21. 台湾消滅【2060年代半ば】

 2065年10月、中国で悲劇的な大事故が発生する。

 福建省福清で稼働中の原子力発電所に、北朝鮮の発射した衛星打上げロケットが墜落したのである。

 福建省福清と言う地方では、幾つもの原子力発電所が群集し、原子力発電所のコンビナートが形成されていた。その内の1つがロケット墜落事故に巻き込まれたのだ。

 此の時代、北朝鮮は第4代の金総括書記の下、相変わらず閉鎖的な政治体制を敷いて国民を支配していた。

 しかしながら、核兵器開発を通じてアメリカ政府を恫喝していた先代の金第一書記の路線を大きく修正し、衛星打上げビジネスに光明を見出そうと足掻いていた。

 ロケット技術自体は先代の金第一書記時代から着実に蓄積されてきた。

 ビジネス成功の鍵はコスト競争力だが、国民を低賃金で働かせる事で世界最強の競争者に成長していた。残念ながら閉鎖的な専制政治があだとなり、イメージを大事にする国なり企業が北朝鮮への発注に二の足を踏んだので、市場シェアは決して高くなかった。

 でも、北朝鮮に発注する組織は確実に存在した。

 一方、中国の保有する核弾頭の保有数が米ロに比べて桁違いに少ないと言う戦略的弱点を、中国共産党は克服すべき課題だと捉えていた。

 だから、中国共産党にとって原子力発電所は、核兵器の材料となるプルトニウムを産み出すのみならず、原油や石炭に偏ったエネルギー構造を是正すると言う観点でも、積極的に建設を推進すべき対象だった。

 万が一の事態に備え、原子力発電所は太平洋に面した海岸部に建設されたが、福建省福清もその1つだった。

 福清と言う行政単位は、入り組んだ地形をした福清半島そのものである。福清半島の中ほどに原子力発電所が群集している。

 偶々、この悲劇が起きた日は災害訓練期間に当たっていた。

 人民解放軍は半島付け根の道路に検問所を設け、原発コンビナートを中心とする半径30㎞のエリアに渡って、一般住民が入り込まないよう一帯を道路封鎖した。

 一連の封鎖行為は何時いつもより厳しく運営され、陸海の関係機関の連携を深める為の訓練だ――との訓示の下、海上の釣人らも強制退去の対象となった。

 通常の災害訓練よりも封鎖範囲が広く設定された理由は、最も近い市街地でも50㎞以上離れた福清半島に所在していると言う地理的条件の結果だ。

 発電所の従業員を何台もの大型バスで封鎖圏内から市街地まで移送する訓練も恙無つつがなく進んだ。

 今回の災害訓練は、原子力発電所で何らかの事故が起きた直後を台風が襲い、内陸からの電力代替供給も全面ストップしたと言う複合災害を想定して行われている。

 従業員の避難訓練とは別に、原子炉を一旦停止させ、自家発電設備を回して原子炉を再稼働する――と言う大掛かりな訓練である。

 しかも、福清半島に在る全ての発電所を対象としていた。

 1つの発電所だけでなく、複数の発電所を同時にコントロール出来るか?――と言う極めて難易度の高い訓練だった。

 訓練期間中、福建省としては電力需給が大きく崩れるが、隣接する浙江省や広東省からも不足する電力を代替供給して対処する。

 原子炉を一旦停止すれば、数日間は停止状態を維持して核分裂状態を安定させる必要がある。

 半島全体を人民解放軍が封鎖しているので、今日は限られた人数の警備員が原発施設内に詰めているだけだ。

 この災害訓練にはタルヤも参加していた。

 前々日に発電所の1つの操作室で原子炉の停止作業を見守り、明日から再び発電施設に入って再稼働の操作を見守る予定だった。

 昨日と今日は休息日である。

 こんな田舎町では外出した処で英語の通じる店は無い。過去に参加した災害訓練を通じ、そう心得ていたので、タルヤはホテルの自室で暇を潰していた。

 部屋に備え付けのデスクに向かい、イレーネやエディット、ダーファに手紙を書くつもりだった。BGM替わりに壁掛けテレビの電源を入れてはいるが、中国語を解さないタルヤは音声を聞き流している。

 その時である。テレビが緊急放送を始めた。

 ニュースキャスターの尋常でない話し振りが気懸りで、タルヤは国営放送の中でも英語の報道番組にチャンネルを切り替えた。

 女性ニュースキャスターは、中国の原子力発電所がミサイル攻撃を受けた――と報道していた。

 能面の如く無表情なニュースキャスターの顔付きと深刻な報道内容とのギャップが、タルヤには何処かチグハグに感じられた。

 遠方から撮影された現場映像が流れる。

「中国の風景は何処も同じね」と思いながらテレビ画面を見詰めていると、昨日まで自分の目で見ていた地形に瓜二つである事実にハっと気付いた。

「この福清の発電所だわ。此処の原子力発電所が攻撃を受けたって言うの?」

 唖然となる。

 首を巡らせ窓を見る。

 窓に近付いてカーテンを開け、福清半島の方角を見る。火山の噴煙の様に大きく舞い上がる黒煙が目に飛び込んで来た。

 破滅的な光景にタルヤは顔色を失った。

 それから半日以上、刻一刻と変化する状況を追うテレビの報道番組の映像に、タルヤの目は釘付けとなった。

 街中の道路には住民が溢れ出て右往左往していた。幹線道路の一画には人民解放軍のトラックが何台も集まり、避難民を荷台に乗せると慌ただしく画面から消えて行った。

 ホテル上空を通過するヘリコプターの爆音が何度も聞こえ、そして消えて行った。

 タルヤ自身は安全管理委員会から自室で待機するように言われていた。

「でも、今日で良かったわ」

 冷静に考えて、そう思う。

「原子炉停止中の今日ではなく1、週間前か或いは1週間後だったら?

 きっと取り返しの付かない程に大変な事態になっていたわ」

 タルヤはそう思った。半日経った今でも思い出したように膝が震える。

 確かに発電所関係者の死傷者は奇跡的に少なかった。ところが、原子力発電所の原子炉が停止していたとは言え、大変な事態になっていたのである。

 一方、福建省福清の原発コンビナートとは海を挟んで反対側。台湾の方は深刻な事態に見舞われていたのだった。

 原子炉が停止中だったとは言え、ミサイルが打ち込まれれば、放射性汚染物質は空に巻き上げられる。その放射性汚染物質が台湾海峡を越え、台湾上空に流れて行ったのだ。

 台湾は北緯22度から北緯24度に掛けて横たわっている。この緯度の上空では偏西風と貿易風が混流し合っていた。偏西風は西から東に吹き、貿易風は北から南に吹いている。

 つまり、放射性汚染物質は、まず東に流れ、そして南に拡散した。福清を起点に東から南に掛けての90度のレンジに流れて行った。台湾全域が放射性汚染物質の直撃を被る事となった。

 台湾北部に在る首都台北は、福清のほぼ真東に当たる。

 台湾でも福清の原子力発電所にミサイルが打ち込まれた事故のニュースは直ぐに報道された。

 台北市民は恐慌を来した。幾つものトランクやボストンバックを両腕に抱えた台北市民が新幹線の駅や長距離バス乗り場に殺到した。

 自家用車で南を目指す家族も多かった。

 高速道路に合流してくる自家用車がインターチェンジ毎に膨れ上がる。当然ながら、南に向かう高速道路は直ぐに渋滞で動かなくなった。クラクションが至る所で鳴り響いていたが、詮無い事であった。

 高速道路を使った避難を諦めた人達は、自家用車を路上に乗り捨て、最寄りのインターチェンジまで徒歩で脱出を図る。しかし、その行為が高速道路をいよいよ使い物にならなくしていた。

 一般道路に至っては、赤信号を無視した車輌が交差点で追突事故を起こし、幾つもの麻痺した交差点が市内全域の交通の流れを寸断していた。

 自家用車を乗り捨てた人々が車道や歩道に溢れ返り、そして次なる目的地として新幹線の駅に向かった。

 渋滞の無い新幹線は避難の手段として細々と機能した。

 台北から高雄までは1時間半程度で移動できる。しかし、新幹線の車輌本数が少なかった。線路の上を走行している新幹線の本数そのものが少なかったのだ。

 稼働中の新幹線は、車輌内の通路に乗客がギュウギュウとなる寿司詰め状態で、運行ダイヤを無視してのピストン運行に励んでいたが、その輸送人員数には限りがあった。

 よって、台北駅に到着したものの、ホームに入れないでいる台北市民が駅舎の外まで溢れ出ていた。人々は殺気立ち、その殺気に憶えた子供達の泣き声があちらこちらで上がった。

 台湾政府は非常事態を宣言し、国軍を出動させた。

 しかし、保有する輸送車輌の少ない台湾国軍が対応できる国民の移送能力には元々限界があった。

 交通インフラが麻痺する中、台湾国軍の兵士に出来た事は、逃げ惑う台湾国民に整然とした避難を求め、その交通整理をするくらいしかなかった。

 台湾政府や台湾国軍、そして台北を中心とした台湾北部に居住する国民に共通した状況であったが、混乱当初は南に逃げる事で頭が一杯だった。

 報道される情報量が増えるに従って被害の全容を想像できるようになると、南の高雄に非難した処で少々の時間稼ぎにしかならない事に気付き始めた。

 放射性汚染物質の到達予想範囲が台湾全域に広がっている事に思いが至ったのである。

 その深刻な状況認識に動転した台湾政府は、海外の同盟国に限らず、外交接点を有する全ての国家に対して、即座に救難支援を呼び掛けた。

 台湾政府の支援要請に真面まともに呼応できたのは、アメリカ海軍の第7艦隊と、人民解放軍の海軍である。

 その移送能力は、当該海域に配備された艦艇数の多い人民解放軍の方が大きかった。

 また、人民解放軍の場合、台湾とは目と鼻の先の距離にある福建省まで避難民を移送すれば済むので、高々200㎞の往復に過ぎない。

 一方の第7艦隊の場合は、救助した台湾人を遠くフィリピンまで移送する必要が有り、片道1000㎞に及ぶ移送となる。人民解放軍に比べて5倍の所要時間を必要とする。救難効率を上げようが無かった。

 よって、非常事態と言う認識を共有した中国政府とアメリカ政府は緊急に話し合いの場を設け、第7艦隊の福建省厦門への着岸に合意し、救難スピードの改善を図った。

 また、形振り構わぬ台湾政府の支援要請に応じ、人民解放軍は大量の軍事用建設ロボットを投入した。台北と高雄を結ぶ総距離200㎞の高速道路を機能不全にしている放置車輌を撤去する為である。

 500機を越す軍事用建設ロボットが、軍事ヘリコプターに吊り下げられた状態で中国本土を飛び立ち、そして台湾の高速道路に降ろされた。

 軍事ヘリコプターは台湾海峡を何度も往復した。

 軍事用建設ロボットを運んだ軍事ヘリコプターは、工兵部隊の兵士達をも降ろした帰路、今度は高速道路上で立ち往生していた台湾国民を乗せると、中国本土にピストン飛行した。

 軍事用建設ロボットは、巨大な蟹のハサミを乗用車のサイド・ウィンドウに突き刺し、持ち上げては路肩に押し出した。押し出された乗用車は破損し、走行不能な廃車と化した。

 荷台に人間を載せる事が可能なトラックや長距離バスはままに、それ以外の車輌は全て路肩に押し出す事で、片側2車線の内の1車線を緊急車輌が通行できるようにした。

 人民解放軍は物量作戦で臨んだので、高速道路の復旧作戦を丸1日も掛けずに達成する事が出来た。

 そして、手を着けなかったトラックや長距離バスは、新たに台北市民を高雄まで移送する作戦に投入された。

 高速道路を正常化させた軍事用建設ロボットは、一般道路を作業現場とした次のステップに移ると、交通インフラの広域復旧に努めた。

 全てが時間との闘いであった。

 高速道路や一般道路が復旧すると、次なる作戦は、高雄に避難して来た台湾国民をフェリーで脱出させる局面に移る。

 第7艦隊と人民解放軍の海軍艦艇だけでは、2000万人の避難に対応し切れない。中国政府は民間客船もチャーターして台湾国民の移送に努力した。

 中国国営放送では「同胞を救うのだ」と言うスローガンが繰り返し流され、募金活動も活発に展開された。

 中国国営放送の報道に触発された何隻もの民兵漁船が、義侠心を掻き立て、台湾海峡に乗り出して行った。

 この未曽有の危機の重大な問題は別な処にも有った。

 2000万人にも上る台湾国民の避難キャンプを何処に設置するか? そして、避難後に生活を回復させる場を何処に設定させるのか?――と言う復興問題である。

 いずれにせよ、物理的に彼らを収容できる国は中国以外になかった。

 しかも、中国本土であれば、言語の問題も無い。こうして、中国政府に依る台湾国民の救出と言う前代未聞の大作戦が動き始めたのだ。

 台湾総統を始めとする政府高官とその家族は、アメリカに避難した。

 自分達も中国本土に避難しては、独立したての台湾と言う国が中国に飲み込まれてしまう――と、危惧したからである。

 尻尾を切ってでも本体は生き残るのだ――と言う支配階級らしい判断であったが、人数的に大多数を占める台湾国民からは「台湾政府は自国民を見捨てた」と怨嗟の声が上がる事になる。

 原発事故の翌日、「の国がミサイル攻撃をしたのか?」と言う犯人探しに、国際世論はようやく答えを見付ける。

 中国政府は北朝鮮に対し厳重に抗議をするも、これまで国際社会からの非難を黙殺してきた遣り方を踏襲し、北朝鮮はダンマリを決め込んだ。北朝鮮の建国以来1世紀近く、中国は陰に陽に北朝鮮を支援してきたが、金政権は遺憾の意を一言も表明しなかった。

 2066年も明ける頃、防護服に身を包んだ調査隊が台湾に上陸する。放射線の汚染影響を調査する為である。

 そして、台湾人には残念な事に、数十年に渡って台湾への帰国は叶わない――と言う事実が判明した。台湾国民は、避難先で天を仰ぎ、自国の不幸に大声を上げて号泣した。

 中国政府は、避難して来た台湾国民に向け、中国本土への帰化を喜んで受け入れる――と表明した。

 アメリカ政府も同様の趣旨を表明した。しかしながら、英語を話せる台湾人は少ない。大半の台湾人は中国大陸に止まる事を選択せざるを得なかった。

 こうして、1つの中国なのか?、2つの中国なのか?――と言う神学論争は、意外な形で決着したのだった。

 但し、台湾国民の金融資産は藻屑と化した。

 台湾の民間銀行は、預金量の大半を台湾企業に貸し付けている。台湾企業が放射線に汚染された台湾で事業を継続する事は叶わず、民間銀行の貸付金は回収不能の不良債権と化す。

 貸付金が民間銀行に還流しない限り、台湾国民が民間銀行から預金を引き出す事も不可能であった。

 仮に現金を引き出せたとしても、台湾ドルを使える国土は無く、外貨に交換できるはずもない。

 紙切れに過ぎない台湾ドルと自国通貨とを交換してくれる奇特な金融機関は、世界中の何処を探しても見付かるはずが無かった。

 また、台湾の証券取引市場は閉鎖されたも同然で、株式も紙屑と化した。

 唯一の財産は避難する際に持ち出せた貴金属、宝飾品だけとなったのである。

 こうして、台湾国民は、再び避難先で天を仰ぎ、今度は自分自身の不幸に大声を上げて号泣した。


 タルヤは、原発事故とその後の台湾を襲った不幸を思い出すと、後々まで気持ちが落ち着かなかった。

――原子炉停止中にロケットが落ちると言う偶然が起きる確率は、の程度だろうか?

――また、中国政府が北朝鮮に講じた制裁措置も、従来通りの抜け穴だらけの内容に過ぎなかった。

――それに、台湾が事実上地図から消えた事で、人民解放軍の海軍は太平洋への進出ルートを確保した事になる。

 色々と釈然としなかったが、タルヤは誰にも意見を求めたりはしなかった。今は中国に居るのだから・・・・・・。


 一方、アメリカ政府は人道的観点から、この悲惨な原発事故を契機に、中国に対するアンドロイドの貸与を初めて解禁した。福清原子力発電所の鎮火と復旧の為である。

 放射線に汚染された事故現場に人間が足を踏み入れる事は出来ず、正直な処、中国政府も手をこまねいていた。この中国政府の悩みに対してアメリカ政府は解決策を提示したのだ。中国政府は申し出に関する心からの謝意をアメリカ政府に伝えた。

 この後、事故現場では、何機もの民生用建設ロボットが復旧活動に従事する光景が見られるようになるが、操縦席にはアンドロイドが搭乗していた。

 米中両政府の協力を象徴する光景として、米国製のアンドロイドと中国製の建設ロボットの組合せを全世界のマスメディアが報道した。

 なお、解禁当初は原子力発電所の事故処理に目的を限定した短期解禁のつもりであったが、アンドロイドの貸与期間と貸与する事業対象はズルズルと延長なり拡大される事になる。

 時限移民が引き揚げた後のアメリカ合衆国と従前から労働力人口の減少に直面していた日本にアンドロイドが普及し終わると、新規リースの商談数は頭打ちとなっていた。

 米日両国以外の国々では、たとえ骨髄病の発症者が続出していたとしても、労働力人口の減少が社会活動を脅かすには至っていない。出生率減少が始まってから労働力人口が減少し始めるまで約15年のタイムラグが有る。

 未だ働ける労働者の代替としてアンドロイドを投入する事は、その国の失業率を上昇させる事になり、出来ない相談であった。

 一方で、手を拱いたままでは、日本のロボットスーツ工場の稼働率は下落し、アニー社もまた成長が止まってしまう。平たく言えば、アニー社は新たなマーケットを探し求めていたのだ。

 アンドロイドのマーケットとして中国を眺めると、アメリカと肩を並べる規模にまで経済が発展しているのでアンドロイドのリース料を徴収し損なう不安を感じない。

 その上、既に労働力人口の減少に悩んでいたので、リース躯体数の飛躍的拡大が望める有望なマーケットでもあったのだ。

 こうして新たな経済的依存関係が米中両国間に根付き、時間を掛けて両国の融和を促す一助となった。

 もう1つ。

 アンドロイドの人工頭脳を構成する最大の重要部品は半導体素子であるが、その殆どを台湾企業が製造していた。ところが、その製造拠点は原発事故で全滅した。

 中国政府の支援を受けて、台湾企業とその従業員達は数年後に中国大陸で遣り直す事になる。

 アメリカ政府は当初、技術供与契約で規定した第三者への技術開示の禁止事項を盾に、被災した台湾企業が中国で製造を再開する事に難色を示した。

 ただ、アメリカ政府が難色を示し続けると、業を煮やした中国政府が契約書の抜け穴を潜り抜ける事は容易に想像できた。なにせ製造技術に習熟した従業員は既に中国大陸に渡っているのだ。

 また、アンドロイド関連技術の全ては軍事技術ゆえに、登録技術の情報公開を求められる特許制度で知的財産権を守るような真似をしていなかった。

 つまり、避難した台湾人従業員が新たに会社を設立し、アンドロイドに搭載する半導体素子を製造し始めたとしても、その行為を法律的に差し止める権利がアメリカ政府には無かった。

 よって最後は、アンドロイドのサプライチェーンの一端が中国に根付いてしまう事態を甘受せざるを得なかった。

 アンドロイド用の半導体素子を中国で製造し始めて間も無く、その用途はアンドロイド以外にも広がって行く。

 知的財産権に関する中国人の遵法精神は昔も今も相対的には緩い。また、少しでも良い処遇を求めて転職を繰り返す労働者の意識も相変わらずであった。

 流動する労働者が拡散するに連れ、その技術は微妙にアレンジされながら適用対象を拡大して行った。その結果、スマートフォンやタブレット、サーバー、家電製品等のあらゆる電子機器の小型化が全世界で進展した。


 当事者達にとっては悲惨な出来事であった衛星ロケットの墜落事故は、レスリー・スーらにとっては逆に、莫大な投資リターンを手にする好機となった。

“あちらの世界”で2065年とは、人民解放軍が台湾に攻め入った年であった。

 南シナ海を実効支配しても太平洋への進出ルートを築けなかった事に業を煮やした中国共産党は、台湾占領により“1つの中国”政策を完成させると同時に、太平洋への橋頭保を得たのだ。

 一方で、“こちらの世界”では、中国共産党が南シナ海への関心を早々に失っている。

 中印戦争が早まった事で他の歴史事実の結論が変わった好例であった。今更、“こちらの世界”で人民解放軍が台湾侵攻を試みるとは、到底想像できるものではなかった。

 それでも、レスリー・スーら3人は投資方針について話し合った。

 協議した結果、全体の運用成績を大きく左右させない範囲内で、“あちらの世界”の歴史事実が再現される可能性に賭けてみる事にした。

 具体的には、台湾株式のオフショア市場で先物売りの売買を成立させて、2065年後半を迎えていた。

 ロケット墜落事故を契機にオフショア市場の株価は暴落したので、先物売りの対象とした株式を安く買い叩き、予定通りに先物価格で売却するディールは、3人も経験した事の無い程に“濡れ手に粟”のディールとなった。

 そして、台湾を不幸の貪底に突き落とすと言う時間宇宙の強い意思の存在に、彼ら3人は感じ入ったのだった。

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