第3話 7.
浴衣という目立つ上に走りにくい服を着ているから見つけるのはそう難しくないはずだと思っていたが、うまく祭りの人混みに紛れたためか女子としてはトップクラスの身体能力を活かして逃走を続けているためか、すぐに渚紗を見つけることはできなかった。
……仕方ない。俺は息を吸い込み、
「渚紗ぁ――っ! どこだぁ――っ!」
大声で叫びながら走った。人々の視線に晒されてかなり恥ずかしかったけど、今はそんなこと気にしてる場合じゃない。
渚紗が泣くなんてよっぽどのことだ。俺に何ができるかはわからんが、それでもすぐに駆け付けてやらないと――!
「渚紗――――っ!!」
「あ、あの! 待って、待って下さい!」
後ろから呼び止められて振り返ると、そこには、さっきのリア充集団の中で少し浮いていた、あのシオリという気弱そうな少女がいた。
「君は……」
おそらく走って追いかけて来たのだろう、シオリが呼吸を整えて喋れるようになるまで少し時間が掛かった。
「
やはり、中学時代の同級生か。ということはミキもそうなのだろう。
「……わざわざ追いかけて来たってことは、俺に何か用があるのか?」
「は、はい……藤峰さんのことで、話したいことがあって」
「それは、渚紗がいたら話せないことなのか?」
城島さんは黙って頷いた。
俺はできるだけ早く渚紗のところへ行きたかったが……しかし、城島さんがさっきミキ達といたときに見せた様子や、わざわざ俺を追いかけて来たことを鑑みれば、話を聞くべきではないかと俺は思った。
渚紗とミキ達の因縁がわかるかもしれない。
「わかった。そっちで話そう」
そこはもう商店街の出口に近かったので、俺達は一度商店街を出て、懸川駅の駐輪場前に移動した。すぐ近くにあった上人気も少なかったので、落ち着いて話をするには丁度良かった。
「それで、話したいことって?」
俺が尋ねると、城島さんはいきなり頭を下げた。
「ごめんなさい……! ミキ達が藤峰さんに辛く当たるのは、私のせいでもあるんです……!」
「……どういうことか、詳しく教えてもらえないか」
城島さんは既に泣きそうな顔だったが、できるだけ威圧感を与えないようにと心がけた効果があったのだろう、俺の反応に少しほっとしたようだった。
そして城島さんは語り始めた。
「どこから話して良いのか、わからないから……最初から全部、話します。少し長くなってしまうかもしれないけれど……」
「ああ、わかった」
俺の知らない、中学生だった頃の渚紗のことを。
「私は藤峰さんとミキと、中学三年生のとき同じクラスだったんです。藤峰さんもミキも美人で頭も良かったから、学校全体の有名人でした。でも、なんていうか……二人の目立ち方は、対照的で。ミキは派手好きで、その、自分のグループを作ってその頂点に君臨する独裁者って感じだったんですけど、藤峰さんの場合は、いつも明るくて優しくて楽しい人で、本人が何もしなくても自然と周りに人が集まって来るっていうか……多分、グループ作りとか、興味なかったんだと思いますけど、それでも人望が厚かったんです」
「ああ……」
渚紗だったら、そうだろうな。独裁者と対照的、という表現は、今の渚紗の計画を知っているとなんだかちょっとおかしな感じがするけど。
「ミキは、グループの仲間とか、自分の味方にはすごく優しいんです。でもその代わり、排他的っていうか、一度仲間になったら抜けていくことは許さないし、そもそも『資格』がなきゃ自分のグループに入れてあげないって感じで、そういう子達に対してはとても冷たかった。……私も、そっち側だったんですけど。
そういう、いわゆる『イケてない』子達でも、藤峰さんは全然気にせずに仲良く接してくれました。藤峰さんは男子にも人気だったし……多分、それが理由だったと思うんですけど、ミキも表向きは藤峰さんと仲良くしてました」
なるほど。つまり、男子に人気の渚紗をミキが一方的に敵視したら、そのことでミキ自身が男子からの支持を失いかねなかったから……ってことか。
……ドロドロしてんなぁ。女子中学生の社会ってそんななの? 俺はそもそも関わることがなかったから全然知らなかったよ。体育の時間にこっそり胸が揺れてる様子を観察するくらいしか接点なかったもの。
「だから、ある意味藤峰さんの存在は、私達みたいな女子にとっては、上のグループに繋がっていられるための橋……いえ、命綱のようなものだったんです。『藤峰さんと仲が良いから私達はイケてない女子じゃない』っていう、言い訳ができましたから。藤峰さん自身の人柄に惹かれたってだけじゃなくて、彼女の立場に惹かれて近づいた子もいたと思います。……正直、私も、少しそうでした」
「…………」
「きっとミキは、ずっと藤峰さんに対抗意識を持ってたんだと思います。ミキが露骨に藤峰さんを自分のグループに引き入れようとしていたところは何回も見ましたけど、藤峰さんはいつもやんわりと躱してました。自分の思い通りにならないのに、男子からも女子からも人気で、全然気取ったところがなくて、クラスの……学校の人間関係の中心って言ってもいい立ち位置にいるのに本人はまるでそのことに頓着がなさそうで。ミキは多分、苦労してそのポジションを手に入れたのに、似たような地位にいる藤峰さんがそんな様子だったから、……内心では相当気に障っているんだろうって、みんなホントはわかってました」
城島さんは、渚紗が「頓着なさそう」だったと言ったが、俺はそんなことはなかったのだろうと思う。
自分を巡る人間関係の状況について、あいつが気づかないでいるワケがない。
気づいた上で、その立ち位置を保っていたのだ。
バランスを取るために。自分を支えにしている友人達を、守るために。
「そんな風に、一応は保たれていた均衡が崩れてしまうきっかけになったのは……二学期始めに、一人の男子が藤峰さんに告白したことでした。その人は元バスケ部の部長さんで、ミキが好きだった人なんです。でもその人は藤峰さんにふられてしまいました。そのことがミキには我慢の限界だったらしくて、それからは藤峰さんへの敵意を隠すこともしなくなりました」
「そうか……」
ミキの気持ちも、わからなくはない。自分が好きだった男子が、内心では嫌っている女に惚れていた挙げ句、しかもその女は告白を蹴ったのだ。平気でいられるはずがない。
「でも、藤峰さんは、はっきり言って非の打ち所がない人だったから、藤峰さん自身を積極的に攻撃するほどの理由がミキには見つけられませんでした。……だからミキは、藤峰さんの周りにいた、攻撃対象にしやすそうな人間……私達に、矛先を向けたんです」
城島さんは、胸を押さえるように両手を握り、ぎゅっと強く目を閉じて続ける。
「私達のクラスに、
「まあ、なんとなくわかるよ」
言葉は悪いが、いわゆる「空気が読めない」タイプだったのだろう。俺も身に覚えがある。本人に悪気がなくても絡みづらいタイプというのは、多分どんな集団でも扱いを持て余されるものだ。
「正直に言うと、私も含めたほとんどの人が、小長谷さんを疎んじていました。そうじゃなかったのは藤峰さんだけです。だから小長谷さんも藤峰さんにはとてもよく懐いていました。……ミキは、それが藤峰さんを叩ける口実になるって、そう考えたんだと思います。初めはさりげなく、次第に露骨に、小長谷さんを笑ったり馬鹿にしたりするようになりました。そうすることで、小長谷さんをよく思っていなかった人達を味方につけて、同時に小長谷さんと仲良くしている藤峰さんの敵を増やそうとしたんです。藤峰さんは小長谷さんを切り捨てることができないって、ミキは多分わかってたから……」
聞いているだけで胸糞が悪くなるような話だった。
俺は腹の内に渦巻くやるせない想いを堪えながら、「それで?」と城島さんに続きを促した。
「決定的だったのは、十月半ばの、中学最後の文化祭でした。私達のクラスはお化け屋敷の展示をやったんですけど、本番中に脅かす役をやっていた小長谷さんが、はしゃぎすぎて展示の一部を壊してしまったんです。なんとか建て直して文化祭は終えることができましたが、打ち上げのときに、ミキ達がそのことを蒸し返して……それで、藤峰さんが……」
「……爆発、したのか」
先取りされた城島さんが一瞬驚いた顔をしたが、すぐに「やっぱり、知ってるんですね」と納得したように頷いた。
「それは、クラスメイト全員にとって衝撃的なことだったと思います。藤峰さんがあんな風に怒鳴るところ、誰も見たことありませんでした。今思えば、小長谷さんを庇った藤峰さんは、口調はきつかったけど、言っていたことは全部正しかった。だけど、藤峰さんは直接悪口を言ったミキ達だけじゃなく、止めようとしなかった他のクラスメイトについても責めるようなことを言ったから……あのときあの場の空気は、藤峰さんの方が、まるで悪者みたいに、みんなを錯覚させてしまうものだったんです」
「…………」
渚紗がどんなことを言ったのかは、大体想像がつく。それは確かに正しいことだったのだろう。
だけど、誰もが渚紗のように立派な人間じゃないし、正しいことを正しく行えるわけじゃない。
嫌われ者に関われば仲間と見なされて自分まで嫌われる。だから関わらないのが一番。
クラスメイトの多くがそう考えて無干渉でいたことは、責められることじゃない。
渚紗は正義の味方だったかもしれないけれど、渚紗の味方は誰もいなかった。
味方のいない正義は、その集団内では悪なのだ。
「そして……打ち上げの日から間もなくして、小長谷さんは転校してしまいました」
「転校……? 三年生の、その時期に?」
「はい。先生は両親の仕事の都合だって言ってましたけど、タイミングが良すぎますよね。でも、とにかく、小長谷さんが居なくなってしまって、小長谷さんを庇うために泥を被った藤峰さんの立場は、ますます……」
……確かに、そのときの渚紗の心情を思うと気が滅入りそうだ。
あいつは、一体どんな気持ちで小長谷さんと別れ、小長谷さんの居なくなった教室に通い続けたのだろう。
「ミキは、怒ったときの藤峰さんの様子についてかなり大げさに、学校中に触れ回りました。藤峰さんは否定も反論もしないで、というかもう隠すことをやめて、近づき難い雰囲気を常に纏うようになりました。そうやって藤峰さんの立場が悪くなったことで、それまで藤峰さんと仲良くしていた私達もまた、連鎖的に立場が悪くなってしまって……それで」
城島さんの声が涙でくぐもった。胸の前で握った両手には、指が白くなるほどの力を込められている。
「私は……私は、藤峰さんがそんな状況になってしまったことよりも、自分が命綱を失ってしまったことの方が怖かった。藤峰さんと一緒に居たら自分も嫌われてしまうって思ったら、彼女に近づくこともできなくなってしまった。……それで、私は……ミキのグループに入ろうって、決めたんです。そのために……ふ、藤峰さんのことを、悪く言って……!」
城島さんはとうとう泣き出してしまい、しゃくりあげながら続ける。
「『藤峰さんにあんな本性があるなんて知らなかった、私は騙されていた』って……! そのことを、ミキ達に今まで藤峰さんと仲良くしていたことを許してもらうための口実にしたんです。私だけじゃなくて、他にも何人も、そうして藤峰さんから離れていきました。それなのに、藤峰さんは誰のことも責めないで……むしろ、自分から悪者みたいに演じて……あれはきっと私達のためにしてくれたことなんだって、わかってたのに、私は……!」
それじゃああいつは、自分一人が悪者になって、城島さん達を助けたってのか。
馬鹿だろう、渚紗は。どんだけお人好しなんだよ。自分だって傷ついてたくせに……!
「ずっと、藤峰さんに謝りたかったんです」
城島さんは、後から溢れてくる涙を拭いながら俺に頭を下げた。
「藤峰さんに伝えて下さい。本当にごめんなさいって……」
城島さんの想いは本当だろう。きっとミキ達と一緒に居ても、ずっと心のどこかで渚紗に対して罪悪感を抱いていたのだ。だからわざわざ渚紗の彼氏である俺を追ってきて、全てを話して謝ってくれた。
だけど。
「……もし君が、本当に渚紗に心から謝りたいと思っているなら、それを言うべき相手は俺じゃない。本人に直接会って伝えるべきだ」
顔を上げた城島さんは、露骨に戸惑った表情をした。俺はそれを少しだけ寂しく感じた。
「責められるかもしれない、許してもらえないかもしれないって不安を背負ったままあいつと対峙できるなら、それは本当に心からの謝罪になるだろう。……そうじゃないなら、
「あ……その、わ、私……」
「俺はこれから渚紗を捜して、あいつのところに行く。城島さんも、一緒に来るか」
城島さんは、涙の止まった目を逸らし、左手首を裏にして、女の子らしい可愛いデザインの腕時計に視線を落とした。
「トイレに行くって……ミキ達にそう言って、抜けてきたんです。だから、そ、そろそろ戻らないと……待ち合わせの時間に間に合わなくて……それで」
「……わかったよ。渚紗のことを話してくれて、ありがとう。さようなら」
俺は城島さんに背を向けて走り出した。
わかってる。城島さんは悪くない。
彼女だって精一杯だったんだ。誰もが渚紗のように、他人のことで必死になれるわけじゃない。自分が傷つく選択を採れるわけじゃない。
悪くない。彼女は悪くないんだ。
悪くないって、言ってるだろ。
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