まだ続くかもしれない人生を相談しよう

 一夜明けて、コスキカツ歓楽街。

 メザメ・ロトボアはギギーコートの回転扉を乱暴にくぐり、通りに立つと、苛立ちの収まらぬ顔で振り返った。拳を振り上げ、何か喚こうとして、そこで理性に抑えられる。彼女は苦々しく鼻を鳴らして、玄関前に停めた代車のボルボに乗り込んだ。いつもの愛車は絶賛修理中。ハイパーボリアがギギーコートに出品したワイトの話を聞こうと思ったら、門前払いを喰らってしまった。

「もう警察が嗅ぎつけてるなんて……!」

 苛立ちのあまり爪を噛みそうになって止め、ダッシュボードからガムを取り出し、三枚まとめて噛んだ。鼻へ抜けるリコリスの香りに少しだけ落ち着きを取り戻し、これからどうしたものかと思考を巡らせる。カルペア・ラツサスタヤ09――父の最高傑作が、ギギーコートにあるはずなのに。もしかして、既に押収されてしまったのだろうか? 苛立ちが焦燥に変わり、更にメザメを苛んだ。

 スマートフォンに着信。番号は、調べ物を頼んでいた部下からだ。

「はい、こちらロトボア」

『例の救急車を見つけました。場所は警察署ですが』

「事故にでも遭ったの?」

『いえ、どうもグールズの偽装救急車だったようです。留置場で話を聞きましたが、連中曰く、死んだと思ったやつが急に起きたとか。拘束衣を着ていたとか』

「長い髪で、物凄く体の大きい?」

『ええ、写真で人相も確認しています。カルペア09を運ぼうとしたのは連中で間違いありません』

「そして逃がしたわけね……まあいいわ、ありがと。ギギーコートは空振り、昨日どういう訳か逃げ出したのね」

『トラブル続きですね』

「まったくよ! 何かが父の研究を邪魔してるみたいじゃないの! 何が何でもカルペア09を見つけ出すわよ。まずはヤツの自宅を調べて。彼にとっては十三年後にタイムスリップしたようなものだもの、まずは覚えのある場所を目指すはずよ」

『今向かっています』

「よし! 私も行くわ。それにミリヤ・ハーネラの確保よ、急いで」

 メザメはスマートフォンを切って車を発進させた。カルペア・ラツサスタヤ09は、メザメの父スレノジィ・ロトボアの遺産だ。

 彼が進めていたアンニヒラトル計画で、最も完全に近い作品……それが仕上がる直前で、プロジェクトは中止、研究部門も閉鎖された。そして父の――多分に後ろ暗いところのある――研究成果は売却の憂き目へ。

「……そもそも、上にこらえ性が無いのが、いけないのよ」

 メザメは社の方針には逆らえなかった。仕方無く財産を崩し、ギギーコートのオークションで自らカルペア09を落札するつもりだったが、昨夜その予定が狂った。どういう訳か、カルペア09そっくりの男を、よりにもよってこの自分が轢いたのだ。運命の悪意を感じる巡り合わせだった。

「早く帰ってきなさい、カルペア……絶対見つけてあげる」


 猫の金属製ご飯皿を頭に叩き付けられて、サイゴは目を覚ました。松悟が皿を口に咥え、大きく振りかぶっての一撃だ。

「くそ……鴉か猿並に頭の良い起こし方しやがって……夜中に食べたばかりだろ……なんでそんな器用な……」

 サイゴが呪わしげに呻いていると、ニフリートはカラカラと笑った。いつの間にか髪が短くなっている。その膝には、巨大猫ではなく、修理しかけのテレビがあった。画面が盛大に割れている。

「普通の猫なら、運んできた皿をあんたの前に置いて、」そこでニフリートは〝Miau Miau〟と猫の鳴き真似をした。「なんて鳴いて、メシをねだるモンだろ。マツは天才じゃねえのか」

「そんなことより、何でテレビの修理なんてされてるんですか」

 言われて、はたとニフリートはばつの悪い顔になっると、頭を掻いた。

「ちょいとリモコン投げたら壊しちまった、すまん。……ああ、悪いと思ってる、本当だ。いやあ、あんたよく寝てたな」

「ええ、昨夜は非常に疲れたので。にしても、髪を切るのにちょうど良いハサミなんてありましたっけ?」

 愛銃に続いて今度はこれか、サイゴは溜め息をつく気にもなれない。

 リモコンを投げた理由は、何となく察しがついた。ネクロポリスのメディアに、ワイトが露出しない日はない。

「それとテレビですが。どうせ古いんで、買い換えの予定だったんです。そのまま置いておいてください」涙を堪えてサイゴは嘘をついた。

「すまん。あ、髪はな。なんつったらいいのか……」

「何です?」

 二人がそんなやり取りを交わしていると、居住スペースの方から身支度を終えたミリヤが現れた。相も変わらず、喪服のような黒一色。

「おはようございます。……シャワー、借りました」

 もちろん無断ではなく、サイゴがあらかじめ『よろしければどうぞ』と残して置いたメモを見ての行動だ。

「あの、昨夜はすみません。私取り乱してしまって……」

「いえ、さすがに色々お疲れだったみたいですし。うちは狭いですが、人目もあるし今後の相談もしなくてはいけません。朝食はこの場で構いませんか」

「ええ、ええ、大丈夫です」

 ミリヤはコクコクと頭振り人形のようにうなずいた。サイゴは顔を洗うと、手っ取り早くサンドイッチを用意することにした。たまたま、少し前に買い出しを終えていたのは幸いだ。松悟の食事は、暇を持てあましたニフリートに頼む。その間もひたすらエヴァ49は編み物を続けていた。ミリヤはとてとてと父の傍に歩み寄る。

「お父さん、髪切ったの?」

「いや、それがな。鎮伏屋、あんたもちょっと見てくれ、これ」

 サイゴはパンを切る手を止め、キッチンから顔を覗かせ注目した。ニフリートが自分の頭を指さす。その髪は、耳の下あたりで切りそろえられていた。

 次の瞬間、爆発的に伸び、ソファの上へ広がる。昨夜と同じ、十三年間伸び放題にされていた通りの長さへ。

「何のためか分からねえが、とりあえず便利な機能があるらしくてよ」

 ニフリートが言うと、髪の一房が真っ直ぐ上へ向かって立ち上がる。それは猫の尻尾のように、明らかに意志のある動きで左右へ揺れた。ミリヤはおそるおそる、揺れる一房を掴む。

「お、お父さん、これどうやってるの?」

「どうって、説明しづれえんだよ」

 ニフリートは自分でもよく分からないようだった。牛乳、卵黄、珈琲を小鍋に入れつつ、サイゴは簡単に解説する。

「多分、毛髪にフィラメントが通っているんでしょう。普通はやりませんが、無駄に手間とコストがかかってます」

「新型開発ってのは、よっぽどの酔狂が集まってんだな」

 ニフリートはまた髪を短くした。ミリヤはしばらく呆気に取られていたが、やがてきょろきょろと、会話の糸口を探して事務所の中を歩く。

「サイゴさん、クラシックとかよく聞くんですか?」

 ミリヤはスチール机の上、出しっぱなしになっていた音楽CDを指さした。ちらりとそれを確認し、サイゴは一瞬身を固くする。ツヅキ・ナツクサのピアノ曲だ。

「いえ……ファンなんですよ、そのピアニストの。僕と同じヤパニライネンですし」

 ミリヤは「へぇー」と声を上げながら、手に取ったCDのジャケットを、そこに写るツヅキの顔をまじまじと眺めた。サイゴよりも若い、亜細亜系の女性。

「聴いてみていいですか?」

 予想されたミリヤの問いに、サイゴは「どうぞ」と手短に返した。ミリヤは父の方を振り向き、「私も、ピアノ弾くから」と続ける。

「そうか。クオナが習わせたのか?」

「うん……友達が習い始めたから、私もって。こっちに引っ越す時に、教室は辞めちゃったけど」

 他愛のない会話だが、父子の間に流れる空気は、いまだぎこちない。

 ミリヤにとっては、ほとんど初対面にも近い「父親」。ニフリートにとっては、一瞬で三歳から十六歳の年頃に成長した「娘」。亡くなったクオナ・ハーネラがいれば、隔てられた時間を埋め合わせ、二人を繋げることが出来たかもしれない。だが、ここには遺された父子だけだ。

 ほどなくして、サイゴはサンドイッチとカイザーメランジェを応接用のサイドテーブルへ並べた。この珈琲版卵酒は、ミリヤのリクエストだ。

 軽く礼を述べて、ミリヤはマグカップを取った。泡立つ水面を見つめる目は、物言いたげだ。エプロンを外しながら、サイゴは彼女が話し始めるのを待った。だが、先に口を開いたのはニフリートだ。

「しかし解せねえな、鎮伏屋。てめえの目的はなんだ」

 サイゴの答えはとうに決まっている。「僕は鎮伏屋です。依頼人はお嬢さんだ。だから、彼女の意志は出来る限り尊重する、それだけですよ」

「だから、そういう綺麗事はよせ、つってるんだよ。マインドは見つかったら即廃棄処分。通報せずに匿えば、みんな仲良くお縄を頂戴……連中、全力で殺しに来るぜ。警察、市衛軍、ワイト、それに〝呪い憑き〟だろうが何だろうが持ち出してな。だってのに、てめえは単なるビジネスで、なぜそこまでする?」

 ミリヤは物言いたげに、サイゴの表情をうかがった。昨夜言った、自分が本当に求める報酬の話を思い出したのだろう。

「ではこう言いましょうか、ニフリートさん。ネクロポリスは死者を受け容れるべきだ、と僕は思うからです。〝マインドの存在が露見すれば、ネクロポリス存続の危機〟、頭では分かっていても納得がいかないんですよ。僕は気に喰わない。人格こそ連続しているものの、死からよみがえった貴方は、ワイトよりもゾンビに近い存在だと思います。なのに、インゴルヌカは貴方を拒む」

 もっとも、それだけがすべての理由ではないが。

「けれど、今の貴方に居場所があるとすれば、それを作れるのはミリヤさんだけでしょう。それが依頼達成の目標です」そこでサイゴはミリヤに水を向けた。「まあ、何なら途中で依頼を打ち切ってくださっても結構ですし、最初の予定通り、ニフリートさんを葬っても構いません。あるいは今からでも、当局に彼を引き渡してしまうか……貴女のお気に召すまま、ですよ」

 ニフリートは「ハッ」と獰猛さを滲ませて笑うと、サイゴを指さした。

「〝気に喰わない〟か、いいぜ、そういうの。まだ信用出来る。だが、いざって時は、お前を殺してでも逃げるからな」

「あなたと殺し合うのは荷が重そうだ」と肩をすくめる。それはサイゴの正直な本音だった。ニフリートの言葉が本音かは、まだ分からない。

「とにかく、ミリヤさんは自分が本当にしたいこと、しなくてはならないことを考えてください。ただ、保留は長引けば長引くほど、状況的に不利かもしれません。ま、僕に出来ることなら何でもしますよ」

「あっ、それならサイゴさん、私考えたんですけど」ミリヤは何かを思いついた顔だった。

「なんでしょう」

「私がインゴルヌカを出て、そこで父と暮らすというのは!」

「それは無理です」

 にっこり、無情な笑いでサイゴは答えた。笑顔のまま対面のソファに腰を降ろし、傍らにエプロンを置く。

 渾身の提案を却下され、「どうして!?」と、ミリヤはマグカップを握り締めた。

「ここはネクロポリスで、その外はそうではないからです。他所ではワイトのメンテナンスに必要な品が調達出来ない。出来たとしてもべらぼうに高い。そしてお父さんが怪我をしても、直すすべもない。それとも、彼には普段、ただのワイトのように振る舞ってもらいますか? 知性も自我もない人形のような演技で」

「俺はやらねえからな」

 苦々しく言うニフリートに、サイゴは「でしょうねー」と首を振った。自分の分のマグカップを取り、口をつける。それで話は一旦止まった。

「さて、今後の予定ですが」

 朝食は手短に終わった。父を気遣ってか、急いで食べようとしたミリヤが喉を詰まらせる一幕もあったが、大事ない。後片付けを終えて、サイゴは提案する。

「お嬢さんにはしばらくホテルに避難していただくとして、ニフリートさんはクリニックで一度を診てもらいましょう。お父さんは市場に出回ってるような一般的なワイトではなく、新型開発計画の実験的個体です……物のような言い方で申し訳ない」

「別にそれぐらい構わねえよ」と巨大猫を抱えながらニフリート。規格外のサイズ同士、気が合うらしい。

「ご理解感謝します。さて、昨夜覚醒してから、ニフリートさんは最低六時間から七時間全力疾走し続けていたはずです。長い年月保管されていたこともありますし、いつ還死作動剤アンザナテジックの投与が必要になるかも分からない。かといって、ワイトには製造の過程や体質差によって、特定の還死剤にアレルギーを持つことがあります」

「そんなものあるんですか?」とミリヤ。

「ええ、いきなり体が溶けるような激しい症状は起きませんが、皮膚が爛れたり、髪や歯が抜けたり、手足が麻痺したりと色々ですね。だからアレルギー反応を調べないまま、還死剤を勝手に投与する訳にはいきません。ニフリートさんは基本的に、綺麗な単一死体ワンショット……つまりご本人の体のみで構成されたワイトですが、パーツによっては劣化の度合いが違うかもしれない。ギギーコートでの鑑定書には目を通しましたが、一刻も早い専門家の精密検査をお勧めします」

「鑑定書なんてあるのか。いや、そりゃそうだな。オークションに出品されていたんだもんな、俺」

 ニフリートは自嘲するように口の端を歪めた。そして、険しい目でサイゴに掌を伸ばす。

「見せろよ。あるんだろ」

「不快な表現が多々ありますが、大丈夫ですか」

 鑑定書の内容を思い出し、サイゴは嫌な気分になった。

「知らないままも、腹が立つんだよ」

 サイゴは窓側へ行き、事務机の引き出しから茶封筒を取り出して戻った。封筒の表には、ギギーコートのマーク。ニフリートはひったくるようにそれを受け取ると、眉間にしわを寄せてそれを読む。髪が、彼の心境に呼応するようにざわりと逆立った。ミリヤは居心地の悪そうな顔になりながら、父の背を撫でる。そして、思い出したように訊ねた。

「サイゴさん、そういえばさっき父が話していましたよね。いざとなれば、インゴルヌカは軍や警察、それに呪い憑きまで出して殺しに来るって。なんですか、それ」

「要は超能力者ですよ。ゾンビの中から時々、異常な能力の持ち主が出てくる……そういう連中のことです。そもそも、〝Zombie〟という言葉自体、超常の力を持ったものを指しますしね」

 ミリヤは半信半疑といった様子で唇を曲げた。

「例えば、どんな超能力が?」

「何も無いところから炎を出したり、オオカミ男みたいに変身したり、水の上を歩いたりですね。そういうのが居る、かもしれないという都市伝説です」

「なあんだ」

 そういえばそんな映画もあったような気がする。娘が納得顔になった横で、ニフリートが叩き付けるように、鑑定書を卓上に放り出した。ミリヤは気遣わしげに父を呼ぶが、ニフリートはそれを振り切るようにソファを立った。

「とっとと準備を済ませて出ようぜ。忙しいんだろ」

「ええ」

 サイゴもほんわか愛想笑いを浮かべて立ち上がると、シャワーを浴びに行った。そう、これから忙しくなるのだ、と覚悟しながら。

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