第2話 4.
女子に嫌われたくない。その想いが強すぎて、中学時代の俺は勇気が出せなかった。話しかけただけで逃げられたりしてればそりゃあトラウマになりますよ。
こっちが動いたら嫌われるという思い込みが(実際には動かなくても嫌われていた)俺の行動を制限し、好きな子ができてもまともに話すこともできず遠回りなアピール(雨の中で一人捨て猫を抱き上げながら「お前も……独りぼっちなんだな……」ってやつとか)をすることしかできなくなっていたった。
本当は「春」っていう字を見ただけでエロい意味しか思い浮かばなかったくらいとんでもないエロエロ中学生で女の子大好きだったくせに、半端にそれを隠そうとしていたのがダメだったのだろう。
だが今の俺は違う。さっき桜木さんに逃げられたことで新たな天啓を得た。
逆に考えることにしたんだ。「嫌われちゃってもいいさ」と考えることにした。
嫌われないように繕った自分では、仮に最初はごまかせていたとしても、すぐにボロが出てうまくいかなくなる。それよりも、多少は嫌われることも覚悟で素の自分を見せていく方がよほど建設的じゃないか。それにどーせ今の俺は渚紗との契約のせいで本当の恋人なんか作れないんだ。半ばやけくそだよ。
というわけで。
俺は桜木さんと真の信頼関係を築くために、彼女に遠慮はしないことにした。
「かっ、かっ、上津くん、こ、ここここここは……!」
お好み焼き屋「てつぢん」。
全面青く塗った板張りの外装と荒々しい墨字で「てつぢん」と綴られた看板が特徴的なお店だ。個人経営の店なので規模はあまり大きくないが、休日とかに見かける限りでは結構繁盛しているようだった。加えて朱高から徒歩十分という立地条件から、生徒が部活帰りなんかによく寄っているらしい。
ちなみに桜木さんの実家。
「だっ、ダメです! ここだけはダメです!」
「いいじゃないか。座れるしついでにお好み焼き食べれるし、なんだったら桜木さんはすぐ帰れるぜ?」
「ここが私の家なんだから当たり前です!」
目をうるうるさせて必死に首を振る姿はまるで小動物のよう。とても良い。
「丁度良いじゃないか。大丈夫だって、奢るから」
「奢って頂く意味が全くないです! 好きなときに好きなだけ食べられます! お願い、お願いですから上津くん……! ここだけは……!」
「こんにちはー!」
俺は桜木さんの懇願を無視して元気よく引き戸を開け、店内に入った。
「いらっしゃいませー……って、あら?」
店内で迎えてくれたのは、意外なことに、若い女性の方だった。
年齢は二十歳ぐらい。長い髪をポニーテールにした、背の高いグラマーな女性だ。顔立ちは「綺麗」より「可愛い」という言葉が似合うタイプの美人だが、長身と抜群のスタイル、そしてモデルのようなすらっとした立ち姿から凛々しい大人の雰囲気を醸し出している。黒いシャツに緑色のエプロンという定食屋とかにありがちな服装なのに、この人の着こなしはなぜか色っぽい。正直見とれた。
美人店員さんの視線が、桜木さんの顔、俺の顔、そして握り合った二人の手で三角形を描き、ニヤニヤとからかうような表情になった。
「へぇ~珍しい、あんたが男の子連れてくるなんて。どした桃香、もう彼氏できたの? 高校入った途端に大胆になったわねー。高校デビューってやつ?」
「ちっ、ちちち、違っ……!」
ぱっと慌てて俺の手を振り解き、顔をぶんぶん振って否定する桜木さん。君はわかっていないな。そういう可愛らしい反応をするからからかいたくなるんだ。
「初めまして。上津怜助です。桜木さん……桃香さんとは同じクラスで、親しくさせて頂いています」
「へぇーそうなんだ。あ、あたしは桃香の姉で、桜木
お姉さんか。そう言われれば顔に面影がある。顔以外はあんまり似てないけど。
「はい。末永くよろしくお願いします、お姉さん」
「すえっ……! おねっ……!?」
明らかな誤解を招きかねないことを平気で言ってのけた俺に、桜木さんが信じられないといった顔を向けて来るが、気づかないふりで笑顔を貫く。
「ほほーう。今日はお好み焼き食べに来たの? それとも家族に挨拶に来たの?」
「勿論ご家族に……」
「お、お好み焼き!」
ついに見ていられなくなったのか、桜木さんが横から俺の口を押さえて言った。必死に背伸びして小さな手を俺の口に宛がおうとしている様子が超可愛い。指先舐めちゃおっかな。ぺろぺろ。
「一度食べに来てもらおうってことになっただけだから! ホントそれだけだから!」
「ふーん……。まあいいや。ゴメンね上津くん、桃香恥ずかしがり屋だから」
「そんなところも可愛いですよ」
「ちょっ……!?」
「だってさ。良かったね桃香。じゃ適当に空いてる席座って……っても今は全部空いてんだけど」
平日の午後四時という中途半端な時間帯もあってか、「てつぢん」に俺以外の客はいなかった。派手な外装とは対照的に内装は大分質素というか、年季を感じさせる昔ながらのお好み焼き屋、という感じだった。学生でも気安く入れそうな雰囲気だ。手前側にはテーブル席が六つ、奥側に座敷席が四つ。少々込み入った話がしたかったので、俺は桜木さんを連れて一番奥の座敷に座らせてもらった。制服を脱いで背もたれに掛ける。
「ご注文は?」
「じゃあ俺は豚玉一つで」
「はいよ。桃香は?」
「……いい。食欲ない……」
「なーによ、ダイエット? 彼氏ができて色気づいたか?」
「そっ、そんなんじゃないもん!」
ナイスアシストですお姉さん。また桜木さんの可愛い反応頂きました。
「じゃ、今作ってくるから。ちょっと待ってて」
お姉さんが鉄板に火を入れてカウンターに移動すると、桜木さんはお冷やを一息に飲み干して深い溜息を吐いた。少し落ち着いたのか、頬の赤みが少しだけ引いた。
「か、上津くんは、一体何がしたいんですか」
「だから君と話がしたいんだってば。君に聞きたいことがある。何を聞きたいかは心当たりあるよね?」
そうでなければいきなり逃げ出したりはしないだろう。桜木さんは、自分がストーキングしていた渚紗の彼氏に話しかけられたから驚いてしまったのだ。断じて俺が気持ち悪かったからではない。はず。
そして逃げたということは、やましいところがあったという証拠でもある。
「それについては……すみませんでした。つい、気が動転してしまって」
「もういいって、客観的に見たら俺の方が犯罪的だったし。訴えられたら確実に負けるし。……で、本題なんだけどさ。桜木さんはどうして渚紗のあとをつけ回したりしてたの?」
直球で尋ねると、桜木さんはまた怯える子犬のように身を縮めた。
「……あの。質問に質問で返してしまって申し訳ないのですが、藤峰さんはもう、そのことを知っているのでしょうか」
「いや。あいつは知らないよ。俺が君に気付いて、渚紗には黙って理由を聞きにきた」
「そう、ですか」
桜木さんはいくらか安堵したようだ。嘘も方便である。……まあこれは桜木さんのためというか、渚紗のためでもあるんだけどな。渚紗自身が気付いていた上で俺を派遣したってことにしたら、あいつが腹黒だと思われる(それこそが真実なのだが)。
「すみませんでした。その、ほんの出来心で、つい」
「君が男子だったら今の台詞は動機として完璧なんだけどな。どういう出来心だったのか、君の心に何が出来ると渚紗に付きまとうことになるのかが知りたい」
「うぅ……」
涙目の上目遣いで、表情が「どうしても言わなきゃダメ?」と言っている。嗜虐心がそそられる可愛さである。俺って本当はSだったのかもしれない……いや、違うな。俺自身はいじめることにもいじめられることにも快感を覚えはしない。ただ女の子の可愛い様子を見るのが快感なんだ。だから俺をいじめる姿が活き活きしている渚紗の前ではM寄りに、いじめられる姿が可愛い桜木さんの前ではS寄りになる。
どうやら俺は相手の女の子のタイプ次第で柔軟に変化する性癖、いわばF(FlexibleのF)の持ち主らしい。なんかかっこよくね?
「俺はSでもMでもない。二つを兼ね備えた最強の性癖――Fだ」ドン!(効果音)
みたいな。香ばしいね。
というわけで今の俺は攻撃的である。渚紗の真似をしてニコリと凄味を込めた笑みを返すと、桜木さんは観念したように語り始めた。
「藤峰さんに、憧れているんです」
「是非詳しく聞かせてくれ」
ガタタッ、と思わず椅子から前のめりになってしまった。桜木さんがまた小さく悲鳴を上げて背もたれに逃げる。
「ああ、ごめん。続けて」
「……は、はい。恋人の上津くんには言うまでもないことですけど、藤峰さんはとっても素敵な人です。優しくて明るくて綺麗で思いやりも行動力もあって。私にないものを全部持っている人だから、凄いなって尊敬していて……」
うっとりとした顔で語る桜木さん。いいね。女の子同士の仲が良いのは大歓迎だよ。
「お、おこがましいかもしれないけれど、私、もっと藤峰さんと仲良くなりたいって思っていたんです。それで、たくさん藤峰さんとお話がしたかったんですけど、勇気が……出なくて。声を掛けることができずに、ついついずっと後をつけるだけになってしまっていました……」
「なるほど……」
そんな可愛らしい理由だったのか。なら何も警戒する必要はなかったな。わかったいいよもう、渚紗あげるから二人で仲良くしな。俺はその様子を微笑ましい気持ちで見守るよ。
さすがにそういうわけにはいかないが、しかしこれなら解決は簡単だ。俺が渚紗にこのことを伝えれば良い。桜木さんがただ仲良くしたがっているだけだと知れば、渚紗は快く彼女と友達になってあげることだろう。それ以上の関係になってあげたとしても俺は一向に構わん。
これにて一件落着。めでたしめでたし。
……なんだけれども。せっかく桜木さんとも仲良くなれたことだし? もうちょっとこの状況を楽しみたいっていうか。少し遊んでいこうかな。
「桜木さん。だったらね、やっぱり君の気持ちをちゃんと渚紗に伝えるべきだよ」
「そ、そうですよね……」
「というわけで、練習してみようか。俺を渚紗だと思ってやってみよう」
「いえそれは絶対に確実に断固として100%無理です」
あれぇー? 何その冷静できっぱりとした拒絶。何その「正気かよこの変態」みたいな顔。その意志の強さがあれば渚紗に話しかけるくらい簡単なことじゃないか?
しかし、俺だってここまで来て引き下がるわけにはいかない。
「ほう、無理なのかね? それは何故だね?」
「だ、だって、上津くんを藤峰さんだと思うのは生理的……生物学的に無理があって」
どんだけ無理なんだよ。生物学的って、じゃあもう俺はどうすればいいの? バイオハザードに巻き込まれない限り君に好いてはもらえないの?
「それは言い訳ではないのかね? 俺の前ですらできないことを、本人の前でできるわけがないと思わないのかね?」
「そ、それは……」
桜木さんは目を逸らして俯いた。よーしよし、いけるぞこれは。もう一押しだ。
「本来できるはずなのだ……! 本当に渚紗と仲良くなりたいという気持ちで……胸がいっぱいなら……! どこであれ渚紗への想いを口にできる……! たとえそれが……生物学的に嫌悪感を覚える……俺の前でもっ……!」
「っ……」
「何、そう難しく考えることはない。ただ君の渚紗への想いを纏めればいいのさ。俺を渚紗だと思えないなら、目を瞑ったままで言えばいい。言葉にすることが大事なんだ」
桜木さんは恥ずかしそうに両手で口元を押さえていたが、やがてこくりと頷いた。
「わかり……ました。やってみます」
「その意気だ。頑張れ桜木さん」
フッ、チョロいぜ。俺は早速ポケットの中で携帯を録音モードにする。
桜木さんはきゅっと目を瞑り、数回の深呼吸の後、意を決したように精一杯の想いを口にした。
「あっ、あなたは、とっても優しくて、かっこよくて、私の憧れなんです! えっと……は、初めて話しかけてくれたとき、本当はすっごく嬉しかったんです。でも、その嬉しさをどんな風に表していいのかわからなくて、おろおろするだけで……。せせ、せっかく話しかけてくれたのにあんな反応を返しちゃって、ああもうダメだ、嫌われちゃったって思いました。でもあなたは、そんなこと全然気にしないで、その後も明るく接してくれました。だ、だから私、本当に優しい人なんだなって思ったんです。私もあなたみたいになりたいって、あなたと仲良くなりたいって思ったんです。今までは勇気が出なくて話しかけられなかったけど、これからは頑張るので、な、ななな仲良くしてくだしゃいっ!」
録音完了。家宝確定。そして、
「はーい豚玉の生地お待ちー」
ナイスタイミングですお姉さん。
「!? お、おねっ……違っ……! これは、あの、違くて! そういうのじゃなくて!」
桜木さんは必死に否定するが勿論お姉さんが聞く耳持つはずもなく。
「頑張ったね桃香ぁ、あんたがそんな風にド直球で男子に告白できる子だったなんて思わなかったわ。で、上津くん、返事は?」
「嬉しいよ桜木さん。俺も君と同じ気持ちだ。これから二人で、もっと、いっぱい、たくさんたくさん、仲良くしよう」
「はいおめでとう!」
「いやああああああああーっ!?」
悶絶する桜木さんも凄く可愛かった。でもそこまで全力で嫌がることなくない?
「これ以上は邪魔しちゃ悪いわねー。桃香、豚玉あんたが焼いてあげなさい。家庭的なとこ見せるチャンスよ?」
お姉さんは「ごゆっくり~」と手を振ってカウンターに戻っていった。放心状態の桜木さんは頷いたのかうなだれたのかよくわからない動きをして、無言でヘラを手に取り、鉄板に油をひき、生地を広げた。
生地の上に豚バラ肉を三枚のせ、端を軽く押して生地と肉を密着させる。焼けてきた生地をヘラで軽やかにひっくり返す。さすがお好み焼き屋の娘、鮮やかな手並みである。
「上手だな、桜木さん。うまそうだ」
「ありがとう……ございます……」
よほどさっきのダメージが大きかったのか、完全に瞳が光を失っている。あれは涙目よりまずい。ちょっとからかいすぎたな、しばらくは自重しよう。
「普通に注文してもこうやって店員さんが焼いてくれたりするの?」
「……お客さんの希望があれば。セルフとどちらかを選んでもらいます。あんまり大勢で来られたときには、セルフだけにしてもらってますけど」
「へー。確かに部活帰りの団体高校生とかが押しかけてきたら、いちいち焼いちゃいられないよな。……ってか、店員さんお姉さん一人だけなの?」
「いえ、普段は父と母が経営しています。でも今は、父が入院してるので」
「入院? だ、大丈夫なのか?」
「食材を運んでるときに転んで、左足を折ってしまったそうです。全治三ヶ月だって」
足の骨折か。それなら命に別状はないだろうが、しかし当然治るまでお店に出られない。
「だからお姉さんが手伝ってるのか」
「はい。お母さんはお父さんのお見舞いに行っているんだと思います」
「お店は今お姉さん一人だけか。……あれ、じゃあ桜木さんもお店の手伝いとかしなきゃまずいんじゃないの?」
桜木さんで遊びたいという下らない理由で拘束してる場合じゃなかったかもしれない。
「……私は、ダメなんです」
と、無心でヘラを動かしていた桜木さんの手が一瞬止まった。
「どうせ、役に立てないので」
「なんで? そんなことないだろ」
桜木さんは綺麗に焼き上がったお好み焼きにソースと鰹節と青のりと紅ショウガを掛けて切り分けてくれた。さっそく一口頂く。
「う……うまい! この生地の柔らかさ……これは山芋だな? 山芋の粘りが生地の仕上がりをふんわりさせ、そこにキャベツの歯ごたえがマッチしたことで生まれる絶妙な食感! カリッと焼けた豚肉そのものもうまいが、溢れた豚の肉汁が生地に絡むことでまたジューシーな味わいを引き出す鍵になるとは! ソースの焼けた香ばしい匂いが更なる食欲をそそり、マヨネーズを掛けることでまた違った味わいを楽しめる……! 見事だ!」
「そ、そんなに解説しながら食べる人漫画以外で初めて見ました……」
おや、桜木さんも料理漫画読んだことあるのか。実家が飲食店だからかな?
「うん、まあ要するに桜木さんのお好み焼きはうまいってこと」
「……さっきの解説って、普通のお好み焼き全部に当てはまることばっかりでしたよ? 別に私が焼いたものじゃなくても……」
「細かいことは気にしない。とにかくうまいんだから」
特に男にとってはね、美少女の手作りってだけで感じるおいしさに大幅な補正が掛かるものなんです。
「この腕前をお客さんに披露しないなんて、勿体ねえ気がするけどな」
なんだかさっきからテンションが低い桜木さんだが、お好み焼きを褒められれば悪い気はしないらしい。ほんの少しだけ口元を緩めていた。
「ありがとうございます。……別に、お好み焼きを作ること自体が嫌いなわけじゃないんです。でも、私は――」
「こんちわーっす!」
元気の良い挨拶とともに豪快に店の扉が開き、男子高校生の集団が現れた。先頭の彼は……確か朱高サッカー部の先輩だったか。部活勧誘のときに見かけた覚えがある。
「あら、いらっしゃーい。今日は早いじゃない。部活は?」
お姉さんがごく自然に男子高生達と会話を始めた。一方桜木さんは、危機に瀕した小動物のように、肩を竦めて硬直してしまっている。
「いやーなんか、今日監督の都合で急遽部活休みになってたらしいんすよね。やることないし、じゃあてつぢん寄ってこって流れで」
「おーいい流れねそれ。こんなに商売繁盛するならもうずっとサッカー部休みにしてもらえないかしら」
「それじゃオレらの財布がもたねーっすよ。てことでおじゃましまーす」
そして朱高サッカー部員達が口々に「おじゃましまーす!」と挨拶しながら店内に雪崩れ込んできた。その様子を桜木さんは、まるで敵軍に攻め込まれた城下町の住人みたいな愕然とした表情で眺めている。
「どうしたの、桜木さん」
「お、おきゃ……お客さんが、いっぱい……!」
「……それは嬉しいことじゃないのか?」
まあでも、確かに桜木さんが圧倒される気持ちもわかる。総勢十数人のガタイの良い男集団が現れたらちょっとビビるもんな。サッカー部というのは往々にしてリア充の巣窟だから、俺も中学時代の古傷が疼いて少し引け目を感じてしまう。
手前のテーブル席に固まると他のお客さんに迷惑だと思ったのか、部員達は俺と桜木さんの横を通り過ぎて奥の座敷席へと向かっていった。同じ朱高の生徒であり先客であり傍目にはカップルに見えなくもない俺達は結構目を引いてしまい(その原因の大半は桜木さんの可愛らしさだっただろうが)、何人かの部員達と目が合いそうになり――ヤバイと思った俺は咄嗟に脱いでいた制服を頭から被って顔を隠した。
……荒上が、いたのだ。
全然リア充じゃないから忘れていたが、あれでもあいつはサッカー部だった。まずい、これはまずいぞ。あいつは渚紗が恋人であるという時点で相当俺の滅びを願っているのに、その上俺が桜木さんと二人でお好み焼き食べているなんて現場を目撃したら確実にブチキレる。俺の言い分なんて聞きはしないだろうし、テンパってる桜木さんが状況を説明してくれるとも思えない。
「ど、どうしたんですか? 上津く……」
心配そうに覗き込んできた桜木さんの口を手で無理矢理塞ぐ。俺の名前を呼ぶんじゃない! 荒上に気づかれたらどうするんだ!
「んん? どうしたの上津くん?」
と、様子がおかしい俺達に気づいたお姉さんが近づいてきた。心配してくれるのはありがたいのですが、できれば名前を呼ばないで……。
「いえ、あの……。実は、ちょっと体調が優れなくて……」
「大丈夫? ……まさかうちのお好み焼きが原因で――」
お姉さんの顔が青くなる。さすが飲食店の娘さん、そういうことには人一倍敏感なのか。食中毒なんて出したらたまったもんじゃないだろうし、その誤解はちゃんと解いておかないと。
「い、いえそれは違います。悪いのは頭……や、つまり頭が痛くて……」
「頭痛? そっか……頭痛薬ならあるけど持ってくる? それともウチで休んでく?」
お姉さんの親切に心が痛い。サッカー部員達に注目されているのが余計に痛い。これでは逆に目立ってしまっている。なんとかこの場を離れなくては……。
「だ、大丈夫です。あ、でもあんまり大丈夫でもないです。これは特殊な持病で、症状が出てから一定時間内に俺の部屋にある薬を飲まなければ死にます」
「死ぬの!? え、そんな重要な薬ならどうして常備してないの!?」
「あ……えっと、その薬メッチャくさいんです。
「そんな悪臭放つ薬置いといて君の部屋大丈夫……?」
「ヤバイですね。むしろあの臭いのせいで症状が悪化してるとしか思えません。でも不思議なことに薬飲むとピタリと発作が止まるんです。それどころか成績が上がって背も伸びて彼女までできるって効能に書いてありました」
「…………」
あ、マズイなこれ。さすがにふざけてると思われてる。くそ、背に腹は代えられないか。俺は小さく手招きして、お姉さんに耳を貸してもらう。
「実は、サッカー部にクラスメイトがいるんです。その……桃香さんとのこと、できればまだ隠しておきたいっていうか」
「ああ、なるほど。オッケー」
お姉さんは得心がいったようだ。ガバッと大げさな動作で顔を上げると、
「まずいわね、もう虫の息よ……亀虫の息よ! 桃香、急いで彼を自宅まで送り届けてあげて!」
「ええ!?」
意外なほどノリノリのお姉さん。当然戸惑う桜木さん。どうでもいいけどカメムシの息はやめてくれませんかね、俺がとんでもねー口臭放ってるみたいじゃないですか。
「さあ早く! 裏口から!」
俺は頭から制服を被せられ、桜木さんとともに裏口にねじ込まれた。
「あの、お金は……」
「いーから。とっとと行きなさい」
そう言ってウィンクとともに送り出してくれたお姉さんマジイケメン。結婚して下さい。
お姉さんのイケメンパワーに助けられ、俺と桜木さんは荒上に気づかれることなく店を出ることができた。頭から制服を被る俺の姿はまるで護送中の犯人のようだったのだろう。桜木さんが驚いたような呆れたような顔で「びっくりするほど似合ってますね……」と言ってくれた。
「でもごめんな桜木さん。俺に付き合わされたせいでお店追い出されちゃって」
「いえ、それは……上津くんが謝ることじゃ……」
言いながら桜木さんはまたしょんぼりと俯いてしまう。
「どうしたの、桜木さん」
「やっぱり私は、ダメな人間です」
「は?」
「内心、ほっとしてるんです。お店を手伝わずに済んで」
酷いですよね、と桜木さんは自嘲気味な笑みを浮かべた。
「人と話すのが嫌だからって、いっつもお姉ちゃんに任せて逃げてばっかりです。それじゃダメだってわかってるのに……私は……」
物憂げな視線が、夕日の作り出す長い影に落ちる。桜木さんは下を向いていることが多いから余計に小さく頼りなく見えるんだなと気づいた。せっかく小さくて可愛いんだからもっと上目遣いで見上げて欲しい。キスするときに一生懸命背伸びしてる姿とかちっちゃな女の子専用の必殺奥義だぜ?
「桜木さんは、どうして人と話すのが苦手なんだ?」
そう尋ねると、桜木さんは「自分が傷つくのが嫌だからだと思います」と呟いた。返答の速さから、それがただの思いつきではなく、桜木さんは俺が訊く前から既に自問自答して結論を出していたのだと推測できた。
「嫌われたり笑われたりするのが、怖いんです」
「馬鹿な。何を言ってるんだ桜木さん。君に話しかけられて嫌ったり笑ったりする生物がいるもんか。それはただ、照れたり微笑ましくなったりしているだけなんだって」
「そうでしょうか……?」
「そうに決まってる。少なくとも俺は絶対桜木さんを嫌いになんかならないぜ。仮に桜木さんが酒とギャンブルの話しかしなくなったとしても嫌ったりしない」
「そ、そんな話しません!」
桜木さんは首と手をぶんぶん振って否定したが、やがて少しだけ柔らかい表情になった。
「でも……ありがとうございます。そう言ってもらえると、ほっとします」
ほっとしたときの表情超可愛い。やべーなこれ。勢いでぽっとしたときの表情まで見たくなってきちゃったよ。
「上津くんは、怖くないんですか? 人に嫌われたり……引かれたりするの」
なんで「笑われる」じゃなくて「引かれる」にしたのか気になったが、理由は明白だったので聞かないことにした。
「実のところ、俺も昔は人と話すの苦手だったんだよ」
正確には逆である。周囲の人間が俺と話すことを苦手としていたので誰とも話せなかっただけだ。
「特に女子とはほとんど話せなかった」
「ええっ!?」
と桜木さんは叫び声を上げて後ずさった。驚きすぎだ。まあ気持ちはわかるけど。中学時代の同級生が今の俺を見たらその百倍くらい驚くだろうけれども。
「そ、それがどうして今の上津くんのように……?」
「……まあ、色々ありまして」
ここから先はちょーっと刺激が強すぎて桜木さんにはお話しできないかな。妹や渚紗のおかげで女子に罵られ慣れたなんて。
「なんかこう……悟ったというか。嫌われることを怖がってたら人付き合いなんてできねーなってさ。誰とも話さないでいれば確かに誰にも嫌われないかもしれないけど、誰とも仲良くもなれないじゃんか」
うん、よし。なんかちょっといいことを言ったっぽい感じになったぞ。本音は「嫌われてもいいから女の子とお話ししたいですハァハァ」なのに、ものは言いようだな。
「……そう、ですよね」
しかし、俺のそれっぽい答えを聞いた桜木さんは、またしてもしょんぼりと俯いてしまった。
「頭では、わかってるんです。こんな風に人と関わることから逃げてたって、なんにもいいことなんてないって。それなのにいざ話しかけようと思うと、心が……ブレーキを掛けてしまって……」
うーん、なるほど。理屈じゃない、感情の問題だとすると、外部からの働きかけで改善するのはかなり難しいだろう。本人が変わるしかない。桜木さん自身が勇気を出すしかないのだが。
「こんな私だから、藤峰さんに仲良くして欲しいって言う権利もないんじゃないかって思います。だけど……それでもせめて、感謝の気持ちは伝えたいんです」
「感謝って、何に?」
「……私に、話しかけてくれたことです。きっと藤峰さんは、私になかなか友達ができないことを知ってて、気を遣ってくれたんです」
確かにそれは、その通りだろう。渚紗は元々、桜木さんの孤立具合を心配して声を掛けたのだ。しかし、そうか、そのことが桜木さんを足踏みさせる遠因にもなっているのか。
桜木さんは、渚紗が話しかけてきてくれた理由を「友達のいない自分を気遣ってくれたから」だと思っている。つまり、渚紗が自分自身に惹かれたわけではないと自覚してしまっているのだ。だから自分に自信が持てず、渚紗に話しかける勇気が湧かないのではないか。
「……そんな風に考えない方が良いと思うぜ。渚紗は単に、君と友達になりたかったから話しかけただけだと思う」
一応フォローを入れてはみるが……薄っぺらい。何せ、俺自身この言葉が真実ではないとわかっているのだから。
桜木さんに話しかけたときの渚紗は表であり、「誰からも好かれるように計算して作られた性格」だ。普通の人間が「嫌われることを怖がってたら人付き合いなんてできない」と半ば開き直るようにして折り合いを付ける人間関係上の摩擦の問題を、あいつは「誰からも好かれる性格」を作り出すというとんでもない力技で解決している。嫌われないように繕った自分を全くボロを出さずに維持し続けているのだから、本当にとんでもないやつだ。
だけどあれは、本当の渚紗じゃない。渚紗はあの仮面を外すことはしない。
渚紗が求めているのは自分の友達ではなく、クラス全体の平穏なのだから。
「あ……いえ、違うんです。藤峰さんを責めているわけじゃないんです。むしろ、本当に凄いなって思ってるんです。だって藤峰さん……クラスのみんなのために、凄く一生懸命に頑張っているから」
どきりとした。なんだ? どういう意味だ今の発言は? まさか藤峰さん、既に渚紗の本性に気づいているのか?
「クラスのためって……一体、どういう?」
「クラス委員のお仕事……とか。上津くんもそうじゃないですか」
「あ、ああ……そっか。そりゃそうか」
ほっと安堵したのも束の間、
「でもそれだけじゃなくて、藤峰さんはいつもみんなのこと気に掛けてくれているのが、よくわかるんです。私みたいに一人でいる人のこと絶対見逃さないし、藤峰さんがいるといつもみんなの空気を優しくしてくれます」
「へ、へぇ」
うっとり顔で語る桜木さんもとても可愛らしかったが、俺は内心冷や汗タラタラだった。
……意外に鋭いぞこの子。さすが渚紗をストーキングしていただけのことはあるというか、渚紗のやってること結構見抜かれてんじゃねえか。このまま放置しておいたら本当に渚紗の裏の顔がバレていたかもしれない。
いや……放置しておいたらってか、放置しないにしてもどう対処すりゃいいんだこれ? このことを渚紗に伝えて、渚紗が桜木さんと仲良くなったとしよう。下手すりゃ桜木さんはストーキング時代より渚紗に
どうしようか、と焦る俺を差し置いて、桜木さんは切なげな顔で語り続けている。
「……でもたまに、ほんのたまにだけど、ふと寂しそうな顔をするときがあるんです。藤峰さんのそんな顔を見ると……私、たまらない気持ちになるんです。何かしてあげられないかって」
「桜木さん……」
裏の顔を明かされている俺ですら、渚紗がそんな表情をしていることなんて知らなかった。桜木さんはそこに気づくほど渚紗のことをよく見ていたということか。
これはいよいよマズイ、隠し通せない――という焦りと同時に、俺の中で、逆の想いが鎌首をもたげ始めていた。
「……でも、やっぱり私なんかにできることなんて何も……」
「桜木さん」
「は、はい?」
「君が渚紗を想う気持ちに嘘はないか?」
「え……?」
「どうなんだ?」
突然詰め寄った俺に桜木さんは戸惑ったが、表情から真剣さが伝わったのだろう、きゅっと眉を引き締めた。それがあんまり可愛くて思わずこっちの顔が緩みそうになったけど空気を壊さないようになんとか堪えた。俺だって締めるときは締めるのだ。
「嘘なんか……ありません」
「本当にか? 何があっても渚紗のことを信じられるのか?」
「し、信じられます! 藤峰さんはとっても良い人です!」
「例えば、君が知っている渚紗の顔が、彼女のほんの一面にすぎないとしても? 渚紗だって聖人君子じゃないんだ、普段の完璧な姿が渚紗の全てだとは思わない方がいいぜ」
「そんなの……わかってます。だからこそ私は、本当の藤峰さんのことを知りたいんです。藤峰さんが、私の前では無理をしなくて済むような、そんな関係になりたいんです!」
「それを聞きたかった」
俺はニヤリと笑ってそう返した。……うん、ブラックジャック先生の真似だったんだけど絶対通じてないな。通じるわけなかったか。ぽかんと不思議そうな顔をする桜木さんを見ていたら凄い恥ずかしくなってきた。
「……えー、桜木さん。とりあえず今日はここで帰らせてもらう」
「は、はぁ」
「明日だ。明日の朝、始業前に学校に来てくれ。渚紗も一緒に呼ぶから、そこで君の気持ちを渚紗に伝えるんだ」
「……え、ええっ!?」
驚きのあまりか、桜木さんの小さな体がびくーん! と跳ね上がった。
「ちょ、ちょっと待って下さい、いきなりそんな……!」
「大丈夫、渚紗は君の気持ちを無下になんてしない。恋人の俺が保証する。むしろ嫉妬する」
「し、嫉妬はしないで下さい……!」
「時間は明日の朝七時……いや、六時三十分にしておくか。六時三十分から、1-Bの掃除用具ロッカーの中に隠れていてくれ。物音を立てるなよ。俺がいいと言うまで出て来るなよ」
「ロッカーの中に!? な……なんでそんなところに隠れる必要が!?」
「……君の知らない、渚紗の本当の姿を見せてやろうということさ」
俺は不敵に微笑みながら、桜木さんの怯えた表情をしばし堪能した。
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