16. 逃避行【2060年代初頭】
2061年7月下旬、ダーファは高校卒業後の夏休みを利用してアメリカを訪れていた。久々にタルヤと再会する為である。
中国政府は、1年前には相当に混乱したものの、統制力を次第に取り戻しつつあった。よって、2週間以内に再入国する者、つまり、短期旅行者には再入国を認め始めていた。
しかも、ダーファの場合、人民解放軍情報工学大学への9月からの入学が決まっていた。
一般国民よりは軍属に近い身分である点が考慮されて、ダーファには再入国許可証が滞りなく発行されたのだと思われた。
デトロイトの空港に降り立ったダーファは、寄り道もせずに、タクシーでタルヤの邸宅に直行した。
自分の訪問は数週間前に手紙で伝えてある。タクシーの後部座席から車窓を眺めながら、ダーファの心は浮き浮きしていた。
タルヤを第2の親と思っていた。
また、本当の両親との会話に比べて、タルヤとの文通はタメになる事が多かった。自分は高校生活を終えたばかりだったが、教育を受けて育った人間同士に芽生える同胞意識と言うものを、タルヤとの間に感じていたのだ。
邸宅に到着すると、出迎えの為に正門に立っているタルヤの姿を車窓越しに認めた。
すっかり老け込んだ守衛所詰めのFBI捜査官もタルヤの横に仲良く立っていた。
デトロイトの土地を離れて3年半が経っていたが、2人の姿を目にすると、そんな時間の断絶も吹き飛んでしまう気がした。
タルヤの先導で邸宅の中に入ると、ダーファとタルヤは何時間も談笑に興じた。
手紙の遣り取りで近況を報告し合ってはいたが、実際に相手の目の前に座って話すのでは大分違う。既に手紙に書いて寄越した内容であっても、ダーファが話すとタルヤは嬉しそうに耳を傾けた。
太陽が街中のビル群に沈んで行こうかと言う時刻になると、ダーファは「そろそろお暇します」と挨拶した。
タルヤは独り暮らしであり、邸宅には訪問客用の空き部屋が幾つも有ったが、ダーファの宿泊をタルヤは許さなかった。
「幾ら親しい仲であっても、家族ではない独身の男女が1つ屋根の下で過ごすべきではありません」と言うタルヤの厳しい指導にダーファは素直に従った。
数日間はデトロイトに滞在する予定であり、また翌日タルヤを訪問すれば済む事である。
席を立とうとしたダーファを「ちょっと待って」と引き留めると、タルヤは書斎に姿を消した。
書斎から戻ってくると、タルヤはダーファに一片の紙片を手渡した。
「貴方も大学に進学すると今まで以上にお金を必要とするでしょう。貴方の為に銀行口座を作って、お金を入れておいたの」
そう言いながらダーファに渡した紙片には、全く別の文章が書き連ねられていた。
『この邸宅内は監視され盗聴されています。だから、この紙面を読んでも、落ち着いて。私の話に合わせてください。
中国に帰国したら、次のURLにアクセスしなさい。
https://www.tarja.halonen.4679213446.org.se
このサイトには骨髄病の真相に関する情報を保存しています。この情報を中国政府当局に伝えて欲しいのです。
このサイトの存在をアメリカ政府に知られてはなりません。
このサイトにアメリカ国内からアクセスする事は不可能です。アメリカ国外からアクセスしなさい。
最後に。守衛所の警備員もFBI捜査官で、私の監視が仕事です。気を許さないでください』
タルヤは、紙片を掴んだダーファの掌を優しく自分の手で包んだ
驚愕した目付きでダーファがタルヤの顔を見詰め直す。
タルヤはゆっくりと首を左右に振った。そして、優しい表情で微笑んだ。
「このメモ紙には口座番号と暗証番号を書いておきました。遠慮は要らないの。
どうせ、叔母さんには使い切れないお金なんだから。黙って仕舞ってちょうだい」
タルヤはダーファの右手に自分の両手を添えると、紙片をポケットに仕舞わせた。
「良いわね?」
ダーファはぎこちなく頷いた。
「何故、タルヤは中国にいる自分を訪問してくれないんだろう?」とずっと疑問に思っていたが、その理由が
「叔母さんは捕われ人だったんだ!」とダーファは初めて理解した。
1年前にアメリカ事業を娘婿に譲ったヤン・カイコー夫婦は、中国に帰国を決心するも、未だに果たせずにいた。中国共産党の再入国禁止令の影響である。
2061夏の段階で、再入国許可証が発行される対象者は短期旅行者のみであって、長期間に渡って海外に居住していた者に対しては依然発行されていない。
一方、アメリカ国内において、中国行きの飛行機の搭乗客には、搭乗手続きの際に中国政府が発行した再入国許可証をパスポートと共に提示する事が義務付けられた。外航客船に乗る場合も同様である。
中国政府が彼らの入国を拒否するからである。
従って、アメリカでの職を辞して空港やフェリー港に殺到したまでは良かったが、それより先に進む事が全く出来なくなった。
特にアメリカ合衆国の西海岸には、行き場を失った中国人が大都市を中心に溢れ返るようになった。
溢れ返るだけならば問題は無かったが、生活資金が枯渇した一部の人間は犯罪に走らざるを得なかった。
しかも、中国政府が再入国を拒否している間に5年間の労働ビザが期限切れを迎え、不法入国者に転じた者も多かったのである。
急速に治安が悪化した。
当面は刑務所で間に合った。冷凍睡眠カプセル入りを志願した受刑者が相次いで、刑務所に空き房が多くなっていたからである。
しかしながら、刑務所の収容能力を超える段階に至ると、収容所を幾つも建設し、犯罪に手を染めた中国人を収容するようになった。
その施設は中国人収容所と呼ばれ、外国人収容所とは呼ばれなかった。再入国禁止令を発した国は中国だけだったのである。
勿論、中国以外の国々も、骨髄病感染の疑いがあるアメリカからの帰国者を歓迎したわけではない。だからと言って、人道的見地から再入国拒否と言う強権を発動しなかっただけである。
中でも、メキシコはアメリカと地続きで国境を接している為、帰国するメキシコ人が大挙して徒歩で国境を越えた。
その中国人収容所であるが、建設当初は犯罪者を収監する施設だった。
ところが、中国人が巻き起こす様々な犯罪、騒乱が、中国人を見るアメリカ国民の先入観を変えた。冷静に考えると中国人は寧ろ被害者なのだが、目の前の治安悪化と言う現象に限定するならば、加害者は明らかに中国人だ。
よって、中国人だからと言う理由だけで、謂れなき迫害を受けるようになったのである。
こうなると、アメリカ政府は姿勢を転じ、中国人自身の安全を確保する為だと言う大義名分を立て、犯罪者でなくとも中国人収容所に収監するように変化した。
そうしないとアメリカ国民の感情を宥められなかったのである。
中国政府も、根本的な原因は再入国禁止令に有る事を承知していたので、アメリカ政府の中国人冷遇政策を黙認し、外交的な抗議をしなかった。
ヤン・カイコー夫婦も例外ではなかった。
彼らは十分な資産が有る事を証明して長期滞在ビザを取得していた。それでも、ミシガン州警察とデトロイト市警察は未然の犯罪防止を盾に、丁寧だが有無を言わせない態度で彼らを自宅から連行した。
当然ながら、中国人の財産権は守られた。とは言え、収容所に貴金属や宝石の類を持ち込んでもアメリカ政府としては保全の責任を負えなかったので、銀行の貸金庫か知り合いにその保管を委ねるように指導した。
つまり、収容所には着の身着の儘で収監される事になったのである。
ヤン・カイコー夫婦はデトロイトから遠く離れたサンディエゴ近郊の収容所に収監された。
その収容所は最近建設され、国道8号線沿いの南側、メキシコ国境とは僅か5㎞の場所に所在する収容施設だった。
サンディエゴからは東へ100㎞余り。
更に50㎞ほど東に行けば、最寄りの小さな町に辿り着く。町の名はエル・セントロ。スペイン語で“中央”を意味する町名は、文字通り砂漠の中にポツネンと存在する町の状況を考えると、言いえて妙だった。スペイン語の町名から判る通り、メキシコとの国境検問所が有るだけの小さな町である。
サンディエゴ収容所は、急拵えのプレハブ木造集合住宅で、周囲を鉄条網で囲われていた。監視所は無い。この収容所には犯罪者を収監しておらず、居住していたのは善良な一般滞在者であった。
鉄条網で囲っている理由は、収容者の逃亡防止が目的ではなく、安く手軽に境界線を仕切れるからと言う理由からだった。
それに周囲は砂漠であり、脱走を試みて下手に犯罪者の烙印を押されるよりは、中国政府による再入国許可証の発行を辛抱強く待とうと言う者が殆どだった。
それでも、収容所生活は年老いたヤン・カイコー夫婦には堪えた。
幸い、娘のチーリンはアメリカ国籍を取得していたので収監対象とはなっておらず、その点だけは老夫婦も胸を撫で下ろす数少ない事の1つだった。
逆に、両親の健康を気遣った娘のチーリンがサンディエゴに独り暮らし用の小さなマンションを借りていた。
夫のクリスは、義父から引き継いだ鍛造部品会社の経営に追われ、デトロイトに留まっている。孫のリンダもクリスと一緒にデトロイトに残し、2人の世話はアンドロイドに任せていた。
サンディエゴ収容所には慈善活動の為、エディット・クレッソンが毎日の様に通っていた。
脱走を防ぐ為の監視所は無いが、正門にだけは守衛所がある。
そして、監視体制が無きにも等しい体制だからこそ、収容所の内部と外部とを行き来する人間は赤十字団体と教会メンバーに限定されていた。つまり、チーリンが両親に差し入れをする際にはボランティアの手を介する必要があった。
そして、エディット・クレッソンはボランティアの1人だったが、エディットが他のメンバーと違う点は、収容所の簡易宿泊施設に泊まる事なく、監視役のFBI捜査官が運転する送迎車で必ずサンディエゴ海軍基地の官舎に帰る事であった。
エディットを監視するFBI捜査官もまた、タルヤの邸宅を警護するFBI捜査官と同様に、第一線を引いた初老の男性だった。
CDC隔離棟からの移送時に装着された金属ワイヤーのGPS装置も今はエディットの首に架かっていない。GPS装置が電池切れとなるタイミングで取り外されていた。
骨髄病の存在が公となった今ではエディットを軟禁する意味合いは無い。仮にエディットが「自分は未来人だ」と騒ぎ立てたとしても、周囲の者は彼女を変人扱いするだけだろう。
当局は形式的に監視役を張り付けてはいるが、その警護体制は過去10年で相当に緩くなっていた。
エディットはチーリンに「賃貸マンションまで送ってあげますよ」と声を掛け、自分の乗る送迎車に同乗しないかと誘った。
それが縁となり、ヤン・カイコー夫婦とエディットの仲は一般的な収監者と他のボランティアの関係よりも親密度の高いものになった。
2061年、エディットの年齢は61歳である。生年月日は全く違うが、生物学的年齢はヤン・カイコーと同じであった。そう言う事も、エディットとヤン・カイコー夫婦が気軽に話せる仲となった副次的要因であった。
サンディエゴに戻る車中での或る日。
「此処は暑いから、ご両親の身体には堪えるわね。私はサンディエゴに越して来て10年になるから、もう暑さにも慣れたけど」
「本当に暑いですよね。でも、私達はエディットさんに出会えて幸運でした。
スマートフォンで両親の顔色は確かめられますけど、やっぱり収容所の中で必要な日用品は色々と出てきますから。
エディットさんに渡して頂けなかったら、両親の体力消耗はもっと酷かったと思います」
「いいえ、気にしないでください。人々のお役に立てると言う事が、私の喜びですから。
でも、ご両親の再入国許可証が早く発行されると良いわねえ」
「本当にそう思います」
「そう言えば、お父様に「何か暇潰しになる本は無いか」と相談されたので、聖書をお持ちしたの。
収容所の皆さんはお互いに本を貸し借りしているのだけれど、こう暑いと興味の無い本は読む気がしないらしいわ。そう言われても、私には聖書くらいしかないから」
「そうですか」
「お父様、喜んでおられたわ。聖書は退屈なので、直ぐに眠くなる。昼寝には良い本だって」
軽く笑い声を上げるエディットを見て、チーリンは恐縮した。
「そんな失礼な事を言って・・・・・・本当に済みません。
父はデリカシーの無い人間なので、どうか許してやってください」
「いいえ、構わないのよ。あの収容所の方々が中国に戻ったとしても、キリスト教に改心する事は難しいものね。私もそれは分かっているから。
聖書を差し上げたのは、少しでも教会の布教活動をお手伝いした気持ちに浸りたいって言う私の自己満足に過ぎないの」
エディットはフフフと笑った。
「でも、貴女はアメリカ人の男性と御結婚なさっているのよね。御主人はキリスト教徒なの?」
「ええ」
「貴女は?」
「私は未だ・・・・・・。中国で育ちましたから、信仰と言うものがピンと来なくて・・・・・・」
「じゃぁ、貴女にも聖書をお持ちするわ。
サンディエゴのマンションに居る時にでも、一度読んでみてよ。暇潰しには丁度良くてよ」
数日後、エディットは収容所の一画でチーリンと擦れ違った時に聖書を手渡した。
その際、エディットはFBI捜査官の運転手に背を向け、
聖書を手渡す行為そのものは運転手に丸見えだが、エディットとチーリンが立ち話をしている場所は送迎車から少し離れているので、運転手が2人の会話の内容を聞き取る事は不可能である。
「聖書ってね、旧約聖書と新約聖書が一緒に印刷されたものなの。新約聖書の部分は後半2割くらいのページ数よ。
その新約聖書をまず読んでちょうだい。貴女の興味を引きそうな箇所には○印を付けておいたから」
チーリンは聖書を受け取ると自分のショルダーバックに入れた。
エディットが収監者達に聖書を配る行為は珍しい事ではなかった。運転手も、最初の頃は近寄って来て聖書を
その日、マンションに帰宅したチーリンは、パソコンを立上げインターネットを開くと、クリスとの動画通信を
独り暮らしの賃貸マンションに戻っても退屈だから、家族との動画通信がチーリンの日課となっていた。ネット動画を通じてクリスとの会話を楽しみ、愛娘のリンダの顔を眺めると、一日の疲れが癒される。
デトロイトとサンディエゴの時差は2時間。チーリンよりもクリスの方が早く就寝する事になる。
愛娘のリンダはクリスの就寝時間より遥かに早い時刻から愚図り始める。だから、チーリン家族の動画通信はサンディエゴの時間で午後9時か10時頃には終了となる。
電源を落として黒くなったパソコン画面を見詰めると、チーリンは溜息を吐いた。
――こんな生活が
自分が就寝するには未だ早い。
気を取り直したチーリンはキッチンに行ってグラスにワインを注ぐと、寝室に戻り、背凭れに背中を預けてベッドの上に座った。ベッドの上に放り出していたショルダーバックを何の気なしに引き寄せ、エディットに
他にする事も無く、新約聖書のページをパラパラと捲ると最初の○印を見付けた。
奇妙な事に、1節を丸々囲っているのではなく、アルファベットの1文字だけを囲っている。
チーリンは不思議に思い、尚もページを捲った。次の○印も1文字だけを囲っている。更にページを捲ると、文節毎に振られた番号の数字にも○印が付けられている。
チーリンはハッとして、パソコンの電源を入れ直し、○印の付いた文字を書き写して行った。
そうすると、案の定、文章が浮き出てきた。
『次のURLにアクセスしてください。
https colon slash slash www:edith.cresson.3316842579.org.fr
数字は10桁です。
このサイトには骨髄病の真相に関する情報が保存されています。
この情報は、アメリカ政府が独占すべきものではなく、全人類が共有すべき情報です。
だから、中国政府に伝えてください。
このサイトの存在をアメリカ政府に知られてはなりません。だから、アメリカ国内からこのサイトにアクセスする事は不可能です。アメリカ国外からアクセスしてください。
私はアメリカ政府に監視されています。だから、貴女に託します。
人類全体の幸せの為に協力してください。完』
想像を超える文章を改めて読み返し、チーリンは絶句した。
聖書を手渡す際のエディットの真剣な表情を思い出した。自分が陰謀に巻き込まれていると言う恐怖に緊張し、手足が冷たくなるのを感じた。
自分は今やアメリカ国籍である。アメリカ政府が情報を秘匿しているならば、それなりの国益が有るのだろう。一方で、この情報を中国政府に
チーリンは思い悩んだが、中々結論は出ない。
――やっぱりクリスに相談しよう。デトロイト時間では夜中の1時過ぎ。クリスは寝ているだろうが、自分だけで抱えるには重過ぎる内容だ。
そう考えて、チーリンはクリスに電話した。
相談されたクリスも即答は出来ず、「翌朝、改めて電話を返す」と約束して一旦は電話を切った。
翌朝早く、クリスはチーリンに電話を掛け直してきた。
「昨夜、あれから指定されたURLにアクセスしてみた。このURLは存在しないと言う表示が出た。
だから、この文章は単なる悪戯かもしれないし、本当なのかもしれない」
「悪戯とは思えないわ」
「君の言う通りだろう。
そうすると、僕達は難しい判断を迫られる事になる。僕達は中国とアメリカの両方に家族がいる。どちらかに肩入れするのは難しい。
であるならば・・・・・・やっぱり・・・・・・人類にとって
「分かったわ。一睡も出来ずに私も考え続けていたんだけど、そうしようと思っていたの」
チーリンはその日の午前中にサンディエゴからサンフランシシコに行く飛行機を予約した。中国総領事館を訪ねる為である。
総領事館でチーリンは一部始終を事務官に話した。
総領事館でも当該URLへの接触を試みたが、クリスと同様の結果に終わった。
事務官も悪戯とは判断しかね、武官の駐在するワシントンの大使館に連絡すると約束して、チーリンを帰した。
情報活動を司る人民解放軍総参謀部の第二部、通称“情報部”には、数カ月の間隔をおいて2つのルートで同様の情報が届く事になる。
1つ目は、タルヤ情報をダーファが持ち込んだ事案である。
ダーファは帰国後、人民解放軍情報工学大学の学長に面会を求めた。ダーファの話を聞いた学長は情報部の部長に直接報告した。
ダーファは帰国後、このURLにアクセスしていた。
アクセスすると、パソコン画面には顔写真の一覧が出現した。縦9列、横12列の一覧表で、108人分の顔写真が並んでいた。よく見ると、その内の1人がタルヤであった。
タルヤの顔写真をクリックすると、アクセス者の情報を可能な限りインプットするように求めて来た。ダーファは、記入フォーマットに従って、氏名、性別、出身地、履歴などを入力した。
10分ほどの時間が経過した頃、パソコン画面は一変する。膨大な映像データ群が現れた。
ダーファ自身が詳細な情報分析を出来るはずもなく、その作業は人民解放軍の手に委ねられた。
こうして、事案は情報部から、総参謀部の第三部、通称“技術偵察部”にも報告された。
直ぐに総参謀部から緊急度の極めて高い事案とされ、情報部と技術偵察部の合同作戦チームが立ち上げられた。
2つ目が、エディット情報をチーリンが持ち込んだ事案である。
ワシントンの武官から世界中の武官を監督している本国の情報部に内容は伝えられ、タルヤ情報と同じ様に取り扱われた。
ただ、情報部としてはエディットの顔を把握しておらず、その人別改めの必要から、ヤン・カイコー夫婦には再入国許可証が即刻発行された。10月の出来事である。
チーリンとしては自分の悩みの大きな部分が解決した事になるが、新たに抱え込んだ「自分の行為が正しかったのか否か」と言う悩みまでは解消しなかった。人民解放軍がチーリンに事の顛末を報告する事は無かったからである。
総参謀部の合同チームの情報分析により、骨髄病が“現在”に
保存されていた情報も技術偵察部が管理する独立したサーバーにコピーしたので、情報抹消の心配は無くなった。しかしながら、保存情報はアニーが解体調査される2047年までの情報に限られた。
それから約15年間の顛末については、タルヤとエディットの2人から直接聞き出すしかなかった。それに、アメリカ政府に2人が暗殺される可能性も否定できない。
こうして、合同チームの作戦は第2段階へと移行する。2人の救出作戦である。
救出決行日は、アメリカ人の気が緩むクリスマス当日、12月24日に定められた。
12月24日、デトロイトでは、ダーファがタルヤを訪問していた。
クリスマス休暇の風習が無い中国の大学では未だ冬休みに入っていない。それにも拘わらず、ダーファが「タルヤとクリスマスを過ごす為に特別休暇を申請するんだ」と手紙で伝えてきた時、タルヤは何かがあるなと勘繰った。
よって、半年前にはダーファに邸宅での宿泊を厳しく諌めたものの、「今回はクリスマスだから、私の家に宿泊しなさいよ」と返信の手紙で薦めておいた。
夕刻、ダーファはタルヤ邸に到着した。
それからは「久しぶり」と2人で言い合い、短い近況報告を終えると、夕食の準備に取り掛かった。
家政婦には「クリスマスだから貴女も家族と過ごしなさい。今夜はダーファが手伝ってくれるから家事を心配する必要は無いわ」と言って、早めに帰していた。
阿吽の呼吸で2人はステレオから流れるクリスマスソングの音量を大き目に設定し、少しでも盗聴し難くなるようにと気を配った。
2人とも世間話しか交わさなかった。世間話をする間も2人は真剣な目付きでお互いを見詰め合った。
ローストチキンをメインディッシュとした夕食を食べ終え、小さなケーキを2人で分け合った。食後は紅茶を飲み、夜が更けて行くのを静かに待った。
壁掛け時計がボーン、ボーンと深夜12時を打つ頃。
タルヤ邸から少し離れた道路脇に、ライトを消した不審車が停車した。頭から黒い毛糸のフードを被った黒ずくめの男が3人、不審車から降り立つ。
腰を屈めた低い姿勢でタルヤ邸に近付くと、守衛所の後ろに回り、FBI捜査官を後ろから羽交い絞めにする。麻酔薬で湿らせた布を口元に当てられた捜査官は、声も出さずに正体を失う。黒ずくめの男達が脱力した捜査官の身体を抱え、通りから見えない場所まで引き摺る。
そして、タルヤ邸に近付いて窓ガラスを軽く叩き、部屋の中にいるダーファに合図する。タルヤは玄関の照明を落とした。捜査官を抱えた男達が玄関ドアから邸内に入って来た。
この時初めて、ダーファは遅ればせのクリスマスカードをタルヤに見せた。
雪ダルマの頭上をソリに乗ったサンタが滑空している表紙の絵柄だったが、裏面には『何か持って行く物が有れば、急いで準備して』と似合わない一文が書かれていた。
タルヤは首を横に振ると、男達と一緒に車に乗り込んだ。
バンタイプの車は制限速度を守りつつデトロイト港に急いだ。デトロイト港からは中国船籍の貨物船で国外逃亡する手筈が整えられていた。
一方のサンディエゴ。
こちらは12月初旬に、中国大使館から指示を受けたチーリンがエディットを訪れていた。両親が無事に中国へ帰国できた事の報告と、収容所生活をしていた頃のお礼を言う為である。
チーリンは、両親が再入国許可証を持って上海行きの飛行機に乗って以降、サンディエゴのマンションを引き払い、一旦はデトロイトに戻っていた。
そのデトロイトの自宅に、或る日、宅急便の配達員を装った大使館付きの武官が遣って来た。
覚悟はしていたが、いざ、その訪問者と対面した時には膝が小刻みに震えた。自宅に招き入れた武官がチーリンに声を掛けた「貴女の役割は単純な事です。心配しないで」と言う第一声に、歯をガクガク言わせながら頷いた。
チーリンは、中国大使館が準備した偽装タクシーでサンディエゴ国際空港から収容所に向かい、手短にエディットへの挨拶を済ますと、
チーリンがエディットに伝えた言葉は「今年のクリスマスイブが貴女にとっても良い1日でありますように」と言うものだった。
チーリンの緊張した目付きを見て、エディットも敏感に感じる処があった。
エディットのクリスマスイブは、タルヤのクリスマスイブと違って、少々荒っぽかった。
しかも、時刻は真昼である。何故ならば、夕刻になるとエディットは海軍基地の官舎に帰ってしまう。そうなると救出作戦は実行できない。
“木を隠すならば森の中”と言う諺に倣い、中国情報部は中国人工作員を収容所に潜入させていた。
監視役の運転手が昼飯を送迎車の中で食べようとした時、1人の中国人が運転席側の窓ガラスをコンコンと叩いた。
運転手は収容所の外に中国人が居る事を一瞬だけ奇妙に思ったが、「中華系米国人がボランティアに居てもおかしくはないか」と思い直した。
緊張の感じられない笑顔で近付いて来た中国人は、窓ガラスが開けられると、運転手の顔面にスプレーを吹き掛けた。運転手が即座に意識を失う。
ほぼ同じ時刻、別の中国人工作員がエディットに声を掛けた。「チーリンの知り合いです」と言う一言を聞いただけで、エディットは状況を理解した。
その工作員の後に従い、急いで送迎車に乗り込む。
気を失った運転手は助手席に移動させられていて、先の工作員が運転席で待機していた。エディットと2人目の工作員が後部座席に乗り込むと、送迎車を急発進させた。
収容所が見えなくなると国道8号線の道路を外れ、岩のゴツゴツした砂漠の地面を南に疾走した。
国境の鉄条網の向こうには別の車が待機していた。既に車一台が通過できる幅だけ鉄条網に穴を開けている。
目的地はバハ・カリフォルニア州のサン・フェリペ国際空港だ。滑走路は短いものの、小型ジェット機が離着陸するには十分な長さである。
サン・フェリペ国際空港に到着すると、工作員達は小型ジェット機の脇まで車を飛行場内に乗り入れた。
エディットに正式の中国外交官パスポートを渡し、空港職員による機内での出国手続きに対応させた。
メキシコ入国のスタンプだけは偽造だが、プライベート・ジェットに対する出入国手続きは、
航続距離の短い小型ジェット機が直接中国まで飛行する事は叶わないが、ブラジルまで飛び、其処からは通常旅客機に乗り換える事になる。
こうして、タルヤとエディットの2人はアメリカを脱出し、中国に入国した。
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