第4話 3.

「どうしてって、そりゃあ、ほら、……べ、勉強の役に立ちますよ?」

「そうかな。講義形式の授業って、個人単位で見るとあんまり効率的じゃないと思う。単純に勉強のためだけだったら、優秀な家庭教師についてもらった方がいいんじゃないの?」

「う……」

 そりゃ、費用とかを度外視して学習効率だけで言えば、全員を一度に教えなきゃいけない学校より一対一でみっちり教えてくれる家庭教師の方がいいに決まってるけど……。どうでもいいけど家庭教師って言葉なんかエロいよね。教える側でも教えられる側でも。

「えーと……と、友達ガイッパイデキルヨ?」

「それは別に嬉しくない。あんまり友達になりたいと思える人、見つからなかったし」

 そんな結構ひどいことを淡々と言う廻谷さん。強がりとか拗ねているとかじゃなくて、この人はきっと本当にそう思っているのだ。

「じゃあ、廻谷さん。取材だと思うのはどう?」

 俺のヘタレっぷりを見ていられなくなったのか、渚紗が廻谷さんに微笑みかける。

「素人なのに偉そうなことって思われちゃうかもしれないけれど、やっぱり音楽にしろ文学にしろ、たくさんの人と触れ合う経験をした方がもっともっと人の心を動かせるような作品を作れるように成長できるんじゃないかな?」

「それは一理あると思う。だけど、『たくさんの人と触れ合う』っていうのは、量じゃなくて質の問題じゃない? 学校にはたくさん人がいるけれど、大して面白味がない似たような人ばっかりで、質的にはそんなに価値があるとは……わたしの基準では思えなかった」

 廻谷さんは少し寂しそうな目でそう言った。

「で、でもだからって学校行かなかったら人と触れ合う経験なんてできないだろ? 大した価値がないとしても、ゼロじゃないんだから、家に籠もってるよりはマシじゃないのか?」

「学校以外にも人と接する機会なんていくらでも作れるよ。なんだか誤解されているみたいだけど、わたしは学校に行くのをやめてずっと引きこもってるわけじゃないんだよ。……音楽関連企業とか出版社の人とかが、結構色んな方面へのチャンネルを教えてくれたから、連絡取って会ったりしてるの」

「えぇ!? それって本職の作曲家とか……アーティストとか!?」

 こくんと頷く廻谷さん。なんかもう新しい情報が出て来る度に、どうしてクラスメイトにこんな凄い人がいるんだろうと精神的に凹まされる。

 ……いや、だってさぁ。

 厨二病ってのは、ある意味、創造的な活動への情熱が暴走して表出しちまったモンなわけで、その根底には「自分の手で自分だけの価値を創造したい」という想いがあるんだよ。俺にはあったよ。つーか今でもちょっとはあるよ。

 今廻谷さんが歩んでいる、歩もうとしている道は、俺の憧れた道なんだ。いや、大した努力もせず、ただ自分本位の妄想をするだけだった俺なんかに、本当は廻谷さんを羨ましがる資格なんてないのはわかってるんだけど……それでも、心が勝手に抱いてしまう想いは止められない。

「どうしても学校に行きたくない理由があるわけじゃないよ。でも、積極的に行くべき理由が見つからなくて、その時間を他のことに使う方が有益なんじゃないかって思って、今は少し試してるの。……そして今のところ、やっぱり学校に行く理由が見つからないまま。わざわざ心配して来てくれたことには感謝してるけど、わたしは今言ったような自分勝手な理由で休んでるだけだから。もう気にしないで」

「……このまま、学校に行く理由が見つからなかったら、どうするつもりなんだ?」

「やめるよ」

 あっさりとそう答え、廻谷さんはくるりと椅子を回し、パソコンの画面に正面を向けて座り直してしまう。

 話はもう終わり、とばかりに向けられた背に、俺はどんな言葉を掛けていいのかわからなかった。

 だって、俺自身高校に通っている理由について「これだ」と自信を持って言える答えがないのだから。

 朱礼舞高校を選んだことには理由があるが(それも大分情けない理由だけど)、そもそもどうして高校に通っているか、というのは、正直「みんな通っててそれが当たり前だと思ってるから」としか言えない。

 今の現代日本社会では、多くの人間が――専門科か普通科かなどの違いはあれど――高校或いはそれに準ずる教育機関を卒業するのが当たり前になっている。その前提で社会のシステムが運営されていると言っても過言ではない。「高等学校を卒業した」という事実は、その人間の能力をある程度示してくれるステータスとして求められているのだ。

 それが当たり前。だからいちいち理由を求めたり疑問を呈したりする必要はない。

 ……一般人にとっては。

 廻谷さんはそうじゃない。

 高校卒業という、そんな誰にでも手に入るステータスで自身の価値を担保しなくたって、彼女自身の手による創作が何よりも雄弁に彼女の価値を社会に語る。

 常識外れの飛び抜けた天才イレギュラー。そんな人を、大した信念もない俺みたいな凡人が、『当たり前』の枠に押さえ込もうとしていいのか……?


「あなたの言いたいことはわかったわ」


 その言葉に、廻谷さんが怪訝そうな顔で振り向く。

 俺にとっては聞き慣れた、しかし廻谷さんには初耳であろう、普段よりも一オクターブ低い渚紗の声。

 立ち上がった渚紗は、腕を組み、不敵な笑みを浮かべて、廻谷さんを見つめていた。

「学校に行く理由が見つからない。あなたの事情を考慮すると、なるほど確かに妥当な意見だわ。そう思ってしまうのも仕方ないことかもしれないわね」

「な、渚紗……!?」

 明らかに裏返っている。いや、だが、どうして? 廻谷さんの目の前だぞ!? ばれてもいいのかよ!

「だけど廻谷さん、だったらそもそも、どうしてあなたは朱礼舞高校に入学したの?」

「ふ、藤峰さん……? どうしたの? 急にキャラがおかしく……」

 流石の廻谷さんも渚紗の変貌に戸惑っているようだ。だが当の渚紗は、しれっとした顔で、

「ああ、これ? こっちが本当の私なの。普段は優等生の演技をしているのよ」

 と暴露してしまった。

「なんでそんなこと?」

普段なら・・・・、その方が都合が良いからよ。例えば不登校になってしまった子を励ましに行くときとかね。でも、あなたに対しては無意味……どころか逆効果だったみたいだから、敢えてこっちの顔でお相手させてもらうわ」

 渚紗が自分から堂々と裏の顔を明かすなんて。いやしかし、これは確かに有効な手だったかもしれない。現に廻谷さんは明らかにさっきよりも興味深そうな表情で渚紗を見ている。

「それで、廻谷さん。あなたが朱礼舞高校に入学した理由は?」

「……高校がどんなところか、試してみたかったから。中学までとどうちがうのか、行く価値があるかどうか、実際に入ってみなきゃ確かめられないでしょ」

「確かめた結果、行く価値はなかったと判断したのね」

 頷く廻谷さん。その瞬間、渚紗の目が僅かに細くなり、口元が緩んだ。……悪い顔だなぁ。「言質を取った」とばかりにほくそ笑んでやがる。

「でも、それは一体何を判断基準にしているのかしら? 私達が高校に入学してから、まだ一ヶ月ほどしか経っていないのよ。それで高校生活全てに諦観してしまうのは、いささか早計だと思うのだけれど? ……だってあなたは、私がこういう人間だということも知らなかったのでしょう?」

 僅かの間だが、廻谷さんが反論に迷った。それまでほぼ間髪入れずに俺達の言葉を弾き返してきた廻谷さんがだ。

 いや、だが俺はそれよりも、渚紗が廻谷さんへの説得の武器として、自分の裏の顔を利用していることにこそ驚いていた。

 あの渚紗が。

 裏の顔を――それも、能力ではなくその人格を交渉の武器にするなんて。

「授業とかクラスメイトの雰囲気とかで、大体この先の期待値もわかるよ。勿論、ある程度独断と偏見で決めつけてしまっていることは否定しないけど、でも『行く価値があるかどうか』の調査にそう長い時間を費やすのも勿体ないでしょ。……藤峰さんのそれにはちょっと驚いたけど、でも、それ知っても知らなくても、わたしの判断には大した影響はないよ」

「ええ。私も、『私の秘密を教えたんだから学校に来て欲しい』なんて幼稚なことを言うつもりはないわ。でも、もう少し猶予が欲しい」

「猶予……?」

「二週間だけ時間をちょうだい。その間に、私があなたに『学校に来る価値』を示して見せるから」

 自信満々に、渚紗は言い放つ。これには廻谷さんも驚いていた。

「本当に、そんなことできると思ってるの?」

「できるわよ。恥ずかしながら、今まで私はあなたがどんな人かをよく知らなかった。だから、誰にでも好かれるような無難な顔であなたに接してしまっていたけれど、どうやらそれがお気に召さなかったみたいだからね。……これからは、あなたに楽しんでもらえるやり方を採用するわ」

 廻谷さんは不思議そうに首を傾げ、「どうして?」と渚紗に問いかけた。

「藤峰さんがそこまで必死になる理由がわからない。わたしが学校に行かなくたって、あなたには何の不利益もないでしょ。逆にわたしが学校に行ったって、面倒くさいクラスメイトが増えてクラス委員あなた達の負担になるだけ。不登校の原因だって完全にわたし自身だけの問題だし、これだけ露骨に煙たがられてるのに食い下がるのはなんでなの? ……内申の評価が欲しいなら、無駄だよ。わたしが面白いと思うのは、大抵内申点が下がる類いの行いだから」

「私を見くびらないで欲しいわね。内申点は欲しいけれど、こんなことをしなくても十分最高評価をもらえる自信があるわ。むしろ、あなたを登校させられるなら内申くらい下がったっていい。自力で挽回できるから」

 これだけ大言壮語しても、渚紗なら自信過剰とは思えない。こいつなら本当にそれができると思えるからだ。

 この威厳というかカリスマ性は、表の渚紗には見られないものだ。裏の渚紗は、いわば防御力を捨てて攻撃力に特化したモードと言ってもいいかもしれない。

 表と違って万人受けはしないかもしれないけれど、そのリスクの分だけ、本当に人を惹き付ける力は表よりも凄まじいのではないか。

「だったら余計にわからない。なんで?」

「そうね。あなたが創作に打ち込む理由と、似たようなものではないかしら」

 含みある渚紗の微笑みに、廻谷さんが目を丸くする。

「これが私にとって、自己表現の方法なの。私は私の全てを懸けて、私が支配するクラスをクラスメイト全員にとって楽しい場所に作り上げるわ。一人でも欠けるのは嫌なのよ」

「…………」

「確かに、法律上はもう義務教育を終えているのだから、高校に通うかどうかは本人の自由よ。だけど、私はそれでもあなたに来て欲しい。来させてみせる。私にできる全ての手を尽くしてね」

「……変な人」

「お互い様よ」

 廻谷さんは溜息をつき、何か考えるような素振りを見せた。そして。

「いいよ、わかった。もう二週間だけ学校に通ってあげる。その間に、通い続ける価値があるって思わせられたら、それからもずっと通う。もうサボったりしないよ」

「ありがとう。じゃあ、明日から楽しみにしていてちょうだい。……あ、そうそう」

 帰り支度を整え、部屋を出る直前に、渚紗は廻谷さんに振り返った。

「私が普段演技をしていること、あなたと怜助くんしか知らないの。他の誰にもばらさないでね」

「……もしばらしたらどうなるの?」

 少し悪戯っぽい表情で言った廻谷さんに、渚紗はとてつもなく晴れやかな満面の笑みを見せた。

「そのときは、私にできる全ての手を尽くしてあなたを呪うわ」

「…………」

 閉じていく両開きのドアの向こうに、マジでびびったらしい廻谷さんのひきつった顔が消えていった。相変わらず怖すぎます渚紗さん。


「……やっぱ、お前はすげーよ渚紗」

 廻谷さんの家からのバス停に向かう帰り道。いつもどおりしれっとした顔で歩く渚紗をの背を半歩うしろから見つめて、俺はそう呟いた。

 最初はとりつく島もなかった廻谷さんに、期限・条件付きとは言え一応登校を了承させてしまった。そのために、本当は隠しておきたかったであろう自分の裏の顔を晒してまで。

「それに比べて俺、全然役に立たなかったな……」

「そうね。一瞬で言いくるめられていたわね」

 事実だから言い返せない。ホントに最初の合い言葉でしか役に立ってないもんな。せっかく渚紗が頼ってくれたってのに情けない……と、若干俯き気味で歩幅が狭くなっていたのか、気づいたら渚紗がいつのまにか俺の正面にいて、こっちを見上げていた。

「な、なんだよ」

「さっき、廻谷さんの前でこっちになるとき、あなたの言葉を思い出したわ」

「俺の?」

 なんだろう。俺が今まで渚紗に言った言葉の中で、ふとしたときに思い出すような印象的なものといえば……?

「『俺はお前の髪型どころか髪の本数が変わったことにすら気づく男だぜ』……か?」

「信じられないほど違うわ。というかそんなド変態なこと言われた覚えがないわ」

 やべっ、これ心の中の決め台詞だった。え、でもこの台詞格好良くない? 変態なの? いつか現実で使おうと思ってたんだけど。

「本当にわからない? ……だから、ほら」

 目を伏せ、頬を染めて、渚紗は掠れたような小さな声で言った。

「……お、『俺はお前の裏の顔を嫌いになったりなんかしない』って。そう、言ってくれたでしょう」

「あ、ああ……」

 そういえば……言ったな。ゴールデンウィークのデートで。うわ、冷静なテンションで聞くとすげー恥ずかしい。どうしたんだよあのときの俺。なんでそんな台詞を真顔で言えたんだ。

「だから、私は……あれから少し、自分に、自信が持てるようになったのよ。あの言葉があったから、今日は、敢えて裏の顔を晒すという戦略を採る勇気が湧いた。……そういう意味では、あなたのお陰という側面が、全くなかったわけでもないかもしれないわね」

 文末にいくにしたがって小さくなる声でごにょごにょと言った後、渚紗はくるっと身を翻して早足で歩き出してしまった。

 ……やべーぞこれ。え? 何? どうすんのこの可愛さ? 思わず追いかけて背中から抱きつきたくなってきたんだけど、そうなったら誰が責任取ってくれんの?

 俺ですよね。すみません我慢します。

 とりあえず小走りで渚紗の隣に並び、ふいと顔を背けたままの耳元に「ありがとな」と囁いておいた。耳が更に赤くなった気がした。

「そうだな。役立たずだったことをいつまでも引き摺ってても良いことない。せめてここから挽回するよ。……で、渚紗、どうやって廻谷さんに、二週間で『学校に来る価値』を示すつもりなんだ?」

 そこをクリアしなければ、結局問題は解決しない。あれだけ自信たっぷりに言ったんだ、渚紗にはある程度計画のビジョンがあるのだろうが……。

「ぱっと思いつくのは、実際にクラスのみんなと協力する学校行事に参加してもらう、とかだよな。でもこの時期に、二週間以内となると、大したイベントがねーぜ?」

 せいぜいゴミ拾いのボランティアくらいだ。それで廻谷さんの心を動かすのは、流石に無理があるように思える。かといって、何の変哲もない普段の日常を二週間続けただけでは、今までと何も変わりがない。

「いえ……多分、そういうことではないのよ。廻谷さんは変わり者だけど、それでいて頭が良い。だから、きっと、『真面目なクラス委員』の立場で考えて浮かぶような案は彼女自身想定できるだろうし、そこに多少の小細工を加えたところで面白いとは思ってもらえないでしょう。もっとイレギュラーな視点で攻めなければ……」

「なるほど、イレギュラーか……」

 確かに、普通の生徒にとって学校が楽しくなるような要素は、うちのクラスには既に渚紗によって盛り込まれている。それでダメだった廻谷さんには、もっと根本的な部分から戦略を変えていかなければならないだろう。

 イレギュラー……。といっても、ただデタラメなだけではダメだ。廻谷さんにとって興味を惹くようなものでなければ。

「そうなると、やっぱ『創作』がらみかなぁ。学校に来ることが廻谷さんの創作にとってプラスになるって、思わせられるようなことをしないと」

「そうね。その意見には賛成だわ。……ということで、これからあなたの部屋に行きましょう」

「え!? な、なんで!?」

 冗談かと思って大げさに返したが、渚紗は至極真面目なトーンのままだ。

「あなたと廻谷さんは、『面白い』と思うものに対する感性が似通っている。だけど私は、そういうものにあまり詳しくないの。だから、まずは敵を知ることから始めることにするわ。あなたの部屋なら『教材』がいっぱいあるでしょう?」

 わ、わかるようなわからんような……?

 微妙な正論に俺は抗えず、その日、渚紗は再び我がアパートの敷居をまたぐことになった。

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