~決意~

朗読劇が終わり数週間、全員があの時感じた「力の差」を何とかする為にも頑張っていました。仕事をゲットした水堂と桜丸と論鰤、やはりこの三人は上手い。微差と言えど差は差です。その差をひっくり返す為に研磨を重ねる我々&恋人が欲しくてたまらない人間達。おいおい、まだ恋愛とか言ってるのかよ。しかし、しょうがないじゃないですか。人は一人では生きられないですし、それなりに可愛い子達が同じクラスで同じ目標の為に頑張っているのです。惹かれていきますよ。それに朗読劇と言う小さな目標を通り過ぎた仲です。燃え上がりますよ。表現者と言うのは同じ舞台や作品に出た人間と近づきます。人間性の根源を晒しあう事で一気に距離が近づいたりするのでしょうか。


「ごっちゃん!俺…雛子ちゃんに告白するわ!!決めた!!」


「ヒェッ!蛸村さん、それはマジですか?」


「俺…朗読劇で一緒に…頑張った時…気が付いたんだよ…やっぱり…雛子ちゃんの事めっちゃ好きだ!って!!笹やんも応援してくれる!?」


「え!?あ…いや…応援は…するけどさ…うーん、どうなのかなー」


「俺、一緒に川行った時に確信したんや!俺…雛子ちゃん…好きやわ!!」


うわあ、どうしよう。鈍感力と言う言葉がありますが、恋愛的鈍感力を発揮した蛸村は私と雛子がそこそこ良い感じになっている事に気がついていないのです。そして、あんまりに気の毒&見た目がヤンキーぽいと言うのがあり、誰も蛸村にその事を伝えられないのです。では…伝えられるのは…俺なのか?うわあ、きっつぅ。って言うか見たら分かるやんけ。俺、雛子と何となく一緒にいるし、一緒に帰ったりしてるやんけ。気が付いてくれよ。


「が、頑張って…!」


私は逃げてしまいました。何とか成るだろう。それよりも今は練習が大切なのだ。プロに立ち向かう為の能力を得る為に練習をしていますが、それ以前にこの学校の中で上手くならない事にはどうしようも無いです。何となく集まって練習をするグループと言うのがこの頃には出てくるのですが、私はポム巻、光本、雛子。で集まって皆で意見交換をしたりして練習していました。


「うーん…どうも上手くなっている気がしない。何が分からんのかが分からん」


「それは全員がそうだろうね。後藤君は動いたり、セリフ的なのは上手いと思うけど、ナレーションとかダメだよね」


「そうなのですよ。逆にポム巻さんはナレーション上手いですな。しかしここから上手くなるには…どうすれば…」


「皆でやるにも…限界があるよね…!でも…頑張らないと!!」


光本がそう言うと、その頭にまたデカい胸が置かれました。


「さっきから練習を何となく聞いてたんだけどさ~!その練習効果的じゃ無いわね~!」


「なんだよ。こっちは真剣にやってるんだから邪魔するなよ。失礼だね君は」


「いや…そうかもしれない…水堂さん、水堂さんはどうやって練習してる?」


「う~ん!難しいわね~!なんて言うか…あんたらはただ練習してるって感じなのよね~。「どこを直す」とか「台本の意味」とか、そう言う細かい部分無視してない?難しいって言ってるけど、台本にほとんどの事が書いてあるからそれを見たら誰だって出来るわよ~」


「水堂さーん!離してよ~!はずかしいよ~!」


その場を離れた水堂は自分のカバンから教材を取り出して戻ってきました。


「後藤、ちょっと同じページ開いて」


先日レッスンでやったナレーションです。私の台本には「語頭強く」「、で切らない」「一間置く」「楽しそうに」と言う風に書いています。しかし水堂の台本には「この言葉がここに掛かっている」「聴く人はどうイメージするのか?」「商品名の言い方パターン」などと全く違う事、どこが違うと言えば「明確に聴く人の事を考えている注意書き」がしていました。逆に私は「自分が喋る時の注意書き」を沢山書いていたのです。


「私、思うんだけど…台本って自分が喋る為じゃなくて、「聞き手に聞いて欲しい文章」が書いてあると思うんだよね~。だから聞き手がどう聞きたいかを考えて練習する方が良いんじゃ無いかな~?」


私達に欠けていた視点でした。私達は練習する時「どう喋るか?」「間をどうしたら気持ち良く喋られるか?」等、自分の事ばかり考えていました。しかし、出来る人間はマイクの向こう側の事を考えていたのです。凄く単純な事ですが、非常にショックを受けました。そして「実力だけで無く、考え方にも差が生まれている」と言う事に一段とショックを受けました。水堂はその才能が産み出し、専門学校から得た知識を惜しげもなく教えてくれました。彼女からしたら小さいこともしれないですが、このように教えてくれたのは初めての事でした。彼女もあの劇以降何か変わったのでしょうか。


「水堂、ありがとう。感謝する」


「良いわよ~!後藤は友達だし何でも教えてあげるし気軽に聞いてね~!」


抱き付きに来た水堂をとりあえず受け止めた時、水堂の肩ごしに氷のように冷たい雛子の視線と、右からポム巻さんの強いオーラを感じました。おいおい、流れじゃねえか。これは流れじゃねえか。勘弁してくれ。

その日の自主練習も終わり、私は何となく雛子を駅にまで送っていました。


「後藤君、水堂さんと仲良いね」


「気にしてるの?」


「そんなんじゃないけど…ちょっと…」


頬を膨らませる雛子を見てちょっとドキドキしてしまいました。しかし、教室でそう言う恋愛の事を出すのは良くはないです。少し雛子に注意をしました。「そうだよね」と呟き、その後は無言で駅まで歩いていました。普段から口数が多い子ではないですが、延々と黙られると少し困ってしまいます。信号を渡ると駅と言うところまで進んだとき、雛子が口を開きました。


「後藤君、ちょっと河川敷の方行こうよ」


と不意に誘われ、断る理由も無いので一緒に夜の河川敷に向かい、ベンチに腰を下ろしました。


「最近さ、蛸村君から凄いたくさんメール来るの」


「どんな?」


「何だか…可愛いとか…好きやわー!とか…」


「そっか。朗読の時とかどうだったの?同じ班だったじゃない」


「あの時も…凄く雛子に優しくしてくれたけど…やっぱり…うーん…」


「思った通りにすべきだよ。それが一番だと思う。ちゃんと言うべき事は言う方が良いよ」


「そっか…そうだよね…言わないとダメな事…ちゃんと言わないとね…」


「そうだよ。絶対その方が良い。今まで言えないことを言えずに来たのなら絶対にその方が良い。どんな結果になったとしても、その先に起きる事は信じられる事なんだからさ」


「そうだね…よし!決めた!…雛子言うよ!」


雛子が不意にこちらを向きました。表情は読み取れませんが強い意思を感じる目です。


「雛子ね。後藤君の事が大好きだよ」


「ふぇ!?今!?」


完全にパニックを起こしました。多分近い内にこう言う風になる事はわかって居ましたが、私はどこかで逃げていたのです。恋人がいながら声優の稽古に励むなど出来る訳が無いと。そして、今は蛸村を断る話しじゃなかったの!?と思っていたのです。そして蛸村の事を考えていた私は脳内交通事故を起こし、飴色のスパークリングワインが脳内を駆け巡るような思いに包まれていました。


「うん。雛子ね、後藤君といると凄く楽しいしドキドキするんだ。雛子に無い物を全部持ってるって思うの」


「え!?あ、はい。えー、あー、まあ、うん。そうね。嬉しいです。」


どうしよう。友達の蛸村が大好きで告白する!と聞いたばかりです。応援するとも言ってしまいました。こりゃマジでどうしよう。蛸村…いや、俺は恋愛よりも友情を、友情を大切にすべきだ。それが男って奴ですよ。蛸村さん。恋愛は勇気ある人間の力です。あなたの勇気を尊重しますよ。話しはそれからだ。よし、俺も言うぞ。


「あ…俺も…あの…好きです…」


あら?違いますね?あれ?言っちゃったよ。


「本当?嬉しい…雛子本当に嬉しい…」


ああー!もう、どうにでもなってくれ!脳のメモリが足りない!!ブラウザが落ちそうだ!!


「雛子本当に嬉しい、雛子もね、変わらないとダメだって思ったんだ。ずっと大人しくて、何も言わないのはダメだと思ったんだ。そう思わせてくれたのは後藤君だよ。本当にありがとうね」


何も無く、ただ必死に毎日を生きているだけの私が人にそう思ってもらえるとは。好きになってもらえるような人間ではない。しかし、そんな私を雛子は良いと言う。変化が。変化が起きている。そうだ、誰もが変化を求めている。皆、今までの人生を振り返り「このままじゃダメだと」思っている。俺もそう思わねばならない。流されて、結果として従う毎日に決別をしないといけない。最初は本当に地味としか言いようが無い格好だった雛子も、友達と服を買いに行ったりして凄くお洒落になりました。自分に自信が付いてきたのか、顔つきも変わってきて別のクラスの人も雛子が可愛いと言う話をしているのを聞く程になっていました。俺も変わろう。もっと自主的に。もっと、俺がやるべき表現をやらなければ成らない。俺はこの学校で一番上手くなってやる。俺は変わろう。雛子は俺のお陰と言ってくれているから俺は雛子のお陰で変わる事ができそうだ。

その後は言葉も無く手を繋ぎ駅に戻りました。言葉が無くともお互いの手を通して何かを伝えあえている。そんな気がしました。


「後藤君、ありがとうね」


身長の低い雛子は精一杯背伸びをして私の唇に唇を合わせ、照れを隠すタメなのか、くしゃくしゃの笑顔をこちらに向けてから改札を通りました。

やるしかない。やるしかないぞ。もう全部やるんだ。逃げるな。

翌日もレッスンがありました。水堂に教えてもらった通り「聞く人の事を考える」方式で発表をしたら講師にも「やっと後藤も一人だけでやっている所から脱却できたな。ここからだぞ」と言って貰えました。確かな感触を胸にその日のレッスンは終わり、自主稽古に入りました。


「水堂、ありがとうな。言う通りにやったら出来た」


「ね~!良かったからびっくりした!でも何だか後藤、昨日と雰囲気違うわね~!何かあったの?」


「実は…昨日雛子に告白されて付き合う事になった」


「あら!って言うかまだ付き合ってなかったの?なんにしてもおめでと~!雛子ちゃんと一緒に居なくて良いの~?」


「いや、やっぱりここにいる目的は声優に成る事だからさ。だから学校では無禄と雑魚美みたいになりたくないんだよね」


「あれ~?そう言えば雛子ちゃん居ないわね~?どうしたのかしら?」


そう言えば教室に居ません。普段は桜丸やポム巻と一緒に練習などをしている雛子です。コンビニにでも行ったのか?おや?蛸村も居ない。これは、これは嫌な予感がしますよ。私、ピーンと来てしまいました。


「戦争が起きる」


水堂は「はあ?」と言う表情をしているだけですが、私はその場を離れました。これは何か予感がする。何となく教室に居辛くなり、教室を出ました。すると光本が私を捕まえました。


「大変だよ!!資材置き場で…蛸村さんが…蛸村さんが…ちょっと引くレベルで泣いてる!!」


「うわあ、雛子に告白して失敗したの?」


「そうみたい…蛸村さん良い人なのに…可哀想だよ…どうしてなんだろう…」


「昨日さ…雛子に告白されて…俺、付き合う事になったんだよね」


「うわー!地獄だ!完全に地獄じゃないかー!!と言うか、二人の距離感見たら付き合ってるとかじゃなくて…分かる物だと思っていたけど…」


「俺が悪い。わかっていながら放置した。また逃げてしまったのだ。責任を取らねば」


とりあえず私は資材置き場に向かいました。ドアを挟んでいても蛸村の号泣が聞こえる。マジでどうしよう。言えねえ。こりゃ言えねえよ。逃げないよ。それはさっき決めた。でも状況ってのがある。おいおいおい。マジどうすりゃ良いんだよ。


「あ!ごっちゃん…俺…俺…ううううううう!!!」


「蛸村さん!頑張った。蛸村さんは良く頑張った。」


「雛子ちゃん…ごめんなさい…って言って…ううううう!!!!」


「分かった。落ち着こう。その気持ちをバネに練習をしよう。こう言う時が一番伸びるよ」


どうしよう。ポム巻と笹本も慰めては居たみたいですが、この状態みたいです。男泣きする蛸村を見て、ポム巻に火が付いたみたいです。


「僕も…水堂さんに告白するよ!」


うわあ、嫌な予感しかしない。適当にお茶を濁して資材置き場から出ました。そこには光本が居ました。


「どうだった…?」


「また逃げてしまった…そして…ポム巻さんに…火が付いてしまった…水堂に告白するってさ」


「ええええええええええええええええええ!?」


「なんだその驚きようは。別に良いんじゃ無い?ポム巻さんは大人だし、水堂も大人っぽいし」


「僕…水堂さんと付き合ってるんだよね………」


「ええええええええええええええええええ!?」


「少し前からなんだけど…「あんた可愛いわね~!付き合いましょ!」って言われて…言われるがままに…付き合っちゃって…」


「お互いに大変ですな。何も知らない、見なかったフリをして進みましょう。逃げるのも策略のひとつです。たこ焼きでも食べにいこう。そのあとに今日のレッスンの復習でもしよう」


「そうだよね…とりあえず…頑張らないとね…」


とりあえず頑張らないと。何の為にここに来たのかがわからなくなる。誰しもが不安です。その不安を恋愛で解消したり、毎日の練習で解消するのです。次の日、ポム巻は水堂に告白して見事に玉砕しましたが、まあそれはそれです。


数日後。また無駄にクラスに混沌が生じています。普通の日もあるんですよ。でも、混沌とデストロイが妙に続くのです。その日は豚骨が無禄に突っかかっていました。いつもの事ですが何か様子が違います。


「無禄!お前の芝居は一本調子!だよ!!もっと!!!広がりを持たせ!!ないと!!!!」


「豚骨はいつもそう言うけど、お前はどうなんだよ!」


「俺はちゃんと自分の芝居考えてるわ!お前みたいな声優のモノマネちがうぞ!」


「てめえ豚肉。チャーシューにしてやる!」


「やめてよ~!みんな仲良くしてよ~!」


皆、秋も深まって来る時期には「実力」に非常に敏感になってきます。先天的に滑舌等が苦手な人間はそこを注意され続け、目の前でそれらをクリアした人間が別次元のダメ出しを受けているのを目の当たりにするのです。そうなると、教室内に新たなカーストが生まれ始めてきます。


「上手い人間」「個性的な人間」「下手な人間」


それぞれが火花を散らし、上手い人間から何を盗もうか?個性的な人間から何を盗むのか?下手だったらどうするのか?などの思惑がありながら学生生活を過ごしていきます。

上手さが欲しい。やはり上手くないとダメだ。男の中だったら論鰤が抜きん出て上手くなった。無禄も役の幅は無いが上手い。何度か在校生に仕事をさせると言う事がありましたが選ばれるのは水堂、桜丸、論鰤、無禄、雑魚美が多かったです。そうなってくると私が属する個性的な人間は上手い人間に憧れを超えた感情を持つ事になります。「妬み」です。真っ直ぐに伸びようとする心にブレーキを掛ける感情、それが妬みです。悔しさから悪い方向に成長してしまったこの気持ちを持ってしまうと人にアドバイスを貰っても上手く聞く事ができなくなります。


「後藤は、勢いがあるんだから、それを活かせば良いんじゃ無い?」


無禄にそう言われても、その場では肯定しますが、聞く耳を持てません。「同じ立場の生徒に何で言われなきゃならんのだ」と思ってしまうのです。数ヶ月前までは皆で意見を出し合って成長していました。悔しさをバネに成長をしようと考えていました。しかし、誰もが自分の気持ちや自分の演じ方を持ち、その方法を信じ始める時期です。今まで通り素直に聞く事が出来ません。人に言われる事を素直に聞く光本や笹本はどんどん伸びていきます。

周りが成長して行く中、私は取り残されたような気持ちになっていました。


「俺はこんなにもやっているのにどうしてなんだ?」


その気持ちが芽生え、足掻き、苦しみます。しかしそこには答えが無いのです。どうすれば上手くなるのか?この苦しみはプロになった後もずっとずっと続きます。表現と言う世界に身を置いてしまうと、この気持ちが常に心を急き立ててきます。一年すぎると後輩が生まれる。一年すぎると倍以上の人数の敵が生まれる。そして声優専門学校はここだけでは無いです。色んな専門学校から卒業生が生まれ、卒業前には事務所オーディションに向かうのです。


「俺はこのままで声優になれるのか?」


その気持ちが足枷のようにまとわりつきます。不安を最初から感じないか、不安をどうにかして叩き潰すのか。どちらかを選択出来無いと終わってしまいます。終わるかよ。何とかする。何とかするんだ。一人でひたすらに練習をしていると、弱腰に声を掛けられました。


「後藤君…ちょっと良いかな…話があるんだ…」


「ちょっと練習で忙しい。何とか上手くなる為にには時間が無い。今度で良いか?」


「そっか…ごめんね…」


少し寂しそうな弱腰の顔を見ると罪悪感が湧いてきました。しかし、自分の事で精一杯だったのです。周りの事を考えられなくなっていました。雛子とは付き合ってはいるものの週末に多少買い物に行ったりする程度です。学内でも寄ってきますが私は自分の中の不安を叩き潰すための武器をひたすら開発していました。その度に雛子の寂しそうな目が突き刺さりました。


数日後の金曜日、レッスン終了後のホームルーム。明日は雛子と神戸まで買い行く約束でした。たまには優しくしないと…と思い、雛子とどこに行こうかと話していると担任が入ってきました。


「揃ってるか!?今日は…皆にお知らせがある。お前たちのクラスメイト、弱腰ヘボ正だが、今日で学校を辞めた。皆にありがとうと伝えてくれとの事だ。以上。」


え?辞める?弱腰が?冗談だろ?あいつは朗読劇でもかなり目立ち、優秀だった人間の内の一人に選ばれたはずだ。それがどうして?あれ?弱腰が居ない。そう言えば…今日は欠席していたな…


「どうしてですか!?!?」


光本が立ち上がり聞いた。


「人には事情があるんだ。気になるなら自分で聞け。学校としても引き止めはした。だが、弱腰が決めた事だ。決めたのなら学校としても受け入れる。それだけだ。」


全員何も話す事が出来ません。ポム巻は唇を噛み締め黙っています。雑魚美は周りに「嘘だ~?嘘…だよね?」と聞いています。


そう言う周りの動きが逆にリアルを教えてくれます。ああ、弱腰が辞めた。学校を辞めた。先日弱腰が私に話しに来たのはこの事だったのか?あの時、私が弱腰の話しを聞いていたらこんな事にはならなかったのでは無いか?弱腰は私を友達として見てくれていた。その友達の弱腰を、私は見捨ててしまった。まさかこんな事が、まさか辞めるとは。人ははじめるまでに時間を掛けて、辞める時は一瞬で辞める。数日前までそこにいたのに。数週間前には一緒に昼飯を食ったのに。数ヵ月前は一緒に舞台に立ったのに。


「大丈夫?」


雛子が声をかけてきました。私は顔が真っ白になっていて震えていたそうです。


「大丈夫。大丈夫だ」


そう答えはしましたが全く大丈夫では無いです。うおお、どうしよう。どうしたら良いのか?弱腰、お前は俺には伝えてくれようとしていたのか?それとも何か違う事を言いたかったのか?

考えた所で答えは出ません。そして次の日、雛子と一緒に出かけました。海を見たり、近くの遊園地に行ったり、買い物を楽しんだりしましたが心がそこに無いような…私は気が付くと弱腰の事を考えていました。


「どうしたの?疲れてるの?」


「いや、何でも無い」


「後藤君、雛子には正直に言って」


私の目を見ながら雛子がそう言いました。言うつもりは無かったのですが、妙に意思が見える目で見つめられ、私は弱腰が話しかけてきた事、そして色々と考えてしまっている事を伝えました。


「そっか…それは…気にしちゃうね…」


「そうなんだ。雛子と一緒にいる事は楽しいのだけど…不意に考えてしまうんだ」


「……電話してみたら?」


「え?」


「気になるなら…絶対に本人に聞いたほうが良いよ」


私は弱腰に電話をかけようとしました。しかし、発信ボタンが中々押せません。しかし、このままではこのままです。だから「その後」に状況を変えないといけない。このままでは何も状況は動かない。良くなるにしても悪くなるにしても行動ひとつで答えは出る。話すしかない。数度の呼び出し音の後に弱腰が出ました。


「もしもし、後藤君?」


「後藤です。いや、昨日心臓男先生から聞いて…びっくりしてさ…」


「ああ…ごめんね…何も言わずに…」


「弱腰、少し会えないか?」


「良いけど…ちょっと仕事でさ。親が飯屋やってて、それ手伝っててさ…西宮北口なんだけど…」


「雛子もいるけど良い?ちょっと話したいからさ」


「そうなんだ、良いよ。じゃあうちの店で話そうか」


弱腰に指定された場所に行きました。そこには「山海料理・弱腰」という店がありました。普通の店を想像していたのですがそこそこ大きな店、いわゆる料亭でした。


「すげえ、でけえ。緊張するな」


「雛子もびっくりした。凄いね」


もう一度電話を掛けると、白い調理服を来た弱腰が出迎えてくれました。その顔は弱気な感じでは無く、ニコニコしていました。


「さっき夜の仕込みが終わった所なんだ。でもびっくりしたよ…急に電話かかってきたから」


「俺達もびっくりしたよ。こんな料亭の倅だったのか」


「ああ…うん。自分で言うのも恥ずかしいけど、結構有名で議員さんとかも使ってくれるんだよ。あ、ちょっと待ってて」


案内された個室から出た弱腰はツミレと野菜を煮た物と、料理番組でしか見た事がないような丸い揚げ物に綺麗なソースが掛かった高そうな物を持ってきました。


「僕が賄いで作ったんだ。食べてみてよ」


私と雛子は言われるがままに食べました。うおおおお、なんじゃこれ!高そうな味がする!!!!!くっそうめえ。うめえ。凄い。柏手を打ちたくなるうまさ。


「うわ、うますぎる。衝撃を受けた」


「おいしい!弱腰君が作ったの!?」


「友達にそう言って貰えるのは嬉しいな。…………二人は…どうして僕が学校を辞めたのか…聞きに来たんでしょ?」


いきなり本題に入った事で私と雛子は少しびっくりしました。しかし、それを聞きに来たのです。聞くしかない。


「そうなんだ。ちょっと…びっくりしてさ。良かったら教えてくれる?」


「うん…何て言うか…簡単に言えば、納得出来たんだよね」


「納得?」


「僕…小さい頃から声優になりたくてさ…でも父親は僕を調理師にしたいって思っていて…それも嫌じゃなかったんだけど…やっぱりやりたい事をやって決めたいと思っていたんだ。それで…通って半年と少しだけど…自分の中で答えが出て納得出来たんだよね。「僕は声優になれない」って思ってさ」


「そんな…弱腰君…朗読劇の時から凄い良くなってきてたよ?」


「僕は…声優になるって言うよりも「もう一回きちんと青春時代を送りたかった」って言う気持ちで通っていた事に気が付いたんだ。昔からいじめられていて、それで…僕が思っている青春時代を送ることができなくて…「このままやりたい事も、経験したい事も出来ずに父の後を継いで調理師になるのかな?」って思っていたんだ…だからこそ、挑戦をして、今までやりたかった事を全部やろうとしていたんだ」


「それで…できたのか?」


「そうだね、後藤君と雛子ちゃん達と一緒に川に行ったり…それで…学内発表でも舞台に立てて…まさかそこで優秀賞みたいなの貰えるとは思ってなかったしね。その時に思ったんだよ。「やりたい事はできた」ってさ。そう思ったら…急に昔から手伝っていた店の事がやりたくなってね。こんな前向きな気持ちで…できるとは思わなかったよ。これも後藤君とか雛子ちゃんと一緒に勉強出来たからだと思う。本当に感謝してる」


全員が黙りました。しかし、その沈黙は嫌な物では無く、全員が全員の心を理解する為の沈黙でした。


「そうか。いや、俺こそありがとう。何て言うか…立派だよな。きちんと自分で決めて、自分で動いてやるべき事を見つけるなんて」


「そんな事無いよ。僕からしたら…声優になる!って気持ちで真っ直ぐに進める皆が凄いと思う。僕は結局…声優になるって言うよりも、自分の中の願望を解消するために通っている事がわかって…逆に皆に申し訳ないよ。それに皆上手いよ。本当に上手い。僕がどれだけ頑張ってもああは成れないと思う。後藤君も雛子ちゃんも…本当に上手だよね」


「そんな事ないよ。俺は…今も…中々…」


「多分後藤君は…考えすぎだと思うな…後藤君の勢いは…本当に凄いよ。レッスンの発表の時でも…後藤君の後とか、皆が影響されてちょっと派手にやったりしてるしさ」


「そうなの?」


「そうだよ。雛子もそう感じてた」


「僕は…多分、天職は料理なんだと思うんだよね。自慢じゃないけど中学校の時から父親の手伝いをしていて…結構ちゃんと作れているでしょ?でも…後藤君は…声優とか…そう言うのじゃなくても…前に出る仕事が天職の人だと思う」


「そうか…そうか…うん、そうだな。なんか…ありがとうな」


弱腰は全く弱くありませんでした。自分自身を冷静に分析し、そして最適な答えを出している人間でした。そんな分析能力がある弱腰がそう言ってくれた。何にも勝る言葉をかけてくれました。


「後藤君、雛子ちゃん…恥ずかしいけど…僕はやっぱり声優になりたい気持ちはある…でも成れないと言う現実もあるんだ。僕じゃ無理だ。だから…僕の夢を叶えてくれないかな」


「僕の夢?」


「僕…声優と仲良くしたり、友達になりたいって思っていたんだよね。だから…成ってよ。声優に」


「弱腰よ」


「何?」


「まかせろ。自慢させてやる」


「雛子も頑張るよ」


「ありがとう。何だか凄く楽になったよ…やっぱり何も言わずに辞めたから…ちょっと引っかかってさ。本当に今日は来てくれてありがとう。また普通に遊ぼうよ」


「こちらこそ。見えた。俺は未来が見えた。この店将来使わせてくれよ。その時は安くしろよ」


「良いよ!でも、うちはコースが20000円とかだよ。安くしても…結構高いよ」


「たっか!ぼったくりやんけ!!!まあ良いや、それだけ稼げば問題ない。期待して待ってろ」


お店を出る時、板場が見えました。弱腰と顔が良く似たナイスミドルが何かの仕込みをしています。チラっとこっちを見て


「お、ヘボ正の友達か。珍しいな。兄ちゃん姉ちゃん、これもって帰んな。またいつでも遊びに来なさい」


三人で店を出ました。来る時は多少曇っていたのですが、初冬の爽やかな空が広がっています。


「じゃあ今日はありがとう。本当に嬉しかったよ。みんなにもよろしく言っといてね!」


笑顔で話す弱腰を見て、私も笑顔になりました。そうだ、俺たちは数多の屍の上に、夢の残骸の上に立っている。志半ばで倒れ、弱腰のように別の生き方を見つけた人間の上を思い切り歩いていく。足元では骸が音を立てて砕けていく音が聞こえる。やれるのは幸せな事だ。続けられるのは幸せな事だ。俺達には責任がある。夢を諦めた人間達を幸せにするのは、仲間の俺達が叶えたら良いんだ。進める。俺は進めるぞ。ありがとうな、弱腰。

お土産に貰った魚の煮物を持ったまま雛子とデートを続けるのはどうしたら良いのか?とりあえず100均で皿と箸を買って公園で食べよう。少し歩いて振り返ると弱腰が手を振っていました。二人で手を振り返す事で、心の中の負債が空に溶けていったのを感じました。

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