4. 第1の手紙(冷凍睡眠技術)【2045年】
未来からの受信装置の完成には、結局の処、3年余りの時間を要した。
装置そのものは“現在”の技術で何とか作り上げる事が出来たが、アニーのメモリーに記録された内容を“現在”の科学者とエンジニアのチームが理解するまでに長い時間を必要としたのだ。
彼らの名誉の為に言及しておくと、彼ら自身が理解する為の時間も
アメリカ政府は早々に時間移動の事実をトップシークレットに位置付けたので、チームの人選には慎重にも慎重を重ねた。
当然ながら、1人の科学者が全ての領域を理解する事は叶わず、理解の壁に突き当たる度に新たなメンバーが招集された。その度に、候補者の人格や思想、アメリカ合衆国への忠誠心などがFBIによってチェックされた。
軍需企業から人選するエンジニアのスカウトについても、科学者に比べると相対的に容易だったが、基本的には同様の手続きが執られた。
4月に入りすっかり暑くなったケネディー宇宙センター内の一画で、
アニーのメモリーに記録された設計図に比べると何倍にも大きな装置となり、小学校の体育館程度の空間を占める巨大装置となった。“現在”の技術で製造できる部品は機能効率性と言う点で“未来”に劣り、どうしても設計図面のサイズよりも大きくならざるを得なかったからである。
その結果、その部品の集合体である装置全体もゴテゴテとした
また、部品同士を
洗練と言う言葉とは程遠い外観であった。
受信装置のお披露目式には、宇宙センター内の人間も多数が参加した。
極秘プロジェクトとは言え、宇宙船が着陸した場所だけに、使節団の到着を目撃した宇宙センターの従業員は多い。彼らについては、今更お披露目式から排除する特段の理由も無く、
「受信装置に通電します」
まずエンジニアの一人が受信装置のスイッチボタンを押した。受信装置の処々に配置された作動ランプが緑色に灯って行く。ブーンと言う鈍い振動音が受信装置の内部から微かに響いてくる。
正常な初期動作を確認したエンジニアが、次の操作を宣言する。
「受信装置と繋がったアンドロイドが、未来との交信シグナルの自動チューニングを開始します」
式典会場に集う全出席者が固唾を飲んで次の展開を待った。
出席者の間で期待が高まり、心を躍らせるオーラが会場全体を包んで行く。数分なのか、10分なのか、或いは逆に1分も経っていないのか。
アンドロイドが用意されたマイクに向かって淡々と報告した。
「受信情報を感知しました」
アンドロイドの報告を耳にした瞬間、式典会場に居た全ての人間が大きな歓声を上げた。
全員が何かのパレードに参加しているが如く、隣に立っていた者と肩を叩き合い、或いは抱き合い、中には踊り出す者も居た。
グラスが人伝に配られ、続いてシャンパン・ボトルが回され、あちこちでポンッ、ポンッとコルクを飛ばす音が鳴り響いた。
物理学者のロバート・ボーデンが受信装置の前に進み出る。赤色に塗られた急ごしらえの壇上に登ると、満面の笑みを浮かべて言った。
「皆さん!」
ボーデンは自分の目の前に立ち並んでいる関係者の顔をグルリと見渡した。この式典会場に100人近くのスタッフが集っていた。
「3年間もの長い間、本当に有り難う。私は皆さんの努力に敬意を表します。
このプロジェクトはマンハッタン計画に匹敵するでしょう。アメリカ合衆国の未来を切り拓く快挙です。
いいえ、アメリカ合衆国と言う国家レベルに止まらず、人類として未知のページを
この歴史的瞬間に私自身も非常に興奮しております。
興奮の余り、この壇上で一日中でもしゃべっていそうです。この気持ちを皆さんと分かち合う為にも、野暮なスピーチは切り上げて、乾杯をせねばなりませんね」
一堂からドッと笑い声が湧いた。
「とは言うものの、この福音を
ミズ・サエス、お願いします」
イレーネはWEBカメラを通じて式典に参加していた。
彼女も嬉しさを隠せないと言う表情を浮かべていたが、それを映像で確かめられる人間は限られる。殆どの式典参加者はスピーカーを通して彼女の声を聞く事しか出来なかった。
それでもイレーネの声音や口調は、彼女の興奮と歓喜を十分に伝えていた。
「有り難うございます。皆さんの御陰で
これはエベレストの登山に
でも、ベースキャンプに辿り着いた事を、今日は素直に喜びましょう」
イレーネは深呼吸した。そして、高らかに宣言した。
「それでは、アニーの記録メモリーの内容を削除しましょう! 第1の手紙をダウンロードするのです!」
一堂からウォーと言う歓声が挙がった。
ボーデンも破顔して、シャンパンが注がれたグラスを持った右手を突き上げ、「乾杯」とマイクスタンドの前で大声を張り上げた。式典会場からは再び、さっきよりも大きく、ウォーと言う歓声が挙がった。
受信装置の建設に先立って、5人の為には、CDCの敷地内には新たな隔離棟が既に建設されていた。隔離棟の全体がレベル4の最高気密仕様である。
この隔離棟の居住空間は、場合によっては5人が終身隔離となる可能性を踏まえ、生活に必要な全ての設備を備えていた。
平たく言えば、個室に留まらず、ジムや娯楽ルームまでもが整備され、少しでも隔離生活を快適なものにしようと配慮されていた。
ダイニング・ルームも快適さを優先して設計された。
ダイニング・ルームの隣接スペースには、独立した密閉空間として配膳室が設置された。下膳時には、5人がダイニング・ルームに退避した後に配膳室全体を滅菌し、滅菌処理が終わったらCDCスタッフが食器を片付けると言う具合だ。
下水も隔離棟から排出する前に煮沸消毒できる仕様とした為、今度は自由にシャワーを浴びる事が出来た。
衣服も、“現在”を来訪してきた時に着用していたアンダーウェアではなく、アメリカ政府が提供したものを着用している。毎日、着用済みの衣服は焼却し、新たな衣服が提供されるようになっていた。その衣服の交換は配膳室経由で行われた。
律義な事に5人の衣服は、来訪時と同じように各人のサイズに合わせて5色で提供された。
個室は統一色だが、パソコンやタブレットなどの備品は5色に塗り分けられていた。「流石は個性を大切にする民族性の証左だ」と5人で話し合った事が有る。
CDCの旧棟に入居して早々に、宇宙服もスタッフに提出済みだった。
繊維の分析結果を基にアメリカ企業が新たな機能性衣料を開発し、今では全世界で販売し始めているそうだ。“未来”からの技術移転の第一弾と言える。
実際に5人が技術移転の成果として視認できた事例は、CDCスタッフの防護服がスリムになり、5人が着用していた宇宙服と大差ない機能的な物に変わった事である。
5人が外部の人間と接触する場所は、コミュニケーション・ルームである。
相変わらず大きなモニターガラスを隔てた部屋の構図なのは致し方ないが、双方が椅子に座ってゆっくりと対話できるようになり、まるで重役用会議室のようだ。
定例のテレビ会議用のスクリーンも大きくなり、椅子に座った儘でモニターガラスの双方が会議に参加できる。いわば三極会議仕様である。
その隔離棟のコミュニケーション・ルームでは、西アジア州出身のプラトッシュが活き活きと、モニターガラスの向こうに陣取った医学チームを前に熱弁を奮っていた。
プラトッシュは“現在”のインド北部に相当する地域の出身者で、身長190㎝程度のほっそりした体型をしている。
遠い先祖はカースト制度の高貴な身分の出身者だった事もあり、彼の肌の色は平均的なインド人に比べると遥かに白く、ヨーロッパ出身者だと紹介されても違和感のない風貌をしている。
他の行政単位としては、アメリカ局の下に北部アメリカ州と南部アメリカ州が、ヨーロッパ局の下に西部ヨーロッパ州と東部ヨーロッパ州が置かれている。アフリカには局のみで州と言う行政単位は無い。
基本的に州単位での自治が行われており、地球連邦政府としての大局的な判断は、大統領が議長として各局長を招集する局長会議で決められていた。
大統領は全ての地球連邦市民による直接選挙で選出されていた。システムネットの普及で難なく電子投票を実行できる時代、直接民主主義は滞りなく運営できるようになっている。
さて、プラトッシュに話を戻すと、この3年間、自らの出番が無いプラトッシュは隔離スペースで悶々としていたのだ。個室では
プラトッシュは生来、独りで居るよりも仲間と語らう事を好み、しかも周りを先導する事に充実感を感じる性格だった。その性格ゆえ、閉じ込められた環境下で自分自身が医療観察の対象、悪く言えば人体実験の身に甘んじ続ける事には、5人の中で最も嫌気が差していた。
第1の手紙を受信したことで
「冷凍睡眠技術には、大きく3つのポイントがあります。
まず、体温を極限まで下げて行った際に、人体にショック状態を起こさせない事。この段階で死んでしまっては仕方無いですから。
2番目は体細胞を破壊せずに冷凍する事。これは具体的に言うと、液体から凝固して行く時に、冷凍した細胞の体液が鋭利な刃物と成り兼ねません。
先端の尖った水晶をイメージしてください。
その結晶の尖った部分が細胞壁を壊してしまいますと、細胞全体が駄目になります。この原因は、細胞壁が凍結して硬直化する前に体液が結晶化する事にあります。
ですから、急速冷凍により体液と細胞膜の硬直化をほぼ同時に進められれば、体細胞の破壊を防ぐ事が出来ます。
実は、この技術は既に存在します。この3年間、私はインターネット情報を通じて、此の時代を勉強してきました。東アジア州のリーベンと言う国では魚や食肉の冷凍技術として普及し始めています」
医学チームの一堂はリーベンなる国名に戸惑い、お互いに顔を見合わせた。
「そのリーベンと言う国は何処に所在するのですか?」
今度は逆にプラトッシュが、この質問にキョトンとした。
「ウッカリしていました。
此の時代の英語でジャパンと呼んでいる国です。
私達の時代では、東アジア州の旧国名は全て中国語表記に統一されています。中国語人口が最も多かったからです。その呼び名をツイ使ってしまいました」
「医療技術とは別に、そう言う話を伺う事が許可されるならば、個人的には有り難いですね。知的好奇心を掻き立てられますし、柔軟な着想を得られそうです」
軽口を叩いた医学チームの1人が、脇に控えていた監視官を見遣ったが、監視官は無言で首を横に振るばかりであった。
「話を戻しましょう。3番目は蘇生技術です。
常温での心肺停止状態まで回復できたなら、此の時代の蘇生技術でも大丈夫。ですから、常温までの解凍技術と言い換えた方が適切かもしれません。
凍結した人体は心臓に近い部分から徐々に解凍して行きます。
最初は心臓です。血液循環を再開する為のポンプですから。血液を循環させるには、複数の器官を同時に解凍してループを形成しなければなりません。
ですから、心臓と大動脈、大静脈が、最初の解凍ターゲットとなります。
一方、血液循環の目的は体細胞への酸素供給ですから、心臓・大動脈・大静脈の完全解凍に先立って、人工的に酸素を血液に直接供給する医療器具を
肺の解凍を同時に進める事はしません。
肺を解凍しようとすれば、胸部全体を解凍する事になり、必要な酸素供給量が増えます。
更には横隔膜も動かし始めないと肺は機能しませんが、そうすると益々解凍範囲が広がってしまいます。結局の処、バランスを崩すのです。
だから、酸素は外部から供給しなければなりません。
逆に言うと、外部から必要な物を血液に直接供給するルートを作っておけば、酸素だけでなく、ブドウ糖などの栄養分も供給できますから、より安全なのです。
あとは、時間を掛けて身体全体をジワジワと解凍して行く事になります」
医学チームの1人が右手を挙げ、質問の許可をプラトッシュに求めた。
「1番目の冷凍時にショック状態を起こさせない技術と言うのは、
心臓麻痺の予防とかですか?」
「この1番目のポイントが最も複雑で難解です。
一言では言えないので、アニーが受信した情報に基づき、ジックリと講義します。
今日は全体観をイメージして貰う事を優先したいので、その質問に対する講義は次回以降に回しましょう。
でも、理解するには時間が掛かるテーマだからこそ、次回以降の早いタイミングから具体的な説明を始めます。
それでは、今時点で、他に質問は有りますか?」
プラトッシュはゆっくりと首を左右に巡らし、モニターガラスの向こうの席に並んだ医学チームの面々を眺め回した。
「冷凍中の人体保管技術と言うか、体調のコントロール技術も大事だと思うのですが、如何ですか?」
「勿論、大事です。
ですが、状態が安定しているとも言えますから、相対的には大した技術を必要としません。
寧ろ大事なのは、冷凍睡眠状態を断続させないように、装置を保守管理するマネージメント技術とでも言えば良いでしょうか。
私達の時代では、冷凍睡眠装置を南極大陸に集めて運営しています。
何億人もの冷凍睡眠装置を集めた巨大施設を、私達は、孵卵器と言う意味からコクーンと呼んでいます。実態は巨大な墓地と言った雰囲気ですが、あからさまに墓地と呼ぶのは流石に
このコクーンは天然の冷凍庫の中に有るわけですから、エネルギー消費量も最小限に抑えられます。
たとえ何らかの問題が生じたとしても、少なくとも温度の面では安心です。砂漠でコクーンを稼働させようとすれば大変な工学技術とエネルギーを必要とするのでしょうが、南極大陸ならば安心です。
その替わり、最初のコクーンの建設には苦労するでしょう。私の専門は建築工学ではありませんので素人考えですが、何となくそう言う気がします」
「此の時代では未だ冷凍睡眠装置はSF小説の産物に過ぎません。
我々が冷凍睡眠装置を発明したと公言しても、人々は怖気づいて、自分から率先して冷凍睡眠しようとは思わないでしょう。
ミスター・グプタの時代では、
「私達の時代では既に骨髄病が蔓延し、出生率が下がり、世界人口が急減していました。そう言う状況で冷凍睡眠技術が確立されました。
世界人口が急減していたと言う社会背景が重要で、不治の病に罹った患者や看護を必要とする老齢者を養う余裕が人類社会にもう無くなっていました。
平たく言えば、姥捨て山の状態が地球規模で広がっていました。そう言う時期に冷凍睡眠技術が登場したのです。だから、身体的弱者は死か冷凍睡眠かの選択を迫られたのです」
プラトッシュの話を聞いた一堂は押し黙った。
“現在”が幸福な時代なのだと実感した医学チームの1人が、楽観的なコメントを口にする。
「しかし、此の時代では、未だ同じ様な事をする状況に追い込まれていません。
その楽観的なコメントに「そうかもしれません」と相槌を打ちつつ、プラトッシュは“未来”の経験を説明する言葉を継いだ。
「でも、冷凍睡眠から無事に復活できると言う事実を目の当たりにしていれば、人々の不安心理は大きく軽減されると思います。“百聞は一見に如かず”ですからね。
実は、私達の時代では、冷凍睡眠から復活した事例と言うのが殆ど無いのですよ。志願兵や死刑囚を対象に冷凍睡眠と蘇生の実験を施しただけです。
勿論、死刑囚達を相手に成功事例を積上げたからこそ、一般人にまで適用対象を広げたのですが、科学者の1人として正直に白状しますと、冷凍睡眠技術の安全性を確信できるほどに実験の症例数を積み上げたのか?――と問い質されれば、その自信は有りません。
私達は追い込まれていたのです。ベストな方策を追究する余裕は有りませんでした」
「確かに、冷凍睡眠からの復活事例を積上げておく事は重要でしょう。
一方で、アメリカ合衆国では、たとえ死刑囚であっても、或る意味、人権が認められています。
被験者となる死刑囚には同意して貰う必要が有りましてね。社会の為だと訴えても、死刑囚の心には響かないでしょう。果たして、どれだけの事例を積上げる事が出来るものか・・・・・・」
「私から提案が有るのですが、牛を対象とするアイデアは
全ては貴方達が冷凍睡眠技術を確立した後の話ですが」
「具体的に言うと?」
「今は牛肉を切り刻んだ状態で冷凍して輸出していますよね? でも、冷凍技術が悪いので、輸出先の相手国で解凍したら、その食感と言いますか、まあ品質は良くないらしいですよ。インターネット情報に依ると・・・・・・。
牛を冷凍睡眠させて相手国で蘇生させ、相手国で解体すれば、食材としての鮮度は極めて良い状態となります。
アメリカ合衆国の食肉はコスト競争力に優れているそうですが、もっと強い競争力を発揮するでしょう。3年間もインターネット情報で社会勉強していたので思い付いたアイデアですが、どう思います?」
「ミスター・グプタは、医学博士とは思えない発想をされるのですね」
「昔からインド人は銭勘定に長けているのですよ。次回の首席補佐官とのテレビ会議で提案してみようと思うのです」
プラトッシュは恥じらうように微笑んだ。
プラトッシュと医学チームの対話が始まったとしても、当然ながら毎日ではない。
対話予定の無い日には個室で時間を潰すしかない。先陣を切って外部の人間とコミュニケーションし始めたプラトッシュを、他の4人が彼の個室まで訪問する回数が増えたのは事実だ。中でも同性のフェイの訪問頻度が自然と高くなる。
トントンと軽くノックする音に「入って来て構わないよ」とプラトッシュが答え、フェイがドアから顔を覗かせた。
「いやあ、相変わらず、お前の部屋は汚いなあ」
フェイが挨拶替りに
実際、プラトッシュは、ダブルベッドの上に下着や衣服を脱ぎ散らかしており、更に古い衣類はベッドの周辺部に押し遣っていた。シーツもグチャグチャに皺が寄った儘である。まるで鳥の巣のようだ。
マットレスを覆うシーツも見えている面積は小さく、その上に放置した下着や衣服の上でプラトッシュが両手両足を広げて寝ているのは明々白々である。ベッドの端からは何枚ものタオルが垂れ下がっており、斬新なデザインの足マットみたいな感じだ。
机の上には紙コップが何重にも重ねられていた。
隔離されているとは言え、チリやホコリは普通に積もる。衣服の繊維や老廃物となったプラトッシュ自身の体表組織が床に落ちるからだ。
ホコリの見え易いリノリウムの床ではあったが、同じリノリウムの床でも廊下と部屋の中とでは明らかに様相が違っており、プラトッシュが掃除をしていない事は一目瞭然だった。
「自分専用のアニーが居ないからな。仕方無い」
ベッドの上に横たわったプラトッシュは、フェイの皮肉に動じない。タブレットのネット情報を見続けながらアニーの不在の所為にする。
カースト制度の上位階級に生まれたプラトッシュには自分で掃除した経験が無く、アニーが普及して以降は益々身の周りの始末を自分でしなくなっていた。
「1日に一度、配膳室まで衣服やシーツを持って行くだけだろ?
真面目に毎日やっていれば、此処までゴミ溜めみたいにはならないだろうに・・・・・・」
フェイは呟き、机の上を這わせた指先に付いたホコリを視認すると、両の掌をパタパタと叩いた。
「俺の個室だからな。俺自身が特段の不満を感じていなければ、何ら問題は無かろう?」
「そりゃそうだが、セックスのパートナーは嫌がるだろう?」
「相手の部屋に行くから問題無い」
呆れた口調で指摘するフェイに対して、仏頂面でプラトッシュが答える。
女性陣がプラトッシュの個室を訪問する回数が増えたのは事実だが、それはアニーが家政婦としてプラトッシュの部屋を清潔に保っている期間に限られる。
当然の事ながら、この個室がゴミ溜め状態と化すと、訪問者はフェイ只一人となった。
「おいおい、このリンゴの芯は先週の食事で出てきたデザートだろう? 配膳室に戻さないんだったら、個室に持ってくるなよ。ダイニング・ルームで食べてくれば良いのに・・・・・・。
何だか臭わないか?」
フェイは鼻をフンフンと鳴らしながら、何処に座るのが相対的に最も清潔かと部屋中を眺め回し、そして諦めた表情で唯一の座る場所であるデスク前の椅子に腰を降ろした。
「次にアニーが戻って来るのは
「来週じゃなかったかな?」
第1の手紙を無事に受信して以降、ロボット工学のスレッガー・ホルト博士にアニーを貸し出す頻度が多くなっていた。
アニーの解体調査は出来ないものの、アニーのプログラミング・ロジックを外部にトランスファー・コピーする事は可能であり、人工知能の開発が既に始まっていた。
勿論、受信装置を製造した場合と同様に“現在”の工学技術に基づくならば、アニーと同じサイズに人工頭脳の必要パーツを納める事は到底望めなかった。だが、巨大サイズでも構わないと割り切るならば、アニーと同レベルの人工知能の再現は可能なはずであった。
「それまでは、この微妙な臭いにも我慢しなければならないな。1週間で悪臭が酷くならなければ良いが・・・・・・」
「ところで、フェイ。何か用事か? 俺に掃除を指南する為に来たんじゃないだろう?」
プラトッシュが、タブレットから視線を上げて、母親の様な小言を呟き続けるフェイの顔を眺める。
「用事って言う用事は無いんだけどさ。此の時代の人間について、もっと話を聞きたいなあって、思ったからさ。どうせ自分の部屋に居ても暇だからな」
「前にも言った通り、普通だよ。
その内にフェイ自身も対話するようになるけど、全く心配要らないよ」
「ああ、それは心配していない。
それよりも、プラトッシュ。お前は此の時代のインド人に会ったかい?」
「それらしい人物は医学チームの中に居たよ。でも、インド人なのか如何(どう)かは分からない。
俺達の対話に同席する監視官がメンバー同士の個人情報の交換を中々許さないんだよ。やっぱり警戒しているんだろうなあ」
「警戒って、何を?」
「知らないけど、例えば、俺がインド人に同郷人としての好意を感じて、そのインド人に特別な情報を教えたらヤバイって、そう考えているんじゃないのか?」
「でも、そのインド人だって、出身地はインドだとしても、今はアメリカ合衆国の国籍を持っているんだろう?」
「例えば――の話だよ。俺が何かを警戒しているわけじゃないからな。分からないよ。
それよりも何故、フェイはそんな事に興味が有るんだ?」
「うん。時代を超えた同郷人に対して、どんな感情を抱くのかな?――って思ったからさ。
先行する経験者のお前に聞いてみただけ」
「ふうん。別に何とも思わないけどな、俺は」
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