第4話 4.
「お邪魔します」
「お、おう……」
渚紗は俺の部屋に上がると、鞄を置いて、机の上にあるノートパソコンを指差した。
「じゃ、早速だけどパソコンを起動して」
「なんだと? まさかお前、ベッドの下だけでは飽き足らずパソコン内の秘蔵フォルダまでサルベージする気なのか……!?」
「ちょっと。今は真面目な話をしているのよ。……そういうのは今度にするから」
「あ、わ、悪い……え? 今度?」
とにかく、今日はベッドの下を漁るつもりはないらしい。……ちっ。今日は制服つまりスカートだから、むしろあの体勢は望むところだったのに。
「とりあえず、さっきあなたと廻谷さんが交わした合い言葉の元作品を検索してちょうだい。できればあなたから作品の概要や、廻谷さんがその作品のどういうところを好きだろうかという予想も教えて欲しいわね」
「わかった」
ノートパソコンをテーブルの上で開き、言われた通りに、廻谷さんとのやり取りの元ネタになった作品をWebで検索していく。渚紗は俺の横に座って画面を見ている。
……しかし渚紗のやつ、前回と打って変わって今日はすげー真面目で冷静だな。まるでこの前ここで何があったかなんて全然覚えてないみたいだ。こっちは今でも結構緊張してるってのに。まあ真面目なのはいいことだけど、なんかちょっと寂しい気分だ。
「『BLANCH』とか『Face/nocturnal light』あたりは、良い意味で厨二病的っつーか……こう、異能力とかスタイリッシュさとかに憧れる中高生の心をうまいことくすぐるような魅力があるんだよ。特に台詞回しとか詠唱とかのセンスが格好良くて、ついつい覚えたり真似したくなっちまう。そういう意味じゃ合い言葉にするにはぴったりだから、その理由で廻谷さんが選んだのかもしれないな」
「なるほどね。わからなくもないわ、そういう感覚。私も思わず覚えてしまったもの」
「『思わず』であの詠唱を一発記憶できんのはお前くらいだと思うけどな……」
多分愛染さんだって何回か練習したと思うよ。
「で、これが、廻谷さんが自分の曲をアップしてる動画投稿サイト『ニマニマ動画』だ。名前くらいは知ってるよな?」
「ええ。見たことはないけれど。……YOUCUBEとはどう違うの?」
「一番大きな違いは、視聴者のコメントが動画の再生中に画面に流れることかな。ほら、こんな風に」
と、俺は動画のマイリストに登録してあった人工猫P(廻谷さん)の『迷走スタビライザー』のMVを再生した。見やすいように少し場所を空けてやると、渚紗が遠慮なく詰めてきてパソコンの画面を覗き込んだ。ち、近い。
天を突くほどに巨大な大木の幹や枝ををくり貫いた中に退廃的な高層ビル群が、重力を無視して乱立している……という不思議で独創的な世界観の中で紡がれる、『退屈』な少年と『混乱』の少女との物語の歌。
うん、やはり映像付きで見ると素晴らしさが更に跳ね上がる。なんでこんなに心に響くのかわからない――それどころか、そもそも「どこが素晴らしいのか」と聞かれてもそれを説明することすらできそうにない。
シガロの調教とか音楽理論とか絵のうまさとか、技術的な部分は、まあ凄いのだろうなとは思う。だがそれが肝要ではない。曲と歌詞と映像の全てが醸し出している、センスとしかいいようのない、理屈付けられない謎の魅力に惹き付けられ、気づけば心を動かされているのだ。
やっぱすげえよ、廻谷さん。
「コメントって、この画面を覆っている文字のこと?」
「あ……ああそう、それそれ。流石人気動画だけあって、いつ見てもコメントでいっぱいだな。凄い勢いで有名になってる弊害で、若干アンチも混ざってるけど」
「文字が邪魔で画面が見えないのだけれど。これの何がいいの?」
「最初はちょっと鬱陶しいかもしれないけど、慣れればそんなに気にならないよ。邪魔なら消せばいいしな。コメントがあると、『その動画のその部分を見てる自分以外の人の感想』が手軽にわかるんだ。そうすると、なんかこう、安心するというか……『あ、ここやっぱみんなも同じように思ってるんだ』って共感出来る、みたいな?」
「……スポーツの実況とか、バラエティ番組に差し込まれる笑い声とかと同じようなものなのかしらね。単に情報を与えられるだけよりも、それを『どう捉えるべきか』も同時に示された方が、確かに受け手としてはわかりやすいのかも」
呟くように言って、渚紗は俺の手からマウスを奪い、俺を押しのけるようにパソコンの正面に体を持ってきて、人工猫Pの他の投稿動画を再生し始めた。だから近いって……。
「な、渚紗? そろそろ日ィ暮れてきたけど、まだ大丈夫なのか?」
すると渚紗は時計に目をやり、続いて冷蔵庫の中身を確認すると、鞄から取り出したメモ用紙に何かを書いて俺に手渡してきた。
「そこに書いてあるもの、買って来て。お夕飯の材料。その間私は自習してるから」
「自習って……」
ニマ動の自習なんて聞いたことがない。なんか体よくパシリにされた感があるが、また渚紗の手料理が食べられるんならと俺は喜んで買い物に行った。
買い物リストにあった食材は、肉とキャベツ、豆板醤とオイスターソース。これは……冷蔵庫に余ってた野菜や調味料を考慮すると、多分、
いつものスーパーで買い物を終え、わくわくしながら家に帰り、「ただいまー」とドアを開けた瞬間、
「怜助くん。この、フリーゲーム実況プレイという動画なのだけれど」
待ち構えていたように渚紗が質問してきた。
「フリーゲームって、何? 名前の通り、無料なの?」
「ん? あー、そうだよ。誰かが有志で作ったゲームを無料で配布してて、それを実況付きでプレイしてる動画だ」
ゲームの実況プレイ動画といえば、ニマ動でもポピュラーなジャンルの一つだ。その名の通り、簡単に言えば喋りながらゲームしてるだけの動画なんだけど、これが中々見てるだけでも面白い。
例えばRPGなんかだと、基本的に一人でプレイするものだから、感動のイベントシーンとかも一人で味わうのが普通なわけだ。それもそれでいいんだけど、でも同じシーンで他の人がどんな反応をするのか見てみたい……とか、ちょっと気になったりすることもある。他にも単純にゲームの内容が面白そうだとか、自分で買うほどでもないけどちょっと気になるとか、結構たくさんの人にそういう需要があったみたいで、長い間人気を保っているコンテンツだ。
尤も、商品として売っているゲームのプレイ動画を公開することは、法的には結構グレーゾーンというか、批判もあったりするみたいだけど。
自分でやってこそ真の面白さがわかるアクションゲームなんかは、プレイ動画が紹介・宣伝になるからまだいいとしても、絵やムービーを見ながらテキストを読み進めるだけのアドベンチャーゲームとかは、プレイ動画が公開されていたら自分で買う人が減るので売上げに悪影響を及ぼしてしまう。だからゲーム実況は、そのような企業・権利者側との摩擦が起きないように、ゲームの種類を選んで投稿されるのが一般的だが……。
「その点フリーゲームってのは、もとがタダだから、そういう問題が起こりにくいんだ。しかも動画ランキングで上位にランクインするようなフリーゲームって、発想とかコンセプトが面白いんだよな。ゲームを作ってる人が利益目的じゃないから、売れ筋とかゲームとしてのセオリーとか、『商品』にするんなら考慮しなきゃいけないような諸々の制約を考慮せずに単純に『こういうの面白そう』ってアイデアと欲望のままに作ることができるからさ。その辺りが、実況プレイと相性良いみたいなんだよ」
勿論趣味によって作られた無料作品なので、有料のゲームに比べればクオリティは劣っている(グラフィックとか、機材のコストや専門技術に依存するような部分は特に)し、ネタに走りすぎていたりすることもある。一人でやるにはちょっとハードル高いけど、大勢で見る分には面白そう、って作品が多い辺り、実況というジャンルに噛み合っていると個人的には思う。
「そういうフリーゲームって、作るのに何か特殊な機材とかは必要なの?」
「いや? 俺もあんまり詳しいわけじゃないけど、ゲームを作るためのパソコンソフトがあるから、それを入れればパソコンだけでも作れるみたいだぜ」
「そう……」
渚紗は顎に手を当てて何か思案していたが、やがて「閃いたわ」と言って口角を上げた。
「廻谷さんを説得するためのツールとして、このアイデアを使わせてもらいましょう。オリジナルのフリーゲームを作るわよ」
「はぁ!? ほ、本気か!?」
「当然」
やけに自信ありげに答える渚紗。いや、でも、ちょっと、大分、論理が意味不明だ。
廻谷さんに、「学校に通う価値がある」ということを二週間以内に伝えることが俺達の目的だ。どうやってフリーゲームで学校に通う価値を廻谷さんに説けるというのだ。むしろ家に籠もった方がいいよね的な逆方向への説得に傾いてすらいるぞ。
「なぁ、渚紗。フリーゲーム実況がそんなに面白かったからって、影響受けて適当な思いつきで提案するのはやめといた方が良いんじゃ……」
「私がそんな愚を犯すような人間に見える?」
「…………」
確かに、渚紗は考えなしにこんなことを言う奴じゃない。表情や口調から、冗談とも思えない(渚紗は冗談はよく言うけれど、それが冗談であるかどうかはすぐに明らかにしてくれる)。
つまり渚紗は本気なのだ。本気で、フリーゲームを自作することが廻谷さんへの説得に繋がると考えている。
「……どういう作戦なんだよ。どんな流れで廻谷さんの説得を成功させるつもりか、教えてくれ」
「それはできないわ」
「なんでだよ!」
「……あなたがそれを知らないでいることが、作戦の一部だからよ」
ますますわけがわからない。だが、渚紗は真摯な眼差しで俺を見上げている。
「信じて」
「……っ」
くそ。そんな顔されたら勝てるわけがない。
「わかったよ。何も聞かない。お前に任せる」
「ありがとう。ああでも、事情は知らなくても手伝ってはもらうからね、あなたにも」
「なんだそれ……」
このとき。
俺は渚紗の上目遣いにほだされる形で渋々計画に乗ったが――正直に言って、まだ半信半疑だった。心の奥底では、あまり成功する見込みはないのでは、と思っていたのだ。
しかし、俺は後に、渚紗がこの時点から既に結末を予想して全てを組み立てていたことを知ったときに、痛感することになる。
藤峰渚紗という少女の、その逸脱ぶりは――決して廻谷真鶴にさえ引けを取るものではなかったということを。
「フリーゲーム作りには、あなたや廻谷さんにも協力してもらうわ。ただし技術面においてのみだけど。内容に関しては、完成してプレイしてもらうまでは秘密にする」
渚紗は出来上がった回鍋肉を台所から運んできてくれた。俺は飲み物やご飯なんかを用意して、二人で向かい合ってテーブルに着く。
「廻谷さんにも手伝ってもらうのか? あ、一緒にゲームを作ることで仲良くなろう、的な作戦か」
「……そうね。そういう側面も、まあ二割くらいはあるかしら」
二割かよ。低いな。
残りの八割は、一体何で埋めるつもりだろう。完成したゲームの面白さ? いや、でも仮に凄く面白いゲームが出来上がったとしても、それを「学校に通う価値」とどう関連づけられるのかが俺にはわからない。
「それ以外は普段通り、クラスメイトからの情報収集を担当してもらうわ。一番最初に約束した、あなたの本来の役割を遂行してくれればいい」
「約束っていうか脅迫されたんだがな」
クラスの安寧を守るための武器として、情報を集めること。っていうと若干物騒だけど、実際やってるのはただみんなとたくさんコミュニケーションを図って仲良くすることだ。
それは俺が渚紗に脅されてから――渚紗の裏の顔と独裁計画を知ってからずっと心がけて行っていることでもある。
「そして、集めた情報を私に教えて。小さなことでも良いから、こまめにね。頼んだわよ」
「わかった。……ところで、渚紗」
回鍋肉を頬張った渚紗が、口を閉じたまま首を傾げるジェスチャーだけで「なに?」と返してくる。そこで俺は必殺の一言。
「今日は、テレビ見なくていいのか?」
途端、「ぽんっ」て音がしたんじゃないかってくらい一気に渚紗の顔が赤くなった。よし、やったぜ。ようやく渚紗の可愛らしいところが見られて俺は満足です。
「…………」
渚紗は口の中のものを呑み込むと無言で立ち上がり、台所から豆板醤を持ってきて、スプーンに大盛りですくって俺の取り皿の中にぶちまけた。
「ああー!? な、何すんだお前!」
「ちょっと辛味が足りなかったようだから。その唇腫れ上がらせて二度とそんな口がきけないようにしてあげるわ」
「ご……ごめんなさい! 調子に乗っていました! 許してください!」
山犬の姫みたいなこと言いやがって……。そなたは美しいけど恐ろしいよ。
「悪かったよ。いや、でもさ……。前回ウチに来たときとお前の様子が全然違ったから、なんかちょっと寂しかったというか……変な感じで……」
「……それは」
渚紗は目を泳がせて溜息をついた。
「今日は、遊びに来たわけじゃないのよ。クラス委員の仕事の一環として来たのだから、浮かれてなんかいられないでしょう」
「そ、そうだよな。ごめん」
仕事とプライベートは分ける、みたいなことか。確かに渚紗の言い分は正しい。
……けど、もうその用事は済んだわけだし、食事中くらいは、ほら、ねぇ?
「……『テレビを見なくていいのか』という質問だったわね」
渚紗は静かにそういうと、再び豆板醤をひとすくい、今度は俺の白米の上にそっと塗りつけた。
「おわぁー! ま、まだやんの!? 舌べら燃え尽きるぞこれ!」
「そうかもね。あなたの舌が燃え尽きる様子はきっとテレビより面白いでしょうから、今日は見なくてもいいのよ」
「ひでぇ!」
しかし、楽しそうな渚紗の様子が可愛すぎて逆らえず、結局俺はほぼ豆板醤の味しかしない夕食を悶絶しながら食べ進める羽目になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます