19. 中印戦争【2060年代前半】

 2062年11月、中国では5年ぶりに第28回共産党全国代表会議が開催された。

 そして、この場では10年ぶりの国家元首の交代が決定された。郭国家主席に替わり、李常務委員が国家主席に選出された。

 機関決定としては翌年3月の全国人民代表会議で承認される必要があるが、共産党の決定が覆る事は無い。

 当初、郭国家主席は自分の派閥の常務委員を後任に推したものの、周前国家出席の派閥が李常務委員を推した。

 李常務委員の推薦は、骨髄病の蔓延に戦略的に対処してきたと言う実績を評価された結果であり、その実績は郭の派閥も認めざるを得なかった。長老及び現役の中央政治局常務委員会は、骨髄病への対処と言う中国共産党の舵取りを任せるならば李国家主席をおいて他にないと言う結論に至る。

 李国家主席の就任に伴い、中央軍事委員会委員長だった孫国務委員も、新たな中央政治局常務委員の末端に連なる事になる。中国共産党のトップ7に仲間入りしたのである。

 彼はタルヤやエディットのもたらした情報を効果的に活用した現場指揮者としての功績を認められた。

 骨髄病と言う国難を前にして、選出された李国家主席も、周派閥と郭派閥双方の長老達も、無用な権力闘争を繰り広げるつもりはなかった。

 早速、李国家主席はチベット自治政府のダライ・ラマ16世を釣魚台迎賓館に招聘すると、事の次第を相談した。ダライ・ラマ16世としても人類救済に貢献する事に異存は無かった。

 この李国家主席とダライ・ラマ16世との会談では、建前上は国家元首と自治体首長の対談に過ぎなかったが、外交に準じたプレス対応が為された。何故なら、プレス発表の内容は中国国内に止まらず全世界に向けた発信を意図していたからである。

 李国家主席が国内外の記者達を前に宣言する。

「今年初め、中国は全世界が直面している危機の存在を公表しました。

 骨髄病です。

 その治療法を開発中のアメリカは、今もって情報開示の時期を明らかにしないままです。

 本日、中国は全世界に向けて報告致します。未来からの来訪者は、あの5人の使節団に限りません。他にも居るのです。彼らからの情報に依るとチベットに特効薬が存在します。

 正直に申しましょう。未だ特効薬を特定できていません。

 よって、これから大規模な捜索活動を展開します。この事をダライ・ラマ16世にお伝えし、快く協力を約束して頂きました」

 李国家主席はダライ・ラマ16世を振り向いた。ダライ・ラマ16世は笑顔で応えた。

「人民解放軍を動かす事になりますが、特効薬の捜索活動が目的なので、彼らは非武装です。

 この事は、アメリカ政府とロシア政府には予め伝えています。私の発言に嘘が無い事は、彼らの偵察衛星が証明してくれるでしょう。

 もう1つ大切な事が有ります。

 此の世界には未来からの来訪者が他にも未だ居るはずです。

 その方々にお願いです。特効薬の情報を持っていたなら、是非教えて頂きたい。一緒に世界の終末を救いましょう」


 特効薬を探す為に大部隊をチベットに送り込むと言う中国政府の方針には、全世界から好意的な反応が寄せられた。骨髄病の解決策が増える事は誰にとっても望ましいからである。

 アメリカ政府は人民解放軍の大規模な移動に懸念を表明した。

 しかし、ロシアは賛成した。何故ならば、中国は、ロシアから大量の原油と天然ガスを購入しており、エネルギー安全保障の生殺与奪権をロシアが握っている限り脅威にならないと判断したからである。

 それに、中国が特効薬を発見した場合、優先的な便宜をロシアに図ってもらう為の外交的貸しになるとも考えた。

 そう言う国際情勢を背景に、アメリカ政府による中国への抵抗は不発に終わった。

 一方で、インドは特段の意思表明を示さなかった。自国が国連の安全保障理事会メンバーでもなく外交的影響力も殆ど無い事を自覚していたからであるが、内心は面白くなかった。

 2057年にロシアが上海協力機構から脱退して以降、中国は、バングラディッシュ、パキスタン、アフガニスタンに加盟を強く促してきた。そして、2059年に3カ国とも上海協力機構のメンバー国となった。

 その3カ国の共通点は、イスラム教の国であり、そして骨髄病の発症者が続出し始めていたと言う現実だった。

 ウサギの生き血を飲む行為に嫌悪感を覚え、宗教的善意から感染した同胞をリンチする事件が相次いだのである。

 本来ならば、自国の国防軍を治安活動に投じれば済む話だが、銃を所持した兵士がリンチに加担する事例も多々あり、有効な治安活動を果たせないでいた。

 そこで、上海協力機構の盟主である中国に治安部隊の派遣を要請する事になった。

 当初は国連の平和維持軍を投入する選択肢も考えられたが、3カ国の政府は正常に機能しており、内乱状態に陥ったわけではなかった。

 よって、まず最初に、バングラディッシュが中国に治安部隊の派遣を要請した。

 中国としても、自国資本の繊維産業がバングラディッシュに深く進出しており、彼らの工場従業員を保護する事は重要な関心事であった。両国の利害が一致したのである。

 そのバングラディッシュの成り行きを見定め、パキスタンとアフガニスタンが追随した。

 この構図をインドから眺めると、東西の隣国に中国の人民解放軍が展開し、完全に包囲されているようにしか見えなかった。

 しかもインドはヒンズー教徒の国。片や隣接する3カ国は全てイスラム教徒の国である。

 異教徒に包囲される宗教戦争において、宗教を否定する共産主義の大国が敵方を後押しする構図にしか見えなかったのだ。

 当然の反応として、インドは東西双方の国境付近に自国軍を展開した。

 自動車産業や情報技術産業を中心に中印の経済的結び付きは非常に深い関係にあったが、念には念を入れる必要がインド政府には有った。

 こう言う情勢下、たとえ非武装だとしても、チベット山脈の向こうに大量の人民解放軍兵士が控えている状況は、インド政府にとって居心地の悪い脅威以外の何物でもなかった。

 これがインド政府の置かれた状況であった。

 ちなみに、中国がエネルギーをロシアに依存する構造になった背景にも同様の事情が横たわっている。

 産油国としての中東諸国が深刻な状況に見舞われていたのである。中東諸国もまたイスラム教の国々だ。

 原油掘削基地で働く労働者達は、経営者に従業員の感染検査を迫ったのである。感染者を掘削基地に入れるな!――と言うのが彼らの言い分だった。

 時間の問題で感染は広がるので、労働者は自分で自分の首を絞める要求をした事になるが、彼らも気が高ぶっており、そう要求する衝動を止めようがなかった。

 こうやって、原油掘削基地の稼働率は釣瓶落としに落ちて行った。

 原油マーケットではロシアがシェアを伸ばす事となり、供給不足から急騰した原油価格と相まって、ロシアは財政的にも潤っていた。


 2063年1月、プラトッシュとフェイはアニー社の技術担当顧問に就任した。

 そして、プラトッシュの要望通り、イレーネも含めた3人は、アニー社の本社が所在するカリフォルニア州シリコンバレーに住居を移した。

 冷凍睡眠カプセルの保存施設はアラスカ州アンカレッジに有り、重水治療の開発体制もジュノー海軍基地に整えられているので、プラトッシュも北方に出張する事までは逃れられない。それでも条件は大幅に改善された――と、プラトッシュは満面の笑みを浮かべた。

 シリコンバレーに引っ越して来た初日の晩、3人は街中の洒落たバーに入った。

“此の世界”に来て20年余りが経つが、3人とも初めての経験である。田舎町のジュノーには場末のドライブイン兼レストランが数軒あるだけだった。

 都会に相応しくアルコールを楽しむ客で一杯のバーの店内では、壁際に控えた護衛官が目を光らせている。但し、その性格は監視者から護衛官に変わっている。

 周囲の酔客以上に解放感を満喫しながら、3人は洒落た雰囲気で飲むアルコールを楽しんだ。

「それにしても、イレーネが工作員だったと言うのは驚きだな」

 プラトッシュの感想に微笑むと、イレーネはカクテルに口を付けた。フェイが相の手を入れた。

「僕も驚いたよ。でも、イレーネの本当の経歴はどんなものなんだ?」

「フェイには一度話したけれど、私はコロンビアで生まれたの。

 8歳の時に母とアメリカに渡った。その後、直ぐに母は亡くなって天涯孤独の身になったわ。

 10歳ソコソコの女の子が生き抜くには犯罪組織の末端に連なるしかない。その時期に、幼少ながら機転を利かせる訓練を積んだんだって、今から振り返ると、そう思う。

 そうやって生きて行って、15歳の時に工作員の養成機関に拾われたの。勉強らしい勉強を始めたのは、その頃が初めてだったわ」

「壮絶な人生だったんだなあ。でも、地球連邦政府が樹立された後でも、工作員なんて必要だったのかい?」

「インドが如何どうだったのかは知らないけれど、南米人には情熱的な面が有って、軍閥化していたマフィアの扇動に民衆が呼応するような風土が未だ残っていたの。

 私は、民衆の集会みたいな所に潜り込まされて、世界統一は寧ろ良い事なんだって言う雰囲気を作るのに一役買っていたの」

「それじゃ、銃の取り扱いも上手なのかい?」

「養成機関で一通りの訓練は受けたわ。実際に使った事は無いけど」

「だから、時間移動の作戦に従事する事になったんだ?」

「それは違うと思うわ。この作戦で銃を撃ち合う場面は想定できなかったしね。

 寧ろ、地球連邦政府が落ち着いてくると工作員は不要になるから。多分そっちの理由ね。私の様な工作員は用済みになったって言う事」


 同じく1月、ヤン・カイコー夫婦は久しぶりにアメリカの娘夫婦を訪ねていた。

 前年のタルヤとエディットの会見以降、中国政府の再入国禁止令は緩和され、今は完全に解除されていた。1年経った今は、アメリカに留め置かれた時限移民の殆どが帰国を果たしていた。

 寧ろ、もう一度渡米しようとする者の方が多かったが、彼らの抜けた穴をアンドロイドが既に埋めており、就職口を見付ける事は叶わなかった。

 ヤン・カイコーはと言えば、帰国してから早速、新たな事業を立ち上げた。

 ウサギの養殖業である。地元の江蘇省で広大な土地を払い下げて貰い、其処でウサギを放牧していた。

 放っておいてもウサギは勝手に繁殖するので殆ど手間は掛からない。“濡れ手に粟”と言える事業だった。ウサギの血液は人民解放軍が買い上げてくれる。全ては人民解放軍のお膳立てだった。

 骨髄病の対症療法としては重要な位置付けにあるので、国営企業としてヤン・カイコーの会社は設立された。自分の出資比率は僅かだが、それでも相当な資産価値がある。

 そして、董事とうじ長として満足の行く報酬を得ていた。ヤン・カイコーが恵まれた待遇を手に入れた理由は、エディット情報を人民解放軍にもたらした論功行賞に尽きる。

 同じ理由で、ダーファの父親であるリウ・フェングも董事に就任していた。

 自分の技能を活かす事なく、経営者の端くれに連なる事にリウ・フェングは躊躇した。「そんなに旨い話が世の中に転がっているはずがない」と言う労働者としての常識も彼の猜疑心を掻き立てた。でも、結局は易きに流れた。

 ヤン・カイコーとリウ・フェングは、かつては労使関係にあったが、今は同僚である。

「やっぱりデトロイトも寒いなあ。お前ら、元気に遣っているのか?」

「ええ。親子3人で仲良く暮らしているわ」

「クリス。工場の方は如何どうだ?」

「順調です。生産量も以前のレベルよりも少し多いくらいです。中国人が帰国した穴は、アメリカ人とアンドロイドが埋めています。

 労働需給の逼迫した時期に雇い始めたアメリカ人の賃金は高いのですが、アンドロイドのリース料が割安なので、結果的には労務コストは以前よりも軽くなっていますよ」

 経営者らしくなったクリスの発言にヤン・カイコーは目を細めた。

 チン・メイリンが母親らしく娘に日常生活を尋ねる。

「こっちの生活は如何どうなの? 骨髄病は広がっているんでしょう?」

 クリスとチーリンは表情を曇らせ、顔を見合わせた。

「そうね、お母さん。でも、命に別条があるわけでもないし・・・・・・。

 アメリカ人も多少は慣れてきて、慢性病として長く付き合って行こうって、諦めたって言う処かしら。

 そう言えば、ウサギの血液ね、こっちじゃスーパーでも店頭に並び始めたわ。乳製品のコーナーに並んだり、精肉コーナーに並んだり、店に依ってバラバラだけど・・・・・・。

 ちょっと前までは、処方箋を貰って薬局に行かないと、手に入らなかったのにね」

「貴女達も飲んでいるの?」

 クリスとチーリンは無言で首を横に振った。

「検査はしたの?」

 クリスとチーリンは、この質問にも首を横に振った。

「いいえ、未だ。2人とも怖くて検査はしてないわ。

 それに治療法も無いわけだし、検査しても意味ないわよ」

「そうねえ・・・・・・。でも、2人目の赤ちゃんの事も考えなくては。ね?」

「お義母さん。私達は幸せでした。リンダが生まれていますから」

「そうよ、お母さん。今の処、私達は2人目を生む事は考えてないの」

「でも、感染しているなら、人工妊娠サービスの事も真面目に考えなくちゃ。

 今はリンダだけで十分だと思っていても、リンダだって弟か妹が欲しいって、きっと言い始めるわよ。貴女達にはお金が有るんだし」

「でも、「こんな世の中に生まれて来る子供が幸せなのかしら?」って思っちゃうのよ。リンダには悪いけど・・・・・・」

 チン・メイリンは、それ以上は言わなかった。

 今度はチーリンが両親に中国の事を質問した。

「お父さん達のウサギ養殖業は如何どうなの?」

「順調さ。国全体を考えると、売上高の増えて行くのは、どうかと思うけどな」

「中国では・・・・・・アメリカの事をどう言っているの?」

「そりゃあ、まあ・・・・・・良くは言わないよ。

 特に時限移民として渡った人間は、騙し討ちに遭ったみたいなもんだからなあ」

 クリスは生粋のアメリカ人として居心地の悪い思いをした。

「ただ、何だ・・・・・・あれよ・・・・・・。中国人は強いからな。

 クヨクヨする前に、今日、明日の食い扶持を稼がないと」


 2063年4月、不幸な衝突事件が勃発する。

 中国領とバングラディッシュ領をつなぐ天竺鉄道は、途中の500㎞程の距離だけインド領を通過している。

 この天竺鉄道は旅客車輛よりも貨物車輛の方が頻繁に利用していた。中国からバングラディッシュへは日用雑貨が、その帰り便には繊維製品が、主な商品としてコンテナに積載され運搬されていた。

 最近は、中国から南インドに供給するウサギの血液パックも多くなっていた。

 アメリカで製造するウサギの血液パックは香料も添加されて飲み易かったが、価格が南アジアの住民の手が届く域を超えていた。

 一方の中国産は、血液特有の鉄分の生臭さが残った劣悪品であったが、安価だった。そう言うわけで、中国産が南アジアのウサギの血液パック・マーケットを席巻していたのだ。

 勿論、バングラディッシュに派遣された人民解放軍の治安部隊への補給物資の供給にも、天竺鉄道が利用された。

 この日は派遣された兵士の交代時期に当たっていた為、天竺鉄道の列車には、兵器と弾薬、燃料の入ったドラム缶、軍事用に改造された建設ロボット、これらが満載されていた。

 加えて、自動小銃を肩に掛けた人民解放軍の兵士1000人余りを乗せた二等客車も連結されていた。

 この列車が、運悪く、インド国防陸軍の駐屯地近くで、脱線事故を起こしたのである。

 線路から勢い良く脱線した列車は軍事物資を辺りにぶちまけた。最後尾に連接された客車も被害を免れず、車窓から投げ出された兵士が何人も居た。

 人民解放軍の指揮官は被害状況を確認すると、散乱した軍事物資を一箇所にまとめて整理するよう兵士達に指示する。

 軍事用に改造された建設ロボットが何基も起動し、神話に登場する巨人のように立ち上がった。

 この軍事用建設ロボットは、民生用と大差無い性能であったが、操縦席が厚い鋼板で覆われており、前面には防弾ガラスが嵌め込まれていた。

 その復旧作業現場に偵察と救助を兼ねて、脱線の連絡を受けたインド国防陸軍の車輌が列をなして到着する。

 ところが、インド国防陸軍の兵士達は建設ロボットを見た事が無かった。

 一般兵士の大半は満足に教育を受けられない貧困階級の出身者だった。

 それに、中国製の建設ロボットはインドの中でも都市部でしか稼働していなかった。インドの地方における土木工事現場では、地元労働者が起用されるのが一般的だった。工事の効率よりも雇用問題の解消が優先されたからである。

 だから、巨大な蟹のハサミの様な両腕を持つ鋼鉄製の巨人が何体もうごめいている光景は、インド国防陸軍の兵士達にとっては奇怪な光景でしかなかった。

 未知なる存在への恐怖心を必死で抑えつつ、インド国防陸軍の兵士達が自動小銃を構えて脱線現場に近付いて行く。

 その最中に引火したドラム缶が爆発した。

 ゴワァーン。

 巨大な炎が上がり、渦巻く黒煙の上昇が続いた。

 この轟音に驚いたインド兵士の1人が、自動小銃の引き金に掛けた指先に思わず力を込めた。

 パーン。

 1発の乾いた銃声が鳴り轟いた。

 誰の発砲か分からない内に、恐怖心に駆られた別のインド兵士が続いて発砲する。

 次に恐慌に陥ったのは人民解放軍の側だった。彼らからすれば、インド国防陸軍が一方的に攻撃して来たとしか思えない。

 当然ながら、直ちに反撃が始まった。人民解放軍の兵士達は散開し、軍事用建設ロボットの陰に身を隠しながら自動小銃を撃ち返す。

 インド国防陸軍の先遣隊が駐屯地に「中国軍から攻撃を受けている」と無線連絡を入れる。

 そうやって、大隊規模の戦闘が開始された。

 軍事衝突を把握したバングラディッシュ駐屯の人民解放軍は直ちに応援を寄越した。インド国防陸軍も同様である。更に戦闘は激化した。

 偶発的な軍事衝突に驚いた中印両政府は直ちに連絡を取り合い、開戦の意思が双方に無い事を確認したが、現場では中々歯止めが掛からなかった。

 中国にとっては自国領でなかったし、インドにとっても辺境地だったから、前線部隊と密に連絡を取る事が困難だったのである。

 人民解放軍は、負傷兵の救助を目的として、特効薬捜索の為にチベットで展開していた兵士達を天竺鉄道でインド領に送り込んだ。

 戦闘場所まではレールが生きている。それに、チベットに居た部隊が武装解除している事は国際的にも周知の事実と言う安心感もあった。

 しかし、インド国防陸軍からすると、中国が停戦を呼び掛けながら、増派しているとしか見えなかったのである。

 この状況に至ると、インド全土に展開していたインド国防陸軍の中には、勇み足で国境を越え始める部隊が出てきた。

 この動きは寧ろ、歴史的に対峙してきたパキスタンやアフガニスタンと国境を接している西部方面で顕著だった。

 当然ながらパキスタン軍やアフガニスタン軍は応戦する。

 人民解放軍に任せた治安維持活動からは1歩引いた状態だったが、侵略行為への応戦となれば、彼らは大手を奮って動ける。

 彼らの防戦の動きには、上海協力機構の集団安全保障の取り決めに従い、人民解放軍も加わった。

 インドの東部方面と西部方面の双方で戦端が開かれる事になった。

 此処まで騒ぎが大きくなると、中国共産党の指導者達も覚悟を決め、人民解放軍の行動を支持した。

 インドを支配下に置く事は中国の100年の計であったし、若年層の枯渇と言う骨髄病の影響が深刻になれば、中国の国力が今以上に相対的優位を占める機会は永久に巡って来ないかもしれない。

――これは千載一遇のチャンスであるし、今が決断の時だ。

 中国共産党の指導者達は、そう判断した。

 中印両政府は、国際社会を前に、戦端を開いた責任の擦り合いを展開した。双方ともが「相手の謝罪が先だ」と言い張っている限り、事態の収拾は期待できなかった。

 実際問題、戦端を開いたのはインド国防陸軍であり、戦場はインド国内だ。中国政府に矛を収める意思は微塵も無かった。

 パキスタンとアフガニスタンも、国際社会に対して「侵略者はインドだ」と声高に喧伝した。

 流石さすがに国際社会は無視したが、上海協力機構に加盟する残りのイスラム諸国も「インドのヒンズー教徒はイスラム教徒の敵だ」と応援演説に回った。

 これに対して、アメリカ政府は直ちに国連の安全保障理事会の開催を要求し、中国に対する撤退勧告を決議するよう迫った。

 骨髄病の情報を秘匿してきたアメリカ政府に不審を抱くイギリスとフランスであったが、安全保障理事会では渋々アメリカ政府に同調した。

 しかし、ロシアは反対に回ったのである。

 ロシアが関心を持つ対象海域は北極海であり、何の権益も持たないインド洋ではない。

 骨髄病の解決策としては、アメリカの未完成な重水治療と中国の未発見の特効薬の選択肢が考えられるが、アメリカがロシアに易々と重水治療の恩典を分け与えてくれるとは思えなかった。

 そうであれば、中国政府に恩を売っておく方が得策である。こう判断した。

 こうして、インド周辺のイスラム3カ国に中国が治安部隊を送る事になった時と同様、ロシアは、アメリカとは距離を保ち、肩入れする事を拒否した。

 インド国内では、各地で軍事衝突が散発的に起きるものの、全体的には膠着状態が続いた。ただ、経済活動は停滞を余儀なくされた。

 致命的だったのが、ウサギの血液パックの供給の殆どを中国に頼っていた事だった。アメリカ政府は、その代替供給を約束したし、実際そのように動いた。

 但し、アメリカ資本の製薬会社が製造する血液パックは、インド国内の庶民の手に届かなかったのである。

 資本主義経済を標榜するアメリカ政府としては、民間企業の製薬会社に損を押しつける事も出来ない。かと言って、税金を投入して差損を補填し、血液パックをインドに送る法案を議会で通す自信も無かった。

 この時点で骨髄病を発症した人間はインド全人口の数パーセントに過ぎない。それでも発症した人間にとっては死活問題であり、各地で反戦デモが相次いだ。

 また、発症者を親族に持つインド兵士も数多く、彼らを通じて厭戦気分が全インド軍に蔓延した。この現象は中国共産党にとっても全く予期しない僥倖ぎょうこうだった。

 膠着状態が半年ほど続いた10月、人民解放軍は決着を着けるべく、或る作戦を発動した。

 総参謀部技術偵察部の配下にあるサイバー部隊が、インド全土の社会インフラを対象としたサイバー攻撃を敢行した。

 一切の社会活動を停止した初日の夜、首都ニューデリーに電力を供給している周辺諸州の変電所や送電網に、空挺部隊が夜陰に乗じて工作員を降下させた。

 それらの施設を破壊する事で、首都ニューデリーは物理的にも電力の使えない街になった。陽が沈むと首都は暗闇に包まれる事になるが、電力インフラの復旧は早くても数カ月先の見通しだった。

 ニューデリーには、カーストの低い身分の出身者を中心に、社会に疎んじられた貧困層の民衆が多く住んでいた。

 住んでいたと言うよりも、行き場を失った貧困者が周辺地域から首都に流れ込み、貧民窟を形成していたと言う方が正確だった。

 暗闇が支配する時間帯になれば、不満の捌け口を破壊活動に向ける彼らの衝動を抑える歯止めは全く効かなくなる。

 特に人民解放軍の破壊工作に続く数日間は、街中で暴徒が暴動を起こし、商店街の至る所で放火と略奪が横行した。

 その後は戒厳令を発して夜間外出を禁止したものの、インド国防陸軍は巡廻警備を密にしなければならなかった。つまり、首都に駐屯していたインド国防陸軍は治安活動に追われ、国防どころではなかったのである。

 一方、中国政府は、周辺諸州の内、反戦デモの激しい州から個別に休戦協定を締結した。

 休戦協定締結に際して示した中国側の条件は唯1つ、インド国防陸軍を州外に追放する事である。

 国と州との休戦協定とは奇妙な条約であったが、中国共産党は従前からインド戦略をそのように定めていた。

 インドは15億人の人口を抱える大国ではあるが、その実態はモザイク国家であり、各州の独立色がアメリカ合衆国よりも強い特殊な国である。

 一応、中央政府がインド全土を統制してはいるが、往々にして各州のエゴが出てしまう為に、国としてのまとまりを欠いた国なのである。

 この特徴に注目した中国共産党は、インド各州を実質的に独立させ、インドと言う国を解体する方針を立てていた。分裂してしまえば、中国にとっての脅威ではなくなる。

 現状の中印の複雑に絡まった経済活動を維持した儘、インドを実質的に統治するには、最善の方策である――と、結論付けていた。

 よって、中央政府のみに攻撃の的を絞っていた。

 各州がインド国防陸軍を追い出す遣り方には、州知事の個性が色濃く出た。

 撤退拒否の姿勢を示すインド国防陸軍の将校に対して、「貴方達が撤退すれば、この州は戦乱から解放される。軍隊は民衆を守る為の存在のはずだ」と正論を吐く州知事も居た。

 一方で、未だインド国防陸軍が入っていなかった州では、放牧業者を扇動して州境の道路に牛を集め、軍事車輛の進入に対するバリケードとした。ヒンズー教徒の兵士達にとって、それは突破しようのないバリケードだった。

 既にインド国防陸軍が州内に入っていれば、食糧や燃料の提供に関して、色々と難癖を付けては実質的に拒否した。軍隊とは自給自足を基本とするが、まさか自国内で補給を受けられなくなるとは想像していなかった。

 また、或る州では、反戦デモの群集をインド国防陸軍の駐屯地に誘導したりもした。農民を扇動して、駐屯地の設営をさせなかった州もあった。

 中央政府と州政府の離反作戦を開始して2カ月、中国と休戦協定を結ぶ州が続出した結果、インド国防陸軍の戦線は小さく縮小する一方だった。

 そして、12月半ば、インド政府は正式に降伏を中国政府に申し入れた。


 アメリカ政府は中印の終戦協定の報告を憮然として聞いた。

 これでインド洋は中国の手に落ちた事になる。インド洋の先には中東とアフリカがある。

 今は骨髄病の影響で両地域とも経済的混乱と人心の乱れで騒然としている。アメリカとして旨味を感じる地域ではなくなっているが、逆に中国からすると、親中国家群を樹立して回る好機と捉えているかもしれなかった。

 そう考えると、マッケンジー大統領は地団太を踏んだ。

 此処数年、アメリカ政府は外交的失点を重ねてきた。

――アメリカの指導力の挽回を本気で考えなければならない。

 そう言う問題意識を胸に、マッケンジー大統領は任期最後の一般教書演説に臨んだ。

 2064年1月の事である。

 一般教書演説でマッケンジー大統領は、人工妊娠サービスの海外展開を認める――と表明した。但し、認可対象地域は環太平洋経済同盟と米欧経済同盟の加盟国に限定した。

 2つの経済同盟の加盟国からは歓迎の声が相次いだ。根治療法が未だ開発されていない中、出生率低下におののいていた現地国民にとっては朗報である。

 たとえアメリカ資本のアニー社の現地拠点と言う独占企業体制でしか認可されないとしても、子供を産みたい――と言う欲求の前では些末な問題だった。

 一方で、当然ながら、中国を始めとする非加盟国からは非難の声が相次いだ。アメリカへの忠誠を誓う踏み絵でしかなかったからである。

 アメリカ政府の政策は、中国と東南アジア諸国との間に嫉妬や妬みの感情を惹起し、南シナ海の周辺地域の国民感情は反発し合う事となる。

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