六
ウォルの住処に到着した。息も切れ切れだ。
「ウォル!」
ウォルが鉄の塊から出てきた。
「どうした、心結。まだ学校の時間だろう?」
「それが・・・!」
心結は昨日からの出来事をすべて話した。
ウォルは、しばらく黙って話を聞いて、ようやく口を開いた。
「よくわかった。大変だったな。とりあえずいつもの所へ行って、景色でも眺めながら話そうじゃないか」
景色なんて眺めたい気分ではなかったが、ひとまずウォルの言う通りに場所を移すことにした。
いつもの場所に着き、景色を眺めた。いつもの様に心が弾まない。自分が混乱しているからだろうか。
心結は事情をすべて話したので、ウォルが話し出すのを座って待っていた。
「どうだ、少し落ち着いたか?」
「うん、でもやっぱりわからないことだらけだし、不安だわ」
一番気になってることを尋ねることにした。
「ねぇ、私がやっぱり中学生をケガさせたのかな?」
ウォルは遠くを見ている。
「心結の話を聞くに、状況からして心結がやった可能性が一番高いな」
「そう、だよね・・・」
自分の考えが、ただの考え過ぎじゃないことに気持ちが沈んだ。
「どうしよう、私警察に捕まっちゃうのかな?」
「・・・・・・・」
「玲奈が、玲奈がね。何か知ってそうなの。玲奈に相談するべきかな?」
ウォルは喋らない。何かを迷っているかの様だった。
まさかいきなりこんな事態になるとは、予想もしていなかった。何か起こるにせよ、心結がもう少し大きくなってからだろうと思っていた。
いつかは、話さなければならないことがある。
だが、心結はまだ十一歳だ。すべてを知るには若過ぎた。
ウォルは、心結に友達ができたと聞いた時に、嫌な予感はしていた。それはおそらく玲奈も感じたことだろう。
この子は優し過ぎる。これまで孤独だったから出てこなかった感情も、一度友達ができれば表面化する可能性は充分あるはずだった。
わかっていたはずだ。なのに止められなかった。いや、止める権利などなかったのだ。友達を作るという行為に、誰であろうと口を挟む権利はない。
しかし、結果的には彼女を窮地に立たせてしまった。
警察は間違いなく動くだろう。少年達の供述がどんなに馬鹿馬鹿しかろうと、彼らの傷跡がそれの存在を証明する。
もう彼女は、普通に暮らせない。
問題はどこまで彼女に伝えるか。まだすべてを受け入れるだけの器はない。
ウォルは、ずっと何も話さない。ジッと一点を見つめ何かを考えている様だ。心結は、ウォルが話してくれるのを待った。
すると、ウォルが顔を心結に向けてきた。真っ直ぐ、心結の目を見つめる。
「心結」
強い眼差しに、心結は緊張した。
「お前が考えている様に、お前は普通の人間ではない。何者であるか、それはおれにもわからないが、ただ人間として育ったことは間違いない。そこは忘れるな」
自分は人間ではない。やはり、そうなのか。
「ウォルの知ってること、全部教えて」
「そうしたいが、お前もさっき言った様に直に警察も動き出すだろう。もう警察は目星は付けているはずだ。おれの予想では、まだ警察は少年達の供述を信じていないだけだ」
警察が来る。と、すれば自分は。
「だから、心結、逃げるんだ。今すぐに。どこか遠くに」
「逃げるしかない・・・それは、わかるけど、どうやって?私一人で逃げ切れる気も生きていける気もしないわ!」
「それには、一つアテがある」
「アテ?」
「安心しろ。玲奈が、お前を守ってくれる」
「!?」
玲奈が?あの人は自分にほとんど愛情を示さない。
「お前が今まで玲奈を頼りにしてきてないことは、もちろんわかっている。ただ、あいつは今のお前を見捨てる様な真似だけは、絶対にしない。おれが保証する」
「待って!その言い方、ウォル、玲奈と知り合いなの?」
「黙っていて悪かった。玲奈とは古い知り合いだ」
だからか。合点がいった。
心結は物心ついた時には、既にウォルと友達だった。だが普通に考えれば、物心つく前にウォルと知り合うはずがない。玲奈がウォルと引き合わせた、ということか。しかし、
「なんで?なんで玲奈とウォルが知り合いだって隠してたの?そんなの私に隠す必要ないじゃない!」
「それは、玲奈からの条件だ。これ以上は、今は言えん・・・」
条件。意味がわからない。
問い詰めようとする心結を制して、ウォルは言った。
「早く玲奈のところへ行け!ぐずぐずしていては、警察が家に来てしまうぞ!」
たしかにそうだ。玲奈はまだ警察が動いていることを知りもしないはずだ。
「・・・わかったわ。でも、ウォル」
「?」
「この一件が済んだら全部話してよね!玲奈も連れて来て問い詰めるんだから!」
「ああ、わかった」
オオカミだから表情はわからないが、少し笑ったように見えた。
心結は家へと向かいかけて、あることを思い出した。
「そうだ!ウォル!」
「まだ何かあるのか?」
「これ・・・」
ランドセルからビニール袋を取り出して、それをウォルに投げた。ウォルが口でキャッチした。
「パンケーキ!すっごいおいしいよ!」
この状況でもらえるとは思ってなかったらしい。
「おぅ・・・ありがと」
「じゃね!!」
心結は、全速力で山を駆け下りた。
そろそろ学校が終わる時刻だが、心結は放課後に用事があると言っていた。きっと、ウォルに会いに行くのであろう。
いつもなら、娘のことなど気にしない。気にする程愛していない。
しかし、今日は胸のざわめきが止まらなかった。
昨日のあの血の量である。相手が誰かは知らないが、事件になっていてもおかしくない。その場合、自分も腹を括らなくてはならない。
娘が娘になったのは、ちょうど十一年前の一昨日だ。あの日のことは、忘れもしない。
あの日玲奈は泥酔していた。
結婚式直前に、夫になるはずであった男に浮気され、フラれた。一人の女の結婚願望を思い切り吹き飛ばす我ながら見事なフラれ方であった。すべてがどうでもよくなり、酒に溺れた。
若い女が、ベロベロに酔っ払っているのだ。案の定、下品な男共の標的にされた。
襲われて、悲鳴を上げるようなタイプではないので、軽く乱闘になった。だが女の私が二人の男に勝てるはずもない。
自暴自棄でもあったので、まぁいいかと観念した矢先に、ワケのわからない大男が暴漢共を一蹴した。
いや「大男」ではなかった。身長は優にニメートルを越すであろう、全身毛で覆われた何か。俗にいう「オオカミ男」だろうか。
夢でも見ている。そう思ったが、襲われたショックとそのオオカミ男のせいで、酔いは完全に吹っ飛んでいた。夢ではない。現実だとわかった。
「・・・なに?あんた?」
日本語が通じるかどうかもわからないそのオオカミ男に玲奈は話しかけた。
おいおい、勘弁しろよ。
オオカミ男だけで信じられないのに、そいつの身長はみるみる縮み、本当にオオカミのような姿になった。
さすがの玲奈も驚かずにはいられない。
「大丈夫か?」
そいつが喋ったことも、玲奈に話しかけているのかもわからず、玲奈は答えられなかった。
「女、お前に聞いている。日本語はこれで合っているはずだ。大丈夫か?」
やっとそいつが話していることがわかった。
「は?私!?」
「そうだ。お前に聞いているんだ。おれの見間違えでなければ、襲われていただろう。ケガはないか」
「あ、あぁ、大丈夫よ・・・」
どうやらこいつは、ちゃんと助ける気で助けてくれたらしい。
「そうか、それは良かった。しかし、クズはどこにでもいるものだな」
倒れている男共を一瞥して吐き捨てた。
「助けてくれて・・・ありがとう」
オオカミは照れた様に目を逸らした。
「礼はいい。ただおれは今困っている」
またオオカミは、人の形になり物陰から何かが入った布を取り出した。
「女、お前に頼みがある」
玲奈が答える前に、オオカミは布を開いた。
中身を見て、ゾッとした。なんだ、これは。
「この子を育ててくれないか?」
この子?なるほど、今見ているものが「この子」らしい。一見人間の赤ちゃんに見えるが、おかしなところがたくさんある。耳は尖り、髪が異常に長く、なにより、体毛が至る所に生えている。
「何の冗談?助けてくれたことには、礼をいうけど、だからってバケモノを育てる義理まではないわ」
「バケモノか」
ククッと、オオカミが笑った。
「なるほど、たしかに人間から見ればこの子はバケモノにしか見えんかもしれん。ただこの子はもう少し成長すれば体の毛は人並みになり、ほぼ人間の姿になる。もっと成長すればおれのような姿にもなれるが、基本は人間の姿だ」
「いや、だからなんだっつーのよ。バケモノに変わりはないし、たとえ人間の子供だとしても、子育てなんてゴメンだね!バカバカしい!」
オオカミは、少し考える様な表情になり、懲りずにまた話し始めた。
「おれらは本来地球にはいない。違う星から逃げて来た。少々狙われていてな。宇宙船が不時着したのがここだったんだ。この子はおれの子だ。母親はもう殺された。本来ならおれが育てるべきだが、ここが地球であるならば、人間として育つ方が何かと都合が良いと考えている」
「だーから・・・」
それがどうしたというのだ。いきなりSF映画のようなストーリーを話されて、はいわかりましたと、子育てをする程、自分はお人好しではない。
「この子にはもう闘って欲しくない」
不意にオオカミの目が悲しげになった。その目に、玲奈の威勢が少し弱まった。
「人間は、基本的に戦闘はしない種族だと聞いている。何とかこの子を人間として育ててやってくれないだろうか?」
と、赤ちゃんが急に泣き始めた。
「おい!泣き始めたぞ!どうすんだよ!」
「むぅ、実はおれはあやし方がわからんのだ。いつもこの子の母親が面倒を見てくれていた」
「あーー!ったく!貸せ!」
赤ちゃんを無理矢理取り上げた。直接は触りたくなかったので、布ごと取り上げる。
自分でもあやし方がわからないので、とりあえず揺らしてみた。
「かぁー!泣き止まねぇな!仕方ねぇ、サービスだぞ!」
とっておきの笑顔を赤ちゃんに見せた。少し泣き止んだ。
「お!」
舌を出しておどけた顔を見せる。プライドは一旦捨てた。絶対泣き止ませてやる。負けず嫌いが嫌なタイミングで働いた。
努力が通じたか、赤ちゃんが笑った。どうやら成功のようだ。
「はは。ほらよ。どんなもんだい」
「すごいな!女!ありがとう!」
赤ちゃんはまだ笑っている。
一見不気味だったが、よく見ると可愛い。こういうものだろうか。
「あー、まだ酔ってんのかな?」
手を目に当てた。えーっと、何してんだ自分?何必死にバケモノを笑かしてたのだろうか。浮気男にフラれて以来、こんなに必死になったのは初めてだった。
目から手を離すと、赤ちゃんを抱っこしたオオカミが伺うようにこっちを見てくる。
「まだ私に、こいつを飼えってか?」
「うむ・・・できればお願いしたい」
「言っとくけど私、ひでぇ女だぞ。なんだっけ、ネグレクト?育児放棄なんて充分あり得るぞ」
「それでも構わん。人間よりは丈夫な体だ。最低限でいい。頼めないか」
「わーったよ。こいつ死んでも知らねぇからな!」
「本当か!すまん。恩に着る」
「まあ暇潰し程度に育ててやるよ。あー、ただいくつか条件がある」
「何だ、何でも聞くぞ」
「こいつとお前が会うのは構わねぇが、私とお前が知り合いなのは内緒にしろ。普通の人間に育てたけりゃ、一応私自身が普通の人間の
「わかった。お前の言う通りにしよう。この子と関われるだけでも充分有難い。おれが親であることは、口が裂けても言わないことにする」
「まあこいつが成人する頃にはそういう事も打ち明けてもいいかもしれないけど、少なくとも私の元にいる間は人間として育ってもらうよ」
「わかった。その辺りは人間のお前の方が感覚として頼りになる。この子のことはすべて一任する」
「おし、そういうことだ。とりあえずこのバケモノもお前も人目に付いたらマズイから一旦ウチ行くぞ。すぐそこだ。ついてきな」
「何から何まですまんな。女」
「あぁ、その女ってやめろ。ムカつく。玲奈と呼べ」
「玲奈か。おれはウォルだ」
「このガキの名前は・・・まああとで適当に考えるわ」
若い女とオオカミ、そして半分人間の赤ちゃんの奇妙な一行は、ボロアパートへと姿を消していった。
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