぁっ!」片方の口角を震わせ、ヘイルは立ち上がり、男の胸倉を掴む。「俺を誰だと思ってんだ? テメェなんぞ、そこらのゴミのように絞るのは簡単なんだぞ?」

「いやはや、失敬失敬」男が痩せ細った頬と口角を精一杯に上げた笑みを浮かべる。「勇者と言う者はそうでなくてはね。私も『気が楽』だよ」

「……クソ」

「おや、何もしないのかな?」

「テメェ、気持ち悪いんだよ。テメェが失せねぇんなら、俺がどっかに行く」ヘイルはそう言って、男が持っていたパンを乱暴に取る。「喧嘩を売る相手は考えろ」

「あなただと知って喧嘩を売ったつもりなんですがねぇ」

「テメェと喧嘩して、俺に何の得があんだよ」パンを口に咥え、頭を掻き、ヘイルはテーブルに金を置いて店から出ようとする。

「それもそうだ」男が肩を竦める。「あ、そうだ。そのパン、私の自信作なんだよ。中に入っている物、向日葵の種のようにポリポリして美味しいだろう? 中々『効く』んだよ」

「あ? 健康商品を売りたいんなら、他を当たりな。俺は宣伝なんかしねぇぞ」

「それは残念だ」

 ヘイルが店を出ようと扉に手をかけた。その背中を眺める男の表情が、まるでヘイルが魔物や魔王を倒した時の表情であり、どこか喜びに溢れているように見えた。



  【炎の鳥はニセモノで】

「ヴィ~ル~、家が見つかんない~」肩を落としてうな垂れるアルフォースはヴィルナリアの背中に寄りかかりながら言った。

「この辺りのはずなんだがな」

 アルフォースとヴィルナリアの二人は買い物を終えた後、少女を捜そうとしたのだが、どこに住んでいるかもわからず、主に貧民街の見回りをしている詰め所に寄り、少女が住んでいるだろう場所を聞き出したのだが、未だに見つからず、こうやって歩きまわっているのである。

「しかし、あの少女は割と有名なんだな」ヴィルナリアが苦笑いを浮かべた。

「だねぇ、詰め所の兵士全員が口を揃えて『雑草を集める幼女』って言ってたもんねぇ」

「しかも、大量に。何に使うのだろうな?」

 詰め所の兵士曰く――常に不機嫌な顔で、雑草の大量に入った麻袋を背負って貧民街を歩いている。自宅らしき家からはたまに爆発音がする。心配になって様子を見に行けば、蹴り飛ばされる。などなど、聞けば聞くほど、少女に興味が湧いたアルフォース。

「……あの話の中でお前が何を感じたかはわからないが、あまり近づかない方が良いんじゃないか?」

「そうかなぁ? 俺は会って話をしてみたいと思うけどね。だって、そんな子が勇者に頭を下げてたんだよ? 気にならない?」

「確かに、そうだな」

「でしょ? って……お?」

 話している間に見えてきた建物、スイングドアの『人が住んでいるような家』には見えず、見た目だけならば、酒場と言われても違和感はない。

「お~……」

「聞いた通りだな」

 兵士の一人が言っていたのだが「まるでゴロツキの巣窟」まさにそのように形容されても仕方がない程、ボロボロであり、どこか張り詰めたような空気が漂っていた。

「俺はこういう雰囲気の建物、家としてじゃなくて、飲み会の会場としては好きだよ」

「それは褒めているのか? 俺には良さがわからん」

「ヴィルってば、お坊ちゃまだねぇ」

「……俺がそうなら、お前もそうではないか? 一緒の環境で育ったはずだが?」

「それなら、俺とヴィルは違う景色を見て育ったってことだよん」アルフォースはクツクツと喉を鳴らすと、建物に近づき、扉の前に立つ。「たのもぉぉ!」

「ここは道場なのか?」

「う~ん『釣り堀』?」

「ん? どういう――ッ!」

 両手に魔力を込め、盾になるように前に出てきたヴィルナリアの背中を通り越し、アルフォースはその先を見る。

「『焼き鳥(オグ・リーピ!)』」

 幼い声とともに開け放たれた扉、そして、扉の先から無数の鳥の形をした炎が、飛びまわっている

 しかし、アルフォースは目の前に立つ背中を信頼している。故に、このような状況であろうとも笑みを崩さない。その顔を少女に見られたからなのかはわからないが、炎がより一層激しさを増し、否応なしに襲い掛かってくる。

「何の用か知らないけど、ここは道場じゃないわよ! さっさと失せなさい――」少女の他人を拒絶する様な冷ややかな声が聞こえてきたが、すぐに怒りの色が失せた声を上げる。「って、え?」

 少女の表情に困惑の色が差したのが見える。

「出迎え、御苦労。しかし、些か過激ではないか?」

 一閃――武器など持っていなかったヴィルナリアの手には淡い緑色の剣が握られており、炎の鳥を『風を纏った剣圧』で吹き飛ばした。

「な、な――」

「これが一般人であったのなら、怪我では済まなかったかもしれないぞ?」

「まぁまぁ、あっちは威嚇のつもりっぽかったし」アルフォースはヴィルナリアの肩に手を置く。「そもそも、玄関前で騒いだのが悪いんだから。ほら! ヴィル謝って!」

「……何故、俺が」

 ヴィルナリアの言葉を遮るようにアルフォースは歩き出し、呆然とする少女の脇を通り、家の中へ進んで行く。

「ねぇちびっ子、厨房ってどっち?」

「え? って、あんたもチビでしょ! 厨房なんて大層なもんはないわよ!」ハッとした表情だった少女が、舌打ちをし、髪を掻きむしりながら言う。「料理してんのはあっち。って、あんたたちは――」

「あっちねぇ」アルフォースは少女が聞いた通りの人物であるのなら話をするだけ無駄だろう。と、思い、先に『自分の空気』を作ろうとする。「台所借りるねぇ」

 少女が差した場所に向かってみると、どう考えても厨房らしい厨房があった。何故なら、カウンター席の裏側にそれがあり、やはりここは家ではなく、元は酒屋だったのではないかと。しかし、よく見渡してみると二階に部屋が幾つもあり、宿屋ではないかとアルフォースは推測する。もっとも、それがわかったからと言って、少女の人生や苦難を図る気もなく、持ってきた食材を調理し始める。

「連れがすまないな」カウンター席に座ったヴィルナリアが言う。「重ねて、いきなり押しかけてすまない」

「……そう思うんなら、あんたの彼女、どうにかしなさいよ」

「あれは男だが?」

「……」少女がヴィルナリアの横に座り、頭を抱える。「ともかく! 兵士が一体何の用なのよ。僕は兵士にお世話になるようなこともしていないし、これからも世話になることはないわ。唯でさえ、今日は機嫌が悪いのに――」

「魔狩りの英雄のことだろう?」

 ヴィルナリアがそのヘイルの名前を出した途端、部屋の温度が上昇したように感じた。そして、少女から放たれる先ほどより鋭い眼光、並みの兵士でもあんな表情を作るのは難しいというのに、この少女は一体どんな人生を送ってきたというのだろう。と、アルフォースは料理をしながら、二人を眺め、そんなことを思った。

「……ふむ」ヴィルナリアが、テーブルにカップを置く。「俺の連れが、君は酒が飲めると言ったから買ってきた。飲めるな?」

「……ええ」

「そうか、今日は奢りだ」ヴィルナリアがそう言って、カップに酒を注ぎ、それを少女に手渡す。「今日が優れないのであるなら、せめて終わりは良い日でいよう――乾杯」

 ヴィルナリアからカップを受け取った少女がヴィルナリアとカップを交互に睨み、ため息を吐き、上に揚げられたカップに受け取ったカップを軽く当て、一気に呷った。

「お酒なんていつぶりかしら……」少女が空になったカップをヴィルナリアの方に向ける。「肴は美味しいんでしょうね?」

「それは保障する」ヴィルナリアがカップに酒を注ぎながら、アルフォースを指差す。「こいつは――」

「アル!」アルフォースは笑顔で叫ぶ。

「……アルフォース=ルビー。俺が出すテストではことごとく赤点だが、料理は王宮のシェフが引き抜こうとする程度には美味い物を作る」次に自身を指差すヴィルナリア。「それで、俺が――」

「ヴィル!」

「……ヴィルナリア=ロイ・レイブンだ」

「あんた、苦労していそうね」少女が入れてもらったばかりの酒をまたしても一気に呷る。「僕はカナデ=イザヨイ、魔法使いよ。それで、兵士の二人が一体何の用なのかしら?」

「っと、そうだったな。そいつ、アルがな、元気のない君を見て、美味しい物を食べさせたいんだと」

「……余計なお世話――って、言いたいけれど、今日は晩御飯を『取り』に行くのも面倒だったし、甘えさせてもらおうかしら」

「取りに?」

「それが良いよん」アルフォースはヴィルナリアの言葉を遮り、塩漬けした豚肉を燻した物と同じく燻したチーズを皿に盛り、それを出す。「先にこれでも食べてて、俺のお気に入りの店で買ったから美味しいよ」

「ああ、いただこう」ヴィルナリアが肉を口に運ぶ。「ところで、君の魔法は我流か? 見たこともない魔法陣だ」

「そうよ。魔法を教えてくれる人もいなかったし、学校に通うお金もなかったから、学校に勝手に侵入したり、文献を適当に読み漁ったりの紛いものの魔法」自嘲気味に笑うカナデ。

「ふ~ん――でも、我流であそこまで出来るって、やるじゃんチビっ子」

「あんただってチビでしょ! えっと、アルフォースだったわね?」

「アルで良いよ」アルフォースは厨房から手を伸ばし、カップに酒を注ぐと、それをカナデのカップに当てる。「俺も飲む」

 準備をしている料理なのだが、煮込み料理であるためにまだ時間がかかり、アルフォースは待っている間、何もしないのは退屈だと思い、市場で買った出来あいの惣菜をテーブルに並べ、酒を飲んでしまおうと考えた。

「――」アルフォースはカナデの顔をジッと見つめる。

 身体は小さいが整った顔立ち、幼くも見えるが眼光が幼子のそれとは違い、はっきりと意思を感じられるほど生命力に溢れているようにアルフォースは感じた。すると、見ていたことに気が付かれたのか、カナデが訝しげな表情で睨んできた。

「あによ?」

「う~ん?」アルフォースは首を傾げ、カナデに尋ねる。「ねぇ、何で勇者なんかの仲間になろうとしたの?」

「……あんた、いきなりぶっ込んでくるわね。というか、恥ずかしいところを見られていたのね。羞恥心は遠の昔に置いてきたと思ったのだけれど、案外恥ずかしいのね」照れたように朱の差した表情でカナデが言う。「大した理由はないわよ」

「ただこの家を訪れただけで蹴るような暴力系魔法使いが、簡単に頭を下げるわけないと思うけどなぁ」

「……僕のこと、何だと思っているのよ?」

「今言った通りだけど?」

「……」カナデが息を吐き、諦めたように両手を揚げる。「本当、大した理由じゃないのよ。僕はただ『ホンモノ』になりたいだけ」

「本物?」

「そうよ。さっき言ったでしょ? 血も師もない僕は紛いものなの。でも、僕には魔法しかないから、有名になって、お金をたくさん稼いで、誰からも認められる必要最低限を持ったホンモノになりたいのよ」

「だから、勇者の仲間?」

「それが一番手っ取り早いでしょ?」カップを揺らし、頬杖を付きながら酒を飲むカナデ。「魔法使いの世界って、面倒なのよ。いくら頑張っても、その頑張りが血筋や知名度を超えることはないの」

「……聞いたことがあるな。魔法使いの伝統は厳しい。と」

「ハッ、伝統ね。そんな言葉を並べているけれど、ただ自身の世界を覆されるのが怖いだけなのよ。『こうであったからそう』例外なんて認めない。認めたら『今まで』を否定される」カナデがカップを強く机に置き、嘆く。「過去と現在を天秤に掛け、人は過去を優先させるわ。それが、知識、経験だと思っているからよ。でも、違う。過去っていうのは、所詮終わったことなのよ。現在の状況が違えば、もちろん経験なんて役に立たないわ」

「カナデって、身体は小さいのに頭の中はずっしりだね」

「魔法使いだもの。ま、僕が認められないからこんなことを思うのだけれど、張り付けられたレッテルっていうのは中々覆せないのよ」カナデが天井を仰ぎ、大きく息を吸う。「そうね。例えば、生命の領域を超えることが出来たのなら、それを覆せるかもしれないけれど、そうなってしまったらもうどこにも戻れなくなるのよ」

 カナデは人の領域にあるからこそ、本物だと言う。アルフォースはカナデの言っていることを何となく理解したのだが、納得は出来なかった。生命の領域については頷ける。しかし、そこまでしなければ本物になれないというのは違和感がある。結局は、互いに境界線を作っていることに問題があり、カナデ自身、ニセモノである自分に浸っているだけではないか。と、しかし、これは自分が恵まれているだけだとも思い、同じ環境で育った、首を傾げているヴィルナリアと同じような疑問を持っていることに、アルフォースは少しだけ笑みを漏らす。

「……あによぉ?」

「う~ん? 俺は魔法使いじゃないし、多分カナデよりずっと恵まれているから、納得は出来ないってだけ」

「羨ましいわね」

「こればっかりはね。でも」アルフォースはカナデの頭を撫でる。「カナデは運が良いよ?」

「ん~? 何がよ」

「ここに書庫を書庫として使っていない兵士が二人います」鍋から灰汁を取りながらアルフォースは言う。「探せば魔法の文献もあったはず」

「は? どういう――」

「俺とアルの物ではないのだが」

「でも、じいちゃんは好きに使って良いって言ってたよ? だから、俺たち以外が見ても文句ないでしょ?」

「……いや、まぁそうだが」呆れた表情のヴィルナリアがカナデを見ている。

「ねぇ、ちょっと話が見えないんだけれど?」カナデが首を傾げる。「そもそも、あんたたちは兵士でしょ? 一介の兵士が魔法書なんて持っているわけないじゃないの」

「カナデは甘いなぁ。俺たち、こう見えて裕福なんだよ」

「兵士なんて安定した職業に就いていれば裕福でしょうね」

「甘い甘い――ヒント、ヴィルの名前」

「名前?」酒の入ったカップを口に運び、ゆっくりと呑みながら思案顔を浮かべたカナデ。「ヴィルナリア=ロイ・レイブン――ロイ・レイブン?」

 確かに、カナデの言う通り、勇者にくっ付いて有名になる手もあるだろう。しかし、アルフォースは世の中、大体は『偶然』で回っていると思っている。運命など、必然など、そのような『後付け』を信じる気にもならないが、カナデは確かに『運が良い』のである。

「『インペリアルガード』最高責任者。騎士団長――が、そんな名前だったような」カナデが、引き攣った表情で視線を向けてきた。「確か、孫が二人いるって――嘘でしょ?」

「俺は血が繋がっているわけじゃないけどね」

「おじい様にとって――もちろん俺もだが、お前は家族だ」

「ん、ありがと」アルフォースは照れたように頭を掻く。「ま、あんまりおおっぴらに言うことじゃないから、ムキになって言わないけど、信じるのなら、明日、その『騎士団長』の家を訪ねてみると良いよ」

「……」疑いの眼差しを向けてくるカナデ。

 先ほどのカナデの話からして、あまり他人に頼って生きてきたことがないのだろう。故に、湧いて出てきた幸運に戸惑い、そして疑う。だからこそ、アルフォースは鼻を鳴らし、挑発的な笑みをカナデに向ける。

「それとも――その『程度』なのかにゃ?」

「む……」カナデが見た目相応に頬を膨らませた。

「もう少し、言い方と言うものがあるだろう。すまない。アルは君のことが気に入ったみたいだ」ヴィルナリアがアルフォースの鼻をつまみながら言う。「信じる信じないは別として、一度、来てみると良い。レイブンの家は、君を歓迎するよ」

「……わかったわ。明日、訪ねるわよ」

「さ、決まったところで。そろそろ出来るからねぇ」

 アルフォースは鼻歌交じりに煮込み料理を皿に盛っていく。そして、テーブルに料理と酒を並べ、笑顔を浮かべてカナデを見ては喜び飛び跳ねる。

「……初対面だけれど、機嫌が良いっていうのはわかるわ」

「新しい友人が出来ると、アルは見てわかるほど喜ぶからな」ヴィルナリアがまるで親のような眼差しをアルフォースに向ける。「いきなり家に押しかけ、いきなり家に来い。という無礼を気にしていないのなら、仲良くしてあげてくれ」

「今更でしょう? 僕を置いて家の中に入って行ったのを見て諦めていたわよ。嗚呼、こいつらは満足するまで帰らないだろうって」

 アルフォースは大鍋を運びながら「宴会だぁ」と、笑顔を振り撒き、二人の前に鍋を置いた。

 出来あがった料理は魚の煮込み料理。まず鍋にオリーブオイルをひき、ニンニクや唐辛子を炒めて香りを出した後、下処理した魚を鍋に入れ皮を焼く、次に白ブドウの果実酒と切りわけたトマトを入れて煮込み、そこそこ火が通ったら、砂抜きしてよく洗った貝とオリーブの実、パプリカなどの野菜を入れ、貝が開くまで鍋に蓋をして煮込んだ物である。

「一応、スープだけど、スープはパンに浸して食べられるからおつまみにもちゃんとなるよん」

「……トマト、多くないか?」ヴィルナリアが目の前に置かれた皿の中身をスプーンでつつき、パプリカ、トマトを端に避ける。「アルは俺のことが嫌いなのか?」

「違うって、そういう料理だもん」

「何? ヴィルナリア、あんたトマト食べられないの? 子どもじゃないんだから好き嫌いは駄目よ」

「……ヴィルで良い。人間はトマトを食べられない者がほとんどの筈だが?」

「僕は魔法使いで貧乏、贄として使ったトマトは勿体ないから食べているわ」

「俺も魔法使いになったらこんなに苦しまずに済んだのだろうか?」

「無理だよぉ、ヴィルは何になっても野菜に苦しむね。さ、約束したんだから、ちゃんと食べてね」

「今日だけは世界が憎いな……」



  【スタート地点】

 今日と明日を跨ぐ境界線、黒いローブを羽織った男たちが、ぞろぞろと闇を歩む。

 その先頭に立つ男、色のない笑みをローブの中から覗かせていた。その笑みは狂気に塗りつぶされているようで冷静、異常な雰囲気を纏いながら、しっかりと世界を見据える。

「我々は――ホンモノだ」男は立ち止まり、両手を広げ、夜を仰ぐ。「『明日』を跨げば、ニセモノの涙を見ることは永遠にない」

 男の口角が釣り上がる。

 闇は全てを隠す。しかし、男の狂気は隠しきれるものではなく、空気が揺れ、世界が恐怖する。

 男が向かう先、そこには煌びやかな建物が並ぶ中、ただ一つだけ、一切の装飾を取っ払い、厳かな雰囲気が漂う建物。その建物はエルジェイムで評判の金持ちが好んで行く宿屋である。

 そして、その宿屋に入っていく男は、従業員もすでにいないのか、真っ暗な通路を歩む。

 ついにここまで来た。男は、ただ歓喜に酔いしれていた。世界に『出る』ことを拒み続け、人と世界とは、これからは一切との関わりはないだろう。と、思っていた。しかし、男は選んでしまった。この生涯で唯一『自身を認識させる他人』全ての筋書きの出発点。唯一、ホンモノである証であり、終着へ向かう道。ホンモノである内に関わる最後の『英雄』であり『被害者』

 男は理解している。自分が異常であり、これから走りきる道は狂気であると――故に、男は『彼』が被害者だと知っているのである。

 宿屋の一室、その扉に手をかける男。もちろん、鍵はかかっている。しかし、男にとって、その程度のことは些細なことでしかなく、鍵穴に種と土が入った釜を近づける。

 男はその釜に水を注ぐ。すると、鍵穴に徐々に伸びる蔓、その蔓に実っている果実が、途端に乾いた音を立てて割れ、中から出てきた液体が金属を溶かし始めた。

「私は、植物に『人と同じ物を見た』」男は謳う。「一切届かなかった『理想』に『あの子』のおかげで近づけたのだ。このためだ……今日のために、私は与えられた」

 部屋に入る男。そして、一人では広すぎる部屋のベッド。そこで寝息を立てる英雄、ヘイル=プリーシア。

「……」男は寝息を立てるヘイルの傍に近づく。「これで良い」

 男はポケットから小さな布袋を取り出し、その中から種を取り出し、それを抱きしめる。『御守り』とは違う。その種の中身を覗いてみれば、稚拙であり、基礎も何も出来ていない『作品』。男は、初めてそれを手渡された時、大きな声で笑ってしまった。しかし、笑った三秒後、後悔に変わったのは言うまでもないだろう。精一杯に頬を膨らませ、瞳に溢れんばかりの涙を溜める唯一無二。それ以来、何故か捨てられず、こうやって肌身離さず持ち歩いているのである。

「そう……これで」頭の中に『今まで』が浮かんでは振り払い、男はその種を空の花瓶の中に落とした。「もう、戻れない」

 男の手がヘイルの口元に伸びる。手に握っているのは砂、その砂がヘイルの口に流れる瞬間。

「――ッ!」

「おや……」男は目を細める。「おはよう。とも、おやすみ、とも、さようなら。とも、言えるな。どの挨拶がご希望かな? 魔狩りの英雄よ」

「テメェ」起き上ったヘイルが、枕元に置いてあった剣を手に持ち、男から距離を取る。「ハッ、男に夜這をかけられる趣味はねぇよ」

「随分と余裕面を浮かべるじゃないか? 状況を理解しているのかな?」

「それはこっちのセリフだ。テメェ、誰に喧嘩売ってんだよ」

「先ほど、君の名前を言ったつもりだが? 序列一位の英雄『君』」

「なら跪きな。テメェが相手にしてんのは、それだけの相手だぜ? 今ならその首街に並べるだけで許してやるよ」

「それは困る」男は薄い笑みで言い、自分の首に親指を当てなぞる。「この首がなければ、私が私だと判断されない。今の段階では、それは困る」

「テメェの都合なんぞ知るか!」剣に魔力を込めるヘイル。剣が輝き、夜を照らそうとするほど、神々しい光。「たかが有象無象が集まった程度で、俺を倒せると思うなよ!」

 発光し、閃光が互いを傷つけ合うかのようにぶつかり、剣が音を鳴らし、ヘイルが剣を振る。

剣筋は雷となり、男に襲い掛かるのだが、男は一切表情を変えずに小さな釜を取り出す。そして、釜から植物を生えさせると、それを窯ごと空に放つ。

「――ッ!」

 雷は上に投げられた植物に伸びていき、男にそれが当たることはなかった。

「君は目立ち過ぎだ。もっとも、そのおかげでこうして準備が出来たのだけれどね」

「一撃かわした程度で調子に乗ってんじゃ――」

「ああ、言い忘れていた」男は床に落ちた釜を拾うと、息を吐き告げる。「こうやって君とお喋りをしている私だが、これ、時間稼ぎだぞ?」

「何言って――ッ!」

 突如、ヘイルの剣を持つ手を突き破り、身体から生える植物。

「君は自分で言っていただろう? 『俺を誰だと思っているか』と……」男はヘイルの持つ剣に触れる。「君ほどの相手と対峙しているのに、こんなに冷静であるはずがないだろう?」

「あ――あ……?」

「こんな空気を纏える理由としては、私が自殺したがりか、ただの馬鹿か。もう一つあるのだけれど、生憎、私の理由はそっちでね」

 次々とヘイルの体内を破る植物、メチメチと音を立て、血管から、臓器、眼球からも萌え出でる数々の植物。

「私には勝算があった」ヘイルの身体を覆い尽くす植物を、まるで我が子のように優しく撫でる。「酒場で私と出会った時点で、君の負けは決まっていたんだよ。っと、失礼、そういえば、名乗っていなかったね」

 声も出ないヘイル。喉は最早『なく』植物が『ヘイルという英雄を模る』良く出来た彫刻にも劣らないほど、これは素晴らしい『作品』だと、男は笑う。

「君が来いと言ったから、わざわざ来てあげたんだ」ヘイルの手から伸びる一輪の花をもぎ取る男。

「私の名は、リリー――菜園の魔王・リリー=プリズナーだ」

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