終章
柔らかい春の風を受けながら柚凛は盤の上の駒を滑らす。対局相手はいない。
鴻羽が反乱を起こして十二年になる。
呂淳と湲のふたりが死んでしばらくは鴻羽は塞ぎこんでいた。待ちわびた瞬間だったが、特に何の感慨もなかった。しかし呂淳と湲の最期の様子を聞いたとき、無性に呂淳が妬ましく思えた。
呂淳は湲に選んでもらえたのだ。彼は最期の最期に本当に欲しかったものを手に入れた。
自分には何もない。
五日前の対局相手であった鴻羽も昨日没してしまった。外では葬儀の準備で騒がしい。
玉座についてからの鴻羽は無心に政務に打ち込み、熱心な仕事ぶりに彼を選んだ者たちはとても満足げだった。
しかしながら、その一方で鴻羽は夜、昏倒するまで酒を飲むことが増えた。眠れないから、と彼は言っていた。
体が慣れていったせいか次第に酒の量は増え、この頃は酒ではなく薬を飲むようになっていた。そのせいで午前中は政務にあたれない日々も増え、即位して半年したころに妻を迎える気がないと示し、養子に迎えた一番上の姉の当時十五才だった長男に少しずつ仕事を任せ始めた。
ただひたすらに鴻羽は湲を、呂淳を失ったことを悔やんでいた。夜半に禁苑の隅に作らせた墓碑の前でぼんやり佇んでいることは度々だった。
それでも託されたものだけを頼りに日々をすごしていたが、ついには散った桃の花の後を追うかのように服毒し、逝ってしまった。
死に顔はずいぶん安らかなものだった。その傍らには形見の腕輪があり、一緒に埋葬することを柚凛は命じた。
「大叔母上。こちらにいらしたのですか。父上が探されていましたよ」
甥孫である十歳の少年が部屋に入ってきて少し戸惑い盤を覗きこむ。
「……お相手しましょうか?」
よく懐いていた大伯父を失くして今朝も目を真っ赤にしていた甥孫は、また泣きそうな顔をして柚凛の向かいに座る。
「かまないわ。わたくしに用があるのでしょう」
柚凛が立とうとすると甥孫が先に立って手を伸べる。血のつながりはそう近くもないのに、鴻羽と本当によく似た子だ。彼女はふんわりと微笑んで、彼の手を取らずにひとりで立ち上がる。
そして残された盤を一瞥して胸の内でひとりごちる。
所詮は虚しいひとり遊びだ、と
***
白峨の時代は短いながらも国の崩壊のぎりぎりのところにあった時代だったと、後に歴史家は記す。
その中で勇猛果敢な武官として国を護り、そして国と共に絶えかけた秦家の血を絶ち新たな礎を築きあげた斎鴻羽という人物は、紫秦国の中興の祖と言って差し支えないだろう。 惜しむべくは妻をもたず直系の嫡子をひとりも残さなかったことだが、甥とその息子をよく養育し相続で混乱をきたすことはなかった。
残した功績が華やかであるがゆえに、その最期だけは不自然であった。暗殺もささやかれたが遺書に疑うべく点は見つかっていない。
彼が何に絶望したのか人は知ることはない。
ただあるのはそれより百年たった
――了
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