11. ロビンソン・プラン【2049年】

 前年の大統領選挙は民主党の勝利で終わった。アメリカ史上2番目の女性大統領として、60歳を過ぎたばかりのマーガレット・ロビンソンが就任する事になった。

 ヘンリー大統領は、もし共和党候補が大統領選に勝利していれば自分の引き継ぎ作業もスムースに進むだろうに――と、開票直後は少々残念に感じていた。

 ところが、民主党のロビンソン大統領は、ヘンリー大統領より“未来”からの来訪者の存在を聞き、そして5人から聞かされた歴史的未来の可能性を伝えられると、共和党政権時代の安全保障政策に全面的な支持を表明した。

 民主党議員がアメリカ議会の上下両院の過半を占める状況でもあった。

 だから、ヘンリー大統領は、政策遂行能力の観点から、ロビンソン大統領の当選はアメリカ合衆国にとってベストな結果なのだ――と、思い直していた。

 引き継ぎの際、ロビンソン大統領はヘンリー大統領に、

「安全保障政策は全面的にヘンリー大統領の方針を引き継ぎます。

 但し、それ以外の政策については、私自身の公約を優先します。共和党の政策を否定する事も多々有りましてよ」

 ロビンソン大統領から釘を刺された当のヘンリー大統領にとって、安全保障以外の政策は今や瑣末な事に過ぎなかった。

 要は、将来ともアメリカ合衆国が自由と民主主義の守護者として世界を率いて行ければ、それで良いのである。


 2049年1月のアメリカ議会。

 マーガレット・ロビンソン大統領は一般教書演説を行う為に演台を前にしていた。後にロビンソン・プランと呼ばれる演説である。

 マーガレット・ロビンソンはイギリス移民の子孫である。

 実際には白髪が混じっているのだろうが、生来の茶色がかった金髪に染め直している。

 フリルの襟元デザインの真っ白なブラウスの上に、民主党のシンボルカラーである淡青色のスーツをまとっていた。

 胸元には大き過ぎも小さ過ぎもしない洒落たブローチが1つ。ネックレスを飾るでもなく、シンプルだがエレガントな出で立ちで演台の前に立っていた。

「凡そ70年前、我が盟友のイギリスに“鉄の女”と呼ばれた名宰相が現れました。彼女の名前はマーガレット・サッチャー。

 私自身は彼女と何の血縁関係もありませんが、同じマーガレットの名前を持つ者として、鉄の意思で、このアメリカ合衆国を導いて行く事を宣言致します」

 最後のワンフレーズは気持ちだけ大きな声を出すと、ロビンソン大統領は聴衆の心に沁み渡るよう一呼吸、置いた。民主党議員の議席を中心に、ワーっと言う応援の歓声と拍手が湧いた。

 両手を軽く挙げて議場の喧騒を静めると、ロビンソン大統領は演説を再開した。

「有り難う。皆さん、有り難う。

 さて、我々はアメリカ合衆国が置かれた状況を、客観的に、且つ、冷静に直視しなければなりません。

 今、アメリカの中流階級は経済的に疲弊し切っています。殆どの国民はアメリカン・ドリームを実感できていません。何故でしょうか?」

 また、一呼吸。

「残念ながら、普通の国民が働く国内の職場が十分に無いからです。

 勿論、ファストフード店でアルバイトとして働く職場は沢山有ります。でも、その様なサービス産業の賃金は決して高くありません。何故なら、高いハンバーガーを買う消費者は居ないからです。

 この消費者と言うのは、普通に働く国民でもあります。

 その国民の賃金が安く抑えられると、益々ハンバーガーの値段を下げる必要が出てきます。図らずも、悪いスパイラル・ダウンの罠に陥ってしまうのです。

 一方で、普通の国民が購入する商品はハンバーガーだけではありません。

 例えば、自動車です。でも、全ての自動車をアメリカ国内で製造しているわけではありません。アメリカ国内で販売される自動車の半分は海外で製造され、輸入されています。

 つまり、アメリカ国民は、自分の賃金で自動車を輸入し、外国人の賃金を払っているのです。この不条理を正さなければ、アメリカ国民の生活が豊かになる事はありません。

 私は、この経済構造を変革して行きます。

 アメリカ合衆国は自由貿易を標榜してきました。残念ながら、歴代のアメリカ政府は、外国人が外国で製造した自動車を我が国に輸入する事を是としてきたのです。

 本日、私は、アメリカ人が購入する商品は全てアメリカで製造すべし。そう言う方向に政策転換する事を皆様に約束します」

 野党共和党の議席からヤジが相次いだ。ロビンソン大統領は動じる事なく演説を続けた。

「共和党議員の方々が指摘するように、これだけでは自由貿易の放棄です。

 国際社会から「アメリカはエゴを剥き出しにしている」と非難されるでしょう。国際社会の盟主として勝ち得た尊敬、信頼、その他の様々な善意も失ってしまうでしょう。

 その様な副作用は、私だって理解しています。

 ですから、外国籍の自動車メーカーが、対米輸出の替わりに、此処アメリカに工場を建設するならば、その従業員である外国人の一時的移民を認めようと考えています。

 これは移民政策の大転換です。

 移民政策を転換すると、自動車を製造する場所が外国からアメリカに移るだけで、外国人の雇用は失われません。相手国との間で生じる貿易摩擦問題が深刻化する度合いは大きく減少するでしょう」

 また、ヤジが相次いだ。ロビンソン大統領はヤジに何度も頷いた。

「分かっています、分かっています。それでは、アメリカ人の雇用創出につながらない。ごもっともな指摘です。

 そこで、移民を受け入れる期間を例えば5年に限定します。

 移民を受け入れる際には、出身国に5年後には責任を持って帰国させると言う誓約書を書いて貰います。

 これはアメリカ政府が彼らを移民として受け入れる為の条件です。この誓約書が無ければ、労働ビザを発給しません。つまり、移民は5年間しか働けません。

 一方のアメリカ人は、進出してきた工場でずっと働き、職場経験をドンドン積んで行く事が出来ます。アメリカ人が外国人に負けるはずがないでしょう?

 最初は進出工場の職にありつけないかもしれない。でも、工場進出さえ無い状況に比べれば、アメリカ人にチャンスが生まれるのです」

 通例ならば、議会は大統領の一般教書演説を礼儀正しく拝聴するのが慣わしであるが、今回は違った。全てがヤジとは言い切れなかったが、賛成・反対を問わず、怒号が飛び交った。

「勿論、それだけではアメリカ人の雇用創出に十分とは言えないでしょう。

 ですから、次なる政策として、国防に差し障り無い範囲で軍事技術の民生転用を進め、新たな産業を育成します。対象とする軍事技術は、今後、共和党並びに民主党の議員の皆様と御相談して決定致します。

 此処で1つ申し上げておきたい事は、この軍事技術を開示する対象企業ですが、アメリカ国籍を持つ株主が75%以上の株式を有する事を条件とします。

 更に、軍事技術を利用した製造活動、サービス提供活動の許諾エリアは、此処アメリカ合衆国に限定します」


 その日の夜のCNNニュースでは、ロビンソン大統領の一般教書演説について、急遽、特別番組が組まれた。元々トップニュースとして取り扱う予定だったが、コメンテーターを呼んで放送時間を長く取る事にしたのだ。

「今日の一般教書演説には驚かされましたね」

「そうですね。特に、保護貿易に舵を切る事と、移民政策を緩和する事の2点ですね。

 その他の内政政策は、従来の民主党の政策範囲内で目新しいものは有りませんでした」

「ところで、ロビンソン大統領は、選挙期間中、この様な政策について言及していたのでしょうか?」

「確かに具体的な内容を説明したのは今日が初めてでしょう。

 ですが、中流階級の生活を改善するとは言っていましたから、全く言及していなかったとは言えません。

 選挙期間中に公表していれば選挙活動そのものが混乱していたでしょう。それほど威力のある隠し玉だったと言う事です」

「その政策について、ロビンソン大統領の支持者の賛同は得られるのでしょうか?」

「そうですねえ。

 でも、冷静に考えると、国内の利害関係者にとっては何ら悪い事にはならないでしょう。寧ろ、犠牲となるのは、海外と言う事になります」

「その点、今日の一般教書演説では外交政策に関する言及は殆ど有りませんでした」

「そうです。これまた外交政策に言及しない一般教書演説と言う点でも、近年では珍しい内容でした。

 ロビンソン大統領の外交手腕は未知数です。の様な外交を展開して行くのか、それが今後の注目ポイントでしょう」

「また、軍事技術の民生化と言うキーワードも、目玉の様に感じました」

「そうですね。

 でも、考えても見てください。インターネットもGPSも軍事技術だったのですよ。軍事技術の民生化自体は目新しい政策ではありません。

 強いて言えば、それをアメリカの雇用創出に直結させる――と言う部分でしょうか。民主党大統領としては自然の発想だと言うのが、私の感想です」

「今後が楽しみです。今日は有り難うございました」


 コメンテーターは大して評価しなかったが、演説時にロビンソン大統領が念頭に置いた軍事技術の民生化プロジェクトの第1弾はアンロイドである。

 アニーを解体してから約2年が経過していた。

 最大の開発課題であった半導体素子についても解析が進み、残るは大量生産技術を如何に確立させるか? そして、の企業に生産を任せるか?――と言う選定作業にまで検討レベルは進んでいた。

 残念ながらアメリカ合衆国には、素材を製造し半導体素子に加工する有力企業が存在していなかった。ただ幸いな事に、世界的に見ても有力企業は日本なり台湾に本社が有り、両国ともアメリカの友好国である。

 中国への技術流出防止と言う観点から、国防省と国務省と商務省、国家情報局の共同チームが検討の最終段階に取り組んでいる最中だった。日本企業を採用しようが台湾企業を採用しようが、アメリカでの現地生産をクリアすべき選定条件とする予定だった。

 また、共同チームはアメリカ国内で製造するのはアンドロイドの人工頭脳部分だけと割り切っていた。

 首から下の身体部分は最初から日本企業に任せるつもりだった。最大の理由は、対応できそうな産業がアメリカ合衆国に無かったからである。

 一方、日本にはロボットスーツの製造企業が育っていた。老齢化の進んだ日本では医療分野や老人介護分野での需要が大きく、ロボットスーツの製造基盤が満足の行くレベルまで成熟していた。

 ロビンソン・プランと矛盾しないサプライチェーンとして、人工頭脳部分をアメリカ国内で製造し、身体部分を東アジアで製造する分業体制が最も現実的であった。

 アメリカ政府は人工頭脳のプログラミング・ロジックまで日本に開示するつもりは毛頭無い。アメリカ政府としては、文字通り、日本を手足として使うつもりであった。


 ロビンソン大統領の一般教書演説から半年余り。2049年9月。中国共産党が建国100周年と戦勝104年の祝典を北京で盛大に開催した。

 祝賀祭には、インド首相を始め、バングラディッシュ、パキスタン、アフガニスタン、イラン、イラクと言う南アジアから中東に掛けての国家元首が参集していた。

 ロシア大統領を始めとした上海協力機構の加盟国も参加していた。

 勿論、国連の常任理事国として、全世界の国々に中国政府は招待状を発送した。それが中華人民共和国の威光を全世界に知らしめる事になる。

 ただ、現代の国際情勢を如実に反映して、アメリカを始めとする民主主義国家の多くは首脳ではなく大使レベルを参加させていた。

 天安門広場を何輛もの人民解放軍の戦車、ミサイル搭載車がゆっくりと進み、その後に続いて歩兵の隊列が行進して行く。上空では戦闘機がデモンストレーション飛行をしている。

 中国と西アジア周辺国との国境紛争が終結していただけでなく、経済発展が功を奏して国内の反体制派の動きも沈静化していた。

 この状況変化を踏まえ、中国共産党は国内治安部隊から人民解放軍への人員シフトを大々的に進めていた。

 人民解放軍の兵員数は大きく膨らむ事となったが、中国共産党は失業対策を兼ねた一時的現象として捉えていた。国内産業を梃入れし、徐々に人民解放軍の兵士達を経済活動にシフトさせる方針であった。

 一人っ子政策の弊害である労働力人口の減少傾向には歯止めが掛かっておらず、人民解放軍の組織を維持する為にも、国富を増やす経済活動を盛んにしなければならない。

 その事を利に聡い中国共産党の指導者層は十分に理解していた。

 周国家主席が全世界に向かって演説を始める。

「約2500年前、紀元前の話です。

 此処、中国では小国家が分裂状態にあり、春秋戦国時代と呼ばれておりました。人々は拠り所を求め、数多の思想家が人の世の在るべき姿、原則を世に問うた時代でもあります。

 一方の現代は、アジア大陸においては中華人民共和国と言う偉大な国家を運営していますが、全世界を見渡してみると、春秋戦国時代と同様に分裂状態にあると言わざるを得ません。

 その春秋戦国時代、思想家の1つである墨家が自らの教えを広げようとしていました。

 その主義主張は相互利益を目的とした博愛です。争いを避ける為には、皆がお互いを対等なパートナーとして扱い、相互に理解し、尊敬し合わなければなりません。

 現代の中国共産党は、墨家思想を取り入れ、全世界の国々との友好関係を築いてきました。その成果として、本日の祝賀式典において、世界各国に参集して頂けたと言う事実が有るのです。

 中国共産党は、この路線を更に進化させ、世界平和に貢献して行く事を宣言するものであります」


 プラトッシュはエディットの部屋のベッドに横たわっていた。

 エディットはベッド脇に腰掛け、大きく伸びをすると上体を左右に揺らしていた。

 隔離棟の外で通常生活をしていたら、セックス後はバスローブでも羽織り、化粧台に座って髪にブラシを通し、軽く化粧を直す処だろう。しかし、隔離棟には鏡が1枚も無い。5人だけの密室生活を続ける内に、御洒落に没頭する意欲は無くしていた。

 コミュニケーション・ルームで外部の人間と会う時は、女性として多少ドキドキする事も有る。

 でも、毛髪を剃り上げ医療用ガウンを着ているだけの自分の姿を思い出すと、浮付きそうになる気持ちも直ぐに萎える。

 今となっては、セックスの後は何時いつも、女としては手持無沙汰に感じてしまうのが多少面倒臭かった。

「貴方、最近、イレーネとは御無沙汰なんじゃないの?」

「それが何か?」

「いいえ。別に。聞いてみただけ」

 背中をプラトッシュに向けたまま、エディットが投げ遣りに答える。

「イレーネとフェイの2人は恋人目前だろ? そんな相手に声は掛けないよ。フェイに逆恨みされても、詰まらないしな」

 多少弁解じみて答えるプラトッシュの殊勝さに、エディットが目を大きくして振り返る。

「驚いたわねえ。貴方にそんなデリカシーが有ったなんて。あんなに汚い部屋に住んでいるのにねえ」

 エディット自身もイレーネとフェイの間に漂う微妙な雰囲気を敏感に察知し、セックスの相手としてフェイを誘う事は控えていた。

 だが、プラトッシュも察知していたとは想像だにしなかった。

 最近はプラトッシュとばかりセックスしている。最大の理由は選択の余地が無いからだったが、「プラトッシュも悪くない男ね」とエディットは思い直した。

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