20. 米国の威信挽回【2060年代半ば】

 2064年6月、南シナ海で偶発的事件が起こる。

 フィリピン漁船と中国民兵の漁船が衝突したのだ。

 衝突現場の近くで、スービック海軍基地に駐屯していたアメリカ第7艦隊所属の哨戒艇が偶々パトロール任務に就いていた。フィリピン漁船が発した救援要請の無線を受信した哨戒艇が現場に急行する。

 焦ったのは中国民兵側だった。

 彼らは人民解放軍から軽火器の支給を受けていたが、その指揮下には入っていない。正規の軍事訓練を受けるわけでもなく、放任された存在だった。

 弱い者には強く出るが、決して戦闘に手慣れているわけではない。アメリカ海軍の哨戒艇の接近に震え上がり、その恐怖心から先に発砲してしまった。

 これを契機に、中国側はスプラトリー諸島のサンゴ礁を埋め立てた駐屯基地から駆逐艦を出動させ、アメリカ海軍もスービック海軍基地から駆逐艦を出動させた。

 事態は小競り合いから一挙に艦船同士の銃撃戦に発展した。そして、艦砲射撃の応酬にヒートアップして行った。

 アメリカ海軍は、この様な偶発的事象を待っていた節がある。

 1週間も経たない内に、アメリカ海軍は、スプラトリー諸島だけでなく、中国が南シナ海に築いた幾つもの駐屯基地を全て占領してしまった。

 アメリカの暴挙に対して、南シナ海を半世紀に渡って実効支配してきた人民解放軍は、有効な反撃をしなかった。

 いや、出来なかったのだ。

 アメリカ海軍の進軍スピードが余りに早かったと言うのが第1の理由だが、一方の中国共産党内部でも議論が割れて、中央軍事委員会が人民解放軍に反撃指示を出せなかったと言う事情も有った。

 中国にとって南シナ海の実効支配は、自尊心をくすぐると言う観点では満点だが、戦略的意味合いが全く無かった。

 南シナ海はフィリピンとベトナムに挟まれている上、其処から太平洋に出撃して行くには更に台湾とフィリピンに挟まれた海峡を通過する必要がある。

 戦略的には完全にタコ壺状態だった。

 また、南シナ海を実効支配し始めた半世紀前とは状況も変わり、通商面におけるマラッカ海峡への依存度は著しく低下していた。

 天竺鉄道を使ってインド洋から物資を輸出入するルートが確固たるものだったからである。中東からの原油輸入も細り、エネルギーは寧ろロシアからパイプラインで供給されていた。

 しかも、前年にインドとの戦争を行い、国力の充実も急務である。

――今は、インドで親中国体制を再構築する事に、国力の全てを投じるべきである。

 そう言った論調が中央政治局常務委員会の中では強かったのである。

 一方のアメリカ政府からすると、広大な太平洋を実効支配する上で、南シナ海は喉に刺さった小骨の様な存在だった。中国の手から実行支配権を取り戻す事は半世紀に渡る悲願であった。

 1週間程度の戦闘で再奪取できたので、或る意味、拍子抜けと言った風であった。

 衝突事案の最終的な帰趨は外交折衝の舞台に移る事になる。

 元々南シナ海周辺の東南アジア諸国は、総論として中国の実効支配に反対していた。

 とは言え、万一中国が南シナ海から撤退したとしても、東南アジア諸国が一枚岩に団結する事はなかった。東南アジア諸国の間でも、自分の排他的経済水域を少しでも広くしたいと言う思惑が渦巻いており、領海の具体的な線引きに関する見解の相違が存在したからである。

 中国政府は国連の場でアメリカ政府を断罪した。

 アメリカ政府は逆に安全保障理事会で、南シナ海を国連に依る信託統治領とする事を議題に挙げた。

 この提案に対して、米英仏の3カ国は歩調を合わせたし、またもロシアは知らん振りをした。

 ロシアの棄権票はアメリカに有利となる。これまで立て続けに中国寄りの態度を国連の場で示してきたので、今回ばかりはアメリカ寄りの態度を示そうと、外交上のバランス感覚を発揮させた。

 中国政府が常任理事国として拒否権を発動するケースも有り得たが、国際社会の予想に反して、投票を棄権した。

 南シナ海を紛争地と位置付け、今度はアメリカ海軍が実効支配する地域に人民解放軍の海軍戦力を投入し続ける事は、どう考えても割に合わない政策だったのである。

 国連を舞台とした外交折衝が半年に渡って繰り広げられた結果として、2064年12月、南シナ海は信託統治領となった。

 南シナ海の帰趨よりも、中国を激怒させた外交事案は、11月に突然、アメリカ政府が台湾政府の独立を承認した事である。

 “1つの中国”政策は中国にとって譲れない政策だ。それはアメリカ政府も理解しているはずだった。それにも拘わらず、アメリカが中国に牙を剥いてきた処に、アメリカ政府の本気度が覗えた。

 そう言う事も有って、中国は南シナ海事案での譲歩を決断した。

 一方、独立を宣言した台湾政府には、この様な状況判断が有った。

 台湾は環太平洋経済同盟に加盟したが、政治的に独立国家として認められた加盟ではない。アメリカ政府が確実に人工妊娠サービスの拠点を設ける為には、台湾政府としても一歩踏み出す必要があった。

 台湾に人工妊娠サービスの拠点を構えれば、大陸から大量の中国人が押し寄せ、その動きは台湾経済を底上げするだろう。

 台湾にとっての問題は人民解放軍の軍事的脅威だ。

 南シナ海の実効支配に踏み切ったアメリカ政府は、自らが前面に出る事も厭わない――と言う軍事支援の方針を台湾政府に表明していた。

 台湾独立の承認と米台軍事同盟の明文化はセットである――と。

 アメリカ政府から約束を取り付けた民進党の台湾政府は、急遽、国民投票で独立の是非を問う動きに出た。

 台湾の国民投票に前後する時期、アメリカ第7艦隊は台湾沿海に空母艦隊を2部隊も派遣した。台湾海峡側と太平洋側の両側に空母艦隊を派遣した。

 狭い海域に空母艦隊を2部隊も配置する事は、戦術上の意味合いが殆ど無い。示威効果を目的とした配置であり、そうやって人民解放軍に睨みを効かせた。


 2064年は、アメリカ合衆国の大統領選挙の年でもあった。

 2期を務め上げたアレキサンダー・マッケンジー大統領は立候補しない。新人を選ぶ選挙であった。

 南シナ海の衝突事案は、共和党と民主党の双方が大統領候補を決める予備選挙のタイミングに発生した。

 但し、各党の候補者レースは既に3月のスーパー・チューズデイで大勢が判明しており、大統領候補の選考に影響を与えたとは決して言えない。

 マッケンジー大統領は、共和党員らしく、国際社会におけるアメリカの指導力を回復させて国民の自信を強めるべきだ――との思惑を持っていたが、その後の半年間の国際情勢は、マッケンジー大統領の思惑に反して、民主党候補者に有利な風を吹かす事になった。

 前年の中印戦争を始め、米中両政府が強硬に張り合う姿勢をつぶさに見てきた有権者は、新たな戦争勃発を危惧して穏健な民主党候補者になびいた。

 11月、民主党のデービット・ジョセフが第53代アメリカ合衆国大統領に当選した。


 大統領選挙を間近に控えた10月。

 イレーネは秋風に涼しくなった1日を楽しもうと、金門橋の見える海岸沿いの公園で日光浴を楽しんでいた。公園のベンチに腰掛け、目の前の歩道を行き交う観光客達の向こうでキラキラと日光を反射するサンフランシスコ湾の波頭を眺めていた。

 ウィスキー瓶を片手に持った1人の男が、イレーネの座るベンチに千鳥足で近付いて来る。

 無精髭が伸び放題に伸び、目の焦点も合っていない典型的な泥酔状態であったが、イレーネの姿を見ると眉間に皺を寄せる。

 千鳥足ながらも真直ぐにイレーネの前まで来ると立ち止り、大声で怒鳴り始めたのだ。

「魔女め!」

 イレーネはギョっとして身構えた。

「お前のせいで俺は吸血鬼になってしまった!

 仕事は首になり、家族もバラバラだ。全部、お前のせいだ!」

 騒ぎに気付いた警護官が慌てて走り寄って来て、背中から男を羽交い絞めにする。身動きが取れなくなってもなお、男は罵詈雑言をイレーネに吐き続けた。

 警護官は、男をイレーネから引き離し公園の出入口付近まで引き摺って行った。

 警護官は男の身柄をサンフランシスコ市警の警官に引き渡すと、イレーネに「如何どうするか?」と聞いてきた。今日は大人しく自宅に引き揚げた方が良さそうである。

 海沿いの歩道を歩いていた観光客の一部は立ち止まり、騒動の一部始終を遠巻きに眺めていた。

 幸いにもイレーネに気付いた者は他に居ないようで、野次馬は酔っ払いが泥酔の挙句に他人に迷惑を掛けた単純な事件だと思い込んでいた。

 男がイレーネと出会ったのは偶然でしかなかったのだろう。

 だが、泥酔してもなおベンチに座るイレーネを目敏く見付けたのだから、日頃からイレーネの報道写真に憎悪の感情をぶつけ続けてきたに違いない。

 その夜、何も知らずに帰宅したフェイは、イレーネから事の顛末を聞いて青褪あおざめた。

「やっぱり、僕達・・・・・・アメリカを出て行った方が良いのかもしれない」

「駄目よ!」

 深刻な表情で考え込むフェイに、イレーネは強い口調で主張した。

 そして、優しい声音でフェイを宥める。

「もう少しで重水治療技術が完成するんでしょ?

 私の事は大丈夫。今日は護衛官が直ぐに駆け付けてくれたけど、イザとなれば自分で相手できるわ。昔、護身術を習っていたのよ」

「うん・・・・・・。酔っ払いが相手なら大丈夫だろうけど・・・・・・君も50歳だよ。

 銃を突き付けられたら、そうは行かないよ」

 フェイ自身も今は出国できないと分かっている。

 気休めにしかならないが、明日FBIには強く抗議すると言う事で、その夜は別の話題に移った。


 イレーネが暴漢に襲われる数か月前、中国政府は匿名のメールを受信した。

『特効薬は確かに有ります。

 私は専門外ですが、チベット人にはヤクと言う家畜の乳で何かの薬草を煎じて飲む風習があります。

 その風習を手掛かりに捜索してみてください』

 中印戦争で捜索活動が遅延していると言う報道はインターネット上にも流れている。

 恐らく、捜索の遅延を危惧した未来人の誰かが送信してきたのだろう。

 このメールが人民解放軍の捜索活動を劇的に早める事になった。


 翌2065年2月、フェイとプラトッシュは重水治療技術を完成させた。

 これはジョセフ大統領にとって就任早々の手柄となった。フェイとプラトッシュにとって、そんな事は如何どうでも良かった。兎に角、“此の世界”に対する責務は果たした。その充実感で一杯だった。

 フェイとプラトッシュは首席補佐官に出国の許可を求めた。

 イレーネも含めた3人は既に自由の身であったし、アメリカ政府としても異存は無かった。首席補佐官は3人に対し、餞別替わりにアメリカ合衆国の国籍を与え、パスポートを発行してくれた。

 改めて振り返れば妙な話なのだが、四半世紀の間、3人は“此の世界”を構成する一員だと胸を張って主張できない中途半端な状態であった。まして、所属する国家を論じるなんて滑稽な状態にあったが、それがようやく定まった。

 3人は、支給されたパスポートに載った自分の顔写真を見せ合い、キャッキャと単純に喜んだ。

 そして、3人は中国に渡る。

 先に移住していたタルヤとエディットに北京で合流する為である。

 北京首都国際空港の入国管理窓口を抜けた3人を見付けると、タルヤとエディットは両手を挙げて3人に駆け寄った。プラトッシュとは15年ぶり、イレーネとフェイの2人とは14年ぶりの再会となる。

 イレーネは、元々タルヤとエディットの2人に比べると5歳ほど年下だったが、8年間も冷凍睡眠カプセルに収容された結果、その年齢差は10歳以上に広がっていた。

 この時、イレーネは51歳。タルヤとエディットは、其々それぞれ63歳と65歳だった。

 2人はイレーネに抱き着くと「もう姉妹じゃなくて、姪と叔母の関係になっちゃったわね」と揶揄からかった。

 5人はタルヤの勤務先が用意した車で投宿先のホテルに移動した。

 ホテル内部のレストランの個室で円卓を囲み、10年以上の積もる話を報告し合った。

「それで、これから3人は如何どうするの?」

 ホスト役のタルヤが、フェイとイレーネ、プラトッシュに向かって質問する。

「僕達は未だ何も決めていないんだ。しばらくは中国に居ようと思う。

“此の世界”の中国は、あっちの時間宇宙の中国に比べて、かなり自由な感じがするからね。でも、インターネット情報でしか知らないから、まずは自分の目で確かめてみようと思うんだ」

「私はフェイの判断に従うわ」

 イレーネは、円卓の円周を五等分する距離ではなく、手を延ばせばフェイに届く近さにワザと椅子をずらして座っていた。そのイレーネが何の迷いも無くフェイに同調する。

「そう。それじゃあ、空き部屋も有るし、私のマンションで暮らしなさいよ。私のマンションを拠点に旅行して回ると良いわ。

 初めての街だから、その方が安心でしょ? 私も寂しくないし」

「うん、有り難う」

 フェイとイレーネが異口同音に礼を言う。

「それで、プラトッシュは如何どうするの?」

「俺も68歳だからね。残りの人生は生まれた国で過ごしたいと思っている」

「インドだったわよね?」

「ああ、インドの北部。ラージャスターン州と言う処だ。

 “此の世界”と“元の世界”とでは多少は違っているとは思うけど」

「一昨年まで中国と戦争していたからね。今は如何どうなのかしら? 落ち着いていると良いけど」

「まずは故郷に行ってみるよ。インドが駄目そうなら、中国に戻って来るよ。

 君らから中国政府に頼んでもらえれば、きっと問題無くインドに入国できるだろう?」

「そうだと思うわ。私から中国共産党の知り合いに頼んでみる」

 すっかり中国社会の慣習には慣れたと言う風に、プラトッシュの願いをタルヤが引き受けた。

「そう言う貴女達は、如何どうなの?」

 タルヤが軽く手を挙げ、エディットよりも自分が先に話すわと意思表示した。

「私は今、中国共産党の原子力発電所安全管理委員会と言う処でアドバイザーをしているわ」

「え? じゃぁ、タルヤは共産党員になったの?」

「まさか! 共産党員じゃなくても構わないみたいよ」

「でも、パスポートは中国なのよね?」

「アメリカを脱出する時に中国の外交官パスポートを支給されたの。有効期限も残っている。

 でも、あれはアメリカ脱出の時に支給されたものだから・・・・・・。

 考えてみると、私の国籍は如何どうなのかしらね?」

 人差指を頬に当て軽く考え込むタルヤに「私も同じだわ」とエディットが横で呟く。

「“此の世界”じゃ、自分のアイデンティーと言うか、身分を証明する為に国籍とパスポートは大切みたいだから、確認しておいた方が無難よ。

 私達の場合には、アメリカ政府が国籍とパスポートをプレゼントして呉れたの。10年以上アメリカに滞在した餞別だってね」

 イレーネが自分の事を説明しながら、処世術をタルヤとエディットにレクチャーする。

 こう言う抜け目の無い点は、CDC隔離棟に滞在していた頃と全く変わっていない。抜け目無い上に、この上なく仲間には親身だった。

「話の腰を折って御免なさい。是非タルヤの話を続けて」

 タルヤは頷いて、話を続けた。

「この委員会の仕事はね、一言で言うと、災害訓練ね。

 中国は幾つもの原子力発電所を動かしているんだけど、定期的に巡廻して災害訓練を行うの。

 すっごく大掛りよ。

 人民解放軍の軍隊が出動して周辺道路を封鎖してね。それで発電所の人間を実際にバスなんかを使って退避させるの。場合によっては原子炉を緊急停止する訓練も遣っているわ。そして、何台もの消防車が寄って来て、発電所の施設に放水するの。

 兎に角、凄い見せ物だわ、まるで映画みたい。

 私はもう2度も経験したけど、こんな事はアメリカじゃ聞かなかったわね。

 もっとも、エンリコ・フェルミ炉は稼働していなかったけど・・・・・・。

 それでも他の発電所での災害訓練の話なんて耳にした事は無いし、アメリカじゃ出来ないと思うわ。災害訓練の間、周辺の経済活動は止まってしまうから。絶対に近隣住民が災害訓練には反対するわ。

 そう言えば、エンリコ・フェルミ炉は如何どうなっちゃったんだろう?

 私がアメリカを出てから、もう何年が経つのかしら? そろそろ3年半?」

 タルヤの疑問にはフェイが答えた。

「タルヤが居なくなっても順調らしいよ。米日の民間企業は優秀だって言う事だね。

 僕の重水治療技術が完成しても、その重水が安定的に供給されないと、骨髄病の治療システム全体は機能しないからね。

 来年か再来年には、いよいよエンリコ・フェルミ炉が稼働するらしい」

「そう。それは良かった。ずっと気にはしていたのよ」

 フェイの知らせにタルヤは胸を撫で下ろした。

 残るエディットに4人の視線が集まる。

「私は今、上海に住んでいるの。

 上海はね、中国の中では再生医療のメッカなの。50年前に日本とEUの医療機器メーカーが進出を始めたらしいんだけど、今はソコソコの実力が有るわね。

 変な話だけど、私の開発チームのメンバーも、中国企業の人間じゃなくて、日本やEUの企業から派遣された人間が殆どなのよ。

 彼らもこのプロジェクトを通じて人工胎盤技術のノウハウを手に入れたいらしいわ。

 まぁ、アメリカ政府が技術を独占しているからこそ、彼らも中国政府に協力しているんだと思うわ」

「それで、中国でも人工胎盤技術を完成できそうなの?」

「色々苦労はしているけれど・・・・・・大丈夫だと思うわ。

 でも、ロサンゼルスと同じ物は出来ないわね。それでも機能的には合格点を取れる。共産党としては、それで構わないみたい。

 中国でも技術を手に入れたと言う事実が世界の認める処になれば、技術を独占できないと悟ったアメリカ政府も方針を180度転換するはず。

 今度は金儲けの為に自ら人工妊娠サービスを中国で始めるだろう。

 中国政府としては、アメリカ企業だろうが中国企業だろうが、中国人の出生率を上げてくれるなら文句は無い。

 そう考えているみたいだわ」

「そうなんだ。でも、エディットが手応えを感じているって言う事は、僕達にとっても心強いよ」

――アメリカ政府が諸々の技術を独占するので、その恩恵を同胞民族が受け損ねるのではないか?

 そう密かに気を揉んでいたフェイがエディットを祝福した。

「それより、中国が探している特効薬の方は如何どうなんだ?」

 今度はプラトッシュがエディットに質問する。

「私は当事者ではないから詳しく知らないんだけれど、この北京に在る中医薬大学が開発拠点になっているらしいわ。中医薬大学は漢方医学の拠点なんだって。

 チベットで見付けた漢方薬の材料になりそうな薬草のサンプルを片っ端から北京に送って、この中医薬大学が分析と評価をしている――って聞いたわ。

 それを体系化する為に、情報技術産業の中国企業が後方支援しているんだって。

 これを機会に、中国共産党としては、漢方薬事情報工学と言う新たな産業を育成しようと計画している。そう言う話を聞いたわね」

「エディット。上海に住んでいるのだから、ダーファに会ってみてよ。

 彼、人民解放軍の情報工学大学に通っているの」

 同じ中国と言っても北京と上海とでは直線距離で約1000㎞も離れている。

 だから、北京でタルヤが新しいポジションを手に入れ、上海でエディットが別のポジションを得たのを契機に、2人は別れて暮らすようになった。

 もう2年余りが経つ。

 タルヤとエディットの2人にとっても、直に顔を合わせるのは、その時以来だった。

「俺も会ってみたいな。

 何と言っても、彼は俺達にとっての恩人だからな。そのダーファ君の御蔭で俺達は世間に出てくる事が出来たんだ。感謝し切れないよ」

 プラトッシュが即座に同調する。

 特にプラトッシュだけは中国を離れる事が確実なので、恩人に直接お礼を言う機会を見逃すのは心苦しかったのである。


 ダーファは、情報工学大学を卒業する今年、人民解放軍への入隊を決めていた。

 総参謀部情報部への配属が決まっていたのである。新入兵には珍しい事だが、駐インド大使館に武官として赴任する事まで決まっていた。

 西部方面のインド国防陸軍から侵略行為を受けたパキスタンやアフガニスタンは、終戦協定の締結に当たり、戦勝国として国境線を自国に有利となるよう引き直した。

 一方、中印戦争の真の勝利者であった中国政府は、インド政府に対して、多額の賠償金や政治体制の変更などハードルの高い要求は一切しなかった。

 唯一強硬に要請したのが、インド国防陸軍の州兵化である。

 インド全土の防衛任務はインド国防海軍とインド国防空軍に任せ、インド国防陸軍の指揮権をインド首相から州知事に分散させる事を狙っていた。

 独立心旺盛な州知事が指揮する陸軍に位置付けておけば、インド全体としての統一行動を取れなくなる。

 更に各州には新たに陸軍を養う財政負担が生じる。

 当面は中央政府からの交付金で賄わせるにしても、州知事は陸軍の維持よりも地場産業の育成などに財政をシフトして行くだろう。州レベルの軍事費は圧縮され、その総和として、国レベルでの陸軍の戦力が弱体化するのは時間の問題であった。

 それに、今インドが必要としている陸軍は、他国からの侵略に備えた存在ではなく、骨髄病の蔓延に恐慌を来した民衆の暴動を鎮圧する手段としての存在だ。そう言う面でも、州知事の判断で迅速に出動できる州兵化は望ましかった。

 中国政府の狙いを容易に見破ったインド政府としては反対の姿勢を示したものの、中印戦争の戦端を開いたのはインド国防陸軍であったし、再発防止を盾に中国政府が強硬姿勢を示すと、最後は折れざるを得なかった。

 ダーファがインドに赴任する目的は、インド国防陸軍を解体する一連のプロセスを監視する為である。

 ダーファだけでなく、平時では有り得ないほど多数の武官が駐インド大使館に送り込まれようとしていた。ところが、大半の将校は満足に英語を話せない状態であったので、年少兵といえども米国滞在経験の有るダーファにも白羽の矢が当ったのだ。

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