7. 第4の手紙(重水治療技術)【2047年】

 第3の手紙を受信して以降、個室での時間潰しに飽きてダイニング・ルームに座っているのはもっぱらイレーネとフェイの2人だった。

 残りの3人も休憩の為にダイニング・ルームに顔を出しはするが、その頻度なり滞在時間は短く、イレーネとフェイの2人だけが他愛の無い話をしている場面が多くなった。

 この日も、イレーネはテーブルに肘を付き、コーヒーを独りで飲んでいた。

 そこにフェイが、暇潰しで始めた趣味の小説執筆に一区切りをつけて個室から出てくると、緑茶の入った紙カップを持ち、テーブル反対側の椅子に腰を降ろした。

「自叙伝の進み具合は如何どうなの?」

「まあまあだよ」

「完成したら、私にも読ませてもらえるのかしら?」

「勿論さ。残念ながら、出版時期が何時いつになるのかは見通せないがね」

「自叙伝じゃなくて、単なるSF小説としてなら、出版許可が下りるんじゃなくて?

 誰もドキュメント小説だなんて思わないでしょう」

「確かにね。此の時代の市民は絶対にドキュメント小説だとは思わないだろうね」

「ところで、貴方は本当に緑茶が好きなのねえ。しかも、葉端が表面に浮いた状態で。よくそんなに器用にお茶が飲めるものだわ」

「小さい頃からの慣れさ。緑茶の方がコーヒーよりカフェインを多く含むんだ。頭をスッキリさせるんだよ」

「リーベンの人は、お茶の葉を濾して緑茶を淹れるらしいわよ、コーヒーと同じように。リーベン式の方が飲み易いと思うわ」

「それは否定しないけど、漢民族はこうして飲むんだ。ゆっくりお湯に漬けた方が、お茶の成分がじっくり滲み出てきて美味しいのさ」

 お好きにどうぞ――と言う風に、イレーネは肩を竦めた。

「君は南アメリカ州の出身だけあって、やっぱりコーヒーが好きなのかい?」

「そうねえ。コーヒーに拘るつもりもないけど、濃い味が好きって事かしら」

「僕達5人は軌道エレベーターで初めて会った時に軽く自己紹介し合ったけど、一体イレーネは南アメリカ州のの辺の出身なの?」

「コロンビア」

「へえ、まさにコーヒー豆の産地だね」

「それと麻薬ね」

「コロンビアで生まれ育ったのなら、ガレラス火山を舞台にした連邦科学アカデミーの核融合プロジェクトには打って付けの人材だったと言う事だね。

 でも、コロンビアで生まれ育った後、連邦科学アカデミーまで上り詰めたって言うのは、君も相当に苦労したんだろうね」

「余計なお世話だわ。私の事を色々詮索する前に、貴方は如何どうなのよ?」

 イレーネは急にイライラし始め、声を少し荒げた。

 突然の変化に驚いたフェイが謝る。

「いや、御免よ。君を怒らせるつもりは無かったんだ。

 まあ、確かに、君の言う通り、自分の事から話すのが筋だよね。

 僕は、見ての通り、中国出身だ。

 両親は香港の出身だ。本職はちゃんと有ったらしいが、民主化運動に加担していた処があってね。中国共産党が一国二制度を反古にする度にデモに参加していたそうだ。

 だから、若い頃から公安には目を付けられていたんだろう。

 中国共産党の一党独裁体制が内向きに最も厳しくなったのは、中国がソ連に続いてインドまで併合した時期だと両親は言っていた。強引な併合だったはずだからね。

 弾圧の詳しい情報は歴史から葬り去られているけれど、兎に角、酷い時代だったらしいよ。

 その頃、父親はモンゴル地方の政治犯収容所に収監されていてね。僕が生まれて間も無くの頃だよ。母親と僕は別の収容所に収監され、家族はバラバラさ。

 でも、アメリカが中国を打ち負かし、地球連邦を樹立してくれたんで、政治犯の両親は解放され、めでたく家族が再会したと言うのが我が家の歴史だ。

 解放後はアメリカに渡り、僕自身は学問に身を投じた。

 その後、両親は中国に戻り、民主化運動の経歴を買われて州議会の議員をしている。中国共産党に民主主義を根絶やしにされた地域だからね。両親の様な人材は貴重だったんだろう。

 僕は連邦科学アカデミーに残って、基礎医学の研究を続ける事になったと言うわけさ。そして今、こうして此処に居る」

「両親がいらっしゃるのに、よくこの作戦に参加したわね」

「まぁ、市民の為に身を投じると言うのは、僕の家系の遺伝子みたいなものだったんだろう。

 この作戦に参加する意思を伝えた時も、別に両親は引き止めなかったよ。僕の両親には余生を家族で一緒に過ごすと言うのは似合わない。

 それに、僕は両親がとし行ってから生まれた子供だから、両親は2人とも高齢だ。

 多分、どうせ一緒に居られる時間は長くなかったと思うよ。アニーが身の回りの世話をしてくれるから、子供としては安心だしね」

 フェイは自分と家族の経歴を淡々と話し終えると、イレーネの顔を覗き込み、むくれた表情が消えているのを確認した。

「ところで、君の御両親は?」

「2人とも死んだわ。もう居ない・・・・・・」

 イレーネはフェイから顔を背けたまま、ポツリと言った。

 フェイも先を促す事無く、イレーネが再び口を開くのを待った。

「父は麻薬カルテルに殺されたの。父が麻薬組織の一員だったのか如何どうかは知らない。

 母は教えてくれなかったから・・・・・・」

 しばしの沈黙。

「それから、母は娼婦に身を落として、幼い私を育ててくれたわ。でも、エイズに感染してしまって・・・・・・。

 治療に専念できるほどの余裕は無いし、お先は真っ暗よ。私もストリート・チルドレンに成り兼ねなかった・・・・・・」

 イレーネの瞳からジワリと涙が零れ落ち、頬を伝った。

「そんな時、アメリカが移民政策を緩和し始めた・・・・・・。

 アメリカ局の中でも北アメリカ州は、早い時期に骨髄病が蔓延したから、年齢ピラミッドが崩れ始めていたのね。幼児を伴う移民には門戸を開き始めていたわ。

 それを耳にした母は一縷の望みを胸に私を連れてアメリカに入ったのよ」

「そうだね。僕がアメリカに渡れたのも、年齢の影響が大きかったと思うよ」

「アメリカまでの移動も辛かったわ・・・・・・。そんな苦労続きの母も、アメリカに辿り着いて、間も無く・・・・・・」

 イレーネはウッと口を覆い、嗚咽を漏らし始めた。

「分かった・・・・・・。分かったよ。もう止めよう」

 フェイは椅子から立ち上がってテーブルの向こうに回ると、イレーネの頭を優しくかかえた。


 一方、第3の手紙を受信してから半年間後。

 ケネディー宇宙センターの一画では、研究所のスタッフ達が或る問題に直面していた。

「おかしいなあ。前の3回と全く同じ手順で遣っているのに全然、受信しないぞ」

「これまでも空信と言うケースは有ったが、此処まで空振りが連続した事は無かったな」

 ブーンと言う低い唸りを上げるものの機能しない受信装置を目の前に、研究所の面々は戸惑っていた。

 何も受信しないが、各パーツの作動ランプが全てグリーンに輝いている事から、受信装置が作動している事はハッキリしている。

「アニー。君自身の接続状況は如何どうだい?」

 受信装置と通信ケーブルで接続されたアンドロイドに向かって尋ねた。

「私の方は準備万全です。受信後の転送受け体制に問題は有りません」

 念の為、研究所スタッフの主任がアンドロイドに確認する。

「第1、第2、第3の手紙のどれかを受信していると言う事では、ないんだよな?」

「何も受信していません」

 事実だけを報告するアンドロイドの無機質な反応に、主任は頭を抱え髪の毛を掻き毟った。

「何故、受信しないんだ! チューニングがおかしいのかなあ」

 主任は自分を鼓舞するように、アンドロイドに力強く声を掛けた。

「よし、アニー! これまでよりチューニング・エリアを拡大して再挑戦してみよう」


 5人が居住する隔離棟の内部は、少なくとも見た目は、プライバシーを配慮した造りになっていた。

 反面、定期的な医学検査に加え、さり気なく至る処に監視カメラが設置され、本質的には実験動物と大差無い待遇であった。

 細菌の脅威を考えると必然の措置であり、隔離生活を覚悟して“現在”に遣って来た5人の方にも異存は無かった。

 監視ルームには常時2名が交代で詰めていた。重要度の低い業務である一方で当直夜勤には体力が必要なので、若手スタッフが当たっていた。

 今夜も、当直夜勤に就いた2名は、スナック菓子と炭酸飲料を手にして椅子に座ると、5年余りも続く変化の乏しい映像をぼんやり見やっていた。

「レディ・レッドとミスター・グリーンの組合せは、他の組合せに比べて頻度が多いよな。恋人関係にあるのかな?」

「俺達に見られているのに、恋人も何もあったものじゃないだろう?」

 今の隔離棟が完成し5人に個室が与えられて以降、5人の間で始まった或る習慣をCDCのスタッフ達が不思議がった。

 そんな彼らの質問にイレーネが解説した事がある。

「私達は、パートナーとの仲を永く良好な状態に維持する為に、全ての相手とセックスする事を奨励されています。

 私達には繁殖能力が有りませんから、セックスを娯楽の1つと考えています。特定の相手と固定的な関係にならないようにする事が秘訣ですね」

 とは言え、相性の問題が出てくるのは自然な事であり、組合せの頻度にバラツキが生じるのは当然だ。

 実際に過去の観察データを集計すれば、その事実は確認できたであろう。もっとも余りに馬鹿らしい確認作業なので、CDCスタッフも集計してはいなかったが・・・・・・。

「でも、この2人って、男の方は物静かなのに、女の方は情熱的なセックスをするじゃないか。これで相性が良いと言うのは不思議だな」

「研究一筋で、生まれた時から彼女いない歴が続いているお前に何が分かる? まずは恋人を作ってから言えよ」


 監視される事に慣れたイレーネとフェイは、イレーネの個室に居た。使節団長であるイレーネの個室は幾分広かったからである。

 セックスを終えた2人は裸の儘、キングサイズのベッドの上で抱き合っていた。

 自分の胸板の上に頭を置いたイレーネの頭皮を、フェイは優しく撫でていた。シャワーに不自由しないとは言え、衛生上の理由から、3人の女性も含めた全員が定期的に頭髪をバリカンで剃っていた。頭髪に限らず、体毛は剃るようにしていた。

 白人系南アメリカ州出身のイレーネは、身長が170㎝前後。東アジア州出身のフェイとは背格好で均衡が取れ、並んで寝そべるには按配が良かった。

 フェイは、これでイレーネが生まれながらに持っていた濃い目の金髪を伸ばしていたら、坊主頭を撫でるよりも指の感触が良いだろうに――と、ぼんやり考えながら呟いた。

「そう言えば、イレーネ。何故、第4の手紙は受信できなかったのだろうね」

「何故かしら」

「“未来”で情報送信できなくなるような、何か悪い異変が起きているんだろうか?」

 不吉な事を言うフェイをイレーネは別の意見で宥めた。

「アニーの何処かに不具合が生じているのかもしれないわ」

「そうかもしれないね。でも、そうなると・・・・・・我々にはアニーを修理する事は出来ないから、いずれにしろ、第4と第5の手紙はもう受信できなくなったと言う事だよね?」

「そうなるわね、残念だけど・・・・・・。

 でも、未来からのデータが無くても、貴方の記憶と知識で役割は果たせるでしょ?」

「そりゃそうだけど。ゼロから臨床データを取り直さないといけないから、面倒臭いし、時間が余計に掛かるよ」

「仕方無いわね。でも、私達は籠に囚われた小鳥みたいなものだし、他に出来る事も無いから、丁度良いのではなくて?

 時間が掛かっても、元の歴史に比べれば早く研究に着手するわけだし、問題無いわよ」

「その歴史の話だけど、以前のテレビ会議で首席補佐官とタルヤがロシアと言う国に関して遣り取りしていたのを、イレーネは憶えているかい?」

「それが如何どうしたの?」

「此の時代のインターネットに依ると、ソビエト連邦が分裂した後に建国されたのがロシア連邦と言う国だそうだ。

 でも、僕達が高校時代に勉強した教科書には『ソビエト連邦は中華人民共和国に併合された』と書かれていたはずだよ。

 確かにソビエト連邦の下にはロシア共和国と言う行政単位があったし、ソビエト連邦が分裂状態だったからこそ中国は併合と言う暴挙に出たんだが、僕の記憶でも、ロシア共和国が独立国家になったとは学校で習っていないんだよなぁ。

 プラトッシュにも確かめたんだが、彼も僕と同じ認識なんだ」

「エディットとタルヤは何て言っているの?」

「彼女達が学んだヨーロッパ局では、そもそも学校の歴史の教科書に載っている中国に関する記述が少ないってさ。

 しかも、歴史は苦手科目だったから、全く記憶が無いってさ。

 ただ、東部ヨーロッパ州で核物理学を研究していたタルヤが言うには、裏表紙にソビエト連邦と印刷した書物を見た事は有るけど、ロシア連邦と印刷した書物を見た事は無いそうだ。

 そうは言っても、地球連邦の時代になっても未だソビエト連邦時代の古本を使うくらいだから、何の証拠にもなりゃしない。

 ロシア連邦の時代には、学術的な成果が無かっただけなのかもしれないし・・・・・・」

「私も文系科目は全般的に苦手で、歴史なんて真面目に勉強しなかったから分からないわ。

 でも、地球連邦に統合される前、東アジア州の前身である国家は、何処も歴史を改竄して国民に教え込んでいると有名だったし、改竄された内容が教科書に載っていたのかもしれないわ」

「そうだね。論より証拠だ。

 こうやって教科書の内容に間違いを探し出した時って、少し得意な気持ちにならないかい?」

「私の場合は無いわね。先人の粗探しに興味は無いわ。

 理系だもの。未開の神の領域で新発見する方がよっぽど面白いわ」


 定例だったワシントンとのテレビ会議の開催頻度は時が経つに連れて疎らとなった。それでも首席補佐官との間ではテレビ会議を通じたコミュニケーションを不定期に続けてきた。

 ところが、第4の手紙の受信は絶望的だとの判断を踏まえ、今回のテレビ会議については、ヘンリー大統領自らが強い参加の意思を示した。今後の対応を話し合う為である。

 ヘンリー大統領が固い表情で発言した。

「ミズ・サエス。クリスマスも近いと言うのに、残念な事になりましたな。

 もう“未来”のサンタからのプレゼントは期待できそうも有りません」

「そうですね。大統領」

「ミズ・サエス。これからのプロジェクトの進め方について、貴女のお考えを聞かせて頂きたい」

「分かりました。

 第4の手紙で送信しようとした情報の大半は、冷凍睡眠の一歩手前の状態で骨髄病を治療する場合の臨床試験データです。そのデータを基に治療期間中の人体をコントロールするノウハウをレベルアップさせる事で、治療中の生存率を改善していこうと考えていました。

 代替案としては、地道に臨床試験データを蓄積し直すしかありません。

 でも、当面は、此の時代には感染者が居ないので、正確な臨床試験データを蓄積する事は出来ません。

 現実的な代替案としては、人間の替わりとしてサルに重水治療を施し、動物実験による臨床研究を進めるしかないでしょう」

「それしか無いでしょうな。随分と振り出しに戻る気はするが・・・・・・」

 時折、無言で頷きながらイレーネの発言を聞いていた大統領が、頬杖を突いた儘で言った。

「大統領。それと、感染者の出現前に重水治療を確立させる事が叶わなくなった今、重要性の増した検討テーマが有ります」

「それは何かね?」

「全世界で感染者が出始めた時に即座に発見できる仕組み作りが求められます。

 感染者の隔離を進める事が、全世界の感染スピード抑制に直結しますから。

 それに感染者が出始めたと同時に重水治療を人間に試みる体制を作っておく事が、時間を無駄にしない事につながります」

「それは重要な事だ。しかし、アメリカ合衆国だけでは限界が有る。

 国連を使って進めなければならないが、その為には、まず骨髄病の蔓延する未来を全世界に伝える必要がある。そうでなければ到底、加盟国の協力は得られまい。

 一方で、未来を予告した途端、世界規模のパニックを誘発する事になるだろう。極秘情報と言うやつは、関係者の数が増えるに連れて秘匿が難しくなって行くのだよ。

 政治家としては慎重に判断せざるを得ない。

 ミズ・サエスの御提案は大変ありがたいが・・・・・・。結局の処、今時点では出来ない相談だよ」

 ヘンリー大統領は、静かに、だがキッパリとした口調で言った。

「そうですね。まずは、貴国だけでも監視体制のプロトタイプを作るしかありませんね。

 一方で、私達の医学検査は5年以上も続けているわけですが、感染の検査キットを作る目途くらいは有るのでしょうか?」

 テレビスクリーンには映っていない端の方から、誰かが答えた。

「ええ、血液検査で感染の有無を調べる目途は付いています。

 何時いつでも検査キットの製造を開始できます」

「それは良かった」

 イレーネは、他に何か有るだろうかと左手を顎に当て、中空を睨んだ。

「そうそう、私には説明する知識が有りませんが、此の時代には開発されていない半導体素子がアニーの人工頭脳には使われているはずです。

 重水治療体制の確立には1人の患者に1体のアニーをマン・ツー・マンで看護に張り付ける体制が必要となるでしょう。今とは桁違いに演算速度が速く小型の人工知能が必要となります。

 もうアニーの存在価値は無くなりました。是非、解体調査して、アニーを大量生産する技術開発に着手してください」

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