第4話 5.
「え、じゃあ廻谷さんも『
「クロレンは最高の少年漫画の一つだと思う。モブとか脇役キャラの扱い方が特に好き。無駄に出てくるキャラが全然いない」
「あー、そうそう。無駄がなくてこう、全体的に密度たけーよな。ずっと面白いまんまできっちり完結した辺りも凄いと思うわ。チャンプの漫画なんかだと打ち切られるか引き延ばされるかで、綺麗に終われること少ないからなー」
「それは仕方ない。漫画は作品である以上に商品だから。綺麗に終わることより、終わるまでにどれくらい稼げるかの方が重要」
「いや、わかるけどさ。序盤は面白かったのに、だんだん内容薄くなってきちゃってる作品とか読んでると――オブっ!?」
廻谷さんと楽しく漫画談義を繰り広げていたら、背後からどう考えても必要以上の力で渚紗に押しのけられ、間に割り込まれた。
「廻谷さん。新しいBGMの作製をお願いしたいのだけど」
「……いいよ。どんな雰囲気のBGMなの?」
「敵の攻撃によって味方キャラが死んでしまったときの悲しみを表現して欲しいわ」
「わかった」
廻谷さんはシンセサイザーの前に座り、少しの間(本当に少しだ。十秒くらい?)考えた後、即興でいかにも悲しげなメロディーを奏でて見せた。滑らかな指使いと見事な旋律につい目と耳を奪われてしまう。
「こんな感じでいい?」
「とても良いわ。この曲と共に死ねるのなら彼にも悔いはないでしょう。ありがとう」
廻谷さんが仮登校を再開してから一週間。
俺と渚紗は、学校帰りに廻谷さんの家に寄り、渚紗のフリーゲーム製作を手伝うのが日課になっていた。といっても、渚紗は主に自分のノートパソコンで製作を行い、ゲームの内容自体はひた隠しにしていたので、俺達に手伝えることはそれほど多くなく、俺と廻谷さんが雑談したり互いに別々のことをやっている時間も結構あったのだが。
廻谷さんは渚紗のフリーゲーム製作には割と協力的で、傍からは俺達三人が結構仲良さそうに見えたんじゃないかと思う。まぁ、傍から見てる人なんてメイドの松下さんくらいしかいないんだけど。
そういえば、いつ訪ねてもこの家には松下さんと廻谷さんの二人だけで、廻谷さんのご両親がいない。気になってそれとなく訪ねてみると、お父さんは外資系企業の役員で、お母さんはヴァイオリニストとして、それぞれ世界中を飛び回っているらしい。この家に帰ってくるのは「はぶられメタルとの遭遇確率くらい」なんだとか。相変わらず常識外れの一家だ。
廻谷さんはそのことについて、あまり気にしていないというか、むしろ家が静かで創作に集中出来ていい――くらいのことを言ってはいたが、本心ではやはり多少の寂しさはあったのではないかと思う。
だって、俺と渚紗が毎日のように家に寄っても、そのことで彼女にとって貴重なはずの創作に費やす時間が結構削られているというのに、俺達を追い返そうとしたことは一度もなかったから。
だから、俺はなんとなく、このまま廻谷さんと仲良くなっていけばそれだけで問題は解決するというか、案外簡単に学校へ来てくれるようになるんじゃないかと淡い期待を抱いていたのだが――。
「藤峰さん」
廻谷さんは、完成したBGMのデータが入ったUSBメモリを差し出しながら、渚紗の目を見つめ、
「ひょっとしたらだけど、このままの毎日を続けていたら、それだけでわたしが学校に通うようになると思っているんだったら――それは勘違いだからね」
はっきりとそう言い切った。
「えっ……いや、ちょ、廻谷さん。なんでそんなこと言うんだ? 俺達がこうして訪ねてくるのって、ホントは迷惑だったのか?」
「……別に迷惑じゃないよ。割と楽しい」
廻谷さんはあっさり認める。
彼女は無駄な意地を張らない。合理的というか理性的というか、自分の感情や相手の言い分の正しさを素直に認められる、正直な人だ。
「でもそれは、あなた達と一緒にいることの楽しさであって、学校に通うことの楽しさじゃない」
だからこその、この意見。
「わざわざ学校に行かなくたって、その楽しさは達成できる。つまり、あなた達がこうして放課後に遊びに来てくれるならそれで十分だってこと。学校自体は、今でもつまらないままだよ。授業もクラスメイトも退屈だし、今までと何も変わらない」
「…………」
確かに、な。
実際、この一週間で、クラスでの廻谷さんの様子や立ち位置に何か明確な変化があったわけではない。俺はクラスでオタク系の話ができそうな男子を廻谷さんと絡ませてみようとしたのだが、そいつは廻谷さんのような可愛い女子と話すとガチでテンパってしまうという、若き日の俺を思い出すような豆腐メンタルのヤツで、結局失敗に終わってしまった。
そもそも廻谷さんが仮登校を決めたのは、裏の渚紗に興味を抱いたという点に依るところがほとんどである。しかしその渚紗は、学校では裏の顔を隠したまま。
廻谷さんの言う通り、彼女にとって学校に行く意味は未だ無いままなのだ。
しかし、その事実を突き付けられて渚紗は、尚も不敵に笑って見せた。
「言われなくてもわかっているわよ、それくらい。今はまだ準備段階に過ぎないわ。期限まではまだ半分あるのだから、気長に待っていてちょうだい」
「……準備って、そのゲーム? あんまり期待出来ないんだけど」
「期待してくれてもくれなくてもいいわ。どちらにしろ裏切るつもりだから」
単なる虚勢ではない、確固たる自信に基づいたその態度に、廻谷さんの中で期待が疑念を少し上回ったようだ。「わかった」と呟いてUSBメモリを渚紗に手渡し、大人しく自分の創作活動に戻った。
それから一週間後――廻谷さんがくれた二週間の猶予の最終日。
ついに、渚紗のオリジナルフリーゲームが完成し、放課後に廻谷さんの家でプレイすることになった。
結局、二週間の学校生活では、廻谷さんの意見は変えられなかった。俺や渚紗が学校でも話しかけるようにしていたから、多少は他のクラスメイトとの絡みも増えたみたいだったけど、本人はそのことを別に喜んではいない。むしろ若干うっとうしがってすらいる。
つまり、俺達に残された手はもう、この渚紗のフリーゲームだけなのだ。
「渚紗。今日俺は何をすればいいんだ?」
いよいよ最後の懸けを目前にした廻谷さんの家の玄関の前で、渚紗に尋ねると、渚紗はゲームデータの入ったUSBを俺の目前に翳した。
「廻谷さんと一緒にこのゲームを楽しんでくれればいいわ。実際にプレイしてみれば、私があなたに望むことがすぐわかると思うから」
それは……微妙に信頼されているということなのだろうか。
「わかった。うまくいくって信じてるからな」
本当は、頭の中ではうまくいかなかったときに渚紗をどうやって慰めようかと考えていたのだが、口では調子の良いことを言っておく。それを知って知らずか、渚紗は「当然でしょう」と笑ってインターホンを押した。
「ゲームはできた?」
部屋に入ると、あいさつもそこそこに廻谷さんが訊いてきた。
「ええ。早速二人でプレイしてみて。キーボードで操作できるから」
ゲームデータを、渚紗のノーパソからUSBで廻谷さんのパソコンに移し替え、大画面の前に三人で座る。
「二人でって、フリーゲームで複数人プレイとかできるのか?」
「いいえ。操作できるのは一人だけよ。でも……内容は二人で協力した方がいいかもね」
どういう意味だろう。二人で協力して一人で操作するゲーム……ってことは、頭を使う戦略ゲーなのかな? 渚紗の性格を考えるとそれはありそうだ。まあ、だとしたらどうやって学校に通う価値を示すのかがわからんが。
いや、その辺りのことは渚紗ならもう考慮済みだろう。今はとにかく、渚紗を信じてプレイしてみるしかない。
「じゃあ始めるぞ廻谷さん」
「いいよ。操作は上津くんに任せる」
廻谷さんは興味深そうにじっと画面を見つめている。やっぱり廻谷さんも気になっているんだ。渚紗があれだけ啖呵を切って作り上げたゲームが、一体どんなものなのか。
「それじゃ、開くわね」
渚紗がマウスで、「freegame」とそのまんまのタイトルがつけられたアイコンをクリックすると、ゲーム画面のウインドウが開き、そしてタイトル表示もスタート画面もなく唐突に本編が始まった。
背景は、何の変哲もない現代の、ありふれた通学路という感じだ。アスファルトの道路や横断歩道、その中を歩く学生なんかがドット絵で表現されている。
舞台は現代日本か。まぁ学校に通う価値を啓蒙するためのゲームなんだから、現実の学校が出てくるのは当たり前っちゃ当たり前だが……。
学園モノのアニメとかで流れそうな軽快なBGMが流れる中、画面下方にキャラクターのグラフィックと台詞表示の小ウインドウが現れる。
登場したのは男子高校生と思しきキャラクターだ。短髪で微妙に目つきが悪く、下心が滲み出ていそうなヘラヘラした表情は、どこかうちのクラスの代表的バカ男子、荒上祐二に似ている。っていうかグラフィックの下に「荒上」って名前が表示されていた。
【荒上:「悪い、待たせたな上津」】
いや荒上本人だこれ。
「え? このイラスト、荒上にすげー似てるけど……こんなのどうやって手に入れたんだよ、渚紗」
「私が描いたのよ」
「マジか!」
う、うめぇ。いや流石に廻谷さんほどじゃないだろうけど、渚紗の絵もかなりのレベルだった。だって三次元の人間をそれが誰かわかるくらい特徴を掴んだイラストにできるんだから、相当なモンだよ。
なるほど、このゲームは現実の俺達の学校が舞台なのか。それならまあ、このゲームで学校に通う価値を伝えるって理屈もわからなくもないけど……でもなぁ。
こういうのって、いわゆる内輪ネタになっちゃうんじゃないだろうか。「内輪」のことをよく知ってる相手ならウケてくれるかもしれないけど、廻谷さんはそうじゃない。そもそも内輪に引き入れることが俺達の目的なのだ。
そう思って横目で廻谷さんを窺うと、既にやや怪訝な表情に変わりつつあった。
や、やばいぞ渚紗。本当に大丈夫なんだろうなコレ……?
不安を覚えながらもエンターキーを押し、ゲームを進めていく。すると画面上で荒上(と思わしき男子キャラ)の話しかけた相手――上津、つまり俺だ――のキャラグラと台詞が、同じように表示された。俺の顔はへのへのもへじだった。
【上津:「早く行こうぜ。遅刻しないうちに」】
「ちょっと渚紗……俺のグラ適当すぎじゃない?」
「仕方がないでしょ、時間がなかったのよ」
それならなんで荒上にはイラスト付きなのだろうか。ちょっと納得いかない。
【荒上:「なぁ、上津……実は俺、好きな子ができたんだ」】
登校中、荒上がいきなりそんな気色悪いことをゲーム内の俺……紛らわしいから上津って呼んでおこう。上津に言ってきた。
【上津:「マジかよ! え、誰だよそれ!」
荒上:「それは言えねーよ! ……でも、今日の放課後に告白しようと思ってるんだ」
上津:「そうか……。がんばれよ。応援してるぜ!」】
何この気持ち悪いやり取り。
現実の俺と荒上はこんな爽やかな関係じゃないっていうか、常に互いの不幸を願い合うような間柄だ。荒上に好きな子ができたとしたら俺は絶対に応援しない(相手の女の子のためを思ってだ)。
なんだよこのゲーム。何で開始早々荒上にフラグたってんだ。荒上が主役の恋愛アドベンチャーとか誰得だよ。まさかそんなクソゲーじゃないだろうとは思うけど……。
まずいんじゃないかこれ、と思って渚紗を見るが、渚紗は無言で口元を引き締めたまま画面を見ている。なんだその顔は……? まだ諦めてないってことか? いや、ここまでの俺達の反応も予想通りってことなのか?
いや……なんであろうと、今はまだ渚紗を信じてゲームを進めるしかないんだ。
俺は画面に向き直り、エンターキーを押した。
場面が切り替わり、次の舞台は学校の教室だ。ちゃんと席に着いたクラスメイト四十人分、そして教卓で授業を進める先生のドット絵が画面に映っている。
【桑原:「えー、それでは教科書五十二ページから。この単元では『法とは何か』を学習していくぞ。まず『法』という概念の発祥は……」】
現社の桑原先生の授業だ。桑原先生にすらイラストが付いていた。が、しかし、それはあまりにも現実に忠実というか……桑原先生は四十代の男性教諭で、外見的特徴として、頭部における耐寒性能が若干低いというか、要するにハゲかけている。渚紗の描いたイラストはその部分が特に強調されており、俺は見た瞬間に軽く吹き出してしまった。
【桑原:「では……今日は二日だから、出席番号二番、荒上。人間の本性にあらかじめ備わっている、時代・場所・人をこえて,人間がいつでも従うべき普遍的な法を何というか。
答えろ」】
出た。桑原授業の名物とも言える、日付による出席番号の指名。これで桑原先生からの問題に答えられないと、その生徒は起立させられてしまう。それが嫌で勉強してくる生徒もいるにはいるが、一部のバカ男子なんかは立たされることもお構いなしに復習をサボっているので、まあぶっちゃけあんまり効果のある授業法とは思えない。
【荒上:「あースンマセン、わかんないっす」】
ゲームの中の荒上も、現実に即してそんな適当な返しをしていた。
……渚紗の狙いがわからない。確かに現実でよく見る光景ではあるが、それを敢えてゲームにしてどうするというんだ? あるあるネタなんて廻谷さんには通じないぞきっと。
そう思って窺うと、やはり廻谷さんの表情もあからさまにがっかりし始めている。このままでは「期待はずれ」の烙印を押されてしまうだろう。
いよいよ不安が強まってくる。やっぱり、ダメだったのか? フリーゲームで学校に通う価値を示すなんて計画自体、無理があったんじゃないか?
【桑原:「またか荒上……。毎度毎度、お前は本当に反省も成長もしないな。一体何のために学校に来ているんだ?」
荒上:「はぁ……スンマセン」
桑原:「私に謝ってどうなる。大体口だけの謝罪に意味なんてないんだぞ。何回立たされればそのことに気づくんだ」】
なんか、やけにねちっこいなこの桑原先生。現実でも説教っぽいところはあったが、ここまでしつこくはなかったはず。
……ん? いや、ちょっと待て。桑原先生の様子が変だ。
いつの間にかキャラのイラストが、尋常ではない表情のものに差し替えられている。目の焦点があっていないし額に血管が浮き上がっている。どんだけキレてんだよ。
【桑原:「全く、お前らのような不真面目で出来の悪い生徒がいるせいでこっちは苦労が絶えないんだ。見ろ、私の頭を。この儚さを。これはお前らのせいだ。お前らのような生徒がいるせいで、ストレスが私の毛根を死滅させてしまったのだ」】
ちょっと渚紗お前先生になんてこと言わせてんの。
あからさまにゲームの雰囲気がおかしくなってきた。BGMはまるでホラーゲームのような不穏で耳障りなものに変わり、画面は少しずつ薄暗くなっていく。桑原先生の顔も最早化け物としか言えないほど恐ろしげなものに変貌を遂げていた。
【桑原:「どうにも不条理じゃないか……え? お前のような『ろくでなし』にすらこ人権が保障されているというのに、この国に守ってもらえるというのに、なぜ私の髪を誰も守ってくれないんだ? お前達のせいで無残にも抜け墜ちていくこの子達を、なぜ私以外の誰一人憐れんでくれないんだ? こんな理不尽は許されない……あって良いはずがない……」】
桑原先生が怖すぎる。渚紗はあの人に恨みでもあんのか。
【桑原:「だから私が、この手で『守る』ことにしたのだ。『人間』は……成長するからこそ『人間』たり得る。そうでなければ人である資格は無い。ゆえに荒上祐二、お前はもう人間ではない。人間ではないのだから――」】
刹那。
画面が暗転し、そして次の瞬間、桑原先生の全身カットインがでかでかと映し出されたかと思うと、その背後に……なんというか、「ワカメ怪人」としか言いようのない謎の存在が、「ドドドドドドド」という奇妙な効果音を纏って現れた。
【桑原:「せめてその命ッ! 私のッ! 『髪の毛』の糧となるのだァーッ!」
荒上:「なッ! 何ィ~~~~っ!?」】
カットインが消え、元のゲーム画面に戻った途端、桑原先生の生み出したワカメ怪人のワカメが凄まじい勢いで伸び進んで荒上を縛り上げてしまった。
【荒上:「うッうわァアァアああ! こ……これはッ! 『髪の毛』! 俺の体が『髪の毛』にッ! 変えられていくだとォ~~~~ッ!?」
上津:「あ……荒上!? な、なんだよこれ! くそっ荒上を離せ! 離せよ!」】
突然の出来事に阿鼻叫喚に陥る教室内。そんな中、ワカメにぐるぐる巻きにされた荒上を助けようと上津が駆け寄るが、ワカメ怪人の力は凄まじく、上津にはどうすることもできない。
【上津:「だ、ダメだ解けない!」
荒上:「もういい上津……俺はもうダメだ。せめてお前は逃げろ。そしてあの子に伝えてくれ……愛していた、と……」
上津:「荒上!? 荒上ィ――――――ッ!」】
直後、荒上の体はワカメ怪人に巻き取られるようにして桑原先生の頭に吸収されてしまった。
そして、荒上が吸い込まれた部分から一本、サラサラの長い髪がにょきにょきと生えてきて、桑原先生は満足げな顔でその生まれたてヘアーを撫でつけて――
【桑原:「なじむ。実になじむぞ! フハハハハハ!】
「いやちょっと待てぇええ――っ!」
「何よ。これからいいところなのに」
「いいところも悪いところもあるかァ! なんだこのゲーム!? 何この展開!?」
大丈夫かこれ!? ゲームっていうかコレを作った渚紗自身の頭が心配になってくるレベルだよ! ツッコミどころありすぎてどこから突っ込めばいいのかわからねぇ!
隣の廻谷さんも、もうただひたすら困惑の表情を浮かべて固まっている。渚紗の言っていた通り期待も予想も「裏切った」のは確かかもしれんが、裏切りすぎててわけがわからん。
「まだオープニングなんだから、せめて本編が始まるまでは大人しく見ていてちょうだい。ほら、続きを」
「オープニングでもうお腹いっぱいです……」
むしろそれを通り越して吐き気すら覚えるレベル。だがまあ、少なくとも退屈なゲームではなさそうだ……。進めることに若干の恐怖を覚えながらも、俺はエンターキーを押す。
桑原先生の謎の能力によって、荒上は髪の毛に変えられて吸収されてしまった――かに見えたが。
その瞬間に画面の色彩が反転し、教室は黒白の世界に変わっていた。
【上津:「!? な、なんだ?」
藤峰:「私が『時を止めた』わ……」】
そう言って現れたのは、ゲームの中の藤峰渚紗だ。イラストではすげー美少女に描かれていたが、悔しいことに現実の本人とそっくりだったので文句が言えない。こういうとこちゃっかりしてやがるぜ渚紗のヤツ。
【上津:「時を止めた……? な、何を言っているんだ藤峰さん。この状況について何か知っているのか? 今何が起こっているのか、君にはわかるっていうのか?」
藤峰:「ええ。どうやら恐れていたことが起こってしまったみたいね」】
凄く厨二病っぽいことを言い始めるゲーム内の藤峰さん。どうやらこのゲームの狂言回しというか、解説役のようなポジションらしい。まぁ作者の分身なのだから妥当ではあるが。
上津と藤峰さん以外のクラスメイトはどうやら「時を止められた」状態になっているらしく、黒白の背景と同化してしまって全く動かない。二人だけの時が動いている異様な教室で、藤峰さんがなにやら語り始めた。
【藤峰:「桑原先生が発現させた力。あれは、穏やかな心を持ちながらも禿しいストレスによって目覚めた教師のみが習得できると言われる、呪いの
名前も内容もとにかくひでー能力だな……。「穏やかな心を持ちながらも禿しいストレスによって目覚めた教師」ってなんだよ。ピンポイントの誤字に悪意が満ちあふれてるじゃねえか。
【上津:「そ、そんな……。じゃあ、荒上は……」
藤峰:「残念ながら、彼はもう桑原先生の呪業の餌食になってしまったわ。今の彼は、もう今までの『荒上くん』ではない――桑原先生の新たなる髪の毛、略して『
「なんでさっきからちょいちょいこういうダジャレ挟んでくるんだよ……!」
渚紗の好みなのか。つーか何気に荒上の扱いもかなり酷いぞ。優遇されてるのかと思ったらネタにされてるだけだった。
【上津:「新髪を元の荒上に戻すことはできないのか、藤峰さん!」
藤峰:「残念ながらそれは無理よ。呪業の力自体は、条件を満たさなければ発動しない――つまり桑原先生の力の場合、出された問題に対しこちらが正答を続ける限りは発動させずに対処できるけれど、でも一度条件を満たしてしまった呪業の効果はもう取り消せないの。一度髪の毛になってしまった新髪くんは、もうずっと新髪くんとして生きていくしかないのよ」
上津:「そ、そんな……」】
がっくりとうなだれる上津。
意外に能力の設定とかが細かいなぁ……。これまさか今後能力バトルものになるの? 現時点でストーリーの先が全く読めないんだけど。
【藤峰:「でも、まだ諦めないで。私の能力を使えば、そもそも新髪くんが桑原先生の呪業にやられてしまったという事実そのものを『なかったこと』にできるの。そうすれば荒上くんは助かるわ」
上津:「藤峰さんの能力……? それって、この時を止める能力のことか? ふ、藤峰さんはなんでこんなことができるんだ?」
藤峰:「それは私が、教師の『呪業』と対を成す、選ばれた生徒に与えられし異能力――小学校時代から一度たりとも欠席をせず学校に通い続けた者のみが会得できる戒めの具現、『
「皆勤賞すげぇー!」
選ばれし者のみが会得できるって言っても、皆勤賞のヤツなんて結構な頻度で普通に存在するだろ! 学校休まないだけで時間を操れるようになるならみんなマジ全力で学校行くに決まっとるわ!
【藤峰:「私の戒禁象の真骨頂は、相手の行動の中の任意の一瞬を切り取ってその辺をなんやかんやして無限ループを作る能力よ。『イザナミだ』ってgoogle検索をすると似たような能力について丁寧な説明がされているでしょうから、そちらを参照してちょうだい」】
「おいそういう世界の法則を乱すような発言はやめろォ!」
ゲームの中って設定なら何やってもいいと思ってんじゃねえだろうな!
【上津:「つまり……どういうことだってんだよ……?」
藤峰:「簡単に言うと、私が昨日の夜まで時間を巻き戻すから、そこから一晩色々な対策を練って桑原先生の呪業に臨んで、彼を打ち倒すことに協力して欲しいの」
上津:「倒すって、あんな凄い力を持つ先生をどうやって?」
藤峰:「一人も桑原先生の呪業の犠牲者を出さないように――つまり、桑原先生の出す問題に、当てられた生徒が全員正解するようにして呪業時間を乗り切って欲しい。一人の犠牲者もいない状態で呪業時間を終えれば、その時点で桑原先生の呪業は消滅するわ」
上津:「えっと……じゃあとにかく、俺達はただ桑原先生の出す問題に答えられるように家で勉強をしてくればいいってことなんだな?」
藤峰:「基本的にはそうよ。でも、戒禁象で時間を戻しても、今の記憶を保っていられるのは、私と上津くんだけなの。他のみんなは、今日のことをほぼ忘れている――正確には『体験しなかったことになっている』から、普段通りの勉強しかしてこないでしょう。それではきっと、桑原先生の問題に答えられない生徒が続出してしまうわ。上津くんにはそれを防ぐために、昨日の夜のうちに、みんなに明日の準備をしてくるよう指示を出して欲しいの」】
……なるほど。ようやく少しだけ、このゲームの流れが見えてきた。
多分、時間が戻った昨日の夜の上津の行動によって未来(つまり今日)の出来事が分岐するのだ。正しい行動を取って正しいエンディングに向かうことを目的にしたアドベンチャーゲームなのだろう。
まぁ、ゲームのタイプとしてはそこまで珍しいわけじゃない……が、「先生の髪の毛にされてしまうのを防ぐためにクラスメイトに勉強していくように説得する」という主人公の行動は大分独創的(つーか意味不明)だな……。
【藤峰:「もし失敗して、誰かが問題を間違えて呪業の餌食になってしまっても、そのときには私の戒禁象で時間が巻き戻ってまた一日前の夜からやりなおせるから安心して。ただし、一つだけ注意して欲しいのは、この私がクラスで一番最初に呪業にやられてしまうと、その時点でループがストップして未来が確定してしまうわ。端的に言うとゲームオーバーよ。戒禁象の発動中、代償として私は勉強が全くできなくなってしまって、ほとんどの問題を間違えてしまうの。だから、『私が先生に指名される』という状況を作らないように注意してね」】
露骨にシステム面の説明を織り交ぜてくる藤峰さん。しかし何が言いたいのかはよくわからん。えーと? 結局ゲームオーバーになるのは、藤峰さんが先生に指名されてしまったときだけってことか?
【上津:「桑原先生の指名って、まずその日の日付と同じ出席番号の人を当てて、続けてその一桁代の数字が同じ三人を当ててくってパターンだよな。例えば今日は二日だから、まず二番の荒上が当てられて、そしてもしこの後授業が続いていたとすれば十二番、二十二番、三十二番の人が当てられていたはずだ。その後も確かパターンがあったと思うんだけど、思い出せないな……」
藤峰:「桑原先生の指名パターンについては、挑戦を繰り返す内に明らかにしていけばいいわ。ただし、さっきも言った通り私が当てられないように注意して。私の出席番号は二十五番よ」
上津:「二十五番だな。わかった」
藤峰:「それからもう一つ注意点なのだけれど、戒禁象で時間が巻き戻る度、日付は学校のない休日を除いた一日から三十日までの間でランダムに変動するわ。『今日』は『二日』だったけれど、次の『今日』がまた同じ日付とは限らない。何日になるのかは私にも予測できないわ」
上津:「なんでそんなことが起こるんだ?」
藤峰:「その方が面白くなりそうだからよ」
上津:「そうか。わかったよ」】
いやわかったじゃねえだろ上津よ。このゲーム呪業とか戒禁象とか無駄なところで設定膨らませてるくせにディティールが適当すぎる。
【藤峰:「じゃあ時間を巻き戻すわね。クラスのみんなを守るために頑張って」】
藤峰さんがそう言うと、画面に大きな時計が表示され、針が左に回っていく演出が入った。そして時刻が一日前の午後七時を指すまで巻き戻ったところで、背景がおそらく上津の部屋と思われる場所に変わり、その中にいる上津をキーボードで自由に操作できるようになった。
「や、やっとオープニングが終わったのか?」
「ええ。というわけで、本編に突入する前に、私から軽くゲーム内容について説明するわ」
と、渚紗が俺達の反応に満足げな様子で語り始めた。
「このゲームは、主人公である上津くんを操作して事情を知らない他の生徒達へアプローチをかけ、明日の授業で桑原先生の問題を凌ぎきるようにすることが目的よ。クラスメイトに電話を掛けて、明日に備えて勉強してくるよう説得することが夜の内にできる主な行動ね。ただし、説得できる人は上津くんのパラメータによって変わるから、最初のうちはあまり欲張って電話を掛けない方がいいわよ」
パラメータ……? そんなのがあるのか、と思ってメニューを開いてみると、確かに「電話」や「就寝」といったいくつかのコマンドの中に、「パラメータ」があった。開いてみると、「コミュ力」「信頼度」「スキルポイント」などの幾つかの項目があり、それぞれに異なる数値が添えられていた。
「それぞれのパラメータは何を意味しているの?」
廻谷さんが尋ねる。
「『コミュ力』が高いほど、一晩の内に電話を掛けられる回数が増えるわ。そして『信頼度』が高いほど、クラスメイトに対する説得の成功率が上がるの」
「ふーん……。パラメータはどうやって上げるの?」
「クラスメイトに説得を行うときに選択肢が出るのだけれど、そこで選んだ台詞によってパラメータが増減するわ。また、授業で得た経験値によってもパラメータが上がるわね。正答の連鎖が長く続くほど経験値は高くなるの。……それから、桑原先生が一時限の間に出してくる問題数は全部で十六問。その全てに、当てられた生徒が正答することができればゲームクリアよ」
「十六問か……」
「クラスメイト情報」というメニューコマンドを開いて確認してみると、クラスメイトは現実の俺達のクラスと同じく、全部で四十人だった。クラスメイト四十人にそれぞれ個別の「学力レベル」や「スキル」などが設定されているようだ。……メッチャ凝ってるぞこのゲーム。
「つまり、実際に授業で指名されるのは四十人中十六人ってことだな。桑原先生の指名パターンを分析して誰が指名されるのかを予測しつつ、その人達が問題に答えられるように準備していくってのか攻略法か」
「悪くないわね」
でも――と、渚紗は意地の悪そうな微笑みを浮かべる。
「そんな単純な策だけでクリアできるほど、このゲームは甘くないわよ」
渚紗の目は俺ではなく廻谷さんの方を向いている。あからさまな挑発だ。廻谷さんもそれをわかっているのだろうが、彼女は何気に負けず嫌いな性格なので、こういう風に直球を投げられると結構燃えて来るらしい。
「じゃあ、試してあげる」
……これは良さそうな反応だぞ。最初はどうなることかと思ったけど、結構持ち直してきたじゃないか。
「スキルや学力レベルについては、また後で説明しましょう。ひとまず少し進めてみて」
「よ、よし……まずは、電話だな」
「その前に、日付を確認しないと」
と、隣で廻谷さんがアドバイスしてくれた。
「とりあえず、今確定している桑原先生の指名法則は、『最初は日付から出席番号を選ぶ』ってことでしょ。今日の日付が、戒禁象で時間が巻き戻ったせいでなぜか『十五日』に変わってるから……授業がある明日は『十六日』。なら出席番号十六番、二十六番、三十六番、六番の四人は現時点で絶対に指名されることがわかる」
「あ、そうか」
「何回もやり直すのが前提のゲームみたいだし、『授業の経験値』っていう概念があるならまずは地道にそれ溜めていくのが正解じゃないかな。だから最初は指名が確定している四人を優先的に説得して、最低でも四連鎖を確保して経験値を稼ごう」
「わ、わかった」
いきなり読みが鋭いな廻谷さん。実に合理的な意見に申し立てるべき異議もなく、俺は素直に。出席番号十六番の高山さんに電話をかけた。
【プルルルル プルルルル ガチャッ
高山:「はい、もしもし。上津くん? 何か用?」】
高山さんにも当然のように渚紗手描きのイラスト付きである。ひょっとして俺以外のクラスメイト全員分描いてあるんじゃないだろうか? ゲーム自体の製作と合わせると凄まじい作業量だ。どんだけ頑張ったんだよ渚紗。
【上津:「ああ、高山さん。実は――」】
と、ここでの上津の高山さんへの説得法について選択肢が出現。
【1:真実をごまかしながら勉強してくるように頼む
2:情けなく泣き落として勉強してくるように頼む
3:本当のことを話して勉強してくるように頼む 】
「う、うーん……どれがいいんだろう?」
「さぁ……?」
こんな曖昧な選択肢では、流石の廻谷さんにも判断基準が見当たらないようだ。
すると渚紗が、面白そうに、
「ちなみにこのゲーム内に登場するクラスメイトのキャラクターは、一部を除き性格や能力についてできるだけ現実の同名人物に近いものにしているわ。参考にするといいかもね」
「現実の性格や能力に近い、か……」
なるほど、じゃあこの選択肢は「こちらの説得に対して高山さんだったらどう思うか」を基準に考えてみればいいわけだな。よし……。
「廻谷さん、ここは俺に任せてくれないか?」
「いいよ」
「ありがとう。ここで選ぶべきは……これだ」
俺は迷わず、「3:本当のことを話して勉強してくるように頼む」の選択肢を選んだ。
「何か理由があるの?」
「ああ。高山さんはいい人だ。きっと心を込めて話せば信じてくれるはずだ」
……本音を言うと、大体ゲームの選択肢って綺麗事っぽいやつ選んどきゃ当たってんだよ、という打算である。他の二つの選択肢がネガティブっぽいからな。これが正解だろ。
【上津:「高山さん……実は……」
高山:「ん?」
上津:「このままだと、俺達は明日の現社で桑原先生の髪の毛にされてしまうんだ! だから勉強してきてくれ!」】
「あれ!? なんか思ってたのと違うぞ!?」
いくらなんでも正直すぎ、つーか省きすぎだ! 何この意味不明な文章!?
【高山:「えっ? えーと……あ、あはは、何言ってんの上津くん。ワケわかんないって」
上津:「本当なんだ、信じてくれ! 桑原先生は、実は『呪いの業』と書いて『呪業』と読む異能力の持ち主だったんだ! 本当なら俺達は明日、桑原先生の呪業の力によって為す術もなく彼の髪の毛に変えられてしまうはずだったんだけど……でも、そこを助けてくれたのが藤峰さんだ! なんと彼女も選ばれし『戒禁象』の能力者で、みんなを助けるために俺の時間を巻き戻してくれた! だから、今君と話をしているこの俺は一日後の俺なんだ!」
高山:「……ふ、……ふーん……」】
「うわぁああぁああやめて! なんか心痛い! 思い出す! あの頃を!」
自分が如何に特別な存在であるかの設定を考えてばかりいた中学二年生の日々を!
【高山:「あのさー、上津くん……。そういうのって、あんまり人に話さない方が良いと思うよ。気持ちはわからなくもないけど、言われた側はどう反応していいかわかんないし。……みんなには黙ってるから、こういうのもうやめてね」
上津:「あっ……ち、違うんだ高山さん! 全部本当のことなんだ、信じてく――」
高山:「じゃ、明日また学校でね。おやすみー」
ガチャッ ツーツーツー
上津:「…………」】
上津は無言で受話器を置いた。
せ、切ねぇ……。なんかちょっと優しげだった辺りが妙にリアルで逆にきついわ。
呆気に取られていると、悲しげなBGMが流れ出して画面が暗転。そして上から文字がスクロールし始めた。
【 そのあとも 上津くんは みんなに しんじてもらうために ひっしに うったえつづけました だけど とうとう だれにも しんじてもらえなかった 上津くんは ついに ほんとうの うそつきになってしまい さびしいじんせいを すごしたそうです
おわり 】
……終わった。
「えええええええええ!? 終わり!? これで終わり!? なんも始まってねーのに!?」
「最悪のバッドエンドを一発で引き当てるなんて、流石は怜助くんね。主人公との一体感が素晴らしいわ」
「初っ端の選択肢一つだけでバッドエンドに直行させんなよ!」
「このゲームはリアリティを追究しているから、荒唐無稽なことを言ったら信じてもらえないのは当然よ」
「現社の先生が授業中に生徒を髪の毛に変えてくるゲームのどこにリアリティがあるんですかねぇ!?」
「本当のことを言うと、単にステータスが足りていないのよ。初期値のコミュ力と信頼度では、いきなり本当のことを話して信じてもらうなんて無理な話だわ。最初は無難な説得法を選んでいかなければダメなのよ」
「くっ……」
理屈はまぁわからなくもないけど、演出が納得いかねぇ。なんだよあのひどい昔話みたいな終わり方。バッドエンドってゲームオーバーより酷いじゃんか。
「さ、やり直しね。オープニングはスキップできるから、また主人公の部屋からスタートよ」
「くそっ、こんなふざけたゲームぜってークリアしてやる……!」
「上津くん。次は私に選ばせて」
と、少し苛立った様子の廻谷さんにキーボードを取られてしまった。
……俺も廻谷さんも、なんだかちょっとずつ、この腹立たしいゲームに引き込まれ始めているようだ……。
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