15. パンデミック【2050年代後半】

 2058年10月、ダーファがベールボーイを務めたクリス・ハドフィールドとチーリン・ハドフィールドの間に娘が生まれた。リンダ・ハドフィールドである。

 祖父母のヤン・カイコーとチン・メイリンは初孫の誕生を非常に喜んだ。

「クリス。これで、お前も父親だ。俺の跡取りとして頑張れよ。頼りにしているからな」

 クリスとチーリンの夫婦は義父母の自宅とは別のアパートを借りて住んでいた。流石さすがに仕事もプライベートも義父と一緒に過ごすのでは息が詰まる。

 妻チーリン経由で義父母にヤンワリと同居に断りを入れたものの、愛娘が生まれてしばらくの間は毎週、義父母の自宅を訪問せねばならないだろう。そうでなくても、義母は毎日のようにチーリンを訪ねて来ていた。

 チン・メイリンが、自分でも過保護に過ぎると自覚しながらも、母親となった娘に忠告した。

「テレビを視ていたら、呼吸困難症が増えているんですって。

 デトロイトは決して空気の良い街ではないから、リンダを余り外で遊ばせないようにした方が良いわ」

「母さん、それは過保護よ。私が生まれた中国の方が、よっぽど大気汚染が酷かったと思うわ」

「そうですよ、お義母さん。子供は外で遊ばせないと元気に育ちませんよ」

 腕に抱いた孫にヨチヨチと言いながら居間の中をグルグル回っている義父のヤン・カイコーに向かって、クリスが話し掛ける。

「ところで、お義父さん。

 今の鍛造部品工場の労働環境は決して良好とは言えません。工場の中に集塵機をもう少し設置した方が良いと思いますよ。半製品のバリを研磨する際に生じる粉塵が、工場の中を舞っていますからね」

「何て馬鹿な事を言う! 集塵機なんぞ金が掛かるばかりで、利益には一銭もつながらないんだぞ。

 中国の鍛造部品工場なんて、もっと労働環境は劣悪なんだ。従業員からは文句なんぞ出やせんよ」

「中国人労働者の比率の方が多い今は問題にならないでしょうけど、徐々にアメリカ人に切り替わって行きますよ。

 労働争議に発展してストでも打たれたら損が膨らみますよ。何せ、鍛造部品業は薄利多売なんですから」

「お前の指摘は分かっているよ。リウ・フェングが居た頃には、奴が現場をシッカリ押さえていたんだがなあ。

 奴も昨年12月に帰国してしまったし、現場を統率する人間を早急に育てなくてはならん。

 お前も、そのつもりでな」

「2人して難しい話を家でしないでよ。折角の週末なんだから」

 娘には甘いヤン・カイコーが「悪い、悪い」と謝りながら、ハタと大きく手を打って家族に提案した。

「そうだ! 来年の夏休みはリンダを連れて、空気の澄んだ場所に旅行しよう!

 スイス辺りが良いかな?」

「あなた、行き成り過ぎやしませんか。リンダだって、未だ未だ長時間の飛行機には乗れませんよ。

 家族旅行するなら、まずは近場ですよ。やっぱり暖かい南の方かしらねえ?

 ああ、でも、原因不明の呼吸困難症は、南の方が多いんですってね」

 呆れたと言った様子でチーリンが母親を揶揄った。

「お母さん。そんな事を言っていたら、何処にも行けやしないわよ」


 世界中の人々が謎の病気の蔓延に獏とした不安を感じている最中、そのニュースは報道された。

 世界に混乱を来したと言う意味では、テロリストが群衆の中で自爆テロを仕掛けるよりも桁違いに大きな衝撃を世界に与えた。

 2059年の夏、日本の北里研究所が骨髄病の原因となる細菌の存在を突き止め、アメリカの科学誌ネイチャーに研究成果を投稿した。

 CDCは、アメリカ国内の大学や医療機関が取り組む骨髄病の研究を陰に陽に誘導し、骨髄病細菌に辿り着かないようにしてきた。それでも日本の研究機関までは十分に手を回せなかった。

 細菌の存在が知られる処となると、CDCは、北里研究所に研究成果の提出を求めると言う体裁を取りつつ、何年も前に自らが開発していた検査キッドを製薬会社に大量生産させる準備に入った。

 今後は個人を特定する前提で骨髄病の感染状況を把握するステージに入る。


 北里研究所による細菌発見の発表以降、その強い感染力に人々は益々慄おののくようになっていた。

 しかも、治療法が確立されていないと言う報道も合わせて流れるものだから、人々の恐怖心は否応も無く高まる。

 特に世界に先駆けて発症者が続出していたアメリカにおいて、その影響は顕著だった。

 それでも大半のアメリカ国民は、海外に移住しない限りは他に逃げ場も無く、如何どうしようもない――と言う諦めから表面上は冷静さを保っていたと言える。

 最初に行動を起こし始めたのは労働ビザでアメリカに入国していた外国人である。

 所詮は5年間に限った出稼ぎが入国の目的だ。骨髄病に感染するくらいならば、早々に帰国しようと考える者は多かった。

 その動きが最も大きかったのは中国人である。

 労働ビザでアメリカに入国していた中国からの時限移民の数は、他の国々からの時限移民の数と比べると桁違いに多かった。

 加えて、付和雷同的に同じ行動を我先にと取り始め、大きな群集の動きとしてしまう特性が中国人には強かった。

 掻き集めた旅費の多寡により、飛行機で帰国しようとする者、船で帰国しようとする者、色々であったが、中国に帰国しようと空港や港に殺到する中国人の数は相当な人数に上った。

 最初は冷静さを保っていた中国人も、殺到する中国人同胞のニュース映像を見ると狼狽し、翌日には殺到する群集の列に自分が加わると言った具合で、パニック現象が自己増殖した。

 ところが、中国人の時限移民の大量引揚げ現象は、米中双方の経済活動なり社会運営に混乱を来した。

 まず、アメリカについては、進出した中国資本の工場の操業が人手不足で立ち行かなくなり始めた。

 結局の処、アメリカに進出した中国企業は自動車関連の産業に多かったのだが、労働市場の需給は急激に引き締まり、賃金水準を押し上げた。全米自動車労連としては棚ボタで賃上げを勝ち取る事が出来、その点だけは良かった。

 しかし、賃上げは昔から操業してきた欧米系自動車メーカーのコスト競争力をジワジワと削ぐ事にもなった。

 また、5年間の時限移民とは言え、その人数は無視できない程に多かったので、それなりにアメリカ消費市場に与える経済的インパクトも大きかった。流通産業やサービス産業は不景気に喘ぐ事になった。

 総論的に評価すると、自動車産業の労働者以外にとって、得る物よりも失う物の方が大きかったのである。

 一方の中国においても混乱は大きかった。

 帰国を受入れる空港なりフェリー港がパンクした。そして、自国民が大挙して帰国しても職が無かった。

 アメリカから帰国したとなれば、感染者に違いない。国民の疑心暗鬼は最高潮に達した。よって、帰国者が故郷に帰ったとしても、不穏な空気が村全体に蔓延し、帰国者は村八分になった。

 個人レベルでは村八分に遭うと言う災難だが、社会全体では中国共産党への不信感が芽生え始めていた。

 失業対策の一環として人民解放軍の抱える兵員数を増やしていた時期にロビンソン・プランは提唱されたので、中国共産党としてはアメリカに時限移民を送り出す動きを後押ししてきた経緯があった。

 中国共産党は労働力人口の減少と経済発展に伴う求職数の増大が均衡するまでの時間稼ぎをしたかったのだ。だが、完全に裏目となってしまった。

 だから、何かをキッカケに暴動が起きかねない世情へと一挙に傾いた。

 ところが、チベットやイスラム地域を始めとした少数民族との対立が大きく緩和していたので、国内の治安部隊を縮小させてきた現実が一方にある。

 中国政府は内政面で非常に神経質にならざるを得ない状況に追い込まれていた。


 2060年代に突入して初めての旧正月明け。

 リウ・フェングは1週間ぶりに建設ロボット工場に出勤して来た。中国に帰国した翌年の2058年、地元の江蘇省で、リウ・フェングは今の工場に再就職先を見付けた。

 建設ロボットも、自動車と同様に、多種多様な鍛造部品を骨格部分に組み込んでいる。

 鍛造部品と言うのは部品毎に大きさや形状が違うが、部品毎にデザインの違う金型をプレス機にセットしなくてはならない。

 ところが、自動車に比べると建設ロボットの生産台数は2桁少ないので、鍛造部品を専門とした会社は大量生産を期待できず、事業採算面で成立しないのが現実だ。

 その為、建設ロボットメーカーは自社で鍛造工程を内製する事になる。

 リウ・フェングは自動車向け鍛造部品製造でのキャリアを買われて再就職を果たしていた。

 現在の勤務先である建設ロボットメーカーは、アメリカで勤めていたヤン・カイコーの鍛造部品会社よりも遥かに大企業だ。

 ヤン・カイコーの会社は自動車メーカーの下請け会社に過ぎなかったが、今のリウ・フェングは建設ロボットを製造する親会社に直接雇用されているのだ。

 リウ・フェングは「自分は恵まれている」と思っていた。

 自分の故郷である江蘇省に戻ってみると、アメリカに渡る前に勤めていた自動車の鍛造部品メーカーは既に倒産していた。ロビンソン・プランで対米自動車輸出が細った煽りを食ったのだ。

 その替わりに江蘇省には建設ロボットメーカーが進出して来た。しかもリウ・フェングの技能を評価してくれた。

「もし労働ビザの期限に余裕があって、帰国のタイミングを2年遅らせていたら?」と考えるとゾッしてしまう。

 骨髄病の存在が公になって以降、アメリカからの引揚者が大挙して戻って来ていた。今、再就職口を探しても、希望する職を手にするのは絶望的だろう。

 それに、息子のダーファは、アメリカ人の篤志家の援助を得て、上海の寄宿学校に通っている。今年は高校3年生に進学する。

 自分の給料だけで上海の寄宿学校に通わせるなんて、絶対に無理な相談だった。

 勤務先の建設ロボットメーカーでは、中国で普及している建設ロボットを製造している。身の丈が5mほどの巨大な二足歩行型ロボットだ。

 大きな蟹のハサミの様な形状をした両手の先には頑丈な2本指が付いている。その2本指で重量物を挟んだり、先端をドリルのように振動させてコンクリートを砕いたりと、工事現場で求められる殆どの機能を発揮できた。

 また、二足歩行の建設ロボットは、キャタピラーでは進んで行けない段差の有る工事現場にも足を踏み入れる事が可能だった。

 反面、二足歩行は構造的にキャタピラーと比べて安定性に劣る。

 しかしながら、中国とインドの情報技術産業が協力して、建設ロボットの感知した平衡感覚を自分の両足に伝達し、両足の踏み位置や上半身の傾き等を調整する事で重心を安定させるオペレーション・ソフトを開発していた。

 ロボットの頭部には操縦席が取り付けられていたが、少なくとも見た目はブルドーザーと大差ない操縦席だった。

 粗っぽい造りではあるが、自動車と違って建設ロボットには運転者の快適性を追求しなくて済むと言うハードルの低さがある。

 建設ロボット産業が中国で隆盛を誇っている背景として、そう言う無骨な製品でも構わないと言う需要の特徴と、何と言っても中国政府の進める一帯一路政策により社会インフラの建設需要が旺盛だったと言う時代背景が挙げられる。

 中国政府が産業振興すべき対象に位置付けたと言う事情も大きな一因だった。

 その結果、中国製の建設ロボットは中国国内に限らず、今やインドの都市部やバングラディッシュ、そしてアフリカ諸国でも活躍していた。

 さて、リウ・フェングに話を戻すと、2060年2月の旧正月明け初日。

 操業を開始しようとしていた工場周辺には、再就職に失敗した引揚者が続々と集まって来ていた。操業開始のサイレンが鳴った時刻には大勢のデモ隊が正門前で徒党を組んでいた。

『公共投資で食っている会社なら、俺達の生活にも国の資金を回せ!』などと書き殴ったヨレヨレの布を横断幕にシュプレヒコールを上げていた。

 要所々々にはリヤカーだの自転車だのを積上げてバリケードを作っている。工場への資材搬入や製品出荷を邪魔立てして、何らかの泡銭をせしめようとする魂胆だろう。

 デモ隊の中にはアメリカで工場のロックアウトを経験した者も何人かは含まれているらしく、洗練されつつも強硬な刃をチラつかせていた。

 リウ・フェングは、自分が班長を務めている鍛造工程がトラブルに巻き込まれるのは御免だったので、部下には「職場から出るな。野次馬根性を出して正門付近に近寄る事は絶対にまかりならん」と厳命していた。

 遠くから聞こえてくるシュプレヒコールが止む様子は一向に無い。

 現場で働く人間の注意力が散漫になり、休業災害でも出さなければ良いが・・・・・・とリウ・フェングが気を揉んでいた処、シュプレヒコールに怒号と悲鳴が混じり始めた。

 部下の安全確保は再優先である。リウ・フェングは「作業に専念しろ」と部下には厳命しつつ、自分だけは状況確認の為に正門まで見に行く事にした。

 正門が見える場所まで近付いてみると、其処は騒乱の場と化していた。

 工場従業員の誰かがデモ隊を威圧しようと、製造ラインからロールアウトしたばかりの建設ロボットを操縦して近付いたらしい。確かにデモ隊は身長5mの巨人の接近に後退りした。

 しかし、デモ隊の中には、生活に困窮して気の立っている人間が何人も紛れ込んでいる。

 その内の1人が火炎瓶を建設ロボットの操縦席に投げつけ、炎に包まれた操縦者が悲鳴を上げて転がり落ちた。

 建設ロボットの周囲に立っていた従業員が、慌てて自分の作業服の上着を脱ぎ、火ダルマの操縦者を叩いて火を消そうとした。別の数人の従業員は消火器を持ってきて、シューと白い泡を操縦者に吹き掛けた。

 リウ・フェングが目撃したシーンは、そんな光景である。

 此処まで過激になった騒乱が沈静化する事は有り得ない――と判断したリウ・フェングは、即座に職場に引き返すと、工場長に構内電話を掛けた。

 何度も呼び鈴の音声を受話器越しに聞いた後で、ようやく工場長が電話に出た。

「工場長! 正門の騒ぎさ、知っちょるか? えれえ騒ぎになっちょるぞ!」

「おおよ。こっちもテンヤワンヤじゃけ。今、警察を呼んだ処さあ」

「俺の鍛造部門は、加熱炉の火を落とすぞ。騒ぎがこっちまで来ちゃあ大変な事になっちまう。ええな!」

「おおよ。お前の判断でやれえ。俺は他の部門の相手もせんにゃあならんで、電話さ切るぞ」

 工場長の許可を得たリウ・フェングは、鍛造加熱炉の火を落とす作業に取り掛かった。リウ・フェングの電話に出た工場長も混乱の極みだった。

 30分後には何台もの人民警察のパトカーが正門に到着した。デモ隊を強制的に解散させようと、警察官が警棒を振り回す。

 リウ・フェングが後で工場長から聞いた処では、この日、相当の逮捕者が出たそうだ。


 リウ・フェングの働く工場で起きたような騒乱は、中国沿海部の大都市を中心に、至る現場で発生していた。

 その鎮圧が人民警察の手に負えなくなり、人民解放軍を投入せざるを得なくなる事態を中国共産党は強く危惧していた。人民解放軍の投入は内乱を意味する。

 反面、時限移民の帰国者数は時間と共に増加して行く。つまり、判断を先延ばしにすればするほどに事態を制御できなくなる事が明白であった。

 こう言う状況認識の下、2060年初夏、中国共産党は、外国に渡航した中国人の再入国を原則禁止とする通達を交付した。

 中国共産党全国代表会議を最高意思決定機関とする政治形態で運営される国家が中国である。この全国代表会議は、国家主席を決定するほどに重要な場であるが、その開催頻度は5年に1度と少ない。

 替わりに、その下部機関として中央委員会全体会議が毎年開催される。毎年開催される全体会議の目的は、5カ年計画の実績を確認し、必要に応じて5カ年計画に微修正を加える事に有る。

 この数十年、中央委員会全体会議は、上半期の経済状況の再確認も含めて、毎年10月に開催されるのが通例となっていた。

 ところが、2060年に関しては、その開催時期を7月とした。自らの慌てぶりを露呈する決断だったが、中国共産党には面子に拘っている余裕が無かった。

 中国人の再入国禁止措置は、労働ビザでアメリカに渡った時限移民を念頭に置いていた。

 但し、アメリカからの再入国者に対象を限定すると、第三国経由での入国を試みる中国人が続出する。渡航禁止措置が骨抜きになってしまう。自国民を知悉ちしつする中国共産党にとって、その想定は火を見るよりも明らかであった。

 従って、全ての再入国者を対象とせざるを得ない。

 つまり、単なる観光旅行者も対象となる。中国では、9月から10月初めにかけて、中秋節、国慶節と大型連休が相次ぐ。海外に観光旅行に出かける者も多い。彼らも一緒に再入国禁止措置の対象者とすれば、混乱は収拾の着かないものになる。

 よって、中央委員会全体会議を7月に繰り上げる事にした。

 勿論、入国管理局等の関係機関には中国共産党の決定を事前に通達した。施行の準備に当たらせる為である。

 ただ、“上に政策あれば下に対策あり”の国情である。

 関係する行政機関への通達を機に、海外の中国人にもウワサが急速に広がって行った。それが海外での混乱に拍車を掛ける事になる。


 その頃、ヤン・カイコーとクリス・ハドフィールドは、自分達の経営する鍛造部品会社について話し合っていた。

「クリス。アニー社へのアンドロイドのリース申請は、どんな感じだ?」

「お義父さん。申請者はうちだけじゃありません。

 アニー社の増産対策もそうそう追いつきませんよ」

「こう急激に中国人が故国に帰ってしまったんじゃなあ・・・・・・。無理も無いか・・・・・・」

 日頃はエネルギッシュなヤン・カイコーも流石さすがに憔悴し切っており、声に元気が無い。

「中国人だけじゃありません。メキシコ人を始めとする南米の出稼ぎ労働者も同じです。

 製造業だけじゃなくて、あらゆる産業が人手不足に直面しています」

「下請けの部品メーカーとしては、親会社の自動車生産も低迷しているのが、せめてもの救いだ。

 俺の会社の部品がボトルネックになって自動車生産が滞ったなんて事態に陥れば、商売を切られてしまう。 

 逆に、他社がもたついている間に体制を整えられれば、この会社にとっては成長のチャンスだ。

 クリス、二代目として何か知恵は無いのか?」

 クリスは黙り込んだ。そして、自分が思い悩んできた解決策を義父に提案する決心を固めた。

「お義父さん、誤解しないでくださいよ」

 クリスは口を噤み、義父の眼を覗き込んだ。意を決したものの、義父の反応には不安を感じる。義父とは客観的な状況判断を共有すべきであろう。

「アニー社は、アメリカ企業を優先してアンドロイドをリースしています。アンドロイドはアメリカの軍事技術を転用して製造されていますから、それは当然の事です。

 ところが、お義父さんの会社は中国企業です。アンドロイドの順番が回って来るのは、ずっと先です」

 ヤン・カイコーには、クリスの言わんとする内容が薄々理解できた。

「それは・・・・・・この俺に引退しろと言う事か?」

 ヤン・カイコーは、怒るでもなく、静かに質問した。

 不思議と何の感慨も湧かなかった。感慨と言えば、義理の息子が経営者として立派になった――と言う満足感だけであった。

 昨年、ヤン・カイコーは還暦を迎えた。自分では引退を意識していなかったが、心の隅では引退を考えていたのかもしれない。

「本当に引退しろとまでは言いません。名目上、社長から引いてください、と言っているのです。

 後任の社長は私じゃなくても構いません。チーリンは既にアメリカ国籍を持っているので、チーリンでも構わないのです。チーリンに株式を譲り、会社登記上の社長の地位を譲ってください」

 社会貢献だNPOだと甘っちょろい事ばかりを言っていたクリスが会社経営に頭を悩ませている。ヤン・カイコーには、それこそが嬉しい変化だった。

「いや、良い潮時かもしれん。アメリカ工場を分離し、別会社としよう。

 お前に株式を譲るのは構わないが、お前には株式を購入する資金がないだろう。如何どうするつもりだ?」

「銀行から借金します。お義父さんから株式贈与してもらったのでは、家族として現金が入って来ませんからね。

 こんな不安定な時流ですからね。現金を手元に持っておいた方が心強いでしょう」

 もうクリスに言う事は何も無い――と感じたヤン・カイコーは、黙って片手を差し出した。

 クリスは、義父の握手に一瞬戸惑ったが、シッカリと義父の手を握り返した。


 北里研究所が骨髄病の存在を突き止める直前。

 未だ正体不明だった骨髄病の発症者の増大に世界中の人々が不吉な予感を抱き、漠然とした恐怖心がジワリジワリと高まりつつあった2059年1月。

 アニー社は第3の事業を立ち上げた。人工妊娠サービスである。

 アンドロイド、冷凍睡眠カプセルに続いて、人工妊娠サービスを世に送り出すわけだが、この3事業に共通する技術やノウハウについて、投資アナリストは頭を悩ませた。

 一見すると脈絡の無い事業を次々に展開しているアニー社について、将来の株式公開の可能性を踏まえると、自分達も理解していなければならない。

 その使命感が彼らの関心を掻き立てた理由であったが、アメリカ政府は「軍事機密につき詳細は言えぬ」の1点張りだった。

 精々「軍事技術を民生用に転換する処にアニー社の優位性があるのだ」と自分で呟いても合点の行かないアナリスト評価で投資家を誤魔化すしかなかった。

 その人工妊娠サービスであるが、不妊治療を受ける夫婦の大半は、子宮の障害ではなく精巣や卵巣の障害に悩んでいた。

 そう言った夫婦にとっての治療法としては、人工授精した卵子を母体に戻す従来の人工妊娠医療で十分だったので、アニー社の人工妊娠サービスの事業性は大いに疑問視される事になった。

 もしアニー社が株式上場していれば、株式市場で相当の売りを浴び、株価は急落しただろう。

 実際には未だアメリカ政府が100%の資本を握っており、且つ、銀行からの借入金もアンドロイドと冷凍睡眠カプセルの事業の儲けで完済していた為、この一見して無謀な事業を非難する者は居なかった。

 そうかと言って、アニー社の人工妊娠サービスに期待と賛同を寄せた者も殆どなく、同性愛者の団体が歓迎の意を表した程度であった。

 アニー社も其処ら辺の反響の無さは謙虚に捉えており、人工胎盤装置を運営する施設をロサンゼルス近郊に1つだけ建設した。

 開発拠点のサンディエゴに近いと言うのが最大の理由であるが、アメリカ合衆国の中でもカリフォルニア州が開明的で同性愛者に寛容である事と、富裕層が多い事から、相対的には最も事業化が楽だろうと判断された。

 ところが、アニー社の人工妊娠サービス事業部としては嬉しい誤算があった。

 大きな水族館の様な人工胎盤装置が観光資源の目玉となったのである。サンフランシシコ、ロサンゼルス、ラスベガスの3都市を結ぶエリアは、観光ルートとしては黄金の三角地帯であった。

 人工胎盤装置の目新しさは観光の目玉と成り得る魅力を持っており、ロサンゼルスの中でもハリウッドに次ぐ観光名所だと旅行客の間で評判になったのだ。

 啓蒙活動を目的に無料で施設見学を受け入れようと考えていたが、訪問してくる旅行客の数の多さに事業方針を変更し、一時は観覧料だけで人工妊娠サービス事業は黒字化しそうな勢いであった。

 残念な事に、北里研究所が骨髄病の正体を明らかにしたので、そう言った動きも水泡に帰した。

 観光を目的としたアメリカ入国者の数は激減し、アメリカ国民自身でさえ国内旅行を手控えるようになった。アメリカ国民の間では夏のバカンスは自宅に籠って過ごすと言う生活スタイルが一挙に定着した。

 勿論、アニー社の人工妊娠サービス事業部に限らず、全米の観光業が壊滅的影響を被った。

 一方、人工胎盤技術の伝承者であるエディット・クレッソンであるが、相変わらずサイディエゴ海軍基地の官舎住まいを続けている。

 ただ、人工胎盤技術が実用化された事で、彼女の役割は終了していた。

 エディットは、実際の人工妊娠サービス事業には何ら関っていなかったが、アニー社から技術顧問料の名目で1人が暮らすには十分過ぎる報酬を受けていた。

 エディット自身は贅沢な暮しに憧れる事も無く、その報酬の殆どを地元の教会の奉仕活動に寄付していた。

 貨幣経済の霧消した“未来”で育ったエディットとしては当然の金の遣い方と言えた。その金銭に対する淡白さはエディットとタルヤに共通する点だろう。

 タルヤとの違いと言えば、エディットは教会と深く関る事に熱心だった。例えば、教会がスラム街の浮浪者相手に行う炊き出し活動には必ず参加した。

 余談だが、エディットは、生まれて此の方、自分で料理を作った経験が無かった。

 “未来”で暮らしていた時にはアンドロイドのアニーが食事を用意してくれたし、“現在”に来てからも、別の人間が隔離棟や官舎で食事の準備をしてくれた。

 水を張った鍋を火に掛け、その鍋に食材と調味料を入れてスープにすると言う手順さえ知らなかった。

 そんなエディットを初めて見た神父は「おお、神よ。なんと言うお嬢様を遣わされたのですか!」と呆れたが、口には出さなかった。エディットは大口の献金者なのだから。

 或る意味、エディットは巨額の授業料を支払って、修道女から料理の手解きをして貰った事になる。


 この頃、フェイは、タルヤとエディットの2人に、こんな手紙を出している。

『此処ジュノーでも夏はそれなりに過ごし易い。それでも、最高気温が20℃を超える事は滅多に無いから、2人にとっては避暑地と言えるだろうな。

 プラトッシュの部屋は相変わらず、汚いよ。

 イレーネが冷凍睡眠カプセルに入ってから6年が経つ。

 僕は毎日、イレーネに話し掛けている。ガラス越しだけどね。彼女は時間を止めたままだ。

 時々、“眠れる森の美女”と言うアニメ映画を見る。飽きもせずに何度も同じ映画を見直す自分に呆れる。

 でも、どうしても思わずにはいられないんだ。「もし物語のように僕が彼女に接吻したら、彼女は目を覚ますだろうか?」って。自分でも馬鹿げた妄想だと思うよ。

 重水治療の開発プロジェクトで、僕の出番は未だ来ない。医療データが少ないからね。

 今、プラトッシュがせっせと囚人達を冷凍睡眠から蘇生させている。

 そう言えば、此処ジュノーの軍港にはロシアの駆逐艦が頻繁に停泊するようになった。僕達には関係無い事だけど。

 毎日が単調で、変化と言える変化は全く無い。こっちは、そんな感じだ』

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