第5話 チャレ道での騒動

                  *


もう十年近く昔の話だ。

 少年はピルトの森にあるスーロ村で育った。人口三十人前後の小さな村で,狩りや栽培を行いほぼ自給自足で生活していた。また,大地の神(アルゼスラ)を心から崇める当時でも希な集団であった。

 優しい両親に愛され,少年は幸せな毎日を送っていた。

 だが,ある日突然その幸せは崩れ去ってしまう。

 六歳の時,少年は重い病気にかかり,寝込んでしまったのだ。

 日に日に症状は重くなり,漆黒の髪は薄い茶に変色し,瞳の色は血のように赤く染まっていった。だが,両親,村総出で看病したかいがあって,少年は無事元気になった。しかしその茶色の髪と赤い瞳はもとには戻らなかった。

 皆,彼の回復を喜びながらも,心のどこかで気味の悪さを感じ始めていた。

 そして,幾日かすぎたある日,事件はおこる。

 村の植物という植物が枯れ,腐り始めたのだ。

 原因は全くわからなかった。おまけに食料となる獣たちまでもぱったりと姿を消してしまった。

 今まで自給自足で生活を送ってきた村は騒然となった。蓄えも底をつきはじめ,飢えに苦しむ中,皆必死にこの窮地をのりこえる策を考えた。

 彼らの目が,少年にむくのに時間はかからなかった。

――そういえば,あいつの病の件からおかしくなったんじゃないか?

――あの髪と目・・・変だと思ったんだ

――大地の神(アルゼスラ)のお怒りをかったんじゃないだろうな

 村人達の少年に対する疑念はどんどんと深まっていった。はじめは息子をかばっていた両親も村人に諭され,彼を見る目が変わっていった。

そして――

――災いの子ども

――こいつが大地の神(アルゼスラ)の不興をかったから,こんなことになったんだ!

 少年はわけもわからぬまま,大地の神を崇める祠に閉じ込められた。

――罰当たりな子どもは貴方様におささげします!

――どうか村を救って下さい!

 開けて,と少年は何度も壁を叩いた。だが,誰一人として反応してくれる者はいない。優しかった父と母が,村の人達が何故突然冷たい目を向け,こんな仕打ちをするのか全く分からなかった。

――何か悪いことをしたのなら謝ります,だからここから出して,お父さん,お母さん!


                  *


 薄暗い牢の中で這いつくばっていたルトは,遠くから聞こえる足音に身を固くする。またあの大男がやってきたのだと思った。

 今日はどんなことをされるのかと思うと指先が震える。殴られ,蹴られ,打たれ,炙られ,全身が軋むように痛かった。

 足音がルトの前で止まり,ルトはのろのろと顔を上げる。だが,そこにいたのは恐るべき大男ではなかった。

「・・・ラウガ王子」

 美しい衣装に黒髪をなびかせている彼は,この場にもっともふさわしくないようにルトは思えた。

「ひどいものだな」

 ラウガは血まみれのルトを見下ろして片目だけ少し細める。

「こんな目に合ってまで,自分の子どもを守りたかったのか」

 その言葉を聞いた瞬間,ルトの腫れ上がった顔に,今までにない衝撃と動揺が走った。

それを見て,ラウガは獲物をいたぶるような残忍な笑みを浮かべる。

「安心しろ,近いうちに子どもに会わせてやる」

 ラウガを見上げるルトは殴られるよりもずっと苦しそうだった。ラウガは確信する。

「子どもを見つけてきたら,お前も私のいうことを聞くしかあるまい」

 子どもを条件に持ち出せば,こいつは必ず言うことを聞く。そして,子どももおそらく父を条件に持ち出せば何でも言うことを聞くだろう。

(だから,人情というのはくだらない)

「・・・どうして・・・」

 ルトの声は震えていた。

「どうしてこんなことをするんだ・・・」

 ラウガは呆れたように口元を緩める。

「お前・・・お前達の才能を買ってやっているんだ。――ルト,お前はもう全て感づいてるのだろうから,話そう。私はそう遠くないうちにラージニアと戦争を起こそうと思っている」

 ルトは王子をにらみ据えた。

「戦争を起こすのは簡単だ。だが,平和ボケした国民どもを長い戦に駆り立てるのはなかなか難しいものだ」

 ラウガはうたうように続ける。

「そこでお前達の力をかりようと思った。お前達の生み出すものは必ず国民の心に大きな影響を及ぼすだろう。ラージニアの黒い話でもよい,戦の美徳でもよい,国民達の士気をあおるものを作ってもらう」

 ルトは何も言えなかった。目の前の男に言うべき言葉が何も浮かんでこなかったのだ。

「私の言うことを聞けば,お前と子どもが一生幸せに暮らせることを保障しよう。もちろんこちらの言うことさえ聞いてくれれば,好きな本も描いたって構わない。大切な息子とともに絵本をずっと作れるのだ。これ以上のことはないだろう?」

 ルトは首を横に振ることができなかった。ルシカを守るために,自分は動き出したのではないか?戦争の全てを人々に知らしめることよりも,それは重要なことのはずだ。

 ルシカが一生の平穏を約束されるなら――

 ルトの目に迷いを見いだし,ラウガは満足げに微笑んだ。

「子どもの居場所を言う気になったか?」

 その問いには答える気にはならなかった。沈黙のままのルトを,ラウガは鼻で笑った。

「まあ,あとは子どもとじっくり話し合えばいい。リャオが見つけてくるのも時間の問題だからな。――傷の手当てをしてやろう。ゆっくり休むための部屋もあてがわなくてはな」

 ラウガが出て行くのと入れ替わるように,二人の兵がやってくる。ルトは身構えたが,兵は拍子抜けするほど丁重にルトを抱え上げ,革製の担架に乗せて運び出した。




 バルがコロノ村を訪れたのは,その日の昼過ぎだった。彼は真っ直ぐにハロバの家に向かった。

 ハロバは家の前で,羊たちの餌になる草を刈っていた。

「ハロバじいさん!」

 ハロバはバルが息を切らせて現れても特に驚いた様子もなくおっとりと「ルシカを探しに来たのか?」と尋ねる。困惑するバルに,ハロバは彼を家の中へ促した。

「ララさんは?」

「ロッカのところに行っておる。今日の夜は羊送りの儀を行うからな」

「ああ,そうか・・・」

 羊送りの儀は,羊を解体したとき,その魂が大地の神のもとへ還れるよう祈る儀式だ。バルは納得した。村全体が忙しそうなのもそのためだったのか。先ハロバが刈り取っていた草も供え用なのだろう。

「ルシカは早朝出て行った。街へルトを探しに行くと」

 バルは驚き目を見開く。一拍遅れて,ルシカが無事ここに辿り着いたのだという安堵感と,ハロバに対するもやもやとした思いがわき上がってきた。

「どうして止めてくれなかったんだ!」

 そう怒鳴っても,ハロバは眉一つ動かさない。

「ルシカはまだ十五で,外の世界なんてなにも・・・」

 ああ,もっと早くここに来ていればよかった。あと少し早ければ・・・

「バル」

 後悔と焦燥に顔をゆがめているバルに,ハロバは静かに呼びかけた。バルは顔を上げる。

「そんなに心配するな。わしだって本当に危険だと思えばルシカを止めていた。・・・だが,あの子は大丈夫だ。人と関わるのはあまり得意そうではなかったが,強い何かを持った子だ」

「だけど・・・」

「ルトが戻ってこないのは気にかかるが,ルシカなら必ずルトを見つけて帰って来るだろう。バルの気持ちは十分にわかる。だが,お前さんはあの二人が戻ってきたとき,安心して帰れる家であってやりなさい」

 ハロバの静かな,だが説得力のある言葉に,バルはうなだれた。

 そんな彼を見つめながら,ハロバは目を閉じる。バルに言えないことが一つだけあった。

 ルトとルシカ,あの親子には,本人達も気づいていない危うさがある。へたをすれば命さえ失いかねない危うさがあるのだ。

 うつむくバルも,遠くを見つめるハロバも思っていることはひとつだった。

 二人とも,必ず帰ってきてくれ。




 ルシカは薄暗い道を歩き続けていた。道が無駄に広いのがなんとも不気味である。左右の木々ががさがさと音を立てるたび,ルシカは身をこわばらせた。なんとか気を紛らわせようと,父の描いた物語を思い出そうとする。一番最初に浮かんだのは『狼の夜の話』だった。森を歩く旅人を狼があの手この手を使って襲おうとする話だ。特に,人間の姿に化けた狼が最後に旅人に襲いかかろうとする場面は思い出すだけで恐ろしい。

(・・・って,ますます怖くなっちゃった)

 ルシカはさっさと道を抜けてしまいたいと走り出す。

 そんなルシカの姿を森の中から見つめる者達がいた。

「あんなガキが一人でこんなとこ通るなんてめずらしいな」

 頬骨がとがった男が,隣にいる大柄な男に言う。

「ああ。金を多く持っているようには見えないが,ガキを売ればけっこうなもうけになるだろう」

「んじゃ,今日の獲物はあれで決まりだな」

 さらに隣に並ぶ小柄な男が邪悪な笑みを見せ,二人もうなずく。三人は森の中を音も立てずに歩き出した。


                 *


 どれくらいの時間が経っただろう。

 もう壁を叩くことも声を出すこともできず,少年は真っ暗な空間に横たわっていた。空腹のあまり,時々忍び込んでくる虫や蛙を食べて生きながらえていた。

 何も考えられなかった。狭い空間は少年の嘔吐物や排泄物の臭いで充満していた。それでも,それが不快だとも思わなかった。

 どれくらい時間が経っただろう。

 突然,目もくらむような光が飛び込んできた。

 そして,その光の中に一人の男が立っていた。

 あまりのまぶしさに目を覆っている少年に,男は冷めた声音でつぶやく。

「生き残りか」

 身動き一つできない少年に,男はすたすたと近づき,漂う悪臭にも表情を全く動かさず汚物にまみれた少年を何のためらいもなく抱え上げた。

「このままではあんまりだな」

 男はつぶやき歩き出す。少年はされるがままになりながら,流れるような黒い髪がとても綺麗だと思った。

 少年は森を流れる小川に連れてこられた。汚れた服を脱ぎ裸になると,男は水際にしゃがんで丁寧に少年の身体を洗ってくれた。洗っている間,男は淡々と説明する。

「スーロ村は滅びた。あのあたりに一時期,クガという虫が大発生したんだ。肉眼では見えない本当に小さな虫だ。そいつのせいで作物が枯れ,獣たちも寄りつかなくなった。クガはやがて人間にも影響を及ぼし,村人は皆死んだ」

 少年はぼんやりした頭でそれを聞いていた。

「お前がどんな目にあっていたかは想像がつく。せいぜい災いの子と扱われ,生け贄にされたのだろう。だが,結果的に閉じ込められていたお前だけが助かったのだ」

 うつろな瞳でそれを聞いている少年の顔を一瞥して男は続けた。

「その髪と瞳は,おそらくゴッダという病気の後遺症だろう。とても希な病気だがな」

 男は首に巻いていた美しい布で惜しげもなく少年の身体を拭き,上着を脱いで少年に着せる。丈の長い上着はすっぽりと少年の身体を包んだ。

「クガもゴッダも隣国で証明されたものだ。・・・無知とは恐ろしいな。何も知らず下らぬ迷信にすがるから,このようなことが起きるのだ」

 男は吐き捨て,立ち上がった。

「別に,お前は何も悪くない」

 特に情がこもっているわけでもなく,ただ事実を述べただけの声音に,少年は心をずっと覆っていた膜が急に弾けたように感じた。少年のうつろな瞳から涙が一粒流れだし,次から次へと流れていく。静かに泣き続けている彼に,男は表情ひとつ動かさず訊いた。

「お前,名はなんという?」

 少年は涙を拭ってゆっくり顔をあげた。

「・・・リャオ」

 自分の声を久しぶりに聞いた気がした。

「リャオ・バッサム」

 男はうなずいた。

「私はラウガ・ローバルト。――ともに来るか?リャオ」

 当たり前のように差し出された手を,リャオはためらいながらも強く握った。


                 *


 走り疲れ,早歩きになっていたルシカは首筋がざわつき,ばっと振り返った。大柄な人影が瞳にうつった瞬間,強い力で羽交い締めにされ,足が宙に浮いた。

「うわっ!」

 ルシカがわけもわからず身をよじると,

「うるせえ!」

と,目の前に小柄な男が現れ,白い布でルシカの口をふさいだ。とたん,急に瞼が重くなってくる。

(こいつらが,道落とし・・・!?)

 うすれゆく意識の中,ルシカはぞっとして,本能のままに男を足で蹴り飛ばした。男はふんぞり返る。

「なにすんだこのガキッ!!」

「・・・さっさとしろ,グリフ」

 後ろ・・・おそらく自分を押さえつけている男が冷静な声で言った。倒れた男が「わかってんよ」と立ち上がる。今度は足に注意を払われているため,足をばたつかせてもかわされてしまう。

(どうしよう・・・!)

 ルシカはぎゅっと目を閉じた。




 リャオはチャレ道を馬で駆けていた。

 ルトがこの道を通ろうとしていたので,奴の家はこの向こうだと確信している。

 一日中馬を走らせながら,リャオは昔のことを思い出していた。

 あの場所から連れ出した後も,ラウガはリャオの面倒を見てくれた。勉学,武術,多くの生きる術を与えてくれたのだ。

 自分を助け出してくれた・・・あの時の眩しい光とぬくもり,美しい髪,水のつめたさを自分は絶対に忘れない。

 自分は一度死んだ。この命はラウガによって与えられたものなのだ。

 自分は,彼のために生きる。


 だだっ広い道を進んでいくと,薄暗い道に人影が見え,リャオは思考を切り替えた。しだいにその姿がはっきりと見えてくる。一人の少年が大男に羽交い締めにされ,もう一人に口をふさがれていた。その少年の顔を見て,リャオは顔をこわばらせる。

「あれは・・・」

 一目見た瞬間で,その少年がルトの子どもだとわかった。雰囲気,存在があまりにも父親と似ているのだ。リャオは馬の速度を落とし,懐から短剣を取り出す。

(見つけた,もう一人のトレラ・アーレベルク・・・!)

 馬の存在に男達が気づいた。それと同時にリャオは馬を蹴るようにして宙を舞い,小柄な男の背中に斬りかかった。

(お前達は邪魔だ!)

 男はうめきながら倒れ,リャオはすぐにもう一人の大男に意識を向ける。大男は呆然としている少年を乱暴に放り,腰から剣を抜いた。

「やってくれるじゃねえか・・・」


 地面にたたきつけられたルシカはもうろうとする頭をおさえて起き上がった。男の一人が背中から血を流して倒れている。こんなに血まみれの人を見たのは初めてで,ルシカの膝はがくがくと震えた。大男と突然現れた少年はそれぞれ剣を持ち向き合っていた。少年がたんっと地を蹴り,二人は刃を交える。目にもとまらぬ速さだった。

(今なら逃げられる・・・!)

 だがルシカは動けなかった。この少年は今自分を助けようとしてくれているのだ。彼を置いて逃げることはできない。

(お,俺も何か・・・あの子を助けなくちゃ・・・)

 何か武器になるものがないか辺りを見まわすルシカの目に,森の奥に潜む人影がうつった。

「あっ・・・」

 気づいたときにはもう遅かった。



 リャオは圧倒的に優位に立っていた。男の体勢が崩れたのを見極め,心臓めがけて短剣を突き出す。

「うっ・・・」

 だが,次の瞬間にうめいたのは大男ではなくリャオの方だった。リャオの腕にどこからか投げつけられた短剣が突き刺さったのだ。ふりかえると,森の側に頬骨のとがった男がニヤリと笑みを浮かべて立っている。

(しまった!もう一人いたのか!)

 そう思う間に,リャオは大男に首をつかまれ,地面に頭から叩きつけられた。

「・・・出てくるのが遅いぞ,リュッサル」

 大男がその男に吐き捨てると,その場に動けずにいるルシカにすばやく近づき,剣の柄を振り上げる。

「っ・・・」

 頭に強い衝撃を感じたのを最後に,ルシカは気を失った。

「二匹も捕まったな。しかも馬つき。こっちのガキはずいぶんキレイな顔してんな」

「・・・さっさと馬の準備をするぞ。はやくいつもの場所に向かおう」

「はいよ。グリフはどうする?つか,死んでんのか?」

「どうでもいい。森の中に放っておけ。獣たちへの贈り物だ」

 リュッサルは肩をすくめて,血みどろのグリフを抱え上げる。

「まあ,弱い奴が悪いってな」

 やがて支度をととのえた二人は,大男――ヘムラの馬にルシカを,リュッサルの馬にリャオを乗せて薄暗い道を街の方へ走り出した。

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