第2話 7.
放課後、体育館裏に向かう俺の足はかつてのブタムシのように重い。
必死に楽しいことを考えた。来世はやっぱり教科書が良いなとか、中でも保健の教科書は格別だよなとか、一見あんまり興味なさそうにしている女の子が実は家に帰ってこっそり熱心に読み込んでたりしたら超興奮するよなとか。しかし、いくら楽しい来世を思い浮かべても、やはり今世への未練は尽きないものだ。情けない。
やっぱり死にたくない。嫌だ。怖い。渚紗怖い。きっと俺は幽鬼のような面持ちをしていたに違いないが、体育館裏には悪鬼のような形相の渚紗がいる思えばそれも仕方がないというものだ。
立ったまま這いずるような速度でしか進めず、しかしそれでもいずれは辿り着く。審判の地へと。
「――あら。よく逃げなかったわね」
ラスボスのように待ち受けていた渚紗は――だが、予想していたほど不機嫌そうな表情ではなかった。むしろうっすらと笑みを浮かべていて、ちょっと機嫌が良いほどだ。ど……どういうわけだ? 俺を抹殺するのが楽しみでしょうがなかったということか?
「じゃあ、まずは正直に話してもらいましょうか。どうしてあんな……私の秘密を桜木さんにばらすような真似をしたのかを」
勿論拒否権などあるわけもない。
俺は包み隠さず全てを話した。……一部桜木さんに対して不適切な発言及び行為を繰り返した辺りは省いたけど。そしたら凄く短く纏まった。
「要するに、桜木さんが素の私と仲良くなればお互いの問題が一挙に解決すると、そういう短絡的な結論を出して独断に走ったということね」
「……はい」
「愚かね。桜木さんが素の私を拒絶するという危険性を考えなかったの?」
「桜木さんを見て、話を聞いて、彼女だったら絶対お前のこと受け入れてくれるって思ったから決行したんだ」
「仮にそうだとしても、私がそんなことを望んでいるとあなたに伝えた覚えはないわ」
「そうだな。俺にはわからなかったよ。でも桜木さんは気づいてたんだ。お前がたまに寂しそうな顔してるって」
「桜木さんの勘違いかもしれないじゃない」
「そうだとしても、そんな勘違いするくらいお前のことを想ってたってことじゃねえか」
「……」
渚紗の頬がほんのり朱に染まった。なんだよおい、嬉しいんじゃねえか。どうやら渚紗の機嫌が思ったほど悪くない理由は、俺への怒りを桜木さんと仲良くなった嬉しさが上回っていたからのようだ。全く、怖がらせやがって……。
「……それでも、あなたがここまで勇み足になった理由がわからないわ。私の罰が怖くなかったの? だとしたら調教が不足していたようだから特別メニューを組むけれど」
「怖い怖い! 超怖いです! まんじゅうより怖いです!」
「だったらなんでなのよ。何があなたをそこまで駆り立てたの」
「……だってさぁ。お前の目的は『みんなが仲良く楽しい学校生活を送ること』だろ? その『みんな』の中に、お前一人だけ入ってないのは……おかしいじゃんか」
渚紗が目的を達成するために仮面を被り続けようとしていた。しかしそれでは、渚紗の目的は決して達成できないと思ったのだ。渚紗の考える「みんな」が「全員」ではなく、「自分以外の全員」になってしまっていたから。
「お前が楽しくなかったら、結局お前の作ろうとしてる『理想の教室』も全部、偽物になっちまうと思ったんだよ」
渚紗は少し面食らったような顔をしたが、その後すぐに、まるでその表情を見せてしまったことを悔しがるようにしかめ面になった。
「……などと容疑者は意味不明な供述を繰り返しており――」
「え!? ちょっと、変なナレーションいれんなよ!」
「あなたほど『容疑者』という言葉が似合う男もいないわね。室井さんより相応しいわ」
「映画のタイトルよりも!?」
「……まあいいでしょう。桜木さんと室井さんに免じて、その件に関してはこれで不問にしてあげるわ。他に何か言いたいことはある?」
「言いたいことって言うか、聞きたいことなんだけど。……渚紗はどうして、桜木さんがロッカーに隠れてること見抜いてたんだ?」
「ああ、そんなこと」
渚紗はつまらなそうに髪をかき上げた。そんな峰不二子みたいな仕草が様になっているあたりが恐ろしい。
「そもそも昨日、怜助くんと電話した時点で何か企んでいるとは思っていたわ。朝に弱いあなたが敢えて早朝に集合を掛けるなんて怪しいもの。そして決定的だったのは、あんな時間に桜木さんの靴が靴箱にあったことよ」
……。
し、しまったぁー! そうか、そりゃ不自然だ。そんなことに気が回らなかった俺はバカか! くそ、靴の回収くらい指示しておくんだった!
「教室に入ったらあなたはこれ見よがしにロッカーの一番近くの席に座ってるし。その瞬間に確信したわ」
「……なるほどね」
渚紗は鋭く、俺は迂闊だった。そりゃバレるってもんだよ。
でも、まあ、反省点は尽きないが、とりあえず今回は許してもらえただけで儲けものだ。無事に済んで良かった良かった。
「もういいかしら?」
「ああ、ありがとう。もうこれで全部だ。全ての伏線は回収された。もうこれ以上話すことはないし俺はここで帰らせて――」
「では本題に入るわ」
「――もらえませんよね」
……やっぱりきたか。なんかどさくさに紛れてうやむやになってたらいいなーとか思ってたけど、渚紗があれを許すわけがなかった。
「本題? ってなんだ? 桜木さんの件以外に一体何があるというのだ?」
一応とぼけてみる。が、
「あなたが私に執拗に口づけを迫ったあの凶行にして愚行にして犯行のことについてよ」
時間稼ぎにもならなかった。当然です。
「その……あれは、なんというか。ちょっと渚紗を慌てさせて裏の顔を見せてもらおうかなーっていう作戦で、決して本気でちゅーしようとか思ってたわけじゃなくてね? つまり、不可抗力というやつでして」
「過程や方法なぞどうでもいいのよ。問題は、あなたの独善的で変態的な行動によって私のファーストキスが理不尽に奪われたという事実。この被害に対して、あなたはどんな償いをしてくれるのかしら」
「ファーストキスって……え? ほ、本当に初めてだったのか?」
「……何よ。悪い?」
「い、いや」
何も悪いことなんかない。むしろおいしい……じゃなくて。
意外だった。てっきりあの場限りの設定かと思っていた。だって渚紗はモテモテだし、中学時代に彼氏がいなかったとは思えなかったから。
しかし、そうか……それはなおさら悪いことをしてしまった。
「本当にごめん。ど、どうすれば償える?」
目には目を、唇には唇を。というわけで、唇を奪ってしまった罪は唇を奪われることで償うというのはどうですかね? げへへ?
「そうね……あなたの唇を削ぎ落としまえば私とキスをした事実は消えるかしら」
本当に唇を奪われそうです(物理)。
「あの……できれば肉体が欠損しない程度の償いでお願いしたいのですが……」
「確かに、心の傷には心の傷を以て報いるのが一番かしらね」
ウフフ、と悪魔の微笑みを浮かべる渚紗。これはあれだな、脳を弄くられて記憶消されたりするんだろうな。ついにバッドエンド……いや、ひょっとしたらデッドエンドを迎えることになるかもしれない。
「来週はゴールデンウィークだったわね。五月三日を空けておきなさい。私とデートしてもらうから」
ゴールデンウィーク……そうか、それまでの数日間、身辺整理のための猶予をくれるという渚紗なりのお慈悲か。ありがたい。そして執行日にデート……え?
「渚紗、今なんて?」
「デートしてもらう、といったわ」
「
「デートよ」
デート? 聞いたことのない拷問方法だな。「親しい男女が連れ立って外出し一定時間行動を共にすること」というあのリア充専用イベントと発音が同じじゃないか。
……ん? え?
あれ?
「ちょ、ちょっと待て渚紗! え!? デート!? マジで言ってんの!?」
「当たり前でしょう。恋人同士だというのに大型連休でデートにも行かないというのは不自然だわ。リアリティを出して周囲の目を欺くために、せめて一日は行動を共にしておいた方が良いのよ」
くるりと踵を返した渚紗の横顔は、少し朱に染まっていて。
「……ちゃんと楽しませてくれなかったら、許さないからね」
気づけば俺はクイックセーブ&ロードを繰り返し、そのときの美咲の表情と台詞を脳内に何度も何度も焼き付けていた。
もうね。ラスボスがメインヒロインとかさぁ。どうなってんだよこれ。
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