2. コンタクト【2041年】

 2041年12月、地球の引力に捕えられた獅子座流星群が地表を目指して落下して行く。

 流星群の中でも比較的大きな隕石、とは言え、地表に到達する事なく燃え尽きるのだが、その大きな隕石が闇を切り裂き落下して行った刹那だった。

 成層圏よりも更に漆黒の宇宙に近い暗闇の空間に、のた打ち回る竜のように幾筋ものプラズマが走る。

 その中心部に青白い閃光が球体となって浮かび上がり、そして除々に大きくなった。宇宙空間の尺度で測れば取るに足らぬ大きさだが、それでも直径100m程の大きさまで巨大化する閃光。

 眩い光が数秒間の短い乱舞を演じた後、出現時と同じく突然に消え去った。もし、その閃光を偶然にも地表から目撃した者が居たならば、獅子座の近くで輝く木星が一瞬だけ二連星になったように見えただろう。

 閃光が消えた後の空間には宇宙船が何事も無かったかのように浮かんでいた。閃光が無音の闇に産み出した置土産であった。

 全体的には海中生物のエイの様な形状をしており、本体は平たく丸みを帯びた三角形をしている。

 三角形の底辺からは正にエイの様な尾が伸びている。但し、尾の先端はエイとは違い寧ろイルカやクジラの尾ビレのように、これまた平たく丸みを帯びた三角形をしている。本体の三角形に比べて尾ビレの三角形は3分の1程度であろうか。

 大小2つの三角形をつなぐ長い尾は節付きの構造をしており、フレキシブルに曲がる事が容易に想像できた。

「目標時間に無事到着しました。衛星軌道に船を乗せるべく、これから当機の軌道を修正します」

 無機質な声でパイロットが、後ろに座った5人のクルー達に告げる。

 5名のクルー達の全員が宇宙服を着こんで着座している。船体外側の一方の面から圧縮空気が放出され、ガクンと軽い衝撃を加えられたクルー達の身体が揺れる。

 その後も圧縮空気は船体の上下左右前後のあらゆる方向からシュッ、シュッと時間差を置いて短時間ずつ放出され、その度にシートベルトがクルー達の宇宙服に軽く食い込む。

 クルー達に能動的な動きは無く、眠っているようである。

 もし起きているならば、シートベルトが宇宙服に食い込む感覚を通じて、宇宙船が当座の目標軌道に近寄って行くのを感じたであろう。

 宇宙船が衛星軌道に乗ってから船内時間で半日も経った頃。地球を何周か回った挙句、パイロットは第二の目標物を探し当てた。

 パイロットが無反応のクルー達に向かって次なる行動を宣言した。

「此の時代のアメリカ合衆国の軍事衛星を特定しました。これからアクセスを試みます」


 虚無より出現した宇宙船が軍事衛星への接触を開始してから数時間の後、地上では大変な騒ぎが巻き起こっていた。

 核兵器を管理し、宇宙戦やサイバー戦を指揮するアメリカ戦略軍のジョンストン司令官は、作戦指揮所に詰める大勢の部下達を前にして大声で怒鳴り散らしていた。

「NASAは何と言っている! NSAはどう分析しているんだ!」

「NASAの見解では、地上から衛星にアクセスしている形跡は無いそうです」

「どう言う事だ!」

「宇宙空間から直接、衛星にアクセスしていると言う事です。

 現在、の国の衛星が我が軍の衛星チャンネルに侵入し、アクセスしているのかを特定中です」

「NSAは、暗号化せずに送信してきた事について、戸惑っております」

「司令官! NASAから新たな報告がありました。

 天体観測用の望遠鏡を衛星付近に向けたところ、衛星の5倍程度の大きさの浮遊物を確認。人工物のようです。この人工物が接触してきたのではないかと言っております」

の国が打ち上げたロケットだ!?

 何故、この様な通信を我々に送って来ている!?」

「他国のロケット発射は常時トレースしております。少なくとも、直近1カ月にロケットを発射した国は有りません。

 しかも、NASAによると、形状がロケットとは異なるそうです」

「どう言う事だ? 宇宙人が接触してきたとでも言うつもりか?」

 司令官の突飛な質問に答えられる部下は一人も居なかった。さすがに宇宙人の来訪説に同調するのは、その場に居た誰もが躊躇ためらった。

「至急、ジマー統合参謀本部議長を呼び出してくれ。この状況を報告しなければならん」


 数刻後、アメリカ合衆国ホワイトハウスでは、ドワイト国防長官が大統領執務室への予定外の入室を求めてきた。

「ヘンリー大統領。緊急のご報告があります」

 国防長官には文官が就くケースが多いのだが、それが合衆国憲法で規定されているわけではない。

 ドワイト国防長官は軍人出身であったが、現役時代の功績と政治的感性を評価されてヘンリー政権に参加していた。彼には、軍人出身だけあって、雰囲気で他人を圧する処が有る。

「この報告内容を聞く事が出来る者は、最高級レベルの国防機密接触権限を持つ者に限定されます」

 そう言うと、大統領を囲む感じでソファに座っていた面々を眺め渡し、大統領執務室からの退室を無言で促した。国防長官の発言は、大統領以外の者は全て立ち去れ――と言う意味であった。

 ヘンリー大統領は、お気に入りの肘掛椅子の背凭れに体重を預けると、左手で少し遠くに掲げた紙束の文章を老眼鏡越しに黙読していた。今期の議会に諮る予定の地球温暖化防止に向けた産業規制法案の叩き台である。

 ドワイト国防長官のただならぬ表情を見てとったヘンリー大統領は、フゥっと軽い溜息を吐くと、原稿の紙束をソファテーブルに置いた。

「諸君。折角、ブリーフィングしてくれていたのに悪いが、世界は私を1つの事に集中させてはくれんようだ。申し訳ないが、改めて私の予定を取り直してくれたまえ」

 大統領執務室にヘンリー大統領と2人切りになると、国防長官は対面席に腰を降ろし、持参していた黄色のタブレットを大統領に手渡した。

 タブレットを受け取ったヘンリー大統領は、そのディスプレイ画面に掌を当て、自らの静脈情報を読み込ませた。

 ヘンリー大統領が掌を外すと、アメリカ合衆国の国章が画面に浮き上がる。一瞬の後、鷲が翼を左右に広げた図柄が消えると、光学撮影や赤外線撮影の天文写真が幾つかディスプレイ画面に出現した。

「本日未明、我が国上空の成層圏に所属不明の宇宙船が出現しました。その宇宙船は自発的に自らの存在を我々に知らせ、現在の処は敵対行動も取らず、引き続き上空に待機しております。

 画面左下をタップしてください」

 国防長官に言われる通りディスプレイ画面を指で触ると、英語の文章が画面に浮き出てくる。タブレット内蔵のスピーカーからは、文書を読み上げる無機質な音声が流れ始める。

『こちらは地球連邦所属の宇宙船オバマです。

 我々は現在より凡そ100年の未来から来た地球人です。

 此の時代に地球連邦政府が存在しない事は承知しています。また、未来から来たと言う説明は、にわかに信じ難いと言う事も理解しています。

 貴方がたの地球を無用の混乱に陥れる事が目的ではありません。

 よって、此の時代で最大の存在感を示しているアメリカ合衆国だけに私達は接触を試みています。貴国への上陸許可を求めます。

 許可頂けない場合、私達は貴国以外の国との接触を試みます』

「未来から来た」と言うタブレットからの朗読音声が途切れると、国防長官は説明を再開した。

「これは宇宙船から発信されたメッセージです」

 口をポカンと開けた大統領は、眼前の国防長官の顔を凝視した。

「ドワイト君、これは何かの冗談かね?」

「いいえ、残念ながら冗談ではありません。大統領」

「一応、選択肢として、その可能性を質問するのだが、我々に正体不明の宇宙船を迎撃する事は可能なのかね?」

 国防長官は、しかめ面で首を横に振りながら、ヘンリー大統領の質問に答えた。

「いいえ、残念ながら不可能です。

 我が国の軍事衛星は、当然ながら、その攻撃手段の矛先を地表に向けております。ところが、この宇宙船は軍事衛星よりも更に高い軌道に留まっています。

 この宇宙船を攻撃するには、軍事衛星ではなく、地上からのミサイル攻撃を必要としますが、仮にミサイル攻撃を試みても、ミサイル到達までの間に彼らは逃げるでしょう。

 この事情はアメリカ合衆国に限りません。中国においても同様です。

 つまり、人類は高軌道上にある宇宙船を排除する有効な手段を保有しておりません。大統領」

「君の考えは如何どうかね」

「はい、大統領。彼らに上陸を許可するしか、我々には選択の余地が無いと思われます。

 我々が上陸を拒否する事で、彼らが中国に接触する事を考えると、その後の展開ではパワーバランスを大きく崩す事に成り兼ねません」

「私は、大統領に就任した時から毎日、痛感しておるよ。

 アメリカ合衆国の大統領といえども、自分の好きなように判断できる事項は殆ど無いと」

 大統領は、またフゥっと溜息を吐くと、自嘲気味に言った。

「彼らに上陸を許可しなさい」

「承知しました。大統領」

 ドワイト国防長官は、直立して敬礼すると、大統領執務室から足早に出て行った。


 大小2つの三角形を連ねた宇宙船は、主翼に対して幾分の角度をつけて尾翼を微妙に捩じると、圧縮空気を漆黒の闇に噴射して、降下を開始した。直径1000㎞程度の大きな螺旋を描きながら、徐々に高度を下げる。

 地表に近付くに連れ、重力が飛行スピードを加速させる。

 宇宙船が成層圏上層のオゾン層を通過し、オゾンによる加熱と大気との摩擦熱で船体表面温度が上昇し始めると、アメリカ戦略軍とNASAは複数の軍事観測衛星と気象衛星を使って、その軌跡を常時監視下においた。

 航空高度まで下がった処では、戦闘機も監視体制に加わった。

 宇宙船は螺旋軌道を下降しているので、高度の下がり具合は緩やかである。

 しかも、かつてアメリカ合衆国が就航させていた宇宙往還機の落下速度に比べて十分に抑制された速度ではあった。それでも、実際の飛行速度は極めて速く、戦闘機が伴走する事は叶わなかった。

 ただ、宇宙船が事前に降下軌道を通知してきたので、複数の戦闘機が螺旋の円周トラックを交代で、自分の担当する角度領域での下降を見守った。

 バトンを受け渡すリレー選手のように随伴する戦闘機の脇を、宇宙船が猛烈なスピードで追い着き、そして追い越して行った。

 十分に高度を下げ大気摩擦による減速効果が出てくるに従い、螺旋の半径は狭まり、最終的にはケネディー宇宙センターの滑走路に自ら滑り込んできた。


 ケネディー宇宙センターの管制センター。

 様々な映像モニター、幾何学模様としか思えない各種の計測グラフやらを映した多数のモニターが壁面一杯に張り付けられ、絶えず状況の変化を映し出していた。

 宇宙船が滑走路に停まってからの数時間、管制センターでは、アメリカ戦略軍司令官のジョンストンが、沢山のモニター画面のうち中央に設置された最大画面に映る宇宙船を食い入るように見守っていた。

 宇宙船に動きは無かった。

 攻撃の意思が有るとは思えなかったが、事態の次なる展開を想定できないだけに待つしかない。その緊張感から、ジョンストン司令官の首筋には幾筋かの冷や汗が流れた。

 と突然、ガガガッと言う雑音が管制センターのスピーカーを震わせ、宇宙船クルーが発する音声が流れ始めた。

「私はイレーネ・サエス。当使節団の団長です。はじめまして」

 その少しハスキーで柔らかな声音から、直ぐに女性の声だと分かった。且つ、友好的な語り口に、司令官以下の全員が安堵した。

「私は司令官のジョンストンです」

「こちらは総勢5名の使節団です」

 部下の一人がジョンストン司令官に「どうやら彼女の母国語は英語のようですな」と耳打ちした。

「貴国への着陸を許可して頂き、感謝しています。有り難うございます」

「大統領以下、我々は、貴方がたの訪問を歓迎します。

 遠路はるばる・・・・・・と言う言い方が適切か如何どうかは分かりませんが、兎に角、歓迎致します」

 クスっと軽く吹き出す音声がスピーカー越しに聞こえ、その反応が管制センターに詰めている一堂の緊張感を弛緩させた。

 ジョンストン司令官にジョークを言う精神的余裕が残っていたとは誰もが思わなかったが、結果的に繰り出したジョークが意思疎通すべき相手に通じたと言うのは、安心材料の1つではある。

「早速ですが、出迎えの為に警備兵を宇宙船に向かわせます。なにぶん軍事施設なので無粋な兵士しかおりませんが、構いませんか?」

「有り難うございます」

 数秒の間を置いて、使節団長は言葉を続けた。

「ですが、私達には宇宙船から出て行く準備が出来ていません。

 と言うより、司令官にご協力をお願いしなければなりません」

「何でしょう?」

「貴国における疾病対策センターの様な施設で、私達を隔離する体制を整えて頂きたいのです」

 使節団長からの予想しなかった要請に、ジョンストン司令官は面食らった。司令官に限らず、管制センターに詰めていた全員が面食らったと言っていい。

 緊張感を弛緩させかけた矢先に、別の緊張を強いられたわけである。

「我が国の疾病予防管理センターはCDCと言って、その本部所在地はアトランタ州です。このケネディー宇宙センターの有るフロリダ州の隣がアトランタ州です。

 此処からは直線距離にして600マイル(約1000㎞)余りの距離があり、受け入れ体制を整えるには少々時間を要します」

「構いません。これは重要な事なので、お待ちします」

「宇宙滞在中に何らかの病気を発病したと言う事ですか?

 緊急性の高い事態が生じたのであれば、所定の手続きの一部を省く措置を執ります。状況を詳しく説明して頂ければ、その判断材料となるでしょう」

「有り難うございます。司令官のご配慮に感謝します。

 状況は、急性の疾病ではなく、慢性疾患です。直ぐに死に至ると言う事はありません。

 でも、急いで頂くと、助かります」

の様な状況なのです?」

 管制センター中央の指揮所に立っていたジョンストン司令官は、思わず体を前傾させ、マイクを握る拳に力を込めた。

「私達の全員が、或る病に冒されています。

 この病気の原因となる細菌は未だ、此の時代には存在していません。でも、いずれ出現します。

 私達は、その警告と協力を目的に時間を遡ってきました。

 具体的な内容は、その疾病予防管理センターの医師団に説明した方が正確に理解してもらえるでしょう」

「その細菌の感染力は強いのですか?」

「残念ながら、強い感染力を有しています。

 私達もそれを承知しているので、私達が着用している宇宙服の中に封じ込めています。宇宙船の船内は滅菌状態を保っていますし、船体の外側は大気圏突入時に殺菌されています。

 つまり、私達が不用意に宇宙服を脱がない限り、貴方がたに感染する心配は要りません。

 でも、此処まで聞くと不安になるでしょうから、司令官のお立場では、船内も細菌に汚染されていると考えて対処するしかないでしょうね」

「分かりました」

「ところで、疾病予防管理センターには、私達と一緒に、5匹のウサギを隔離して頂けませんか」

 使節団長の奇妙な要望にジョンストン司令官はまたもや戸惑った。

「何故、ウサギが必要なのでしょう?」

「私達の患っている病気を説明するには、最も効果的なツールだと考えています」


 使節団の一行はCDCの隔離ルームに移送された。最高気密仕様のレベル4の一角である。

 隔離ルームのモニターガラスの向こうには嵩張る黄色の防護服を着込んだ医療団が並んでいた。イレーネは、その医療団の中央に立っている人物に向かって質問した。

「この部屋では宇宙服を脱いでも構わないのかしら?」

「ええ、大丈夫です。減圧処理した部屋なので、細菌が室外に漏れる懸念は有りません。

 とは言え、念の為、我々も防護服を着用させて頂きますが」

 それは構いませんと返事しておいて、イレーネは、他のメンバーにも宇宙服を脱ぐよう促した。

 CDCメンバーの防御服と違い、使節団の宇宙服はもっとスリムなデザインで、生地も伸縮性に富んだ機能的な素材である。ヘルメットの大きさも、此の時代のバイク乗りが着用するフルフェイスのヘルメットと大差なかった。

 イレーネの宇宙服は赤色、他のメンバーも各々色を違え、青色、黄色、薄紅色、緑色であった。宇宙服の下には、淡い色調ではあるが、同系色のアンダーウェアを着ていた。

 全員が宇宙服を脱いで判明したのは、女性が3名、男性が2名の構成と言う事。

 見た目から判断するに、イレーネは30代半ばの白人女性。残る女性2人は40歳前後の黒人と同じく40歳前後の白人。男性2人は40代半ばの白人と40歳前後のアジア人種である。

「改めて自己紹介します。私はイレーネ・サエス。

 こちらから、エディット・クレッソン、タルヤ・ハルネン、プラトッシュ・グプタ、ワン・フェイ。私を含め、全員が科学者です。

 このアンドロイドを私達は、アニーと呼んでいます」

 4人は名前を呼ばれる度に、片手を挙げたり、お辞儀をしたりと挨拶のジェスチャーを示して友好的な態度を表現した。黒光りする合成樹脂製の甲殻で身体を覆ったアンドロイドは微動だにせず、直立不動のままであった。

 返礼として、医療団の真ん中に立っていた男が一歩前に進み出て、自己紹介した。

「私がCDC所長のブライアン・マルルーニーです」

 頭髪が薄くなって禿げ上がり、替わりに白い顎鬚をモジャモジャと生やした60歳前後の老人の顔が、防護服の透明なマスク越しに覗えた。

 ブライアン・マルルーニーは、左右の腕を軽く上げて両脇のメンバーを指しながら、言った。

「私の両脇に並んでいるのはCDCの医療チームだが、今日の処は彼らの自己紹介を控えましょう。

 これからも貴女達とは長い付き合いになるのでしょうから、焦らずに、おいおい遣って行くとしましょう」

「そうですね。

 それでは、まず最初に、私達が罹患している病について説明しましょう。貴方達の最大の関心事ですものね。

 アニー、其処に並べてあるウサギの籠を持って来てちょうだい」

 指示されたアンドロイドは、目の位置に埋め込んだ発光部を赤く点滅させて命令受諾を表現すると、無言で数歩を移動した。そして、テーブルの片隅に並んだ籠を手に抱えると、4人に1つずつ配って回った。

 そのアンドロイドの動作は非常に滑らかで、もし宇宙服を着て甲殻の見えない状態だったならば、生身の人間として紹介されても違和感を全く覚えなかったであろう。

 各人は一様にウサギを捕まえて籠から取り出すと、左手でウサギの耳を掴み、右手でウサギの尻を支えて胸の前でかかえた。

「まずは私から準備を整えてちょうだい。アニー」

 意味有り気に赤目の発光部を点滅させたアンドロイドが5人の背後を物静かな執事の様に移動する。

 無言でイレーネの脇に立つと、自らの指先をウサギの頸動脈に軽く当て、そして横に小さな一文字を引いた。一歩ずつ順繰りに4人の脇へと移動し、同じ動作を繰り返した。

 各人の腕に抱えられたウサギ達は瞬時にショック状態に陥り、足をバタつかせる事もしなかった。

「皆さん。私達が今から始める行動を注意深く見ていてください」

 イレーネの宣言めいた発言を合図に、5人は同じ動作を繰り返す。

 ウサギの頸動脈に噛み付くと炭化して脆くなった皮膚を食い破る。口元を毛皮の中に埋めたまま、ゴクッゴクッと喉仏をゆっくり上下させた。

 ウサギの血液を飲み始めたのだ。

 幾分かは血が噴き出し、ウサギの体毛や5人の口元に赤い筋が流れ出た。

 吸血鬼さながらの有り様に驚き、CDCメンバーは防護服の中で軽い悲鳴やうめきを発した。中には如実に顔を背ける者も居た。

 5分ほど血の儀式を続けた後、5人はグッタリと脱力したウサギを机の上に並べた。血圧が下がった為か、ウサギの体表から血飛沫が上がる事も無い。

 右手で口元に着いた血を拭いながら、イレーネが言った。

「不愉快な思いをさせてしまって、ごめんなさい。でも、これが私達の罹患した病なのです」

 数分間の沈黙の後、CDCメンバーの1人が気押されながらも質問した。

「吸血鬼化したと言う事ですか?」

「その表現は正確ではありません。

 此の時代の病名で言うならば、細菌性骨髄炎です。私達は骨髄病と呼んでいますが」

「しかし、細菌性骨髄炎ならば、その症状は骨の腫瘍、或いは免疫力低下であって、吸血鬼の様な有り様にはならないはず」

「その通りです。

 これは新種の細菌性骨髄炎で、その最たる症状は骨髄の赤血球生成機能を破壊する点にあります」

「それでは、ウサギの血を飲む事によって、赤血球を補給するのですか?」

「いいえ、この行為との因果関係は複雑です。

 赤血球は骨髄で生成されますが、妊娠中の胎児の状態では肝臓が赤血球を生成します。御存じですよね?

 本来ならば、人間は母体外に生まれると同時に、肝臓での赤血球生成を止め、骨髄で赤血球を生成するようになります。

 ところが、私達は胎児と同じ様に、肝臓で赤血球を生成する状態にあります。

 出産と同時に赤血球の生成を止める肝臓が再び赤血球を生成し始める医学的因果関係は、未来においても解明できていません。でも、兎に角、肝臓で赤血球を生成する状態に有ります。

 一方で、これも不思議な病理現象なのですが、この骨髄病を発症させる細菌は、骨髄には感染しますが、肝臓まで感染範囲を中々広げません。

 但し、前提条件が有って、他の個体の生き血を吸い続ける事です。

 この細菌の好みは、患者本人の骨髄で生成する赤血球、次に動物の骨髄製赤血球、最後が肝臓製の赤血球と言う順番のようです。

 従って、生き血を吸っている限りは、肝臓まで転移しません。

 でも、生き血を吸う行為を止めると、細菌は肝臓にまで感染範囲を広げ、赤血球の生成機能を完全に失った私達は酸素欠乏に陥り、窒息死します。

 更に不思議な事に、この細菌は宿主と共生すべくブレーカー機能を備えていて、その感染範囲は骨髄プラスアルファです。

 従って、このアルファ相当だけ動物の生き血を飲み続ける――と言うのが対症療法です」

「中でもウサギの生き血が最適なのですか?」

「治療と言う観点では、ウサギでも他の動物でも同じ効果があります。

 でも、ウサギは繁殖力が高く大きさも手頃なので、私達はウサギを使っています。今や全世界の人間が感染しているので、高い繁殖力と言う長所が必要不可欠なのです」

「全世界の人間がウサギに噛み付いている、と言われましたね?」

 実例をたりにしなければ、何かの悪い冗談としか思えない――と言う反応を1人が示した。

「そうです。全世界の人間が罹患しています。

 この全世界の人間が罹患していると言う状態が、人類にとって絶望的な状況を招いています」

「どう言う事ですか?」

「肝臓で生成された赤血球は、骨髄で生成された赤血球よりも、酸素との結合性が高い事も御存知ですよね?

 だからこそ、妊娠中の胎児は母親の胎盤から臍の尾を通じて酸素を取り込めるのです」

 此処までイレーネの説明を聞いて、CDCメンバーの幾人かが「アッ!」と小さな声を上げた。

「そうです。

 母体にも肝臓で生成された赤血球が流れると言う事は、胎児が胎盤から酸素を受け取れないと言う事です。妊娠中の胎児が呼吸できないと言う事なのです。

 その結果、私達の“未来”では、出生率がゼロとなりました。この数十年、自然分娩での新生児はゼロなのです」

 しばらくの間、モニターガラスを挟んだ両側で静寂の時間が流れた。事の重大性を共有し合った瞬間であった。

 所長のブライアン・マルルーニーは衝撃を隠し切れず、弱々しい口調で言った。

「貴女がたの、いや我々もか・・・・・・。兎に角、人類が追い込まれつつある危機の大きさを理解しました。

 ところで、その細菌ですが、何年後に発生するのですか?」

「私達もその発生時期を正確に特定したわけではありません。

 細菌の感染力は高いものの、体内での繁殖スピードはそう速くありません。感染から呼吸困難の症状が出るまでに5年から10年程度のタイムラグが有ります。

 呼吸困難者が続出し始めた時期から逆算すると、凡そ今から30年後に発生したのではないかと想定しています」

「30年と言う時間は長いようで短いのでしょうなぁ」

 ブライアン・マルルーニーは、これから対峙しなければならない細菌に思いを馳せ、残りの人生を未曽有の危機回避の為に捧げねばならない自分の運命に嘆息した。

「ところで、その強い感染力とは、具体的にの様なレベルなのですか?」

「身体に細菌が一定レベルまで行き渡ってしまった患者について言いますと、血液や体液の接触では極めて高い確率で感染します。

 場合によっては握手しただけで、てのひらの汗を介して感染する可能性が有ります。

 先進地域では報告事例が無いのですが、上下水道のインフラが整っていない開発途上地域では、飲料水や生活用水を頼っている溜め池の水を介して周辺地域の住民が大量に感染してしまったと言う報告事例が有ります。

 ただ、この細菌は芽胞を形成しないので、乾燥には弱いはずです。

 砂漠で暮らせば感染を防げますが、そんな過酷な環境では社会生活を維持できませんから、現実には世界中の至る所で感染リスクに晒されると断言できるでしょう」

「接触感染力が強いと言う事は、パンデミック・リスクが高いですね」

「そうです。実際、最初の発生から瞬く間に全世界に広がったものと私達は推測しています」

「ところで、貴女がたは栄養摂取をの様な方法で行うのですか?」

「動物の生き血を吸うと言う点を除けば、貴方達と全く同じだと考えてください。肉も野菜も穀物も料理して食べます。

 ただ、貴方達に比べてテーブルマナーは野蛮化しているかもしれません」

 深刻過ぎる雰囲気を和らげようと考えたイレーネの発言だったが、それがジョークだとは気付かず、CDCメンバーの誰もが先の血の儀式を思い出し、それはそうかもしれない・・・・・・と内心で思った。

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