第1話 2.

 つまりはこういうことである。

「自分の身を犠牲にしてまで友達を守ろうとするなんて……。そんな素敵なことがことできる人がいるなんて思わなかった。ごめんなさい上津くん、私が間違っていたわ。許してちょうだい。そして私は友達想いなあなたのことを好きになってしまったみたい。もうみんなの弱みを集めるなんて酷いことはしないから、どうか私をあなたの恋人にして!」

 と。俺の男気が、正義の叫びが彼女の凍て付いた心を融かし、本来の心優しい美少女に戻った藤峰さんと俺は晴れて結ばれることになったのでした。めでたしめでたし。

 ハイごめんなさい嘘でーす。そんな都合良くいきませーん。心優しい美少女なんて次元を隔てた世界にしか存在しませーん。

「ほら、私って凄くモテるでしょう?」

 藤峰さんは周知の事実のようにそう切り出した。いやそりゃモテるでしょうね。みんなあなたの本当の顔を知らないんだから。

「それがちょっと厄介なの。私が普段みんなの前でああいうキャラなのは、誰からも親しみを覚えられるようにしておくと情報収集に何かと便利だからなのだけれど、私の容姿でそれをやるとどうしても男子には親しみ以上の感情を向けられてしまうのよね」

 要するに「困るわー、モテちゃって困るわー」という自慢か。そうでないならどこがどう困るのかをきちんと説明してもらおうか――とケチをつける前に、藤峰さんは自分から説明を始めた。

「私がいるとクラス内に不和を生むのよ。ほとんどの男子が私のことを好きになってしまって、バランスが崩れる。男子同士で『好きな子が被った』というのはあまり波紋を呼ばないからまだマシだけれど、女子の方は……面倒なの。なんとなくわかるでしょう?」

「……まあ、なんとなくは」

 男子でも一人だけモッテモテの奴がいたら正直妬ましい。藤峰さんが言いたいのは、女子の場合は更に、ってことなんだろう。

「私も今はまだ嫌われるわけにはいかないし、不和の芽は早い内に潰しておきたい。そのために、私にはもう彼氏がいるという設定にする」

 なるほど。それで俺を恋人に。

「ちょ、ちょっと待て。そんな理由で恋人なんか作って、藤峰さんはそれでいいのか?」

「……何かおめでたい勘違いをしているのかしら」

 藤峰さんは見下すような笑みを浮かべて俺を見た。

「言っておくけれど、あなたと本物の恋人同士になるつもりなんてないから。あくまで設定よ。ふりだけで良いの」

「そうだとしてもだ。その設定がある間は、君は本当の恋はできないんだぜ? それでいいのかよ、本当に」

「別に。恋愛に興味ないから、私」

 おう。おうおうおう。そこまできっぱり言うかね。

 そのときの藤峰さんは強がっている風でもなく、本心からの言葉のようだった。勿体ないなこんなに可愛いのに。まあ本性は小悪魔どころか第六天魔王だが。

「どう、上津くん。こっちのお願いは聞いてくれる? 聞いてくれないなら黒歴史を全世界にネット配信するけど」

「最早オブラートに包むこともしなくなったな……」

「オブラートが勿体ないもの」

 そこまでケチらなくてもいいのに。もういっそのこと藤峰さん全身オブラートにくるまってくれないかな? そうすればとっても良い子だよ?

「いや、でもさ、仮に俺が受けたとしても、それで解決になるか? まだ新学期始まって一ヶ月も経ってないのに恋人って早すぎないか? なんかかえって波紋を呼びそうな気がするんだけど」

「いいの。むしろ今がベスト。クラス内の人間関係が固定化しきっていないから抜け駆けしたことにはならないし、私達は同じクラス委員で接触する機会が多かったこともみんなが知っている。短期間で恋が生まれたとしてもそこまで不自然には思われないわ。多少動揺を与えるのは仕方ないけど、私がいつまでもフリーでいるよりは最終的な被害はずっと小さいはずよ」

「……そ、そうか」

 なんだろう。高校生活って戦略シミュレーションゲームだったのかな? 『渚紗の野望』みたいな。

「それで上津くん、どうなの? こっちは受けてくれる?」

「…………」

 脅迫されていることに変わりはない。だが、友達の弱みを集めることに比べたらこっちはそんなに抵抗がないというか……むしろ若干のご褒美ですらあるような……。

「……仕方がない。受けてやる。仕方なくだからな!」

 背に腹は代えられない。偽りの恋人という屈辱的な役であっても、少なくともこれを受ければ即ゲームオーバーという最悪の展開は避けられる。黒歴史を隠し通すためならばやむを得ないのだ。

「ありがとう。助かるわ」

 藤峰さんが笑った。表の顔でも裏の顔でも、感謝を伝えるときの笑顔は同じだった。怖いのに、本性はとんでもない腹黒女だってわかってるのに、超可愛い。こんなの卑怯だ。 

 そうして翌日から、俺と藤峰さん――いや渚紗の、偽の恋人生活が始まった。

 クラスのみんなを牽制することが目的なので、恋人設定が伝わらなければ意味がない。かといって「俺達付き合い始めましたー!」みたいに宣言するのも反感を買うだけなので、「あれ? あいつら付き合ってんじゃね?」と思われる程度にさりげなく俺達の関係が変わったことを伝える必要があった。

 そのために渚紗が考えた方法が、互いの呼び名の変更である。俺は「藤峰さん→渚紗」に、渚紗は「上津くん→怜助くん」というようにお互い呼び方をファーストネームに変えたのだ。これだけでぐっと距離感が縮んだことを周囲にアピールできる。本当は渚紗ちゃんって呼びたかったけど、「それなら私はあなたのことを『サラマンダー怜助(中学時代の俺の二つ名。勿論自称)』って呼ぶわ」って言われて諦めました。

「おい上津、お前なに藤峰さんのこと名前で呼び捨てにしてんの? 頭からシュレッダーにダンクシュートされたいの?」

「そうそう。それに藤峰さんの方もお前のこと下の名前で呼んでんじゃん。どういうことだ説明しろ。頭に硫酸降り掛けて頭皮マッサージすんぞコラ」

「お前らは俺の髪に何の恨みがあるんだ……」

 案の定、昼休みにはクラスの男子達から鬼のような追及を受けた。俺は照れくさそうに苦笑してみせる。

「いや、まあその……なんていうかさ。ちょっと色々あって……」

「……付き合い始めたのか」

「…………」

「……式はいつだ、上津」

 仲の良い男子の一人、荒上あらがみが俺の肩を叩いて優しく言った。

「いやいや気ィ早すぎんだろ! ホントについ昨日そういうことになったばっかで、け、結婚とかまだちょっと……」

「は? 何をおめでたい勘違いしてやがる?」

 直後、荒上は俺の首を握り潰さんばかりの力で締め上げた。


「てめえの葬式はいつだって聞いてんだよ」


 ……あ、あれぇー!? 何その殺気!? そんな全身から絞り出すような怨嗟の声初めて聞いたよ!? なんか無駄に台詞の両隣一行あいてるよ!?

「ちょ、落ち着け荒上! 本当に死んじまうだろうが!」

 他の男子が止めに入る。やれやれ助かった、やっぱりこういうとき助けてくれるのが本当の友達――

「トドメ刺すのはまだ速えよ……なぁ!?」

「そうそう……ククク、もっと存分に痛めつけてやらねえとよ」

「ああ……痛覚を持って生まれたことを後悔するくらいになぁあぁ」

「ヒィーーーーッ!?」

 あれれぇー!? ちょっと皆さん酷くない? 普段そんな世紀末みたいにガラ悪かったっけ? 俺昨日みんなとの友情を守るために結構頑張ったんだけど!

「あーあ、こんなことなら俺もクラス委員やっときゃ良かったなぁー!」

 ひとしきり俺をいたぶった後、荒上が盛大に溜息をつきながらそう言った。……なんだかんだ、多少恨まれることはあっても最終的にギャグ程度に落ち着くのが男子というものだ。まあそれは言い換えれば、男は基本「可愛ければ誰でも良い」という欲望丸出しペラッペラな考え方なのであまり一人の女の子にこだわらないということでもあるのだが。

「まだ一年の四月だってのによー……。ぶっちぎりドラフト一位の藤峰さんがもう契約済みとか……。テンション下がるわー……」

 ほらもうドラフトとか言っちゃってるし。

「うらやましーぜこの野郎」

「……は、ははは」

 荒上ほど本音を前面に出す奴も珍しいが、多くの男子が俺のことを羨んでいるのは間違いないだろう。俺だって逆の立場なら羨ましいもん。

 ただ――それはあくまで、俺と渚紗が「本当の恋人であるなら」の話だ。

 昨日一晩よくよく考えて、そして今日実際に少し渚紗と話をして気がついた。

 偽の彼氏ってこのポジション、最悪だ。全然おいしくない。

 まず渚紗が俺を異性として見ていないし、本物の恋人っぽい行為は一切許されない。

 渚紗の目的としては、恋人がいるという設定さえ周囲の人間に知ってもらえればそれで良いのだ。人前でイチャイチャすることは怒りや嫉妬を買う愚行でしかない。その分世の中の彼氏彼女は人前じゃないところでブチ殺したくなるくらいイチャついているのだろうが、俺達の場合人前じゃないところでは恋人ではないので当然そんなご褒美はなし。

 その上、これは昨日同じことを渚紗に指摘した時点で気付くべきだったが、「渚紗という彼女がいる」という設定があるため俺自身他の女の子との恋愛関係が一切望めない。生殺しにもほどがある。俺の青春から「恋愛」という分野がばっさりカットされてしまったようなものだ。俺の高校生活最大の夢である彼女作りは、この役目を背負わされている限り永遠に達成できはしない。

 だから、本当は男子に羨まれる筋合いなんて全くないのである。むしろ渚紗という核地雷を俺が引き受けてやっていることで感謝すらされるべき。だが、弱みを握られている以上真実を明かすわけにもいかず。

 俺は小さな溜息を、力のない笑い声に紛れ込ませた。

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