12. 別離【2050年代前半】

 2050年が明けて直ぐ、ロビンソン政権の主席補佐官を交えた初めてのテレビ会議が開かれた。

 政権交代後、首席補佐官を交えたテレビ会議は無く、これまで1年以上のブランクが有った。

 ヘンリー政権の時とは違い、今回はホワイトハウス側の参加人数が少ない。

「ロビンソン政権で主席補佐官に就任したジルマ・ルセフよ。宜しくね」

 主席補佐官は女性だった。浅黒い肌の色をした50歳前後の女性。

 名前から想像するにラテン系出身だろう。テレビスクリーンに映った着座姿勢からは大して身体的特徴は分からないが、同じラテン系のイレーネと似通った身長だろう。体型はイレーネとは違い、中年特有の大層ふくよかな体型をしていた。

 第一声の雰囲気からは陽気な人柄を感じるが、政治家の道を選んだのなら陽気なだけのはずがなかった。

「貴女達の事は前政権から説明を受けています。特にミズ・サエス。

 貴女の取り扱いについては、ロビンソン政権内でも結論が出ていません。

 アメリカ国籍を持った人間でもないし、貴女を裁く法律自体が有りません。テロリストを裁く法律はあっても、貴女をテロリストと呼ぶのは少々無理がありますしね。

 いずれにせよ超法規的措置が必要となるでしょう」

 5人は黙ってルセフの話を聞いていた。

「それよりも今日の話題は、ミスター・グプタに関する事項です」

 突然の指名を受けたプラトッシュは首を左右に振り、4人の顔を見比べた。

「冷凍睡眠技術の開発に貢献してくれて助かっています。有り難う。

 私がミスター・グプタに言うのも変だけど、知っての通り、開発段階が佳境に差し掛かっています。

 よって、ミスター・グプタには隔離棟を出て、私達と一緒に働いてもらいたいの。物理的に。

 意思疎通の手段をテレビ会議やタブレットのチャットに限定したままでは、もどかしいですからね」

“現在”の世界に舞い降りてから10年近くの長い時間が過ぎていた。ようやく外の世界に出られると言うのは朗報である。

 4人も驚きの表情を浮かべてプラトッシュの顔を見詰め返した。

「ミスター・グプタに行って貰う場所は、アラスカ州のジュノーと言う町です。

 これまでアメリカ陸軍が冷凍睡眠技術の開発を支援してきました。在アラスカ米陸軍の拠点はアンカレッジのフォート・リチャードソンにあります。

 でも、ミスター・グプタの赴任する場所は在アラスカ米海軍の拠点です。アンカレッジは大きな町なので、開発を秘密裏に終える為にも、赴任先をジュノーにしました。

 ジュノーは三方を海に囲まれた港町です。町の背後には山が迫ってきているので、孤立した、交通の便が悪い町です。

 私達としては、引き続き、貴女達を世間から隔離しておきたいと考えています。それは感染予防と言う観点ではなく、情報統制と言う観点からです。

 ミスター・グプタ、行って貰えるかしら?」

 ルセフの問い掛けにプラトッシュは頷いた。丁寧な物言いながら、有無を言わせぬ雰囲気が有った。

「宜しい。

 1週間後には貴方をCDC隔離棟から移送します。それまでに準備を整えておいてください」

 思い出したと言う風に、ルセフが一言付け加えた。

「それと、ミスター・グプタ。

 ジュノーの海軍基地の人間は骨髄病の存在を知りません。勿論、貴方が“未来”から来た人間だって言う事実も知りません。

 貴方にも、そのつもりで交流して貰いたいの。宜しいかしら?」

 これにもプラトッシュは頷いた。

「おいおい、他のメンバーにも、その隔離棟を出て貰う時期が来ると思うわ。でも、ミスター・グプタと同じように、骨髄病や時間移動の話は内密にしてちょうだい」

 ルセフは“立て板に水”の様に事務的な事を一方的に伝えると、早々にテレビ会議を打ち切った。


 翌週プラトッシュがCDC隔離棟を出発したのは、夜だった。夜陰に乗じてヘリポートから飛び立つ事になっていた。

 約10年を過ごした隔離棟での私物は全てダンボールに詰めた。私物の全てと言っても精々ダンボール箱3個分だ。

 これからは冷暖房の効いていない外気の中を移動するので、陸軍兵士の迷彩服と軍靴がプラトッシュに支給された。

 異色だったのは、ネームタグの替わりに支給された金属ワイヤー製のネックレス。プラトッシュの首に装着する際、陸軍下士官が使途を説明した。

「このネックレスは君の居場所を特定する為の道具で、GPS電波を絶えず発信している。この膨らんだ所にGPS端末を仕込んである。

 君はアメリカ合衆国の外に出る事を許されていない。アメリカ合衆国の国内移動であっても、我々から事前に許可を取る必要がある。

 このネックレスは防水仕様なので、何も気にせず365日24時間、首に装着しておくように。

 もし、君がこれを引き千切ろうとしたら、我々は君が脱走を試みたと解釈して対応する。良いかね?」

 有無を言わせぬ下士官の質問にプラトッシュは黙って頷いた。

 ダイニング・ルームまで見送りに来ていた4人は、1人ずつ順にプラトッシュと抱擁した。次に会えるのが何時いつになるのか、全く見通せない別離だった。

 別れの挨拶を終えたプラトッシュは、下士官に促されてダンボールを積んだ小型の台車を押し、配膳室に進んだ。

 配膳室を出る間際にプラトッシュは振り返り、4人の顔を数秒見詰めた。5人とも無言の儘だった。


 2050年10月、サンフランシスコ近郊のシリコンバレーでは、アンドロイド製造会社のアニー社が産声を上げた。ロビンソン・プランの目玉政策である軍事技術の民生化プロジェクトの第1弾である。

 アニー社の資本構成はアメリカ政府100%の形でスタートし、ロビンソン・プランに沿って、事業が軌道に乗れば25%分を株式市場で一般公開する予定だった。

 アメリカ財政には余裕がなく、当初は自己資金を抑え、必要資金の大半を社債で賄った。そう言う意味では、プロジェクトの成功報酬の一部は、借入金の元利返済と言う形で金融業界が手にすると言えなくもない。

 よって、金融業界は、民主党のロビンソン大統領を支持してきたロビー勢力として、陰に陽にプロジェクトの推進を支持していた。

 反面、金融業界を潤させる事が直接の目的ではないアメリカ政府は、このアンドロイド製造の一貫プロセスの中でもアニー社が担う工程は、人工頭脳部分の製造と身体部分への組み付けのみに限定した。アニー社が建設する工場は必要最小限とする事で必要資金を圧縮していた。

 替わりに、多額の工場投資を必要とする身体部分の製造工程は日本のロボットスーツ・メーカーに一任し、首から下だけに関すれば完成品の身体部分をアメリカに輸出させる。

 アニー社が首を据え付ければアンドロイドが完成する――と言う国際分業体制を築いた。

 ロビンソン・プランに基づき身体部分には高率の輸入関税が課されたが、日本企業としては全量をアニー社が買い取るので何の問題も無かった。アニー社としても、実態はアメリカ政府が株主の国営企業なので、身体部分に輸入関税が課税されても全く意に介さなかった。

 アニー社にはアメリカ国内でアンドロイドを販売する意思が無かった。

 全てリースとする事で、そのリース料が国庫に入る。いわば、得意のサービス産業として国庫を潤わせる産業政策である。

 また、全量リースと言う事業スタイルは、アメリカ合衆国の安全保障政策上も譲れないものであった。

 敵国のスパイが購入したアンドロイドを自国に持ち帰るリスクを完全には排除できない。

 販売する形態を採用すれば、正当な所有権を有する外国人によるアンドロイドの国外持ち出しを、アメリカ政府は差し押さえられなくなる。テロリストと特定しない限り、個人財産の差し押さえは法律上の根拠を欠いた愚策となってしまう。法治国家として認める事は出来なかった。

 また、アンドロイドは、使役支援機器であると同時に、ネット・サーバーでもある。アンドロイドの普及は第2のインターネット構築を意味する。

 既に普及しているインターネットが特に中国からのサイバー攻撃のリスクに晒されていると言う現実を憂慮すると、そのリスクが及ばない第2インターネットの構築は急務であった。

 アメリカ政府として行く行くは、社会インフラのコントロール機能をアンドロイド集団による第2インターネットに移行させる方針であった。

 アニー社の社屋正面玄関の前には会社設立セレモニーの為に赤い絨毯が敷かれた。

 幾分は涼しくなったとは言え、未だ未だ強いカリフォルニアの太陽が降り注いでいる。女性ならば日焼けを気にするような雲一つ無い好い天気だが、ロビンソン大統領は満面に笑みを浮かべて雛壇中央に立っていた。

 両脇にはカリフォルニア州知事やアニー社の経営幹部達が、演説後のテープカットの為に立ち並んでいた。彼らの前には雇用されたばかりの従業員の代表が整列している。

 会場脇のマスコミ席にはテレビカメラを抱えた取材クルーが脚立を小脇に抱えて走り回っていた。少し離れた場所には何台もの衛星中継車が駐まっていた。

「本日、お集まりの皆さん」

 マイクを前にしたロビンソン大統領が話し始めた。眼前に並ぶ聴衆を政治家らしく眺めた。

「私は、今から約1年半前の一般教書演説で、軍事技術の民生化によりアメリカ国民の雇用の場を創出すると公約しました。

 本日、会社設立の運びとなったアニー社は、その第1弾です。このアニー社の設立により、300人程度の雇用が生まれました。

 でも、これは第一歩に過ぎません。

 アニー社で製造するアンドロイドは極めて汎用性が高く、単純労働の代替が可能です。このアンドロイドは明日以降、アメリカ産業の隅々まで普及して行くでしょう。

 このアンドロイドの商品名は会社名と同じアニーですが、アメリカ国民の誰もが「アニー、アニー」と気安く呼ぶような、有り触れた光景が広がって行く事でしょう」

 ロビンソン大統領は一息吐いた。

 自分の演説を最も強く伝えなければならない聴衆は、テレビカメラの向こうにいる。全てのアメリカ国民に伝えなければならない。

「でも、皆さん。このアニーは単純労働の職場を自分達から奪ってしまうのではないか?

 そう心配していらっしゃるのではありませんか?

 そんな事は有りません。

 このアニーは全てアメリカ政府が管理し、申請された企業や個人にリースします。一般販売はしません。つまり、人員合理化だけを目的とした使用申請には応じません。

 私は、アメリカ企業の競争力を強化する為。或いは、個人の生活を裕福にする為にアニーを普及させて行きます。

 そして、そのリース料は国庫に入る事となり、金に色を着けるのは不可能ですが、回り回って社会福祉の財源として使うつもりです。

 限られた職場をアンドロイドと人間が奪い合う。我々はそう言う後ろ向きの発想を止めなければなりません。

 此処アメリカでは、アンドロイドと人間が手を取り合ってアメリカの競争力を高め、海外に撃って出る。そう言う前向きの発想をしようではありませんか!」


 翌2051年、タルヤ・ハルネンが、ミシガン州デトロイトに移送された。

 1966年に炉心溶融事故を起こし、それ以降は休止した儘になっているエンリコ・フェルミ炉。アメリカ唯一の高速増殖炉の遺物がデトロイト郊外に所在した。

 高速増殖炉の名称はノーベル物理学賞を受賞したエンリコ・フェルミに由来する。

 彼は、第2次世界大戦中にムッソリーニ政権のイタリアからアメリカに亡命し、マンハッタン計画に合流した人物である。

 エンリコ・フェルミ炉は金属ナトリウムを冷却材に採用した設備で、タルヤが指導する軽水型とは異なっていたが、流用可能な部分が多々あり、此処が高速増殖炉の日米共同開発チームの本拠地となっていた。

 また、タルヤに続くこと数カ月後には、エディット・クレッソンがカリフォルニア州サンディエゴに移送された。

 メキシコとの国境近くに所在するサンディエゴは、ロサンゼルスに次いで2番目に大きいカリフォルニア州の大都市である。

 この地にはサンディエゴ海軍基地が設けられ、エディットは海軍基地内で生活する事となった。

 この場所が人工胎盤技術の本拠地として定められた理由は、前年に設立されたアニー社が同じくカリフォルニア州サンフランシスコ近郊のシリコンバレーに本社を構えている事と関係が有った。

 タルヤとエディットの2人もプラトッシュと同様に、CDC隔離棟を出て行く際には金属製ワイヤーのGPS装置を首に装着され、取り外さないように――と念を押された。

 エディットは海軍基地内の官舎の一画に住まわされたが、タルヤの場合には付近に軍事基地が無いので、軟禁場所には一般邸宅が選定された。五大湖の1つエリー湖畔に面した二階建ての白い木造邸宅で、以前は資産家の別荘だったようだ。

 木造家屋の周りを芝生が囲い、洒落たデザインの鉄格子を載せた煉瓦造りの塀が敷地をグルリと取り囲んでいた。湖畔に面した芝生の庭からはプレスト湾を一望にする事が出来、早起きをすればエリー湖の水平線から昇る日の出を楽しめた。

 正門脇の守衛所にはFBI捜査官が交代で詰めていた。FBI捜査官と言っても、エディットは犯罪者ではないので、第一線を引いた引退間近の捜査官達であった。


 丁度この頃、ロビンソン・プラン。つまりはアメリカの一方的な保護貿易政策の煽りを受けて、欧米資本と中国国営の合弁企業であった自動車メーカーが、アメリカ本土に相次いで自動車工場を建設し始めていた。

 中国で製造しアメリカに輸出していた自動車の現地生産化が求められたからである。

 欧米自動車メーカーの立場では、中国との合弁会社の生産量を単純に落とし、北米工場を単純に増産しさえすれば、ロビンソン・プランには十分対応できた。

 反面、中国としては空洞化の直撃を受けてしまう。

 だから、中国政府は陰に陽に合弁会社の株主である欧米自動車メーカーに対して、中国での資産凍結。つまり、これまで中国で儲けた財産の実質的な没収をちらつかせ、合弁会社のアメリカ子会社とする形態を迫ったのである。

 中国企業が間接的にしろ出資しておけば、アメリカでの儲けを配当として中国に還流させられる。そう考えたのだ。

 欧米自動車メーカーから再び眺めると、屋上屋を重ねるように複雑怪奇な資本関係となってしまう。自社100%の工場として新設すればスマートだからだ。

 中国政府の理不尽な行政指導に不満を感じる欧米自動車メーカーがロビンソン政権へのロビー活動を精力的に展開した。

 一方、陳情を受けたロビンソン政権は、彼らにリップサービスを振り撒くだけで、中国との通商問題として取り上げなかった。

 ロビンソン政権の真の目的は、外国人を一時的にアメリカ国内に引き込み、骨髄病に感染させる事である。中国人も例外ではないからだ。

 全米自動車労連にとっても異存は無かった。株主が誰であろうと構わず、自動車の生産台数が増えさえすれば良い。要は組合員の雇用チャンスが増えれば文句は無かった。

 こう言う時流の最中、ヤン・カイコーはアメリカに工場進出を決断した。工場建設地はミシガン州デトロイト。

 鉄鋼業や自動車産業が隆盛を誇った100年前と比べると、デトロイトに往年の勢いは全く無くなっていた。しかしながら、地場産業が衰退して街の大半がスラムと化していた頃と比べれば、相当に持ち直していた。今は治安も悪くない。

 中国本土でヤン・カイコーの経営する鍛造部品会社は、決して主流の系列会社だとは言えなかった。

 ところが、ヤン・カイコーは、中国の自動車メーカーがインドに進出した際、真っ先に着いて行った。2045年の決断だった。中国の自動車メーカーの初めての海外生産に部品メーカーとして少しでも目に見える形で貢献する事により、自分の会社の位置付けを上げようと考えたのである。

 しかも、中国政府の一帯一路政策は継続しており、海外進出する中小企業には様々な支援策を講じていた。

 なおかつ、中国政府は2042年に完成した天竺鉄道の政治的・経済的効果を積上げようと躍起になっていた時期でもあったので、ヤン・カイコーの決断は時流に乗り遅れず果敢に判断する経営者として満点を取れる決断だったと言えた。

 さて、今回のアメリカ進出だが、数ある中国の部品メーカーの中でも海外生産の経験を積んだ会社は多くない。

 よって、自動車メーカーが対米進出を打診する自社系列の部品メーカーは少なかった。ヤン・カイコーの会社は、その数少ない1社に入ったわけだが、彼がそんなチャンスを見逃すはずがなかった。

 ヤン・カイコーは、経営者として当然ながら、中国人を部下として連れて行きたいと考えた。

 現地生産の際に言葉の問題は大きな障壁である。インド人に比べてアメリカ人は遥かに話の分かる民族だろう。とは言え、自分の片腕と言える中国人従業員が多いに越した事はない。少なくとも、進出当初の立上げ期はそうだ。

 そう考えて候補者を探したリストの中に、リウ・フェングが居た。

 リウ・フェングは、同じ江蘇省出身と言う同郷のよしみを頼って、ヤン・カイコーに自分を売り込んだ。海外生活の経験は無かったが、ヤン・カイコーとは競合する江蘇省の鍛造部品メーカーで働いていたので、工場の事ならば自信が有った。

 息子が生まれたばかりであったし、中国で宇立うだつの上がらない一生を送るよりも、アメリカでチャンスを掴もうと奮起したのだった。

 息子には徳華と名付けた。徳で以って周囲の人を引き付ける立派な中国人になって欲しいとの願いを名前に込めた。中国語の発音はダーファである。

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