9. 告白【2048年】

 既に細菌の散布が明らかになり、CDCの隔離棟にイレーネ達を隔離しておく事は無意味なのだ、と頭では理解しても、モニターガラスの同じ側に座って対話しようとは未だ誰も生理的に考えられなかった。

 よって、イレーネの取り調べはコミュニケーション・ルームで行われた。

 他の4人は各人の個室に軟禁された。

 プライバシーの確保を目的に個室にはドアが設置されていたし、万が一の事態に備えてCDCスタッフが遠隔操作でドアに施錠できるように作られてもいた。今日、初めて4つの個室は遠隔操作で施錠される事になった。

 片や、コミュニケーション・ルームでは、モニターガラスの一方にイレーネ、反対側にFBI技官が座る。

 厳粛且つ親密な相矛盾する雰囲気を少しでも醸し出す為に、技官1人が取り調べに対応した。

 他のFBI捜査官も何人かは同行して来たのだろうが、彼らはコミュニケーション・ルームに姿を見せていない。恐らく、別室の監視ルームで2人の対話に聞き耳を立てているのだろう。

「貴方、FBI捜査官の割には華奢な体格をしているのね。

 FBI捜査官ってみんな、腕っ節の強い剣闘士の様な人達ばかりだと思っていたわ」

「まあ、ドラマではそうですね。

 それに、私は捜査官ではありますが、技官なんですよ。

 貴女の取り調べには、犯罪者を自白させるテクニックよりは寧ろ、自白内容を理解する為の知識が必要だろう――と判断されて、私が指名されたんです」

「テーブルの向かいに防護服無しで座る人を初めて見たわ。貴方、感染が怖くはないの?」

「怖くないと言えば、嘘になりますね。

 私は、FBIの職員とはいえ現場には滅多に出ないので、死と隣り合わせで職務を遂行するキャリアではありません。

 でも、CDCの敷地に入ってから、もう100名以上の職員と擦れ違いました。

 統計学的には、そのうち10人は既に感染者だそうですよ。この部屋に入るからと言って防護服を着込んでも、意味が有るとは思えません」

「それでも勇敢だと思うわ。貴方、お名前は?」

「本名は明かせません。お好きな名前で呼んでください」

 イレーネはニヤリとした笑みを口元に浮かべ、視線を宙に泳がせた。

「じゃあ、ロドリゲスと呼ぶわ」

「そのミスター・ロドリゲスは、ミズ・サエスとどう言った御関係で?」

「それも取り調べなのかしら?」

「いえいえ、単なる社交辞令です。お答え頂く必要は有りません」

「構わないわ。私が存在した“未来”の南アメリカ州知事の名前よ。ロドリゲス・ベルナンデス」

「ミズ・サエスは、貴女が存在した“未来”の世界でも、テロリストだったわけですか?」

 イレーネは両腕で頬杖を突き、悪戯っ子のように目を輝かせて技官を凝視した。

「ロドリゲスは、どう思う?」

「正直に言って、私には犯罪者を取り調べた経験が殆どなく、判断が着きません。

 ただ、私の常識では、貴女の様に高度な教育を受けて社会でもそれなりの地位を占めていた科学者がテロリストだったと言うのは、どうもイメージが湧きません」

「そうねえ、テロリストではないわ。

 寧ろ、地球連邦政府の命令を受けて極秘プロジェクトを遂行したのだから、体制派の人間よ」

く分かりません。ミズ・サエスの行為は貴女がたが存在した“未来”を窮地に陥れる行為ではないのですか?」

「違うわ。その逆よ。正確に言うと、その逆となる可能性を追求するものよ」

「でも、“此の世界”で引き起こしたテロ行為は、貴女の居た“未来”にも影響するでしょう」

「ええ、確かに私の居た“未来”に影響するはずよ。でも、悪い影響とは限らないわ」

「今回のテロ行為は、近い将来では悪く作用するけれど、50年後には寧ろ良い方向に作用し始めると言う事ですか?」

「いいえ。“此の世界”の未来には悪い方向にしか作用しないと思うわ」

 技官とのコミュニケーションを円滑にする為、イレーネは相手の情報を仕入れる事にした。

「ロドリゲス、貴方は大学で物理学を専攻したのかしら?」

「一般相対性理論で博士号を持っています。まあ、この分野の研究者は少ないのですが」

「時間移動が実用化された私の“未来”では、多くの物理学者が研究に従事しているわ。

 もっとも、時間移動の研究は地球連邦政府直轄の極秘事項になっていて、一般市民には研究成果を開示していないけれど・・・・・・。

 そもそも“此の時代”では検証作業が出来ないから、研究を進めるのは困難よね」

 その点は同情するわ――と言う表情で、イレーネは付け加えた。

「それでも、此の時代の人間の中では、ミズ・サエスのお話を最も深く理解できると自負しています。

 話を戻しましょう」

 禅問答の様に堂々巡りする対話内容に戸惑う目の前の男を、イレーネは可哀そうに思った。

「そうね。じゃあ、核心を突く質問をするわ。

 ロドリゲスは“此の世界”と私の居た“未来”がつながっていると思っていない?」

「勿論、そう思っていますよ。・・・・・・違うのですか?」

「違うわ。繋がっていないのよ」

 イレーネの答えに技官は唖然とした。全く予想していなかった答えだ。

 思わず身を乗り出して、

「では、貴女がたは、何処から来たんですか?」

 と、少し大きな声でイレーネを問い質した。

「確かに“未来”から来たわ。

 でも、“此の世界”とは違う、隣り合った別の世界の“未来”から。そう言えば、理解してもらえるかしら?」

 イレーネから真相を聞いた技官は脱力し、前屈みに浮かしていた尻をストンと椅子に落とす。

「SF小説でもパラレル・ワールドを舞台にした物語は数多くありますから、イメージは湧きます」

 技官が呟きとでも言えそうな小さな声で返事をする。そして、上目遣いにイレーネを見遣る。

「そう言う事なんですか?」

 技官の確認に対して、イレーネは少し肩を浮かして「そう」と一言だけ返事する。

 技官は軽く何度も頭を振り、思い直したように質問を続ける。

「でも、パラレル・ワールドだと言う真実と貴女の起こしたテロ行為とは、一体どう言う関係にあるのですか?」

 イレーネは椅子の背凭れに背中を預け体重を後ろに移すと、机の下で足を組んでリラックスした。

「このパラレル・ワールドはね、“ジャックと豆の木”の物語に登場する、天空に伸びる大きな大木たいぼくの様な構造なの。

 無数のつるが絡み合い、捻じられて1本の大きな大木になっているの。つまり、蔓とは過去から現在、未来へと過ぎて行く時間の流れね。

 麻縄のロープを思い浮かべた方が良いかもしれないわね。

 ロドリゲスの時間宇宙も私の時間宇宙も1本の麻糸に過ぎない。その1本1本の麻糸が撚り集まって、1つの大きな方向に伸びているの。

 麻縄のロープが伸びて行く大きな方向は変わらないわ。これも仮説と言うか、研究の前提でしかないのだけれど。

 麻縄の伸びる方向まで変える事が可能なのか如何どうかは、私の存在した“未来”の科学力でも未知の領域なのよ。

 今、話題にすべきは麻糸の話。

 1本の麻糸を横にズラす事をイメージしてみてちょうだい。そのズレた麻糸の空隙を埋めるように、隣の麻糸が動いて来るわよね?

 逆に考えてみると、隣の麻糸を動かす事で、自分の時間宇宙である麻糸を動かす事も出来るわよね?」

 イレーネは技官の目の前で右の人差し指を立てると、追加の指摘事項を伝えた。

「もう1つ、考慮すべき事が有るの。

 時間移動は麻縄の方向にしか移動できないの。つまり、麻糸自体は捻じれているから、自分の時間宇宙の過去には直接行けないの。

 自分の時間宇宙に隣り合った別の時間宇宙の過去にしか辿り着けないのよ。

 私の説明を理解できる? 私の話にいて来てる?」

「少し混乱してきました」

 技官がてのひらを額に当てる。

 イレーネは、技官の理解が深まるよう、また違った視点から説明する事にした。

「さてと・・・・・・ところで、“此の現在”の世界でも“未来”から来た人間の都市伝説は有るでしょ?」

「ええ、有ります」

「本当に“未来”から来たのならば“現在”の世界を自分の好きなように変えれば良いのに――って、思わない?」

「本当に“未来”から来た人間が居るならば、そう言う疑問は湧きますね。

 でも、あくまで都市伝説ですから」

「私達とは違う時間宇宙から来た未来人が居るはずよ。

 でも、きっと彼らは“現在”の世界で何もしないわ。単なる観察者に徹するはず。

 だって、“現在”に干渉したって自分の過去は変えられないし、下手に麻糸を変化させると、自分達の“未来”に戻れなくなるから」

「横槍を入れるつもりは有りませんが、逆に考えると、自分達の“未来”に戻る意思が無ければ、麻糸を変化させても構わない――と言う事ですか?」

「そう言う事ね。

 だから、“此の現在”の世界で成功している人の中には、未来人が紛れ込んでいるかもしれないわ。もう自分達の“未来”に戻るつもりの無い未来人が」

「検証の仕様が無いので、何とも言えませんね」

「そうね」と同意するとイレーネはあっさり引き下がった。そして、話を続けた。

「じゃあ、別のアプローチをしましょう。

 ここからは対話し易いように、かつて私の存在した時間宇宙をA世界、“此の現在”の世界をB世界と呼ぶわよ。

 奇妙に聞こえるでしょうけれど、A世界の未来でも、娯楽小説としてSF分野の人気は根強いわ。時間移動をテーマにした小説もね」

「時間移動を実用化した世界のSF小説とは、どう言った内容でしょう」

「娯楽作品なら現実逃避できる内容の方が好まれると言うのは古今東西、同じ事よ。

 過去に行って、骨髄病の蔓延を解決して戻って来ると言う単純なハッピーエンドの作品が多いのだけれど、物語のプロットはB世界の“現在”と根本的には変わらないわ。

 やっぱり時間旅行のパラドックスがメインテーマ。主人公が過去に行って、妊娠中の自分の母親を殺したら、自分は如何どうなるのか?――って言う矛盾ね。

 だって、何度も言うけれど、A世界の“未来”でも、パラレル・ワールドの真相が一般市民には伏せられているもの。

 そのパラレル・ワールドだって麻縄の様に捻じれているのだから、主人公を生んだ母親が存在する過去に辿り着く事は出来ない。

 主人公が過去で会える女性は、たとえ自分の母親とソックリであっても、所詮は他人の空似、別の時間宇宙を生きる女性でしかない。

 主人公が母親似の女性を殺したとしても、主人公には無関係。自分の存在が消えてしまうのでは?――と言う悩みは杞憂に過ぎない。

 SFの世界で信じられている時間旅行のパラドックスなんてものは存在しないのよ」

「タイム・パラドックスが存在しえない――と言われても・・・・・・」

 困惑する技官が自問自答により新理論を咀嚼そしゃくできるよう、イレーネは口をつぐんだ。職務上の使命をしばし忘れた技官が、講義の不備を見付けた学生に戻ってイレーネに質問する。

「自分を産んだ母親を直接あやめる事は不可能だと言う事には納得しましょう。

 でも、元の時間宇宙の歴史が自分の生まれなかった歴史に塗り替えられる可能性は残りますよね? A世界がA’世界に変更したとして、そのA’世界が主人公の生まれない歴史を歩み始める可能性は残りますよね?

 完全にはタイム・パラドックスを否定は出来ないわけだ!」

 得意気な顔をする技官を前に、イレーネは軽く首を振って技官の指摘を否定した。

「A世界の人間がB世界に行った場合、A世界からB世界に所属が移るの。だから、私の生まれたA世界の歴史が貴方の考えるA’世界に変わったとしても、既にB世界に移った、つまり、この私が消滅する事は無いわ」

「それは偶々、A’世界でも貴女が生まれる歴史を維持したと言う事では?」

 イレーネは技官の疑問を無視して説明を続けた。脇道に逸れた議論に付き合うと、混迷した技官の理解が進まない。

「麻縄のたとえ話に戻るわよ。

 近い過去に時間移動しても、自分の時間宇宙の麻糸に近い、別の時間宇宙の麻糸に辿り着くだけ。

 でも、遠い過去に時間移動すると、自分の時間宇宙の麻糸から遠い、別の時間宇宙の麻糸に辿り着けるの。

 此処で私が言う“近い麻糸”の定義は、自分の時間宇宙と似通った歴史を歩んだ時間宇宙と言う事。

“遠い麻糸”の定義は逆に、自分の時間宇宙とは異なる歴史を歩んだ時間宇宙と言う事。分かる?」

「ええ、今の処は」

 大学教授の講義を一生懸命に拝聴する学生の様な面持ちのまま、技官がイレーネの念押しに頷く。

「麻縄自体は“骨髄病に侵された時間宇宙”と“骨髄病が発生しなかった平和な時間宇宙”と言う2種類の麻糸から構成されているの。

 その他の出来事についても、起きた時間宇宙と起きなかった時間宇宙の組合せが有るわ。

 出来事の種類は無数に有るから、その組合せの数は益々無限と言える。その無限の数だけ麻糸が有って、それが捻じれ、束になって1本の麻縄を構成しているの。

 別の言い方をすれば、“自分とは無関係な時間宇宙”に“自分の時間宇宙”で問題となった出来事を発生させれば、少しずつ自分の時間宇宙での問題発生の可能性は減ってくると言う事。

 ゼロ・サムの関係ね。

 でも、“近い時間宇宙の歴史”は“自分の時間宇宙”と似通っているから、やっぱり骨髄病に悩んでいるの。“自分の時間宇宙”とは微妙に悩み方は違っていても、骨髄病で悩んでいる事には変わりはない。

 だから、“遠い時間宇宙”に行く為に、可能な限り遠い過去に時間移動する必要があった。

 この原理を期待して、私達A世界の“未来”では時間移動の研究が盛んになったの」

「その時間移動の研究テーマは、可能な限り遠くの過去にさかのぼる方法を追究すると言う事ですか?」

「そうよ。

 研究の初期は理論構築に明け暮れていたけれど、机上の空論を戦わせていても埒が明かない。だって、私達は既に骨髄病の恐怖に見舞われているのだから。

 仮説となる理論が構築されれば、それを実証する装置を作り、実際に“過去”に行ってみる。これを繰り返して理論を徐々に固め、そして時間移動装置を洗練させて行ったの。

 勿論、最初は近い過去にしか辿り着けない。それでも、研究が進むに連れて除々に遠い過去にも辿り着けるようになった。

 ところが、ロドリゲスも容易に想像できるでしょうけれど、“過去”に時間移動する実験は生還を保障するものではない。

 自ずと被験者は志願兵となる。

 単なる命知らずと言うわけにも行かないわ。行った先の“過去”の世界で、全く何も無い状態から時間移動装置を自分で組み立てる必要が有るから、エンジニアとしての知識も求められる。

 こうして時間移動の研究は、地球連邦軍と物理学者を中心とする連邦科学アカデミーの間で進められる事になったの。

 生還に不可欠な条件がもう1つ。行った先の“過去”の世界で、時間移動装置の組み立てに必要な技術が成熟している事よ。

“自分の時間宇宙”を参考にして必要な技術が成熟しているはずだと目途をつけてから時間移動の実験を行うのだけれど、本当に技術が成熟しているか否かは行ってみないと分からない。

 実際問題として、技術の成熟時期を少し超えた“過去”を目指した志願兵の中には、訪問先の時間宇宙で技術が成熟するまで待って、10歳以上も年老いて帰還した者も居たらしいわ」

「それでは、ミズ・サエスも何十年か待って、“未来”に帰還するつもりだったのですか?」

「いいえ、ヘンリー大統領と最初に会談した際に伝えた通り、使節団のメンバー全員が“未来”に帰還する意思を持っていないわ。

 だって、私達の生きている間には必要な技術が成熟しないと言う事を理解した上で、時間移動作戦に参加しているもの。私たち全員は志願して来たの。

 それに、さっきの麻縄の喩え話が正しいならば、私達の時間宇宙はもう変わっているはず。

 仮に時間移動装置に必要な技術が成熟したとしても、私達が出発した世界と同じ時間宇宙には戻れないわ」

 イレーネは紙コップに注いだ水を一口飲んだ。

「話を時間移動の実験に戻すわよ。

 志願者達は時間移動の実験のたびに訪問先の時間宇宙のサンプルを“未来”に持ち帰ったわ。

 その多くは風景写真だったけれど、何万枚もの風景写真を比較分析する作業を進めて行く内に、私達は奇妙な現象に気付いたの。

 有るべき建造物が写真に写っていなかったり、逆に見た事の無い建造物が写真に写っていたのよ」

「戸惑ったでしょうね」

「ええ。でも、それだけじゃなかった」

「他にも?」

「帰還した志願者達の一部が『知り合いの誰々が存在しない』と科学者に訴え始めたの。

 時間移動を経験した志願者達の誰もが、精神に異常を来した風には見えなかった。でも、彼らが存在を主張する人物は確かに居ないのよ」

「だから、先程の『時間移動でA世界からB世界に所属が移る』との理論を導いたのですね?」

 イレーネは深く頷き、口角に軽い笑みを浮かべて技官の明晰さに報いた。

「最初は研究者達も困惑したそうだわ。

 研究初期の最大の難関は、この現象を合理的に説明できる理論を構築する事だったみたいね。研究者の間で議論が紛糾したと聞いているわ。

 でも、合理的に説明できる理論はパラレル・ワールド論しかなかったのよ」

「ミズ・サエスも時間宇宙の研究に従事してきたのですか?

 話しぶりを聞いていると、伝聞調に聞こえますが」

「いいえ、私は従事していないわ。

 物理学者ではあるけれど、私の専門分野は核融合。一般相対性理論に関してはロドリゲス以上に素人よ」

「他の同行者の方は如何どうですか?」

「誰一人として時間移動の研究に従事していないわ。

 片道の時間移動なんだと割り切れば、時間移動に詳しいメンバーは不要でしょう? 宇宙船を操縦するアニーが居れば十分。

 と言うか、私以外の4人は “此の世界”と“自分達が存在した未来”とが繋がっていないなんて事実、知らないもの。

 今でも彼らは、“此の世界”を良くすれば“自分達の未来”が良くなる――と信じているのよ。その点はロドリゲスと同じだわ。正確には1時間前の貴方と全く同じ」

「真相を知っているのはミズ・サエスだけ?」

「そう。私だけが知っているトップシークレット。

 自分達は福音をもたらす者だ――と本気で信じ込んでくれなきゃ困るから、他のメンバーにはパラレル・ワールド論を解説しなかったわ。

 福音をもたらすと言う点はその通りなんだけど、無関係な時間宇宙を窮地に陥れると言う時間移動作戦の真の目的を知れば、道義心から作戦中止を訴える者も現れかねないでしょう?」

「でも、時間移動の研究者でないと言う条件は、全員に共通しますよね。

 何故、貴女がたの政府はミズ・サエスを使節団長に選び、貴女だけに極秘事項を教えて“此の世界”に送り込んだのですか?」

「感染の発覚は時間の問題だった。

 感染の広がったB世界において犯罪者となる私達の内、私が最も身の安全を確保し易いと考えられたから。

 別の言い方をすると、私の知識を貴方達は欲しがるはずだからよ」

「どう言う事ですか?」

「骨髄病対策に使う基礎技術として、高速増殖炉を活用して重水を生成するアイデアを貴方達に伝えたわ。

 でも、その先に控えている核融合発電技術は“此の世界”にエネルギー革命を起こすだけのインパクトを持つわ。

 貴方達は水素同士を融合させてヘリウムを生成する核融合プロセスを目標としているわね。身近な核融合反応炉でもある太陽を参考しているので自然な発想だ――とは、私もそう思う。

 でも、核融合の実現とその制御と言う観点だけで考えると、原子番号1の水素と原子番号13のアルミニウムを融合させて原子番号14のケイ素を生成する方が楽なのよ。

 アルミニウムもケイ素も地殻の主要構成元素だわ。

 但し、核融合プロセスを発現させるには超高温高圧の環境が必要だから、地表では発電できない。マントル周辺域まで深い穴を掘って発電する必要があるの。

 A世界の“未来”では実用化されているけれど、周辺技術が成熟していない“現在”において、その実用化は不可能。

 拙速に私を尋問して基本原理を入手しても無意味だし、周辺技術が成熟するまで私を生かしておいた方が貴方達にとっても得策なのよ」

「一方で分からないのは、貴女がたは何故、更なる未来に時間移動しようと考えなかったのですか?

“過去”に戻るより“更なる未来”に行った方が技術だって進歩しているのだから、解決策を見付け易いはずだ」

「勿論、“更なる未来”への時間移動も試みたわ。

 でも、被験者の誰一人として戻っては来なかった・・・・・・。理由は分からない。

 だから、過去への時間移動に的を絞ったの」

「テロの背景はく分かりました。

 でも、私には未だ分からないのですが、私達のB世界が骨髄病の蔓延する歴史を歩む事になったからと言って、貴女がたのA世界が骨髄病から救済されると言う確証は無いはずだ」

「その通りね」

 冷静な声でイレーネが技官の指摘が的を射ている事を肯定する。

「ミズ・サエスのしでかしたテロで、我々は悲惨な運命に立ち向かわねばならなくなった。我々は確実に呪われた運命を歩むのです」

「その通りね」

 一瞬前と同じセリフであるが、技官の指摘に内心の動揺を隠し切れず、イレーネの声音は少し低くなった。

「しかも、ミズ・サエスは、人類が嘆き悲しむ様を犯罪者として目の当たりにするのです。

 それでも尚、我々に過酷な運命を与えようと思った貴女の動機は何なのですか?

 ミズ・サエスが非人道的な人間だとは、私には思えないのです」

「それは・・・・・・可能性を増やしたかったから」

 イレーネは技官の顔から視線を外すと、天井の方を向いて呟いた。まるで神に弁明しているような仕草だと、イレーネを見詰めたままの技官は感じた。

「どう言う事ですか?」

「ロドリゲスの指摘する通り、私達のA世界が骨髄病から解放されるか否かは神のみぞ知る、よ。

 だから、2番目の作戦を準備したの」

 技官が警戒した様子で質問する。

「次なるテロですか?」

 イレーネが激しく頭を振る。

「違うわ。これは双方の利害が一致する作戦よ。それが重水療法。

 残念ながら、私達A世界の“未来”のアーカイブ情報をB世界の“現在”に伝える事には失敗したわ。

 でも、ワン・フェイを連れて来た。B世界で治療法の確立に成功すれば、私達のA世界でも重水療法が成功した歴史に塗り替わるかもしれない」

「でも、貴女がたの時間宇宙では成功しなかった」

「そう。A世界の“未来”とB世界の“現在”の大きな違いは、世界人口の規模なの。

 A世界では人口が既に少なくなった時期から治療法の研究が始まった。

 社会活動を営むには一定の人口が必要だ――と言う事は、貴方も容易に理解するでしょう? 人間は一人では生きていけないのだから。

 A世界では当座の社会活動に貢献しない治療法開発に十分な人数を割く事が出来なくなっていた。既に手遅れだったのよ。

 でも、世界人口が十分に多いB世界の“現在”ならば、それは可能でしょう?

 この条件の違いを活かせるか否か、これが2つ目の可能性よ」

「だったらテロを行わず、治療法の確立だけを我々に訴えれば良かったじゃないですか?」

「必要に迫られない世界が、そんな研究に力を注ぐと思う?

 この時間移動作戦の主目的は、骨髄病を蔓延させ、貴方達を追い込む事。その方針が揺らぐ事は有り得ないわ」

「最後に1つだけ質問が有ります。第4の手紙が届かなかった理由は?」

「もう理解したでしょう?

 A世界の“未来”とB世界の“現在”が、時間的直線では結ばれなくなったと言う証明よ。

 つまり、B世界は歴史を変えたと言う事。最初のミッションは、兎に角、果たしたと言う事ね。

 ロドリゲスの指摘する通り、私達の“未来”の歴史が好転したのか如何どうか?――は確認できないけれど・・・・・・」


 残る4人の取り調べは、平たく言うと、御座形おざなりだった。

 イレーネ自身が「真相を知っているのは自分だけだ」と自白した事も大きな理由だが、FBIは過去の隔離棟内のビデオ監視映像を再チェックした上で取り調べに臨んでいた。隔離棟内の5人の対話内容から推察するに、5人は共犯関係に無く、イレーネ単独の犯行だと目星を付けていたからだ。

 FBIが確認したがった唯一の論点は、イレーネが細菌散布のスイッチボタンを押したか否かであった。

 犯罪を取り締まる立場とすれば、犯罪の当事者なのか、それとも犯罪の存在を知っていたものの不作為を決め込んだだけなのか――は重要な論点であった。

 残る4人の罪状には無関係の論点であったが、4人がイレーネに対する自分の気持ちを整理する上で重要な論点となった。

 事実として、B世界の“現在”に来た時点で、宇宙船を操縦していた者は既に解体処理されたアンドロイドであり、5人の使節団は全員が失神状態にあった。

 その失神状態から最も早く目覚めたのはプラトッシュ・グプタである。プラトッシュの目覚めたタイミングは、事前に録音された音声でアメリカ合衆国に着陸の許可を求め、宇宙船が螺旋軌道で降下を始めた後のタイミングだった。

 プラトッシュが目覚めるより先にイレーネが目覚め、その後は失神した振りをしていたと言う仮説も検討してみたが、華奢で小柄な体躯のイレーネが真っ先に目覚める可能性の低さを考慮すると、採用し難い。

 宇宙船操作に不案内なイレーネに細菌散布のスイッチボタンを押させるよりも、時間移動に突入する前の段階で、地球連邦軍の誰かがアンドロイドにそう指示していたと考えるのが自然である。

 つまり、イレーネは実行犯ではなく、単なる傍観者と考えるのが妥当だ。実際は失神状態だったはずなので、見て見ぬ振りさえしていない。

 使節団のリーダーとして謀略をあらかじめ知らされていたに過ぎないと言うのが、FBI技官とフェイら4人の共通理解であった。


 FBIの事情聴取を終えた夜、イレーネを除く4人は久しぶりにダイニング・ルームで食事を囲んだ。

 最初は無言でナイフとフォークをカチャカチャと鳴らしていたが、その内にフェイが「イレーネに声を掛けよう」と提案し、残る3人も賛同した。

 3人はナイフとフォークをトレイに置き、イレーネを個室に呼びに行くフェイの戻りを待った。

「2週間前にアメリカ軍人から逮捕すると宣告された瞬間から、私は不安で不安で仕方無かったわ」

 タルヤが重い口を開いた。

「私もよ。この2週間、朝から晩までずっと聖書を読んでいたわ。

 そうしないと悪い事ばかり考えてしまって・・・・・・気が変になりそうだった」

 思わず涙声になったエディットにプラトッシュが優しく応じた。

「それは俺も同じだよ。ベッドに寝転がり・・・・・・ずっと天井を見ていた・・・・・・。

 別に何かを考えているわけじゃないんだが、取り留めも無い事が頭の中をグルグルと回っていたよ。

 でも、今日の取り調べで自分の頭の整理が着いたよ。

 分かったんだ。イレーネは俺達と同じ、犯罪者じゃない」

「イレーネも私達も違わない。

 此の時代の人達からすると、私達全員が細菌を持ちこんだテロリストでしかないわね」

 自分に言い聞かせるように強く話したプラトッシュだったが、タルヤがポツリと呟いた一言に黙り込んだ。

「それは仕方無い。私達の宿命だと覚悟を決めて、此の時代に贖罪していかないと・・・・・・」

 エディットの弱々しくもキッパリとした意思表明に、プラトッシュとタルヤの2人も頷いた。

「これからの私達。如何どうなっちゃうのかしらね?」

「何も変わらないさ。

“此の世界”でも骨髄病が差し迫った脅威になってしまったなら、俺達の任務は益々重要になってくるからね。

 もしかしたら、この隔離棟から出て、外の世界で彼らと一緒に働く事になるかもしれない」

「プラトッシュは楽観的ねえ。暖かい地域の出身者が羨ましくなるわ」

「でも、人間は希望を持たないと駄目よ。

 もし外の世界に出られるなら、人工胎盤技術の開発だけじゃなくて、私はボランティア活動にも参加してみたいわ」

 フェイがイレーネの腕を引っ張ってダイニング・ルームに入って来た。

 自分の座っていた椅子にイレーネを座らせると、フェイは配膳室までイレーネのトレイを取りに行った。

 フェイは自分のトレイを横に滑らせ、持って来たトレイをイレーネの前に置くと、イレーネの左隣に陣取った。

「やあっ」と異口同音に3人がイレーネに声を掛ける。

 強張った面持ちのイレーネ。

 FBIの取り調べと言う山場を越え、内心はホッとしていた。

 でも、イレーネの方も意図して4人を避けてきた処がある。彼らに接する態度を急に変えるのも少し気が引けた。

 年長者のプラトッシュが口を開く。

「この2週間、気持ちの整理が着かなくてね。君にどう接して良いのか・・・・・・分からなかった。

 考えてみると、一番孤独だったのはイレーネ、君だ。

 それに気付けずにいた事を申し訳なく思う。本当に済まない」

 そう言うと、軽く頭を下げた。

 前の席からはエディットが「御免ね」と言い、タルヤが右隣の席から握手を求めてきた。

 イレーネは俯いた儘。でも、グスグスと鼻をすする音が洩れてきた。

「さあ、まずは食べよう」とフェイが言い、イレーネもコクリと頷くとフォークを手にした。

 その動作を見た4人も食事を再開した。

「でも、捜査官に聞いて驚いたわ。“私達の未来”と“此の現在”がつながっていないなんて!」

「それには俺も驚いたな」

「そうそう。以前、僕が3人にロシア連邦の存在が記憶に有るかって聞いただろ? 3人とも記憶に無いって言っていたけど。そう言う事だったんだな」

 4人は気不味い雰囲気を紛らわそうと話題を探ったが、焦ってばかりで次の話題を思い付けなかった。

 またしばらくの沈黙。その沈黙を破るようにタルヤが口を開いた。

「実は“私達の未来”と“此の現在”が繋がっていないと言う事に、私は個人的にもショックを感じているの・・・・・・」

 そんな事は当たり前だと言う風に3人がタルヤの顔を凝視した。

 タルヤは宙空をボンヤリと見詰めている。

「実は・・・・・・私には子供が居るの。男の子」

 突然の告白に3人は驚いた。イレーネさえもがタルヤの横顔を見遣った。

「今は・・・・・・前のパートナーが育てているんだけどね」

「タルヤ。君の感染時期は遅かったのかい?」

「いいえ、まさか。人工胎盤で生んだのよ。

 今となっては死語だけど、自分のお腹を痛めたわけじゃないわ。それでも子供は可愛いわ。親子だって実感するのよ。

 結局、パートナーとは上手く行かなくなって、別々に生活するようになったんだけど」

「お幾つなの?」

「こんな状況だと息子が何歳だって答えるのは混乱するけれど、“未来”を出発した時は丁度10歳だったわ。

 年に数回、カールと会うのが唯一の私の楽しみ。あっ、カールは息子の名前ね」

「そうか。男尊女卑のつもりは全く無いんだが、何故、タルヤがカールを引き取らなかったんだい?

 インドでは一般的に女性が子育てするものだが」

「私のパートナーは仕事をしていなかったから、それが理由。

 一日中、子供と向き合える彼の方が親としては適任でしょ」

「貴女だって仕事をする必要は無かったでしょう?」

「そうね。でも、原子力発電の研究が面白くてね。人類に残された時間の限り、技術を追究しようって言う誘惑に勝てなかったのよ」

「確かに、あの時代に科学者をしている者は多かれ少なかれ、そう言う人間だなぁ。

 まあ、俺の場合は、冷凍睡眠技術は既に確立されていたから、技術革新の追究者と言うよりはエンジニアと言う感じだが」

「ところで、7年目にして素性を尋ねるのも変な話だけど、貴方達、結婚した事は無いの?」

 自分の素性を白状したのだからと、タルヤがプライベートな質問に踏み込んできた。

「俺は結婚生活に向かないよ。俺の部屋を見れば分かるだろう?」

「確かにそうねえ。私なら貴方なんかとは絶対に結婚しないわね」

「そう言うエディットは如何どうなんだ? 俺とは違うタイプの男性とは結婚した事が有るのか?」

「無いわ。

 人工胎盤技術を研究テーマに選んだからかしら。どうしても妊娠と言う現象は、自分のお腹を痛める行為ではなくて、科学的興味の対象としか感じられなかったのね。

 子供を産まないのであれば、結婚の必要は無いし・・・・・・。

 何年も同棲したパートナーは居たけれど、この作戦に参加する何年も前に別れた。

 そのパートナーは、やっぱり子供を育てたかったみたい。別の女性と一緒に生活するようになったわ。

 フェイは如何どうなの? 年長者にばかり告白させるものではなくてよ」

「僕にも結婚の経験は無いよ。

 袋小路の人類社会に生きていると、生まれてくる子供が気の毒で仕方が無かった。生まれてこない方が幸せじゃないか、と思っていたんだ。タルヤには悪いけど」

「別に良いのよ。確かに・・・・・・子供を産むのは大人のエゴよね」

「そう言う僕だって、骨髄病の治療法を確立できた後だったら、子供に対する考え方も変わったと思うよ。

 僕の場合は、一般論として、人類救済に燃えていたわけだが」

「その志は立派よ。この作戦に私が志願した理由も同じ感じかな・・・・・・。

 いいえ、正直じゃないわね。人類の為と言うより、やっぱりカールの為。

 私達が“現在”に来た事で、カールの人生は変わったのかしら・・・・・・」

 タルヤの呟きに応える者は居らず、其々それぞれに“未来”に残して来た家族を思い遣った。もう二度とは会えない家族に・・・・・・。

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