第4話 カナリアの立ち方
*
店を出ると、横から声をかけられた。
皇だ。
「少しお時間をいただいてよろしいかしら?」
今度は意識のピントを奥の方に合わせず、複雑なレース模様のカーディガンと上等そうな編上げのブーツに集中する。また気絶してはたまらないからね。
外側を見るだけだと、なるほど皇も灰川と人気を二分するように形が整っていた。
灰川の魅力が引きずり込まれるような妖しく陰性のものだとしたら、皇の魅力は触れることをためらわせるような、見る者を突き放した曇りのない陽のものだった。
「嫌だ、と言っても聞かないんだろうね。君は」
灰川の言葉の端々にかなりマジの憎悪が混ざっているのを見て、少なからず戸惑った。最初の時は気づかなかったが、灰川もこんな態度を取ることがあるのか。
いつも万象に宿るユーモアを掬い上げて楽しんでいるような表情はしかし、表面こそ変わらないものの、その奥に断崖があるかのようだった。
「端的に言いますわね。この事件から手を引きなさい〈でないと殺す〉」
後半の声が聞こえたのは僕だけのようだった。
その証拠に灰川は何でもないように会話を続けている。肝が据わりすぎているだけかもしれないけれど。
「もう一度言うぜ、嫌だね」
「この事件、あなたには解決出来ませんわ〈でも、あなたになら出来る。私としては解決されちゃあ困るのよ〉」
圧縮された言語が僕の心の中でほどけるように響く。それらはどうやら僕にだけ指向性を持って放たれているようだ。これも悪魔の能力とやらなのかもしれない。
前者の「あなた」は灰川、後者の「あなた」は僕。
新しい情報に僕がパニクってる間にも、二人の会話は止まることはない。
「そうかな? 確かに今までなら君に一歩譲っていたかもしれないが、こちらには新しく助手がいるのでね」
チラリとこちらを見る灰川。その眼には複雑な気持ちが混ざっていて、すぐには上手く読み取れない。
「いつか言いましたわよね? 探偵は孤独であるべきだと。特別な人間が凡人の中でヘラヘラと愛想笑いをして生きるのは、才能の浪費ですわ」
「違うね。孤高であっても、孤独でいてはつまらない。それに、探偵にとって助手は最高の引き立て役だ」
僕のいないところで何度も繰り返されたのであろうやり取り。
「……何にしても、警告はしましたわよ〈警告はしましたわよ〉」
代わりと言っちゃ何だけど、こっちの視線は読み取りやすかった。灰川には嫌がらせ、僕には脅迫。やっぱり皇のことは好きになれそうにもない。
付き合いの長いであろう灰川でも僕と同じ気持ちだったのか、ぞっとするような冷笑を皇の後ろ姿に投げかけた。
「ああ、そう言えば」
急に振り向く皇。変拍子もお手の物で、探偵というのはこんな風に嫌な奴ばかりなのかという気になる。
「あなた方にお話があるという人を連れてきたのを忘れていましたわ」
手招きをされて、店の角から出てきたのは新城真由、僕がうっかり殺しかけたグループの生き残りの片割れだった。
「ねえ、灰川さん……。どうしてあんたがその犯人と一緒にいるの」
ドス黒い声だった。
言ってしまうなら、灰川は聞き込みの時点で殺されかかった彼女を助けた相手、ということで信頼を得て情報を引き出した形になるので、新城が疑うのも無理はない。っていうかぶっちゃけマッチポンプだ。
「あー、僕は容疑者として灰川に取り調べを受けていただけで、」
「君のバッグは高いけど、靴は安物だ」
言い訳をしようとしたところを、横から灰川に潰される。どうやら、もう取り繕う気もないようだった。
「よく見るとそのバッグも型が古い。姉か親戚のお下がりだろう。ファッションセンスも悪い。
そのためグループの中では少し浮いていて、周りについて行こうと必死だ。だから昼食を抜いて小遣いを貯めているが、それもそろそろ限界。気疲れと栄養不足でしばらくずっと貧血気味だ。女子生徒のパワーゲームの話など、仮のものとはいえ彼氏にも、家族にも言えない。かといってグループを抜けることも出来ない。君はつまらない女だ」
「な、何を……」
「そんなつまらない君でも、依頼されれば護衛するのだって探偵の仕事さ。どうだい、皇から僕に乗り換えないか」
「ふざけるなっ! 誰があんたなんかに!」
差し出した手を払われても、依然として灰川は余裕と酷薄さの入り混じった態度を崩さない。
「ふむ。それならそれでいいがね。忠告しておくと、皇は君を守ったりはしないよ」
「それでもあんたらなんかよりマシ」
致命的な決裂だった。新城は怒りのままに踵を返し、皇は「ネガティブキャンペーンはやめてくださらないかしら?」と白々しく言って、新城を追った。
僕はというと、今のやり取りで気になることが出来たので、それをそのまま口にすることにした。
「あの人、見殺しにするの?」
「うん」
「灰川ってさ、……人を殺したことがあるのか?」
「うん。考えてもみなよ、僕みたいな大天才が本気を出したら、木っ端犯罪者どもなんて悪事を働く前に逮捕されちまうだろう。僕の眼の届く範囲で事件が起きた時点で、それはもう半分以上僕が殺したようなもんさ」
「何でそんなことをするのさ」
「面白いからに決まっているだろう」
そう言う灰川は言葉の通り、あくまで楽しそうだった。
言ってないだけで、灰川は直接的に人を殺したこともあるはずだった。眼を見ればわかった。
でも、そんなことはどうでもいいことのように思えた。僕もすっかり灰川の悪事の片棒を担ぐ立場になっていたから。
灰川と僕は一人目の被害者である足立玲美の失踪した当日の足跡を辿っていた。
聞き込みで得たいくつかの視点によるあやふやな足取りだけど、指針がまるでないよりはマシだ。
大通りの眼鏡屋を通り過ぎて、デパートに入る。クレープ屋を冷やかし、女性専門のカジュアルな洋服店、アウトドア商品店、靴屋を通り過ぎる。
「ファッションはよくわからないなあ……」
「みたいだね」
ぼそりと愚痴をこぼす僕に、灰川の冷たい視線が突き刺さる。
灰鼠色のコート→黒無地フリース地のタートルネック→裾を折り返したジーンズ→使い古しの運動靴の順に、批評のレーザーがそこに宿る僕の怠惰を焼き切る。その間、僕はもう居たたまれない気持ちでいっぱいだ。
「言い訳をするとね、道具に機能以上のことを求める方がどうかしてると思うんだよ。暑くなくて寒くなくて頑丈でポケットがあって動きやすければ、それで良いじゃないか」
「馬鹿だな、由良君。君は実に馬鹿だ。原始時代ならともかく、この文明社会において服の機能とはファッション性に他ならないのだよ。つまりファッションを最優先させるのは実に機能的なことと言えるのさ」
「そうかなあ……?」
「そうさ。社会を構築して生活する人間にとって必要な技能というのは、木の枝をこすり合わせて火を点けたりすることではなく、社会にいかに溶け込み、その中で自分の地位を確立するかということだ。服装というものは実に巧妙に社会性を反映するのだよ」
もっともらしいように聞こえるが、実際は「君の服はダサすぎるからちゃんとした格好しろ」ってことなので、素直にうなずけない。別に僕がダサくたって困る人がいるわけでもあるまい。
「馬鹿の二乗だな、由良君。お洒落は一緒にいる人に恥をかかせないようにするという側面もある。レストランに食事をしに行って、君だけドレスコードを守らずに追い返されたら、デートは大失敗だろうね。つまるところ君の悲劇は、今までの人生にそれだけ気を遣いたいと思える相手が現れなかったことなのさ」
「ちぇ、わかったよ。今度服を買うよ。それでいいんだろう」
「ふふん、じきに君は自分から着飾りたいと思うようになるさ」
「お前なんかのためには、もったいなくて着られない服を買うさ」
「おや、僕は誰と言った覚えはないんだがね? まあ、君が僕にファッションチェックをしてほしいと言うのなら、いくらでも付き合ってあげるよ」
ああ言えばこう言う! 灰川には一生口喧嘩では勝てない気がした。
とはいえ、灰川のファッション観にはうなずくべき部分があった。
というのも、ある種の女性、特に高校生ぐらいの女子にとっては何をするにもファッションだということがぼんやりとわかってきたからだ。自意識過剰のカッコつけ、ファッションは仲間内での褒め合い貶し合いにおける尺度であり、武器なのだ。男性においてもそれは変わらないが、特に顕著になる人種がいるということだ。
その手の価値観に興味が持てないから、僕はこんななのかなあ……、と思う。
僕には友達がいなくて、クラスにも上手く馴染めなくて、でも本当はそれすらどうでもいいと思ってて、自分の頭の中の妄想ばかりが大事で、色んなことに興味がなくて、中でもファッションはその最たる物の一角なのだけれど、それでも、みんなの価値観に馴染むことが出来たらもっと上手くやれていたんじゃないかと思う。
ちぇっ、何を馬鹿なことを。灰川に調子を崩されっぱなしだ。僕は首をすくめてスタスタ歩く。益体もない考えを振り払いながら。
デパートの出入り口に再びさしかかった辺りで、灰川が急に振り返って僕に指を突きつけた。
「君は動物は好きかね?」
「別に……好きでも嫌いでもないよ。意思疎通が出来ないからね」
突然の質問に灰川の意図がわからず、曖昧な回答しか出来ない。もっとユーモアが欲しい。気の利いた答えを灰川には返したいと思う。
「動物には意思がないと?」
「あったとしても通じ合うことは出来ないと思う。僕には言葉がギリギリの妥協点だな。動物に対して何か思うとしたら、普段使う物への愛着みたいなのじゃないかな」
「食事をして排泄をして鳴いたり飛んだりするのにかい」
「スーパーボールが跳ねるのとどう違うんだ? 言葉があるといっても僕にとっては他人も似たようなものだけど……」
「そりゃまた、ずいぶんな言い草だね」
「……お前は道に唾を吐くおっさんをどう思う? 僕はすごく下品だと思う。道に唾を吐きたくなんかならない。でも唾を吐く人はたくさんいるし、いなくならない。煙草を吸う人は? 僕は煙草を吸いたくない。酒は? ギャンブルは? どうだっていい。やってる奴がいてもケチをつけるつもりはないよ、ただ僕がやりたくないだけ。そこにピンクのカーディガンを着ている男がいるな。僕は着たくない。みんな二人以上の人が集まると必ず誰かの悪口を言うね。僕は悪口なんて言いたくないし聞きたくない。僕はコーヒーなんて良いにおいのする泥だと思うけど、君は美味しいって言うよな。
僕は人と人は理解しあえないし争いは絶対になくならない、だからこそお互いの妥協点を見つけてそれ以上踏み込まないことが必要と思うけど、こういうことを言うと絶対に相互理解は出来るし平和は訪れる、お前はただ捻くれてるだけだって言う人が出てくる。僕はね、生きてると、狭い箱の中にスーパーボールをぶちまけてぶん回され続けているような気分になることがあるよ」
「そういう考え方は疲れるだろうね。この世の不幸を全部背負ってるつもりか?」
「まさか。ただボーっとしていたいだけ。眠たいんだ」
「俺を一人にしてくれ、ってか。ハードボイルドだね」
「っていうか、わからないことが多すぎる。知った風な口もききたくないし。でもお前だって、全部のことをわかって動かしてるわけじゃないだろ? マッチ自体を作れなくってもマッチを使って火は点けられる、そうだろ? 僕はただ周りと一緒にかき回されてるだけで、かき回される意味について考えることも出来ないだけなんだ」
「僕は自分の行き先は自分で選びたい。かき回されるにしても、跳ねる方向は僕が決める」
「羨ましいな……僕はいつだってわからないことばっかりだ」
「君は結論を出すことに臆病なだけさ。それでもいつか、本当に決めなきゃいけない時が来る」
「……そうかもね。で、どういう意味の質問なんだよ、さっきのは?」
待っていましたとばかりに指を打ち鳴らす灰川。そしてオーバーアクション気味に肩をすくめて手の平を上に&ため息。
「やれやれ、本当に君は鈍いんだな! そんなんじゃ探偵助手失格だぞ!」
「なった覚えはないんだってば」
「君がまるで腑抜けのようにただ歩いてるだけだから、その役目を思い出させようとしてやったんじゃないか。いいかい? 初めて僕が君の家に行って朝食を食べた時、君は『いただきます』と言った。さっきの中華料理屋でも、『ごちそうさま』と挨拶をした。にも関わらず、だ。君は自分で作ったサンドイッチを食べるときは何も言わなかった」
「たまたまだよ」
「身についた習慣はそう簡単には変えられない。つまり、君は挨拶をするのに何らかの条件付けを自らに課していたということだ。朝食の時は朝ご飯を作ってくれた君のお母さんがそばにいた。中華料理屋では店員が。だが、サンドイッチは君が自分で作ったから、挨拶をしなかったのだと推理出来る。『いただきます』『ごちそうさま』は多くの場合、命を食べるための礼儀として語られるが、君はそう思ってはいないんだろう? 君はあくまで、料理をしてくれた相手にのみ敬意を払っているんだ」
まるで自覚のなかった部分を強くえぐられて、僕は息が止まる。ゆっくりと呼吸をニュートラルに戻すように、言葉を選びながら反論する。
「……だって、食べられる側としては自分を殺す相手が感謝してようと感謝していなかろうと、関係ないだろ。変な自己満足のために謝られても困るんじゃないか」
「それだよ、今、無意識に食べられる生き物の側で考えたな? つまり君は、常に殺される側に感情移入している。ふふふ、子供のころはいじめられっ子だったんだろうな」
覚えてないけど、覚えていないってことは覚えていたくなかったことである可能性が高いので、灰川の視線を真っ直ぐ受け止められない。
「折角の才能なんだ、活かさなきゃもったいないじゃないか。だのに、君ときたらただダラダラ店を見てるだけで、全然その内容を読んでない! 君がありとあらゆるファッションに興味がないのはわかるけど、女子高生なんて生き物はご飯を食べるのも息を吸うのもファッションなんだから、ちゃんとしてくれないと困るぜ。
いいか? 殺されたのは女子高生なんだ。君はそれに感情移入が出来る。何故なら彼女らは殺されているからだ。結果としてだけじゃない、殺されたまま生きてきたんだ」
言葉の一つ一つが突き刺さる。殺されたまま生きている、その意味。
「さっきのクレープが売っていた店まで戻ろう」
気付けばほとんど自動的にそう言っていた。
どうも今まで食べたことがないからクレープの注文の仕方というのはよくわからない。トッピングが複雑すぎやしないかと思う。
でも、そう思うのはボーっとしがちなダサい男子高校生の僕であって、生きていた頃の女子高生の一人ではない。
「ピーチカスタード、いや、期間限定のミックスベリーとアイスクリームのやつで」
一瞬迷って注文する僕に灰川も続く。
「じゃあ僕はチョコバナナで頼むよ」
待つことしばし、扇状にではなくソフトクリームのように巻くスタイルでクレープが渡された。
一口食べる。
(やっぱりピーチカスタードの方が良かったな)
もう一口。
(巻いてある紙が邪魔で食べにくい)
『足立玲美』は不満を抱きながらも、それを口には出さずクレープを食べ続ける。『お洒落は我慢』が基本であり、『何を』を『誰の前で』食べるというのは、女子高生にとってのファッションに他ならないからだ。
僕個人としてはそれを差し引いても、あまり美味しいとは思わない。生地がスカスカなような気がする。自分の舌に自信がなくなってきた。
「これ、どう思う?」
「雰囲気を食べるもんだな。もっと美味い店を知ってる」
つまりはファッションだ。一種のオカルトと言ってもいい。
「ん。交換してみるかい?」
灰川もノリノリで女子高生が言いそうなことを提案してくる。っていうか、灰川は本当に女子高生なんだけどさ。
チョコバナナのクレープを一かじりして(僕は間接キスとかを気にしてしまうくらいには童貞だけれど、今は女子高生なので気にしない。気にしないったら)、僕自身が本当はチョコバナナを食べたかったことに気づく。
つまり、ピーチカスタードが食べたかったのは足立で、僕の気持ちと当時の足立の気持ちがそこまでごっちゃになっているということを示している。
あまり深く潜ると帰ってこれなくなりそうだけど、捜査には必要なことだ。いざとなったら灰川が何とかしてくれるだろう。
結局ビリビリになってしまったクレープの包み紙をポケットにしまい、服屋に向かう。
僕個人としては途中の本屋でダラダラしたいが、無視だ。僕個人の意思を締め出す。
助野がボーイッシュなファッションをしがちなので、他の崇拝者四人は女性性を強調するような服を選ぶ。
先ほど灰川に渡された資料を確認すると、どうやら一人一人に細分化された個性があるらしい。
細分化が行き過ぎて、このコーディネイト自体が同性に向けたものであることは、ほぼ間違いない。
同じ人間なのに、内側で線を引いてはバラバラにしあっている。くだらないジェンダー観。
男らしさだとか女らしさだとか、そうした規範意識に苦しめられている人ほど自ら強固に縛り付けられに行く。
(彼女たちは、身内でも常に殺し合っていたんだ)
自覚があったのかどうかはわからないが、彼女たちは僕の理解の及ばない独特の価値観を以て、常にお互いにマウンティングしあい、優劣を定め序列を競っていたのだろう。
「そうしないと迫害されて殺されてしまう」と、そこまでは思い至らなかっただろうが、漠然とした強迫観念があったことがわかる。
今ならわかる。恋人を作るのはファッションなのだ。彼女らにとって本命が他にいる以上、ただのお飾りに身体を許してやる道理もない。運動部でゴリゴリした性格の男は彼女らの感覚ではイケてて、持ってると高得点なのだ。ゲットした後のことは知らない。
ファッションの本質は本質自体をファッションに仕立て上げてしまうことで、上っ面を剥がそうとしてもまた別の上っ面が暴かれるだけのウロボロスの蛇と言うか、玉ねぎの皮みたいなものなのだ。
本物と偽物の価値が限りなく近づき、逆転し、更には混交してしまう。こんな風に考えているけれど、その価値観自体が既にファッションでー、って大事なものも大事じゃない物も等しく無価値かつ崇高なものに作り変えてしまう恐ろしさがあるのだ。
「ううー、気持ち悪くなってきた」
ぼそりと呟く僕を、灰川は真剣に見つめている。その眼で見られると僕は頑張らずにはおられないような、おかしな気分になる。
結局のところ、僕は鉱山を進むカナリアだ。坑道の中に有毒ガスが溜まっていないかどうかを、その命と鳴き声で知らせるためのチェッカーに過ぎない。
灰川は僕を捜査のためだけの道具として使っている。それでいいと思うし、僕は灰川に元より何も期待しないようにと言い聞かせていた。例え、どれだけ彼女が僕に親しげに接しようと、灰川は他人でしかないのだから。
だのに、どうしてこんなに、ムシャクシャするんだ? くそ、集中しろ。
アウトドア用品の店に立ち寄ったのは、助野が興味を持ったからだ、いや違う、そうじゃない、何だ?
「トールなら、こういうの好きなんじゃないの?」
足立は隣にいた助野に言った。そうだ、足立が助野に興味を持たせたんだ。
現実で僕の隣にいる灰川はハッとしたような顔をした。
灰川が僕にやるのより数段頭が悪いが、これは明らかに他人を操作しようとするための行為だ。
意志の強要=殺されていた。
人の心が屈辱に濡れるにおいがした。
フラッシュバック──便器に顔を叩きつけられる人/降りかかってくる笑い声/悪行を心の底から楽しむ人間のおぞましさ。
おぼつかない足取りで靴屋を通り過ぎ、デパートを出た。「お洒落は足元から」ってよく言うよね。
実際、灰川の革靴は高そうだし足立のハイカットのスニーカーはカッコよくて、僕のヨレヨレの運動靴とは全然違って、もう本当に何もかもが情けなくなって泣きそうになる。
何もかもが嫌になっていた。この瞬間、僕は絶叫する痛苦だけが詰まった肉の袋だった。
だから、ふらふらと歩道から道路に飛び出した。誰でもいいから僕をミンチにしてくれと思った。
クラクションの音。さあ、来いよ。
バン! 激痛。
ドチャリザザガリガリズザザと身体全部がコンクリートにこすり付けられて、僕は望み通り意識を失う。
*
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