第1話 3.
俺と渚紗の偽恋人関係が開始されてから三日。
渚紗の本性を知って以降、俺は彼女を見る目が変わった。あれだけのことがあって変わらない奴がいたらそいつは目の神経が死んでいる。
具体的にどう変わったかというと、普段の彼女の挙動をよく観察するようになった。
「渚紗ちゃん。一緒にお弁当食べよ」
「うん。食べよ食べよー」
「おやぁ~? ホントにいいの渚紗ぁ、彼氏と一緒に食べなくて?」
「いーの。私カナのお弁当もらう約束してるから」
「いやしてないし! 何勝手なこと……あーこら! 人のおかず取るなーっ!」
「このハンバーグおいしいねぇ」
「なんで容赦なくメインディッシュ持ってくの!? 代わりにあんたのから揚げもらうからね!」
あの楽しそうな様子が演技だというのだから、本当に信じられない。怖いわー女子ってマジで怖いわー。
「……うぉい」
ガッ! と頭を掴まれて顔の向きを戻された。視界いっぱいに広がる怒りに満ちた強面。
「……何すんだ荒上」
「何を食事中まで藤峰さんに見とれている? お前を看取ってやろうか?」
「いや意味がわからん」
「お前はもういいだろうが! 十分だろうが! プライベートで藤峰さんのあんなところやそんなところまで見放題なんだからよぉ!」
確かにあんなところ(本性)やそんなところ(野望)だったら俺一人であますところなく堪能させてもらってますが。でもあれが嬉しいのは相当の上級者だけだと思います。
「分けてくれよ……昼休みの無邪気なあの笑顔くらい、おこぼれに預からせてくれよ……。俺達はそれで癒やされるから……我慢するからよぉ……」
なんで泣いてるんだこいつは。酔っ払ってんのか。
「……なあ、荒上。渚紗は、楽しそうにしてるよな」
「あぁ? 何わけわかんねえことを……お前まさか、女子に嫉妬してんのか?」
「そうじゃなくて……まあいいや」
購買のパンを食べながら、また渚紗の様子を見る。ふと渚紗は一緒に食事をしていた友人達に耳打ちをして、席を立った。
な……なんだ!? 盗み見ていたのがばれたのか!? 俺を消しにくるのか!?
と俺は戦々恐々としたが、渚紗は弁当を持って俺の席とは反対方向に移動していき、そして教室の隅で一人で昼食を食べていた大人しい女子に笑顔で話しかけた。
「ね、
「へっ? あ、えっと……は、はい」
「ありがと。机借りるね」
渚紗は驚いた様子の桜木さんに構わず彼女の真正面に座った。
「桜木さんのお弁当箱ちっちゃいね~。それだけで足りる? ハンバーグあげようか?」
「え、そ、そんな……いい、です」
「遠慮しなくてもいいよ? どうせ私のじゃないし」
「え、ええ? じゃあこれは一体誰の……」
「あ・た・し・の!」
渚紗の背後から現れた高山さんが、渚紗の弁当箱を奪い取った。
「あー、何するのカナ!」
「それはこっちの台詞だ! 盗んだおかずを人にあげるな! 大体これあんたの食べかけじゃん!」
「じゃあ食べかけじゃないおかずを桜木さんにあげれば良いじゃない!」
「そう思うなら自分の弁当からあげろ。っていうかそもそも桜木さん欲しがってるの?」
「い、いえ……別に……」
「ほら見ろぉー!」
いつの間にか桜木さんも仲間に加わって、渚紗達は楽しそうに笑い合っていた。
果たしてあれは本当に、百パーセント、演技だと言えるのだろうか。人は演技であんな表情ができるのだろうかと、俺は少し疑問に思った。
「渚紗。今日は一緒に帰らないか?」
やった。やってやった。
いつものようにクラス委員の仕事終わり。部活の終わった友達がやってきたタイミングにあわせて、俺は渚紗にそう言った。
一瞬、微かに引きつる渚紗の表情。だが友達がいるので本性を現すわけにもいかず。
「今日? んーどうしよっかな……カナ達と帰る予定だったんだけど」
渚紗が教室の入り口で待つ三人の女子に振り返ると、女子達はニヤニヤしながら俺と渚紗を見比べていた。
「いーじゃんいーじゃん、せっかく彼からのお誘いなんだから、そっちいきなよ」
「あたし達お邪魔虫みたいだし、先に帰るね。じゃあね渚紗ちゃん、上津くん」
「あ、勿論何があったか報告義務があるからね。明日楽しみにしてるよ」
そして三人はそそくさと去っていった。ああ……いいねこの感じ。まるで俺と渚紗が付き合いたての初々しいカップルみたいじゃないか。こういうイベントが見たかったんだよ。
……でも恋人(仮)が「ドドドドドゴゴゴゴゴ」ってスタンドでも出しそうな効果音を纏ってる光景は見たくなかったな。
「……どういうつもり? 私の指示以外余計な行動は慎むようにと命じたはずだけど。そんなにお仕置きして欲しいの? やっぱりドMなのかしら?」
「ごめんなさいすみません申し訳ありませんでした」
ぴったり四十五度のお辞儀。あの妹にしごかれた俺にとって挨拶と謝罪はほぼ同義、今ではもう息をするように謝ることができる。迅速に繰り出された熟練の技にはさすがの渚紗も少し怯んだようだ。呆れたのかもしれないが。
「あなたは何がしたいのよ」
「二人きりで話がしたい。……喫茶店にでも寄らないか」
意外なことに、渚紗はあっさり俺の提案を受け入れてくれた。ただし店は渚紗の指定。「聞かれたくないことを話すには丁度良い店があるのよ」とか物騒なことを言うもんだからびくびくしてたけど、入ってみたら案外普通の喫茶店だった。……渚紗が店員に目配せするとささっと隅の席に案内された辺り、若干不穏な気配が漂っていたが。
「それで話って何? 私にここまでさせたからには、下らない話だったら許さないわよ」
「ここまでってどこまでだよ……」
「この喫茶店のマスター、堅気に戻る前は結構やんちゃだったみたい。人に知られたくない過去もたくさんあるようね」
「!?」
「冗談よ」
……まあ、そうだろうとは思ったけど。でも渚紗なら何をしでかしても有り得ないとは言い切れない。
「話ってのは、渚紗の目的についてだよ」
「ちょっと。二人きりなんだから渚紗って呼ばないでくれる?」
「…………」
何その悲しすぎる命令。普通逆じゃない? 「二人きりのときは名前で呼んで❤」みたいなシチュエーションにちょっと憧れてたりしたんだけどなぁ。
「……話ってのは、藤峰さんの目的についてだよ」
「勘違いしないで、別にファーストネームで呼ばれるのが嫌なわけじゃないわ。『様』がついていないのが気に食わないのよ」
「…………話というのは、渚紗様の目的についてでございます」
「気持ち悪いからその媚びるような態度をやめて」
「もーどうしろって言うんだよぉ! 話を進めさせてくれ!」
「冗談よ」
渚紗は楽しそうに笑った。俺をいじめるのが楽しくて仕方がないようだ。
そういえばSの人とMの人って一見凄く相性が良いように見えるけれど、Sの人は他人が嫌がることをするのが好きだからいじめても喜んじゃうMの人とは実は相性が悪いらしいよ。俺がMじゃなくて良かったね。
「この前は聞きそびれちまったけど、渚紗はどうしてクラスメイトの弱みを握ろうとしてるんだ? その理由を教えて欲しい」
直球にそう切り出すと、渚紗は少しムッとした。
「私が集めてるのは包括的な情報よ。弱みってところだけクローズアップしないでよ」
あれ? そこに怒ってたのか。ちょっと意外。
「ああ、悪い。とにかくそれを集めている理由が知りたいんだ」
「そんなこと、なぜ知りたいの? ……どうせろくでもない理由だろう、と勝手に思っていてくれればそれでいいのだけれど」
最初はそう思っていた。しかし、改めて渚紗の普段の様子を観察して、違和感を覚えたのだ。
「渚紗はみんなの人気者だ。勉強やスポーツも得意だし、友達も多くて人間関係に困っているようにも思えない。誤解を受ける言い方かもしれないけど、理想的な学校生活を送ってるように見える。普通の人にとっちゃそこがゴールなんだぜ。俺だってそんな風になりたくて高校デビューを目指したんだから。……でも渚紗は、そんな自分すら『手段』の一つにしてるんだ。傍から見りゃ完璧な女の子が、それ以上に何を望んでるのか気になるのは当然じゃないか?」
自らの能力だけで完璧な女子高生たり得る彼女が、これ以上の何を求めて、こんな脅迫紛いのことをしてまでクラスメイトの情報を集める必要があるのか。
それが俺の抱いた疑問だった。対する渚紗の返答は。
「確かに。私は私自身を魅力的に見せることには成功していると思うわ。そのための努力は怠っていないもの。……でも、私がいくら努力したところで、変えられるのは私自身だけなのよ。他人を変えることなんてできない」
それは、渚紗が裏の顔を見せてから初めて零した弱気な言葉だった。
「中学生の頃ね。同じクラスにみんなから嫌われている子がいて、女子は集まってその子の陰口を叩いていたの。私はその子と仲が良かったから、ある日我慢できなくなって、その子を庇うようなことを言ったのよ。……その後どうなったか、わかるでしょ?」
「…………」
俺は黙って頷いた。
この前、渚紗が俺を脅して言ったことは――あれは、渚紗自身の体験談だったのか。
嫌われる者を庇う者も、同じように嫌われる。
「自分が変わるだけじゃどうしようもないことがある、って気付いたわ。他人の行動を変えさせる力を持っていなければ、集団内の全員を幸せにすることはできない」
「その力が……情報ってことか?」
「ええ。情報をうまく使えば、人間の行動をコントロールすることも可能になる。それは『弱みを握って脅迫』というパターンだけには限らないわ」
「まあ確かに……」
例えばAさんがBさんに好意を抱いているという情報があれば、『Bさんのため』という動機を設定してAさんを動かすことが簡単になるだろう。それにしたって大分えげつねーけど。
「でもそれって、お前が情報の糸でクラスメイトを操って裏から支配するってことじゃねえか」
「『お前』?」
瞬間的に空間が凍結されるほどの冷気が渚紗から迸る。
「あ……い、いえ! 渚紗様が!」
「よろしい」
怖っ……。なんなのこの子。中学時代の俺なら間違いなく能力者認定して二つ名付けてたね。氷の
「そうよ。私が支配すればみんな幸せになるわ」
「完全に独裁者じゃねーか……」
渚紗はふっと自信たっぷりな笑みを浮かべた。
「有能で善意の独裁者が民主制に劣る点はただ一つ、一個体の寿命という時間的な限界があることのみよ。でも高校生活はたかが三年間。私は生きるわ」
「まあ、生きるでしょうね……」
「あなたも生き残れると良いわね」
「俺に何する気!? 何させる気!?」
先刻までのしおらしさはどこへやら。しかし、裏の顔のときはやはりこれくらい傲慢な方が渚紗らしい。
「とにかく、私の今の目的は端的に言えば『理想の教室』を作ること。みんなが仲良く楽しく過ごせるクラスを作りたいのよ。どう、小学生の学級目標にもできそうなくらい健全な目的でしょ?」
「目的は健全でも手段が極悪だがな……」
「目的が崇高ならどんな手段も肯定されるわ」
「ヤバイってその台詞。お手本みたいなテロリストの思想だって」
しかし、微妙に悪ぶって見せているけど、こいつが他人のため……それも弱い立場の者のために動こうとしているのは、どうやら本当らしい。
だって、さっきの話。嫌われている子がいたとしても、その子を切り捨てれば渚紗は変わらず人気者でいられたはずなんだ。でも渚紗にはそれができなかった。そして今度こそそういう子を出さないために、助けるために行動しようとしている。
……アレ? そう考えるとむしろ良い子じゃね? この子。
「どう、怜助くん。納得した?」
「……ああ。そういう目的なら、俺も協力してもいい」
そう言うと、渚紗の顔がぱっと明るくなった。意外にわかりやすいんだなこいつ。表と裏の顔を使い分けるなんて器用なことしてるくせに。
「あら殊勝ね。そう、そういうことなら精々こき使ってあげる。光栄に思いなさい」
「あのな……いやその前に。大体納得したけど、逆に一つわからなくなったこともあるんだ。それについて聞きたい」
「逆にって、何?」
「俺を脅した意味だ。みんなが仲良く楽しいクラスを作ることって、それそのまんま元々のクラス委員の役割じゃねえか。『情報を集めて欲しい』ってのだってさ、あんな脅迫めいた言い方じゃなくて、『クラス委員としてみんなのこと良く知っておいた方が良いよね』みたいな聞こえの良い言い方で頼まれてたら、俺は脅されるまでもなく了承してたぜ。つまり――わざわざ渚紗が裏の顔を明かして脅さなくたって、あのまま普通にクラス委員やってたら、それで良かったんじゃねえかって思ったんだけど」
『理想の教室』を作るという目的を最初に聞いていたら、俺は喜んで協力していた。渚紗だってそれはわかってたはずだ。
だったらわざわざ脅迫した意味がない。あの脅迫は、一見渚紗が完全に優位に立っていたようだけど、よく考えると渚紗も「自分には裏の顔がある」っていう弱みを俺に見せてしまったことになるわけで、つまり渚紗の方も一定のリスクを背負わざるを得ない行動だったのだ。
その危険を冒してまで、大したメリットのない脅迫に及んだ意味がわからない。
「それは、だって」
と、渚紗は目を逸らして俯いてしまう。
「あなたは……私と……」
その先は消え入るように小さな声で、聞き取ることができなかった。
おお? なんだこの反応。よくわからんが、なんか裏の渚紗に対して初めて優位に立ったっぽいぞ。
「え? なに? よく聞こえなかったんだけど。あなたは? なんだって? 私と?」
「っ……!」
なぜか顔を赤くした渚紗に何かを投げつけられた。ばすんと俺の顔に当たってテーブルに落ちたそれは、プリントの束だった。
「痛い! すみませんでした! 調子に乗ってました!」
「ダメ、許さない。罰として手伝いなさい」
それ、と渚紗はたった今投げつけられたプリントの束を指して言う。
「これは……」
「この前のクラスアンケートの結果。私の目的のために作った特別版だけどね」
プリントを手に取って見て、俺は驚いた。
この間の居残りで作った、後にクラスで配布するための集計結果は、項目ごとにそれぞれ得票数が多かった人を一位から三位までランキング形式に載せていた――「ドMそうな人 一位 上津くん 二位 荒上くん 三位 栗井くん」というように。ところが、今渚紗から渡されたプリントには、「個人ごとの全項目全得票数」が細かく記載されていたのだ。
「こ……これ、こんなのわざわざ纏めたのか? 一人で?」
「わざわざというほどの手間ではないわよ。集計自体はもうしてあったのだから」
それにしたって、クラスメイト全員四十人がどの項目で何票獲得したかを一人一人纏めるのは相当面倒だったはずだ。
「でも、なんだってこんなことを?」
「クラスメイトの情報を知るために決まっているでしょう。そもそもアンケートだってこのために作ったのよ」
「情報って……」
こんな当たり障りのないことしか聞いていないアンケートで、何がわかるのだろうか? 大体みんなだってそんなに真剣に答えてないだろうし。
胡散臭そうな俺の表情を見て、「あなた何も考えてないのね」と渚紗が罵ってくれた。
「重要なのは得票数よ。特に、ネタ系の項目における得票数」
「ネタ系? 『ドS』とか『ドM』みたいなやつか? いやいやなんでだよ。そんなのから深層心理を読むとか、渚紗って心理学者?」
「……じゃあ怜助くん、あなた『ドS』と『ドM』を誰に入れたの」
「俺? どっちも荒上だけど」
「それは本気で荒上くんがドSかつドMだと思ったから?」
流石の荒上もそこまでの変態ではない。
「いや。完全にネタで」
どっちも荒上が一位になって、「ドSかつドMとかお前上級者すぎるだろ!」みたいにいじれたら後で楽しそうだなーと思って入れたのだ。
「そうでしょう。つまりね。こういうネタ系項目って基本的に、仲の良い人じゃなきゃ投票できないのよ。匿名だとしても……いえ、匿名だからこそ、変に気を遣わず素直に心に浮かんだ親しい人の名前を書く」
そこで俺はようやく、渚紗の言いたいこと、そしてこのアンケートの意図が読めてきた。
「そうか。ネタ以外の……『優しい人』とか、そういうマジで当たり障りないやつには、それほど親しくない人の名前も書きやすい」
「ええ。そうやって分析していくと、個人ごとのクラス内での大まかな立ち位置がわかるでしょう。ネタ系の得票数が多いのは、友達も多いクラスの中心人物。それ以外の得票数が多いのは、控えめで大人しいけれど好かれる人には好かれている、少数コミュニティに属する人。全体的に得票数が少ないのは、孤立しがちな人ね。こういう分類は大体雰囲気でわかるものだけど、私の主観だけでは間違っている可能性があるから、クラスメイト全員からの個人への印象を知るために調査させてもらったわ」
「……ひょっとして、渚紗がお茶目にネタ系の項目を増やしてたのも、計算ずく?」
「当然でしょう」
……こ、こいつすげえ。完全にプロだよ。プロのクラス委員だよ。
「それで、怜助くんに手伝って欲しいのはここから。その表を見れば、クラス全員からの関心が薄い生徒は一目瞭然でしょう」
「ああ。良くわかるよ」
項目は全部で二十ある。四十人のクラスメイトが各項目にそれぞれ一票ずつを持っているのだから、今回のアンケートで動いた票は全部で二十×四十=八百票ということになる。平均すれば一人につき二十票が当たる計算だが、実際には全項目累計しても三、四票しかもらえていない生徒もいた。
「そういう生徒があまり孤立しないよう、気を配ってあげて。怜助くんならできるわ。簡単でしょう、中学時代にあなたが周りの人間からして欲しかったことをしてあげればいいのだから」
「……微妙に馬鹿にされてるような気がするんだが……」
「被害妄想よ。女子は私が担当するから、怜助くんは男子をお願い。……下手に私が手を差し伸べて、必要以上の好意をもたれてしまったら困るから」
自嘲気味な笑みを浮かべる渚紗。言っている内容は相変わらず傲慢に聞こえるが、しかし俺はもうそれを腹立たしくは思わなかった。渚紗には自慢する気などないことが、もうわかったからだ。
「ああ、わかった」
「よろしく。学期始めに記入してもらったプロフィールを参考に話題を探すといいわ」
「なるほど」
「アンケートや観察の結果から定期的に生徒のプロフィールを更新して、問題があったら個別の解決策を考えて実行。同時に豊富な行事を利用して生徒間の連携を調整し、クラス全体としての団結力を高めていく……というのが、一応今のところ私が考えた基本方針ね。何か質問とか意見があったら言ってちょうだい」
こいつは本当にクラスのみんなを思いやっている。『みんな仲良く楽しい学校生活を送る』という、小学生でも「それができれば苦労はしねえよ」とツッコミたくなるような夢の学級目標を、理想の教室を、渚紗は本気で、それも完璧に達成しようとしているのだ。
渚紗にとっての「みんな」は、「できるだけ多く」ではなく「全員」だ。普通は切り捨てられるような弱者・少数者を切り捨てることを、渚紗は許さない。弱み集めもアンケートも、そういう人達を守るための渚紗なりに精一杯考えた手段であり――努力の結晶だ。
もしも。
もしも俺が、中学時代に渚紗と出会っていたら。
渚紗は俺のことも、救おうとしてくれたんだろう。俺が「中学は捨てる」なんて男らしく情けない決断に踏み切らざるを得なくなる前に。
……いや。ダメだな、そんな考え方は。
むしろ、この高校で、今の俺が今の渚紗と出会えたことに感謝すべきだ。
渚紗と一緒なら、俺の中学時代の痛みは無駄じゃなくなる。黒歴史を抱える俺だからこそ、彼女の力になれることがあるはずなのだ。
「何をぼーっとしているの、怜助くん。今更面倒になったなんて言ったら許さな――」
「お前……本当は、すげー良いやつじゃねーか」
渚紗の目をまじまじと見つめてそんなことを考えていたら、沸き上がる想いが抑えきれずについ口が勝手に動いていた。
しまった、またやっちまった。
テンションが上がると一時的に羞恥心が麻痺して感情のままに言動や行動を取ってしまう、この悪癖。これはもう厨二病なんて表層的なモンじゃなく、俺の心の根底に巣喰う不治の病だ。これだけは妹との特訓でも完全に治すことはできなかった。
「あっ、い、いやごめんなさい!」
慌てて口を閉じ、目を瞑り、耳を塞ぎ、アルマジロのようになって渚紗からの反撃――「あなたはいつから私をお前呼ばわりできるほど偉くなったのかしら? そういう生意気なことは三回くらい輪廻転生して精々徳を積んでからにしてもらえる?」みたいのが来ると予想――に備えていると、……しかしいつまで経っても雷が落ちてこない。
おそるおそる目を開けると。
渚紗は顔を赤くして、口を開いたまま目を泳がせていた。
「……あ、あの? 渚紗? 様?」
はっ、と渚紗は我に返ったように俺の顔に焦点を合わせた。しかし頬の赤みは抜けないまま。
「……そ、そうよ。ようやくわかったの? 私は凄く良い子なの。だから言うことを聞きなさい」
返しに今までのようなキレが全くない。……だがそれが良い。
「ちょっと。何をニヤニヤしているの気持ち悪い」
「いやいや、別に」
なんだ。見た目だけじゃなくて、やっぱり内面も可愛いじゃないか。表も裏も。
本物のいちごでなくとも、いちご味のかき氷は、それはそれでおいしいようだ。
「……怜助くんの中学時代のあだ名は『エアピクミン』。理由はギター弾けないのにいつもピックだけ持ち歩いて弾けるふりを……」
「うわああああああやめてえええええ! 抉らないで! 掘り返さないでぇええ!」
……まあ、頭痛を引き起こすのが玉に疵だけど。
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