第3話 9.

 渚紗の姿を見た瞬間に泣き出してしまった桜木さんを、渚紗は優しく抱き締めた。

「ごめんね。私のために頑張ってくれて、ありがとう桃ちゃん」

 人見知りの桜木さんが一歩も退かずミキ達に立ち向かったという事実は、きっと渚紗にとっては二つの意味でとても嬉しいことだったのだろう。

 一つは桜木さんの精神的な成長が。もう一つは、桜木さんが渚紗のためにそれをしてくれたことが、だ。

 ……まあさっきは俺も渚紗の前で格好付けて「俺を頼ってくれていいんだぜ(ドヤァ)」みたいなこと言っちゃったけけど、俺だけじゃなくて桜木さんだってずっと渚紗の味方だよな。

 つまり、ある意味俺と桜木さんはライバルということになるかもしれない。なんか三角関係の頂点がおかしい。

 渚紗は高山さんと瑞穂さんにも「ご心配をお掛けしました」と謝って(二人とも全然気にしていなかったけど)、これにて一件落着、仕切り直しということになり、それから俺達は気分転換を兼ねてお祭りを楽しんだ。桜木さんと高山さんも一緒に。

 二人は俺と渚紗に気を使い遠慮しようとしたらしいが、渚紗が「カナ達も一緒に回ろ?」といって強引に連れ回したのだ。傍から見れば割とハーレム状態だったかもしれないが実際は単なる財布兼荷物持ちだった。彼氏っていうかパシリだった。これ一応デートって名目じゃなかったっけ?

 ちなみに、あのイケメンが残していった一万円だが、なんだか使う気にもなれず、瑞穂さんも頑として受け取らなかったので、途中で近くの交番に「落とし物です」って届けてしまった。

 持ち主が現れないとそのうち国庫金になるらしい。まあアレだ、あのお金はイケメンにのみ課せられるイケメン税だったってことで。マジで導入されて欲しいぜそれ。メシウマだわ。

 そして豪遊を終え、てつぢん本店に渚紗の浴衣を返しにいって、高山さん桜木さんと別れたのが午後四時。

「なんだかんだ結構いい時間になったな……。どうする、渚紗。今日は解散にするか?」

 元々『恋人役としてのリアリティを出すため』という名目で始まった疑似デートだ。とりあえず朝から夕方まで一緒に居たわけだし、デートしてる姿を桜木さんや高山さんに見せられたし(色々予定外なこともあったけど)、当初の目的はもう十分に果たしたと言える。

 しかし渚紗は、高山さん達がいたときには決して見せなかった、意地の悪そうな澄まし顔で「いいえ」と首を振った。

「もう少し、付き合ってもらうわ」

「……まあ、俺は別にいいけど」

 一人暮らしだから門限とかないしな。でも渚紗の方はいいんだろうか?

「この時間から桃鉄デートの続きすると、出目によっちゃ帰りが結構遅くなっちゃうかもしれないぞ」

「サイコロはもういいから。それの続きはまた今度にしましょう。……そうじゃなくて、今から個人的に付き合って欲しいことがあるの」

「え? こ、個人的に……って」

「いいから、ついて来て。ほら早く」

 『続きはまた今度』――という言葉の意味を考える暇もなく、俺は慌てて、さっさと歩き出してしまった渚紗の後を追った。


「本当は商店街のお店で買いたかったけれど、お祭りでどこも休みだったからね」

 渚紗に連れられて辿り着いたのは、俺もよく利用する近所のスーパーだった。

「付き合って欲しいって……夕飯の買い物かよ」

「そう。悪い?」

「いや、別に……」

 ただ、ちょっと肩すかしというか。『個人的に付き合って欲しい』とか含みのある言い方するから勝手に期待しちゃったじゃねーかよ。くそ、恥ずかしい。

 そんな俺の心情すらもお見通しなのか、渚紗はにやにやとやたらに楽しそうだった。慣れた手つきで迷いなく野菜を選び、俺に持たせたカゴの中に入れていく。

「これ、今日の夕飯はお前が作ることになってんのか?」

「……まあ、そうね」

「へー、すごいな。料理得意なの?」

「それなりに。母親の料理があまり好きじゃないから、自分で作るようになったのよ」

「…………」

 そこはかとない気まずさ。

 なにか、家庭に問題を抱えていそうな雰囲気が嗅ぎ取れたが……まぁ、今は敢えて突っ込むことはしないでおいた。

 デリケートな部分だしな。だが覚悟は決めておこう。

 いつ渚紗が助けを求めてきても必ず味方になってやると。

「あなたは、料理しないの? 一人暮らしでしょう?」

「……やる気はあったんだ。一応一通りの調理器具や調味料なんかは揃えたし、食器だって友達が来ることを想定して三枚ずつ揃えた」

「なぜかしら。別におかしな話ではないのに、あなたの黒歴史バックグラウンドを知っていると涙を誘われるわ」

「うるせーな!」

 ……まぁ、本音を言うと友達のためってだけじゃなくて、「料理ができる男はモテる」みたいな話を聞いたのも動機の一つなんだけど。だってラノベやギャルゲーの主人公とか高確率で料理うまいじゃん。

「それで、準備の成果は?」

「引っ越してから一週間くらいは自炊してた」

「過去形なのね」

「いや、やっぱめんどくさくなっちゃってさ……。一人で一人分の飯作って一人で食べて一人で後片付けするのって、なんかだんだん空しくなってくるんだよ」

 特に後片付けのパート。使用済みの食器がシンクに溜まって三日、洗わずに使える食器ストックが尽きたときに俺は自炊を挫折した。

「そっからは、弁当とかインスタント食品とかがメインになっちゃったな。とにかく手間を掛けずに食えるもん優先で」

「体に悪そうな食生活ね」

「大丈夫だって。コップ一杯で一日分の野菜が採れるジュースを俺は毎日二杯も飲んでるんだぜ? 常人の二倍は健康なはずだ」

「既に頭に悪影響が出ているわ。可哀想に」

 的確に俺を罵倒しながらも渚紗の食材選びは淀みなく進んでいく。買い物の片手間に罵倒なのか、罵倒の片手間に買い物なのか。どっちでも怖えよ。

 しかし、渚紗は一体何を作るつもりなんだろう。

 オレンジに玉ねぎ、ニンニク、アスパラ、なんかよくわからん葉っぱを数種類、鶏もも肉、ベーコン、トマトジュース、オレンジジュース、ケチャップ、固形コンソメ、なんか変な形のパスタ、片栗粉、オリーブオイル、粉チーズ。

 ……パスタ料理ってこと以外、食材からメニューを予測できない。しかし何にしても、

「か、買いすぎじゃね……?」

 レジで精算を終えると、買い物はポリ袋(大)二つがパンパンになる量だった。

 野菜とか肉はわかるとしても、ケチャップやコンソメ、オリーブオイル辺りは実家に備蓄がありそうだけどなぁ。たまたま切れてたんだろうか?

「……重くて辛い?」

 スーパーを出て歩き始めたところで、渚紗が俺を見上げて訊いてくる。ちょっと重かったけど、そんな顔をされたら男としては強がらざるを得ない。

「いや、俺は平気だけど」

「あら残念」

「残念なのかよ!」

 気遣ってくれたかと思ったけど逆だった。こいつわざと重くして俺の苦労を楽しんでやがる。

「でもこの量、渚紗が一人で家に持って帰るのは大変じゃないか?」

 どこが実家の最寄り駅なのかは知らない(訊いても教えてくれなかった)が、渚紗は懸川駅まで電車で通っている。何駅だろうとこの大荷物を持って電車移動するのは大変だろう。ってかこんなに買うなら自分ちの近くの店に行った方がよかったんじゃないかな?

「お前の家どこなんだよ、いい加減に教えてくれよ。なんだったら、荷物持ちついでに送ってくから」

「そういう口実で私の住所を把握しようという魂胆なの?」

「お前の思考基準で考えるな!」

「冗談よ。ありがとう。でもいいわ、だって私の家、燃津もえつだから」

「あ、そうなん……はぁ!? も、燃津ってお前、懸川から電車で四十分近くかかるじゃねえか! そんな遠かったのか!?」

「近いわけないでしょう? 私もあなたと同じように、中学時代の人間関係を一新するために朱礼舞高校を選んだのだから」

 あ……そ、そうか。そういえば、渚紗と同じ中学の生徒は朱礼舞高では見たことがない。

 渚紗は俺と同じ理由で朱礼舞高校を選んだ。思えばその共通点が、最初に渚紗が俺に興味を抱いた点なのかもしれない。

「……やっぱ送る」

「え……いいわよ。遠いんだから」

「遠いなら尚更だろうが。住所知られたくないなら、それがわからないギリギリのとこまで送る」

「……ばか」

 渚紗は視線を落とし、小声で呟いた。やがて顔を戻して溜息をつく。

「あのね、あなた本気で、私がこの大荷物を持ってそのまま帰るつもりだと思っているの? というかまだ気づかないの?」

「は? お前何言って――」

 そこでふと、いやようやく、違和感に気づく。

 渚紗は懸川駅に向かっていない。渚紗が進んでいるのは、むしろ駅から離れて、学校やてつぢんのある住宅地の方向だ。

 待てよ。この道、なんか見覚えあるんだけど。いや見覚えあるっつーか俺があのスーパーに行くときいつも使ってる道なんだけど。っていうか今まさに寸分の狂いなく俺のアパートへの最短距離を行ってるんだけど!?

「お、おい……渚紗、お前まさか……」

 俺が思わず立ち止まると、渚紗は「やっと気づいた?」と笑いながら振り返り。


「今日はこの私があなたのために夕食を作ってあげようというのよ。身に余る幸福に泣いて悦びなさい」


 ……え?

 ちょ、待っ……個人的に付き合って欲しいって……まさか。

 ……そういう意味なの……!?

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