第3話 8.

 見つけた。

 商店街を出て駅の方に向かい、線路沿いに少し南に行ったところにある公園。

 そのベンチに、水色の浴衣の少女が膝を抱えてうずくまっていた。

 すぐ近くでお祭りをやっているためだろう、公園には渚紗以外の人はいない。

 俺は公園の入口で息を整え、ベンチまで歩いて向かった。

「……渚紗」

 渚紗に近づき、そう声を掛けて、細い肩に手を置き、

 次の瞬間。

 さながらポップコーンの如く、まさに弾けるように、丸まった状態から一気に手足を伸ばして立ち上がった渚紗が、流れるような動作で俺の手を払いのけ、もう一方の手を俺の腹目掛けて素早く突きだし、人差し指で俺のヘソをピンポイントに貫いた。

「おフぅン!」

 自分でもびっくりするくらい気持ち悪い声が出た。どっから出したし。

 完全に不意を突かれた強烈なダメージに、俺はヘソを押さえてその場に倒れ込んだ。

「なっ……なぁにこれぇ!? こんな感覚生まれて初めて! 痛いとくすぐったいを掛けて平方根取ったみたいな、そんなとっても不思議な感じ!」

「なぜ相乗平均を採用したの」

 悶絶する俺を見て、渚紗がくすりと笑みを零す。そして、手を差し伸べてくれた。

 目は少し赤かったが、涙はもう乾いている。

 良かった。思ったよりも元気そうだ。……勿論、平気ではないだろうが。

「来るのが遅いわよ」

「ごめん。待たせたな」

 俺が渚紗の手を取って立ち上がると、渚紗はベンチに腰掛けたので、俺もその隣に座った。

「……情けないところを見せてしまったわね」

「そうかもな。でも、代わりにお前の情け深いところを知ったよ」

 何言ってんだこいつ、みたいなジト目で見られてちょっと恥ずかしくなったけど、咳払いで誤魔化す。

「城島さんから事情を聞いた。……彼女、お前に謝りたいって言ってたよ」

「……そう。だから遅かったの」

「悪かったな。勝手にお前の過去のこと、知っちゃって」

 渚紗は、ふいっと視線を俺とは反対方向に向けた。

「別にいいわ。あなたに知られたならおあいこだし、それに……大まかなことは、既に私から言ってあったでしょう」

「まあ、な」

 確かに俺は、渚紗から、渚紗が中学生の頃に嫌われていた友達を庇ったということは聞いていた。だけどやっぱり、詳細を知っているのと知らないのとでは印象が大きく違う。

「城島さんの話を聞いて、お前が高校では水面下でクラスを掌握しようと考えたことも、偽の恋人を仕立てようと考えたことも納得できたよ」

 もう二度と、同じことを起こさないように。

 渚紗はそのために、今度は自分が独裁者として君臨しようと考えたのだ。

 ただし、みんなが楽しく過ごせる理想の教室を作るために、頂点ではなく縁の下に君臨し皆のために尽くす、完全なる善意の独裁者として。

「……割り切った、つもりだったのに」

 ぽつり、と降り始めの雨のような緩慢さで、渚紗が呟く。

「小長谷さんを守れなかったってわかったとき、中学は捨てる、って割り切ったのよ。それから卒業までの期間は、せめて私のせいで立場を失うことになる人達の補償に充てようって思って、だからどんなことを言われても耐えられた。……それなのに、今日は、耐えられなかった。もしもカナや桃ちゃんが、私から離れていくようなことになったらって考えただけで、怖くなってしまって」

「それだけ、お前にとって高山さんや桜木さんが大切な人だってことだろ」

「そうね。そう思える友達ができたことは、素直に嬉しいわ。だけど……だからって、こんな無様は許されない。私は自分の精神力を過大評価していた。この程度のことでいちいち揺らいでいたら、大層に掲げた目的なんて達成できるわけないじゃない」

 渚紗は溜息をついた後、大きく息を吸い込んだ。

 そして。

 ばちーん! と、両手で自分の頬を思い切り叩いたのだった。

「お、おい渚紗……!」

「もう二度と、あんな醜態は晒さないわ。何があっても」

 おそらく全く手加減抜きで叩いたのだろう、凄い音がしたし、渚紗のほっぺは真っ赤になってしまって、ちょっと涙ぐんですらいる。い、痛そう。

 なんつーか……。妥協しないというか、本当に自分に厳しいヤツだ。凄いと思うし立派だとも思うが、無理をし過ぎて壊れてしまわないだろうかと、少し不安にもなる。

「別に俺は、醜態だなんて思わなかったけどな。お前は人間として当たり前に傷ついただけじゃねーか。むしろ、無様だったのは俺の方なんじゃないかと……」

 厨二病の力を借りて切り抜けようとしたのに、その仮面を維持することすらできなかったし。結局場を収めたのは瑞穂さんと桜木さんと、……そしてしゃらくせぇけどあのイケメン野郎だ。

 しかし、渚紗はなぜか何も言わずにじっと俺の顔を見つめていた。

「な、なんだよ」

「……あなたは、こっちの顔が本当のあなただったのね」

「はい?」

「あなたを脅したときに、私、言ったでしょう。中学時代のあなたが本当のあなたで、今のあなたは人気者を演じるための仮面を被ってるんじゃないかって。でも逆だった」

「あー……いや、まあ、仮面っつーか、中学時代はアレをマジでやってたから、キャラ作りって言った方が正しいと思うぜ」

 当時は本気でああいうのがカッコイイと思っていたのだ。思い出すだけで恥ずかしさのあまり死にたくなる。

 そして学校生活の恐ろしいところは、途中で正気に戻っても今までそのキャラで通して来ちゃってるから、もう堅気に戻れないという点だ。

 俺も厨二の二学期くらいで「コレ完全にミスってる」ってことに気がついたのだが、最早俺を巡る人間関係は壊滅的(檻の中に隔離された珍獣みたいに、ただ遠くから笑われるだけ)になっていた。

「俺には、何かを演じ切るなんて無理だって思い知ったんだよ。すぐボロが出るし。だから、高校じゃ変なキャラ作りなんかしないで、できるだけ素の自分のままでリア充を目指そうと思ったんだ」

「……やっぱり、逆。私とは、真逆ね」

 渚紗はどこか寂しげな顔になっていた。

「ねぇ、怜助くん。あなた、私に『どうしてわざわざ裏の顔を明かしてまで自分を脅したのか』って訊いたことがあったわよね」

「ああ、そういや」

 その問いに、あのとき渚紗は答えてくれなかったけど。

「それは、あなたと私が似た者同士だと思ったからよ。中学時代に失敗をして、高校ではそれを繰り返さないために別人の仮面を被って。そんな人が同じクラスで、しかも同じクラス委員だったって知ったときは……少し、高揚したわ。それで……勝手に、密かに、仲間意識を抱いていたのよ。だから、この人になら秘密を明かしても良いかもしれないって思った。……いえ、正直に言えば、誰かに、私のしていることを知って欲しかった。知って、認めて欲しかった」

「渚紗……」

「でも、そもそも私は勘違いをしていたのよ。あなたは私とは違う。仮面じゃない、素の自分で人気者になれる人だった。……私みたいに、演技をしていなければみんなに嫌われてしまうような人間とは、違う」

 そんなことはない。

 だが否定を言葉にする前に、渚紗は立ち上がり、俺に向かって深々と頭を下げた。

「あなたには、私と傷を舐め合う必要なんかなかったのに。私の勘違いで振り回してしまって、ごめんなさい」

「…………」

 俺は無言で立ち上がり、渚紗の肩に両手を置いた。

 顔をあげた渚紗が、きょとんとした顔で俺を見たので、

 


 とりあえずむぎゅっと抱き締めてみた。



 ぶん殴られた。


「な、な、なっ……なにするのよ! 突然! 頭がおかしいの!?」

 渚紗は顔を真っ赤にして、全身を守るように抱きかかえている。

「まあまあ、落ち着けよ渚紗」

「あなたはなんでそんなに落ち着いているの!? そんな冷静なテンションで、どうしていきなりこんな変態行為に及んだのよ!」

「お前があんまり可愛いから辛抱たまらなくなったんだ」

「っ……!」

 呆れと照れが同時に許容量を超えてしまったのか、渚紗は口をぱくぱくさせて何も言えなくなっている。あー可愛い。

「なぁ、渚紗。俺は今のお前が凄く可愛いと思う。思わず抱き締めたくなるくらい」

「ばっ……な、はぁ!? あ、あなた――!」

「――だから、演技をしてなきゃ嫌われるなんて、悲しいこと言うなよ」

 渚紗がはっと息を呑んだ。

「……お前が、小長谷さんのために本気で怒ったことは、正しいことだったんだ。ただ、周りがお前の正しさを認められなかっただけで。そのことでお前は傷ついてしまったんだろうけど、でもだからって自分で本当の自分を否定するなよ。少なくとも俺は、お前の裏の顔を嫌いになったりなんかしない。絶対に」

 嫌いになるわけないだろう。

 裏の渚紗はドSで、計算高くて、恐ろしくて、ストイックで、だけど真面目で努力家で正義感が強くて優しい女の子なんだ。

「お前が……計画のための都合とか、お前自身の気持ちの問題とかで、裏の顔をできるだけ隠していたいっていうのはわかる。だけど全部隠して一人で背負い込むのは、いくらお前でもきっと無理だ。だから、せめて俺の前じゃ無理しないでくれ。俺をいろんなストレスのはけ口にしてくれて構わない。そういう相手が一人くらいはいたっていいだろ?」

「…………」

「お前は俺の傷を舐めなくていい。それでも俺は、お前の傷を舐め回し続ける」

「全然格好良くないしひたすら気持ち悪い……」

 渚紗はドン引きした表情で後ずさる。しかし、やがて呆れたような溜息と共に、少しだけ唇を綻ばせた。

「……気持ち悪いけれど、あなたの気持ちはありがたく受け取っておく。さっきも誓った通り、私はもう二度と今日のような醜態を晒すつもりはないわ。でも……あなたの前では、少しくらいの弱音は、吐いてしまうかもしれない。それを、許してもらえるかしら」

「ああ。当たり前だろ」

「暴言も吐いてしまうかもしれない。悦んでもらえるかしら」

「いや悦びはしないけど」

「たまに警察を呼んでしまうかもしれない。大人しくしてもらえるかしら」

「それはやめてよ!」

 フフ、と渚紗が小悪魔的な笑みを浮かべる。良かった。いつもの調子が戻ってきたようだ。

「じゃあ、そろそろ戻ろうぜ。みんなが心配してる」

「……そうね。その前に怜助くん、少し耳を貸してもらえるかしら」

「ん? 別にいいけど……周りに誰もいないんだからそのまま言えばよくないか?」

「さっきのセクハラに対する罰についてだから、あまり大きな声で言えないのよ」

 ……ど、どんなむごたらしい罰をお与えになるのでしょうか。耳なし法一コースでしょうか。

 まあいきなり抱きついたことについては弁解の余地もない、どんな罰でも甘んじて受けよう。そう覚悟を決めて、俺が少し屈んで片耳を渚紗に向けると――

「かかったわね」

 ぺろっ。

「うひゃぁ!?」

 くすぐったいような、甘美なような。耳にかつてない感触を覚えて俺は飛び上がった。

「なっ……な、渚紗、お前今、舐め……!?」

 渚紗はしたり顔でクスクスと笑い、舌の先をちょこっと出してウインクをした。

「怜助くんが私を舐め回すなんてセクハラ発言をしたから、お返しよ」

 せ、セクハラってそっちかよ……!

 俺が呆然と突っ立っていると、渚紗は今更照れたように頬を染めて、俺の腕を掴む。

「いつまでも感じてないで早く来なさい。一緒に戻らないと不自然でしょう」

「あ、ああ……」

 赤い顔を背けて俺の手を引く渚紗の後ろ姿を見ながら、俺はその華奢な体を抱き締めたい衝動を抑えるのに多大な労力を要した。

 全く。演技なんてしなくても、お前は本当に魅力的な女の子だよ渚紗。

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