10. 国家安全保障会議【2048年】

 ヘンリー大統領も交えて久々のテレビ会議が開催された。

 CDCの隔離棟まで足を運ぶ時間的余裕の無い人物は、ホワイトハウスからテレビスクリーンを通じた参加となる。平たく言えば、国家安全保障会議のメンバーはホワイトハウスからの参加である。

 それ以外に、歴史、経済、国際関係等の社会科学分野の学者達が、コミュニケーション・ルームのモニターガラスの向こうの座席に座っていた。

 誰もが落ち着かない雰囲気だが、全員が防護服を着用せず、教鞭を執る時と同じ様なカジュアルな服装である。

 依然、感染者の特定は為されず、魔女狩りを避ける為に匿名を前提とした追跡調査が為されているだけだ。

 学者達の顔付きを見ると、此処で防護服を着用する事の無意味さを必死で理性的に理解しようと努力しているのが良く分かる。願わくば、この悪夢をずっと知らされなかったら幸せだったのに――と言うのが、彼らの本音であろう。

 一方で、学問の探究者としては、願ってもない機会が自分に与えられた――と、素直に感謝せずにはいられない。そんな相反する感情に戸惑っている風であった。

 ただ、誰一人として自分の前に出されたコーヒーカップに手を着けようとはしなかった。

 モニターガラスの反対側では、イレーネ以下の5人全員が座っていた。

 こちらも、“現在”の人間が自分達にの様な態度を取ってくるだろうか?――と、不安で緊張していた。

 今日のテレビ会議の趣旨は予め通知されていたので、モニターガラスの向こうに座るメンバーが社会科学の学者である事は承知していた。

 しかしながら、これまでのテレビ会議と違い、誰一人として自己紹介しなかった。コミュニケーション・ルームには堅苦しい雰囲気が漂ったままだった。

 ヘンリー大統領が厳粛な口調でテレビ会議の開催を宣言する。大統領もまた、従前とは打って変わって、余所々々しい態度でテレビ会議に臨んでいた。

「ミズ・サエス。君達の処遇については、私の政権内でも結論は出ていない。

 知っての通り、今年は大統領選挙の年だ。私の一存で君達の処遇を決める事も出来んだろう。民主党の重鎮達とも意見を交換せねばならん。その為にも、まずは君達からの情報が必要だ。

 そう言う事で、君達の時間宇宙が辿った歴史を知りたい。もうタイムパラドックスを気にする必要は無いのだから、君達の歴史を教えて貰っても構わないだろう?」

「勿論です。大統領」

 イレーネがしおらしく答える。

「うむ。では、ミズ・サエスから、我々の知らない歴史を説明して貰うとしようか」

「分かりました。

 まず、私達が“此の世界”に来て気付いた大きな違いは、ロシア連邦の存在です。

 “此の世界”では、ソビエト連邦が1991年に崩壊した後、ロシア連邦を始め幾つもの国家に分裂しました。

 ところが、私達の歴史では、ソビエト連邦は自壊せず、中華人民共和国に侵攻されるまで1つの国家として存続しておりました」

 オォと言う感嘆の小声が一堂から漏れ、学者の1人が思わず質問した。

「それは何年の出来事です?」

「2090年代です。“此の世界”に比べて、100年近くもソビエト連邦は生き永らえた事になります」

「それは、の様な時代背景で中国の侵攻を招いたのですか?」

「90年代初頭に第2ロシア革命が勃発しました」

「何故? 革命勃発の時代背景は何だったのです?」

「私達の歴史では、骨髄病が2070年頃から世界に蔓延し始め、出生率が世界的に急落し始めました。

 ソビエト連邦は鎖国に近い状態を続けていましたが、実質的に資本主義経済に舵を切った中国とは関係を密にしていましたから、恐らくそのルートで感染が広がったのだと思います。

 出生率の低下は労働力人口を減少させ、経済活動や社会生活にダメージを与え始めます。

 その課題に対して西側先進国はアンドロイドを投入する事で社会活動を維持しようと努めたのですが、ソビエト連邦は対応できず、市民が共産党の指導に反発を募らせて行ったのです」

「その混乱を突いて、中国がロシアに攻め入ったのですね?」

「そうです」

「しかし、ロシアに攻め入る口実は如何どうしたのでしょうね?」

 フェイが替わりに答えた。

「此の時代にも存在している上海協力機構を口実に使いました。

 私達の“未来”では、中国とソ連の軍事同盟と言う性格が“現在”よりも強かったのです。

 民主主義を是としない国家同士の軍事同盟ですから、集団自衛権の行使と言う性格のみならず、治安活動における相互協力と言う性格も帯びていました。

 その軍事同盟の相手国の内乱を鎮圧すると言うのが、ソ連侵攻の大義名分でした」

「それでは、旧ソ連の全土が中国の版図となったのですか?」

「いいえ。ウラル山脈から西の地域はNATOが占領しました。現在の東欧まで中国の領土となってしまっては、西ヨーロッパの国々も不安だったのでしょう。

 ですから、ウラル山脈を新たな国境として、それ以西は“現在”のEU、以東は中国と言う終戦協定が成立しました。

 中国としては資源を欲しての開戦でしたから、地下資源の豊富な中央アジアやシベリアを手に入れた段階で、戦略的目的を果たしたと言えます」

 フェイの説明内容を、学者の1人が補足した。

「加えて、中国がロシアの戦略核兵器を手に入れたならば、アメリカと中国の核戦力は互角になったと言える。

 核ミサイルの報復合戦の損害を少しでも小さくする為、ミサイル発射基地は人口密集地から離れた場所に建設されます。つまり、大半の発射基地はウラル山脈より東の地域に建設されてきました」

「その後は、の様な展開を辿るのです?」

「中国はNATOとの間で終戦協定を結ぶと、数年後にはインドに攻め込みました」

 フェイに替り、今度はプラトッシュが説明した。

「先程フェイが口にした上海協力機構ですが、ウラル山脈以西がNATO勢力下に入ったので、軍事的には縮小したと言えなくも有りません。

 勢力減退と考えた中国は、上海協力機構にアフガニスタンとパキスタンを招き入れたのです。

 第2ロシア革命が起きるまで、世界のパワーバランスはNATOと上海協力機構が対峙し、インドがキャスティングボードを握って漁夫の利を得ると言う構図でした。

 中国としてはインドを小憎らしく思っていたでしょうね。

 結局、拡大版の上海協力機構の全戦力でインドに攻め入ったのですが、後から振り返ってみると、決定的な開戦の口実は思い浮かびません。

 “現在の世界”と同様に“私達の未来”でもインドは、パキスタンとの仲が悪かったですし、アフガニスタンのイスラム教徒とも小競り合いを繰り返していました。中国とも国境問題を抱えていましたからね。

 複数の場所で紛争が生じる内に、全面戦争に発展したと言う感じです」

「“君達の未来”でも、このアメリカ合衆国は存在したのでしょう?

 中国の侵攻に対して、アメリカ合衆国は何の抵抗もしなかったのですか?」

「勿論、アメリカ合衆国は存在していました。

 ただ、インド侵攻には反撃せず、南シナ海を中国から取り戻す方に戦力を使ったと言うのが、私達の歴史です」

 プラトッシュの説明を聞いた一堂の間では、「う~む」と唸り声を上げて腕組みをする姿が目に付いた。

 モニターガラスの向こう側では、学者の1人が果敢にも解説を試みた。

「シェール・オイルの産出により中東依存度を下げたアメリカとしては、イスラム圏を中国に押し付ける判断をしたのでしょう。

 アフリカも中国の裏庭と化していますからな。インド洋を中国に呉れてやったとしても問題は無い。

 それよりは太平洋の全域を取り返す方が重要だと、時の大統領は判断したのでしょう」

「そうかもしれません」

 モニターガラスの向こうから寄せられた指摘に対して、冷凍睡眠技術の専門家に過ぎないプラトッシュには何とも言い様が無い。

 一方で、一度議論が始まると止まらないのが学者の性である。泉の水が湧き出るが如く、モニターガラスの向こうから質問が相次いだ。

「貴女がたは地球連邦政府の遣いだと聞きました。その地球連邦政府が成立するのは何年ですか?」

「2110年です」

「約20年の間、東西冷戦が続いたと言う事ですか? 東側の盟主はソ連から中国に変わったのでしょうが」

「東西冷戦と言う観点では続いたと言えるのでしょう」

「地球連邦政府が成立した時代背景と言うのは、如何どうだったのですか?」

「時代背景と言うよりも社会背景と言った方がシックリ来るかもしれません。

 出生率が急減する事態にアンドロイドを投入したと先ほど伝えましたが、アメリカでは人工胎盤技術による出生率の挽回も目論んでいました」

 イレーネの説明を最後まで聞かず、別の学者が質問した。

「それは何年の出来事です?」

 専門家のエディットが答える。

「2103年です」

「説明を続けても構いませんか?」

 イレーネが確認すると、質問者は「勿論です」と椅子に座り直した。

「人工胎盤技術を開発したものの、西側諸国の人口減少は止まりませんでした。それすら無かった東側諸国の人口減少スピードは悲劇的だったと言えるでしょう。

 つまり、程度の差は有れど、西側も東側も社会活動を維持できなくなったのです」

「だから、地球連邦政府の樹立に動かざるを得なかった?」

「その通りです。

 もう国家間競争の時代ではなく、人類存亡の危機にどう対処するか?――と言う差し迫った時代に突入していたのです」

「その地球連邦政府ですが、当然の事ながら、アメリカ合衆国が主導権を握ったのでしょうな?」

「私が物心の着いた年齢の時には、既にアメリカだ中国だと言う国家意識は薄れていました。全世界の人間が地球市民と言う意識だったと思います。

 先程、人口減少スピードは西側より東側の方が激しかったと言いました。でも、考えてみてください。東側は中国、インド、ロシア、そしてアフリカをカバーしていたので、世界人口の7割を占めていたと言えます。

 ですから、民主主義を地球連邦政府に根付かせたと言う意味では、確かにアメリカがイニシアティブを発揮したと言えますが、選挙民の構成比と言う観点では東側が主導権を握ったとも言えます。

 ですが、繰り返しになりますが、私達は地球市民と言う意識を共有していたので、西側か東側かと言う意識は有りませんでした」

「そうすると、地球連邦政府の機能としては?」

「限られた労働力をの分野に分配するか。その分配の決定に尽きます。

 骨髄病に対処すべき科学技術の発展には最優先で労働力を投入しました。代わりに犠牲としたのが身体的弱者への医療介護サービスです。そう言う背景で冷凍睡眠技術が開発されました。

 もし冷凍睡眠技術が開発されていなければ、私達の“未来”は人道的とは程遠い歴史を歩む事になっていたでしょう」

「その冷凍睡眠技術の開発時期は?」

「2120年です」

 プラトッシュが即答する。

「丁度、軌道エレベーターの建設が開始された時期でした」

 プラトッシュの余談に別の学者が興味を示す。

「軌道エレベーターの建設目的は?」

 イレーネが答える。

「一度、首席補佐官にはご説明しましたが、人工胎盤で生まれた未感染幼児を育てる為の宇宙コロニー建設が目的です。建設資材の運搬用に軌道エレベーターを建設しました」

 それまで質問していなかった学者が挙手した。彼は自分の専門を国際関係だと紹介した。

「話を中国に戻しますが、貴女の歴史と“現在”の歴史を比べて、何か違う処は有りますか?」

「インターネットを拝見している限り、違う処は見当たりません」

 フェイが手を挙げて発言の許可を乞うた。

「私の両親は香港出身です。2人とも2050年代に生まれました。もし、“私達の未来”と“此の現在”が繋がっていたなら、あと10年くらいで両親は生まれるはずです。

 私が両親から聞いていた中華人民共和国の昔話は、両親が20歳から30歳の頃ですから、“現在”から30年乃至40年後となります。

 その両親の話した通りの国家になるとすれば、今とは比べようも無いほど、市民生活を厳しく監視する社会体制に変貌して行きます」

「中東を始めとするイスラム圏は如何どうなったのです?」

「私自身はあまり詳しくありませんが、骨髄病が蔓延すると瓦解を始めたと言う感じだったと思います」

 アフリカのイスラム圏で生まれたエディットが説明を補足した。

「イスラム教では不浄行為を避けるように教えています。

 ところが、骨髄病に感染するとウサギの生き血を吸い続けなければなりません。その行為はイスラム教では不浄とされていました。その結果、イスラム教徒同士の虐殺行為が頻発したのです。

 特にアフリカでは部族間の争いの要素も加わって、至る所で悲惨な殺戮行為や略奪行為が繰り広げられました。

 以前であれば中国の人民解放軍が鎮圧に動いたのでしょうが、ソ連への侵攻、インドへの侵攻と戦乱続きの人民解放軍にその余裕は無く、アフリカでは治安を治める当事者不在の儘、惨状が放置されたと言うのが歴史上の事実です」

 その後も活発な遣り取りが続いた。その遣り取りはもっぱら5人と学者達の間で行われた。

 対照的に、ホワイトハウスから参加した国家安全保障会議のメンバーは、口を挟まずに黙って耳を傾けていた。

 顔面蒼白となっていたのだ。何故ならば、中国がロシアとインドを併合すると言う歴史的未来の可能性を聞いたからである。アメリカ合衆国にとって、それは悪夢としか言いようの無い最悪のシナリオであった。


 2048年6月、アメリカ合衆国では第51代大統領を選出する選挙の真最中であった。

 共和党と民主党の双方が8月の全国党大会で大統領候補を選出すべく、複数の候補者が民主主義の象徴であるダイナミックな選挙活動を全国で展開していた。

 そんな政治活動とは無縁だったのが共和党のヘンリー大統領だった。

 彼は既に2期8年の任期を務め、合衆国憲法の定めにより彼が大統領選挙に立候補する事は無い。

 よって、ヘンリー大統領は、内政と外交の両面で任期最後の月日を精力的に費やし、特に安全保障政策には腰を据えて取り組む事で、自分のレガシーを後世に残そうと目論んでいた。

 一方、アメリカ国外に目を転じると、何と言っても存在感の大きい大国は中国である。中国は、2010年代半ばに旗を掲げた“一帯一路”と言う経済外交政策を、30年で完成させていた。

 まず、ユーラシア大陸のシルクロード経済ベルトの方は、西南アジア、シベリアの主だった油田や天然ガス田から自国にパイプラインを網の目の様に張り巡らせ、アメリカの影響が及ばない地域からのエネルギー調達を実現させていた。

 全長に渡ってパイプラインを警備する事は現実には不可能だ。敷設ルートの途中を反体制派勢力に爆破される懸念を排除できない。

 中国共産党は、テロ行為に遭うリスクを軽減させる為、パイプラインの敷設料として周辺国に莫大な資金を落とし、貧困層の救済に腐心した。

 20年前までは巨大な公安組織をもって域内の治安維持に努めたものの、止むに止まれぬ理由から治安政策を転換していた。

 中国国内における労働力人口の減少である。

 骨髄病とは無関係に、中国共産党が20世紀末期に敷いた一人っ子政策の影響が、その後も長く尾を引いたのである。従って、人民解放軍と公安組織の双方に労働力人口を割く事が、中国共産党としても困難になっていた。

 人口減少の背景を同根として、画期的な外交政策の変更がなされた。チベットの自治権承認である。

 2030年前後に、時の中国国家主席とチベット亡命政府を率いるダライ・ラマ16世は秘密裏に会談を進め、両政府の合意発表は全世界を驚かせた。

 チベット仏教圏だけではなく、西域ウィグル自治区についてもイスラム教徒らに自治権を承認した。

 相次ぐ自治権承認を契機に、中国は一国制度と言う建前を維持しつつ、緩やかな連邦制に移行し始めた。西域の国境紛争リスクは大きく減じられる事となった。

 政策変更の動きを見た台湾が中国との距離感を測り直している――と言うのが、現時点の国際情勢であった。

 一方、21世紀海上シルクロード構想に関しては、南シナ海を人民解放軍の支配下に置いた事で、国際社会とのギクシャクした関係を緩和できずにいる。

 しかしながら、インドとは鉄道が直結する事になった。

 陝西省西安市を起点として、重慶市、ヒマラヤ山脈を回避する形でミャンマー北部、インドのアッサム地方、バングラディッシュの首都ダッカ、インド東部の主要都市コルカタまで鉄道が敷設された。総距離は4000㎞を上回る。

 この鉄道は西遊記を模して、天竺鉄道と呼ばれた。

 天竺鉄道の建設が日の目を見た理由として、中国とインドの中間に位置するチベット自治政府の存在が緩衝地帯として機能し、副次的に中国とインドの国境紛争を有名無実化した事情が挙げられる。

 コルカタはインド国内の鉄道網における重要なハブ拠点でもあり、天竺鉄道を通じて広大な中国国内とインド国内は鉄道で連接される事となった。

 更に中国は、コルカタの港湾機能をインド洋の海運ネットワークのハブ拠点として活用し、アフリカ大陸への足掛かりを盤石なものとしていた。地球儀を俯瞰すれば分かる通り、コルカタとアフリカ大陸東海岸の各都市を隔てる存在はインド洋しかない。

 これらの国際的な社会インフラの建設と足並みを合わせて、中国共産党は産業政策も国際分業の方向に大きく舵を切って行った。

 この背景にも中国の労働力人口の減少が挙げられる。

 限られた労働力人口は付加価値の高い産業に集中させるべしと言う中国共産党の判断の下、素材産業と繊維産業の海外シフトが図られた。

 具体的には石油精製企業や石油化学企業の生産拠点は中東やロシアに移した。

 この結果、副次的に中東諸国との友好関係が深まった。また、ロシアからのパイプラインの一部が運ぶ中身は原油ではなく、石油精製製品となった事も話題の1つである。

 鉄鋼業ではインドへの生産シフトが図られた。

 インドが産出する鉄鉱石と中国が産出する石炭を天竺鉄道で結び付ける構想だったが、残念ながら中国の石炭産業にコスト競争力が無く、現実にはインドに所在する製鉄所はオーストラリアから石炭を輸入する形態に落ち着いた。

 中国の繊維産業は2010年代後半から既に衰退が始まっていた。中国人の賃金レベルが上昇したからである。

 その代替地として中国共産党が目を着けたのが、近隣のミャンマーであり、バングラディッシュだった。繊維製品は天竺鉄道やマラッカ海峡経由の海路で中国市場に出荷されるようになった。

 反面、中国共産党が支援した産業は自動車産業だ。国内だけでなく、中東・アフリカ等に販路を拡大できるよう、外交政策も絡めて様々な優遇策を講じた。

 加えて、建設ロボット業界の育成である。これまで治安維持に費やしていた巨額の国家予算を新たな産業育成に投入した。

 あらゆる建設現場に投入可能な巨人型の建設機械を開発し、高い汎用性を武器に世界マーケットを攻めて行く構想である。搭載するオペレーション・システムはインドの情報技術産業と連携し、英語圏も含めた国際標準を中国の手で整備しようと言う野心に燃えていた。

 最後にアジア東部の隣国との関係であるが、日本はアメリカ陣営の一員としての立場を揺るがしてはいない。

 台湾も、中国との距離感に悩んでいるとは言え、未だアメリカ陣営に属している。

 東南アジア諸国については、中国が南シナ海を実効支配した事で、特にベトナムとフィリピンが中国と対決する姿勢を鮮明にし、アメリカとの軍事的連携を強めている。

 西からベトナムが、東からフィリピンが、北から台湾が包囲する南シナ海は、中国にとっての存在価値を殆ど失っていた。そうであっても、南シナ海から撤退する選択肢は、中国共産党の面子にかけても採用できる選択肢ではなく、袋小路に陥っていた。

 つまり、日本・台湾・ベトナム・フィリピンの4カ国が太平洋西端を封鎖する万里の長城として中国海軍の前に立ち塞かり、太平洋への進出ルートを開く目途は全く立っていない。

 よって、2020年前後に夢見た、広大な太平洋をアメリカと中国とで二分しようとする2強国構想を、中国共産党はっくに放棄していた。中国共産党は寧ろインド洋を見据えていたのだ。


 ホワイトハウスでは定刻にテレビ会議の回線を切った。

 CDCのコミュニティー・ルームでは学者と5人の遣り取りが続いているはずだが、そんな事は如何どうでも良かった。まま、国家安全保障会議メンバーでの相談が始まった。

「君達、あの5人の話を聞いて、どう思った?」

 ヘンリー大統領の問い掛けに、国務長官が最初に発言した。

「中国がインドを併合すると言う未来には驚きましたが、現在の蜜月関係を考えるに、極めて蓋然性の高い未来でしょう。

 問題はロシアです。

 彼らの歴史ではソ連が延命したと言う事なので、共産主義と言う共通項があった点に留意しなければなりません。

 しかし、我々の歴史でも両国はエネルギー安全保障面で距離を縮めています。まま、ロシアまでが中国に併合されると、アメリカ合衆国とEUだけで世界を指導して行く事は叶わなくなるでしょう」

 国防長官が国務長官に同調する。

「私も国務長官の意見に賛成です。

 ロシアは、アメリカと中国のどちらにもくみせず、適度な距離感を保ってキャスティングボードを握ろうとしています。それがロシアの安全保障政策の基本でした。

 ところが、ロシアと中国が軍事面でも緊密に同盟関係を結ぶ事態に至れば、我が軍は完全に劣勢に立たされます。

 同時に中国海軍とロシア太平洋艦隊の2つに対峙可能な戦力を、我が第7艦隊は持ち合わせておりません」

 副大統領が国防長官を問い質す。

「しかし、国防長官。ロシアを中国側に追い遣っているのは我々自身だと言う現実が一方で有る。

 アメリカの仮想敵国は依然としてロシアなのだ。我が国に対抗できる核戦力を保有している国はロシア以外には無い。

 何らかの緊張緩和策をロシアに提示しない事には、彼らだって我々に歩み寄っては来ないぞ」

 国土安全保障長官が新たな問題提起をした。

「ロシアの問題は勿論重要です。ですが、差し迫った危機は、骨髄病にどう対処するかでしょう?」

 我が意を得たり――と、ヘンリー大統領が頷く。

「彼の言う通りだ。だが、残念ながら治療法は無い。

 しかも、細菌を散布されたアメリカ合衆国の出生率が真っ先に減り始めるぞ。結論を出さない議論を続けて時間を浪費するほど、我が国は人口面で中国に劣勢となる」

 国土安全保障長官が提案した。

「大統領。中国を始めとする他国にも細菌を散布する事は出来ないでしょうか。大々的に散布するのではなく、スパイに散布させるとか」

 国家情報長官が慌てて、国土安全保障長官の発言を強く否定した。

「大統領。その様な命令には従えません。

 CIAの潜入員はアメリカを守る為に行動しています。その為ならば敵方の要人暗殺も厭いませんが、自らが大量殺戮の方棒を担ぐなど、言語道断です」

 司法長官も国家情報長官に同調した。

「国家情報長官の言う通りです。

 生物兵器は大量破壊兵器に位置付けられており、細菌散布は完全に開戦行為です。

 宣戦布告もせずに大量破壊兵器を使って開戦するなど、我々は後世の人間から第2のパールハーバーと罵られますぞ」

 脱線し始めた議論にウンザリした表情で大統領が言明した。

「心配するな。そんな判断はせんよ。我々自身がテロリストになってしまう」

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