八
山の中にたたずむ鉄の塊。ウォル達が乗ってきた宇宙船だが、十一年の時を経て今はただの錆びた鉄の塊だ。ウォルの住処である。
その宇宙船の中。目の前に一人の少女が寝ている。ウォルの娘、塚原心結。
本当の名前は別にあった。だが地球で暮らしていく為には、地球の名前が良いだろうと玲奈に名付けてもらった。
玲奈は「適当に付けた」なとど言っていたが、ウォルにはそう思えなかった。心を結ぶ。この子にピッタリの名前だった。ウォルと玲奈が繋がれたのは、この子の笑顔があったからである。
人間は、この子を不気味だと言う。心結には申し訳なかったが、耐えてもらうしかなかった。その代わり、ウォルはできるだけ心結と一緒に、友として寄り添おうと思った。
玲奈には、随分世話になった。彼女の言う通り、たしかに適当な子育てだったかもしれない。だが何の見返りも求めず、人間にとって不気味なこの子を、人間に育て上げてくれた。
その玲奈が死んだという。
ウォルの目の前に現れた獣、心結が人間の姿に戻り、ウォルにその事を伝え、意識を失った。
これは、完全に予想外だった。あいつらが地球に来てるとは思いもしなかった。行き先はバレてなかったはずだ。仮に地球だとバレても、そこまで狭い星ではない。どうして見つかったのか。
一つ要因として挙げられるのは、昨日の中学生の事件だろう。心結がこれまでで一番派手な変身をしてしまった。
奴らがこの近くにいるとすれば、また見つかるのも時間の問題だ。
心結が目覚めたら、一緒にどこかへ逃げるしかない。かつての自分なら戦えたが、もう体はほとんど動かなくなっている。奴らに見つかれば、自分も殺される。
自分自身のことは、どうでもいい。ただ心結だけは逃がさなければ。
この子には戦って欲しくない。平和に人間として暮らして欲しい。
この地球のどこかであれば、また人間として暮らすことはできるはずだ。
ボロアパートの二階。血の匂いで満たされた部屋に、二つの生物の姿があった。
「さて、困りましたね。この私が追い付けないスピードだとは。彼女は、予想以上です。ただ、変身には慣れていない様ですし、戦闘力もほぼないですね。コーエン、一人でやれますね?」
「ヤレル・・・」
くぐもった低い聞き取りにくい声で、コーエンと呼ばれた物体は答えた。
「私は、本艦へ戻ります。この
アパートを出て、二人の異星人は、それぞれ別の方向へと歩み出した。
目を覚ますと、そこはウォルの住処だった。
ウォルが丸まって心結を見ていた。
「気がついたか」
「ウォル・・・」
ここにいるということは、さっきまでのことは夢ではない。謎の二人組が現れ、玲奈が死に、自分が獣のような姿になってここまで来た。現実だ。
「ウォル、私、どうすれば・・・」
「逃げよう。おれも一緒に行く」
「私、姿が変わった・・・。まるで動物、ううん、オオカミが人の様な姿・・・」
心結は、ウォルが何者なのかわかった様な気がした。しかし、それは今はあまり重要なことでない様な気がした。
「玲奈、殺されちゃった・・・」
「・・・あぁ。辛かったろう」
「私、玲奈のこと、別にお母さんだとか思ってなかったし、いつも適当で。でもね、玲奈がね、最後に少し笑ったの。そのあと逃げろって言われて、動かなくなって・・・」
涙が溢れた。心結はショックなのは元より悲しんでいることに気付く。
「玲奈は、お母さんだった・・・」
どれだけ適当であろうと、それが事実だった。彼女はもういなくなってしまった。適当な性格に、もう突っ込むこともできない。
ウォルを見ると、ウォルの目から粒が出ていた。ウォルも泣いている。
心結はウォルを抱きしめて、声を上げて泣いた。
「あいつら、何者なの?」
泣き止んでしばらくしてから、心結はウォルに聞いた。
「あいつらの狙いは、心結、お前だ。そして捕まれば、殺される」
つまり、自分のせいで玲奈は殺された。
「あいつら、殺してやりたかった」
体が熱くなる。
「でも、勝てる気がしなかった。殺されても良かったけど、玲奈は逃げろと言った。だから、私は逃げた。だけど・・・!!」
拳をつくり、その手が震える。
「とりあえず、ここから離れよう。ここもすぐにバレる。そしたらおれも心結も殺される」
ウォルが死ぬ。それは嫌だった。玲奈が殺され、ウォルまで殺されたら、私は生きていけない。
ウォルの住処を跡にし、山を下り始めた。まだ雨はかなり降っている。
ウォルはもう走れないので、ゆっくり歩いた。
「これからどこに逃げるの?」
「京都へ行く」
「京都?」
「そこにおれの知り合いがいる。事情を話せば助けてくれるはずだ」
ウォルの知り合い、玲奈も知っている人だろうか。いや、この場合相手が人なのかもわからないが。
ウォルに聞きたいことが山ほどある。ただ、今はその聞きたいことが多過ぎて、何から聞けばいいのか分からなかった。ひとまず落ち着けるところを探さなければならない。もし今見つかってしまえば、動けないウォルと逃げることはできない。二人とも殺されてしまう。
「問題は、京都までどうやって行くかだが・・・」
ウォルは申し訳なさそうに心結を見てきた。
「歩くしないが、大丈夫か?」
「うん、そのつもりよ」
お金もないし、たとえあったとしてもウォルがいる。どの道歩くしか選択肢はないだろう。
日が落ち、夜になった。雨は止む気配がない。
途中、すれ違う人から奇怪な目を向けられた。髪の長い不気味な女子と、犬なのかオオカミなのかもわからない大きな動物が一緒に傘もささず歩いていれば目立つのは当然だった。
雨の音で気付くのが遅れたが、嫌な気配を感じた。ウォルも同じく気付いている。
「ウォル・・・」
「最悪だな」
前方から大きな物体が歩いて来る。玲奈を殺したあの物体だ。
「逃げろ」
ウォルが言う。
「逃げろって、ウォルは!?」
「おれが走れんことくらい知っているだろう。放っといて早く行け」
あの物体は、ゆっくり近づいてくる。丸い二つの目が白く光っている。
「嫌だよ!ウォルを置いてなんて逃げられないよ!」
これ以上、誰かが死ぬのは御免だ。私はウォルの腕を掴んだ。
「一緒に逃げよ!」
掴んだ手を振り払われた。
「無理だ」
「でも、ウォル!」
ウォルが唸り始めた。ウォルの体が大きくなる。この姿は。
「ウォル・・・」
「やれるだけやってみる。この体じゃ結果は見えているが」
ウォルの姿を見て思い付いた。
「私も戦う!」
ウォルは驚いて私を見た。
「心結・・・お前には無理だ」
「戦えるよ!こいつなら私戦えると思う!」
あの灰色の男でなければ、勝てる。そう思ったが、心結は気付いた。
変身の仕方がわからない。
「心結、いいから早く逃げろ。おれには時間稼ぎしかできん」
物体は、もうすぐそこだ。
「嫌だ」
「逃げろ!」
「嫌だ!!」
物体の鎌がウォルに襲いかかる。
ウォルは、その鎌を手に受け止め、物体を蹴り付けた。しかし、今のウォルの力では、物体を少し後ろに下がらせただけだった。
鎌を受け止めた手から血が出ている。
「行け!心結!」
そろそろ、なるはずだ。私がいつも意識を失う時は、どうしようもなくなる時だった。
私はウォルを見捨てない。もう少しで、あの獣の姿になれるはずだ。ウォルと二人でなら勝てる。
ウォルが右手の爪を物体に向かって振り上げる。物体の体から血のような緑の液体が飛び散った。しかし、効いていない。
物体の左手の鎌が、ウォルの体を突き抜けた。
「ウォル!」
突き抜けた鎌が、血で染まる。ウォルは動けない。ウォルの口から血が飛び出した。
早く。早く!もう獣になってもいいはずだ。早くならないとウォルが死んでしまう。
「心結!早く逃げろ!!」
血を吐きながらウォルが叫ぶ。
「ウォォォォォ!!」
ウォルは物体の腕を掴み、噛み付いた。
物体が奇妙な悲鳴を上げる。
ウォルが物体の腕を噛みちぎった。ウォルも物体もよろめく。
早く変身しろ。なぜならない。
物体はウォルに向かって体をぶつけた。ウォルに刺さっていた鎌がさらに深く刺さる。ウォルは仰向けに倒れた。
「ウォル!!」
物体はウォルを避けて私に向かってくる。
心結は混乱していた。もうとっくに、意識を失うか変身をしてもいい筈なのに、何も起こらない。
ウォルが物体の右足を掴んだ。
「逃げろ・・・心結」
物体は手を振りほどこうとしたが、取れない。右手の鎌をウォルの頭に突き刺す。
「ウォルーーーーー!!」
泣き叫んだ。なんでだ。なんで変身しない。
ウォルは手を離さなかった。物体は何度もウォルに向かって鎌を突き刺す。
ウォルの目はじっと心結の目を見つめていた。もう動かない目を。死んでいる。しかし、その手は物体の足を離さない。物体は奇声をあげながらウォルを刺し続けた。
死してなお心結を逃がそうとしている。心結は涙を振り払い、立ち上がった。そして、思い切り走り、逃げた。
背中には物体の奇声と、ウォルの体を突き刺す音が鳴り続けていた。
失われていく意識の中で、心結がたしかに逃げていく気配を感じた。
これでひとまず安心して、死ねる。
一つ、思い出した。
心結からもらったパンケーキを食べてなかった。
おいしいパンか、食べたかったな。
ウォルの意識は完全に無くなった。
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