吹雪が晴れる、吹雪が晴れる、冥府の王が来る

 頭頂から尻までの距離と、胴体の幅がほぼ同じという脅威の生物・球体猫の松悟はその見た目通り、腹肉の弾力と毛の包容力が素晴らしい。普段は撫でられるのも嫌がる彼だが、年に数度は気まぐれを起こすのか、サイゴがそのもふもふの大草原とも言うべき腹に顔を埋めるのを許すことがあった。例えば今夜がそうだ。

「あ~~、もふーいもふーい……もふーいもふーいふーい……」

 いい歳した男が一人、夜中にそんなことをのたまいながら、ソファに寝そべって猫の毛皮を堪能している。結婚など夢のまた夢だろう。まあ、当人はまだまだ独身貴族を楽しんでいるが。そんな癒やしタイムを、無情な電話が打ち切った。

 もしこれがただの間違い電話だったなら末代まで祟ってやりたいと思いながら、サイゴはしぶしぶキャットオブ桃源郷ストマックから顔を上げ、ソファを降りた。

「はい、こちらアンダーテイカー、鎮伏屋です」

 いかに不満を抱えていても、彼の営業スマイルボイスは天使のように完璧だ。

『おい、鎮伏屋! 起きてるか!』

 意外な人物の声に、サイゴは一瞬目を丸くした。

「ニフリートさん?」

 そろそろ夜も十時になる。受話器の向こうは何か騒がしい。

『電話番号、覚えててよかったぜ』以前渡した名刺の効果だ。『くそったれが。なあ、あのな。その、ミリヤはそっちにいるか?』

「ホテルですけど」

『……くそっ』

「それで、どういう風の吹き回しかお訊きしても?」

『てめぇには関係……! ……ああ、いや、そうじゃねえ。そうだ、あいつに、もう一度会って話してえんだ。だから、その、すまなかった。ってな』

 サイゴはかっきり二秒の間を置いて、「なるほど」とだけ言った。

『てめえ今笑ってるだろ』

「いえまったく」もちろん嘘だった。「本当に」

 あちらがイライラしてる様子が、黙っていても伝わってくる。

「お嬢さんに会いたいなら、ホテルの住所をお伝えしますけれど」

『あー、どこだ?』

 そこでサイゴは思い出した、サンタズホステル・アロラは、ここ七~八年ほど前に建てられた新しい宿泊施設だ。十三年前に死んだニフリートには分かりづらい。

「時間も遅いですし、何ならこちらから迎えに行きますよ」

『ああ、そうだな。一箇所で俺たちがじっとしていられりゃ、良かったんだが』

「それはまたどうして?」

 嫌な予感がした。

『ワイトの集団に襲撃されてる』

 言葉の終わりに、ひときわ大きな銃声と、ベムリの笑い声がかぶさった。


                 ◆


 やるべきことは明快に二つ。

 ミリヤへ会いに行き、和解する。

 そして、スレノジィ・ロトボアとアンニヒラトル計画絡みのものをぶっ潰し、二度とミリヤやグラナッティオメナの仲間に手を出せないようにする。

 何をおいても優先すべきは前者だ、二人が動き出そうとした瞬間、面倒な連中から横槍が入った。かねてからベムリを襲撃してきたワイトの群れ。

 集団の中に一人だけ、人間のように思考しながら、見え方がはっきりと〝生きていない〟奴がいる。フィティアンと同じ、マインドだ。

(あいつら、俺たちを始末しに来やがった)

 こうした襲撃に備えて、ベムリは廃屋に十数体のワイトを飼っていたのだ。それらを足止めにぶつけ、そこを突破してきた個体だけを移動しながら撃破し、公衆電話を見つけてやっと鎮伏屋と連絡を取った。

 電話はベムリの散弾銃がうっかり壊したが、こちらの状況は伝わったし、ホテルの部屋も分かったからまあ結果オーライだろう。

 ひとまず身を隠した廃ガソリンスタンド。軽く外をうかがったニフリートは、シートをかけた積みタイヤの傍に戻り、手持ちの還死剤アンジーを開封した。運動した後は、余計にこれが欲しくなる。生きていた時の食欲に近い感覚が、少し嬉しかった。

「やつら一旦行っちまったみてえだ。今のうちに急ごうぜ」

 傍らの弟に話しかけ、立ち上がろうとして、ニフリートは動きを止めた。今、何か違和感がなかっただろうか。首を巡らせ、もう一度その姿を見る。

 何かがおかしい。ベムリが、座っているにしても、やけに小さく縮んでいる。ニフリートが人間のままだったなら、すぐ分からなかっただろう。だが、フィラメントによって強化されたワイトの眼球は、暗闇の中でも鮮明にその姿を捉える。

 細く、還死剤の蒸気を何本も立てながら、ベムリは懸命に立とうとしていた。内臓が無くなって、背骨が折れて、潰れてしまった胴体のままで。

 ごぼごぼと泥の詰まった排水口のような音を立て、ベムリは大量の黒い液体を吐き出した。還死剤と、溶けた内臓のミックスジュースだ。

「――は?」

 なんだ、何が起きている。ベムリが、壊れて、崩れていく。ニフリートは無意識のうちに、小さく首を振っていた。目の前の現実を認めたくはなかった。こんな姿になるなんて、ただ死体に戻るよりも酷いではないか。

「どうした、おい、なんだ、大丈夫か!?」

『ニ……ぢゃ……』

 機械の声が、吐瀉物が絡んで更に不明瞭な雑音になりかける。がぼっと大きな音を立て、ベムリは黒々とした塊を吐き出した。床に転がるそれは、半ば溶け崩れた何らかの臓器に見える。だがベムリは、楽になったとばかりに長く息を吐いた。

『平気さァ、これっぐらい……どっか、ワイト探さねェと、ナ。二つ三つ喰えば、こんなの、全部、直っからよ』

「それでいいのかよ」

 思わずニフリートは噛み付いた。

「お前、ミリヤのことを忘れちまってたじゃねえか。三歳のちびじゃねえ、十六歳の、クオナそっくりに成長したあいつを。でも忘れちまってる、それのせいだ。記憶が壊れていくんだ。だから、だから……どうする。お前は、どっちがいい?」

 思い出を抱えたまま、寿命に身を委ねるか。

 それを捨てて、とにかく自らの体を生きながらえさせるか。

 ベムリは答えなかった、言う必要もないと互いに知っていた。

『ミリィちゃん、綺麗だったよな』

 クリニックで見た姿を思い出しているのか、眼を細めてベムリは言う。

「ああ。シケた面してなきゃ、男も女も放っておかねえ」

 何でもない世間話のように、静かにニフリートは答える。

『元気にしてっかな』

「……どうだろうな。ま、頼りねえガキだが、まだまだ大丈夫だろ」

『彼氏とか彼女とかいんのかな』

「それは俺も知らねえ」

『訊いとけよォー、パパだろ……ア、でも恋人がいても、相手殴るンじゃねーぞ?』

「しねえよ! 多分な」

『じゃあ、ミリィちゃんの将来の夢とか、分かるかァ?』

「いや、それも知らねえ。情けねえな」

 ケラケラと明朗にベムリは笑った。自身の運命を知りながら、楽しそうに。

『親子なんだから、ちゃんと話しとけよォ、死人に口なし、だぜ』

 まったくもってその通りだ。自分のことばかり手一杯で、十三年ぶりに会った娘のことなど、何も訊ねようともしなかった。ニフリートは唇を噛んで、苦いものを押し潰す。自分は、自分たちはまだ、間に合うだろうか。

『……会いてェ』

 ずるりと、床から粘液の糸を引き、天井に黒い蒸気を上らせながら、ベムリは立ち上がった。最初の一歩は弱々しく、踏み出す二歩目で大きくよろける。ニフリートがその体を抱え上げると、軽さに対する驚きで苦しくなった。

『ミリィちゃん、会いてェ、なァ……』

 機械の声が、かろうじて言葉の形を作って囁く。散歩に行くような気軽さで、ニフリートは「じゃあ、行くか」と答えた。

「心配すんな、結構近くまで来てるからよ。お前はしばらく休んでろ、俺がちゃんと連れてってやる。余裕で間に合うからな、安心して寝とけ」

『アー……』

 ベムリは少し迷ったようだが、やがて、にっこりと笑うと、子供のように『ウン』とうなずき、瞼を閉じた。大丈夫だ、こいつはまだ生きていると信じて、ニフリートは廃墟を飛び出し、夜の街へ走りだす。外は、雪が降っていた。


                 ◆


 ふとミリヤが気が付くと、エヴァ49が何もない一点を見つめる猫のように、天井をじっと見上げていた。まさか幽霊でも見えているのか?

「……え、お父さんが!? い、今すぐ――あ、はい、分かりました。待ってます」

 そんな不安は、夜中にサイゴからかかってきた電話一本で吹き飛んでしまった。もうお風呂も入って就寝準備を済ませているが、たちまち目が冴える。

「でもワイトに襲われてるって、大丈夫なんでしょうか?」

『アンニヒラトルがどれほどのものかは分かりませんが、ベムリは何度も撃退していると先生は言ってましたからね。そう簡単にはやられないと思いますけれど』

「そうですか……いえ、そうですよね!」

 ミリヤは自身を鼓舞するように、拳を握りしめた。

 エヴァ49は会話能力を持たないが、マスターとある程度コミュニケーションが出来るよう、筆談を行う機能がある。サイゴが何かあった時のためにと置いて行ったPDAを手にすると、エヴァ49は天井に視線を固定した不自然な格好のまま、つかつかとミリヤに近づいてきた。

「え、どうしたの……」

 思わず腰が引け気味になるミリヤの前で、エヴァ49は何事かを開いたPDAに打ち込む。彼女が掲げた画面に表示された文字列。

『潜んでいる可能性が排気ダクトの天井に何かがあります』

 文法が洗練されていないので、理解に一拍の間を要した。

「……上のダクトに何かいる。ってこと?」

『はい』文字列が変わる。『ワイトの可能性大』

「ホテルで働いているワイト?」

 エヴァ49は文字を打ちこむのではなく、首を振ってそれを否定した。こんな時間にそんな場所の清掃作業はやらない。明らかに普通ではない状態だ。

『お嬢さん、どうされました?』

 受話器の向こうから問われ、ミリヤはエヴァ49の言葉を慌てて伝えた。

『……今からそちらへうかがいます。エヴァの傍を、決して離れないでください』

「は、はいっ」

 電話が切れる。ミリヤはどうしようと室内を見回し、まずは寝間着から着替えることにした。エヴァ49は、分解清掃を済ませた銃器を手に臨戦態勢を取っている。

 どん、と天井が鳴った。気づかれたことに気づいたワイトが、存在を隠すことを放棄した音。これみよがしに、すぐ真上をウロウロとしてみせる。

 着替えを持ったまま固まるミリヤの横、エヴァ49は肩幅に足を開いて立った。掲げた三本の腕にはイングラムM11短機関銃。三挺一斉射のマズルフラッシュと銃声がミリヤの目を、耳を叩く。思わず頭を抱えて金髪の少女はしゃがみこんだ。

 穴を開けられた天井から何かが飛び出し、サイドテーブル上に着地する。こぶりなガスマスクをつけた、黒光りするラバースーツ姿の人型。軟体動物めいたプロポーションで、陸に上がったタコのようにうねりながら、長くしなる腕を伸ばす。

「嫌っ」

 ミリヤの華奢な胴に巻き付きかけたそれを、エヴァ49の靴先に仕込んだナイフが切り飛ばした。足を高く振り抜きながら二挺同時射撃し頭部を撃破。砕けたガスマスクからもうもうと黒い蒸気が噴き出す。サイドテーブル上で軟体ワイトはブレイクダンス、二本の足が部屋全体へ伸びながら回転する。

 エヴァ49はミリヤにスライディングをかけて引きずり倒し、その攻撃から避難させた。床を滑る間も撃つ、撃つ。その弾丸は全て対還死サクセット弾だ。改造された骨格により元の三倍強に伸びた右足がテレビとランプを薙ぎ倒し、銃弾を浴びて断裂する。エヴァ49は更にそれを蹴り折り、トドメに仕込みナイフで切断した。

 その勢いのまま床を転がり、エヴァ49は置いていた合金トランクを開封、サクセットの薬液にまみれたマチェットを取り出した。同時、軟体ワイトの左足が彼女の胴を打擲ちょうちゃくする。ミリヤがそれを見て悲鳴を上げた。

「GYYYYYYYYYYYYYYY!」

 軟体ワイトが無意味な唸り声をあげる。虫のような隠し腕が二本、エヴァ49の腹部から現れて、ワイトの左足を捕らえていた。蜘蛛は八本足の節足動物、ブラックウィドウモデルのエヴァ49は、手足合わせてきっちり八本なのだ。

 しかし機械で出来た隠し腕は、いつまでもワイトの筋力に抗えるほど強くはない。マチェットでそれを切り落とそうとする寸前、天井から別の腕が伸びて刃を絡め止めた。ミリヤが見上げると、そこに、同じ姿をした軟体ワイトがもう一体。

 ああ、逃げなくてはと思う間に、ミリヤにワイトたちの腕が迫った。


                 ◆


 フロントに見咎められるのを避けるため、ニフリートはトイレの窓を壊してサンタズホステル・アロラに侵入した。この種のテクニックならお手のものだ。

 鎮伏屋から聞いたミリヤの部屋番号は151。夜の静まり返った廊下、影のようにささっとすり抜けていく。手前の曲がり角に差しかかり、ニフリートは片眉を上げた。151号室の扉が開け放たれたままになっている。

「ベムリ、着いたぞ。しっかりしろよ」

 不審に思いながら、腕の中の弟を揺り起こし、廊下を曲がる。視界に、荒れた室内の様子が飛び込んできた。空気中に硝煙とマカル・インセンスの臭いが残っている。

「……何があったんだ、こりゃあ」

 中に踏み入ると、脱ぎ捨てられたように見えるミリヤの服や、切り落とされたワイトの手足が散らばっている。ニフリートは後ろ手に入り口を閉めながら、娘を呼んで声を張り上げた。寝室、トイレ、そしてバスルーム、どこにもいない。

 部屋の様子は明らかに普通ではない。誰かが、ミリヤを無理やり連れて行ったとしか思えなかった。昼間のブティックで襲ってきた奴の仲間に違いない。

「野郎。どこまでも邪魔しやがって……!」

 するりと、何かが腕を滑り落ちる感触がした。何気なく追った視線の先、べちゃっと音を立てて床に落ちたのは、ベムリの胴体から外れた足だ。

 右と左のどちらが先だっただろう、雑な糊付けが外れたような簡単さで、両足の次には、二つの腕が転がる。脆くなっていたそれは、もう床の上で潰れかけていた。そして、ゆっくりとその輪郭をゆるくしていく……次に取れるのは首か?

「おい……しっかりしろ、おい!」

 指の間から還死剤が溢れていく、溶け出したベムリの体が。ここまでたどり着いたのに、あと少し早ければミリヤに会えたのに。その前に、ベムリが消えてしまう。死んでしまう。あの娘はどこへ行ったのだ、こいつはどこへ行ってしまうんだ。

「やめろ、ベムリ、俺を置いて逝くな! やめてくれ!」

 少しでも流れ出すものを止めようと、かつて手足があった場所を押さえながら、その場にうずくまり、ニフリートは叫ぶ。胸に空虚な穴が開いて、それに向かって体が萎んでいく気がした。こんなのは嫌だ、誰も彼も自分を置いていく。

「クオナは先に逝っちまった。今度は、お前まで」

『……ミリィちゃんが、いる、だろ』

 途切れ途切れにそう言うのが、体の崩れかけたベムリには精一杯だ。間断なく噴き上がり続ける還死剤の蒸気が、薄墨色の炎になって半欠けの体を包んでいる。

「お前だってあいつの叔父さんだろ。待ってくれ、頼むから、待ってくれ……!」

 いくつもの哀願と困惑が、ニフリートの喉や肩や胸を震わせたが、その言葉のうちどれか一つだけでも、ベムリが応えるすべは無かった。

 まるで泡のようだ、それらの言葉だけではなく、ニフリートの心も、ベムリの体も、虚しく沸き立ち消えていく。七歳の子供に戻った心が泣き叫び、喚いて、けれど二十八歳で時を止めた体の方は、泣くことを知らない。

 ベムリの腰から下が、ニフリートの膝を汚しながら脱落した。

 自らの大事な物が砕け、散り散りに去り、無限に深いどこかへ落ちていく――その手応えが神経を焼くようだ。こんなことになっても、人は正気を保てるものなのか?

『だいじょうぶだ、ニーちゃん、だいじょうぶだ』

 残った胸から上と、顔の左半分だけで、ベムリは笑った。ぱらぱらと、ほとんど白に近くなった髪が抜けてこぼれる。その表情にはもはや何の苦痛も悲哀もなく、ただ穏やかな満足だけがあった。夜の海のような底知れない目の中に、一瞬、かつてのような青い色をニフリートは見出す。

『吹雪が晴れたんだ』

 彼には弟が何を言っているのか分からなかった。ベムリがそれまで内に秘めていた恐怖、彼がどことなく感じていたのはその影だけだ。だから、その言葉がすっと胸に入って、体の震えが止まった。ベムリは優しく、屈託なく、無心に微笑む。

『あったけェよ……』

 兄を安心させようとするような、心の底から自身が安心したような笑みを最後に、ベムリの首が外れ、スピーカー付きのチョーカーがずり落ちた。

「――あ」

 それ以上存在することに耐えかねたように、残ったベムリの全身が蒸発して、消えた。その瞬間のじゅわっという音だけが、数秒鼓膜に余韻を残して、終わりだった。

「あ、ああ、あ――」

 手の中に握りしめたのは、着ていた衣服と、人工声帯のチョーカーだけ。ベムリの名残りはもうそれだけだ、あいつはもういない。自分は間に合わなかった。

「ああああああああ……!!」

 座したまま背中を丸め、体を縮めて、縮めて、縮めていく。小さくなる。

(俺が罵迦なことをしなけりゃ、こんな行き違いにはならなかった)

 このまま消えてしまいたい。それでもこの身の奥底、血の代わりに流れる熱い根源に、逆さ鱗のように突き立つ憤怒が、決意があった。

 ミリヤに会わなくては。誰が無理やり連れて行ったのか? 一体何が起きている? 誰がこんなくそったれな状況を作った?

(どこだ)

 全ての禍根の始まりはどこにあるのか、娘はどこにいるのか、ニフリートは自分ですら区別がつかないまま問うた。優先順位を確認し、改めて吠える。もはや、細かいあれこれは知ったことではなかった。邪魔する者は許さない。どいつもこいつもなぎ倒して、有象無象を殴り倒して、ミリヤの元にたどり着いてやる。だから。


【――俺の娘はどこだ!――】


 その夜、マインドたちは見ただろう。黒い放射状の波と稲妻が広がっていくのを。爆心地はサンタズホステル・アロラ、今まで誰も見たことのない干渉の波。それが、一斉に範囲内のワイトたちのフィラメントを狂わせた。

 ホテルの厨房で仕込みをしていたワイトたちが、

 リネン室で働いていたワイトたちが、

 清掃作業をしていたワイトたちが、

 ホテルの外を通りがかった宅配ピザのワイトが、

 各所のオフィスビル内のワイトたちが、

 駅のワイトたちが、病院のワイトたちが、家庭のワイトたちが、死体置き場のワイトたちが、バーのワイトたちが、地下鉄のワイトたちが、ありとあらゆる場所にいたワイトたちが、一斉に動きを止めた。まるでストップモーションのごとく。

 一瞬後、彼らは辺りを見回し、つぶやいた。

「オレノ娘ハドコダ」「オレノ娘ハドコダ」「オレノ娘ハドコダ」

「オレノ娘ハドコダ」「オレノ娘ハドコダ」「オレノ娘ハドコダ」

「オレノ娘ハドコダ」「オレノ娘ハドコダ」「オレノ娘ハドコダ」

「オレノ娘ハドコダ」「オレノ娘ハドコダ」「オレノ娘ハドコダ」

「オレノ娘ハドコダ」「オレノ娘ハドコダ」「オレノ娘ハドコダ」

 その言葉は、寸分のズレもなく、まったく同時に発せられていた。自身の視界内、そこにミリヤ・ハーネラがいないと知ると、それぞれに課された持ち場を飛び出していく。制止しようとした人間を、眼に入っていないかのごとく蹴散らしながら。

 インゴルヌカ市の面積はおよそ八千平方キロ超、うちロヴァニエミ駅を含む中心地のおよそ五百平方キロ内で、それは同時に起きた。


             ※       ※


「一体なんだ、これは!」

 フィティアンはその異変を感じ取り、数十年来忘れていた怖気を覚えていた。自分のフィラメントに何かが入り込もうとしている。乗り移ろうとしている。神経を解体され、いじりまわされるような屈辱感と苦痛。

 彼は立ち上がることも出来ず、書斎の床に座り込んでえづいていた。胃に入れた飲用還死剤を嘔吐しながら、一斉に部屋を出て行くナースワイトたちを横目に見ている。恐ろしいことが起きている、ワイトたちを一斉に狂わせる悪魔のような。

「やつか? これがアンニヒラトルの、拡張型死霊回路エクステンドフィラメントの力なのか?」

 それをやったのがニフリートなのか、ベムリなのか、あるいは両方なのか彼には区別がつかない。ただ、やはり奴らは早く始末するべきだったと歯噛みしている。

「これじゃあまるで……冥府の王チェルノボグじゃないか」

 我ながらその例えがしっくり来すぎて、フィティアンは苦しみながら笑った。

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