第3話 6.
「は……? 何言ってんのこいつ? カタヨクってなに?」
「さぁ? 恋人ってことじゃね?」
それまで黙って立っていた金髪長身イケメン野郎がスカした顔でいうと、ミキが噴き出した。
「ウッソ、藤峰の彼氏!? こんなのが? 藤峰ぇ、あんた何のためカワイ子ぶってんのよ。これしか捕まえられなかったワケ?」
言いながらミキが渚紗に視線を向けようとする、俺はその間に体を割り込ませた。
視界を遮られたミキが舌打ちをして俺を見上げる。
「ちょっと。邪魔よ」
「そう思うなら帰れ」
「はぁ!? あんたうざいんだけど! どーせそいつの外面に騙されただけのアホのくせに、カッコつけてんじゃないわよ!」
「なんだ。やけに吠えるな。男に渚紗と自分を比較されたことでもあるのか?」
どうやらこれはかなり痛い一撃だったらしい。ミキの顔が引きつった瞬間を見逃さず、俺は唇を歪めて見せた。
「図星か? まあそう悲観するな――というか、悲観すべきところを間違えるな。容姿はともかく、内面に至っては貴様と渚紗では比べものにすらならん」
ああ。
俺は今、人を傷つけている。
罵倒の言葉を口にする瞬間、新聞紙に火を付けたみたいに刹那的な高揚感が一気に燃え上がって、一瞬で灰と化し、後には途方もない虚無感だけが残される。
やっぱり苦手だ。この感じは大嫌いだ。
自分が傷つく方が、痛みを実感できるだけまだマシだ。
それでも、今は。
「バカじゃないの、騙されてるだけのくせに! 本当のそいつがどんな奴かも知らないで、内面がどうとか――」
「知っているとも。その上で、俺は渚紗を愛しているんだ」
やはり仮面の効果は絶大だな。羞恥心という枷が外れたことで、相手が「そんなこと普通は言えないだろう」と予想していることだって平気で言える。
思っても見ない反応を返された人間は、どうしたって次の言葉に詰まる。その隙を突いてやれば良い。舌戦なんてのは所詮タイミングが九割なんだから。
そう、ここまで全部計算通りなんだ。後は、あいつらを呆れさせるだけ。
「本当の渚紗を知らないのは、貴様の方だろうが」
バカみたいな発言を矢継ぎ早に繰り出して、「付き合っていられない」と思わせればそれでいい。
「裏の顔? 本性? 知った風な口を利くな。渚紗がどんな思いを抱えてるのかも知らないくせに」
とっととこの場からいなくなってくれればそれでいいんだから、俺は、冷静に、バカのフリをしていればいい――それだけでいい。
「お前の何が……そんなに偉いんだよ。何の権利があって、渚紗を貶めるんだよ」
はずだったのに。
「お前なんかが……ただ他人を傷つけたいだけの奴が。みんなが笑顔になれるようにって必死で頑張ってるこいつのことを、悪く言うんじゃねえよ!」
……やーっちまったよ。
せっかく、論点をずらして全部うやむやにするために仮面被ったってのに。渚紗と違って脆すぎるだろ俺の。
ミキは俺の怒声で怯んだように二、三歩後ずさったが、すぐに目をつり上げ憤怒の形相になった。
「あんた……」
しかし、何か反論しようとしたところで、俺の背後を見て目を丸くする。
なんだと思って振り返ると、
渚紗が、泣いていた。
俺の方に視線を向け、表情だけで言えばなんとも無感情な――ぽかんとしているとか、呆けているとか、そんな風に表現できる顔をしているのに。
見開いた両目から、大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちている。
俺はぎくりとして、全身が硬直してしまった。
「な、渚……」
思わず渚紗に手を伸ばしかけると、渚紗はハッと我に返った顔になり、袖で涙を拭うと、そのまま逃げるように走り出して人混みの中に消えてしまった。
俺もミキも、咄嗟には言葉が出てこなくて、時が止まったような沈黙が場を包む。
「――桃香」
破ったのは、瑞穂さんの声だった。
それほど大きいわけでも強い口調だったわけでもないのに、その声にはなぜか有無を言わさぬ迫力があった。名を呼ばれた桜木さんはビクリと身を竦ませ、瑞穂さんを振り返る。
瑞穂さんが視線で示した先、屋台のカウンターの上には、プラスチックのパックに入ったお好み焼きが五人前揃えてあった。いつの間に……いや、そういえば、瑞穂さんはミキ達が来たときに高山さんから注文を受けてお好み焼きを焼いていた。でも、それにしたって五人前って……?
瑞穂さんはじっと桜木さんを見つめる。桜木さんは、最初は戸惑っていたが、やがて何かを決意したような力強い目つきになって、カウンターから五つのお好み焼きを抱え上げた。
そして。
ミキ達の前に進み出て、静かに頭を下げる。
「……私どもの店の従業員が、大変ご迷惑をお掛けしました。どうかお許し下さい」
戸惑うミキに、頭を上げた桜木さんは、五つのお好み焼きを差し出した。
「こちらはお詫びの品です。皆さんで召し上がって下さい。勿論お代はいりません。ですが、その代わり、お願いがあります。お客様に対してこのようなことを申し上げるのは、とても無礼なことだと存じてはおりますが――」
桜木さんは目を瞑り、深く息を吸い込んで、そしてゆっくり目を開けると、言った。
「――どうか。どうか、お引き取り下さい」
そう言ったのだ。あの桜木さんが。
目は今にも溢れそうな涙で潤み、声も小さな手足も震え、とても威厳があるようには見えなかったけれど、それでも。
ミキを見上げる桜木さんの瞳は、どこまでも真っ直ぐに彼女を射貫いていた。
「っ……そ、そんなの……」
「あー、どうも。ありがたくいただきます」
半ば意地になった様子でミキが拒もうとしていたお好み焼きを、緊張感のない男の声と共に背後から伸びてきた腕がひょいと受け取る。あの金髪イケメンだ。
「ただし、金は払うよ。こっちも迷惑掛けて悪かったな。釣りは詫び代としてとっておいてくれ」
金髪イケメンはそう言うと、お好み焼きの代わりに、空になった桜木さんの手の平に一枚の紙幣を置く。
一万円札だった。
「えっ!? ま、待って下さい! ここ、こんなにいただけません!」
「いいから。格好付けられるチャンスってのは金より貴重なんだ。こんくらいはしとかなきゃ、俺の株が下がる。……相対的にな」
そしてなぜか俺の方を見てニヤリと笑う金髪イケメン。な、何だこいつ。格好付けやがって。
……だけど、今のこいつの行為はただの格好付けじゃない。一方的にやり込められて引くに引けなくなっていたミキの前で俺達に一手返したことで、「これなら引き分けか」と思える妥協点を示して見せたのだ。
もしそれが計算だったとしたら……くそ、やっぱりリア充オーラは伊達じゃないってことか。
金髪イケメンに促されたことでミキは渋々ながらも矛を収め、彼らはその場を去って行った。去り際、シオリと呼ばれていた気弱そうな女子が足を止めてこちらを振り返ったが、俺と目が合うと慌てたように視線を逸らしてミキ達についていった。
なんだろう。そう言えばあの子、一人だけ最初からやけに乗り気じゃなかったというか、仕方なくミキに合わせてただけって感じだったけど……。
「ねー上津くん。渚紗追っかける役譲ってあげようと思って、あたし我慢してるんだけど」
「あ……ご、ごめん!」
からかうような高山さんの声で俺は我に返る。そうだ、ぼーっとしてないではやく渚紗を追いかけなきゃ!
駆け出そうとして、しかし俺は少しだけ高山さんに視線を留める。
「……高山さん、その、さっきの」
それだけで高山さんは察してくれたようだった。
正直、これだけのことがあれば、誰だって渚紗が何を隠しているのか知りたいと思うだろう。それに俺のあんな姿を見られてはドン引きされたって文句は言えない。
俺のことは、まあいい。でも渚紗とは、できれば今後も何も訊かず今まで通り仲良くしてやって欲しいと、それだけ伝えようと思ったのだが――。
「ん~? 別に、人間誰だって心の中には恥ずかしいこと抱えてるもんでしょ? 恥ずかしいから言わないし訊かないだけで。少なくともあたしはそうだし、渚紗だってそうかもしれないね」
そんで、と高山さんは歯を見せて笑った。
「君は恥ずかしい姿晒してでも恋人を守ろうとする熱いヤツだった、ってだけじゃん」
…………。
杞憂にも程があった。ヤバイ、ちょっと泣きそう。
高山さんってこんなに素敵な人だったのか。渚紗がいなかったら今の言葉だけで好きになっちゃってたかもしれない。
「……ありがとう。行ってくる」
俺は、渚紗の大切な友人達にお辞儀をして、渚紗が消えた方へと駆け出した。
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