藤峰渚紗の理想の教室
もっつぁれら
第1話 藤峰渚紗の独裁計画
第1話 1.
西日差し込む放課後の教室。残っている生徒は二人だけ。
1-B男子クラス委員、
1-B女子クラス委員、
「なんだかんだで四月もあと一週間か……。あっという間だったなー」
クラスアンケートの集計作業を続けながら言うと、藤峰さんはにこりと微笑んで頷いた。艶のある黒髪が一房、首の動きに合わせて滑らかに揺れる。
「そうだね。何気に忙しいよね、この学校のクラス委員て」
「一応進学校のくせに、やたら行事が多いんだもんなぁ。ま、楽しくていいけどさ」
「うん、そこが魅力だと思う。あ、上津くん、こっち終わったから半分貸して」
「お、サンキュー」
俺はプリントの束を藤峰さんに手渡した。たわいもないおしゃべりと共に作業は続く。
高校一年、春。女子と二人きりの放課後の教室。穏やかに流れる時間。
大成功だ。俺は心の中で祝杯をあげる。
俺は成功したんだ。――高校デビューに。
辛く苦しく痛く切ない暗黒の中学時代を乗り越え、俺は生まれ変わった。
ここに至るまでの道のりは決して楽なものではなかった。中学三年に進級した俺は、泥沼どころかゲロ沼のように腐りきった人間関係を全てリセットするため、実家から遠く離れた進学校への受験を決意し猛勉強を開始。それと平行して、働きバチに劣るレベルだった社会適合性を強化するため、リア充の妹に本気で頭を下げコミュニケーション能力の特訓をしてもらった。
その血と汗と涙と鼻血と血尿の結晶が、今この状況、この瞬間なのだ。
高校合格を皮切りに、生まれ変わった俺は今度こそリア充たるべく行動を開始した。
まず最初に行ったのは、クラス委員への立候補である。何かと学校行事の多いこの
妹の、兄を兄どころか人とも思わないような猛特訓の効果は覿面だった。今や俺の対人スキルは中学二年時のマイナス数倍にまで膨れ上がっており(元々マイナスだったのでマイナスを掛けなければ打ち消せない)、クラス委員効果も相俟って、あっという間に「明るく愉快なクラスの中心人物」のポジションを手に入れることに成功。
順調すぎるほど順調な滑り出しだったが、殊更に幸運だったのは、同じくクラス委員となった藤峰さんが女神だったことである。
まず特筆すべきはその美貌だ。涼しげな目元、愛らしい耳、すっきりした鼻筋、桜色の薄い唇。顎のラインは滑るような美しいラインを描いている。肩に流れるセミロングのさらつやな黒髪なんてもう、これぞ日本の宝! 大和撫子万歳! って感じ。神様は彼女のキャラメイクに一体何日掛けたんだろうか。その点俺は一瞬だ。Aボタン連打してれば自動的に決まりそうな、ザ・デフォルトみたいな何の工夫も面白みもない顔。ぜってー神様楽しやがった。
藤峰さんの女神ポイント二つ目は、その能力。入学式で新入生代表の挨拶をしたということはつまり入試の成績が一位だったということだ。更に彼女が得意なのは勉強だけではなく、無駄な肉が一切ない引き締まった美しい体はスポーツも万能である証拠だった。体育の時間に女子の中で一際活躍している様をよく見かける。すごい見かける。むしろ積極的に見に行ってる。
そして最も喜ばしいのは、藤峰さんは性格まで完璧という点である。なんたって常に笑顔で誰にでも優しい。基本的には真面目な人だが、ちょっとお茶目というか遊び心があってとっても親しみやすい。
例えば――今俺達が集計しているクラスアンケート。これはクラスメイトが早く打ち解けるきっかけになるようにとの藤峰さんの案で作られた、「優しい人」とか「制服が似合う人」とかそういうたわいもない項目を挙げてそれに当てはまると思う人をみんなに匿名で投票してもらうというものだ。
この項目を作るのは結構気を遣いそうだと思ったのだが(下手に「可愛い人」とか作ったら結果如何で気まずくなるかもしれないからだ)、藤峰さんが提案した項目は当たり障りなくそれでいてユーモアのあるものばかりで、俺は感心してしまった。ただの優等生だったら、悪戯っぽい笑顔で「『ドSそうな人』と『ドMそうな人』とかあったら面白そうじゃない?」なんて提案はしないだろう。
「あ、ひっどーい」
と、藤峰さんがアンケートの一枚を見て頬を膨らませた。
「この人、『ドSそうな人』の項目で私に一票入れてる!」
「やべ、ばれたか」
「え? これ上津くんなの?」
目を丸くした藤峰さんを見て俺は笑った。
「冗談。でも火のないところに煙は立たないぜ。藤峰さん、本当はSなんじゃねーの?」
「む……。それなら上津くんだって、本性見抜かれてるかもね」
「え、なんで?」
藤峰さんはしたり顔でアンケートを指差した。
「この人、『ドMそうな人』は上津くんにしてるんだよ」
「げ、そいつ鋭いな。なんでわかったんだろ?」
「え、上津くんMなの? じゃあいじめてもいい?」
「おいおいやっぱSじゃん藤峰さん。まあ、是非お願いしたいけれども!」
「ええー冗談だってば、本気にならないでよ!」
そうして俺達二人は笑い合った。あっはっはっは。
やべぇえぇえー! なんだこれ超幸せなんですけど! 藤峰さん可愛すぎるんですけどー! 会話してるだけでなんかもう泣きそうなんですけどぉー!!
中学時代は「なるほど、俺は遂に
もう夢見心地である。本当にこれは夢なんじゃないかと疑って頬をつねったらその痛みに快感を覚えるくらい夢見心地。
そんな夢のような時間も、しかしいずれは終わりを迎える。雑談混じりだったせいであまり効率は良くなかったが、空の色が橙から濃紺へとグラデーションを描き始めた頃にはアンケートの集計は全て終わっていた。
「やっと終わったな。お疲れさん」
「おつかれさま~」
藤峰さんは座ったまま「ん~」と伸びをした。胸を反らしたことで膨らみが強調され、俺は慌ててガン見する。違った目を逸らす。スマートなのに出るとこは出てるなんてもう反則じゃないですか。
「後は集計結果を纏めてプリントにするだけだね。それは明日にしよっか」
「いや、それくらいなら俺が今夜家でやってくるよ」
「え、でも上津くんだけに任せるのは……」
「今日の集計、藤峰さんの方が手際よくていっぱいやってもらったろ。その穴埋めだよ。明日持ってくるから、そんときチェックだけ頼む」
俺はアンケートの集計結果をひょいと自分の鞄に入れた。藤峰さんが申し訳なさそうに微笑む。
「ありがと。それじゃお願いしちゃおうかな」
「任せといて。じゃ、また明日」
「あ……ま、待って!」
藤峰さんは、クラス委員で居残りになったあとはいつも、部活終わりの友達と一緒に帰っていた。今日もそうだろうと思った俺は、気を遣わせないようにとさっさと帰ろうとしたのだが――その袖を、慌てて立ち上がった藤峰さんが掴んで引き留めていた。
「ん? どしたの?」
表面上は平静を装っているが頭の中はお花畑である。何その袖を「きゅっ」てつまむ仕草超可愛いんですけど。袖じゃなくて生身の生々しい部分をそうやってつまんで欲しいんですけど。
「あの……ね。私、一緒にクラス委員だったのが、上津くんで……その、本当に良かったなって、思ってるの」
いつも立て板に水のように明瞭に話す藤峰さんにしては、しどろもどろというか、ぎこちない話し方だった。俯きがちで目は泳いで、顔が赤いのはどうも夕日のせいだけではないようだ。
あれ? ちょっと、何この雰囲気。
まさか、そうなの? もうなの? え? マジで!?
い……いや待て、落ち着け。ここで安易にそういう展開を期待するのは思春期男子特有の自意識過剰というものだ。こういうときのための自戒を、妹の言葉を思い出せ怜助!
「お兄ちゃんを好きになる女の子がいたらその時点で地雷だからやめといた方が良いよ」
うん。
これを逆説的に考えると、藤峰さんは明らかに地雷じゃない素敵な女の子なので、俺を好きになることは絶対に有り得ないということだ(この理屈だとなんか俺の人生詰んでる気がするけど深く考えないでおこう)。よし納得。
ところが、俺がそうして全身全霊を懸けて「か……勘違いしないでよねっ!」と自分に言い聞かせているというのに、あろうことか藤峰さんは一歩進んで更に俺との距離を詰めて来なさった。
互いの間はもう十五㎝もない。息をするだけでいい匂いがして、俺はなんかもう興奮を通り越して罪悪感すら覚えていた。え、俺なんかがこの神聖な空気を吸っていいの? 呼吸止めてた方がいいかな?
「だから……もうちょっと一緒にいたいっていうか」
もじもじしながら、消え入りそうなほど小さな声で藤峰さんが囁く。
「上津くんのこと、もっと、知りたくなっちゃって……」
あ。
これもうダメですわ。致命的。
「あなたのことがもっと知りたい」なんて、死ぬ前に一度は女子に言われたい台詞堂々の第三位じゃねーか。
俺なんかもう今世を諦めて「来世教科書目指すわ……」とか思ってたのに、まさか人間でいるうちに聞くことができるなんて。ああもう死んでも良い。死んで教科書になってもう一度聞きたい。
「藤峰、さん……それは、俺も同じだ……」
熱に浮かされたようになって、口が勝手に言葉を紡ぐ。藤峰さんの笑顔が、視覚を通じて脳に浸透し、俺の心全てを温かい気持ちで満たしていく。
「ほんとに? 嬉しいな……そんな風に言ってもらえて」
……いや、やっぱり駄目だな、今死ぬのは。
俺が死んでしまったら、この少女が――藤峰さんが悲しむことになる。それだけは嫌だ。俺は彼女の心を、幸せを守らなければいけない。俺は大した取り柄もない、つまらない男だが、それでも人生全部を懸ければ一人の女の子を幸せにすることくらいできるだろう。
いや、絶対にしてみせる。
「藤峰さん、俺――」
覚悟の言葉を言いかけた俺の唇に、藤峰さんがすっと細い人差し指を宛がった。そして悪戯っぽい微笑み。
「上津くん。見て欲しいものがあるの」
と言って、藤峰さんはポケットからスマホを取り出した。なんだろう。口で言うのは恥ずかしいからラインに書きました、みたいなことかな。いじらしいなこいつぅ。
「どれどれ――」
手渡されてまじまじと画面を見る。そこに写っていたのは。
中学時代の俺、だった。
土砂降りの雨の中、傘も差さずに棒立ちしたまま猫を抱き締めている。足下には汚い字で「拾ってください」と書かれたダンボールが。
俺は絶句した。
絶命したと言い換えてもなんら問題はない。
それほどに――衝撃的な写真だった。
「その反応。やっぱり身に覚えがあるのね」
完全に凍り付いた俺を見て、藤峰さんは氷の微笑を浮かべた。それはもう豹変と呼べるレベルだった。すっ、と頬に差していた赤みが失せて、目元は涼しげどころか氷点下までクールダウン。可愛らしかった声も軽く一オクターブは低くなっている。直前までの甘酸っぱいストロベリーな感じはどこへやら、今は精々いちご味のかき氷だ。
ん? なんだこれ。なんかおかしいぞこれ。
「ふ、藤峰さん……いや藤峰、様? こ、この写真は、一体どういう……」
「上津くんが中学二年生の頃の写真よ。雨の中で一人捨て猫を抱き上げながら『お前も……独りぼっちなんだな……』というシチュエーションに憧れて、わざわざ雨の日に自宅の猫を連れ出して自作自演して道行く女子にチラッチラッて痛いアピールをしているところを激写されたものね」
あれ? なんかかき氷の上に掛かってる赤いの、アレいちごシロップかと思ってたけど違くね? ……あれ俺の血尿じゃね?
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
と……トラウマがぁ! 抉られる! 血尿出るって血尿! 上からも下からも!
「やりたかったことはなんとなくわかるけど、でもこれは無理があるわよ。あなたの猫、太りすぎ。こんな裕福そうなおデブちゃんに捨て猫役はキャスティングミスね。おかげでバランスが悪くなって、この写真の悲哀さと滑稽さを際立たせているわ」
「ああああああああやめてええええええええ! 言わないでええええええええ!」
体をぐにゃんぐにゃんに捻りながら悶絶する俺。仕方ないじゃん! そんな都合良く捨て猫とかいるわけないし、うちのブタムシ(注:猫の名前)くらいしか協力してくれる猫いなかったんだもの!
「ま……待ってくれ! え!? 何、一体何なんだ!? 何がどうなってる!? 君本当に藤峰さんだよね!? 藤峰渚紗さんですよね!? す……すり替わったりしてないよね!?」
藤峰さんは「ふっ」と嘲るように笑った。うわぁ今の顔、人を見下すことに慣れた人間の表情だよ。見下されることに慣れた俺が言うんだから間違いない。
「いいえ、私はさっきまでの彼女とは別人。藤峰渚紗に潜む第二の人格よ――みたいな展開を期待しているのだったら目を覚ました方が良いわ」
そして藤峰さんは急に表情を切り替えた。屈託なく笑うその顔は、まさしくついさっきまで俺の目の前にいた女神のそれで――
「正真正銘、私は私だよ、上津くん。上津くんと同じ1-Bのクラス委員。アンケートで誰かに『ドSそうな人』って票を入れられちゃった、藤峰渚紗」
声や喋り方、雰囲気までがらりと変わっている。外見が同じなのにここまで別人になれるものなのか。ついさっきまでは小悪魔っぽくて可愛いなぁと思えた笑顔も、今では大魔王にしか見えなくてひたすら怖い。
ど……どういう状況だこれ。俺は一体どうすれば良いんだ?
パニックのあまり全く動けなくなってしまった俺を見て、藤峰さんの表情がまた雪女のような氷の微笑みに切り替わった。
「上津怜助くん。板杉市立大川第二中学校出身。中学時代は重度の厨二病を患って学校で孤立、心機一転高校デビューを果たすため猛勉強し、実家から遠く離れた朱礼舞高校に見事合格。高校ではうまく本性を隠して充実した学校生活を楽しんでいる……で、あっているかしら?」
「な、なぜそれを……!?」
「調べたのよ。普通気になるでしょ? 高校生で一人暮らしなんてしてる子がいたら」
いや確かにそれは気になるかもしれないが、普通は本人に聞かずにこっそり調べようとは思わねえよ。
「私、人脈が広いの。上津くんの出身中学にも友達がいて、情報の出所はそこよ。凄いわね上津くん、あなたの愉快なエピソードは枚挙に暇がないわ」
……いや、おかしいおかしい。納得できん。俺はこういう事態を避けるためにわざわざ遠い高校を選んだんだぞ。俺の地元中学からここまで、直線距離で七~八十㎞はあるし、同じ中学からこの高校に進んだ同級生は一人もいない。いくら人脈が広いったって、それだけ離れた他校と繋がりがあってたまるか!
「疑っているのかしら? 確かに、さっきの言い方は正確ではなかったかもね。より正確に言えば、上津くんと同じ出身中学の友達が、
「そういうことか……!」
こいつ、SNSで俺の出身中学のコミュニティを検索しやがったんだ。俺は地元中学ではちょっとした有名人(勿論痛い意味で)だったから、情報集めは簡単だったろう。
しかし、手口はわかっても意味がわからん。なぜそこまでして俺の消したい過去を調べる必要があるんだ。
やっぱり俺のこと好きなのか、ただヤンデレストーカー気質なだけで。そうだったら良いな。そうじゃなかったら涙を禁じ得ないよこの状況。なんでついさっきまで良いムードだった女の子から一転して黒歴史を突き付けられて罵倒されてんの?
「ふ、藤峰さん……? 君は何がしたいんだ? 中学時代に痛い奴だったくせにいっちょまえに高校デビューを目指した俺を馬鹿にしたいのか? クラスのみんなにばらして一緒に笑い者にしたいのか?」
笑顔で「そうよ」とか言われたらどうしよう。そうなったら俺はもう永久に人間を信じられる気がしない。あーやっぱさっき死んどくんだったな。あそこで死んでおけばこんな絶望的な真実を知らずにすんだのに。
……教科書って悪くないよな? 女の子に触ってらえるしじっくり見つめてもらえるし、あまつさえ肉体にペンで線とか引いてもらえるんだぜ。ぞくぞくするわー。
しかし、現実逃避気味な俺の耳に届いたのは、意外な台詞だった。
「誤解させてしまったようね。私はあなたを馬鹿になんてしていないわ。むしろ、賞賛すべきとすら思っている」
「……え?」
「中学時代の上津くんのエピソードはどれも壮絶で、あなたの抱えていた闇がどれほど深かったかを如実に物語っていた。そんなあなたが、高校生活においては全くその闇を感じさせず、『明るく愉快なクラスの中心人物』としてのポジションを確立させたのは、はっきり言って奇跡的よ。元寇と同じくらいの奇跡じゃないかしら」
そんな歴史的な奇跡に俺の黒歴史を並べないでほしい。
「実際、私はさっきの写真を見せられるまであなたの中学時代がそんなだったとは信じられなかったもの。……あなたが自分を変えるためにどれだけの努力をしたのかも、自ずと伝わってきた」
確かにね。妹との特訓は地獄のようでしたよ。特訓中は「あなたの兄に生まれてごめんなさい」って毎日百回叫ばされてたからね。妹はゴキブリとかインフルエンザウィルスとかのことを「お兄ちゃん」って呼ぶようになったからね。俺に悪口を言うんじゃなくて、元々嫌いなもの悪いものを俺として扱うっていう斬新な方法で兄を貶めてきたからね。俺を傷つけることに関しては天才的だからねアイツ。
「だから、私はあなたの努力を尊重する。馬鹿になんてしないわ。笑ったりもブフッ、しない」
「いや笑ってんじゃねえか!」
言ってる途中に思い出し笑いとか酷い。馬鹿にしているとしか思えない。
「ごめんなさい。でも私が今こうして腹を割って上津くんと話をしているのは、上津くんに悪意があってのことじゃないの」
「腹を割られて内臓引きずり出されてんのは俺の方だろ……」
「いいえ。笑いすぎて私の腹筋が割れたわ」
「やっぱりバカにしてますよねぇ!?」
藤峰さんは笑いを堪えながら――いや、堪えきれずにクスクス漏らしてたけど、「ねえ、上津くん。あなたにお願いしたいことがあるの」と切り出した。
「……この状況で『お願い』って言葉は、どう好意的に取ろうとしても『脅迫』と同義にしか聞こえねえんだが」
「そう解釈してもらって構わないわ」
全く悪びれる様子のない藤峰さん。怖いこの子……。
「上津くん。現代社会では『情報』が人間にとって一番の武器になると思わない?」
「今まさにそれをひしひしと感じています」
「そうでしょう。相手の情報を握るということは、単にその相手を打ちのめすことよりもずっと上等よ。やり方によっては相手の行動をコントロールすることもできるのだから」
「……えーっとごめん、俺達今何の話してるんだっけ。ライアーゲーム?」
「クラスメイトと円満な人間関係を形成する方法の話よ、上津くん」
と、藤峰さんは現在進行形で俺との円満な人間関係を木っ端微塵に粉砕しながら笑顔でそう言った。
「端的に言うとね。私は今、このクラスの生徒達の情報を集めているの。あなたにはそれを手伝って欲しい」
「情報を集める……? なんのために?」
「今のあなたには身に染みてわかっていると思うけれど?」
……それはつまり、他のクラスメイトも俺と同じような目に遭わせようとしているってことか。なんて子だ。普段の明るく優しい姿は、油断させて弱みを聞き出すための演技だったのかよ。
「女子だけなら私一人でも順調に情報を集められているのだけど、男子となると中々上手くいかないの。あまりがっつくと妙な勘違いをされてしまうし。だからあなたには、男子生徒達からの情報収集を担当して欲しい。中学時代のことを上手く隠し通せているあなたなら、私の手先だということも隠して上手に立ち回れるはずでしょう」
「断ったら……どうなる?」
藤峰さんはとても可愛らしく微笑んだ。
「知りたい?」
「…………」
藤峰さんに『ドSそうな人』って投票した人、誰ですか? あなただけが正解です。クラスでただ一人藤峰さんの本性を見破った主人公です。でも、『ドMそうな人』に俺を投票したのは間違いです。いじめられても全然気持ちよくありません。もう泣きそうです。
「あ、ちなみに『ドSそうな人』で私に投票して『ドMそうな人』であなたに投票してたアンケート、あれは私のだから」
「……………………」
ダメ押しでした。万が一にも勝ち目はなさそうです。いっそ彼女の手先になるのも、勝ちの一種なんじゃないかと思えてきます。
いや――しかし。
ぐ、と俺は拳を握りしめ、
「……断る」
震える声で、だがはっきりと拒絶した。藤峰さんは驚いたような顔になった。
「ばらされてもいいの? 中学時代の黒歴史を」
「友達の弱みを漁るなんて卑劣な真似をするくらいなら、その方がマシだ」
ぴくり、と藤峰さんの形のいい眉毛が痙攣する。あっヤバいメッチャ怒ってる超怖い。
あまりの迫力に思わず俺は土下座の準備を整えたが、しかし藤峰さんはどうにか爆発を堪えたらしい。
怒気を抜くように深い溜息をつき、そして真っ黒な微笑を湛えて言った。
「ご立派。でも上津くんが友達だと思っている彼らが、同じように友情に篤い人間ばかりとは思わないことね。あなたのような中学時代を過ごしたなら、学校という空間が異物に対してどれほど辛辣かはよくわかっているはずでしょう。それこそ、痛いくらい」
……ああ、よくわかっているとも。
嫌われ者に交われば仲間と見なされて自分まで嫌われる。だから関わらないのが一番。
腐ったミカンの悲劇は、さっさと一つだけゴミ箱に捨てられることだ。「周りの人間を腐らせる」? 馬鹿言えよ。
俺は誰一人として、一緒に腐らせることなんかできなかったよ。
「黒歴史がばれたら、クラス中、いえ学校中の生徒が、あなたを爪弾きにするでしょう。中にはそれでもあなたを慕ってくれる人もいるかもしれないけれど、その場合はその人まで周囲からの悪意に晒されることになるわ。どう転んでもあなたの高校生活は真っ黒になるのよ」
くっ、うまいなぁこの子。俺自身が傷つくということだけではなく、俺に味方した人間が傷つくという責め方は精神的にキツい。「自分ではない誰かのため」というのは、人が楽な方を選択する場合の格好の言い訳になる。
だけど。それでも俺は。
「俺が変わろうと思ったのは、そうすれば本当の友達ができるんじゃないかと思ったからだ。それなのに、この先表面上だけ仲良くしておいて弱みを探るチャンスを待つなんて歪んだ関係を強いられるなら、リア充である意味なんてない」
「……よくわからないわね。あなたの本性は
藤峰さんは怪訝そうな顔で、スマホに映った中学時代の俺を示す。
「今の明るく人気者のあなたは、そうあるために努力して作り上げた『仮面』にすぎない。その状態のあなたとだけ仲良くしてくれるのは、本当の友達なの? あなたの本性を知っても仲良くしてくれる人こそが本当の友達といえるのではないかしら」
「…………」
違う。そういうことじゃない。
反論しようとしたが、なぜ違うと言えるのか説明できそうになくて、結局俺は黙ったままだった。
しばらく互いに沈黙したまま睨み合っていたが、やがて藤峰さんが呆れたように「矛盾だらけね」と呟いた。
「わかったわよ。そこまで言うなら諦めるわ。黒歴史も黙っていてあげる。私の根負け」
「へっ……?」
俺は唖然とした。え、なに? あっさり退いてくれた?
「い……いいのか? ホントに?」
「ええ。その代わりと言ってはなんだけど」
そして藤峰さんは、もののついでのようにしれっと、すました顔で、
「上津くん、私の恋人になってちょうだい」
と言ったのだった。
……ん? え?
………………………………アレ?
「はあああああああああああ!?」
テンパりまくる頭の隅で、俺は妹の言葉を思い出していた。
「お兄ちゃんを好きになる女の子がいたらその時点で地雷だからやめといた方が良いよ」
なるほどね。
あたってるあたってる。我が妹ながら、やっぱお前すげーわ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます