~思惑~

雑魚美との戦いの傷を癒すためにも、川では思い切りはしゃがないとダメだ。

そうだ、俺は夏しちゃってるBOYとしてエンジョイをするのだ。ここからは朗読発表、そして年末の舞台制作まで一気に駆け抜けて行くのだ。だからこそここで遊んで、若干ハメを外して川に飛び込んだりする事で心の中に夏を宿し、寒く辛い冬でも進んでいく事が出来るようになるのです。憩いは大切です。青春時代に青春を感じられなかった復讐なのか、私は親ネットワークを使い大量の肉を仕入れ、川しちゃってるBOYとして現世に爆誕するしかないのだ。オッケーハッピーリバー。これがおれのファンタスティックリバーだ。ウイアーミスティックリバー。


私が乗り込んだ車には運転手笹本、助手席に桜丸、後部座席に雛子と私。そして蛸村が運転する車にはポム巻、水堂、弱腰が乗っていました。

あれ?弱腰?何故??と思ったのですが、ポム巻が個人的に誘ったとの事でした。良い奴ですねえポム巻。そして引っ込み事案の弱腰も来るなんて素晴らしい。これですよ。夏の川が私達を一つにするのです。川に飛び込み、カニを捕まえ、肉を焼く。魅惑のワンダーランドがそこにありました。


「今日凄く楽しみ~!イヌマちゃ…笹本君って車運転出来たんだ!いつも頼りないからびっくりした!」


桜丸の妙なハシャギっぷりと、笹本を名で呼びかけた事に対して少しびっくりしました。そうか、笹本は桜丸と…


「二人は付き合ってるの?」


「え!?あ…後藤!言ってなかったけど…そうだよ!!」


「別に言っても良いのに。でも学内で隠したいのは分かるな」


「そうよー!無禄君と雑魚美ちゃんの事もあるしねー!後藤君もうまく隠せてるよね!雛子ちゃんとの事!」


「ちょっと!みーちゃん!!」


ああ、周りの認識としてはそう言う感じだったのか。勿論雛子とは付き合っていません。そして桜丸の言葉を聞いた時、劣情と共に雑魚美が頭に浮かんでしまいました。いかんいかん。あれはただの間違いだ。間違いと言うか間違ってるのは雑魚美じゃないか。俺は正解しかチョイスしていないぞ。気に病むなよボーイ。誰ですかあなたは!?君は風に名を尋ねるのかい?うるせえ死ね。


「後藤君、怖い顔してるね。どうしたの?」


「いや…その…あれだ、実は車酔いが凄い人間なのです」


「そうなんだ。雛子もだよ。ウヴァゲロー」


「キャー!ビニール!ビニール袋!」


「これ親父の車なんだよ!?勘弁してくれー!!」


混沌としながらも我々は無事、川に着きました。関西の片田舎の川、中々に水が綺麗で人の気配も無い素晴らしいロケーションでした。


「ああ~!良い感じね~!!私、日本の川で遊ぶの初めてかも~!」


どこのセレブだよ言う格好の水堂もはしゃいでいます。そして弱腰が非常にテンション高く盛り上がっています。彼はこんな綺麗な笑顔も出来るのかと驚きました。

本当に一番成長したのは弱腰なのかもしれない。彼は多分この学校で…一番変わった…変化できた男なんだろうな。水堂も変化を求めて遊びに来たのかもしれません。そしてポム巻は水堂と、蛸村は雛子との関係を変化させる事を望んでいるのでしょう。多かれ少なかれ変化は大切です。そして必然です。そのキッカケの為に多くの行動を取る。それが青春ってやつですよ。変わろう!今を!!

なんて事を考えている内に女性人が水着に着替えて戻ってきました。凄い。凄いぞ水堂。外国人モデルみたいな凄い肉体で、ここが日本の川では無くフロリダやマイアミに居る気持ちにさせてくれる感じでした。桜丸はそれなりに可愛らしく、健康的な感じです。雛子は大きめのTシャツを着て全体的に隠している感じが逆に可愛らしく感じました。


「凄い」


「こりゃ凄いわ」


「かなわんなあ」


「感情的になっちゃうね」


「うわあ…ドキドキする…」


普段は地味なレッスン着と登下校の服装しか見ていなかったクラスメイトの水着姿に男子全員が心に強烈なパンチを感じ、そのまま前かがみになったりしました。体では無く心が反応した結果です。

そして男は揃いも揃って短パンのような水着で…って弱腰、それは高校の時の水着じゃないのか?ちょっと露出が高い。あとデケえ。ナニがとは言わないけどデケえ。これがお前の秘密兵器か。


「雛子ちゃん!カニ!カニ捕まえに行こうや!!」


蛸村が早速雛子を誘って少し離れた所に移動しました。ポム巻と水堂はパラソルの下で折りたたみ椅子を広げ、二人で談笑しています。


「よーし!後藤!桜丸!弱腰!川だ!川しようぜ!!」


我々四人は全力で川をしました。全員がアホな行為をして、弱腰が高い所から飛び込んで我々を驚かせたり、ここには本当にただただ今まで感じられなかった「青春」を感じられなかった人間達が貪欲今までを取り戻す為に遊ぶ姿がありました。

我々はやっと、やっと取り戻したのです。今まで恵まれなかった学生時代を送ってきました。心許せる友達も少なかったでしょう。しかし、だからこそ「変わろう」とする気持ちが強いのです。その気持ちを支えるのは「肯定」の精神です。皆が私達を肯定してくれる。そこにはもちろんぶつかり合いもあります。しかしそれすら「肯定」から生まれるぶつかり合いなのです。

本当に幸せな場所に来たな…あと一年半…もっと変化をしなければ。

そう思いながらも私は何となく雑魚美にメールをしたりしていました。私の心も何か変化してきました。それは良い方向では無いでしょうが、それすら肯定する事で進めると思っていたのでしょう。


「ごっちゃん!肉!肉、まだ生やで!ガハハハ!ガハ!ガッハッハハア!」


「男だもん!肉を食わないと死ぬ!弱腰!お前も食え!肉食ったら声優なれるぞ!」


「何でそうなるの!でも面白い!僕も食べる!ちゃんと焼けてるの!!」


「バーベキューって苦手なのよ~!虫とか入ってきそうで~!鶏肉は基本的に私に頂戴ね?」


「キャー!笹本君!獲ってきた蟹を焼かないでよ!」


「みーちゃん!タレ!タレがお皿からこぼれて水着にかかってるよ!」


「はい、水堂さん。鶏肉焼けたよ」


ただただ楽しい時間は早くすぎていき、そして帰りの時間がやってきました。いやあ、ハードな会だった。この場所にはいつも学校で感じている不安や焦りが無く、楽しいと思える時間だけがありました。来れなかった人間も居ますが、こう言うちょっとした事で全員が仲間として強固につながっていくのです。発表会、頑張れそうだ。やっていこう。

帰りの車の中、また後部座席に座っていると疲れてうとうとしている雛子がもたれ掛かって来ました。そして小声でこう言いました。


「雛子ね、蛸村君とはお付き合いしないよ」


そしてそのまま体を預けるように眠り始めました。

ああ、そうだ。この会、そう言う部分もあったのだ。蛸村は雛子に、ポム巻は水堂に。思惑が交差し、そしてそこで何かが生まれるのか?と念じた男たちが居る。

俺も、そろそろきちんと答えるべきなのか…そう考えながらルームミラーに目をやるとニヤニヤしている笹本と目が合いました。何となく私は雑魚美の写真を送りつけ「言うぞ」と記したメールを笹本に送りました。笹本は良い奴です。これだけの事でわかってくれる。そして不思議な事にワリカンだったこの会の金も出してくれたのです。本当に良い男です。友達で良かった。


数日後、新学期が始まりました。ついに朗読会が、ついに「人に見られる」舞台が迫ってきたのです。流石に全員緊張しています。私も緊張が大きくなってきました。「上手く出来るのか?」「肝心な所で噛んだらどうしよう」色んな不安が大きくなって包み込みます。

プロアマ問わず、本番直前と言うのはそう言う気持ちになってきます。だからこそ練習をする。ただただ練習をする。練習の効果として上手くなるのは多分数年後です。では何故今練習をするのか?勿論少しは効果が出ます。しかし、それが主題では無いのです。「練習によって今感じている不安を潰す」と言う行為の為にするのです。どれだけ上手い人間であっても、不安にまとわりつかれると絶対に失敗をします。そして能力が無い人間でも不安が無いとそれなりに良い物が仕上がります。

「本番に強い」と言う言葉は正確には「本番前に不安を潰すのが上手い」と言う意味だと思っています。

それは先天的な物なのか?それとも血を吐く思いをして手に入れるのか?答えは両方です。持ってる人もいる。そしてそれだけが無くて涙を流す人もいる。最初から持っている人間がさらに努力をしたらどうする?勝ち目が無いじゃないか!そうじゃない。自分を倒すんだ。この場合の敵は自分しかいない。もし誰か他の人が敵に見えたなら、それは君の弱い心が作り出した幻だ。


そして本番前日、担任が諸注意と明日の流れを説明していました。実際緊張するのはこう言う時です。第三者による説明を聞く時、その瞬間一番緊張が大きくなります。「まだ舞台を我々が独占していない」状態を強く感じ、そして今までの稽古を振り返る事で直前と言うのに不安がいくつも湧いてくるからです。弱腰は大丈夫だろうか。この空気の中、また酸欠寸前の鯉みたいに口をパクパクさせているのでは無いのか?そう思い隣を見ると、そこには凛とした顔の弱腰が淡々と諸注意をメモしていました。やるじゃないか。これなら安心だ。そして反対側を見ると死にそうな虫みたいに震えている論鰤が居ました。


「大丈夫か?」


「ああ…大丈夫に決まってるだろ…」


「震えてるよ」


「武者震いだよ」


「論鰤、お前の事は正直好きじゃ無いんだよね。でもさ、今まで一緒に練習してきて多くを学ばせてもらった。明日は好き勝手やろうぜ」


「おう…」


論鰤の体に熱が降りるのを確認した私はまた担任の話しに耳を傾けました。


「アホダマ共!!明日は!!東京からも見に来てくれる業界人も居る!もちろん二年生も全員お前達のを見るぞ!!怖いか!?!?!?!?」


「…………」


「ほう…中々に良い目をしているのが多いな??その通り!!海兵隊は恐れない!!良いか!!ここは学校だ!だから優劣は付ける!!それは絶対だ!!下手糞を将来事務所に放り込む訳にはいかんからな!!だがな!!上手い下手は…どうでも良い!!」


「??????」


「お前達はこの学校で数ヶ月やってきた。もう秋が近い。全員が大なり小なり乗り越えて来た事があるだろう。良いか?お前達は乗り越えられる力を既に持っている!!今までやってきた事を!!繰り返すだけだ!!生きてきた証を叩き込め!!後ろを見ろ!!舞台があるだろう!!あれは昨日二年生が、お前達の為に作ってくれた舞台だ!!幕が数枚かかっただけの簡単な舞台だ!!だがな!!………お前達があそこに立つ時、あの舞台は何処にでも行けるし何にでも成れる。お前達次第でな!!!!!健闘を祈る!!!!!!」


「!!!!!!!」


舞台は誰も立っていないとただの木と幕です。スタジオと言う物は数本のマイクとモニターとミキサーがある程度です。我々は実感しました。あれが俺たちの勝負の場だ。あそこは自由だ。何故なら俺たちが自由だからだ。やる。ただやる。やりぬくのだ。その為にここに来た。ぶちかますぞ。


本番当日、出番は昨日ジャンケンで決めました。我々が最初に出ます。二班しか無いとは言え、出順で緊張具合も変わってきます。人のを見るとやはり緊張も高まりますし、最初に出られるのは良かった。

何となく気持ちを高める為に舞台の幕の裏、と言っても教室の壁と幕の間でACDCのThunderstruckを聞きながら気合を高めていました。このような本番前の儀式は人それぞれです。私はバンドをやっていたから音楽の力に頼り、笹本も好きなhiphopを聞きながら柔軟体操等をし、水堂は幼い時からやっていた言うバレエの立ち方を鏡で見る事で集中し、桜丸はひたすら低音でハミングを繰り返し、論鰤は喫煙所でタバコを吸いながら無言で台本を確認、雑魚美と無禄は二人で寄り添って談笑する事で不安を消し、雛子は小さな声で台本を読みながら小さく動いて確認、豚骨は目を瞑り長い呼吸を繰り返す事で整え、蛸村は大声でブルーハーツを歌う。いつもは隅で震えている弱腰も今日は軽くジャンプして体をリラックスさせたり、苦手なナ行とラ行を何度も言う事で不安を消していきます。

全員が、生まれも考え方も育ってきた環境も違う全員が「良い作品を作る」と言う思いでここにいます。そして全員が不安を打ち壊したり、不安を共存する為の行動をしている。何と神聖な場所なのでしょう。全員が特に話したりもしないですが考えている事がそのまま頭の中に流れ込んでくるようにわかります。全員が「乗り越えよう」としているのです。

丁度曲が終わってイヤホンを取った時、背中を叩かれました。


「後藤君頑張ってるね」


「ああ、もうすぐ始まるしね。多分上手く行く」


「そっか。雛子、ちゃんと見るね」


「うん。俺も見るよ。お互い頑張ろうな」


私は雛子の横を通り過ぎる時、頭に手を置き冗談交じりでくしゃくしゃっとしました。後ろに居る雛子の顔はわからないですが、多分私と同じく気合が入った顔をしているのでしょう。


「これより、朗読劇「百万回手袋を買いに」が始まります。携帯電話、時計のアラームなど、音の出る物の電源はお切り下さい」


本番前のナレーションが流れました。舞台の裏、幕の後ろで全員が幕越しに舞台を見ています。もちろんそこには何も見えないです。しかし、それでも全員の目には舞台の先の客席が、物語の世界が広がっています。ただただその物語を「伝える」人に言うで伝える。読むんじゃない。伝える。やる事は一つ。ここまで良くやってきた。爆発的に本番が良くなる事なんて無い。やってきた事しか形に出来無い。だが、やってきた事は裏切らない。信じろ。信じろ。弱く矮小で情けなくて嘘つきで自分に自信が無くて嫌なことからは逃げてきて楽ばかりしてきた自分自身を信じろ。俺は今日この場に立っている。お釣りがくるほどイカしてる。


私は何となく全員を一箇所に集めました。


「今までさ、結構俺たちやってきたよね」


「そうね~!まあ上手く行くでしょうね~!」


「当たり前だろ?やって来た事をやれるだけやるんだよ」


「僕…頑張るから…迷惑かけないように…」


その時、論鰤が弱腰の肩を掴みました。


「おい…弱腰、お前そうじゃないだろうが。迷惑掛けるじゃない。楽しむか楽しまないかだ。気にするなよ。やりたいようにやれ」


最高潮に全員の気合が入っています。全員が儀式のように握手を交わしていきます。それは自分の不安を鎮める為なのか、それとも人の気合いを高める為なのか?それらは人それぞれだと思います。しかし、ただ一つ同じなのは「信じている」と言う事です。


明かりが落ちた。さあ、行くぞ。この一歩は俺以外の人間にとっては何の意味も無い一歩だ。だけど、誰かに作品の意味を作り出す為の一歩だ。恐れるな。歓喜で受け入れろ。


舞台に上がりました。真っ暗です。ただ薄くBGMが流れています。ここではどんな景色が見れるのだろうか。この先どんな景色が待っているのだろうか。私の物語はどのように進むだろうか。全部わからない。でもわからない方が楽しいな。不安な方が楽しいな。辛く苦しいから楽しいんだろう。やらなくても良い試練、受けなくても良い謗りを受けてここまで来た。だから楽しいんだろう。ライトを照らしてくれ。世界の始まる瞬間を見せてくれ。


世界に叩きつけろ。生まれてきた意味を亜音速で。明かりが舞台を包み込む。俺達は今日生まれた。


「僕は今まで何回も手袋を買いに行った…もう何回買いに行ったかわからないよ…」


水堂のパートが始まりました。物事と言うのは最初が肝心です。一気に舞台に観客を引き込ませる為に水堂が誘います。


「どうしたんだい?また手袋を買いに来たのかい?一体何回来るつもりだ!?」


論鰤がしっかりと受けて応えます。自分だけが喋るのではなく「受けて」「止める」それだけで良いのです。


「旦那あ!この汚ぇ猫はどっから来たんですかい!?邪魔でしょうがねえ!手袋?知らねえ知らねえ!ヨソに行ってくれ!!」


私のセリフでした。ただただ思った通り。上手くやろうとか、綺麗に発音しようとかはこの際置いておきました。これからもまだまだ舞台に立ったり収録などの機会があるでしょう。色んな事はその時に考えれば良い。今は、一度しかない「初舞台」をこの体に感じ、そしてこの肺臓、横隔膜、声帯、軟口蓋、硬口蓋、舌、歯、唇、顔、上半身、下半身、視線、思い。その全てを使って観客に放出するのです。舞台の上に居られる恍惚を。演じられる歓喜を。


「やーい!やーい!また手袋を買いにき……きき…きたのか!!」


弱腰が普段噛まない所で噛みました。全員がゾっとしたと思います。このまま崩れて行ったらどうしよう。しかし、しかし。しかし弱腰は


「お!おおおおお!おお!お前に!!売る…て、て!ててて…手袋は!な~いんだ~よ~!」


なんと弱腰は「そう言う話し方をするキャラ」としてセリフを続けました。観客席からはクスクスと笑い声が聞こえます。しかし、それは笑われているのでは無いのです。弱腰が自分の意思で「笑わせた」のです。やるじゃあねえか弱腰。やってくれたのか弱腰よ。


「お母さん…眠くなってきちゃったわ…手袋を…買いに行ってくれて…本当にありがとうね…良いの。また…手ぶらで戻ってきたのね…?良いのよ…」


桜丸が小さい体、幼い顔からは想像出来無い包容力がある声でお母さん役を演じます。すげえ。本当にすげえ。これが、これがやってきた人間の力か。


「お母さん!靴下じゃダメ!?お兄ちゃんと手袋買いに行ったけど…無かったよ!!でも靴下買ってきたよ!!」


光本がただただ力いっぱい喋ります。上手い下手で言えば多分下手です。しかし、その佇まい、声、そしてキラキラ光っている表情…その全てがキマっています。居るのです。こう言う人間が。何をしても完璧にキマる。神に愛された人間が。


25分ほど経ち、物語も佳境に入ってきました。最後は百万回手袋を買いに行った猫が疲れて動けなくなるシーンで終わります。締めるのは水堂です。


「手袋…百万回も買いに来ちゃったけど…買えなかった…でも…僕はもっともっと大切な物…手に入れたのかも…しれないね…」


キマった。照明が消え、そして音楽がフェードアウトしていきます。そしてまた音楽が流れ照明が付きました。私達は舞台に整列をして一礼します。拍手が聞こえる。前の方で見ていた人から「良かったよね~」「俺たちが一年の時はここまで出来なかったな~」等の声が聞こえます。

舞台の裏に戻ると何人かが泣いていました。失敗したからでは無いです。辛い練習から解放されたからでも無いです。ただの学内発表です。ただの練習に毛が生えた発表会です。しかし、そんな事はどうでも良いのです。ただ、発表の場があり観てくれる観客がいる。歓喜が傷ついた心に染み込んでくるのです。心に残っていた負の感情は歓喜に押し出され涙となるだけなのです。しかし光本、お前は泣きすぎだ。弱腰に抱きついて声を殺して男泣きしている光本。終わった。水堂は爪をいじってのんびりとし、論鰤は喫煙所に向かったのか舞台裏には居ません。桜丸は汗を拭きながら水を飲んでいます。


「これは上手くいったのか?」


「どうだろ~?私、こう言う小規模の所で発表するの初めてだから妙に緊張しちゃった~!桜丸さん凄いわね~?良かったと思うよ~」


「ええー!水堂さんに褒められたの初めて!嬉しいー!」


「まあ上手くいったんだろうな。最低のグッダグダになったとしても、上手くいったとしか俺は言わないけどな。じゃあまた後で。俺も風に当たってくる」


教室のドアを開けると、私自身の心のドアを開けたように感じました。非常階段に続くドアを開けた時、自然と涙が溢れてきました。専門学校に入りたくても入れなかった人もいただろう。声優を目指そうとして目指せなかった人も居るだろう。そう言う人に対して失礼の無い表現が出来たのか?答えを出せと言われたならば、この悲しみ以外が起因する涙が答えだと言えば良い。ただ、今は風が気持ち良い。喫煙所を通って上に行こうとすると、そこには論鰤が居ました。肩を震わせて俯きながらタバコを吸っています。


「お疲れ」


目を真っ赤にした論鰤が顔を上げました。力無い笑みを私に送ってきました。私も力無い笑を論鰤に返し、前を通りすぎる時に手を差し出しました。必要以上に強く握る論鰤。特に言葉を掛ける事もなく私は屋上近くの、いつもの街が見下ろせる場所で、自分の居場所を見つけた安心を感じ、いつものように街を見下ろしました。特に何かあった訳じゃない、ただいつもより綺麗な街が見えただけで満足でした。


少しの休憩を挟み、次はもう一つの班の発表です。私は教室に戻り、少し後ろの方に座りました。光本が隣に座り、二人で談笑をしながら劇の始まりを待ちました。


「こっちから見ると意外と小さい舞台だよね」


「僕もそう思う!舞台の上に居ると凄く広いのにね!!」


「勝ち負けとかじゃなくて単純に楽しみだよね」


「うん!」


さっきと同じ諸注意のナレーションが始まり…違うぞ。この声は雛子だ。ライブでやってるのか?舞台の袖から携帯電話をもった豚骨が出てきました。


「もしもしー!?今!?今は朗読劇を見てるよー!!」


するともう一つの舞台袖、上手と言われる客席から見て右手の方からハリセンを持った雑魚美が出てきて豚骨をスパァーン!と殴りました。会場は笑いで包まれています。そしてこっちに向いて一礼し去っていき照明が消えました。


「やられた」


私の班の人間全員がそう思ったでしょう。少し離れた位置に居る論鰤を見ると力一杯手に持ったペンを握りしめています。論鰤の悔しい時の癖です。桜丸は露骨に「やられたー!」と言う顔をしています。教室の一番後ろに立っている水堂も無表情ながら強い意思の篭った目で舞台を注視していました。


朗読劇が始まりました。セリフは勿論私達と同じです。しかしこの班は動きます。動き回ります。さながら普通の舞台のように。そして動く事で観客の心も動き、演者の心も動くのでしょう。小さなミス等は少なくないですが、目が違う。これが、これこそが「舞台を楽しんでいる目」なのか。これが、このパワー、圧力が「表現」なのか。私も光本も打ちのめされた目で舞台を見ていました。面白い。ただただ面白い。ただ面白いのだ。そう、ミスや意味等は面白さの前では色褪せるのです。面白いは全てを打ち砕く武器なのです。


俺たちの朗読劇には面白さはあったのか?


先ほど消えた不安がまた蘇りました。


何故俺たちはこれを思いつかなかった?


同じ時間、同じレッスンを受けてきた仲間が思いついたのです。私達の班でもできる事なのです。しかし、思いつかなかった。思いついたとしても「朗読劇」だからと言う事でこんな事はしなかったでしょう。そして最初の注意の寸劇が効いている。ああ言う事をすると劇の最初から「そう言う物だ」と言う心構えが出来ます。それに乗っかるにしても打ち砕くにしても有利です。ああ、これが有ったのか。面白い。チクショウ、くっそ面白れえなあ。

朗読劇は終わりを迎え、私達の時と同じく万雷の拍手で全ては終わりました。多分彼らも私達と同じように歓喜を胸に幕の後ろで思い思いの去来する感情と出会っているのでしょう。さっきまでそこにいたのですからわかります。先輩たちは「面白い」「ここまで動くか~。荒いけど…良いよね~」等と言っています。

先ほどの班が全員教室に戻ると担任も入ってきました。

そして一緒に東京の方で仕事をしているディレクターが入ってきて感想を言ってくれました。


「えー、どちらの班も非常に面白かったです。私は普段仕事でプロの声優達と仕事をしています。実力や知識はどう頑張っても彼らの方が上です。しかし、皆さんは彼らが忘れてしまいそうな気持ちを今日感じる事ができたのでは無いでしょうか?その気持ちが大切です。ずっと覚えていて下さい。良い物見させていただきました。お疲れ様でした。」


感じる事ができた気持ち、それは感謝と歓喜でした。声優、俳優の仕事を見てれる人がいなければ成り立ちません。そして演技をする人間が居なければ成り立ちません。舞台では小道具やセットのスタッフ達、アニメではミキサーやディレクター、もっと言えば原案や制作委員会や原画、アニメーター、進行…数え切れない人の力で成り立っています。その人たちへの感謝を忘れることなく、そして報いる為の気持ち、我々はそれを学びました。忘れる物か。これが、これが武器なのだから。


数時間後、朗読劇を見てくれた上級生達が書いたアンケート、そして講師陣のアンケート結果に基づき勝敗が決定されます。


「猫の餌入れと鳩小屋から生まれたお前たち!!結果を発表してやる!!ありがたく聞け!そして受け入れろ!!では発表する…」


全員緊張しているのが伝わってきます。勿論やりきる事ができた。その気持ちでもう心は一杯です。しかし私達はこれから評価が吹き荒れる世界に旅立とうとしています。その最初の評価が今、ここにあるのです。


「発表する!勝者は第一斑!!」


え!?はやっ!!一班!?どっち!?俺最初にやったから一班!?あ!違う!!あ……違うのか。その後、わっと教室が湧きました。一斑の人間達が集まって喜んでいます。それを横目に見る私達二班。明確な勝者と敗者が分けられ、「まあ上手い事できたし良いか」と思っている部分もあるのですが、やはり腸が煮えくり返る気持ちを感じています。幾度のぶつかり合いがあり、何度もドロップアウトしかけた仲間を励まし、自分自身も幾度と無く練習をしました。しかし、それで敗北したのです。他人から見た評価です。それは絶対なのです。今喜んでいるのは同じ時間を過ごして、同じレッスンを受けて、同じ楽しみを感じた友達であり仲間です。それをきちんと受け入れられない。受け入れるべきなんだ。だってあいつらは友達なんだから。でもできないんだ。納得もしてるし一班の劇を見た時に「やられた」と感じた。感じた。だから受け入れるべきなんだ。二班のメンツを見ていると全員が同じような顔をしていました。この悔しさ、この苦しさ、今まで感じた事がない気持ち。私たちの心が狭いのか?それもあるかもしれません。しかし、同じ表現者、声優としての思いが素直に褒め称える気持ちを拒んでいます。この気持ちを感じるのが成長なのか。この気持ちを育てるのが進化なのか。「負けたくない」子供の時はその思いを多く持ちました。かけっこ、鬼ごっこ、学校の小テスト、その思いは常に私たちを奮い立たせ、高みに上げてくれる思いでした。しかし現実を知ってしまうと「予測」と「振り返る」思いでその気持ちは曇っていきます。大人として生きるためにはしょうがないことです。その思いを、19歳になる年齢で思い出せるとは。こんなに心に強くでるとは。


「おめでとう!!一斑!!お前たちは朗読劇と言う枠を超えて表現をしたのが評価されたようだな!!では次に「もっとも心に残った海兵隊員」と言う項目で得票数が多かった名誉海兵隊員を発表する!!!」


またしても教室は静かになりました。やはり全員がチームよりも「個人として評価して欲しい」と願う部分があります。この学校、中々わしらの心突いてきよるでえ。


「男女二人ずつ言うぞ!!その耳を洗浄して聞け!!!まず…男から発表するか…おっと…同票が居るから三人か…言うぞ!論鰤へにょ彦!そして…光本ひよこ丸!弱腰ヘボ正!」


弱腰が!?マジかよ。全員が弱腰の顔に注目しました。

弱腰は喜ぶ訳でも無く、ただ三角座りのまま俯いていました。論鰤も無表情でしたけが、背筋を伸ばして受賞した喜びと責任をその体で受け止めていました。光本は「わーい!やったー!ありがとうございますー!」とぴょんぴょん跳ねていました。可愛い奴め。


「女は二人だな。水堂ゆり!桜丸ミロ!」


やはり。と全員が思ったに違い無い。正直この二人は実力がずば抜けています。今からでもプロとやり合えるのではないか?そう言う気持ちを全員が感じるからか、素直は拍手が二人を包みました。水堂は「そんなに嬉しい?」みたいな表情で全員を見回し、桜丸は喜びすぎて笹本に抱きついていました。可愛い奴め。


「以上!!この五人が最優秀海兵隊員だ!!では、私も少し感想を述べようか。今の結果を聞いて全員が感じていると思う。まず一斑、おめでとう。お前たちの勝ちだ。しかし、個人の成績は全員二班の人間だな。これがどう言う事か分かるか?誰か答えてみろ」


皆、心に感じる事はあっても言葉にする事が出来ません。しかし私は手を挙げました。「言ってみろ」と促され答えました。


「さっき一斑の劇を見て思ったのですが、正直…俺たち二班より…面白かったです。動きが有ったとかそう言う所も勿論ですが…何と言うか…一班は…全員が…思い切り楽しんでいたのが伝わってきたと言うか…」


「ほう…成る程。後藤、お前はよく見ているな正にその通りだ。後でお前たちも感想を見てみると良いが、正に後藤が言った事がここに書いてある。そう、上手かったのは二班だ、しかし…単純な出し物として面白かったのが一班。それがこの結果だ。個人成績の部分にもそれが出ている」


「でも…先生!上手いって言うのが大切じゃないんですか!?私…正直…二班の劇を見て…これは何をやっても私達の方が下手だ…って思っていました…勝ったのは嬉しいですけど…釈然としないと言うか…うにゅ~…なんて言うか…」


「権現雑魚美!!お前も中々良い所を突いている!!良いか?もちろん上手いにこした事は無い。入学して数ヶ月、多少はお前達の中でも優劣は付いている。それは分かるな?」


全員が頷きました。


「しかし…その差は微差だ。そして個人の面で言えば二班が群を抜いていた。しかしだ!!これは出し物だ。朗読劇だ。個人では無く朗読劇を評価される。その場合、上手い人間が何人かいるよりも、全員で一つになって「観客に喜んでもらう!」と思って作る舞台の方が強いのだ。その熱意って言う物は恐ろしいほど人に伝わるのだ」


やはり…そうだったのか。能力じゃなくて、発想。私達の実力差は微差です。ならばそこでどうやって一歩先に行くのか?それは発想と気持ちです。私達は「上手い」朗読劇を作る方向に注力し、一班は「楽しい」朗読劇を作る方向に注力しました。それがこの結果です。


「全員思う所もあるだろう!!納得できない事もあるだろう!!しかし!!結果は結果だ!!結果と言うのはお前達だけの力では作る事は出来ん!!受け入れろ!!そして学べ!!その先に答えが有るかはわからん!!しかし!!答えなんかお前たちが都合良く作れ!!表現は!!自由だ!!お前達も自由でいろ!!それが学生の武器だ!!またこれから励め!!以上!!!」


担任が教室から出ていくとクラスはまたいつものように少し騒がしくなりました。喜ぶ人間、落ち込む人間、良くわからない人間…いろんな人間が居ます。しかし結果は結果。結果は勝ち負けしか無いのです。ならばその出た方向を受け入れ、また次の勝負の為に牙を研ぐだけです。思い出した悔しさを磨いて。落ち込んでいる時間も浮かれている時間もありません。


「弱腰、良かったな。」


「弱腰君!!本当に頑張ったもんね!!」


「後藤君、光本君……僕…信じられない………」


「なんて言うか…多分、あの場所で一番戦ったのが弱腰だったんじゃないかな。俺は上手くやったけど…戦ったと言うよりも「立ち回った」と言うだけだったからな」


「そんな…!!僕…皆に迷惑かけて…それで…」


「弱腰君!!迷惑だなんて思ってないよ!!僕も後藤君も弱腰君に教えたりする事で学べたんだ!!お礼を言うのはこっちだよ!!」


「ごめ……ううん……ありがとう。僕……頑張るよ」


弱腰が燃えているのが分かりました。この事がきっかけでより良い人生を送れるのか?彼は確かに変わりました。もうあの自己紹介の場に居た頼りなくてすぐに折れそうな弱腰は居ません。ここには自分の心を乗り越えて戦った一人の戦士がいるのです。我々もまだ武器を完全に手にした訳では無いですが、この世界で戦うためのスタートラインにやっと立てたのです。

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