第3話 3.

 つつじ狩りを終え、次の目的地を決めるダイス・ロール。サイコロが決めた行き先は、下り方向に四駅。

「ありゃ」

「ちょうど逆回しになったわね」

 かくして再び懸川駅に戻ることになった。せっかくだから普段行きそうもないような辺鄙な駅に行ってみたかったという思い半分、無難な目が出てほっとする気持ち半分。渚紗は若干前者の思いの方が強かったらしく、軽い溜息の音が聞こえた。

「懸川駅のイベントは、やっぱり商店街のお祭り?」

「う、やっぱ知ってたか。正解」

 毎年ゴールデンウィークには、懸川駅前の商店街で小さなお祭りが開催されるという。出店なんかもあるらしいからそこそこ楽しめそうだと思ったが……意外性が乏しかったため渚紗には簡単にイベントを見抜かれてしまった。

「まあ、仕方ないわね。行きましょう」

 お祭りは、規模は小さいものの、地元お年寄りから家族連れや中高生くらいの友達連れなど様々な年齢層の人々でそれなりに賑わっていた。

 人の多いところを歩いていると、渚紗はその美貌ゆえにどうしても周囲の視線を集めてしまう。特に中高生の男子がちらちら視線を送ってくるのは非常に共感出来た。わかるよ。本当はじっくり見たいけど気づかれたら恥ずかしいもんな。でも見られる側は絶対気づいてるから、この際目を皿のようにして見た方がお得だぜ。

 そんな注目の美少女と一緒に歩いているというのは、誇らしさ半分気まずさ半分である。若干の緊張を払うために咳払いをして、俺は渚紗に笑いかけた。

「十一時か。昼飯にはちょっと早いけど、渚紗、なんか食べたいものとかあるか?」

「んー、どうしよ? 全部おいしそうで迷っちゃうなぁ」

 その表情と声と口調に違和感。 ……あれ? なんか渚紗さん、白くなってね?

「どうしたの? ね、行こうよ怜助くん」

 ぎゅっと俺の腕に自分の腕を絡めて引っ張ってくる渚紗。その笑顔は完全に表……だが俺ほど渚紗に精通していると逆にその方が恐ろしい。痙攣するようにガクガクと頷いて、俺は渚紗に従う。

「……渚紗、様? あの、大変ご機嫌麗しゅうご様子ですが、一体何故のことで……?」

「えー? だって、お祭りだよ? 楽しいに決まってるでしょ?」

「そ、そりゃそうだけど……」

「それに――」

 すっ、と渚紗の目が細くなる。おそらく常人には気付けない程度の変化だろう。

「学校のみんなも、来てるかもしれないじゃない」

 ……なるほどね。それなら確かに裏のままじゃマズイ。

「ね、怜助くん。せっかくだし何食べるかもサイコロで決めない?」

「あ、それおもしろいかもな」

 ということで、二つのサイコロに一番から六番までそれぞれに別の食べ物、合計十二種類を割り振って、出た目に対応するものを食べることにした。

 最初の出目は二と六で、それぞれたこ焼きとチョコバナナ。

 ここの商店街は東西に伸びており、お祭りの間は、東側がたこ焼きや焼きそばなどの主食系、西側がチョコバナナやクレープなどのスイーツ系というように場所で出店の種類を分けているらしい。

 移動の手間と丁度昼時で混みそうなことを考慮して、俺達は買い物を分担することにした。渚紗がたこ焼きを、俺がチョコバナナを買うために一旦別れる。

 さて、と俺は商店街西側出口付近で見つけたチョコバナナの出店に並んで考えた。

 「一人前を二人でわけた方がたくさんの種類を食べられるでしょ」という渚紗の提案により、買うのは一つの食べ物につき一人前、と事前に決めていた。しかし、たこ焼きなら一箱を二人で分けるのは簡単だが、一本のチョコバナナを二人でわけるというのは少し難しそうだ。

 半分に割る? うーん芸がない。そうだ、せっかくだからチョコバナナでポッキーゲームをしてみるというのはどうだろうか。こう、俺と渚紗が互いにバナナの両端を咥えて、中心に向かって食べ進む。

 …………。

 アカン。その絵面はアカン。特に俺サイドが地獄絵図。

 ポッキーゲームはポッキーが細いからこそ成り立つゲームだということを思い知った。無論却下である。

 こうなったら仕方ない、半分まで一人が食べて残った方をもう一人が食べるという最も原始的な案を採用するしかないかゲへへへへ。それなら先でも後でもご褒美でしかないぜ。まあどちらかと言えば俺は後がいいけどな。

 そんな妄想を膨らませながら嬉々として集合場所のベンチに戻ると、しかしそこに渚紗の姿はなかった。まだ並んでるのかな、と思いつつも辺りを見回すと、ベンチの後ろの街路樹の下に、見覚えのあるクリーム色のカーディガンがしゃがみ込んでいた。あれ、渚紗じゃんか。

 こちらに背中を向けている。何をしているのかな、と側面に回り込んでみると、……小さな黒い猫を愛でていた。

「おいしかった? でももうダメ。そんな顔したってあげないよ~」

 猫は鰹節の切れっ端が付いた渚紗の指をペロペロ舐めている。渚紗はその様子を、くすぐったそうな、とろけそうな笑顔で見つめていた。

「渚紗?」

 呼びかけると、渚紗は振り向き様に一瞬「しまった」という顔をしたが、すぐに冷静な表情を取り戻してゆっくり立ち上がった。近くに人がいないことを確認して、じっと俺の顔を睨んでくる。その目つきだけで裏返っていることは確実だった。

「……見ていたのかしら?」

「ま、まあな。……猫好きなんだな」

「…………」

 あ。照れてる照れてる。渚紗の貴重な恥じらいシーンである。写真撮っとこうかな。

 渚紗は目を逸らして深い溜息をつき、いきなり、「敢えて騙されてあげたのよ」と謎の宣言をした。

「は? 騙されたって……誰に?」

「……この子に」

 と、渚紗は足下で「にゃー」と鳴いている黒猫を指差す。

「いやいや……猫に騙されるって、おかしいだろ」

「怜助くん。『可愛い』という感情は何のためにあるのかわかる?」

「桜木さんのためだ」

 額をチョップされた。

「そういうことを聞きたいんじゃないの。『可愛い』という感情は、突き詰めれば、子どもを保護・養育するための心理的動機付けのためにあるのよ。生き物として自分の遺伝子を残すためには凄く重要なことでしょう?」

「ああ、なるほど……?」

 わかるようなわからんような。

「だけど、それだと『可愛い』という感情は自分の血を分けた子どもか、精々同種族……その中でも同じ社会を形成する構成員の子どもに対してのみ働くだけで十分なはず。それなのに、人間が人間以外の生き物を可愛いと感じる理由は、端的に言えば『騙されているから』なのよ。私達が『可愛い』と感じる心的メカニズムの隙を突いて、彼らは自分達が保護されるべき存在であると騙っているの。実に巧妙な手口で私達を欺き、身を守っているのよ」

「ホントかよ……」

「可愛いは正義なんかじゃない。詐欺だわ」

「いやうまいこといったつもりなのそれ?」

「勿論私はそのことに気づいている。けれど、気づいた上で敢えて騙されてあげているの。必死で自分達が可愛い存在であると訴えている姿が哀れだから敢えて可愛いと思ってあげているだけのよ」

「…………」

 どうだ参ったか、とばかりに胸を張る渚紗。これはめんどくせぇ。

「っていうか、野良猫に餌あげていいのか? ここの商店街の人達怒ったりしない?」

「野良猫じゃないわよ。首輪を付けているもの。それにシャンプーの匂いがするし毛並みもいいし肉球も気持ちいいわ」

 しっかり肉球まで堪能してやがる……。

「ってちょっと待て渚紗、まさかたこ焼きあげたりしてないだろうな? 猫にエビとかタコとか食べさせると腰抜かすんだぞ」

「それは生で大量に食べさせた場合よ。魚介類・甲殻類の内臓に含まれるチアミナーゼという酵素がビタミンB1を破壊してしまうために欠乏症が起こるの。チアミナーゼは熱に弱いから加熱すれば大丈夫だわ。尤も、それでなくともタコやイカは消化に悪いからあまり猫に適した食べ物ではないわね。だから勿論この子には上に掛かってたおかかを少しあげただけよ」

「詳しすぎる……」

 頑なに猫好きを認めない渚紗の様子は、めんどくさいけど妙に可愛かった。……考えてみれば、こいつが俺を脅迫するのに敢えてあの「雨に猫を抱けばポージング・イン・ザ・レイン作戦」の写真を使ったのって、単に猫好きが理由だったのかもしれないな。

 丁度このゴールデンウィーク中一回は帰省するつもりだし、そのときブタムシの写真撮ってくるか。それを渚紗に見せれば桜木さんの写真と交換してもらえるかもしれないグヘヘヘヘヘ。

 そして俺達は八個入りのたこ焼きを互いに四個ずつ食べ、チョコバナナは「分け方が難しいわね」と言われて渚紗に全部食べられた(理不尽)。まあそのかわりにチョコバナナを頬張る渚紗を盗撮させてもらったがな。

「さて、じゃあ次を振りましょうか。できれば主食系がいいわね」

 どうやらサイコロ達も渚紗に逆らうのは怖いようで、従順にお好み焼きと焼きそばの目を出してくれた。どっちも主食系なら別れる必要もないので、俺達が二人並んで商店街東側へ向かい、お好み焼きと焼きそばの出店を探していると。

「あ」

 立ち並ぶ出店の中で、一際目立つ真っ青な屋台が目に飛び込んできた。青い。鉄板やヘラ等の調理器具以外で客の目に入る部分は全部青い。勿論屋根に掛かった垂れ幕だって青く、そこには荒々しい墨字で「てつぢん」の文字。

 そして屋台の中、焼きたてのお好み焼きを手渡して笑顔でお客さんを送り出しているのは――

「あれ? 上津くん?」

 ふとこちらを見た彼女と目が合う。

 小動物系の可愛らしい顔に高い身長と豊満なボディのギャップが印象的な、桜木さんのお姉さん。

 桜木瑞穂さんだった。

「あ……こ、こんにちは」

「こんにちは。君も来てたんだ。……その子は?」

 俺の隣に立つ渚紗を見て、渚紗さんが尋ねてくる。後半いきなり声が低くなったのはまず気のせいじゃないだろう。表情も、一応「営業スマイル」の体を取ってはいるが目が全く笑っていない。

 ……これやっべーぞ。瑞穂さんからすればこの状況は、「妹の彼氏になったはずの男が知らない女子と二人でお祭りにデートに来ている」としか思えないはず。

 事情を説明しようにも、俺が面白がって瑞穂さんの前で桜木さんとの関係について誤解を招くような発言をしたり、桜木さんの指をぺろぺろ(未遂)したり、桜木さんに(渚紗への)告白を強要したりしたのは紛れもない事実。これで「あースンマセン桜木さんとは遊びだったんすわw」とか言ったらもうお好み焼きの具にされても文句言えねぇ。女の子に食べてもらえるんなら我が生涯に一変の悔いもないけど。

「あ、あの……これは……」

「初めまして、桃香さんのクラスメイトの藤峰渚紗です。桃香さんのお姉さんですか?」

 瞬時に表返った渚紗がさりげなく割って入り、非の打ち所がない笑顔で瑞穂さんに軽く頭を下げる。渚紗は俺が馬鹿をやった事情は知らないが、しかし自分に訝しげな視線を投げかけられたことには気づいただろうから、機先を制するように好感度を上げておこうと考えたのだろう。

 渚紗の自己紹介を聞いた瑞穂さんは、「ああ、あなたが!」と途端に嬉しそうな顔をした。

「桃香から話は聞いてるよ、仲良くしてくれてるんだって。そそ、あたしは桃香の姉で、瑞穂っていいます。妹がお世話になってるね」

「いえ、こちらこそ。桃香さん可愛いから、いつもすっごく癒やされてて」

「ホント? あの子それ聞いたら喜ぶと思うな。もー最近あなたの話ばっかりなのよ。……と、噂をすれば」

 ニヤリとした瑞穂さんの視線を追って振り返ると、俺達の後方に桜木さんの姿が見えた。五百ミリリットルのペットボトルを二本抱えて、オレンジ色のワンピースをはためかせて走ってくる。

 さ、桜木さんもいたのかよ! いや、てつぢんが屋台を出してるってことはいて当然か。でも、これじゃ逃げ場がない……!

「あ、あれ? なぎちゃん、上津くん、どうしてここに……?」

 俺達を見てきょとんとする桜木さんに、瑞穂さんが笑いかける。

「お祭りなんだから『どうしてここに』はないでしょ桃香。飲み物ありがとね」

 瑞穂さんはカウンター越しに手を伸ばして桜木さんからスポーツドリンクを受け取ると、一口で一気に半分くらい飲み干した。豪快さが素敵です。飲み終わったらでいいんでそのペットボトル下さい。

「ぷはー。さてと。役者も揃ったところで、上津くん」

「は、はいっ!」

 じっと、目の据わった笑顔で俺を見つめる瑞穂さん。

「どういうことか説明してくれる?」

 ……これ以上隠そうとするのは無駄だと悟りました。

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