2.事の始まり

「う……ん……」


 薄っすらと目を開ける。

 俺は小さなベッドに寝かされていた。


 ここはどこだ?


 ほのかに香るヒノキの匂い。

 木製の天井。

 頭上では、ろうそくの火がちろちろと揺れていた。


「フォッフォッフォ、目を覚ましたかね?」


 右耳から聞こえたおじいさんボイス。

 静かにそちら側へ顔を向けると、耳の尖ったおじいさんがいた。これは……エルフだな。


 分かっていたさ。お爺さんみたいな声をした美少女なんかいないって。


 俺は掠れる声でそのエルフに尋ねる。


「お、俺……どうして……」


「お前さんが平原で倒れておったところをワシが介抱してやったんじゃよ。フォッフォッ」


「そ、そうですか……。ありがとうございます」


 寝っ転がりながらも小さく頭を下げる。


「酷い怪我じゃった、お前さんの腹に大きな穴が空いておったわい。もうダメかと思ったんじゃが、ワシの孫がヒール魔法が使えての……。危ないところじゃった」


「お、お孫さんが……。そうですか……ありがとうございます」


「本当じゃ、ワシがいなかったらお前さんは今頃どうなっていたことか……」


「おじいさんのお陰です。本当にありがとうございます」


 この爺さん、見かけによらず恩着せがましいなッ!

 何かいちゃもんをつけられても迷惑なので、この家を出ようとベットから起き上がる。


 ……が、お爺さんにたしなめられてしまった。


「まぁまぁ落ち着くのじゃ、少年」


「は、はぁ……」


 嫌な予感しかしないのだが。


「どうじゃ、助かったじゃろ?」


「だから、本当にありがとうござ──」



「おじいさん、しつこいわよ」


 そう言いながら、エルフの女の子がガチャリとドアを開けて部屋に入ってきた。

 この女の子が、その“孫”って人か。

 それにしてもこの人……



 か、かわいい!



 女の子は水とタオルを乗せたお盆を手に乗せて、銀色の美しい髪をたなびかせながら静かにドアを閉める。

 俺の寝ているベットまで近づいてくると、丁寧な動作でしゃがみ、俺の顔を拭き始めた。


「お、おろ、そ、そんなことしな、くても」


 突然の出来事に動揺を隠せない俺。心臓が破裂しそうなほど、バクンバクンと鼓動を繰り返している。



 俺は童貞なのだ。


『あー、女に興味ねーわ』


 とか言ってみてしまうような童貞なのである。


『女は命懸けで愛さなくちゃいけない』


 とか悟ったようなことも言ってみてしまうような童貞なのである。


 携帯でAV《アニマルビデオ》見過ぎて通信制限かかっちゃうような、お母さん以外の女の子とはまともに喋れないような、風で胸の柔らかさを想像してしまうような童貞なのである。

 ただ、童貞の癖に知識は凄いし、好きな体位もある。



「じっとしてて」


 彼女はそれだけ言うと、しっとりと濡れた銀色の瞳を左右に動かす。


「かなり良くなってるわ」


 そう言いながら、ハラリと俺の上の服をめくった。


「ひぃっ……」


 思わず変な声が出てしまう。


「大丈夫よ、ちょっと我慢してね」


 女の子はささやきながら、ペロリと俺の腹を舐め始める。


 やばい! これはやばいって、奥さん!

 おじいさんの前でこれはやばいです!


 あわあわとお爺さんの様子をうかがうが、眉一つ動かさず、表情の変化は見受けられない。

 どうしてだよ! あんたの孫がこんなことしてんだぞ!


「な、何して……」


「消毒よ」


 濡れた唇を拭いながら、女の子は答える。


 そんな消毒がどこにあるんだ……。

 けど、そんなのはどうでも良かった。俺は本能のおもむくまま、感情を爆発させた。


 エロい!

 さいっこうだ!

 異世界バンザーイ!


「そ、そうですか……」


「うん、そうよ」


 そう言うと、女の子は再び“消毒”へと戻っていった。


 唾液がツーッと流れ落ち、ベットのシーツに染みを作っていく。

 俺の患部をくまなく舐め尽くすその姿は、なまめかしい以外の言葉が見つからなかった。



 俺がムスコを抑えるので精一杯だったのは言うまでもない。



 * * *



「ふぅ……、終わったわ」


 女の子は静かにそう言うと、そばにある椅子に座る。


「あ……ありがとうございます……」


 ひどく緊張しながら感謝の言葉を口にした。


「フォッフォッ、ワシの孫はやはり最高のヒーラー──」


「おじいさん、うざいわよ」


「うっ……そ、そんなぁ……」


 お爺さんは胸に手を当てて苦しそうに喚く。


 確かにこの爺さんはうざい。が、命の恩人なので何とも言えないのである。


「して、どうしてあなたは平原に倒れていたの?」


 はてなと首を傾げる女の子。


「それはですね……」


 そこまで言って、考え込んでしまう。


 果たして異世界日本から来たと正直に言っていいものだろうか。

 ちなみに前回の転生で、バカな俺は正直に『ここではない世界から来た』と話してしまった。


 そのせいで


「異世界からの勇者だ!」


 なんてかつぎ上げられて酷い目にあったんだよな……。



 それから現実世界で4年の時を過ごし、俺は色々知った。

 どうやらライトノベルというの中では〝異世界転生〟がごく普通に起きている、ということを。

 そのときの俺が『勇者は俺だけではなかったんだ!』とどれだけ安堵したことか……。


 そしてこの状況である。

 どうしよう……。



「俺は……グルリアスという町から来たんです……」


 グルリアスとは俺が以前転生した町。

 俺はそのグルリアスとこの街が繋がっているという一縷いちるの希望にかけた。


「グルリアス……?」


 女の子の銀色の瞳が大きく見開かれる。


「本当に!? やったわおじいさん! この人、グルリアスから来たんですって!」


「なんじゃと! そりゃすご……オウェッ!」


 爺さんが興奮のあまりゲロりやがった。きったねー。


 てか、マジでこの街はグルリアスと繋がっていたのか。

 しかもめっちゃ喜んでるし! なんか俺まで楽しくなってきちゃったぜ! ふぅ!



 ……どう考えても、地雷踏んだ気しかしないんだが?



「ッペ、はぁはぁ、吐いてしもうたわい。孫よ、この少年を見つけたとき、隣にはミノタウロスらしき肉片が残っておってな……オウェッ!」


 また吐いてる……。

 爺さんなんだからあんまりムリすんなよ。


「じゃあ、あなた一人でミノタウロスを!?」


 女の子が俺の体を揺さぶりながら尋ねてくる。


「あ、はい……」


「凄いわ! でも、他のメンバーの方はいらっしゃらないのかしら?」


 どどどどうしよう。

 やっぱりなんかヤバイことに巻き込まれちまった気がする。


 普通に、


『日本から来ました!テヘペロ☆』


 みたいなこと言っときゃ良かった。



 …………。



 仕方ねぇ、一度ついた嘘はつき続けるしかない。


「残念ながら、お亡くなりに……」


 うん、この適当さこそ俺的クオリティ。


「そうなの……それは気の毒に……。でも、長い旅路ですものね……」


「じゃが、お主だけでも助かったのであれば、我が『迷宮都市タケル王国』としては万々歳じゃ!」


 リバリバリバースから復活した爺さんが歓喜の声を上げる。


「タケル……王国……?」


 なんだよタケル王国って。

 子供が鼻くそほじくってつけたようなネーミングセンスだな。


「ワシらの国の名前じゃ!」


「…………」


 それ、改名した方がいいぞ。

 絶対ヤバイ。頭おかしい。


「私たちの誇る王国、タケル王国を知らないのですか?」


 女の子が不安げな顔で見つめてくる。


 あ、いかん。

 俺はこの異世界の住人(という設定)だった。


「い、いえいえ。タケル王国は知ってますよ。良い名前ですよね〜本当に」


「そうじゃろ!?」


 お爺さんが目を爛々と輝かせてそう言う。


 ──んなわけあるかボケ。



「それなら良かった……。えと、私の名前はセシィー = アトウッド。セシィーって呼んでくださいね?」


「ワシの名前はゲイ = アトウッド。アトウッドと呼んでくれ」


 ゲイって呼んじゃダメですか? そうですか……。


 自己紹介を終えた両者が、俺の自己紹介を目を輝かせながら待っている。


 ……仕方ない。

 俺の名前を教えてやろう。



「俺は黒の剣士、キ◯トだ」



 イエエエエエッス! 決まったぜ!

 俺かっけー!


 どう? とでも言わんばかりにアトウッド家の彼らの顔を見ると、セシィーは不審げな表情を浮かべていた。


 えっ、かっこよくなかった?



「……確か、この街に来られる予定だった方のお名前は『ごましお』様とかいうお名前だったような……」



 少し冷静になれ、俺。

 この状況を分析しよう。


 俺が『グルリアスから来た』と告げた瞬間、このアトウッド家の両者は驚き、喜んでいた。

 そして、今彼女は『この街に来られる方予定だった』と言ったな?


 なるほど。


 このタケル王国にグルリアスから来る予定の者たちがいた。

 そいつはこの王国で歓迎されるべき奴らだった。

 それで俺は、そいつらに成り代わっちまったってわけか。


「すいません、嘘をつきました。俺の名前はごましおです」


 ……って、ごましおってなんだよ。ゴマ塩のこと言ってんのか?

 なんでこの世界でゴマ塩なんだよ……。


「そ、そうですか……」


 怪訝けげんな表情を見せるセシィーだが、隣に座るゲイは何も考えていなかったらしい。


「孫よ、これはすぐに王様へ報告じゃ!」


 そう言うや否や、お爺さんは俺のことをベットから引きずり降ろしたのでした。

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