死者、インゴルヌカにて

雨藤フラシ

本編(原稿用紙約380枚・完結)

プロローグ:約5枚

プロローグ

 白い砂漠のような景色の中、夜の闇はかすれて薄墨色に見えた。荒れ狂う吹雪は眼を焼かんばかりに白く、猛った炎のようにごうごうと闇を溶かす。

 その只中ただなかだ。人通りが絶えたハイウェイ、大男が路面の雪を蹴立てて、殺到する白銀の群れへ、挑むように走っていた。優に二メートルはある巨体を包むのは、裾と袖がちぎれた拘束衣。後ろに流れるのは、腰下こししたまで長く伸びた白髪。

 いつから駆け回っているのか、息を切らしている様子はない。だがそもそもそれが間違いで、この巨漢は最初から呼吸などしていなかった。彼の体内で心臓は鼓動を打たず、筋肉は神ならぬ人為の操り糸に絡められ、壊れたレコードのように単純命令を反復し続けている。目的地も何もなく、ただ「走れ」と。

――〝ワイト(還死動体)〟。

 死体活性技術ボディリブートで再活性化された死体は、世界最初にして最大のネクロポリス・インゴルヌカの名物産業だ。その大男がいかなる運命で若くして落命し、ワイトの素体に選ばれたのか、今はまだ知るよしもない。

 彼にもかつて人としての名前があったのだろう。ワイトにされた者には、墓標に刻む名前もない。死後の安息、あるか無しかのそれすら失われた哀れな者ワイト

 だがこの男は幸いだ、彼が何者かを知る人が、まだ、いる。


 分離帯と街灯を挟んで、片側三車線の道路。その斜め後方から寄り目のヘッドライトが差し込み、愛嬌あるキャブオーバー型ワンボックスカーが現れる。UAZワズのバン型霊柩車、かすれ気味の闇の中から、暴走する死体の姿を照らし出した。

「お父さん!」

 車の助手席からその姿を見つけ、ミリヤ・ハーネラは叫んだ。深い翡翠色の瞳をいっぱいに見開いて、洗い立ての太陽のような金髪を振り乱さんばかりに。歳のころは十六、十七の乙女、この地上にまだ足の付け所を見つけられない天使。

鎮伏屋ちんふくやさん、いました! 父です!」

OKオーコー、見えてます」

 ハンドルを握る腕を少女に叩かれながら、鎮伏屋と呼ばれた青年・サイゴは短く返した。黒い髪と瞳、明らかに東洋系の顔つきは、一見して人畜無害。それとは裏腹に、先程までの戦いを物語る硝煙を、その長身から漂わせていた。

 ミリヤの瞳は複雑に明暗が絡み、輝きに満ちているが、実際に闇夜を照らせる訳ではない。父の姿はすぐ彼女の視界を外れ、空っぽな白い暗闇に埋もれてしまった。

「ど、どこ!? 消えちゃった!」

「すぐ追いつきます」

 サイゴの言葉通り、走る死体はすぐさまヘッドライトの歪んだ円にはまりこむ。小さく安堵の息をこぼしながら、ミリヤは窓に張り付いた。

「それで、あの」

 ミリヤは少し声のトーンを落とし、おずおずと言った様子で口を開く。

「これからどうします?」

くとこの車も、タダじゃ済まないんですよねえ」

 一般的に、ワイトはトナカイやゴリラより頑丈に作られている。しかし。

「もう少し穏便な方法はないんですか!?」遺族の心情としては反対もされる。

「だいたいは手荒な方法になりますよ。障害物ぐらい避けるよう出来ているでしょうが、交通事故か何かで、誰かに被害を出さないうちに確保しませんと」

 サイゴはそこで少し、後部座席に乗っているに眼をやった。

 ボロボロに破れた喪服の女、こちらも硝煙の臭いと、それより色濃い反魂香マカル・インセンスを放っている。車内でこの女だけが、生きてはいない。

「あとは、エヴァにもう少し無理をしてもらうか」

 エヴァネッセンス・フォーティナイン、通称エヴァはサイゴの相棒だ。人間のような人格もなければ、会話も出来ないが、戦闘力は格段に高い。本来、彼女は喪服の上にケープを羽織っていたが、今は失われ、増設された複腕が露出していた。

 ミリヤは顔をしかめながら、自分たちが追いかける父、ニフリート・ハーネラの姿と、エヴァネッセンス49を交互に見比べる。

 エヴァ49はサイゴと共に、ニフリートを殺した相手と先程まで死闘を繰り広げていた。そのことに彼女自身、感謝はしているが、内心複雑だ。

「首は応急処置ですが、まだいけなくは……っとと!?」

 サイゴが急ハンドルを切り、ミリヤは窓側に肩を打ち付けた。スリップこそしなかったが、行く手を光る角のトナカイたちに遮られ、停車を強いられる(この地方のトナカイは交通事故防止の為、蛍光塗料をペイントされていた)。その隙に、かろうじて捉えていたニフリートの姿は、猛吹雪の向こうに消えてしまった。

「……すいません、見失いました」

 サイゴの言葉に、ミリヤは落胆よりも疲労を覚えてうつむいた。ほとんど記憶に無い父、ようやく体を見つけたと思ったら、どうしてこんなことに。張り詰めていた糸が切れると、暖房を入れても拭い切れない車内の寒さが、疲れに追い打ちをかける。

 手袋の中の指も、ブーツの中の足もずいぶん冷たくなっていた。けれどこんな吹雪の夜を走り続ける父の体は、きっと氷より冷たいだろうと考えて、怖気を覚える。

 彼女が鎮伏屋のサイゴと出会ったのは二月ふたつきほど前。それからずいぶん、色んなことがあった。でも、これで終わりではないのだ。

「まだまだこれからですよ。うちの看板にかけて、必ずお父さんは見つけ出します」

 サイゴは励ますように言葉をかけるが、ミリヤはそれが心苦しい。

「……お願いします。私は、あなたを信じて待つしか、出来ませんから」

「そう言っていただければ何よりです」

 トナカイたちが道路を渡りきり、サイゴは車を発進させた。窓一枚を隔てた夜では、雪粒が右へ左へ跳ねまわり、彼らの道行きを不透明なものに変えていく。

 どこまでが夜で、どこまでが雪かも分からない凍てついた景色は、生も死も曖昧にする死者のための都ネクロポリスに相応しいと、ミリヤは思った。


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